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  □これまでの日記一覧

2006-10-31

[][] 真説ザ・ワールド・イズ・マイン新井英樹

真説 ザ・ワールド・イズ・マイン5巻 (ビームコミックス)

真説 ザ・ワールド・イズ・マイン5巻 (ビームコミックス)

完結したので大人買い。重い。そして一気読み。

かなり加筆されているようですが、話の筋はいじってないみたいで、見せるべきところにページを使うという、演出面での加筆が多かった。例えば5巻だと、単行本でも印象に残ってた自衛隊員、坂本科学者の会話とか、時系列が少しいじってあるだけで、より印象に残る場面になっている。それはつまり、これだけ大きな物語を「動かしている」ということでもある。描かれている内容についてというよりも、その見せ方について。

読み返すたびにただ物語に飲み込まれるだけの読者である私には、それがものすごいことに思える。

目から鱗が落ちまくるような漫画。いまだに把握できない。

単行本版の感想id:ichinics:20060531:p1

[] ままならない

まだ一か月も経っていないのに、もう仕事に慣れた気分で、この町に、このビルに、今後どのくらい通うのかということを考えたらちっと気が重くなった。というのも既に行動パターン確立されてしまっていて、動かしようもない感じであるからだ。

なんて、そんなことを/それだけじゃないかもだけど、考えてたらちょっと寂しくなって、帰りにお菓子とか買ってみる。おいしい。けどなんか足りない。なので、少し迷って、久しぶりの人にメールを送る。こういう気分でメールを送るのは、よくないな、ってわかってるのにやるのは、目に見える不確定要素が欲しいのが半分。残りの半分は「返事がきたらうれしい」だけど、こなければそれもまたよしで、そういうのもよくない、と思う。思いつつ、こういうぐだぐだを、話してみたくなって、でも後悔もしてる。

ままならない。でもそういうのが、必要なのかも。

2006-10-30

[] 系図/高田渡

系図

系図

山之口貘という詩人を知ったのは、高田渡さんのおかげだ。それもこれも、ずいぶん遠くにきてからの影響であり発見であるのだけど、幸運な出会い方だったのだと思う。

高田さんが歌った山之口作品の中には、キセルのカバーで愛聴している『鮪と鰯』があり、このアルバムに収録されている『告別式』がある。昨年、高田渡さんがなくなったというニュースをきいて、この曲を思い出した人も多いのではないかと思う。大好きな曲だ。牧歌的な演奏にのせて、たんたんと「ある日死んでしまった」自分の告別式について語る歌。いいねぇ、って思う。

でも、今回改めて聴いてたら、永山規夫さんの書いた詩を歌った「手紙を書こう」がすばらしいと思った。死刑囚として服役中に作品を発表し、評価された人で、とはうっすら知っていたものの、その作品を読んだのはこれがはじめてだった。「ミミズの歌」も同じく、『無知の涙』という手記に収録された作品だという。

生まれて 死ぬだけ

おまえ ミミズ

跡形もさえ消され

残すものない憐れな奴

この詩は、ただ読むか、背景を知って読むかでまったく印象が違いそうだけれど、それが歌われていることによって、不思議な立ち上がり方をする。ぼやんと目の前に、見える風景があって、詩を歌うということは、その詩の表面に見えること以上のものを取り出してみせるってことなのかということに、改めて気付かされる。だからこの人の歌はやさしいなと思うのかもしれない。

たとえどんな悲しい詩でも、高田渡さんが歌うと、すこしおかしくて、ふわっと甘い気持ちになる。そこが好きだ。

[] いじめが「なくなる」なんてことはないとしても

いじめ関連のニュースを見聞きしていたら、自分が子供だった頃のことをいろいろ思い出した。

まず、「いじめ」が集団の中の集団が個人を攻撃すること、だとすれば、それは残念なことではあるけれど、人が集まれば高い確率でおこることなのだと思う。いじめが完全に「なくなる」なんてことは、たぶんありえないし、それは全ての人にとって幸せな世界なんてものが実現できないのと同じこと、だと思う。目指すべき理想だとしても。

ただ、自分が相対している状況だったら、それを変えるために、対処する方法はあるんじゃないかとも思う。それがいじめなのかどうかを最初に判断する権利があるのは、その状況にいる「自分」だし、だからこそ周囲が気付くこと/気付いたとしてもそこに関わることは難しい。

私が通っていた小学校では、いじめはある特定の(学校内の半数以上を占めていた団地組女子内での)ローテーションだった。なんていうか、それは団地という学校以外の場での同調圧力みたいなものに由来していた。それは、伝染していくもので、いじめられる側も数カ月後にはいじめる側にまわっていたりした。ある意味、平和だったのかもしれない。や、ほかにもあったのかもしれないけど、気付かなかった。「その他」組の私は、そもそもかやの外だった。

とにかく、その伝染してく感じが、私には無気味だった。時々巻き込まれることもあって、私も集団無視とかされたことがあったけど、自分がむかついてるわけでもないのに、攻撃できる/する気になってしまう「集団」っていうのが、ほんと不思議で仕方なかった。個人個人が「同調しないと自分がいじめられるから」って思ってるのは、わからなくもないけど、集団になると、手に負えない。

とはいえ私だって、計算して動くことも多いし、同調したり空気読んだりも、する。差別してることだってあると思う。でもそれが自分の判断だということは、忘れないようにしたい。喧嘩するなら自分がむかついたときだけにしたい。それより折角興味をもって、関わろうとするなら、もっと楽しいほうがいいと思う。

で、なんか話がずれたけど、いじめがなくなる方法なんてないにしても、今いる社会っていうのは、全部じゃないんだということ、善悪、強弱というのは常に一定のバランスを保っているわけではないんだということに、気付くことができれば、ある程度のことは乗り切れるというか、気にならなくなるんじゃないかなと思う。いじめる側にとっても。

……甘いか。でもある程度の無関心さ、鈍感さ、利己主義、というものが、社会における自分自身の居心地を良くしてあげることにつながることも、あると思う。

しかし文科省が「いじめによる自殺は過去七年間0」と発表してる*1のはすごいなと思った。この日に触れた記事(id:ichinics:20060602:p1/ここでリンクしてる記事はもう消えてるけど)だと警察庁の発表した「学校問題での自殺」は昨年233人だったとある。学校問題か。

[] C†Cメモ

第一印象から気があわなそうだなぁと思った女の子といちゃつく日々がおわった。水っぽいとかべちゃっとしてる、とか「もっと徹底的に勝ち気っぽく」いう主人公の台詞にいちいち納得したりして、それでもかわいいということで許せるものなのか、やー、私むり、つんでれとかギャップとか以前に、お嬢様キャラにがてなのかなー、とか、思いながら、やる。この(ゲーム内)数日はちょっと長かった。

そんなふうにちょっと腰が引けた感じだったから、最後(?)の台詞、思わず、よくわかる、と思ってしまって・・・ちょっとへこむ。や、物語では、そういうつもりじゃないのかもしれないけど、あそこでの行動がしっくりきすぎた。

2006-10-29

[][] デトロイト・メタル・シティ 2巻

ichinics2006-10-29

駅前の大盛堂でいちおしだし(ここの垂れ幕はいつも何が発売になったのか分かりやすい)、DMCTシャツきてる人もいるし、どうした、と思ったら、なんかイベントやってたらしいです。タワレコ渋谷で。すごい人気だ。

2巻は、根岸がだんだんクラウザーであることに積極的になってきた感じがするので、この状態でいつまでおしゃれポップにここだわれるのかが見どころだと思いました。それにしても、カミュのドラムはすごそうだ。

デトロイト・メタル・シティ (2) (JETS COMICS (271))

デトロイト・メタル・シティ (2) (JETS COMICS (271))

[] 買い物日記

週末、ちょっと具合が悪かったので、土日はひきこもりかなーと思ってたんだけど、案外大丈夫だったので、買い物へ。

電車で隣にいたおじさんの、指の付け根に、村山さんのまゆ毛みたいな毛が生えてておもわず見とれる。なぜそこだけ。と思わず顔を見上げると、まゆ毛は普通に凛々しかった。なんかいい。

渋谷について、まずはビルケンシュトックにて靴を買う。楽な靴が欲しいといったら、友達に熱烈にお勧めされたので、まず見てみるかってくらいだったんだけど、試着したら、そのあまりのしっくり具合に感動して、ほとんど衝動買い。うれしいなぁ。大事にはこう。今回は一応仕事用ってことで革靴買ったけど、店員さんが履いていた、ウールのもかわいかったなー。ベルトがみつあみみたいになってるやつ。

それからフレッシュネスでメンチバーガーを食べて(ところで私はフレッシュネスのメンチバーガーを月に5回くらいはたべてるような気がする。というかフレッシュネスにいくと、メンチバーガーしか食べない。山盛りのキャベツがおいしい)、その後ぶらぶらして、マフラー買って(冬です)、本屋で大人買いして(DMCとかWIMとかその他もろもろ)荷物いっぱいになったら、だんだん具合悪くなってきたので、喫茶店で休憩してから、帰宅。バスの中であたまがかんがんして参った。と思って帰宅したらアンテナの中に「頭痛」という文字がいくつかあって、いま頭痛の季節なのかと思った。

買い物袋を開いて、新しい靴を履いてみる。新しい靴で家の中を歩く、というのは、昔からかわらない楽しみだ。土踏まずがきもちいい。

[] まだ目は醒めた

いまどこなのかわからなくなってきたけど、とりあえず起こっていることがちらっと見えたかなってあたりで今日は終了。なんというか、勿体なくて、一日一回分でゆっくりやりたい気もするけど、つい気になってずいぶん長々とやってしまった。続きは明日。ああでも、なんかすごいなぁ。

このゲームやってると、ピーズの「赤羽ドリーミン」を思い出します。雰囲気はまったく重ならないんだけど。

また目が醒めたひどい夢だったと

ひと息のなかで まだ目は醒めるか

いったいオラーどっちだ 今どっちだ

ほっぺつねってみ

頭の中か頭の外

どっちもひでーか

うわー。なんか今雨降ってるし、ライブのときのこと思い出した。またライブ行きたいなぁ・・・!!

2006-10-28

[][] シグルイ7巻

シグルイ 7 (チャンピオンREDコミックス)

シグルイ 7 (チャンピオンREDコミックス)

今回は藤木の話が中心だった。最初っから無明逆流れのインパクトがすごかった清玄とくらべると、藤木はずっと得体が知れないままで、今回ようやく過去のエピソードが語られてもやはり得体が知れず、むしろよけい無気味に思えるようになった。清玄のほうがまともな思考回路にすら思える。そして牛股はいつも期待を裏切らない。

次の巻ではいよいよ御前試合が描かれるんでしょうか。こわいなーとか残酷だなーとか思っても、強い登場人物に期待し、より恐ろしい展開を期待してしまうのが面白いとこだと思う。ということを、WIMを読んでいても思う。

それにしても、虎眼先生…!!

1〜6巻 → id:ichinics:20060611:p2

[] ミキティって!

かえってきてごはんたべながら居間でスケート見て、見終わってさて部屋もどるか、と思ったら上から父さんがおりてきたので「あさだまおすごいねー」と声をかけたら「ミキティとあんまかわらんね」なんてさらっといったのでびびった。ミキティって! 自転車のるときにズボンのすそを靴下の中にINするくらいまじめな、いつも苦虫かみつぶしたような顔をして、猫背になったとこみたことないくらいなちちおやなのに!

