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  □これまでの日記一覧

2006-09-30

[][] トム・ヨーク@ニュース23

夜は「ニュース23」を見る。トム・ヨークのインタビューを見るためだったんだけど、なんだかなぁという内容だった。インタビューはイギリスにあるトムのスタジオでのものだったんですが、いくらニュース番組の取材だとはいえ、会話がすれ違っている感じが残念でした。

例えば、トムの歌詞に、直接的な言葉は少ないのに、なんで「常に問題意識を先にもって曲づくりをしているような」という質問がでてくるんだろう。「歌詞に意味を込め過ぎると音楽が死ぬ」というようなことをトムも答えてたし、それは常に避けてきたことだと思う。いままでだって、直接的なのはアートワークだけじゃないかなぁ。

ミュージシャンの考えについて想像するときに、歌を聴くのではなく、まず歌詞を読んだりほかのインタビュー記事を読む、というのは、間違った方法だと私は思うんですが、この取材はそっち側からのもののように感じた。まあ仕方ないか、とも思うんだけど、もうちょっといろいろ聞いて欲しかったな。

あ、でも「子供たちに、どんな未来を残したいですか」というような質問に対し「何かしら未来があればいいと思うよ」と答えたのはいいなぁと思った。やっぱりトムはコメンテーターではなくて、ミュージシャンなんだなと、確認してほんのり嬉しくなる。(おもいきりひいき目に見てる)。

[][] コダマの谷/入江亜季

コダマの谷 王立大学騒乱劇 (ビームコミックス)

コダマの谷 王立大学騒乱劇 (ビームコミックス)

きれいな本。装丁も、絵柄も、すっきりしているのに詰まってて、そういう「作り」へのこだわりがお話にもにじみ出ているなと思った。

たぶんきっと、著者のすきなものをいっぱい詰め込んでできたお話なんだと思う。ヨーロッパとか、レンガ道とか、寄宿舎とか? あとがきにもそんなようなことが書いてあったけど、うん、潔いくらいのイメージ優先だなと思う。だからお話の脈絡に説明不足に思えるところもある。でも、絵柄がしっかりしているおかげで、なんとなく雰囲気で読めてしまう。

お話としては併せて収録されている「フクちゃん旅また旅」のほうが読みやすい。竹本泉さんの「るぷ・さらだ」みたいな雰囲気で、親子がいろんなところを旅する。鬼の子が酔っぱらって花を咲かせる「開花」とか、すてきです。

[] 厚切りポテト

ナビスコから新発売された「厚切りポテト」のしお味がうまいです。

分厚いポテトチップスは歯ごたえもよく、ほんのり甘いじゃが芋の味と塩加減が絶妙。先日、台湾で出会った厚切りポテトチップスがかなり気に入ったのですが、これはそれに近い味。

ナビスコは「そのまんまポテト」とか、最近ちょっと芋の味が甘いのがあんますきじゃなかったのですが、同時発売のコンソメは甘いのにたいして、塩味はしっかりと塩の味。でも、しょっぱすぎず、芋の味をひきたてるかんじ。久々のヒット。

[] リニューアル

すぎむらしんいちさんとかわかみじゅんこさん、二人とも大好きな漫画家さんで、二人とも最近になって過去の作品集がリニューアルされたんですが、『ALL NUDE』の

2編を加え新編集!

ってのはまだいいとして、『少女ケニヤ』の

1998年に宝島社から同タイトルで発売されたものを一部改編(『あかずのふみきり』を『亜木子』に差し替えて収録)したものです。

ってちょっとくやしい。どうせ両方買い直すんだけど、差し替えとなると古い方も持ってたいし。あ、それをいったらWIMもだ。こうやって同じ漫画が何冊もある状態になってくのもなんかせつない。

2006-09-29

[] イーライと13番目の懺悔/ローラ・ニーロ

イーライと13番目の懺悔

イーライと13番目の懺悔

ニューヨーク、ブロンクス生まれのシンガーソングライター、ローラ・ニーロの1968年の2ndアルバム。デビュー当時の知名度は低かったものの、フィフス・ディメンションがこのアルバムから"Stoned Soul Picnic"、"Sweet Blindness"をカバーしたことを切っ掛けに注目を集め、多くのミューシャンが彼女の楽曲をカヴァーするようになりました。しかし、どんな歌い手にゆだねられても、その曲にはローラの気配を感じる。ローラはシンガーとしても、ソングライターとしても、オリジナルの才能を持っていた人でした。

生まれ育った環境からか、R&Bやゴスペルを背景に感じさる楽曲と、繊細さと力強さをあわせ持つエモーショナルなソプラノ。アルバムを買った頃は、なんとなくブルーになるような、雨の日のアルバムだと感じてたんだけど、今日みたいな天気の日に聞くと、とても気分が良いアルバムだった。

Surry down

to a stoned soul picnic

Surry down

to a stoned soul picnic

Rain and sun come in akin

and from the sky come the Lord

and the lightnin

And from The sky come the Lord and

the lightnin

Stoned soul

「stoned soul picnic」を「ぶっとびピクニック」と訳す(訳/中川五郎)センスがすてきです。

ピクニックいきたい。

[] フェルト作り

毛糸でフェルトが作れる、というのを前にどこかで見たことがあって、作ってみたいなぁと思っていたので「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」見ながら挑戦してみた。

毛糸を細かくして、石けん水で云々って曖昧な知識しかなかったので最初はとにかく石けん水の中で毛糸をごしごしする。大失敗、モノマネ選手権は面白い。

次に毛糸をちゃんとほぐしてからやったら、細かい布めいたものができた。でもなんかイメージと違う。テレビ終わったのでネットで調べてみたら、……整形してからあったかい石けん水かけてこするらしい。全然勘違いしてた。こするのに40分とか書いてあるので再挑戦は明日にする。うまくいく気がしないけど。

こんなことならフェルトシートを買えば良かったなぁ。

あ、作りたいのはDSの入れ物です。

[][] コーラス&FEEL YOUNG10月号

コーラス

お元気ですか?/池谷理香子
無気力な子供だった主人公が一度だけ夢中になった「飼い猫」の存在。しかしその猫がいなくなってからはずっと無気力な人生を送っていたのに…というお話。なんか不思議な話だったのだけど、欲しいものが特にない、というのはそんな珍しいことでもないような気もする。
まっすぐにいこう
初めて読んだ、犬が主人公の漫画、かな。そういや昨日のトリビア種でやってた「ご主人が血統書つきの犬をかわいがっているとこに遭遇した犬のとる行動は」ってやつ、かわいかったなぁー。うちの猫は確実にしかとだろう。
森を歩けば/岩館真理子
読み切り。岩館さんらしい、ちょっとおかしなファンタジーって感じで良かったです。森で出会った少女はダンゴムシが大好きで、という話(ちょっと違う)。

FEEL YOUNG

にきび/野口ともこ
最終回。意外な展開にいくかと思ったら、きちんとおさまってた。二番目の兄のとこはもうちょっと読みたい気もしたけど、面白かったです。
AC刑事
話がよめない。
フラクラ/斉木久美子
新連載。保育園の先生が園児の親と云々というお話。読みやすい絵だなぁ。

2006-09-28

[][] キングス&クイーン

監督:アルノー・デプレシャン

「映画」を見たなぁって、思った。とにかく、とても味わい深く贅沢な映画だった。

映し出される情景の雄弁さに引き込まれながらも、印象に残るのはストーリーよりもキャラクターの輪郭だったりするのは、常に登場人物の表情を最優先に、時にはイマジナリーラインなんて無視して、切り取っているからなのかもしれない。そしてそれが、人物それぞれの一人称を強調している。これは「そして僕は恋をする」などにもいえることで、デプレシャンの味、なのかもしれない。

物語は、ノラという女性と、複数の男性たちを中心に進む。ノラはとても魅力的な、しかし複雑な女性として描かれている。尊大さと高貴さを同時に保ち、かつその表情は慈愛に満ちているが、一人の時には深い苦悩を垣間見せる。

反対に、もう一人の主人公であり、ノラの元恋人であるイスマエルのパートは喜劇的に描かれ、彼自身も楽観的に、惜し気もなく言葉を連ねる。例えば「男は直線を死に向かって生きる。でも女は泡の中を移動してるだけだ」というようなことを精神科医の女性に言ったりする。

泡の中を移動するって、どういうことだかわからないな、なんて思いながら、ふと、私が見ている女性たちと、イスマエルが見ている女性たちは全く別人なんだろうなと思う。それと同じように、彼らひとりひとりの世界があって、それが重なりあいながら、映画の中で、物語を描いている。

「自分が正しいと信じることだ。もちろん間違うこともあるけれど、それも大事だ」とイスマエルはかつての息子に語る。どこかで読んだことのある「人は皆、自分の国の王であり女王である」というような意味の言葉を思い出した。

この物語が何だったのか、うまく言葉は見つけられないけれど、分かりあえない、ということの先に何かある感じがした。「なにか」としか言えないようなものが。

[][] 「世界をよくする現代思想入門」読み途中

前読んだ「「私」のための現代思想」*1の著者の「世界をよくする現代思想入門 (ちくま新書)」を読んでます。面白い。あちこちで目にするあの言葉やあの名前は、そういうことだったのかって思えるとこが多いのも楽しいんだけど、なんかすごく読みやすいので、自分が大きな勘違いしてそうで恐いな。

今日読んでて気になったのはここ。

私たち人間は、世界を「受動的に」認識しているわけではありません。世界をどのように見るかということは「世界をどうしたいのか」ということに依存しています。私たちは「世界をあるがままに認識すること」などできない存在です。人間の「世界認識」は、「世界をどうしたいのか」という方向性(志向性)があって、初めて決定されるものです。

「世界をよくする現代思想入門」p62

最近考えてた自由意志の話で、私のイメージに近いのはこれかなぁって思った。

このすぐ後に「言語ゲーム」の話があるのだけど、「私たちはそれらの語を「ある状況やある文脈の中で、適切に使用できる/p64」だけであり、「使用」することは「言語という制度に従うことである」ということを否定できないとして、しかしその「制度」の「志向性」というものは、あるんじゃないだろうか。

「言語」という言葉の捉え方が間違ってるのかもしれないけど、私が「意味」という言葉で言いたかった(id:ichinics:20060920:p2)のはその「志向性」に近いと思う。そしてこの志向性というのは、常に利己的に(それが利他であったとしても己に利であるような)働くはずなので「自由(束縛されてない)」っぽいものに感じられるのではないかと。その志向性は、例えば自分の「世界」と言い表してもいい。

で、一回しかないはずの行動/現象は、「言語」によって、法則に従いソートされていくことで補完されていく。1+1が2になるという「約束ごと」みたいに? んー、でもそれが法則に基づいているなら、自分の中の制度を「あらわす」ことも可能なのかな。どうやるんだろう?

何をいってるのかわからないと思いますが私にもわかりません。混乱してきました。

ところで私が今までその意味を知らなかった形而上学とはこんなものだと解説されています。

「あの子が泣いている」ということの「意味」は、その現象をどんなに細かく吟味しても、知ることはできません。(略)私たちが観察しうるのは、何らかの物理的現象でしかないのですが、実は、物理的現象が何らかの「意味」に変換されることによって、初めて「存在する」ことになります。p23

それじゃあ何でもありじゃないかと思ってしまうんだけど違うのかな。とりあえず「意味」って言葉の意味するところを理解するのが一番難しい気がしてきた。

2006-09-27

[][] 斉藤芽生

斉藤芽生さんの新作が11月末に見れる。

前に美術手帖の特集で知ってから、ずっと実物みたいなーと思ってたので楽しみです。

齋藤芽生「晒野団地四畳半詣」

さいとう・めお「さらしのだんち・よじょうはんもうで」

11月24日(金)ー12月23日(土)

Gallery ART UNLIMITED

107-0062港区南青山1-26-4 六本木ダイヤビル3F

ichinics2006-09-27

作品はここ(http://www.artunlimited.co.jp/meo/gallery.html)で見れます。

私は「遊隠地」シリーズと今回見れる「晒野団地」シリーズが特に好き。

「カステラ、カステラ!」(たくさんのふしぎ/2006年2月号)で絵を描かれてたってのもサイトで知って、これは近いうちに買う。

[][] 京都に行きたい

朝から雨で、一日中寒い。まんまと風邪ひいてしまったようで、夕方にはぐったり。

夜、なんとなくテレビでやっていた京都ぶらり旅を見る。あー京都行きたいなぁ、なんて思いながらネットを見始めたら、恵文社さんところで「エルマガジン」のお話がのっていた。こちら(id:keibunsha:20060926:p1)の号、京都に行ってたときにたまたま友達の働いてる店に取材にきていて、発売したら買いますねーなんていってたんだけど、関西の雑誌だったのかぁ。欲しいけどこっちで買えるかな。

京都は本屋さんめぐりしていても、かわいくて面白いフリーペーパーがあったり、こういう情報誌というメディアに希望が持てる感じが、ほんと漠然とだけど感じられて、それが土地に根付いてる感じが不思議でもあり、魅力に感じられた。

でもそういう期待感て、東京にいたってあるはずなのにな。地元の駅もどんどん開発されて知らない顔になってくし、なんだかどの町からも遠くなってしまう感じがちょっと寂しい。

でもなんで自分は雑誌に魅力を感じなくなったんだろう。

実際、雑誌(漫画雑誌以外)買わなくなった。一番最近買ったのは、ユリイカの「理想の教科書」で、わりと最近だけど、いわゆる「情報誌」ってのはずいぶん買ってない。数年前は月に一冊は買ってるものがあったはずなのにな。

今はどちらかというと、わりと小規模でサブジャンルに特化した雰囲気の雑誌が求められてるんではないかとか妄想したけど、それはきっとそういう雑誌を読みたいって気持ちがどっかにあるからなんだろう。女性向けでそういうのってあんまりない気がするし…。あーでも、それってサブカルチャーなのかな。なんか適当なことしか考えられない。

watashiha_umiwatashiha_umi 2006/11/04 00:34 初めまして!私も齋藤芽生さんの画を楽しみにしている一人です。
美術手帖は「絵画輪廻転生」でしょうか?hatenaで言及されている方を発見できて嬉しい思いです。

ichinicsichinics 2006/11/05 01:39 watashiha_umiさん、こんばんは、はじめまして。こちらこそ齋藤芽生さんの画を好きな方に発見していただけてうれしいです。そうです「絵画輪廻転生」で知りました。新作見れるの楽しみですねー!

2006-09-26

[][] 自虐の詩業田良家

最初に読んだのは大学生の頃で、読んでる間中、なんだかひどく暗い気分だったのを覚えてる。これに選んだときも「好きじゃないけど」なんて書いてるくらい、確かに面白いんだけどもやもやした気分になる感じは「ダンサーインザダーク」や「嫌われ松子の一生」を見た時のあれに似てる。そういえば不幸をコメディで、という構図なんてまんま映画版「嫌われ松子の一生」じゃないか、と思って読み返してみた。

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

そうしたら全然印象が違ったのだ。こちらを落ち込ませるような、どうしようもない不幸は「自虐の詩」にはない。いったい私は何を読んでいたのだろうって逆に凹むくらい、ぐっときた。

この物語は、周りから見たら「不幸」にしか見えない主人公の生活描写を丹念に積み重ねていくことで、読者の視線を変化させる。

自虐の詩」主人公の幸江は旦那イサオを愛している。働かないし、すぐ怒るし、怒ると机を引っくり返すし、酒とギャンブルが大好きで、周囲の人はみんな「別れろ」というが、幸江はイサオといられて幸せだ、と言う。読んでいる方が「なんで?」と思うようなことがあっても、幸江はつくし続けるので若干いらいらしてきたりもするのだけど、1巻の最後あたりから、現代と平行して幸江の過去が綴られるようになると、物語の奥行きもぐんと増して面白くなる。

そして最後にはイサオに巡り会って良かったなー、と思う。幸江の良いとこも汚いところも見てはじめて、彼女の魅力が見えてくる。

幸や不幸はもういい

どちらにも等しく価値がある

人生には明らかに

意味がある

自虐の詩」2巻/p279

不幸とか幸せなんてのは、ほんとに一面でしかなくて、二巻分幸江と向き合ってみてはじめて、彼女は不幸かもしれないが、同時に素晴らしく幸せでもあるんだということが、それは両立するんだってことが見える。そして、それこそ映画「嫌われ松子の一生」が試みて、失敗したことじゃないかと思う。不幸を笑い飛ばすのは、やっぱり主人公自身がやることなのだ。

この視点ががらりとかわる感じを、ぜひ読んで味わってみて欲しいなと思います。何度となく繰り返される、イサオがテーブルを引っくり返す場面すら、最後は微笑ましく見えてしまうんだから。

自虐の詩 (下) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

自虐の詩 (下) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

[] トム・ヨークが『筑紫哲也NEWS23』に

slowriderさんのところ(id:slowrider:20060925:p1)で知りました。びっくりニュース。

なんと! トム・ヨークが『筑紫哲也NEWS23』に出演するそうです。

トム・ヨークが出演するのは、9月29日(金)の放送分。同番組の人気コーナー“金曜深夜便”への出演となる。人権問題や政治、環境など、多彩なジャンルに豊富な知識を持っている彼だけに、さまざまな話題が期待できそうだ。

http://www.barks.jp/news/?id=1000027086&m=oversea

何話すんだろう。基本的にインタビューとかは読むの好きじゃないので、トムといえば、ベジタリアンで、車が嫌いで、過剰包装反対で、ブレア政権を批判しているってことくらいしか知らないけど。うーん。インタビューとかも、読もうかなぁ。

ビデオ録画とか久しぶりだ。あーDVDレコーダー欲しいなぁ。

[] 雑草の森

数カ月ぶりにどうぶつの森にログインしたら(ログイン気分)森は雑草だらけで、家には黒い奴がうようよしていて、走ると埃が舞う始末。なんかすごくいやなきぶんになったので、とりあえず森中の雑草を抜きまくって、やめた。

ついでに放置してパスワードもわかんなくなったネット上のあれこれとか思い出して、なんか遠い目になる。

2006-09-25

[] 朝霧JAM

メンツ発表されましたね。→ http://www.smash-jpn.com/asagiri/timetable.html

うれしいのはなんといってもロンさんです。あとポーグス!

まあのんびり、楽しんできます。晴れますように!

[] サティネ

今日はTGS行って、イクスピアリでご飯食べて、ピエールエルメでお菓子買って、ボンボヤージュでディズニーランド行った気分になって、帰宅したのですが、イクスピアリピエールエルメで買ったクリームチーズのマカロン「サティネ」が、ものすごく、おいしかったです。

ふんわりしたクリームチーズ入りクリームの中にパッションフルーツとオレンジのジュレが入ってる。これはほんと絶品でした。せめて週に1つくらいは食べたい。ほかにもサティネシリーズでいろいろ出ているので、期間中に食べ尽くしたい。

[] TGS行ってきた

毎回、下手の横好きのくせになーと思うんですが、今回も行ってきました。今回の目的はPS3Wiiをどこかしらで見ることと(小さかった!)DS用ソフトの物色。

  • PS3効果なのか、会場内がすごく混雑していた。(実際過去最高だったらしいけど今日はそうでもなかったみたい→http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0609/24/news018.html
  • が、PS3関連は去年とそれほど変わらず、触れる場所も少ない。任天堂自体は出展してないので、メインはPS3だろうなーと思ってたんだけど。
  • むしろXbox360が話題作「ブルードラゴン」を中心に目立ってたかな。でもあれAボタンとBボタンの場所が逆なのやりにくいよなーって弟にいったら「サターンもじゃん」といわれた。そうだっけ?
  • 全体的に、いつもより体験版配布なんかが少なかったような気がする。行くのが遅いせいか、ハード過渡期だからか。
  • Wiiコナミの「エレビッツ」のデモプレイを見たけど、やっぱ面白そうだった。ゲーム自体はよくわかんなかったけど(やってみないとなんとも/キャラクターで売れそうではある)プレイ風景はやっぱ楽しそう。ただ、私が好きなタイプのゲームはたぶんPS3を中心に展開されるんじゃないかって気もする。
  • 携帯電話用ゲームがやたら多い。試遊もすいてるからいろいろやってみたけど、ロードに時間かかるし、画面小さいし、自分ではやらないだろうな。でも、これだけあるってことはかなり需要があるんだろう。FF13も携帯連動らしいし。

気になったソフト

地球防衛軍3」
やったーと思ったらXbox360用だった…。ハード持ってない。映像はずいぶんきれいになったなーって印象。仕方ないので帰ってから2をやる。
「ヘブンリーソード」
PS3用アクションアドベンチャー。映像のきれいさと剣の音が印象に残る。
「脳に快感みんなでアハ体験」
茂木健一郎博士監修のPSP用ゲーム。意外な展開にびっくり。この他にも、PSP用「脳ゲーム」系が目に付いた。流行りですね。
「武装神姫」
アクションフィギュア×オンラインサービスってどういうことなのかよくわかんなかったけど(育成系アクションってことなのかな)、キャラクターデザインがかわいい。篠房六郎さんやカサハラテツローさんのデザインもあり。
ジョジョの奇妙な冒険ファントムブラッド
試遊できなかったけど、うん、まあやりたいよね。
「鉄拳2」
沙村広明さんのポスターがバーンとあって、でもあれ「鉄拳2?」と思ったら携帯用だった。

DS用ソフト物色

不思議のダンジョン 風来のシレンDS」
風来のシレンは何度も投げたことがあるくらい苦手です。でも兄弟間では大人気だから誰か買うだろう。
「逆転裁判4」
新主人公をはじめてみた。来年春発売だそうです。たのしみ。
「ルミナスアーク」
DS用のシミュレーションRPG欲しいなーと思ってたとこだったんで、ぐっときた。冬発売らしいし、買うかも。
すばらしきこのせかい
キングダムハーツのスタッフによる新作RPG。よさげ。
ドラゴンクエストモンスターズジョーカー」
これがDSでできるってのがすごいなと思わせる画面。
FF5&6」
アドバンス用ソフトで出るらしい。5と6はFFの中でも一番好きだったので、やりたいな。でもアドバンス版1&2は両方ともクリア間近で放り出してしまったので不安。アドバンス版てなんかやたらレベルがあがり過ぎちゃうのにザコ敵が逃げてくれないのでだんだん面倒になるんだもんな(←やる資格ない発言)。

それにしても

私はなんで毎年TGS行くんだろう。もちろんゲームは好きだし、一緒に行く妹がいるし、帰ってきて弟に話すのも楽しいんだけど、今はそれほどゲームやってるわけでもないし、見てても「やりたい」って思うゲームは確実に少なくなってる。それはたぶん、PS&サターン&64時代までで、ある程度、得意なゲームと苦手なゲームがわかってしまったことによるんだと思う。

とはいえ、好きなシリーズの新作を待ってるだけってのもつまらないので、試遊できる機会に何かあればなと思ってる。例えばアクション苦手なのに「地球防衛軍」にはまったときは楽しかったし。でも、やっぱり「やりこめる」ゲームがやりたいって思うと、得意/好きなジャンルのものばっかり見ちゃうんだよなぁ。

ichinicsichinics 2006/09/26 02:15 verさんはじめまして。
>ちなみに、PS2も海外版では逆位置です。
そうなんですかー! 知らなかったです。びっくりです。ありがとうございます。なんかすごくいいこと聞いた気分です。弟に自慢させてもらいます(笑)

2006-09-24

[] PIANO STARTS HERE/ART TATUM

ピアノ・スターツ・ヒア

ピアノ・スターツ・ヒア

アート・テイタムは私がジャズを聴きはじめたほんとに最初の頃に好きになったピアニスト。

何から手を付けていいかわからなかったとき、とりあえずの目印にしていたのが「ピアノ」と「ジャケット」だった。ピアノは、自分も習っていたことがあるし、音が好きなので聴きやすいと思ったからだ。ジャケットは、なんとなくでしかないけど、ジャズに関しては今でも、ジャケットの雰囲気とアルバムの雰囲気は、かなり近い、と思う。

そんな感じで聴きはじめた手探りの頃、初めてこのアルバムでアート・テイタムを聴いて、鳥肌がたったんだった。

とにかく圧倒的なテクニック。鍵盤の上を縦横無尽に駆け巡る指が目に映るようだ。古いアメリカのカートゥーン映画を思わせる、楽しげで、びっくり箱みたいな演奏。「ユーモレスク」など、私でもよく知っている曲が、見事に解体されて、新しい曲として生まれ変わっている。この(http://www.youtube.com/watch?v=qYcZGPLAnHA)ヴァージョンともまったく違う。しかも、この録音がライブでの演奏だっていうんだから、さらに驚いてしまう。(youtubeに映像があったってのにもびっくりだけど)

ちなみにこのアルバムは「ART TATUM CONCERT」と題されたライブ音源に、テイタムにとって最初のソロ録音である4曲を加えたもの。とはいえ古いものなので、音質はどちらもあまり大差ない(ように感じます)。

これ以降いくつかのアルバムを聴いたけれど、聴くならやっぱりソロがいいです。両手を余すところなくつかいきって、楽器と一体であるような演奏が存分に味わえる。聴きはじめると集中してしまうので、何かしながら聴くのには向かないアルバムでもある。

秋に聞きたい音ってことで書こうかと思ってたはずなんですが、このアルバムは別に秋っぽくない。

[][] 恋におちた悪魔/西島大介

恋におちた悪魔----世界の終わりの魔法使いII (九龍コミックス)

恋におちた悪魔----世界の終わりの魔法使いII (九龍コミックス)

世界の終わりの魔法使い」(id:ichinics:20060709:p2)の続編、というかあれより1000年ほど前のお話。

今回の話は、前作とあわせていろいろわかることもあって、スペースオペラ的な、読みごたえのある話で、面白かった。でもなんか、こういう出会ったら恋に落ちるみたいなラブ・ストーリーを素直な気持ちで読めない自分のことばっかり気になってしまう。ひねくれてんのかなぁ。

天使とか悪魔とか恋って言葉も、いつのまにか苦手になってしまっていたようで、タイトル見て、かなり躊躇ってしまうことにもちょっとへこむ。

ついでに

前回もメモしたので、各話タイトルに使われてるストーンズの曲一覧。自分でサントラ作って読んだりってのもよいと思います。

  • 一人ぼっちの世界/Get off my cloud:「DECEMBER'S CHILDREN」収録
  • 来る日も来る日も/Each And Every Day Of The Year :「Metamorphosis」収録
  • 恋をしようよ(I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU):「The Rolling Stones」収録
  • 愚か者の涙(Fool To Cry):「BLACK AND BLUE」収録
  • むなしき愛(Love In Vain):「Let it Bleed」収録
  • 悪魔を憐れむ歌(ympathy for the Devil ):「Beggars Banquet」収録

[] 船でロシアへ

船着き場にいる。レンガ造りのてこぼこした半円形の広場を囲むように道路があって、その向こうに錆びたゲート、奥に灰色の海が見える。車の往来は少なく、まだ早朝のようだ。

ここはたぶんロシアだ、と思う。携帯電話を出して、電話をする。その相手に、私は会いに来たのだ。電話が繋がって、英語で挨拶をする。「ついたよ」というようなことを英語で言うと、彼女は「英語は得意じゃないので日本語でお願いします」とカタコトの日本語で言う。「迎えにいくから、そこでまってて」と言われ、電話が切れる。

広場を見回す顔の動きにそって、白い息がもれる。私は広場の中央にある花壇に腰掛けて、携帯電話を握りしめる。カタコトの英語同士よりも、片言の日本語の方が、伝わっているか不安になるのは何故なんだろう。

遠くから赤い車がやってくるのが見える。不安なのは、相手の顔を知らないからだ、と思う。

この夢は「犬が星みた」の影響だと思う。なぜ今思い出したのかはわからないけど。

2006-09-23

[][] 八月の路上に捨てる/伊藤たかみ

八月の路上に捨てる

八月の路上に捨てる

いい具合にそれを忘れた頃に読みはじめたのだけど、読みながら、なんだか角田光代さんに似てるなぁなんて思ってて、ああそうかって、思い出してしまった。なんでだろう。空気が似ているんだろうか。どことなく、現実味があるようでないような。

芥川賞受賞作でもある「八月の路上に捨てる」は離婚届を出そうとしている男の一日を描いたもので、仕事仲間との会話から、結婚生活が破たんにいたるまでを振り返るような構成になっている。聞き手は今日退職する女性なのだけど、今ひとつ、どちらの人生にも光があたっていないというか、彼らが本当は何を考えていたのかとか、読めない小説だった。

併せて収録されている「貝からみる風景」も、スーパーの「お客さまの声」コーナーの1つが気になっている、という設定自体は面白いのだけど、いろんな要素がどことなくちぐはぐな印象。ラストでその投書の主について語り合う場面も、もっと具体的に読みたかったし、「妙に現実味があった」ってのがどんな描写なのか、そこを描かないのなら、物語の中心に何があったのか、もやもやしてしまう。

[][] おかえりピアニカ/衿沢世衣子

おかえりピアニカ (Cue comics)

おかえりピアニカ (Cue comics)

面白かったです。「向う町〜」も良かったけど、こっちの短編集のが好みかな。

「鳥瞰少女」はコミックキューのどらえもんひみつ道具特集の時に収録されたもの。衿沢さんのお題はタケコプター魔女の宅急便のラストでジジに話しかけるとこの切なさと似てるんだけど、起こっていることは逆なのが面白い、私も飛びたかった。

「夏坂」の友達同士の間にあるひんやりした距離感を、うめるんじゃなくて距離をあっためるような構成が好きだ。よしもとよしとも原作の「ファミリー・アフェア」もいい。この話を読んで、浅野いにお(特に「日曜、午後、六時半」)のようだと思ったのは、何かざらっとした後味のせいだと思う。衿沢さん自身がお話を書いたとしたら、ラストは少し違ったのではないか。このお話にあるような、円が閉じることへの抵抗めいたものは、衿沢さんのほかの作品では(今のところ)見られない。それでいて、風通しの良い肯定を感じさせるところが、衿沢さんの持ち味なんじゃないかとも思う。

[] 寝付きが悪い

真っ暗な部屋で目を閉じて寝ているのに、眠れなくてじっとしていた。

家の真ん中あたりから湧いてくるような虫の声と、家々の向こうからやってくる車の音が、瞼の裏に広がる墨汁色した水面に光を垂らし、じわじわと広がる波紋が、やがて風景になって、見えていない虫も、車も、夜の道も、全部この部屋の中にあるような気がする。うるさいとは思わないけど、いい加減、眠らないとさ、なんて思いとは裏腹に、私はごそごそと布団の中でDSをつける。ティーンという音をさせて、マリオを走らせて、てれっててれっててってってって死んで、スイッチを切って、暫くするとまた、風の音、車の音、虫の声、もう蝉がないていない。そうかもう秋か、秋の次は冬か、寝返りをうって、ノノ、空白の後にまた戻ってきてしまう。