おそろしい。

[] CROSS†CHANNEL

はじめました。最初は、どの子を落とすかとかそういうゲームなのかなぁと思ってて、やっぱこの子がいいな(自転車の彼女)なんて思ってたんだけど、なんか様子が違って、言葉にされてないのに、自然と「こうなんだろうな」と思ってたことが、だんだん見えてきて、

いまはじまった。

ぞくっとしました。

ということを誰かにいいたくなったとき、日記って便利。

2006-10-27

[][] 図書館内乱/有川浩

図書館内乱

図書館内乱

おもしろかった・・・! なんだろうこのときめき。エンタテインメントを読んだなぁっていう充実感が久々だからなのか。舞台が図書館だからなのか、それともラブコメ要素にほくそ笑んでるからなのか。1巻でもう舞台設定は頭に入っているので、2巻は純粋にドラマを楽しむことに集中できた気がする。キャラクターもいいなあ。やっぱり(?)小牧にときめきます。小牧の話良かった。

一気に読んで、ラストの「to be continued」を見て、うれしかったです。

「……何十年かしたら検閲がなくなるから、それまで検閲を我慢してろって、あたしは他の人に言えない」

やっと言いたいことのシッポを捕まえた。

「読みたいのは今なんだもの。何十年か後の自由のために今ある自由を捨てろとか言えない」  p328

名場面だなー。続きが楽しみです。

「図書館戦争」の感想→ id:ichinics:20061019:p1

[] オールマイティ

仕事の後、友達とご飯。そこで話をしていて、自分がどのような趣味であるか、は、見た目でわかるべきなのだろうか、とか考える。確かに見た目で分かれば、趣味のあう友達もできやすいのかもしれない。でも、もう、そういう頃じゃないような気がする。自分が、か、社会が、かはわからないけれど、それはただ他人に対する表明でしかないんだから、見た目だってひとつの趣味でいいのだろう。あれもこれもそれも、全部平等に好きなのだ、ということは、別に誰に説明しなくてもいいことだというわけで、それを考えるのは終わって、終わってるのに共通言語としての話題をどこかで探してしまうのが不思議だった。それはつまり、ある程度同じ目線で、見れる対象が「話題」にはふさわしいということなのだろう。

そして、恋愛という選択肢がないと、こういうとき不便だねと思う。あれはたぶんオールマイティなのだ。ドンジャラでいえばコピーロボットでジャムおじさんだ。キン肉マンではだれだっけなー、ミートくんだっけ? あードンジャラやりたい。

もちろん、こういうことは話をしている最中に考えるのではなく、帰りのタクシーの中とかで一日を反すうして、思い浮かぶことで、つまり誰にはなすような話でもないのだった。

[] うまはきゅうりのサラダをたべない

願い事について考えている。

うまはきゅうりのさらだをたべない、というのはムッシュ・ムニエルの呪文、他にも「すぱかりふらじりすてぃっくえくすぴありどうしゃす」というメリーポピンズの呪文とか、幼い頃の私は、呪文を覚えるのが好きだった。例えば、もしランプの精とでくわしたら、何を願おうか、なんてことを、考えるのと同じように、いつこの呪文を使おうか、って考えるのが楽しかった。いまでも、そういう物語に出会えば、考えたりする。願い事って何だろうって。

でもいつも思い付かない。なくしたいものも欲しいものも、それなりにあるけれど、それは誰かに頼むようなことでもないし、それで世界がかわるのが、いやなのかもしれない。世界ってうまくできてるんだな。

ただ、偶然の足どりに、たまに驚くことができれば、うれしいと思う…って、よく考えたら、魔法が出てくる物語の結末っていうのは、そういうとこに落ち着くことが多くて、それはそれでもったいないような気もする。

2006-10-25

[] Dreamt For Light Years In The Belly Of A Mountain/sparklehorse

Dreamt for Light Years in the Belly of a Mountain

Dreamt for Light Years in the Belly of a Mountain

sparklehorseの『It's A Wonderful Life』以来、5年ぶりのニューアルバム。sparklehorseはどうやら一人らしいって知ったのは、実は最近なのだけど、そのマーク・リンカスという人についてもあんまり情報が入ってこない(集められない)ので、このアルバムがでるって聞いたときはうれしかった。5年は長い。(で、その間に出てたダニエル・ジョンストン関連でsparklehorseはどうやら一人らしいって知った)

sparklehorseの出すアルバムは、どれもすばらしいと思う。

最初に知ったのは、トム・ヨークと一緒に「Wish You Were Here」のカヴァーをやってたからだったと思うけど(トムはしゃべってるだけ)、最初のアルバムからずっと、どの曲を聴いても、まったく違うんだけど、どれを聴いても、こういう音楽が私は好きなんだって思わされる。

音の作り方は複雑だけど心地よく、いろんな色にかわる声に着いていくのが楽しくて、曲が終わるたびに少しさみしくなる。

このアルバム買って良かった。ほんとに。なんかもう、うれしくなっちゃうな。

ちなみに、マーク・リンカスさんは『Discovered Covered: The Late Great Daniel Johnston』の監修をやってたりもして、そこに参加してるアーティストも数人このアルバムに参加しています。このへんが好きな人はきっと、sparklehorseも好きなんじゃないのかと思う。

[] 川と火花

ばちばちと音をたてて地下鉄が走る。この線は、地下鉄なのに、線路にではなく、天井に電線があるのだとそれで気付いて、そうか、地上から乗り入れる線だからか、と納得する。火花が散る。

会社の近くには川がある。深くて黒くて流れていないので、もしかして水じゃないのかもしれないし、その黒さは、川の上を通る高速道路の影なのかもしれない。私はいつもその前を通り過ぎて、少し遠回りをして会社へたどり着く。意識してるつもりもないのに、気になるあの暗さの存在は、今のところあの町を思い浮かべるたびにまとわりつく暗さでもあって、昨日みたいに、雨が吹いてるような白くぼやけた景色の中でも、じっとしたまま、覗き込まなければ見えないような奥底に、暗いままで、ある。

朝方は眠そうな顔の人が行き交い、昼時になると人で溢れ、夕刻には早足の人が駅に流れているけれど、ほとんど声の聞こえないこの町で、もっとも大きな気配を吐き出しているのはこの川かもしれない。

帰りも少し遠回りをして、川のそばを歩く。足がどんどん軽くなっていくのにあわせて、いろんなことを忘れる。そしてまた火花が散るのを見て、そうか、これから冬か、と思う。

[] 建物に入りたい

2006年10月1日、阿佐ヶ谷住宅のテラスハウスにアート・ギャラリー「とたんギャラリー」がオープンいたします。2007年4月に取り壊しが決定したことを契機に、この空間をもっと色々な人に知ってもらいたい、という想いからギャラリー計画が浮上しました。築48年の歴史を持つ阿佐ヶ谷住宅で、その「終わり」をどう迎えるか。その場所性、空間、記憶、アート、そして人と人とをつなぐ、かつてないコンセプトのアート・プロジェクト「TOTAN GALLERY PROJECT」が、ギャラリーオープンとともに始動します。

http://www.totan-gallery.com/

mikkさんのところ(http://d.hatena.ne.jp/./mikk/20061018/p2)で知りました。実際の住人の方が、自宅の一階をギャラリーにして公開しているらしい。取り壊しの話にちょっとびっくりしつつ、建物の中に(人の家なわけだけど)入れるってのには、惹かれる。

その中がどうなってるのか、知りたいと思う建物はたくさんあるけれど、たいていの建物は、眺めているだけで、中に入ることはなかったり、入れなかったりする。そして、その多くは、もうないんだな。

そういえば小学生の頃に不法侵入しかけた家は、入り口から玄関までずっと、腰くらいの高さの草やらすすきが生えてて、空き家かお化け屋敷だとかいってたのに、大人になってから有名な画家(私でも知ってる)の家だときいて、びっくりした。中には露伴先生がいたと思う。

mikkmikk 2006/10/26 14:31 こんにちは。「阿佐ヶ谷住宅」以前近くに住んでいて眺めるだけであったおうちの中に入ることができるのが楽しみです。あそこに立ち並ぶ平屋の群とそのあいまにぽっかり空いた遊技場にはタマラナイ気持ちになります。
「Sparklehorse」は実は1st聞いていなかったのですがジャケ見てびっくりしました。よく店で見かけるなあって。今回のとても好きなので前作も聞こうと思います。

ichinicsichinics 2006/10/27 23:51 mikkさんこんばんは。いつも情報ありがとうございます。阿佐ヶ谷住宅のあたりは、なんかいいですよね。空があるなぁって感じがして、ちょっとすんでみたいなと思っていました。そして、そう見てるだけだった家の中に入れるって、なかなかないことなので、私もたのしみです。
Sparklehorseは、うまく言葉にできない魅力のあるバンド(?)だと思います。曲の傾向もバラバラに思えるんですが、色があって、ぐっときちゃうんですよね…。不思議です。

2006-10-24

[][] END&(自選単行本未収録作品集)/鈴木志保

END&(エンドアンド)

END&(エンドアンド)

ロータス1−2−3」から「たんぽぽ1−2−3」はちいさなねこの話。なかでもロータスのほうの最後の、あの顔の恐ろしさ(恐ろしさを意図してはないのかもしれないけど、こわい)が、うつろな目が、この本で一番印象にのこった。

「テレビジョン」「チルダイ」はちょっと絵柄が、話もあいまって、楠本まきとかカムイとかSEXとか思い出した。「DONADONA」と「受胎告知」は二色刷りがきれいだ。

それにしても、鈴木志保さんの言葉の感覚って、何度よんでも独特だ。

[] 昨日の追記

michiakiさんのとこでいただいたコメントで、だいぶ腑に落ちました。

ほかの私に自由になれないのは、技術的問題(まだ攻殻の世界ではない、ということ)がひとつ、と、もうひとつは、「ほかの私になってもそれを感知することはできない(ので入れ替わってもわからない)」ということもあります。記憶属性とするなら、もし<わたし>が他の人の中に入ったら、単に「その人になる」だけだからですね。(aozora21さんがブクマコメントで仰ってる通りです)

http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20061023#1161536188#c

そういやそうだ。記憶連続していない(マップも参照できない)という状況で、わたしが「このわたし」であることを知る手がかりなんてないし、それはもう今の「この」わたしではなく、「その」わたしなんだってとこを、ちゃんと整理できてなかった。

そして、それをふまえて考えてみると、なぜ私は「この」私なのか、と考えることは「私は私の見るものしか見れないし、聞くものしか聞けない」という属性の話になる。なるほど。

でも、なぜ属性をもったまま、ほかの属性の束と自我を共有できないのかっていう疑問はまだ残る。インプットが違うから? それとも、今のところ人はいっぺんにひとつのわたししか処理できないからだろうか。

例えばおんなじ信号を与えられ続けた双子の(とりあえず人工知能ではなく)、Aという事柄に対する反応は、同じはずだけど、同じだということを確かめるすべがないように思う。

「私的言語はない」といわれると、言語は「共有されている」のかと思うけど、そこはイコールじゃないんだろうな。これはもちろん言語じゃなくても、そうだ。

それで私は、共有できるものが、あることを知りたいのか、ないことを知りたいのか、どっちなのかな。

2006-10-23

[] 口ロロ 

口ロロ

口ロロ

クチロロデビュー作。最近よく聞いてます。切っ掛けは益子樹さんが参加しているっていうので聞いてみたんだけど、だからかちょっとキセルににた空気を感じつつ(#7あたり)、声が小山田圭吾に似て聞こえたり、サニーデイを思い出すような語尾の半音あがって消える感じとか、やっぱこういうの好きなんだなぁと思わされる。「ファンファーレ」の方が好きだけど、これもまた、多面的な魅力を見せてくれる良いアルバムだなって、思った。

[] 疑問点を整理

見えないものについて考えてると頭が混乱してくるので、ざっと疑問を吐き出してみる。

michiakiさんのこのエントリhttp://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20061023#1161536188)を傍らに考えてみると、「わたしはなぜ<わたし>なのか?」という問いに対し、「それは単に私は私が見るものしか見れないし、私が聞くものしか聞けないからだ」という答えで納得がいかないわけは、つまり、インプットされる情報意味付けしていくことで、四次元的なマップが<私>の中には常に作られ続けている、というイメージがあるからだと思う。そして、仮に、AさんとBさんに同じ感覚情報インプットし続けたとしても、AさんとBさんの中に同じマップが広がっているといえるのだろうか?

AさんとBさんという体にこだわらないとしても、たとえば朝起きるたびに別の体にいる男を描いた小説「貸金庫」*1を思い浮かべてみて、起きるたびに別の意識を持つという状況を想定しても、やはりそこにはなんらかの意識があって、その意識はほかの意識と重なることができない、というか情報を共有することができても、二つは一つにならない。ような気がする。

いや、むしろ一つが二つにならない、かな。

「僕達の主体って一体一体のボディに宿ってるの? それとも集団としてのタチコマに共有されてるの?」

というタチコマの台詞に出てくるみたいに、仮に主体というものが集団に共有されているとしても、そこには、主体が同時に複数あれない不自由さ、があるように思う。それは「なぜわたしは<わたし>なのか」という問いと、にたようなとこにあるような気がするんだけど。

*1イーガン「祈りの海」の冒頭の話

2006-10-22

[] Crazy Itch Radio/Basement Jaxx

Crazy Itch Radio

Crazy Itch Radio

気分を盛り上げたいときにはBasement Jaxxだなー、と思って購入。まるでエヴァかバトルロワイアルかって感じなイントロ(つまりヴェルディの「怒りの日」(だったっけ)に似ている)にびっくりしつつ、わくわくする。

2曲目からはいつもの調子で、タイトルにもあるように、今回はラジオ番組風の構成にのせて、愉快なお祭りダンスミュージックが続きます。わーい。聞けばすぐわかる「いつもの感じ」があるのに、バラエティに富んだ楽曲陣という腕前は相変わらず。バンジョーを使った曲が印象的だったけど、やっぱり無国籍で、ジャングルだったり東欧だったり南米だったり、アルバム一枚で高速世界一周の旅って雰囲気だ。

#7のサンバ風なドラムラインとか#12のインドポップスみたいなのとか、大音量でかけてると掃除とかはかどりそうです。

[] AERA COMIC

ニッポンのマンガ (アエラムック―AERA COMIC)

ニッポンのマンガ (アエラムック―AERA COMIC)

「ニッポンのマンガ」と題した手塚治虫文化賞10周年記念誌。けっこうなボリュームなのでまだ読み切ってないんですが、どういう構成になってるのかよくわかんなくてちょっと読みづらい。

今回のお目当ては、まずなんといっても高野文子さんの「おりがみでツルを折ろう」。「黄色い本」の完成までに三年かかった、という話にもあるように、高野さんの漫画は、常に濃密なシンプルさと、柔らかさが同居していて、それはまるで、太陽の光でじっくりと時間をかけて発酵させたパン生地みたいなうれしさがあって、読んでいて落ち着くというか、すぐそこにある感じがするっていうか、なんかうまくいえないけど、そんなわけで明日は「るきさん」を読みながら通勤しようと思いました。

あと浦沢直樹さんの「月に向かって投げろ!」は、SF短編かショートショートかという雰囲気のお話で、面白かったです。ただ、どこかで読んだことがあるような話で「いい話」になっているのがむしろもったいないような気もする。あと、舞台設定と、主人公の生真面目さにちょっと違和感があったかな。ラスト「してやったり」みたいな顔だと、すごくアメリカっぽいんだけども、それだと浦沢さんぽくないか。

よしながふみさんと夏目房之介さん、長島有さんと萩尾望都さんによるコミックガイドもとても面白かったのですが、テレプシコーラについて、ネタばれというか、重要な場面について知ってしまい、ショックがでかい。あーあー知りたくなかった。

2006年のところは見なけりゃ良かった。

kokko3kokko3 2006/10/23 16:13 私もうっかり読んでしまいました。とほほ。>テレプシコーラのネタばれ

michiakimichiaki 2006/10/23 20:36 Basement Jaxx、Napsterにあったので聴いています。メッチャお祭りですね。

ichinicsichinics 2006/10/23 23:29 >kokko3さんこんばんは。いつも読ませていただいてます。今回のネタばれはちょっと思いやりが足りないですよね…。ほんと、二重の意味でがっくりです。
>michiakiさん
私はbasement jaxxのアップルシードのサントラの曲で毎朝起きてます。なんか血圧あがる感じが目覚ましにぴったりで。

michiakimichiaki 2006/10/24 00:00 ”Good Luck”ですね。うちのiTunesの再生回数見たら372回になってました(笑)。Napsterにライブバージョンがあったので今聴いてます。

2006-10-21

[] 根津、谷中、下北沢

友達と一日お散歩。根津神社のお祭りで田楽を食べて、あんこ飴買って、言問通りを行って、谷中へというコースでした。

f:id:ichinics:20061022005019j:image:h150

お祭りだけに混んでいた。ここの鳥居ですれ違った人が連続で「あの京都のあそこ…」といっていて面白かった。

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凛々しい横顔。でも振り向くと

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笑顔。

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根津神社からすぐにある金太郎飴屋さん。このお店のあんこ飴がおいしい。

お祭りの後は、ぶらぶら歩きながらたどり着いた谷中ボッサで、ケーキを食べて、久々に佐々木マキさんの「ムッシュ・ムニエルをごしょうかいします」を読む。この本は、幼い頃いちばんのお気に入りで、あのびんに乗ってムニエルさんの弟子になる夢を何度も見たものだけど、続編の「ムッシュ・ムニエルとおつきさま」「ムッシュ・ムニエルのサーカス」が一冊にまとまっているのが出ているの、はじめてしった。

ムッシュ・ムニエルをごしょうかいします

ムッシュ・ムニエルをごしょうかいします

これは一冊づつのやつ。まとまってるのは福音館さんのだった。

そこからまた千駄木方面へあるいて、いせ辰で友達へプレゼントかって、自分用に小箱とか買って、下北でご飯を食べる。なかなかに充実したいちにちだった。

でも今日一番のうれしかったことは、ばったり久しぶりの人に会えたこと。自分もこんな人になりたいものだとずっと思っていたその人は、久々にあってもやっぱりすてきな方で、今も昔もあこがれの人だ。なかなか会えない人だけに、こういうばったりには感謝しなくちゃと思う。あんこ飴渡してさよならする。

[] 私の外側

先日書いた「「自我」とか「主体」とかって何なのか」(id:ichinics:20061014:p1)という文に対し、michiakiさんとmeltyloveさんからトラックバックを頂いた。ありがとうございます。それで、二人とも「世界をよくする現代思想」を読んだときに、奇しくも似たようなところでひっかかっていたとのことで、それぞれの書かれていることでまたちょっと考えが回ったりもして、とてもうれしかった。本の感想などを読んでいても、それはいつも感想の一部であって、その一部の中で、「同じ本」を読んだんだ、ということを感じられるというのは、あんまりない。そして、それがあると、たとえ真反対の考えであっても、やっぱうれしかったりする。というわけで、ちょっと考えたことを書いてみようと思います。

さて、私が高田明典さんの本を読んでいるときに(といっても二冊ですが)一番ひっかかるのは、たぶん『「私的言語」が存在しないということは、「独我論」が成立しえないということ』というのを前提においているところにあるのだと思います。哲学の用語をおおまかにすら理解していないで使うのはためらわれるのですが、つまり「私的言語」の否定がなぜ「独我論」の不成立になるのか、というか「私的言語」ってほんとにあり得ない? というようなことにひっかかってるのかもしれなくて、このあたりはちゃんとヴィトゲンシュタインの書いたものを読んでみたいです。(でも、全集しかないのかな)

ともかく、私は最初に目から鱗だった哲学の本が永井均さんだったせいか、なかなか独我論を手放せないでいるみたいです。というか手放す気はとりあえずなくて、でも私の思っている独我論は哲学でいわれているそれとは違うかもしれない、とも思う。ここはまだ、うまく言葉にできない。

「私」とはただ「私」であって、他の方法で言い表すことは難しいと思います。無理に言うなら「在る」という感覚そのものかなぁと思う。「“私が”在る」じゃなくて「在る」。

http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20061018#1161104819

この言葉の意図とは違うかもしれないけど、私にとっての「世界」は、例えば、私が世界を見る時に、いつもあって、でも見えない光源のようなものが、属性の束としての「私」以外の何かが(仮に<私>としてもいい)あるように思う。その場合、属性の束は影のようなものだと言えるかもしれない。これが

けれど、結局のところ『言語化すること』が絡まなければ、超越確実性言明なんて存在しないようなもので、だから『根拠』が必要になることもなくて、結果として『自我』はまるっきり絡んでこない。けれど『主体』というのは多分このあたりでは消えないのだと思う。だって『主体』は『世界』を引受けるものだからだ。

http://d.hatena.ne.jp/./meltylove/20061018

ここでmeltyloveさんの言われている『主体』の消えなさなんじゃないかと思った。どうかな、全然的外れかもしれないけれど。

そして世界がその<私>という光源によって捉えられる限りは、この世界は他の世界とは重ならないのかもしれないということを、私は「私にしか理解できないこと」と思って書いたのだけど、ここで「理解」という言葉を使うのは、間違ってたかもしれない。

私たちは<他者>にその存在を引き受けてもらい、それによって《私》という存在が確実なものとなり、また、その存在の強度を増していきます。

「「私」のための現代思想」/高田明典

私がひっかかってたここの「<他者>に引き受けてもらい」というとこを読んでると、どうも「人は人に忘れられたときに死ぬ」とかそういうのを思い出してしまって、それでも在るものは在るじゃないか、と思って混乱していた。つまり、在るところからはじまってしまっているからそうとしか考えられない。そして「ない」になった後のことは、そのとおり私の世界にはないはずだしそうでなきゃ困る。

しかし例えば、「同じ本」を読んだ感じがすると思ってうれしくなるのも、私にはあきらかことで、それと同時に、私はここからしか世界を捉えられないし、その世界をさらに外側からとらえるものは、ないんじゃないかと思う。そして他の<私>からの世界では、この私はくるりと反転して、束として/影としてあるんだろう。と想像している。

なんかまとまらない。たぶん階層の違う問題を一枚に考えようとするからなんだと思う。けど、どれをわければいいのかがまだわかんないので、ゆっくり考えます。

2006-10-19

[][] 図書館戦争/有川浩

続刊がでたのをきっかけに平積みになっていたので興味を持って買った。帯の「本の雑誌2006上半期エンターテインメント第一位」って文句にも惹かれたし。

図書館戦争

図書館戦争

「公序良俗を乱し、人権を侵害する表現を取り締まる法律」として「メディア良化法」という名の検閲期間ができた時代に、図書館が本を収集する自由を持つことで、人々にはかろうじて知る権利が保たれている、という状況設定のもとに描かれる「図書館隊員」のお話。

面白かったです。読みはじめたときは、設定に多少突飛なところがあるようにも思えたけれど、読んでいくうちに勢いに飲まれてあまり気にならなくなる。キャラクターもなじみやすくて、ラブコメな場面ではついにやにやしてしまう。アクションありサスペンスあり恋愛ありの王道エンタテインメント小説。それでいて、本好きの心をくすぐってグッとくるような場面も多々ちりばめられている。