そんなわけで今日は一日中、眠かった。

2006-09-22

[] 意識と体を補完する目

意志が行動に結びつくのではなく、行動が意味に補完されるのだとしたら、という話の続きをもうちょっと考えてる。

お腹が空いて、ご飯を食べるまでは計算のようなもので、今私はお腹が空いたのでご飯を食べてるんだなぁと確認する作業が意志なのではないかという仮定(妄想でもいいですが)に基づいて考えてみると、目の前に選択肢があっても、それを選ぶまで/選んだあとの確認としての意味付け、は別の次元に分けられるように思うし、言葉がある生活というのは常に意味を補完しながら生きることでもあるような気がする。

ただ、行動のない、実体化してない思考について考えると、世界はちょっとややこしい。そこには意味/言葉だけがある。ように見える。でも「意志する」ということは、本来そこから生まれてくるんじゃないんだっけ?

michiakiさんのところでフチコマが引用されてたので思い出したのがこの話。

「だけど僕も最近は自分の意識と体が一致していない気分になることがあるんだ」

「どういうこと?」

「自分をはるか上空から見下ろしている自分がいるような感覚かな」

「ああそれ僕もある! 僕達の主体って一体一体のボディに宿ってるの? それとも集団としてのタチコマに共有されてるの?」

攻殻機動隊 SAC 2nd GIG/第15話「機械たちの午後PAT.」

この話は好きで何度も見てるんだけど、私がここを聞いて思ったのは、この15話の主題とはちょっとそれて、「意識と体」と、それを客観的に見る「目/認識の仕方」を主体とか個性とかゴーストとかいうのかっていうことだった。

言葉の定義が自分の中でも曖昧なので、うまく言えないんだけど、意味/言葉が「目」に含まれるとすると、意識(情報)の方、は、並列化できる可能性もあるってことなんだろう。メルヘンめいてきましたが、やっぱ、そういうことなんだと思う。コピー&ペーストした文章みたいに、焼き増しされた写真のように、それはあり得る。

で、それが何を意味するのかってのが、よくわかんないのでこの先は保留。とりあえず自由意志からは遠くにきてしまったような気がするけど、目(思考)の唯一性っていうのはまだ信じてたりします。

なんてだらだら書いてたら、michiakiさんの新しいエントリがもうありました。

ではシステム内の記号だけを使ってシステムの外へ出るにはどうすればいい????(いや、もう、それ、やれているはずなんだけど……)

http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20060923#1158940485

んー? それってどういうことなのかがまずわからないー、と思ったので、michiakiさんがひらめくの楽しみにしてます。

2006-09-20

[][] 村上かつら短編集2

村上かつら短編集 2 (ビッグコミックス)

村上かつら短編集 2 (ビッグコミックス)

この本には「いごこちのいい場所」という中編連載作品と、2つの短編が収録されている。

「いごこちのいい場所」はスピリッツに連載されていた当時に読んでいて、おしいれの中から隣の家をのぞく、という情景が印象に残っていたんだけど、今読み終えると、その設定よりも、キャラクター造形の興味深さがこの人の独特なのだなと思う。

キレイなことを鼻にかけてないんじゃなくて、

自分がキレイだってことに気づいてないんだ

いつだってキョトンとした表情(カオ)…

女としてのたくらみのなさ…

それが、

俺みたいなしもじもの者にまで うっかり恋心をいだかせるんだ。

「いごこちのいい場所」第五話

なぜ堀川さんがそうであるかについては、後に解説されることになるんですが、それにしても、この設定は完璧だなと思う。

たくらみはないはずなのに、彼女に恋心を寄せる主人公は「もてあそばれて」いるように見える。相手は自分をデートに誘おうとしていた(そして失敗した)男なのに、「よかったら私とデートしてください」なんつって、トラウマを打ち明け、恋愛の相談をする。これが無自覚(たくらみでない)というところこそが、この話の生々しいところだ。主人公の「自信もってよ」という励ましも、その設定があるからこそ、受け入れられ、結果的に自らの手で失恋することになる。

でも不思議と残酷な話には思えない。それはきっとこれが、彼女が無垢であるという保証に基づいた、理想的な失恋だからなんじゃないかと思ったりした。

[] 意志と言葉

相変わらず自由意志云々の話を考えていて、行動の原因としての「意志」が意志されることを考えると無限に後退していくというのは、ちょっとじっと考えてみればなるほど当たり前なことなのだけど、だとすると、もしかして意志とは、行動を意味付けるものなのだろうかと思った。そうじゃないこともありえた、と思うことも含んで、この生に意味をつける言葉が意志なのだとしたら、言語を持たずに生きるとはどういうことなのだろう。食べたい、とか、あそこまで走る、とか、そういう目的を、言語なしにどうやって「意志」するのか。「おなかすいた」というのを、言葉なしに感じている状態っていうのが、私には想像できない。もし私が言葉を知らなかったら、そこに当てはめる何か記号や色のようなものを、思い浮かべたりするのだろうか。

[][] 九月後半公開の見たい映画

9月後半からまた見たい映画がめじろ押し。

カポーティ」「サムサッカー」「悪魔とダニエルジョンストン」は絶対みたい。「イカとクジラ」はもう予告してるからすぐかと思ったら12月なんだなぁ。

見逃してしまった「キングス&クイーン 」がシネマ・アンジェリカで9/23(土)からやるので、これも見たい。こんどこそ忘れないように!

2006-09-19

[][] プレイヤー・ピアノ/カート・ヴォネガット・ジュニア

ヴォネガット最初の長編小説である『プレイヤー・ピアノ』は、その後に書かれた、私が読んだことのあるいくつかの作品と比べると、とてもシンプルな筋の作品であり、登場人物一人一人がとても印象に残る物語だった。そして、その一人一人の人間くささ、そしてラストに向かうほどに混乱していく所などが、いかにもヴォネガットらしい。

この物語は、いつかの未来を舞台に描かれている。その舞台については、物語の冒頭でこう解説される。

ニューヨーク州イリアム市は、三つの区画に分かれている。

北西部には、管理者と技術者と公務員、それに少数の医師と弁護士が住んでいる。北東部には機械の勢ぞろい。そして、イロコイ川を隔てた南部は、地元の人々からホームステッドと呼ばれている地域で、ここに市民の大半が居住している。p9

なるほど、と思った通りのことが、ここでは問題となる。つまり機械が人間の仕事を、それ以上にうまくやるので、人間は仕事を選ぶことができなくなった。その分便利にもなっているのだが、それは結果的に機械に仕事を「奪われた」人々をうみ、人間の「能力」も機械に管理されているので、そのデータがなによりもものをいう息苦しい世の中になっている。

物語のアクセントになっているのが、ちょうど海外からアメリカを視察にきている国王(シャー)の発する無邪気な言葉たちだ。

「あらかじめ、大衆がどんな本を何冊くらい要求しているかを知っておくのが、文化をこれだけ安くあげる秘訣です。ジャケットの色にいたるまで、これ、とまちがいのないものを選ぶわけです。グーテンベルクがもし生きていたら、きっとびっくり仰天するでしょう」

グーテンベルク?」とハシュドラール。

「そう ―― 活版印刷技術の発明者。はじめて聖書を大量印刷した人物です」

(略)

「シャーは、その人物もまず市場調査をしたのですか、とたずねておられます」p343

こういった言葉は皮肉に感じるけれど、シャーは何も価値判断をしているわけではない。ただ、その言葉に翻弄されるハリヤードのように、そこになんらかの後ろめたさを感じるからこそ、皮肉だと感じるのだろう。

主人公のポール・プロテュース博士はエリート中のエリートであり、将来を約束されている人物だ。しかし、どこか居心地の悪さを感じ、川向こうの人々に認められたいと思うようになる。物語は彼の葛藤を中心にじりじりと進み、やがて、体制側と反体制側の人々の争いに発展していく。

機械を使うのも機械に使われるのも、人間の感じ方でしかない、と割り切るのは簡単だけど、価値転倒が起こる臨界点のようなものはどうしてもあるだろうし、だからこそこの物語にはリアリティがある。機械はただ動き続ける。ただ問題が起こるのは全て、人間が「このままでいられない」という厄介な生き物だからだ、ということに尽きるみたいだ。

そこにあるのは自由意志と呼ばれるものだろうか? しかし主人公の感じていることは、嘘なのか本当なのか、それは彼にも機械にも、わからない。

[] Element of Light /Robyn Hitchcock&The Egyptians

Element of Light

Element of Light

今日の掘り出し物。

Soft Boys解散後のロビン・ヒッチコックが、ソロ活動を経て、85年からスタートしたRobyn Hitchcock & The Egyptians時代のアルバム。85年にはもう一枚アルバムが出ているけど、それはライブ盤なので、86年に出たこのアルバムが、たぶんRobyn Hitchcock & The Egyptians名義のセカンドだ、と思います。ちょっと自信ないけど。

ロビン・ヒッチコックは日本ではそれほど知名度が高くないものの、多くのミュージシャンに愛されるミュージシャンであり、R.E.M.のPeter Buckなどは「Soft Boysに影響を受けた」と発言し、ロビンのツアーに参加したりもしていた。(来月にはマイナス5でロビンと一緒に来日する)。

The Egyptians時代の曲をアルバムで聞くのは初めてなんですが、流れてくる音には、確かに80年代後半のカレッジ・チャートの雰囲気を象徴するような質感があって、うれしくなる。「Leopard」とか、後のストーン・ローゼスにこんな曲あったなって感じで、きっと私が思っている以上に多くのアーティストに影響を与えている人なんだろう。

今のアコースティックな音づくりからすると、若々しくきらきらした音に感じるのだけど、よくシド・バレットを引き合いにだされることで有名なサイケデリックな楽曲も、不思議なバランスで趣味のよいポップスに消化されているところや、味わい深い声には変わらないオリジナリティを感じる。

冒頭の「If You Were a Priest」で見せる疾走感。おとぎ話のような雰囲気の「Winchester」や「Raymond Chandler Evening」。「Airscape」の瑞々しいギターと裏声、音階を下るときの甘酸っぱい感覚など、様々な色合いを見せつつも、ひとつひとつがじわりと印象に残る曲。

また、ロビンはライブが良いことでも有名で、ジョナサン・デミ監督による『ストアフロント・ヒッチコック』というライブドキュメント映画もある。

本物がみたいなー。

[][] げんしけん8巻と絶望先生5集

げんしけん(8) (アフタヌーンKC)

げんしけん(8) (アフタヌーンKC)

8巻はちょうどアフタヌーン読んでなかった時期のものだったので、読みどころ満載だった。(なので雑誌未掲載分が二話がどれだかわかんない…)

8巻は、濃い。思わず三回くらい読み直してしまった。おぎうえさんはすっかりヒロインになったなぁ。なんか読んでて猛烈に照れくさい場面の多い巻ですが、なんかちょっと、んー、いや、正直うらやましいです。48話その後の四コマとか。

さよなら絶望先生(5) (講談社コミックス)

さよなら絶望先生(5) (講談社コミックス)

さいきん「かってに改蔵」を読んでるんですが、絶望先生の良さはやっぱ女の子の多さだよねー、と思う。

毒抜きされたBJ先生と夢オチと予防線の話が面白かったけど何か追いつめられているのですかとも思った。

[] 阿部さん

話題(?)の「結婚できない男」(すごいタイトル)の最終回をみた。一回だけちらっと見たことあったけど、まともに見るのは初めて。

で、この阿部さんのキャラクターはすごくよくできてると思うし、多分違う俳優さんがやったら全然雰囲気違っただろうなと思うんだけど、なんか見覚えあるなーなんだろなーと思って考えてたら自分の父親だった。あんなにかわいくはないけども、そういうころも、あったんだと思います。

2006-09-18

[] 自由意志はなくても意志を計ることは(今のところ)できない

自由意志はあるのか? という話。前に「腕をあげる/あげない」について考えた時(id:ichinics:20060129:p2)には、自由意志はある、とだけぼんやり思ってたんだけど、今考えてみると「自由意志はない、けれど、意志を前もって知る(計算する)ことはできない」という方が自分の感覚に近いように思う。あくまでも「感覚」ですが。

何度やりなおしても同じ結果になるなら、「人間には自由意志なんてない」ということになります。かといって、違う結果も選べるはずだ、ということにしたいのであれば、「原因が結果に結びつかないような回路」が脳内に存在することを想定しなくてはいけなくなります(まぁ、量子力学的ななにか、ですか?)。そして、たとえそんなものがあるとしたところで、その動きは「サイコロを振っているようなもの」です。すると「自由意志の正体は純粋乱数に過ぎない」ということなのでしょうか?

「で、みちアキはどうするの?」− あなたが“自由意志”と呼んでいるソレの正体はなにか?

例えばaとbが同時に起こると●という反応を起こすということが分かれば、さかのぼって計算(証明)することは出来るけれども、それが同時に起こってみるまでは●が起こることはわからないというか。おまけに、aもbも一度しかない(とりあえず時間が一定方向に流れている限りは)ので、何がでるかは推測しかできない。これは未来が無限だということではなく、例えば「腕をあげる/あげない」のように結果の方が少なくて、要素の方は無限であるということなんじゃないかと思う。

タイムマシンで戻ったら同じ結果がでるか、という疑問については「全く同じ」なら「同じ結果が出る」と答えることが出来るけれど、実は「全く同じ」であることが不可能なんじゃないか。なぜかと言うと、タイムマシンを使った、という要素が加わってしまっているからだ(って、これじゃあ前と同じ結論だ)。

なんだか屁理屈になってしまったけど、ともかくタイムマシンについては使ったことがないからわからない。ただ、このわからない、とか、使ってみて覚えた、とかそういう要素が絡み合う場所で自由意志っぽいものが生まれ、反応があるんだとすると、aとbがあったときに●がでたってことは、●を出すためにaとbに似たものを用意する、というようなことは出来るだろう。そして、それが「自由意志」と呼ばれているもの(のひとつ)なんじゃないかと思う。

しかし「自由意志はない」というのはどういうことなんだろう。それが「全ては決定されている」を意味するのだとしたら、その間を繋ぐものがわからない。自分がいるところより先に立てば「決定されている」なのだけど、ここから見ると「未定である」に見えるし、先に立つことができない限りは未定だとも思う。

しかしそれが「確率的」かといえば、そうじゃないような気もする。上に挙げたような「腕をあげる/あげない」だけが刻まれたようなサイコロはないと思うし(腕以外のことに意識が奪われるなど)、要素が無限だといっても、その時点で時が静止すれば(観測されれば)要素は数えることができるだろう。

過去から学ぶことはできるけど未来から学ぶことはできないってことか、とも思ったけど、それも何かちょっと違う。未来から学ぶ方法が今のところない、っていうことでもあるし、未来を知っていてもそれを生かすことが難しい(過去を知っている今も同様であるように)ような気がする。

つまり、起こる現象だけでなく、その時の意識まで「知って」いたとしても、今の意識が唯一のものであることからは逃れられないような気がする。気がするばっかだけど、その辺にも純粋に自由ではないけど自由意志っぽいものがあるように思う。

[][] X-MEN ファイナル・ディシジョン

監督:ブレット・ラトナー

そういえば飛行機の中でみたんでした。とりあえず、1と2見てからにすればよかった。メインキャラの能力についてかろうじて、うっすら知ってたからいいものの、じゃなかったら戸惑う部分も多いんじゃないかな。たぶん。特にウルヴァリンは爪にばっかり目がいって、治癒能力の方がわかりづらかったような気がする。あれなー、なんか爪と治癒能力関係ないじゃんって思っちゃうんだけど、原作とか1、2見たら納得できるのかしら…。

あとマグニートーさんのヘルメットが、能力の凄まじさと相まってファニーな感じになっている。イアン・マッケランはどうしても良い人顔に見えちゃうってのもあると思うけど。

良かった場面は、壁をすり抜ける少女キティと破壊力のある敵(名前忘れた)との追いかけっこです。

見終わってから、どの能力が欲しいかいろいろ話してたんだけど、どれも結構困るよねという結論になって、そういうとこが、ミュータントがミュータントであること、という今回の映画のテーマにもつながってたんじゃないかなと思ったりした。

[][] ビッグコミックスピリッツ 2006/42号

ラストニング
おおきく振りかぶって」もだけど、投手と捕手の話っておもしろいなー。
闇金ウシジマくん
いろんな人の思惑が絡み合ってまずは芳則がたいへんなことに。今日のニュースでもにたような話やってたけど、ウシジマはどんくらい黒なんだろうか。
バンビ〜ノ!
意外にも狡猾な伴の巻。新メニュー成功させて憧れの厨房行きか?
ハクバノ王子サマ
ほぼ台詞がない。
中退アフロ田中
えっ大沢っておおさわみきおって名前だったのか! おしあわせに!
ボーイズ・オン・ザ・ラン
ちはるともなー決着つけないのかな。

2006-09-17

[][] グエムル 漢江(ハンガン)の怪物

ichinics2006-09-17

監督:ポン・ジュノ

面白かったー!

ゴジラシリーズをはじめとして、怪獣映画はわりと見てきたつもりの私も、グエムルにはすっかり圧倒されてしまった。なんといっても、出し惜しみせずに物語のはじめから怪獣がバーンと登場して、暴れまくるとこがいいです。これはどういう意味だとか考えずに、すごい、なんだこれ、うわー! って興奮しながら鑑賞するのが良いと思う。

物語は、ソウル市内に流れるハンガンという大きな川に突如怪物が現れることではじまる。愛娘を怪物にさらわれた父親と、祖父、叔父、伯母は悲嘆にくれているのだけれど、死んだと思った娘から電話がかかってくることで彼女の生存を知り、救出の為に家族が戦うというのが大筋のストーリー。

まず、怪物と戦うのがヒーローではなく、ごく普通の人間っていうのがいい。普通だからこそ、戦いにおいてとことん手際が悪いんだけど、それが映画に笑いと緊迫感を与える効果として生かされてもいる。娘を溺愛するソン・ガンホや、その妹ペ・ドゥナのぼんやり加減、弟パク・ヘイルの元活動家ネタ(やたらと手際よく火炎瓶作ったり)とか、かれらの父親であるピョン・ヒボンの父親っぷりとか、一人一人に独特の魅力があり、そこで交わされるやりとりはどんなにシリアスな場面でも、すこし可笑しくて、楽しい。彼らはかなり貧しい家族であることが伺えるが、全員がいろいろ失うことに頓着せず愛しい娘を救うことで迷いなく一致団結する様はすがすがしく、娘役を演じたコ・アソンの天真爛漫さがその愛され具合を裏付ける。それがうまく描かれていたのが、一家でカップラーメン食べる場面なんだけど、あの台詞のないワンカットワンシーンにはぐっときてしまった。

で、怪物。怪物もすごい。重力感と速さと強さがあり、アップでも引きでも部分でもいける。おぞましさとちょっとした愛嬌が同居する造形と動きは、はじめてエヴァを見た時の感激に近い。いやほんと。そのビジュアルデザインについてはいろいろと物議をかもしているみたいなんですが、私は伊藤潤二さんの「ギョ」に代表されるような歩行魚を思い浮かべました。冒頭に環境汚染で生まれた、という前フリがあるので、「ゴジラヘドラ」みたいな話になるのかと一瞬思ったのだけど全然方向が違った。

終盤数十分では家族が別々の場所にいるにも関わらず、物語はその求心力を緩めることなく走り続ける。そしてラストバトルではそれぞれの必殺技。思わずガッツポーズしたくなるような爽快感…というわけにはいかないんですが、とにかく決めるとこは決める。

たぶんこの映画は「怪獣映画」のお決まり/セオリーから脱するというとこがデーマのひとつになってるんだと思うんだけど(そういう意味では「LOFT」と同じ構図なのかもしれない)、それが上手く怪獣映画のエンタテインメント性を際立たせることになってたと思う。ただ、怪物のバックグラウンドや細菌関連の話などはあくまでも装置としてあるので、その辺のディテールを気にしはじめるときりがないかもしれない。

殺人の追憶』の監督が怪物映画を作ったときいたときは驚いたけど、監督ならではの社会的なテーマ、映画としての試みもあちこちに鏤めつつ、最終的にはエンタテインメントでまとめているところに趣味の良さを感じる。笑えて、恐くて、びっくりして、じーんとする場面もありつつ、ジェットコースターに乗ってるような疾走感も味わわせてくれる。無駄のないテンポの良さ、視覚的な駆け引きの上手さ。ほんと楽しかった。もう一回映画館で見たい。

関連

殺人の追憶』の感想→ id:ichinics:20051211:p1

[] 酒と会話

久々に友達がやってる飲み屋に行って飲む。その店でしか会わない、電話番号も知らない、でも飲んでる間は笑いが絶えない、みたいな間柄の人と久々に会って思ったのは、飲みの席での世間話というのは、とにかく混沌としていて、一つの話題を掘り下げるんじゃなくていろんな話の間を縫って滑っていって何も見えないみたいな雰囲気というか、聞こえてないくせに相づちをうってしまっても別に困らないようなところがあって、それはそれでいいのかもしれないんだけど、いざ話を掘り下げようとするとそれが実は難しい、ってことだった。潜っても届かないプールの底のように遠く、目を凝らしても針に入らず、糸口も見失ってうやむや、で、まあいいかって。

雰囲気に乗っかって会話するのも楽しいし、そんな中で「わっ」と思うような言葉に出会うこともあるのだけど、同じ事柄を見ながら、同じ事柄を見てるって感じながら、話をする機会って、実は作ろうと思って作れるものではないのかもなと思う。いや、酒が入ってるからいけないのかもしれないけど、酒が入ってるからこそ話したいことってのも、あるじゃないですか。あるんでしょうか。あるかもしれないじゃないですか。なんてだんだん自信がなくなってきたけど、そんな会話ばかりしてた頃も、あったような気がするんだけどな。

IMAOIMAO 2006/09/18 20:22 僕ももう一回映画館で観たいです^^
それにしても「韓国のスピルバーグ」に恥じない作品でした。

ichinicsichinics 2006/09/20 00:11 「韓国のスプルバーグ」なんて呼ばれてるんですね。ジャンルはけっこう違う気がするんですけど、わかりやすくていいのかな。今村昌平監督と比較されてるのもよく目にしますが、そっちの方がおおーと思いました。ともかく面白い映画を撮る監督ですよね。これからも楽しみです。

2006-09-16

[] Wii発売やら

任天堂は9月14日、関係者向けの発表会「Wii Preview」を開催し、新世代機「Wii」の価格と発売日を発表した。

Wiiの発売日は12月2日。価格は2万5000円。タイトルは、任天堂の「Wii Sports」、「はじめてのWii」、「おどるメイドインワリオ」、「ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス」など、10社16タイトルが同時発売。年内は14社27タイトルが登場。

http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0609/14/news050.html

詳細発表については公式(http://www.nintendo.co.jp/wii/index.html)でもいろいろ見れる。プレイ風景を見ると、あれをやるのはちょっと恥ずかしい気もするけど、やっぱ触ってみたくなるし、そんなのすぐなれるだろう。最初はPS3かWiiかどっちかしかかえないだろうから悩んでたけど、PS3はどうしてもやりたいソフトが出てからかなぁ。

ソフトはコナミElebitshttp://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0606/21/news008.html)がちょっと気になってます。あとリモコンを楽しむための何かが欲しい。

ソフトは来週末のゲームショーでも見れるのあるのかなぁ。

ちなみに今はニュースーパーマリオやってます。大好きなマリオ3に似てて、楽しい。でも弟が一日で全面クリアしてしまったことには憤慨した。私なんてまだ6面なのに!

[][] 篠房六郎短編集−こども生物兵器−

篠房六郎短編集~こども生物兵器~ (アフタヌーンKC)

篠房六郎短編集~こども生物兵器~ (アフタヌーンKC)

自選ナツ100に入れてたくせに持ってなかったので購入。

四季賞受賞作の「やさしいこどものつくりかた」と初出不明の「生物兵器鈴木さん」それからなんと大学の卒業制作として書かれた「空談師」。受賞作以外は本誌掲載もされた作品で、「空談師」は後のアフタヌーン連載の原型になったものだそうです。

まあとにかく絵がうまい。収録作の中で最も古い「生物兵器鈴木さん」についてはあとがきで「絵が下手ですね」なんて書いてますけど、上手いです。犬猿の仲である男の子と女の子の喧嘩をかいた話なんだけど、テンポもいいし、小学生ならではの恐れを知らない感じとか、読んでて楽しい。グロいとこもありますが。

「空談師」も、うん、なんかよくわかんないけど面白い。細部について理解できなくても展開を読ませるのがうまいなぁと思いました。それは今の「ナツノクモ」にもいえることのような気がする。

[][] ビッグコミックスピリッツ 2006/41号

中退アフロ田中
さとーさん…。
ボーイズ・オン・ザ・ラン
カポエラかー。カポエラいいなぁ。カポエラ…。かっこいいなぁ。運動に自信あったらこの憧れで習いにいくね。
ハクバノ王子サマ
ここまで来るのにどんだけかかったのか。そして、この漫画はどこへ行くんだろ。
竹光侍
毎週この漫画が読める贅沢さったらない。

[] 冷め切りました/むなしさを感じる

松本被告死刑確定のニュースを受けて、いろいろな報道がされています。

このタイミングで死刑が執行されることの是非はさておき、オウム関連の報道を見ていると、そこに何らかの意志があるんだろうなということをよく思う。

ネットで見れる今日のニュースをざっと見ただけでも、各社かなり印象が違う。特に顕著なのがこれ。

坂本堤弁護士一家殺人事件で娘の都子(さとこ)さん夫婦と孫の龍彦ちゃんを亡くした大山友之さん(75)は、茨城県ひたちなか市の自宅で「確定まで遅かった。これ以上続けても麻原が本当のことをしゃべるわけはない。裁判への思いは、もう冷め切りました」と話した。

http://www.asahi.com/national/update/0915/TKY200609150397.html

朝日のニュースでみる被害者の発言は、死刑肯定に統一されている気がするけれど、同じ人物のものが読売だど以下の文章になっている。

坂本弁護士の妻都子(さとこ)さん(当時29歳)の実家(茨城県ひたちなか市)では、父親の大山友之さん(75)が「出るべくして出た決定で、当然のこと。ただ、このまま松本被告の口から真実が明らかにならなくなることにむなしさを感じる」と淡々とした口調で話した。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060915it11.htm

印象の問題ではあるけれど、被告本人の口から語られなかったことがあって、それは死刑によって永遠にわからなくなるということだけは確かだ。そしてそれを知りたいと思うことは、死刑に反対することではないし、死刑に反対することも、罪を認めないということではない。もちろん、そこには様々な現実的問題や、尊重すべき被害者の感情がある。しかし、被害者の思いもまた様々なのだと思う。

理解できないとしても、その事件がどのような経緯でおこったのか、私は知りたい。こんなにも大きな事件なのにもかかわらず、未だに外堀だけしか見えていないような気がする。それは9.11のテロについても同様に感じるのだけど、決定的な違いは、首謀者が生きていて、捕まっているということだ。

関連

「死刑制度は犯罪抑止力があるかどうかでなくて」

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060602/p2

2006-09-15

[] 味気ない

最近街を歩いていると、アジアからの旅行者が多いなぁってことと、妊婦さんが多いなぁってことをよく思う。もちろん私の行動範囲内でのことだけど、それに気付くってことは多少は変化があるってことなんだろう。

でも、こういう変化を目の前にして、最初に思い付くことの味気なさにがっかり。

やっぱり寒かったので、夜はポトフ。にんじんじゃがいも玉ねぎはくさい豚ヒレ肉と昨日のベーコン。あったまって、おいしい、って思うところが既に冬みたいです。

しかしベーコンすごい。おいしい。やばい。普通のベーコンが味気なくなってしまう。

[] 教育と政治

安倍政権でこうなる [首相主導で「教育再生」]

http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200609/060904b.html

「新政権に何を期待するか?」というシンポジウムでの発言を抜粋した記事。なんどよんでもすごい。

まず、最初の下村議員の意見は大きくわけて三つ。

「高校卒業は3月だが、大学入学は9月にする。半年のブランクのうち三か月間は、介護施設などで奉仕活動をしてもらい、その経験がなければ大学に入学させない。」

「駄目な教師は辞めさせる。一方で、いい先生の待遇をよくするという体系に変える。親が学校に期待しているのは、いい先生だ。」

「ジェンダーフリー教育は即刻やめさせる。自虐史観に基づいた歴史教科書も官邸のチェックで改めさせる。」

一番目はこれ(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060914ia02.htm)にもある。確かに道徳教育は大切なものだと思いますが、奉仕活動を義務化というのは矛盾した話ですし、それを介護など人間相手の仕事で体験させるのはやめた方がいいと思う。そもそも九月入学にしたい理由がいまいちわからない。

それから、二番目の「駄目な教師/いい先生」の評価は誰がするんだろ。親がいい先生を期待してても教育を受けるのは子どもだしなぁ。その次にある「官邸のチェックで改めさせる」というのは、「内閣ができたらすぐに首相主導の「教育改革推進会議」を設置して、来年の3月くらいまでに結論を出す。」というとこを受けてるんだろう。

次の山谷内閣府政務官もこう発言している。

カリキュラムを実態に応じて見直すことができるのは、文科省ではなく官邸にきちんとした集団を作ることによって初めて実現する。

うーん。それはつまり政治的に教育にフィルターをかけたいということなのでしょうか。もしそうなるとしたら、必ず対応する民間組織が必要だと思う。

そもそも、これが全部採用されてまだ教師を必要人数確保できるんだろうか。

で、次の福田議員。

新のエリートの条件は、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて対局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。

これは藤原雅彦という人の「新のエリートが一万人いれば日本は救われる」という言葉を受けてのものらしいのですが、「救われる」かどうかはさておき、確かに、命をささげる覚悟で国の為に行動する人が一万人いたら、何かかわるだろう。しかしそこにぶら下げられる報酬はなんだろう。抽象的な報酬を信じるには、多くを知り過ぎてしまった。だからフィルターをかけようって、そういうことなんだろうか?