ただまあ、こんな時代に、本が出版され続けている状況(要するに取り締まられたらもうけが出ないわけだけど、自主規制に走る、って感じでもないみたいだし)については、少し気になるので、その辺りにスポットをあてた話も読んでみたい。とりあえず、続刊を読まなきゃ。

著者がどんな作風の人なのかとか全く知らずに読んだのだけど、あとがきに「書き下ろしとしては初めての普通のお話です。塩も楕円もザリガニも出てこないので普通です」と書いてあったんですが、今までの話はいったいどんな話だったのか気になる。

[] 眠くて仕方ない

週末はアマゾンで注文したゲームをやるつもりだったのに、間違えて以前の勤め先に送ってしまうという失態をやらかし(!)、朝からへこむ。週末の楽しみが…。転送を頼んでみたけど、だめでさらにへこむ。こんなことなら店に買いにいけば良かった。どうもねぼけてる。そんでも今日は一日ばたばたしていて、ヒールで歩き回ったところに、歓迎会で、久々に結構飲んだので、意外とまわってしまった。歓迎会はともかく、今日はやっとパソコン支給されたので、うれしい。でも、もう眠い。つまんない。大晦日に起きていられない子どもの気分だ。ともかく今日かこう、と昨日思ったことが、まとまんない眠い頭がかなしい。

cdefgcdefg 2006/10/22 01:36 こんにちは。図書館戦争を、おととい読みました。読んでいてはずかしいシーンもあるのですが、たのしくて、あっという間に読み終わりました。機会があって、以前デビュー作(「塩」が出ます)を読みましたが(こちらはシリアスですが同じくよいエンタテイメント作品でした)、ストーリー展開は図書館戦争と似ていました。
ライトノベルと一般小説の境界があいまいになって、このような本がふえている気がします。一体いつごろからこういうのがはやっているのか最近気になっています。

ichinicsichinics 2006/10/22 02:18 cdefgさん、こんばんは。「図書館戦争」わたしもあっという間でした。確かにちょっと照れくさいですけど、楽しかったです。「塩」はデビュー作にでてくるのですね。
ライトノベル(といわれてるもの)は、実はほとんど読んだことがないので、どういうものをライトノベルというのかよくわからないのですが、森絵都さんとか佐藤多佳子さんとかあさのさんとか、児童文学の作家が大人向けの小説でも活躍、というのと似てる状況なのでしょうか。もしくはノベルスで出たものが文庫化されるような感じでしょうか。なんか曖昧ですが、この作品とかは、パッケージ次第で読者層がかなりかわりそうなので、そのへんは出版社の腕の見せ所なのでしょうね。
「図書館」は二巻かってきたので読むの楽しみです。こういうキャラクターがくっきりしてる小説って、長く続いてほしいなと思ってしまいますけど、そういうとこは漫画読む時の感覚にちょっと似てるような気がします。

2006-10-18

[] THE TOWN AND THE CITY/LOS LOBOS

ラテン・ポップスのベテランバンド、ロス・ロボス13枚目のアルバム。メキシカントラッドからロック、カントリー、フォーク、ブルースと様々な音楽ジャンルを混ぜ込んだ無国籍な音ながらも、ちゃんと土の匂いがする。

あの「ラ・バンバ」の、といってももう通じないかもしれないけど、音は今でも新鮮さを保ち続けていると思う。その感覚の鋭さはルイとデヴィッドが、チャド・ブレイク&ミッチェル・フルームとともに活動した別プロジェクト、ラテン・プレイボーイズ後の「コロッサル・ヘッド」を聞いてもあきらか。そしてあそこまで「今の」音を鳴らした後でも、地に足がついた背景のある音を作り続けている。

今回のニューアルバムでは、「アメリカへの移民の歴史」という彼等のルーツをたどるようなテーマらしく、彼等の音楽を総括するようなシンプルで力強い楽曲が続く。ちょっとメロウな曲が多いけど、それもまたよし。

ブックレットでもみんないい顔してるしなぁ。ほんとすてきなバンドだなと思います。

Town & The City (Dig)

Town & The City (Dig)

ところで私がいつか英語に自信ついたら(いつそんな時がくるのかわからないけど)次にならいたい言葉はずっとスペイン語で、それはなんでかっていうとメキシコに憧れてるからなんだけど、だからこの人たちの曲でもスペイン語の曲がくるとうれしい。#6「LUNA」とか最高だ。メキシコが舞台の映画とか見ると、聞いていて一番心躍る血湧き肉躍る言語だぜとか思う。「テンゴ セー」で「のどが乾いた」らしいですペソ。

[] 高野文子さんの新作が!!

アエラムックの手塚治虫文化賞10周年記念号「ニッポンのマンガ」に高野文子さんの五年ぶりの新作が掲載されるそうです。「黄色い本」以来だ。わー!

ほか、すごいラインナップです。こちら(http://opendoors.asahi.com/data/detail/7678.shtml)に目次があるんだけど、ながめてるだけで待ち遠しい。10月20日発売。もう売ってたりして、と思って今日三省堂行ってみたけどなかった。

「の残滓」さん経由で知りました。

[] 気になる

晩ご飯食べながら見てたお笑い番組で、曲の途中までピアノで演奏して、その続きをドレミで答えて間違えたらドーンってのをやってたんですが、最終的に回答者全員不正解オチで答え言わずに終わるっていくらクイズ番組じゃないからってひどいと思った。

[] 冬嫌い

朝が暗くて、夜が早いと、なんだか損をしたような気分になる。これからくる季節は冬で、今までの冬もそうだったのだから、というのは何の納得にも繋がらなくて、これからもっと昼間が短くなって、寒くなるのだと思うと、絶望的だ。でも、冬の次には春がくるのだし、これまでだってそうだった、というのもやっぱりなぐさめにはならない。

冬が嫌いなんじゃなくて、寒くて暗いのが嫌いなんだ。

なんて悪態をつきながら毎日家までの道のりを歩いている。

毎日どこかでたき火とかしていればいいのにと思う。そしたらそこに寄るのを日々の楽しみにするのに。今日のたき火を探すのに。スーパーで芋買って焼くのに。

toukatouka 2006/10/19 01:53 私も冬が嫌いです。
昔は夏が嫌いだったのですが(プールの授業があったから)、あらためて考えてみると、暑い暑いと文句を言っていれば過ぎてしまう夏より、下手すりゃ命に関わる冬の寒さの方がうんざりするんですよね。
そういう訳で現在の私のカレンダーは4,5,6月が春、7,8月が夏、9,10,11月が秋、12,1,2,3月が冬という変則的なツンドラ気候です。冬はつとめて、と言いきれる清少納言は偉いなあ。

ichinicsichinics 2006/10/20 00:03 toukaさん、こんばんは。そういえば清少納言はそんなこといってましたね。個人的には、冬の朝ほどいやなものはないです…。あ、でも正月の朝は好きです。私の一年は4,5月が春、6月が梅雨、7,8,9月が夏で10月が秋ってかんじです。あと半年はひたすらじっと耐えてるような。

2006-10-17

[][] 食欲

近頃、食欲が旺盛だ。

量を食べる、というよりは、おいしいもの食べるためならちょっとくらい努力してもいいかって気分。今日は、手羽先のみぞれ煮を作ったのだけど、いつもなら面倒がってやらない大根おろしも苦にならなかった。横着者なのに。ショウガいれて、ネギいれて。あったかいものがおいしい季節だわー。

ところで、こういう「食」の気分のうち何割かはたぶん殊能さんの日記に触発されているんだと思う。外で食事しながら携帯でアンテナみてるとたいてい更新時間にあたるので、刷り込みみたいなものかもしれない。いつも手の込んだ食事を作ってて、感服する。

、ポテトチップスの新発売もいろいろでてるので、お菓子も相変わらず食べてます。ポテリッチ(カルビーのゴールドの)シリーズのピザはピザポテトからチーズ少なくした感じ。ガーリックはすごい。ガーリックチップスまで入っていて、濃厚。

でもやっぱナビスコの厚切りポテトが今期(今期とかあるのか)最高だと思います。ほんとうにおいしい。あとカルビーのじゃがりこっぽいパッケージのジャガビーってのもなかなか。

[] 勝手に広告展』ggg で開催!

雑誌『relax』『Casa BRUTUS』誌上に掲載してきた「勝手に広告」

 を、ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)で、展示します。

展示期間:10月5日(木)〜 10月28日(土)

開館時間:11:00 〜 19:00(土曜 18:00 )

休館日:日曜・祝祭日 / 入館無料

http://www.masahicom.com/topics/index.html

これいきたい。明後日はギャラリートークもあるそうですが、たぶんきっと入れないだろう。

[] たまに聞くといい

ブラック・コンテンポラリーっていうのかな、近年のR&Bとかソウルとかって普段全く聞かないんですが、CD店で働いてた頃、そういうのが好きな男の子がよくかけてて、気に入ってた曲をやっと思い出した。トニ・ブラクストンの姉妹三人のBRAXTONS「slow flow」だった。鼻の人たちってことしか覚えてなかったんだけど(失礼)、今聞いても、サビがはじまるとこでぐっとくる。TLCの「diggin' on you」をピンポイントで好きだった気分とおんなじだ。

でもどんなときにこれを聞けばいいのかわからないのは、好きな音楽っていうのが、好みとかそういう頭の部分じゃなくて、根底は体の心地よいリズムとか、そういうとこに由来して「すき」があるからなんだろうなと思う。地元の友達の車に乗ってるとサ○ンばっかで、それが辛いと思うのもそうだ。嫌いというよりは、今何時なのかわからなくて落ち着かないような感じ。

コンビニとかで聞く分には気にならないんだけど、その差は音と面と向かっているかどうかってとこにあるんだろうな。

そういえば、今日、会社で横の人の机の上にi-podがあって、どんなの入ってるのか、すごく聞いてみたくなったけど、やめといた。人の家いってCD棚あさると失礼っていわれるようなもんかな、と思って。人生わりと長いけど、そのへんの距離感が未だによくわかんない。

2006-10-16

[] Live A Little/Pernice brothers

Live a Little

Live a Little

ジョーとボブのパーニス兄弟を中心としたPernice brothersのニューアルバム。今回はthe Scud Mountain Boys時代とPernice brothersのファーストアルバムのプロデュースを手掛けたMichael Demingがプロデュースに加わっている。そのせいなのか、この新譜は、なんだか原点回帰したかのような、清々しいポップ・ソング集になっている。2nd、3rdあたりで目立ったストリングス&ホーンは控えめになり、全体的な印象はやっぱりネオアコ。

コリン・ブランストーンやエミット・ローズなどのを背景に感じさせる、ジョーのやわらかく、すこしかすれたスモーキーな声で歌われる切なくてきらきらした歌。こんなに真っすぐな音楽を聞くのは久々でちょっとくすぐったい。

残念なのは、歌詞が良くて有名なのに、日本盤がなかなかでないことだ。あ、残念なのは私の英語力でもあるのか。

[] ワルシャワカポーティ

映画の公開にあわせて文庫化されたらしい、カポーティの「詩神の声聞こゆ」と「ローカル・カラー/観察記録」を読んでいる。二冊とも「犬が吠える」というサブタイトルがついていて、これはカポーティがアンドレ・ジッドに教えてもらった言葉なんだそうです。「犬は吠える、がキャラバンは進む」。犬でもキャラバンでもいいな。

で、「詩神の声聞こゆ」の方から読みはじめている。これはミュージカル「ポギーとベス」を冷戦下のソ連で興行する家庭のどたばたで、読んでいてとても楽しい。そしてカポーティの文章の独特さを、改めて思い知る。今日読んでだところはずっと汽車の中だったのだけど、密室だというのに、視線は饒舌に語り続ける。もってまわった言い回しも、意味が詰まることがなく、全ての語に意図があるというかデザインされているようなところがあって、今でこそある程度一般的になったノンフィクション・ノヴェルというジャンルも、カポーティのそれとは全く趣が異なり、アプローチが異なるのだなと思う。