教育基本法に愛国心を盛り込むべきだ。愛国心が駄目なら祖国愛と書くべきだと主張したら、衆院法制局が「祖国という言葉は法律になじまない」と言ったが、法律を作るのは官僚ではなく国会議員だ。

愛とは、義務づけられるものではないし、教育されるものであってもならないと思う。

たまたま日本に生まれたけど、今のところは暮らしやすい国だし、文化も気に入っている。っていうだけじゃ、だめなんでしょうか。

でも、なるべく多くの人にとって暮らしやすい国というのが愛される国なんだと思うけど、それって非現実的なのかな。

[] ピラミッド

cdefgさんが日記で答えていた質問。面白そうだったのでやってみました。

まず適当に「い」で終わる形容詞を8つ書き出します

隣り合う二つの形容詞から連想する言葉を、その下に計7つ書き出します

同様にして次は6つ、その次は5つ…という風にピラミッド式に連想を続けます

最後に連想した言葉が一つになったら完成

この逆ピラミッドは下にある言葉ほどあなたにとって大きなテーマだと考えられます

http://d.hatena.ne.jp/./cdefg/20060911#p3

美しい、楽しい、暑い、痛い、恐い、清々しい、面白い、儚い

パレード、南国、傷口、暴力、おばけ、キャンプ場、お祭り

リオ、破傷風、喧嘩、復習、肝試し、たき火

スラム、血、フリージア、怪談、夏

ジャズ、病院、小学生、定番

夢半ばにして、千羽鶴、給食

死す、欠席

机と椅子

今まさに机に向かって椅子に座っていますが、その前が不穏すぎる。

2006-09-14

[][] LOFT

監督:黒沢清

恐がりなので、いつもなら「恐い」映画を映画館で見るなんてことはしない、というのもあって、黒沢清監督の映画を劇場で見たことはなかったのだけど、今回はアンテナに登録させていただいてる方が一斉に「LOFT」の感想を書かれていたのに後押しされて見にいった。

「恐い」映画が苦手なのは、静かな場面が続くと、その後に「驚く」場面がくる、と身構えることに疲れるからだと思う。「LOFT」はまさに、そのような息の詰まる場面の連続だったし、正直びびりっぱなしだったのだけど(耳塞いでたシーンもある/隣の人も塞いでた)、その構成はむしろあまりにも「定型」に思えて、だからこそこれは「ホラー映画」ではないと思ってしまった。

ここで「定型」と書いたのは、それが安易だとか面白みに欠けるとかいう意味合いではない。むしろ、この映画はとても丁寧に演出されているし、画面におさまる全てに神経がゆきとどいていることで、カメラの視線に物語の登場人物としての「意志」を感じる。

そのフレームには、常に何か障害物が移り込んでいる。そのことによって、登場人物と、カメラ(視線)の間に、空間があることが強調される。室内の場面では手前の部屋の中から廊下に立つ人物を写し、その背後にも暗い部屋が移り込んでいるという構図が多く、しかもいたるところに鏡やガラスがあることによって、常に何かの気配を残す。視線というものは、何もないところを写したりはしないはずだ。そこが写されているからには、そこに何かがいるのだ。だからこそ、つい登場人物の背後に広がる空間に目を奪われてしまう。似た効果として、一人きりでいる登場人物を真後ろから映す場面も強烈な印象を残した。三人称で描かれる物語に、そのような視点はありえないし(その場合、顔や動作の見える位置に立つはずだ)、ということは、その視点に立つ登場人物が「いる」ということを意味する。

逆に、ある場面では、見えるはずのものが見えない。不自然にフレームアウトしていることで、心地悪さを感じる。見えないところで、それが動いているんじゃないかと疑心暗鬼になる。

そういった効果の全てが、計算され尽くした、「ホラー映画」の定型に感じられ、しかしその演出の方向性が、どうもホラー映画のそれではない。といっても、ほとんどホラー映画を見たことがないので、比較できないのだけど、つまり怖がらせようとしていないように感じるのだ。「くる!」という恐怖の高まりは、時に肩すかしを食らうし、恐怖を裏付ける「物語」の存在も宙に浮いたもののように感じられる。それは、もしかすると、この映画が観客の「こうくるはずだ」という身構えを見返しているからなのかもしれない。

しかし、そのような客観性よりも、その「視線」の濃厚な存在感のほうがずっと印象に残る。それは画面に映ったアレでもソレでもない。もしかしてずーっといたコレなのか、という解釈もできるだろうけど、全ては闇の中火の中沼の中だ。

[] 物産展はしご

新宿小田急でやっていた北海道物産展へ行く。あーもう! ってくらいおいしそうなものがいっぱいでにやにやぐるぐるする。エレベーター降りてすぐのとこでいい匂いをさせてたのでイカ! と思ったんだけど、結局イカは買わずに、夕食用に「さんまんま」という釧路名物を購入。(コチラ→http://hokkaido-blog.com/archives/2006/04/post_347.htmlで紹介されてるのと同じものだと思うけど、値段とパッケージが違う)

「さんまんま」は、タレに漬け込んだサンマをもち米に乗せて焼いたたもの。サンマの香ばしさと、もち米との間にはさまれたシソのさわやかさが絶妙。もち米の中に、なんだろ、ゴマかな? 何か食感のアクセントになるものが入ってて、それもおいしかった。

サン・ドミニクのロールケーキにも惹かれたけど、行列ができてたのであきらめて、そのそばにあったカールレイモンへ。「このベーコン俺が作ったの!』といういい感じのおじちゃんの解説に惹かれてベーコンも購入。明日も寒かったらこれでポトフを作ろうと思う。

それから敬老の日の差し入れに、六花亭のバターサンドとジョリクレール(だったかな?)のスフレチーズケーキを買う。

あと、酒飲まないくせに(私は飲むけど)ツマミ的な食べ物が大好きな家族用お土産を物色。鮭とばも食べたいし塩辛もたべたい…と試食しまくったのだけど、結局ウニ塩からにしました。イートインであきらめたけど、豚丼もおいしそうだったなぁ。

また近いうちにこよう、と思ってデパートを出た後、そういや渋谷では九州物産展だ、と思ってはしご。mikkさんのところ(http://d.hatena.ne.jp/./mikk/20060912/p1)を読んで「たべたい!」と思ったマロンパイを買いにです。

帰宅して早速いただいたのですが、もう、おいしかった! さくさくで香ばしいパイ生地の中の大きな栗はほろほろとして、濃厚で、とても贅沢なお菓子。入れてもらったお菓子の紹介文によると季節ごとのパイラインナップにはアップルパイもある。アップルパイには目がないのでいつか食べてみたいです。とにかくこのパイ生地が絶品。ごちそうさまでした。

[][] アフタヌーン10月号

おおきく振りかぶって
二回分くらいの分量。7巻が遅れてるのは何か企画してんのかなぁ。
パノラマデリュージョン
小原愼司さん新連載。警視庁心霊犯罪捜査官による心霊犯罪者捕物帳。
あたらしい朝
第2話!枠外で黒田さんがブログをやっているということを今さらしる。→ http://kurodaiou.blog57.fc2.com/ 仕事情報とか把握しやすくなってうれしい。
無限の住人
ついに最終章スタート。瞳阿かわいい。
蟲師
とうとう実写の情報が。大友克洋監督、出演:オダギリジョー江角マキコ大森南朋蒼井優…ってすごいすてきキャストだなぁ。2007年春公開。
臨死!!江古田ちゃん
江古田ちゃんて、すごいたくさんの人が同じレイヤにいて破たんしてない状況みたいな気がする。

夏の四季賞ポータブル(別冊)

「虫と歌」/市川春子
高野文子さんを彷佛とさせる美しくて細い線、トーンの使い方。独創的な物語と、キャラクターのしっとりした感じ、全体的にすごく好みです。ラスト2ページが少し唐突な気もしたけど、それにしても単行本出たら絶対買うだろな。
「My name is…」/芝孝次
大庭堅哉さんの感じににてるかな。クライマックスの展開が良かった。
「鵬の眠る城」/金田沙織
九龍城とか好きなんだろうなーって思う。こういうのにとことん弱いです。舞台設定だけじゃなくて、脚本がきちんとしてるから面白いんだと思う。
「呪縛」/植木勝満
兄の敵の娘と恋仲になる男の話。物語の筋は重いけれど、テンポが良くて楽しめる。幸村誠さんの絵にちょっとにてるかな。

mikkmikk 2006/09/14 09:14 わーマロンパイ食べたのですね!書いてヨカッタなあ。あの美味しさはもう、ホント贅沢ですよね。アップルパイは食べたことないのですがブルーベリーパイ美味しかったですよ。「北海道物産展」も気になります!(昨日私もLOFT行くつもりが断念したんですよ)、、、秋ですなあ。

ichinicsichinics 2006/09/15 02:09 書いて下さってよかったです! ほんとにおいしかったー。イカじゃなくてさんまを選んだのもmikkさんの日記の影響です。秋ですねぇ。

ichinicsichinics 2006/09/20 02:12 はしさんはじめまして。私が食べたのは「ジョリクレチーズ」というものだったみたいです。おいしかったです。Hpでお買い物もできるんですね。情報ありがとうございます。

2006-09-13

[] 「なぜ私は殺さないのか」

藤原新也さんの『映し世のうしろ姿』を読みはじめたら、冒頭の「顔がない」というコラムに聞き覚えのある話が出てきた。永井均さんの『これがニーチェだ』でも扱われていた、大江健三郎さんの言葉だ。

NHKの討論番組の中で、ある少年が発した「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いを、後日、大江健三郎さんが朝日新聞に掲載された『誇り、ユーモア、想像力』と題した文で取り上げたという話で、『これがニーチェだ』の中で引用されているのは以下の部分。

「私はむしろ、この質問に問題があると思う 。まともな子供なら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ。なぜなら、性格の良しあしとか、頭の鋭さとかは無関係に、子供は幼いなりに固有の誇りを持っているから」

『これがニーチェだ』p20-21

これに対し、永井均さんは、「これは答えにならない。まさにそういう種類の答えに対する不満こそが、このような問いを立てさせる」と書いている。*1

「まともな子供」とはどのような存在であるのかとか、「固有の誇り」は全て問いを口にすることを恥じることに繋がるのかとか*2、いろいろひっかかるところの多い言葉なのですが、私個人の思いは前にも書いた*3のでここでは略します。もちろん、大江さんの文章についても、全文を読んだことがないのでニュアンスはわからない。いつか国会図書館に行った時にでも探してみようと思う。

さて、一方、藤原新也さんはこう書いている。

大江さんの言うようにその少年の言葉には人間の持つべき最低限のヒューマニズム、つまり、人間の誇りや他者に対する基本的な愛情が欠落していることは否めない。しかしなぜその人間としての基本感情が欠落しているかが問題なのであり、お前には人間の誇りがない、とその少年の前でさとしても少年の問いに対する答えにはなりえない。

『映し世のうしろ姿』p9

私はその番組を見ていないので、それがどのような態度で発せられた質問なのか、わからない。しかし、それが「殺していけない理由がないなら、殺していいんでしょ?」という意味合いでで発せられたのか、それとも「人を殺してはいけないはずなのに、なぜ人は殺されるのか」という疑問から発せられたのかによって、受ける印象は違うはずだし、その質問の立脚点はその問いを抱えている本人以外にとっては推測でしかない。まさか、問いを持っただけで「基本感情が欠落している」とされるとでもいうのだろうか。もちろんそんなことは意図していないと思うし思いたい。

藤原さん自身の「答え」はどんなものなのかというと、以下のような言葉に纏められている。

(略)ひとたびそれぞれ固有の名前や年齢や家族や、そして彼ら固有の人生というものがあるのだという想像力が働いたなら、つまり”顔”が見えたなら、少年はその”顔のある人”を殺そうとする時、その代償として多くの心の痛みを伴うはずだ。それが慈悲というものだろう。

私たち大人はここで、なぜ人を殺してはいけないのかという論を組み立てるその前に「この世にヒトという抽象的なものは存在しないのだよ」ということを少年にまず伝えなければならないわけであり、そのことに少年が理解が行った時、それをもって答えとするということだろう。

『映し世のうしろ姿』p12-13

「この世にヒトという抽象的なものは存在しないのだよ」というのは、良い表現だなと思うし、とても大切なことであると同時に、それが自明のこととしてあるのが理想だと考えている。

しかしそれは「なぜ人を殺してはいけないのか」ではなく、藤原さん自身の「なぜ私は殺さないのか」の答えにしかなりえない。つまり、この問いについては、結局それを答えていくしか、ないのだろうなと思った。

[] 秋

目が覚めたら、秋になっていた。夏の間中、網戸のままだった窓から冷たい空気が流れ込んでいる。起きて一番最初に声をだしたのは「おはよう」ではなく「寒いね」だったし、帰り道は暗いし、たわしが落ちている、と思ってよく見たら栗だった。

雨降りなのに歩くのが楽しいのは、体調が良い証拠で、液体だった体が固形になったみたいだと思う。あったかいコーヒーが美味しい。

ここ数日ひたひたとさみしさに浸っていたはずなのに、薄情なものだ。いまのうちに、冬ごもりの準備をしなきゃ、と思って衣替えをはじめた。

−−−

f:id:ichinics:20060905112354j:image:h150 日記と関係ない

[] 日本語の不思議

日本語で上手な文章を書くには:10のべからず

http://d.hatena.ne.jp/./svnseeds/20060908#p1

はてブで知った記事。面白かったです。6番の「主張は断言せず、曖昧に述べなくてはいけない」というとことか、まさに私にもあてはまるし、そしてこの「べからず」全体に疑問に思うところが多いのは、それが「べからず」と否定/断言されているからなのだとも思います。そうやってまんまとひっかかる。

今、私は「この「べからず全体に疑問に思うところが多いのは」と書きましたが、これを疑問に思うところが多いと感じているのは私だけかもしれません。私は普段、その「私だけかも」という意味も含めて「〜と思う」「〜ではないか」を使っているのですが、この6番の「べからず」はこう続きます。

また、できることなら、自分が主張しているのではなく、誰かがそう言っている、と述べる方がより望ましい。

これはどうでしょうか? 「〜と思う」と書く場合、主語は「私」なのですから、誰かがそう言っている、と述べることとは異なると思います。誰かが、というときは「〜ではないか」を使うという手もありますが、これも「〜(と一般的に言われているように)思う」の変化した形ととれるし、この後に「しかし」とか「そのように」で主張が続くというのが日本的な文章とされているんじゃだろうか(と、私は感じています)?

3番「結論を冒頭に述べてもいけない」などは、日本の、特に文語において主語が省略されがちであること、結論を最後に述べる話法であること、が理由だと思います。そういう研究はどこかでされているのでしょうし私も学生時代に習ったような気がしますが、横着して調べる前に考えてみると、例えば「京都に行った時に食べた鍋料理は美味しかった」という文をyahoo翻訳にかけると「The food served in a pot which I ate when I went to Kyoto was delicious.」になる。でさらに日本語に訳すと「私が京都に行ったとき、私が食べた鍋で出される食物は、おいしかったです」となる。

日本語では、同じ言葉を何度も繰り返すことで文章のリズムが崩れることをよしとしない(場合が多い)ので、訳文を添削するとしたら「私が」のどちらか、もしくは両方が省略されるだろう。英語の方はどうなるか、わからないのが残念だけど、日本語に比べて、強調したい部分によって語順の融通が利く言語なので、例えば「おいしい」を強調したければ「I had a very delicious meal in Kyoto」なんて具合にすることができるだろう。でも日本語の、特に文語では「おいしい」を強調するとしたら「私は京都でとても美味しい料理を食べた」などのように語順以外のことであらわされる。また。「おいしい料理を京都で食べた」と語順をかえることで、強調される点は「京都」になる気がする。とすると、やっぱり日本語では強調したいこと(主張)は最後にくるものなのだろうか?

ともかくリンク先に書かれている「10のべからず」の多くは、つまり、読書感想文に限った話の場合、主義主張よりも「何を感じたか」と感覚的に書くことの方が好まれる、ということに尽きるような気もする。

10番の「どうしても他人の主張を批評する必要がある場合は、主張そのものではなく、その人の生い立ちや人となりについて述べなくてはならない」というのも、例えば「この物語の良くないところは、主人公が死んでしまうところ」と書くのではなく、「主人公が死んでしまって悲しかったけど、あとがきで著者の生い立ちを読み、身近な人の死に触れた悲しみが云々」などと書くと角がたたないですよってことなのかなと思った。

見本(なんだと思う)

感想文:はてなブックマークに寄せられたコメントを読んで

http://d.hatena.ne.jp/./svnseeds/20060912#p1

*1:この部分について以前書いた感想→id:ichinics:20060514:p2

*2:「固有に(同一の)誇りを持っている」わけではないのに、という意味で

*3id:ichinics:20060721:p1

2006-09-12

[][] 日本ふるさと沈没

日本ふるさと沈没―ORIGINAL COMIC ANTHOLOGY (ANIMAGE COMICS SPECIAL)

日本ふるさと沈没―ORIGINAL COMIC ANTHOLOGY (ANIMAGE COMICS SPECIAL)

発売時から気になってたんですが、つい買ってしまった。ほんとは「日本沈没」ちゃんと読んでからにしようって思ってたのに、そんなこと言ってるうちにスピリッツで連載してる漫画の方も佳境になってきたし…と迷っていたんですが、いざ読んでみると、小松左京日本沈没」へのオマージュ/パロディもいくつかあるものの、原作知らなくても楽しめるのが多いです。なんといっても豪華キャストだしね。

遠藤浩輝さんの「Sink←→Float(スレ違い)」は、短編集2に収録されてた「Hang」と同じ世界の話みたいだ。この日本列島が「吊るされてる」ってビジュアル好きだな。

伊藤伸平さんの「所沢沈没」は一番「パロディ」っぽい。所沢はなじみ深い町だけに面白かった。

表紙も描いている鶴田謙二さんの「沈没ラプソディー」も一応パロディではあるけど、さすがに水を得た魚のような描きっぷりだなと思った。

ヒロモト森一さんの熊本は、沈没より熊本について驚いた。カラシれんこんて、れんこんの穴にカラシがつめてあるんだって知ってびっくりした…(常識なのか?)。

[] コーヒー

外出するたびに必ず喫茶店に入る。友達といるときは、なるべくおいしくて、雰囲気の良い店を選んで入ったりするけれど、一人でいるときはたいていチェーン店(ドトール、エクセ、スタバ、セガ、タリーズなど)。

スタバは近所にあるので、豆買ったりお菓子買ったりでよく利用するけど店内で飲んだことない。タリーズは好きなんだけど、きれいな店とそうじゃない店の差が結構あるので絶対に入らないとこがいくつかある。ドトールは急いでるときが多い。たぶん小さな店が多いからだろうな。

一番よく利用するのはエクセルシオール。ポイントカードがあるのはセガとここだけで、面白いくらいよく貯まるので(まあ外出するたびにお茶するわけだし)どっちかがそばにあればほかの店よりここを選ぶ。ただ、セガフレードはエスプレッソの店(たぶん)でとにかく濃いので、エクセがあればエクセに入る。椅子ふかふかだし、メニュー豊富だし。

なんてことを今日セガでぼんやり考えてて、でもエクセよりセガのポイントカードのがよく貯まるのは私の行動範囲にセガのが多いからなんだなと思った。内装とか、あんまり落ち着かないんだけど、と思って別の店へ移動。喫茶店はしごとか日常茶飯事なんだけど、人にいうと驚かれたりする。

[] ときメモGS

ときめきメモリアルGS」が大好きであることはこれまで何回も書いたことがあるようなないような気がしますけど、ときめき、メモリアル、って口に出すのが恥ずかしくもあり、恥ずかしいっていってる時点でもう駄目だと思いますけど、2は発売日に買いました、うん。

一応解説すると、GSはガールズサイドの略で、要は「ときめきメモリアル」の女の子向けバージョンです。二年くらい前、妹が借りてきてくれたGSがあんまりにも楽しかったので、その後いくつか乙女ゲーと言われるものをやってみたんですが(主にコーエーの)、GS以外は特にときめけずに終わってしまった。何がそんなに違うのかはよくわからないんだけど、強いていえば設定が一番普通なのがGSなのかもしれない。

というわけで、2が出てからは、毎晩妹と照れ笑いするお互いをののしりながら合宿プレイに勤しんでいます。弟に見つからないように(弟とはいえ見つかったら恥ずかしい(ような気がする))。

初めてGSをやったときは、OPから爆笑、キャラクターのファッションには苦笑(参考:http://d.hatena.ne.jp/./furamubon/20060702/1151832183)してたのも今は遠い思い出で、違和感のあったキャラクターも速攻でかっこいいと思えるくらいに慣れた。戻れません。1でのお気に入りは氷室先生と守村桜弥。数学の先生と秀才キャラです。妹は最初からメインキャラ。分担して攻略して、結局、友達を含め全員攻略しました。でも、理事長(参考:http://d.hatena.ne.jp/./kowagari/20060702/1151853836)攻略は正直何もときめけない割にスチル(イベント時発生時に見れる映像)発生難易度が高くスチルは集めきれなかった(でももう一度一鶴をやる気になれない)。

ちなみに、もっともときめいた場面は氷室先生の補習授業中の居眠りです。

GS2は1とほとんどシステムは同じながら、集めたスチルのページで攻略後にコメントが聞けるという充実っぷりです。

最初に攻略したのは氷室先生と似てる氷上生徒会長。案の定、親戚設定があったんだけど、氷室先生とはやっぱ別人。ときめけなかった。だって、ヘルメットかぶって自転車乗ってるスチルとか、笑わせたいとしか思えない。デートに誘う言葉が「城へ行って城主の気分を味わいたい!」って。でもクリア後のフリートークが面白かったので好印象。あ、あとぜひ一緒に海にいくといいと思います。

次が若王子先生。ときめいた。実は天才化学者とか猫が好きとか恋愛って脳内物質の云々とか、影がある設定とか、基本敬語とか、ど真ん中です。1、2通して一番好きなキャラクター。

妹はもちろんメインキャラから攻略。お互いさっさと本命に出会ってしまったので、後は分担クリア。

後輩の天地君は、猫かぶりから本性発覚後への豹変ぶりが楽しいです。会話のバリエーション(普通、友好、好き、と三段階で態度がかわる)も一番豊富で楽しい。

2は全体的にパラメーターが重視されてないようで、クリアしやすいです。

でも、こういうゲームやるときの、こんな学園生活ありえないよなぁってことを痛感してしまう時の落ち込み度合いは「耳をすませば」の比じゃないと思う。で、そんなダークな気分を払拭すべく妹と各キャラクターの声真似をして笑い転げるってのも、正直むなしい。

2006-09-11

[] あれから五年

あの時、私はレコード屋で働いていた。店を閉めて帰宅して、母に呼ばれて居間に入り、立ったままあの映像を見たんだった。母と弟と妹の背中越しのテレビに映る青い空が、なんだかひどく遠くに思えたのを覚えている。本気で世界が終わるような気がして、朝までずうっとテレビを見ていた。仕事先の店長がちょうどハワイへ新婚旅行へ行っていて、翌日連絡がきてほっとした。出張のついでに数年ぶりに再会の約束をしていた友達とは、出張がとりやめになったことであえなくなり、その後音信不通になった。

こんなふうに、あれから五年、といわれてすぐに思い浮かぶ光景が私にもあるように、「あの時自分が何をしてたか、をこんなにも多くの人が記憶しているような出来事っていうのは今までなかった」とテレビで筑紫さんが言っていて、ああそうかもなぁと思った。

世界が終わるような気がする、というのは不思議な感覚で、自分自身のことというわけでもなく、映画で見るような世界の終わりでもなく、ただ、もう臨界点はきているんだと、そんなふうに思ったんだった。今日までそのことを考えたことはなかったけれど、もしかしたらあの時に、私の中で何かの感じ方がかわったのかもしれない。

そして、もしかしたら私が感じたそれと同じようなことを、あの映像を見て感じた人がいるのかもしれないなと思う。

それと同時に、「9.11」という言葉が耳になじみ過ぎて、それが毎年やってくる9月11日であることを忘れそうにもなっていて、こわいなと思う。

2006-09-10

[][] 説得ゲーム/戸田誠二

説得ゲーム (Next comics)

説得ゲーム (Next comics)

この方の漫画は単行本出る前からサイトで見てて、読む旅に好きだなぁって思う。…のわりに新刊を買うのがずいぶん遅くなってしまったんだけど、ともかくやっと買いました。未読の方はぜひサイト(http://www2.odn.ne.jp/~cbh42840/)に掲載されてるものを読んでみてほしいです。

扱われているテーマも興味深いのだけど、全ての作品で簡単に結論を出すことをしないで、なんというか余韻を残している感じが好きだ。表題作「説得ゲーム」も、予想した話とは全く違っていたし、読みはじめた時に期待する部分に回答はないのだけど、それが作者の誠実さでもあるような気がする。

書き下ろしの「クバード・シンドローム」は、男性が妊娠できる時代のお話。体の弱い妻にかわって妊娠する決意をする主人公の心理が興味深い。「ほんとうに子供が欲しいんだろうか、かわいいと思えるんだろうか」と逡巡する様子は、今の時代ではまだあり得ないことなのに、とてもリアルに感じられた。

[] 宇宙と自分

歴史的な宇宙の像の変化はどれもかなり劇的な変化だと思うが、なかでも天動説地動説へと、自分のいる場所を世界の中心ではなくて球形をしていて太陽の周りを回っていると推論した変化は、科学の本質的な発想を示していて、地動説には「自分」とか「自分のいる場所」をあたかも第三者として見るような相対化の作用がある。p91

「<私>という演算」を読んでて考えてたことの続き。上の引用文にででてくる「あたかも第三者として見るような」というのは、それが明確な視覚イメージとして与えられる前の、推論の段階でのことを言っていて、ここでは小説を描くことと重ねられてもいる。

私はここを読みながら、地動説についてあらためて想像してみると、それが「事実」なのだということに改めて驚いてしまった。これは言葉を正しいこととして与えられること(p172)の快楽とは別の話なのだと思う。だって実際に地球の外に衛星が浮かんでいて、私もまたそれを利用して生活しているはずなのだ。それを確認したことはないけれど、それが事実だということは教えられてきたし、幼い頃の自分は星大好きっ子だった。でもその頃には、それが私がここにいるということとつながっている気がしていなかったような気がする。それはつまり、自分の存在を外界と区別していなかった頃のことで、それは同一に見ていたということとは違うのだけど、うまく説明できない。

ただ、自分は自分からしかものを見ることができないと気付くことは、同時に外側から「あたかも第三者として」見ることを知るときの感覚に近いのではないかと思う。

そしてあまりにも広く、漠とした宇宙というものを思う時に感じるのは、そのわからなさに対する曖昧な心強さのようなものであり、自分という存在が極めて小さいことを思うと、なんとなくおおらかな気分になってしまうのだった。

[][] ビッグコミックスピリッツ 2006/40号

グラビアの子、右からと左からで全然違う人みたいにみえるなー。

魔がさす
西森博之さん読み切り。この人「今日から俺は!」の人か。いとこが好きだったなぁ。
バンビ〜ノ!
野上さんがバンビに入れこむ理由はまだよくわかんないけど、とりあえずバンビの成長は説得力あるし面白い。次号から新展開になるのかな?
ハクバノ王子サマ
1話分、まるごと手を繋ぐどきどき感について。いやー小津先生どうするんでしょうか。
竹光侍
面白い。きれいな漫画だし、キャラクターも魅力的。
fine.
ラストあおりの「仕方のないことだけど」というのが何のことかわからない。
ボーイズ・オン・ザ・ラン
青山かっこいいなぁ。嫌なやつになってからのがずっといい。

IMAOIMAO 2006/09/11 22:06 さっそく「説得ゲーム」読んでみました。
子供を産む話は確かにリアルですねー。女の人でもいざ陣痛とか始まったら色々うろたえてしまうんだろなー、って感じがちょっと岳判った様な・・・
それにしても台湾良さそうですね。『藍色夏恋』観て以来行きたくなってます^^

ichinicsichinics 2006/09/12 01:25 IMAOさんこんばんは。すばやいですねー(笑)HPに掲載されてる作品も良いのが多いのでぜひ。
「藍色夏恋」は見たことなかったのですが、台湾が舞台なのですね。台湾舞台の作品が見たいなと思ってたとこだったので、ご紹介うれしいです。

IMAOIMAO 2006/09/12 07:51 う、誤字発見・・
ともあれ、御紹介あったHP見てから買いに行きました。発想の仕方が面白いですよね、この人は。
『藍色夏恋』を観ると初恋だけはもう出来ないんだなー、と当たり前のことを思ってしまいます^^台湾映画では『深海 Blue Cha-Cha』も最近はお気に入りです。
http://d.hatena.ne.jp/IMAO/20060823

ichinicsichinics 2006/09/14 02:06 『藍色夏恋』は初恋のお話なんですね。初恋か…考えてみたら初恋ってどれだっだのかよくわからないです(笑)

2006-09-09

[][] あまなつ/新井英樹

真説WIMとあわせてだったんでしょうか。長らく手に入らないでいた新井英樹さんの「あまなつ」が重版されて店頭に並んでいた。うれしいなぁ。

あまなつ―新井英樹作品集 (ビームコミックス)

あまなつ―新井英樹作品集 (ビームコミックス)

何が収録されているのか、知らなかったんだけど、モーニングに連載されていた中編「ひな」は読んだことあった。これは一人の女性に翻弄される男たちのお話。こういう魔性の女ものって結構読んだことあるような気がするけど、魔性の男性っていうのには出会ったことがないので(まあ女性でもいいわけですが)その気持ちはいまいちわからない。でも、この「ひな」という女性がなぜこういう愛され方をするのかってとこに何かがあるような気がして、そこを描いてないとこが新井英樹作品としては物足りないかな。

「牽牛庵だより」は新井作品としては意外な見開き2pの不条理(なのかな?)ギャグ漫画。主にパーティ増刊に連載されてたものだけど、モーニングっぽいなぁと思う。

「こどもができたよ」は、後の「宮本から君へ」と「愛しのアイリーン」につながるようなお話。全体的に軽いタッチで、ほかの作品に比べると作者のにおいを感じさせないけれど、見開きページやラストでもってく感じが、やっぱりうまい漫画家さんだなぁとしみじみ思います。

[][] わにとかげぎす/古谷実

わにとかげぎす(1) (ヤンマガKCスペシャル)

わにとかげぎす(1) (ヤンマガKCスペシャル)

人生を眠りたおすことで「人生において遭難してしまった」主人公が

だけど今では…孤独は罪だと思ってる…/ましてや困難から逃れるだけのそれは……(略)友達をください…

と願うところからお話がはじまる。でも案外簡単に友達(のようなもの)はできるし、古谷作品につきものの主人公には美人の彼女という構図もちゃんとあって、読んでいる間の重圧感は今のところあんまりない。「ヒミズ」で潜ったところから「シガテラ」、そしてこの「わにとかげぎす」で少しづつトーンが明るくなってきたようなイメージ。でもこの先どうなるかわかりません。