しかし先月末に見たロシアの夢以来、http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060924/p3、ロシアのことを考えることが多いような気がする。レニングラードワルシャワモスクワ。それくらいしか知らない。ロシアって、どんなところなんだろうか。

ワルシャワ、といえば、サムオブアスはどこへ移転するのでしょうかー。

[] のだめカンタービレ

見てみた。かなり原作に忠実な感じで、好感もてるドラマだった。千秋はもうちょっと幼い感じのイメージだったけど、まああってるし、上野さんはピアノ弾く姿がいいなーと思った。お誂え向けなかんじ。エンディングのカーシュイン(だっけ?)も楽しい。次回も見ようかな。

[] 鉄分の客

通勤経路にファンケルの店があるので毎日鉄分ドリンクを買って広場みたいなとこでぼーっとするのがここんとこの日課になってる。どちらかというと「ぼーっと」のほうがメインなんだけど、鉄分不足は健康診断のたびに厄介な再検査になるので、これで改善できたら嬉しいことです。で、今日もぼーっとしながら、毎日こんなことしてたら、ファンケルのお姉さんに「鉄分の客」とか呼ばれるようになるんじゃないか、と思ったりもしたんだけどそれでとくに困ることもない。ただ、ダンキンドーナツミスドかで同じドーナツまとめ買いして「○○(ドーナツの名前)さん」とか呼ばれちゃう女の人の話をどこかで読んだことがあるのに、それがなんだったかさっぱり思い出せない。夜が早くて、7時すぎると寒い。週末になったらストーブ出そうと思う。

2006-10-15

[][] パーマネント野ばら/西原理恵子

パーマネント野ばら

パーマネント野ばら

周りで評判良かったので、久々にサイバラさんの漫画を読んでみた。

小さな村にひとつのパーマ屋さん「パーマネント野ばら」に集う、女性たちの、主に恋のお話。自分が「女性」であるということについて、つきつめて考えたことのない(あんま考えたくない)自分には、読んでいて堪えるようなところもあった。

スタジオボイスに掲載されていたよしながふみさんのインタビュー*1にあったみたいに、フェミニズム(と言っていいのか、性について、という意味で)について考えさせられるということは、時に体力のいることでもある。

ここに描かれてる女の人たちは、マグロ解体中の包丁で旦那を刺したり、別れた男に仕送りしたり、天気で旦那の命日を決めたり、むちゃくちゃなようで精いっぱい「女」でいる。しんどいだろうなぁ、と思う。そんな女性たちをすくうのは、恋人ではなく、好きな人に子供のころ飼っていた犬の話を聞いてほしいと思っていたり、どこかで持ち続けている「女の子」の部分なんじゃないかなと思う。

ええねん、わたしら若いときは世間さまの注文した女、ちゃんとやってきたんや/これからはわたしもあんたも好きにさせてもらお

そんでもやっぱ「どんな恋でもないよりましやん」って思えるとこが、たくましくてまぶしい。

[] お買い物

給料日でもないのに買い物をしまくる。

主に仕事用の、ということで、カフェオレ牛乳多めみたいな色のカーディガンと、黒プリーツの巻きスカートと、私服用にzuccaのボーダートップスやら、なんて具合にお財布がゆるゆる。靴も買おうかと思ったけどそれは次回にして、CD屋へ。新譜のまとめ買いと(Sparklehorseの新譜がどこいってもないのはなんでなんでしょうか/Amazonでいいか)高田渡のアルバムやら朝霧の流れで聞きたくなったポーグスのもってないのとか色々。買い物楽しい。けど荷物が多くなったので、本屋はやめておく。

買い物ついでに、お気に入りだったウエスタンブーツが瀕死なので修理にもっていったら、原価以上の修理代がかかってしまうことが判明し、一応諦める。気に入っていたので、悩む。

で、家に帰ってみれば、この前大掃除したはずなのに、また本の山ができている。週末に片付けようと思ったのに、弟と地球防衛軍やってたら一日が終わってしまった。急いで衣替えだけして、残りは来週にー。

2006-10-14

[] The Outsider/DJ Shadow

Outsider

Outsider

DJ Shadow待望の3rd。今回は「メジャー・レーベルらしい作品」を目指したらしいんですが、それを目指してしまうところが、この人の誠実さなのかしらと思う。

すでにあちこちで言われているように、今回のアルバムは、大御所ラッパーやKasabianのSergio&Christopherなどのヴォーカリストをゲストに迎えてることもあって、シャドウらしい「インストHip Hop」ではない。1st「Endtroducing..」の衝撃が忘れられない自分としては、あの特徴的なドラム使いや味のあるシャドウらしいサンプリングよりも、ラップやヴォーカルが全面に押し出されたこのアルバムは少し物足りない。でも、なんどか聴いてると、DJ Shadowならではの気の利いたドラムも控えめながらに健在

なのがわかるし、これはこれでバラエティに富んだ、聞いていて楽しいアルバムだと思う。で、その辺がUNKLEと比較されてんのかなとかも思いました。

#9「Artifact (Instrumental)」の高速ドラムなんて一曲取り出してみると高速メタルのようだし、実際その辺りからイメージがかわってくる。

個人的に驚いたのが、Chris Jamesをヴォーカルに迎えている「Erase You」「You Made It」。「Statelessの」って紹介されてたけど、StatelessってAndreas Saagの? Stateless聴いたことないのでその辺不明ですが、ともかく、この人がトム・ヨークに声がそっくりで。「Erase You」がRadioheadっぽい曲、「You Made It」はどっちかというとColdplayっぽい曲。特に前者はタイトルからして、トムを意識してるようにしか思えない。

[] 「自我」とか「主体」って何なのか

「世界をよくする現代思想」を読んでいて、もっとも気になった部分は「超越確実性言明」についての箇所だった。振り返って前に読んだ「<私>のための現代思想」の感想*1を読んでみたら、結局同じところでひっかかっていた。

ヴィトゲンシュタインは「自我の発生」を、「超越確実性言明」という概念で説明しました。超越確実性言明とは、「ある人間が、無根拠に信じている言明の束」のことです。たとえば「私は高田である」とか「私は考えている」とかです。これらを「命題」として疑うことは可能ですが、「無根拠に、それを疑わないと決めた」ことを「超越確実性言明」と呼びます。超越確実性言明はたくさんありますが、その「束」こそが「自我」です。p185

「自我」とは、「世界を引き受ける究極の要素」です。個々の主体が「世界を引き受ける」ことによって、もしくはそれによってのみ、「世界」が存在します。「主体」が存在しない以上、世界は存在しません。「引き受ける者」が存在してはじめてこの世界は「存在すること」になります。

しかしながら「主体としての自我」の存在は否定されます。なぜなら、自我とは「『私』という言語ゲーム」の中で発生する「機能」でしかなく、そのとき「主体」とは「『私』という言語ゲームを行っている何か」となるからです。p187-188

「「<私>のための現代思想」でひっかかっていたのは、この流れをわかってなかったからなのだと思う。が、その後に続く「「主体としての自我」の存在は否定されます」というとこは、やっぱりわからない。「超越確実性言明」の束が自我、というのは納得できるのだけど、「個々の主体が「世界を引き受ける」ことによって「世界」が存在するのに、なぜ「自我」は「主体として世界を引き受けるもの」になりえないのだろう。

そもそも「自我」とまとめられているものの中でも「属性」と「自我」は別個に思えてしまうのだった。そして他者なしに存在しえないのは「属性」のように思う。

他者としての私が人を見るときに知ることができるのは「属性」までだろう。「属性」には他者からみた私の「性格」なども含む。その「性格」だって、私がとらえているものと外がとらえているものとは異なる。そもそも自分にとって、自分の性格なんてどうでもいいのだ。他者と接するために、性格というのは調整していかなければならない(ときもある、という意味であって、調整が必要ないこともあるし人もいる)。しかし、私の知る「私の性格」もまた、私という他者によってとらえられる「属性」だったりする。私の吐く言葉は全て私の「属性」だったりする。そうやって自分を構成する要素のほとんどが「属性」だとしても、でもその網からもれる何かが、あるような気がする。ほんとに「人は属性が10割」(http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20060101#1136121159より) なのかなあ? と思う。なんで私はこの「属性」なのかと考えると、「主体としての属性」は否定されるような気がする。

私が私の世界をどう感じているか。それは私にしか理解できないことらしい、ということが、私にとっての「考えたいこと」だ。「感じているか」の方ではなく、「私にしか理解できないこと」があるのというところが、逃れられない何か、であるように感じる。もちろん全ての「私」にとって。

私が知ることのできる世界は「私の世界」であって、その風景をひとに伝えることができない。それはなんでなのか。「私の世界」は私がいる限りあるけれど、私がいなくなったあとにはたぶんない。それはなんでなのか。「私が生きている限り私が不死身」なのはなんでなのか。

とかね。考えてるんですが、何か欠落してる視点があるのかもしんない。

2006-10-13

[][] サムサッカー

監督:マイク・ミルズ

マイク・ミルズの長編初監督作品。自分は主に音楽周辺で目にしてきた、彼のデザインワークなどから想像してたものとはちょっと違って、静かな佳作という印象だった。

親指をしゃぶる癖をやめられない主人公が、いろいろ悩みつつ、いろんなものに依存してしまって、で、というのがおおまかなあらすじなのですが、最初は主人公ジャスティンのお話に見えていたものが、だんだんと「家族」の話であることに気付かされる。

大人/親になりきれない両親にジャスティンは不満を感じているのだけど、その両親もまた、ジャスティンと同じように、迷っていることがわかる。そして彼等は足りないまま、自分と世界を受け入れる。

ジャスティンの悩み自体は、実際の彼が結構恵まれているように見えることで、それほど深刻なものに感じられなかったのだけど、それは私がすでにそこを通り抜けてしまったからなのか、やめたい、という悩みに自分を重ねられないからなのか、わからない。

でも、人を悩ませる「誰かに認められたい」という願望をかなえることよりも、実は自分で自分を認めるということが、一番難しいのかもしれませんね、と思った。自分を認めることはあきらめではなく、希望なんだっていうラストが気に入った。

と、いちおう感想を書いてはみたものの、「S-killz to pay the \.」さんの感想がすばらしく、これ以上付け加えられません。

S-killz to pay the ¥. - Deep Thraot/Thought 〜サムサッカー〜

観た後に読むと、ぐっとくる。

[][] 世界をよくする現代思想/高田明典

つまり「現代思想」も「(現代思想以前の)哲学」も、「ものの考え方の筋道」を考えるという点では同じですが、「その目的によって、何が正しい筋道であるかは異なる」と考えるのが「現代思想」の特徴です。p30

として、現代思想がどのようなもので、どのような道をたどってきたのかを、分かりやすい文章で紹介した本。知らないことばかりだったけど、とても面白かった。

巻末にブックガイドがあって、そこにこんな言葉がある。

ある分野に関して「ある程度十分な用語知識や概念理解が得られた」後に、「この人と同じ頭になりたい」と感じる思想家を選びましょう。

(略)

この読み方で重要なのは「わからないところをそのままでは次に進まない」という「決意」です。p219-220

「ある程度十分な用語知識や概念理解」ができてる人の文章を読むと、すごいなぁと思うけど、それをどうやって身に付ければいいのかがわかんないし、自信ないので、そこはとりあえず(とりあえず)おいておいて、一人の人の著作を読み込む、ということはしたいなと思う。