ところでこのタイトル、ずっと「わにとかげきす」だと思ってて、たぶん「スキトキメトキス」みたいなもんかと思ってたんだけど、ギスなんだな。どういう意味なんでしょうか。

[] 亡きミュージシャンの記念館

ハワイに、尾崎*の母親と妻が経営している記念館を兼ねたホテルがあり、そこへ取材に行く。夢の中では、尾崎*となっているけれど、私は彼についてほとんど何も知らないので、詳細はめちゃくちゃだ。

そのホテルは品の良い白壁の一軒家で、応接間に大きなスクリーンがあり、来訪者はまずそこで故人の映像を見せられる。彼の母親が解説をする。彼の妻である二頭身の(ドラえもんのような)アンドロイドが客にお茶を配ってくれる。コテージのようになった客室では、彼の映像(3D映像が空中に投射されるやつ、なんていうんだっけ?)がプライベートライブをふるまってくれるというのがこの施設の目玉だ。

私はその応接間にいる人々の中で唯一彼のファンではなく、だからこそ居心地の悪さを感じながら、もしも私の好きなミュージシャンの、例えばトム・ヨークにまつわるこのような施設があったとして、私は行きたいだろうか、と考える。行きたくない、と思う。そして「亡き夫人のヌード写真を客に見せることと同じくらい悪趣味だ」と私はメモ帳に記すのだけど、目覚めて思い返すと、その言葉の使い方はおかしい、と思う。

2006-09-08

[][] 「<私>という演算」/保坂和志

この本を手にとった時に抱いたイメージは、たぶん演算というよりは乗算に近く、それは私の中で1+2が1と2の関わりであるというイメージであるのに対し、1×2は1そのものが変化してしまうことを指しているように感じられるからだった。もちろんこの言葉遣いは私の誤解なのだけど、そう思ったのは私が<私>というものは日々掛けられることで変化していってしまうものだと思っていたからで、それは別に足し算でも引き算でも意味合いはかわらない。常に何かが加わり、行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず、というのが私が<私>というものに対して抱いていたイメージであり、この本に書かれていることなのではないかと予想したことだったのだけど、それはもちろん的外れなものでした。

以下長々と感想というか疑問を書くけれど、この本の紹介としてはまったく役にたちません。

<私>という演算 (中公文庫)

<私>という演算 (中公文庫)

冒頭の「写真の中の猫」では「自分が生まれるよりずっと前に生きていた犬や猫がいた」ということと、その言葉の複雑さが複雑さゆえにリアルであるというところから、それが「郷愁」という一言で片付けられない理由を

かつてそこにあった時間、あるいはその時間があったからこそ起こった動きや話し声や笑いというようなさまざまなことが、この世界に残らないで物理的に消えてしまうということは、本当にあたり前すぎるほどあたり前のことだ。p22

という話になっていく。この一言は実際あたり前のことなのだけど、それは私の抱いていた乗算のイメージとは異なるものだった。

次の「そうみえた『秋刀魚の味』」もまたとても面白い文章だった。保坂さんは『秋刀魚の味』という映画がとても好きで、何度も繰り返し見ているのにもかかわらず、ある錯覚をきっかけに以下のように思ったという。

ぼくにとって小津安二郎の映画が、一般には完璧主義と思われているのと反対に、映画というものが本当のところバラバラに撮影したフィルムを意味にそってつないでいくことであたかも統一されているかのように見せているにすぎないのだということを、完全に覆い隠そうとはしていないんじゃないかと思うようになったからだ。p34

これはとても興味深い感覚だと思った。しかしその興味深さは映画の構造の再発見というところにあるのではなく、記憶というものも、実はそのような側面に基づいているのではないかと思ったからなのだけど、話は「無人格の記憶の視線」へと移っていく。ここは「カンバセイション・ピース」で描かれていたことと重なるものだけど、私にはまだ理解できない感覚だ。ただ、もしもそのようなものがあるのだとしたら、それは神のようなものではないのか、と思う。

そして次の「祖母の不信心」では、頑に不信心であった祖母の話が描かれていて、しかし彼女がなぜ不信心であったかは、結局のところわからないのだが「それでもわからないと思うことが、「わかっている」という状態を指すのかもしれない」と続く。

「十四歳…、四十歳…」では「新世紀エヴァンゲリオン」を見て、これが「ぜーんぶ夢でしたッ!」で終わったっていいじゃないかという思いから

「もし、ある朝目が覚めたら十四歳に戻っていて、小説家としてまあ順調にやっていることとかが『ぜーんぶ夢でしたッ!』になったとしたら、おれはそっちの方がいいと思う」p68

という考えを抱いたことが書かれている。そして、その思いは、「今の自分を好きか嫌いかとか、やり直したいかどうかということと」同じではないのだと書かれている。この感覚はどういうことなのだろう、と注意深くなって読み進めていたのだけれど、そこの部分についてはまだ「重さ」としか書かれていない。ただ、次の「あたかも第三者として見るような」で書かれている、自分が生きていることと、この世からいなくなることのつなげ方のわからなさ/つながらなさについてを読んでいると、だんだんと何かに触れているような気分になってくる。チェーホフの小説で繰り返し描かれたモチーフについて

その切実さとは、たとえば、「私の心にあるもの」と「あなたの心にあるもの」が同じであることの証明への切実さなのではなかったのかと思う。p100

と書かれているのだけど、例えばこのわからなさとは私と作者の距離であり、私と十四歳の私の距離でもある。しかし、それを確認する手段としてはやはり第三者の視線が必要になってくるのではないか。

次の「閉じない円環」に出てくる「人間の頭にもう一つ小さい頭が侵入しているイラスト(略)横向きの人間の頭の上のところで、線が内側に曲がっていってもう一つの横向きの頭が入り込んでいる。」というイラストのイメージはもっと近い、例えばここで書かれている「抱いている赤ん坊が笑うと母親の方も嬉しくて笑う」という関わりのことだと思う。

その部分も興味深いのだけど、第三者の視点というのは、そういうことではなくて、次の「二つの命題」で書かれている「自分がこのような時代に生きていることは驚くべきことだ」と「自分のような人間はいつの時代にもいたんだ」という感覚について考えるときに、後者の方を思う視点こそが「今ここ」を否定する方向へ働き、かつ「夢でしたッ!」を肯定するものなのかとも思う。ここは、次の「<私>という演算」で書かれている、

<私>についてこうして書いている<私>という存在は、いつか<私>がいなくなったあとにかつていた<私>を想起する何者かによって<私>の考えをなぞるようにして書かれた産物である、というような言い方でもいい。p156

という箇所のほうが、それまでの疑問の先につなげるにはしっくりくるような気がするけれど、そのまま受け入れるにはどうしてもためらいがある。

最後の「死という無」に、かつて保坂さん自身が「小説は三人称でなければならない(略)作品に『死』を取り込むことができるのは、三人称で書かれた小説だけだ」という言葉と出会ったときに、それを承服しかねることによって感じられた「きしみ」によって、その言葉にはリアリティが伴ったと書かれているのだけど、私の中にある、<私>がいなくなったあとに<私>を想起する何者かもまた<私>でありうるという考えに対するためらいは「きしみ」ではなくて、私の視線の重さを気付かせるものなのだと思うのに対し、「「死」は「生」の終わりとは違う(p175)」という言葉の周辺部分を読んだ時には、明らかなきしみがあって、だからこそリアルに感じられもした。この「死」にまつわる考えこそが、私のためらいの元であり、視線の重さなのだと思う。

「あたかも第三者として見るような」では死について

例えば「生」という状態を四次元の「何か」が三次元の空間に一定期間顔を覗かせている状態と考えることもできなくはない。その「何か」を「人間が死と言う言葉をあてている連続体」といってみてもいい。p96

と書かれていて、この言葉の方が私の感覚にはしっくりくる。しかし「私は日々死んでいる」と言葉にしてみると、それはやはり過去が「物理的に消えている」ことの証明でもあるような気がして、それと「死」はやはり別のものだと思うのだった。そうしてあっさりと「「私の死」だけが「死」である」という言葉に頷いてしまったのだけど、だからといって「生」の終わりとしての「死」を否定する気にはまだなれないのだった。そしてその気持ちは「ぜーんぶ夢でしたッ!」を、いいな、と思えないこととも重なっている。なぜなら、14歳の私と今の私はやはり他人であり、この私が14歳の私の見た夢であったならば、それは私が存在しなかったことになると思うからだ。しかしそのことを私が知らない状態、つまり今の私の死としてそれがあるならば、別にいいか、とも思うのだった。

ここに、私が最初に「<私>という演算」というタイトルを見て思い描いていたことの理由があるように思うのだけど、それは単に私が<私>であるということにこだわり/縛られ過ぎているということなのかもしれない。それがどういうことなのかは、もうちょっと、考える。

上に挙げた、9つの短編がこの本にはおさめられている。ここに書かれた思考の流れは、あちこちに飛んで行くようでありながら、実は次々に現れる疑問に触れるようにして綴られている、ということに読み終えてから気が付き、だからこそ私はこの本を読みながら多くのことを考え、本と会話しているような気持ちになるのだと思う。しかしこれを読みながら私が考えたこと、疑問に思ったことにはまだ答えは見つかっていないし、きっと作者のそれとは重なっていないのだろう。まったく理解できていない可能性もあるけれど、やはり楽しい読書だった。

「真理」というものは、具体性を欠いていて、それゆえに証明不可能で、実感だけがあるものなのかもしれないと思う。そしてそれならば「真理」というものは、それについて考えるプロセスは別として、それを心理と思う人以外には何も価値のないものということなのかもしれないと思う。p139

読み途中の感想(id:ichinics:20060903:p2

2006-09-07

[] 台北日記 最終日

最終日は、故宮博物院へ。工事中だったので、見れる展示品は少なかったけど、親が喜んでいたので良いと思う。故宮博物院の所蔵品で一番有名なのは、たぶん翡翠の白菜だと思うんですが、私は翡翠があんまり好きじゃないし、なぜ白菜…って、どうしても思っちゃったなぁ。焼き物もたくさんあったけど、今ではポピュラーになってしまった絵柄が多いし、どうしても地味に見えてしまう。見たかった掛け軸類は展示されてなかったし、結局ぐるっとまわって、後は妹とぼんやりしていた。

その後、空港へ向かって帰路につく。

雲の上は晴天、月が頭上でははく真横に見えた頃、機長から日本のニュースについてのアナウンスがあって、私はこれを自分の国のニュースとして聞いているのか、ただそこまでの流れを知っているから理解できるのか、どっちなんだろうなぁと思う。パスポートを持ってうろうろするということは、時折そういうことを考えさせるものであるような、気がする。

成田に着いたのが9時くらい。楽しかったけど、なんだかすごく疲れた。

初めて個人旅行した海外が香港だったからか、中国語圏はずっと好きなのだけど、どことなく落ち着かなかったりもする。もっとゆっくり、のんびりしたら、また感想も違うんだろうけど。

ただ、旅行するたびに思うのは、もっと自分にしっくりくる場所がどこかにあるんじゃないかなんてことだったりして、でもだんだんと、それはずっと思い続けることなのかもしれないと感じるようになった。

家に帰ると、旅行に出る直前に書いた手紙の返事が届いていて、それだけで、とりあえず帰ってきてよかったと思う。次は旅先から、葉書でも書こうかな。

それにしても、たった数日ぶりなのに、日記の書き方忘れちゃった感じだ。でも、多分明日くらいから、いつもどおりだと思います。

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2006-09-06

[] 台北日記 3日め

今回一番楽しみにしていたのが 映画「非情城市」の舞台になっていた九扮。階段萌えなので是非行ってみたいと思っていたんだけど、思ったよりも小さな町でした。猫の多さとか、階段の両脇に土産物屋さんが並ぶ感じなんかは、江ノ島みたい。頂上にあるかき氷屋さんに行くと、奥にある展望室にとおしてくれて、そこからの景色は絶景でした。かき氷も、芋で作った白玉みたいなのがおいしかったな。

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その後は市内をうろうろする。茶芸館でいろんなお茶をいただいて(ほんとーにおいしい)、茶葉の値段に驚いて、小龍包で有名な鼎泰豊で夕食。さすがにおいしかった。東京にもあるけど、行ったことはないです。ほんとーにおいしかったので、いつか行ってみたい。

その後は、一番大きな夜市がでているというシリンの町へ。すごい都会で、アメ横と竹下通りが合体したみたいだった。台湾の若い子は、ほんと日本の若い子と服装や髪型では見分けつかない。強いていえば、あんまり携帯をいじってないことくらいかなぁ。そんな中に、いかにもアジアな屋台が立ち並んでいるってのは、なんだか不思議だった。屋台でフルーツを買ったけど(桃とパパイヤとパッションフルーツ)値段はぜんぶで400円くらい。高いんだか安いんだかわからない。屋台も全て定価が表示されてるので、値切ったりできないとこも、やっぱ都会だからなのかな。鼎泰豊で食べ過ぎて、あんまり買い食いできなかったのが残念。あ、ガシャポンの店とかもあって、それは日本と同じ値段だった。ケロロ、プリキュア、ピチピチピッチあたりが人気。あずまんがもあって、ワールドワイドだなーと思った。

f:id:ichinics:20060908051606j:image:h150 果物の屋台

ホテルに戻ってからは、近くのコンビニで、ポテトチップスを買いだめする。セブンイレブン限定らしい厚切りポテトチップス。これがすごくおいしくて、今まで食べたポテトチップスの中でも五本の指に入るくらいだった。日本にうってないのが残念。

2006-09-05

[] 台北日記 2日め

朝の台北を見て、まず驚いたのはスクーターの多さ。そこらじゅうにスクーターがとめてあるし、道路でも一番幅をきかせてるのはスクーター。ベトナムではベスパとカブばっかり見たけど、台北だと今っぽいスクーターが多い。中国語を勉強している母親が現地の人に話しかけて「大陸っぽい話し方で嫌いだ」といわれていた。同じ北京語でも発音が違うらしい。

あと、台湾には信心深い人が多いらしく、朝からお寺にたくさんの人がいる。やけにきらびやかだったけど、その俗っぽさは敬虔さとは相反しないものみたいで、そのへんはちょっと日本と違うような気もする。そもそも、これを俗っぽく感じるのが日本的なのかな。

f:id:ichinics:20060908051745j:image:h100お参りと占いがセットになってるのも面白かった。

朝はホテルでご飯食べて、それから鳥来というとこへ行く。タイヤル族という原住民の住む村へ行って、踊りを見たりするらしいとは聞いてたんだけど、これがなんかすごかった。何がすごいって、とにかく美人ばかりいる。ガイドさんの話では、ほかの民族と結婚しないから美人ばかりが生まれるんだといってたけど、それにしても、今の美人の顔で、スタイルもいいし、なんかすごいやと思う。そして歌と踊りのショーが、これがまたなんかアイドルのショーみたいだった。ただ、鳥来で見られるものは、観光客向けのショーであって、実際のタイヤル族の人たちが住んでいるのはもっと山の奥らしい。

鳥来からかえって、台北市内でご飯を食べる。今日は鍋料理。鍋の中身はほとんど日本の寄せ鍋とかわらないけど、ネギと鷹の爪をきざんだものにしょうゆとお酢をかけたものをたれにして食べるのがおいしかった。鍋→うどん投入→米と芋をいれておかゆに、という流れも、違和感なさすぎる。

その後、衛兵のひとたちを見に中正記念堂へ。とにかく人形のように微動だにしない衛兵のひとが不思議で、なんで動かないってことが大事なのか、謎です。画像はおつきの人に汗を拭かれてる図。

f:id:ichinics:20060904161745j:image:h100

夜はマッサージをしてもらいにいく。気持ち良かったー。そういえば鳥来ってマッサージ屋さんが日本にあるけど、あそこのとほとんど同じコースだったと思う。

夜はSAC2ndGIGを見る。

2006-09-04

[] 台北日記

家族で台北へ。なんで台北になったのかは忘れちゃったけど、いってみたかったので良かった。

出発は昼だったので、京急に乗ってゆっくり行く。のんびりした風景で見ていて楽しい。向かいの中学生が、文庫本で顔隠して*******けど、まあ見なかったことにしようと思った。

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飛行機で、三時間半くらいで台北市に到着。むわっとあつくてびっくりする。沖縄より南にあるんだから、まああついだろうとは思ってたけど、まだ真夏って感じだった。

到着してから、すぐにホテルへ。夜は近くの屋台で魯肉飯と臭豆腐の揚げたのを食べる。魯肉飯は、豚肉の主に脂身の部分を煮たやつをご飯にかけて食べる台湾の名物料理。八角の香りが少しきついのが中華だなーと思う。臭豆腐はその名の通り、臭い豆腐。揚げるとさらに臭い。食感は完全に豆腐で、においはナンプラーっぽいかな。おいしいけど、やっぱだんだんにおいに疲れてくる。でも人気メニューらしく、近所の男の子も夜食にお持ち帰りしてた。あとはマンゴージュースを屋台で買ったけど、これは日本円で150円くらい。魯肉飯も同じくらい。日本からしたら安いけど、フルーツものは、屋台の雰囲気が近いタイやベトナムやインドネシアに比べたら安くはない。帰りにコンビニにも寄ったけど、コンビニの商品も、だいたい日本円の二割引くらいだ。

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夜はホテルのテレビでSAC最終回を見る。外国に来てなぜと思うけども、ちょうど見てた続きだったので、いいかんじ。

2006-09-03

[] 今年も行きます

今日早起きして朝霧チケットとる。とれた。良かったー。ひとあんしんー。というわけで今年も行きます。楽しみ。どうか良い天気でありますように!