例えばこの本を読んでいても、自分が気になる「概念」というのは結構限られているので、たぶん、そのあたりについて考えてた人を選べばいいのだろう。最初に興味を持ったのが永井均さんの本だったので、頭がなかなかそこから離れないのだけど、もう少し「言語」寄りのものを読んでみたいなと思っていたので、ブックガイドもとても参考になった。

そんなふうに、自分の傾向を見るのにも、適した本なんじゃないかと思う。楽しい。

世界をよくする現代思想入門 (ちくま新書)

世界をよくする現代思想入門 (ちくま新書)

[] 金曜日

金曜日のうれしさを、ありがたみを、すばらしさを、久々に思い出した。

終業30分前くらいから、にやにやしてしまう。明日は早起きしなくていいんだって。

仕事の後は、朝から決めてたとおり、映画を見に渋谷へ。

いわゆるギャルな子がDSやっててのぞいたらポケモンで、最初のポケモンはこの子の小学生時代だったりするのかなーとか思ったり、「えっ10時まで同伴いいの?」といってるカップル(というか同伴中)とすれ違って、そのあからさまな喜び方を微笑ましく思ったり、飲み会の集まりがそこここで輪を作っているのも、金曜日だと再確認できるようで、うれしい。でも、同時に来週歓迎会してもらうっていうの思い出して、ちょっと気が重くなる。自己紹介っぽい会話は、いつまでたっても苦手だ。猫かぶりっぱなし。

サムサッカーを見た後、バスの中で「依存」ということについて考える。是非ではなく、私は何かをやめたい、ということで悩むくらい、何かに依存したりはまったりしたことがあっただろうか? ないかもしれない、それって少し、寂しくないか、ということを。

思い当たることがひとつだけあるけれど、手に入らないものに執着することほど、疲れることはないと知ってから、意識的にそれを遠ざけているような気がして、これも不自由なことだな、と思うけれど、それ以外は私にとって執着しっぱなしで問題ないということでもある。

2006-10-11

[][] ひとかげ/よしもとばなな

ひとかげ

ひとかげ

作者自身によるリメイク、ということをしらないで買った。吉本がひらがなになったのも知らなかった。でも「とかげ」のリメイクだとしっていたら読まなかったかもしれないので、しらなくて良かった。

「とかげ」は最初読んだ時、あんまりすきじゃなかったのだ。でも、この「ひとかげ」を読んだら、なんですきじゃなかったんだろうって思った。巻末には「とかげ」も収録されていたので再読したのだけど、読み比べてみると、主人公ととかげは、まるで別人のように感じられる。そして私は「ひとかげ」にでてくるとかげのほうが、好きだ。

基本的な筋はかわっていないのだけど、「ひとかげ」では、「とかげ」で描かれなかった行間の思いみたいなものがきちんと文章に現れていて、この人だったら、こうするだろうなという仕草も、きちんと人物に沿うように書き直されている。この改訂を見ると、小説の中の「人物」も、ちゃんと生きているんだな、と思う。とにかく決定的な、とかげについての描写が変更されてるのが、しっくりきた。主人公の気持ちの移ろいも、言葉を継ぐことでずっと滑らかになっていて、物語自体に集中することができる。

彼女の手に触れることができたらもうなんでもする、神様!

でも、やっぱりここが、名場面だ。「。」が「!」になおされてるのも、重要。

[][] スノウブラインド/すぎむらしんいち

「ALL NUDE」+2編の新版。「ALL NUDE」は大好きな短編集で、構成も最高だと思っていたので、+2編(カラーページもなくなってる)ってと思ってたんだけども、読んでみたらやっぱよかった。ちゃんと「少女カメラ」がラストだし「ALL NUDE」がつながって収録されてるのもいいと思った。すぎむらさんの描く女の子のはだかはいいなぁ。

ともかく、読みごたえのあるお買得な1冊だと思います。すぎむらしんいちはすごいと思うし大好きなんだけど、身の回りに好きなひといないのがさみしいところ。

スノウ ブラインド (モーニング KC)

スノウ ブラインド (モーニング KC)

この短編集におさまってる話は全体的に雰囲気が似ていて、私の中では、福山庸治さんと押井守監督(というか御先祖様)を合わせてすぎむらしんいち節にした不条理劇ってイメージです。でも、ひとつひとつに関連性はなく、取り出してみると、単品でも際立って印象的なものが多い。特に時間軸の扱いとか、嫌みなく内に向かってる感じの欲望の描き方とか、舞台が混乱してく過程の勢いとかに独特の魅力があって、もっと短編かいてくれればいいのになって思います。

新しく収録されたものだけ感想かくけど、そのほかも名作だと思う。

パパが地球人を辞めた日

あやまって妻を殺してしまったことに、愕然とする男の背後で母親を探す息子。さて、男がとった行動は? というお話なんですが、これすごい良かった。「さよなら」のコマとか、すごいよ。短編映画にしてほしい。主人公板尾とかで。

でぶでば

女二人組の漫才師のお話。すぎむらさんが女性主人公(しかも美女ではなく)の話かくのはじめてみたかもしんない。けど、愛があるなと思った。女が笑いをとるのってむずかしいなーって思うけど、その難しさをちゃんと描きつつ、ラストうまくまとめたなと思いました。

[][] 働きマン安野モヨコ

働きマン(3) (モーニング KC)

働きマン(3) (モーニング KC)

アンテナから読ませていただいてるダイアリ(コチラ)で「モチベーションをあげるのに適した」というフレーズを読んで、そうだそうだと思って買って読んだ。今モチベーション不足してんだ。モチベーションドリンクとかあったら飲みたいくらいだ。やる気がないわけじゃないんだけど、奮い立たせたいのですよと思って、すがるような気持ちで読んだ。

面白かった。菅原さんはかっこいいなーと思った。でもやっぱこれ大きな会社の話だなーってしみじみ思う。働いても、あんまり働かなくても、よほどのことがない限り会社の外へ落ちることのないネットの上っていう感じの。だからこそ、モチベーションが必要なのだけど。

松方は移動になったらどうすんだろうな。いってもあそこは花形部署なわけで、ってそんなことは関係ないかもだけど、松方の彼の新二が言う「ヒロ見てるとできない自分がダメに見えて仕方がないんだよ」って台詞が身にしみるというか、そこまでがんばれないって、別にわるいことじゃないよと思う反面、望む仕事を目の前にして、希望とは異なる仕事をしてる人もいるんだよなぁっての、松方には想像する余裕はないだろう、とか。そんなこと考えちゃってちょっと落ち込んだ。でも菅原さんが部署移動してもがんばってるの見て、ちょっと元気出た。これは、単に似たような状況に惹かれる頃合いなんだってことだと思う。

[] 初心忘れないように

朝起きるのが想像以上に辛い。一日が短い。そして長い。眠い!

環境とか生活パターンとかに慣れるまでの数カ月は気が重いと思うのだけど、それでも上司やら同僚やら、いい人なんじゃないかとは思う。雰囲気も悪くないし。隣の席のおじいさんがめっちゃ美声なのも楽しいし(人見知り中なので会話しないので盗み聞きをしているのです)。

初日から担当任されるとかって、ちょっと面食らったけど、中途ってそんなもんなのかもしれない。どうなんでしょう。右も左もわかんないけど。ともかく、早く仕事覚えて、こなせるようになりたいのでがんばれ。で、余暇を楽しめる状況に、早くもってきたいな(結局それです)。

東京生まれのくせに東京の地理に疎いのだけど、こんどの勤務先はどうやら秋葉原に近いらしい。「秋葉に近くていいな」って弟がいっていたし。なれてきたら帰りに散歩してみようかなと思う。あ、秋葉って何区かもしらないや。

loomerloomer 2006/10/14 23:41 ご挨拶遅れてすみません。こんばんは。「働きマン」はモチベ上げ漫画として大変役立ちますよね。3巻は大分連載時より加筆されたみたいで、元のほうも読んでみたかったなあと思います。それと「サムサッカー」、意外なほどこじんまりとした(いい意味で!)秀作みたいで、早く観たいなあと思いました。

ichinicsichinics 2006/10/15 21:34 loomerさん、こんばんは。グループ日記のほうだったので、リンク貼っていいのかちょっと迷ってたのですが、コメントいただけてうれしいです。いつもおいしそう、とか面白そう、とかいろいろ参考にさせていただいてます。「サムサッカー」は、確かにこぢんまりしてるんですが、不思議と物語中に巻き込まれるような、よい映画だったと思います。

2006-10-09

[] 朝霧JAM ふつかめ

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起床

晴天。起き抜けの牛乳で富士山に乾杯。テント周辺で友達とだらだらしゃべりながら、ラジオ体操して、太陽のあったかさにびっくりして、太鼓聞いて。

f:id:ichinics:20061011001252j:image:h150 乾杯

クリス・ピアス

ムーンで二日目最初のビール片手に見る。よかった。サーフロックっぽい曲から、R&Bまで、きれいな声とギターで、晴天によくにあう。「Are you beautiful」って曲がなんか聞いたことあると思ったら、クラッシュのサントラに入ってたらしい。それから、アンコールの最初にやった曲がとても良かった。草原に良く似合う、気持ち良い曲。

Dachambo〜mojave3

クリスさん終わってから急いで戻ってちょっとだけDachambo。その後、舞茸ライス食べながらごろごろして、元スロー・ダイヴの二人がいるmojave3を聞く。なんかメンバーかわってた(と思う)。レイチェルさんがいなかった(よね?)。曲は、ちょっとカントリーっぽくなってたけど、やっぱりイギリスだねぇって感じで。とことん今っぽくない感じが新鮮でした。

V∞REDOMS〜さよなら朝霧

寒くなってきたので、上着をきこんでV∞REDOMS待ち。寒いので「温汁」っての食べる。おいしかったー。でもセッティングにトラブルあったのか、なかなかはじまらない。じっとしてると寒くなるのでちょっと辛い。

そしてようやくはじまったV∞REDOMS。トリプルドラムってだけで楽しかったんだけど、あのギター音はなんか音が膨張してる感じだったな。ああいうものなんだろうか。もう少しタイトな音のが好きだなーと思いましたが、ともかく圧巻のライブでした。

その後、バスにのって駐車場へ。近くにある友達の家に泊めてもらって、翌日観光してかえりましたがそれはまた別途。

ともかく朝霧、今年もめちゃめちゃ楽しかったです。朝霧のために、また一年がんばれるような気すらする。朝霧大好きだー。また来年!

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2006-10-08

[] 朝霧JAM 2006 1にちめ

前日の雨が嘘のように晴れた。いい天気に気分も盛り上がる。

友人四人と車で出発したのが朝の8時くらい。

東京を出て二時間。渋滞にはまって抜けられず、ナビの「そろそろ休憩してはどうですか?」なんてのんきな声に苦笑しながらのろのろと進む。

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結局会場についたのは14時半くらいで、先に現地入りしてた友達と合流し、クラムボンを遠くに聞きながらテントをたてる。

Ron Sexsmith〜ムーンへ

とりあえずビールを片手にRon Sexsmithをかぶり付きで見る。ロンさん。なんていい声なんだろう。あったかくてしっとりしててちょっとざらついて、猫の背中みたいだ。ビール飲み干してから牛乳ラーメンというのを食べる。牛乳っぽさはあんまりない、あっさりしたラーメンだった。ごちそうさま。

寒くなってきたので、上着をとりにテント戻ってから、ムーンにいって田中フミヤでビールおかわり。まじで寒い。寒すぎて焦りはじめる。

RYUKYUDISKOは外国人であるところの友達の旦那もおきにめしたようで、なんか楽しい。が、あんまりな寒さにたき火エリアへ移動。

ラムチャイ開始/そしてくるり

寒すぎるのであったかいアルコールを摂取しはじめる。レインボーのステージ横にあるお店のラムチャイ、二日間で何杯飲んだんだろーなぁ。くるりは「ワンダーフォーゲル」「ハイウェイ」くらいまでは前の方で聞いてたけど、その後後ろのたき火エリアに撤退する。すれ違った男の子グループの一人が「ジャスティス行こうよ! ねえ!」って必死だったのが微笑ましかった。ジャスティス。行けなかったけど友達の話ではめちゃめちゃ美形だったらしい。

たき火エリアでは寒さに負けた人が集って、火を凝視してる。時折暗い空に向かって吹き上がる火の粉を眺めてると、魂が抜けそうだ。くるりの下ネタ発言にブーイングが起きたあたりで、モツ煮をたべる。一味たくさん入れてかっこんだら、なんかちょっとあったかくなる。このへんでラムチャイ三杯め。

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マイケル・フランティからThe POGUES

マイケル・フランティさんは、よかった。できることなら太陽でてるときに聞きたい感じだったけど、ようやく体があったまってくる。

で、再びラムチャイ用意してThe POGUES待ち。初生ポーグス…! なんかもうって感じだった。人ごみのなかですっかり寒さなんて忘れて楽しんだよ。二曲うたっては引っ込むシェインの酔いどれっぷりは想像以上だったけれども、グダグダでもなんでも問答無用に盛り上がるんだから、もう。感無量だ。アンコール,アンコールでフィエスタです。知らない人と腕くんで踊ったり、あちこちで輪ができて、しあわせなきぶんだったなぁ。

もう寒くない

そんで踊り疲れてへろへろになったので、歯みがいて顔洗ってとっとと寝ました。寝るちょっとまえ、流れ星見た。太い光の帯が、落ちてく感じで、願い事するひまなんてなかったけど、きれいだったなぁ。

2006-10-07

[] 朝霧行ってきます

今日の東京はさんざんな天気だったけど、明日は晴れそうでほっとしてます。

地面が乾いていますように(テントはるから)

寝袋やらなにやら準備してたらもうこんな時間だ!

今日は「世界をよくする現代思想入門」を読み終わりました。感想は帰ってからあらためて書きますが、とても良い本だった。わかんないことたくさんあるけど、面白そうな入り口をたくさん教えてくれたような気がする。

2006-10-06

[] 美しさ

安倍首相が訴える「美しい国」という言葉を聞くたびに、違和感がある。

「美しい」という言葉は「良いもの」を指す言葉として使われているのだろうけれど、「(国を)良くする」にあたって、「美しさ」は、重要なことなのだろうか。

何を「美しい」と思うかは、人それぞれだけれど、生きるうえで必要とされる「感覚」のうち、たとえばおいしいとかやさしいとか楽しいとか、そういった「感覚」よりも、美しさは遠く、近寄りがたいところにあるんじゃないだろうか。そして、日常から遠いからこそ、珍しく、貴重な、贅沢なもの、というニュアンスを含んではいないだろうか。

わからない。でも、私が生活に求める「美しさ」の優先順位はそんなに高くない。それはめぐりあえたらうれしいものだけれど、「美しさ」のために、必要なものをあきらめる気持ちにはなれない。なぜなら、美しさは生活必需品ではないからだ。例えば、美しい家具よりも、落ち着く家具、美しい食材よりも、おいしくて新鮮な食材、美しい町よりも、安全な町が、生活する人には求められてるんじゃないのか(あくまでもイメージ、ですけど)。

だから「美しい国」という言葉を聞くたびに、国を運営するにあたって、美しさというあまりにも漠然とした価値観を提示するのはなぜなのだろう、と考えてしまう。

例えば、自然を守るために、ゴミ問題を考えなきゃいけないとして、なぜ自然を守らなければいけないか、というのに「それが美しいから」というのはなんかへんじゃないか。や、それが個人の意見ならばべつにおかしくないけど、それ以前に公の場ではルールを守る、というのが社会ルールだとされているはずなのに、美しさという個人の感覚を定義するのは居心地がわるい、し、美しくなくたって守らなければならないものはあるはずだ。

[] バンド対決

どこかの集会所。Rがバンドで演奏している最中に「じゃあこいつらのバンドにも演奏してもらおうよ」と司会をしていた男性がいい、セッティングがすすめられる。Rが歌っているのは60年代風のポップスで、衣装も曲調もかわいいのだけど、男性陣には受けが悪いみたいだ。

演奏が終わると舞台前方にあった低い敷居がひらき、「こいつら」といわれたマッシュルームカットの男性二人組がRのバンドの前に立って演奏をはじめる。コミカルな動作で場内が笑いに包まれる。が、Rのバンドも演奏をやめない。

二つの音楽が重なりあって、状況が混乱してきたところで、チャイムがなってみんな授業を受けに行く。正面の舞台が割れて、現れたのは教習所のコース。ここにいたのはみんな運転免許をとりにきている生徒だったようだ。

何の影響やら、さっぱりな夢だったけど、たぶん目覚ましがうるさかったんだと思う。

[] 美しさ、の続き

「大きな物語への不信」は、一時的な現象であると考えることも可能ですし、結局のところ「知性・理性」によって「理想的な社会を構築するしかない」というところに立ち戻る可能性は皆無ではありません。しかしその場合は「人間の知性や理性が。十分に信頼に値するものである」という確信に裏打ちされていなければならないと言えます。この「確信」は美しいのですが、間違っている可能性もあります。もちろん、「人間の知性や理性にたいしての疑念」は、醜いのですが、「正しい」可能性もあります。もちろん「最も好ましい」のは、「美しいものが正しい」ことですが、もしもそうでないとすれば、私たちは「美しくて間違っているもの」と心中するか、もしくは「醜いが正しいもの」と共に生きるか、という選択を迫られることになります。どっちも「イヤ」なのですが、この文脈の議論の限りではどちらかを選ばなくてはなりません。もちろんですがハーバーマスは「人間の知性・知性への信頼の回復」によって「よりよい世界を構築できる」と考えているわけですので、この議論のステージからは外れてしまっています。ローティがハーバーマスを批判するのは、その意味においてです。

「世界をよくする現代思想」p165

例えばここで「知性・理性」が十分に信頼に値するものである、という確信が「美しい」とされているように、美しさというのは、ある種盲目的な、疑念を排除したものであるように思う。

そうであればいいと思う。愛国心という言葉にしたって、愛されるということは「美しい」ことかもしれない。しかしそれは正しさではないし、強制されることでもない。何かの「美しさ」だって、そうだ。

そして国や社会が求めるべきものは、正しさ、なんじゃないだろうか。正しさを求めるためには、常に疑念をもたなければならない。盲目的に正しいと信じてしまったら、それはもう信仰なのではないか。

引用文とはあんまり関係なくなってきてしまった、けど、そんなことを考えてる。続きは帰ってきてから。

2006-10-05

[][] カポーティ

監督:ベネット・ミラー

小説家としても認められ、社交界でも派手な話題を振りまいていた頃のトルーマン・カポーティが、カンザス州でおこった一家惨殺事件に興味を持ち、ノンフィクション・ノヴェルという新たなジャンルを切り開くことになる『冷血』を書き上げるまでの日々を描いた物語。

「ノンフィクション」や「ドキュメンタリー」がいかにフィクションであるか、ということを改めて考えさせられる映画だった。

映画の中で、カポーティは殺人犯であるペリーに共感を覚え「自分は友人だ」と語りかけながらも、彼を利用し、彼の死によってもたらされる小説の完成を、待ち望んでいる。取材によって自らの想像をかきたてることで書かれ、観客の前で朗読される彼の文章は、ひたすら美しい。死者の顔にかけられた綿のことを、クリスマスツリーにつもった雪に例える*1などという、カポーティ独特の「表現」は、現実と摺り合わせたときに子供じみた残酷さをにじませてもいるのだけど、だからこそじつに魅力的なのだった。

刑務所の中にいるペリーにとってカポーティは、外とのほとんど唯一の接点であり、自らの友人として、拠り所に感じている。そしてその彼が、自分を題材に小説を書いているということ。それはペリーにとって、誇れることだったのかもしれない。映画ではそのように描かれていたと思う。しかしその友が書いている小説の題名が『冷血』であるということを知ったときのペリーの顔。「それは自分がつけたタイトルじゃないし正式なものでもない」と嘘をつくカポーティ

危うくて残酷で、しかし才能の固まりのようなカポーティと、彼以外の世界との間を繋ぐ点が「アラバマ物語」の作者でありカポーティの友人として知られるハーパー・リーの存在だったと思う。彼女を演じたキャサリン・キーナーは、すばらしかった。もちろんカポーティ役のフィリップ・シーモア・ホフマンも、ものすごい。「良心」というわかりやすいものを取り出すのではなく、常に利己的で、自戒すらも身勝手であるのに、カポーティは最後まで魅力的だった。

この映画を見て、改めて『冷血』発行当初、どのような形でそれが受け入れられたのか、知りたくなった。

関連

『冷血』の感想→ id:ichinics:20060829:p2

[] 雑然と宗教について

「極東ブログ:ペンシルバニア州アーミッシュ学校襲撃雑感」にて、ペンシルバニア州にあるアーミッシュの学校に銃を持った男が侵入し、少女三人が殺害され、犯人の男が自殺したという事件を知った。日本での報道は見ていないけれど、つい先日、アメリカの人と話をする機会があって、そのときなぜか宗教の話になり、「ローリングサンダー航海日誌」でディランアーミッシュの村へいく箇所を読んでからずっと気になっていた彼等の生活について、質問したばかりだったので、少し気になった。

話をしていた彼自身は家族ともにカトリックらしいのだけど、アーミッシュについても詳しく、説明の口調には、どこか尊敬の念のようなものが、あったように思う。

彼が言うには、アーミッシュの家庭に生まれた子供にも、宗教選択の自由はあって、16歳までは村で暮らし、その後に選択をすることができるらしい。しかしほとんどがそのままアーミッシュとして生きることを選ぶというのは、それを拒否したばあいに村から出ていかなければならないからだと思う、と彼は話していた。

彼自身はカトリックで、なにかのメダルのようなものを身に付けていたけれど、自分が本当に信仰してるのか、自信がないといっていた。親もカトリックだったから、自然とそうなっただけで、自分がどうなのか、いまいちわからない。アーミッシュのようなストイックな生活は、自分にはできないが、どことなくあこがれと言うか後ろめたさというか、その辺は英語がわからなかったのであれなんだけど、ともかくアーミッシュに対してはそういった複雑な感覚があるという。

その感覚は、日本の多くの無宗教の人に近いのかもしれない。どこかで神のようなものを信じてはいるけれど(切羽詰まって「かみさま!」と思ったりするような/ばちがあたった、と思ってしまうような)、それを宗教とは意識していない感じなんだろうか。

想像でしかないけれど、いつか、大きな宗教というものが自然と消えていくときがくるとしたら、世界はどんな感じになるんだろう。

想像してみても、フラットになるとは思えなくて、そうすると、大きな宗教っていうのはもう、宗教というより、習慣なんじゃないか。

[] ブログ

知り合いが「ブログやりたい」というので、とりあえず、エキサイトだとここ見てます、とか、ココログだとここが人気なので、参考にしたらどうですか、とか言ってたら「じゃあなんでそこが人気だってはかれるのか」って聞かれて、トラバとかアンテナとかブクマとか、そういうのって、いちから説明するとなると自分がどんだけよくわかってないかわかるものだなと思った。

その人はmixiでもコメントがずらーっとつくような感じらしく(みたことないけど)、それを外でやりたい、ゆくゆくは云々、と言ってたのだけど、はたしてそんなことは可能なのでしょうか。知らないので、とりあえず外で作ってmixiにインポートすればいいんじゃないですかね、と言ったんだけど、実際どうなんだろう?