チケットとりの後は、下北で友達とお昼ごはん土曜日だけに町が混雑してたので、結局ひたすら喫茶店でしゃべり続けただけだった、ような気がする。

夕方には空一面の鱗雲。明日はまた雨が降るのだろうか。そういえば昨日、天気予報で「明日は秋晴れです」と言っていて、あーもう秋なのかぁ、と思った。ちょっとまって。あと5分…て気分。

夕食は冷麺。まだ夏気分。その後から、ずーっとナツ100のネトラジを聞いてるのだけど、面白いです。すごい記憶力だ。サンジの「クソお世話になりました!」は感動したなぁー。

[][] 「〈私〉という演算」を読みはじめる

毎日眠る部屋や、歩く道は、見知った景色に囲まれているので、特に意識もせずに通り過ぎてしまうことが多いけれど、例えば「あの交差点にあるポスト今日もあったか」と問われれば、なんとなく見たような気になって、うんと答えるだろう。

でも私はそれを見ていない。ただ記憶の中にあるポストの像を重ねあわせて、今日記憶に上書きしているだけで、もしかしたら全ての見知った景色は、もうないのかもしれない。私が「ある」と感じられるのは、いまここにいて見て触れることのできる景色についてだけで、感覚の届かない場所にあるものを思う時、それは全て記憶に重ねあわせた像でしかなくて、その形は他人には伝えることができない。

習慣になっている行動をしているとき、見知った景色のはずなのに、全く未知ものに感じられたりするのはゲシュタルト崩壊というやつなのかもしれないけれど、それよりも、習慣であるということは、つまり既に知っている要素を認識する手間を省くことなのかもしれないと思って、何だかちょっと変な気持ちになった。だとすると、いわゆる記憶喪失ってのはキャッシュを削除するようなものなのかもしれない。

例えば私に17歳だった頃があるかと問われれば、あったと答えるだろうし写真だって身近な人の記憶でだってそれが証明できるような気はするのだけど、私自身の認識からはそれはもう遠く、感じることができないもののになってしまっている。でも時折、匂いや音や光の加減に、そのころの感覚を思い起こすことはあって、そういうのは記憶なのか乗算なのか、どっちなんだろうなとかそんなことを、今日はじめて入った喫茶店の中で考えていた。

その店は、私が字を読めるようになった頃からそこにあったし、駅前の風景を思い浮かべる時にはその看板もきちんと景色の中に見えているのだけど、店内に足を踏み入れたことはなかった。なんで今日に限って入ってみようと思ったのか、たぶん、足の疲れ具合とかお茶を飲みたくなったタイミングとか、そんな理由でしかないのだけど、想像していた店内が今目に見えている店内と重なるようで重ならない感じとか、窓の外に見える景色がよく見知ったものであるのにも関わらず、どこかよそよそしく見える感じなんかが、不思議と気持ち良くて、嬉しくなった。

そして買ったばかりの保坂和志さんの「〈私〉という演算」を読みはじめて、読みながら上のようなことを考えていたのだけど、保坂さんの本を読んでいるときについ考え事をしてしまうのは、きっとそこにある言葉と会話しているような気分になるからで、でもそれで私の読んでいることが、保坂さんの書こうとしていることと重なっているような気はあまりしなくて、だからもっと注意深く読もうとすると、余計に頭の中が文章からはなれてしまうのだった。でもとても楽しくて、いつの間にか半分以上読んでいた。続きは台湾で読もうと思う。明日から台湾に行きます。

[][] 少女ファイト日本橋ヨヲコ

少女ファイト(1) (KCデラックス イブニング)

少女ファイト(1) (KCデラックス イブニング)

妹が好きだったので、買うんでしょ、といったら「気分じゃない」といいつつ、いつの間にか買っていた。ので読んだ。

日本橋ヨヲコさんの漫画土田世紀漫画と同じような方向で熱くてクサくて、ちょっとだけ和風ゴシック(?)趣味もありつつ、というのが私は実は苦手なのですが、でも読みはじめたら面白くてついつい勢いで読んでしまいます。

今回のお話はバレーボールを題材にした青春群像劇。今のところは主人公の練の物語ですが、周りの登場人物についても丁寧に描写してある。

でも読むとなんとなく気分が重くなるから不思議だ…。

2006-09-02

[] EGE BAMIYASI/CAN

60年代後半に結成された、ケルン出身のジャーマン・プログレッシブロックグループ。クラウト(酢漬けキャベツ)ロックなんて言葉もあるけれど、その中でも特に人気のあった(らしい)グループだ。

ジャーマンプログレといっても西側と東側ではずいぶんとイメージが違って、おおまかに分かるならば、電子音楽の先駆けともいえるクラフトワークやクラスターに代表される音が西側だ。しかしCANの場合、電子音楽に与えた影響は大きいものの、CAN自体はフリージャズ民族音楽を基盤とした実験的音楽というのが一番適当だと思う。私はそのへんの歴史については詳しくないのだけど、参考文献もいろいろでているのでいつかちゃんと知りたい。

エーゲ・バミヤージ(紙ジャケット仕様)

エーゲ・バミヤージ(紙ジャケット仕様)

この「エーゲ・バミヤージ」は1972年に発表された、CANの4枚目のアルバム。私はCANのアルバムの中でも、日本人ヴォーカリスト、ダモ鈴木が所属していた時期のものが好きで(といっても4枚しかないのだけど、その4枚の)中でもこのアルバムはジャケットも含め一番好きな作品だ。

CANの前衛的な部分と、ポップな部分がほどよく調和した音作りの中で、特に印象に残るのが小気味良いドラムとベースのうなり具合だ。そこに絡むダモ鈴木のスモーキーでちょっといんちき臭い歌声*1が、楽器としての音を鳴らしていて、とにかくかっこいい。「one more night」や「vitamin C」などでヴォーカルがソロを演奏する曲といった印象になるのはダモ鈴木ならではだと思う。

サイケデリックとかプログレとかに興味がない人にでもこのアルバムは新しく聞こえるんじゃないかと思います。サイケ周辺はもうあんまり聞きたくない*2と思っている私にも、CANはいつも新鮮に聞こえる。

結構前に紙ジャケ再発で出たので買ったのを忘れてて(……)あらためて聞いたので感想書こうと思いました。すばらしいリマスター。昔買った輸入版と聴き比べてみたけど、うちのごく普通のスピーカーでも明らかにわかる音の違い。買い直す価値ありだと思います。

[] 「ひぐらしのなく頃に

今年の夏は、ひぐらしの声を聞くたびにひぐらしのことを考えてしまう夏だった。

先日、やっと用意されたシナリオを全て読み終えたのだけど、今になって思うのは、これはそうか、最初からいわれていたように、最高のエンドなんてものはないのかもしれないけど、ありえたかもしれないいくつもの展開を読者1人1人が想像して楽しめるというゲームだったのだ、ということだ。

最初の「鬼隠し編」を終えた後は、全ての登場人物全員に対して疑心暗鬼になり、びくびくしながらプレイしていたのも、今となってはいい思い出です。でも、そのおかげで後の圭一の気持ちに(若干くさすぎると思いつつも)感情移入しやすかったのも事実だし、その辺りは作者のメッセージがきちんと反映されていた証拠だと思う。

なんてしみじみしてたら、PS2版「ひぐらしのなく頃に祭」では、新しいシナリオが追加されると聞いて、12月が待ち遠しくなった。詳細はここ。結局アニメも1話しか見てないから、声がつくのも新鮮だ。

まだだらだらと感想書きたいのだけどネタバレこわいので、過去日記にしときます。

*1:最初、歌っているのが日本人だと知らなかったときにそう思った。

*2:食べ過ぎて嫌いになるとかそういう感じです。

2006-09-01

[][] 古い女/こうの史代

わしズム」最新号に掲載されている、こうの史代さんの短編を読んだ。

「底意地の悪い話」と聞いていたので、少しは覚悟して読んだんだけど、これがまた、強烈な作品だった。

作品は6ページのカラーで、ある女性の「チラシの裏*1独白によって綴られている。彼女がなぜ「古い女」なのか、そして彼女の待っているものは何なのか。そこを追うだけでも緊迫感があり、読み終えた瞬間、捲ったページの少なさに驚いてしまうくらいの濃密さだった。

主人公女性の独白を、強烈な皮肉と読むこともできるし、これを読んだ後では、あの「長い道」すら、皮肉だったのではないかと思える。

この女性の思いに、暗がりでそっと刃物を構えているかのような、恐ろしさを感じる人も、特に男性には多いのではないかと思う。ただ、例えば「女が本を読むなんて」などという言葉を投げかけられることは、今でもやっぱりあるわけで、それはいつか終わるのか、もしかしたら既に「古い」と切り捨てられることなのか、それとも終わることなんてないのかわからないけれど、「なぜなのか」というところに、理由はあるのだろうか、あるのだとしたら、それは何か、社会の決めた役割でしょうかと、問いかけているようにも感じられた。

これが否定でも肯定でも、ましてや恨み言でもないということは、こうの史代さんのこれまでの作品を読めばわかることだろう。ここにあるのは、人も社会も、見え方によってこんなにも違うという、ひとつの角度であり、その見せ方において、こうのさんは素晴らしくうまい。

とりあえず立ち読みだけして帰ってきてしまったのだけど、かなりずっしりと余韻を残す作品だったので、やっぱり買おうかなと思う。「わしズム」を読んだこともないし。

[][] マリ&フィフィの虐殺ソングブック

マリ&フィフィの虐殺ソングブック (河出文庫―文芸コレクション)

マリ&フィフィの虐殺ソングブック (河出文庫―文芸コレクション)

「俺が好きなのは世の中に必要とされないような音楽」と言っていた彼の作る曲は、ひたすら展開や意味のようなものから遠ざかろうとしているようで、エアコンもない真夏の部屋の中、アンプに繋がっていないギターをひとしきりかき鳴らした後に発するおきまりの「クーッ」というビールCMみたいなその声が私は嫌いだった。私が好きなのは本を読むことだった。「文字の少ない本ならば好き」と彼は言ったが、その答えも私をいらだたせた。そんな彼と、なぜ一緒に書店へ行くことになったのかは忘れてしまったが「この本は素晴らしいよ」と誇らしげな顔をした彼の手にあったのがこの「マリ&フィフィの虐殺ソングブック」だったのは覚えている。それはきっと「ナチュラルボーンキラーズ」のような話なのだろうと、その時の私は思ったのだけれど、思い返してみれば、ナチュラルボーンキラーズのジュリエット・ルイスが理想の女性だと言っていたのは別の人だったし、この本は予想したようなマリ&フィフィの虐殺ソングブックではなかった。つまり私の予想は外れた。しかし、ここにあるのは夢の断片のような、断片の連鎖のような、連鎖の破たんのような、ひたすらに展開や意味のようなものから遠ざかろうとしているかのように読める物語で、彼の誇らしげな表情のわけを、なるほどと腑に落とすこともできるのだけれど、だからといってこの物語を私が理解できたわけではない。ただ私は、中原昌也笑顔が好きなので、ほかの本も読んでみようと思った。

[] ソフトタッチとか

最近すこぶる調子の悪い私のMacがいつものフリーズをしたので、いつもの強制終了、少し待って、起動、というのをやってみたらだめで、あれ? って何回繰り返してもだめで、ちょっと焦ってほかのPCトラブル解消法を探して、いろいろやったけどだめで、こりゃもう初期化だ、というとこまで覚悟したのだけど、それすら出来なくて、なのにハードウェアテストに問題はなくて、諦めて、諦めきれなくて、昔のノートパソコンとか出してきていろいろやっていて、もう一度と思って起動したら元通りだった。

でもなんとなく恐いので、今はキーボードを触るのですらソフトタッチ

原因不明なのが一番こわい。

自転車の鍵があかなくなって10分くらい格闘して、開いた拍子に仰向けに倒れるという恥ずかしい出来事があって、そういうときって1人なのについ笑ってしまったりする。誰にごまかすでもないのに。

京都土産に買ってきた生麩を食べる。油をひいたフライパンで焼いて、味噌を塗って食べるのが一番美味しかった。

少し前にテレビで見た白熊のことが忘れられない。

*1:ぜひ実物を見て下さい

IMAOIMAO 2006/09/01 10:16 こうの史代の短編は読まなくてはー!
Macintoshですがすごーく基本的なアレなのですが、PRAMクリアとかやってみましたか?
http://www.powerbook.org/phenix/library/pram/index.html
もしまだやってないならお試し下さい。それで再起動しなかったらそれはそれで怖いですが^^

ichinicsichinics 2006/09/01 22:08 IMAOさん、こんばんは。PRAMクリアもやってみたんですけど、関係なかったっぽいです。今はとりあえず動いてるので、あせらず時間をおくことが大事だったのかもしれないんですが…とにかく原因がわからないのが落ち着かなくて。身の回りにMac使っている人がいないので、聞くこともできないし、調子悪いときはほんと焦ります。

IMAOIMAO 2006/09/02 05:34 うーむ、そうですかー。僕のタワーもQTを入れ替えてから調子悪くてなぜか一回PRAMクリアしないと起動しなくなってます。なんか世の中便利になっているんだか、ないんだか・・・