よくわかんないですねー、ばっかり言ってたら「ブログやってんだよね? なんのためにやってんの?」といわれてしまった。ついに。

人に言われたことは素直に気にする方なので、何か目標でもたてようと思う。年末くらいには。

*1:文庫版p176

2006-10-03

[][] 「その街の今は」/柴崎友香

その街の今は

その街の今は

風景はただそこにあるものだけど、いつでも「見ることができる」ものではない。道ばたに座って、ぼんやりと目に景色を写していても「今そこを通った猫がね」と話しかけたら「見てなかった」と答えるような「見えていない」状態の方がたぶん多くて、逆にそこにあるものを注視しているからといって、風景をとらえているとはいえないのだと思う。

じゃあ風景を見るってどういうことか、と問われてもわからない。ただ私が「風景を見た」と感じる時は、たいてい目が体からはなれているような、いろんなものがいっぺんに動いていることが一枚の絵の中にあるような、そんな感じがする時のように思う。そういえば、この日(id:ichinics:20060903:p2)に考えてたのも似たようなことで、柴崎さんと保坂さんがセットでトークショーやったのも、腑に落ちる気がした。

この小説の主人公「ウタちゃん」は大阪の街の古い写真を集めている。この小説には、彼女の目を通した風景描写が多く、その視線を辿っていると、そんな「風景を見る」というときの感じを思い出す。

周防町の交差点を越えると、多少人通りが少なくなり、自転車は順調に進むようになった。とても広い御堂筋の向こうには、アップルストアの銀色の外壁が見え、林檎のアイコンが白く光っていた。振り返ると、UFJ銀行のサービスロビーが誰もいないのに、何台も機械を並べて明るかった。大丸心斎橋店の外壁はライトアップされ、古い煉瓦がいっそう暖かい色に見えた。オープンしたばかりのそごうは、波打つデザインの壁が青白く輝いていて、この場所が永遠に工事中じゃなくてちゃんとまた百貨店ができてよかったと、心から思った。その先に、ショーメとカルティエとクリスチャン・ディオールのあるビルが、おもちゃのガラスブロックみたいな壁の中からきらきらと光をまき散らしていた。その下を、仕事をしたり買い物をしたりごはんを食べたりした人たちが、どこか行きたい場所へ向かって歩いていく。

わたしは、この街がほんとうに好きだと思った。/p132

例えば、この部分を読んでも、大阪に土地鑑のない私は「この街が好きだ」とは思えないし、似たような風景として思い浮かべる銀座などを当てはめてみても「都会」だなというくらいしか思うこともなくて、さして魅力的な風景にも感じられないのだけど、この視線がこの街を好きだと思っていることはわかる。

風景だけじゃなく、人とのやりとりも「見る」という作業を通して描かれているこの小説には、あらすじとして取り出せるような物語はなく、ただ「ある」のだけど、見えたり見えなかったりする部分を感じながら、私のいるここと「そこ」が、地続きにあるような確かさがあって、そこが好きだと思った。

登場人物の一人が「純喫茶って、絶対ひとつはめっちゃおもろいことに遭うねん。そこが好きや」/p65 と言ってる場面があって、つい先日友達がまったく同じことを言ってたのも、おかしかった。今ブームなんだろうか。彼の影響で私も最近純喫茶に通ってる。

[][] 「La Quinta Camera〜5番目の部屋〜」/オノ・ナツメ

「リストランテ・パラディーソ」の感想(id:ichinics:20060607:p2)書いたときにkissheeさんに教えていただいたのですが、絶版になっていて…というのをやっと買いました。一緒に本屋さんいった友達の「イタリア留学したくなるよー」と言う一言でも勢いづけられて電車内で読了。「〜したくなる」漫画好きです。

LA QUINTA CAMERA―5番目の部屋 (IKKI COMIX)

LA QUINTA CAMERA―5番目の部屋 (IKKI COMIX)

舞台はイタリアで、四人の男性が暮らす家の「5番目の部屋」に留学生がやってくる、という連作になっている。最初の留学生、シャルロットは「リストランテ・パラディーソ」にでてくるニコレッタに似てるかな。家主のマッシモと迷惑な人気者チェレ、音楽が好きなルーカ、それからいつも眠そうなアルの暮らしは、四人でバランスとれてて、楽しげで、確かに読んでるとイタリア行きたくなる。とくにチェレの誕生日の準備をしているお話は、食べ物がたくさんでてきて、プレゼント渡して、ワクワクする感じがよかったです。

そして各キャラクターが魅力的だからこそ、巻末のスピンオフがまたぐっとくる。

[] 中華三昧

今日は行ってみたかった飲茶屋さん*1へつれていってもらった。またしても「愛がなくても〜」で紹介されていた店、らしい。いい加減に「愛がなくても〜」を読まなきゃなぁと思います。

食べ放題のお店なんだけど、全部が小皿で出てくるので少人数でもいろいろ食べれるのがいい。二階にある店の、開かれた窓の外にはパチンコ屋のネオンが騒々しく点滅していて、なまぬるい空気がなんとなく落ち着く。平日だからか比較的空いていて、いろいろおすすめしてくれたり、お茶を入れてくれたり、噂(リンク先とか)にきいていたよりはずっといい雰囲気の店でした。のんびり食べてようやくタイムリミット。デザートのウーロンゼリーがとてもおいしかった。ライチシャーベットもなかなか。お茶の種類も豊富で、凍頂鳥龍茶をいただいたのだけど、これもすっきりしててうまかった。

ただ、食べてる途中に思い出したんだけど、そういや昨日もぶらっと入った飲み屋が中華で、明日も、友達が働いてたホテルのランチ(中華)に行くんだった。なんだこの中華料理ブーム。おいしいからいいんですが、エビたくさん食べるとおなか壊すので注意しなきゃ。

満腹後は腹ごなしにビッグ行ってゲーム見る。どうぶつの森やめたいと思って新しいのを物色したけど特になし。苺ましまろのガチャとかやって、多分友達にひかれたような気がした…(どうですか)。だってばらスィーさんの絵好きなんだ。ジョジョのもやったけど一発でジョセフが出たのでおかわりなし。

2006-10-02

[] どうぶつの森

久々にログイン(id:ichinics:20060926:p3)してしまったのがアレで、また森に通っています。

今どうなんでしょうか、どうぶつの森。もうニンテンドーグッズ配布とかないのかな。遅い?

正直最初にやってたときはあんまり夢中になれなかったんですが(アイテム集めとかに興味ないほうだったので/だからドラクエ4もトルネコの章は弟にやらした)、妹と通信したら店がデパートになって、そしたら欲しいアイテムとか増えて、でも家が狭すぎるので、借金返しまくって家をでかくしたところ。

そんでせっかく雑草抜いたので、花とか植えたら、知らない色の花が咲いたりしたので、今は花の世話に追われている。株にも手をだしている。なんかのスパイラルに巻き込まれた気分。

あ、走ると埃が舞うと思ってたのは黒いのを踏みつぶしたせいだったみたい。おそろしい。

[] 夏休みが終わる(本当に)

来週から働くことになった。

日記に書いたことがあったかどうか忘れたけれど、夏のはじめに前の会社をやめたので、ことしの夏はまるまる、お休みしていた。遊びほうけていた。遊びながら、だらだらと部屋の模様がえして、ひぐらしやったり、本読んだり、人にあったり。休むと決めたのは、決めなきゃ休めないし、暑いし、っていう子どもみたいな理由だったのだけど、ほんとに楽しい夏だったので、休んでよかった、と思う。

九月の後半になったら活動するってのも最初から決めてたので、ここ最近は面接とかしてた。昔はどきどきしたけど、もうあんまりしない。普通な自分がおかしい。これが大人になるということなんだろうかとか思う。

それでも、好きな仕事で、腰を落ち着けてつとめたいと思える会社に巡り会えたときは、ほんとにほっとしたので、実は意外と緊張してたのかもしれない。

働きはじめなきゃ勝手はわからないけど、今日のところは、なんとかなるような楽観的な気分で、雨なのに、久しぶりに電車の中でうたた寝した。未だにレコード屋に未練はあったりもするけれど、なんとか、あたらしい仕事になじんでいけるといいな。

今週末の朝霧で、夏休みも本当に終わる。

そんで、休んでて思ったのは、休んでると日記に書くことあんまりないみたいだなってことでした。書いてたけど。今後は、生活時間帯をちょっとずらさなきゃいけないので、日記はできるだけ0時前に書くようにしようと思う。どんだけ日記書くの好きなんだって思いますが。好きみたい。

[] BLUE/Joni Mitchell

ブルー

ブルー

大好きなアルバム。夜がだんだんと早くなる、この季節にぴったり。

きわめてシンプルな伴奏、ギター、もしくはピアノ、時々控えめなパーカッションだけ、の上に乗るジョニの自由なヴォーカルライン。細く高く、ひらひらと舞わせたり力強い滑らかさで飛んだり、自在に操られる鳥のような声。体に馴染んだ椅子のような心地よさと、大きな木に吊るしたブランコみたいなわくわくする感じを両方もっていて、プレイヤーにのせるたんびに、気分をがらりとかえてくれる。

すばらしい曲がたくさんつまった名盤です。軽やかな「ALL I WANT」からはじまって、名曲「A CASE OF YOU」あたりのしっとりした空気になって終わるのもいい。

私の持っているアルバムのライナーは「恋多き女、ジョニ・ミッチェル。」なんて言葉ではじまっていて、私はこの文章が苦手だったのだけど、これを読むと、ジョニ・ミッチェルという人は、感情を風船にのせて、手には細い糸だけがあるような、そんな感じを「わくわく」と思える人、だったのかなって思う。

そういうの、私はいつからできなくなったんだろう。どっちかっていうと、大人しい犬の手綱を持っているくらいの感じが自分に近くて、あんしんしてるけど。

2006-10-01

[] 保坂和志柴崎友香トークショー@青山ブックセンター

ichinics2006-10-01

保坂和志さんの「小説の誕生」と柴崎友香さんの「その街の今は」刊行記念のトークショーに行ってきました。

主な目的は、保坂さんの話しているところを見てみたい、ということだったのだけど、実際に聞いて見てしまうと、イメージというのはどんどん消えていくもので、もともと思い描いていた人物像があったのかどうかも、わからなくなってしまった。

トークショーは柴崎さんのお話から。岡本太郎さんがメキシコで制作した「明日への神話」を見にいったときに、解説員の方が「この骸骨がわらっているのは、どんなときにもポジティブに生きていこうということを意味していて」なんていっていて、そんなこといったらあかんやんって、」と話したのに対し、保坂さんがそれを受けて道元いわく、座禅は悟りを得るための手段ではなく、座禅に打ち込むことそのものが悟りである、と」ということを返していた。

つまり「明日への神話」の解説としてあるメッセージのようなものを小説に求めるのではなく、書いてあることそのものに意味があるのだということを話していたのだと思う。それは最後に、見にきていた方からの「小説という言葉はなぜ小説なのだと思うか」という質問に対し「言葉の意味なんて考えなくてもいい/名詞からものを考えない訓練を積まなければ」と返していたことと、つながるんじゃないかと思ったりした。

保坂さんはわりと「断言」する方だったので、ときおり抵抗を感じる部分もあったのだけど、話しながらイメージが連なって続いていく感じが、文章であらわれている感じと重なっていて、面白かった。

それから柴崎さんの描く「会話」の話になって、かみ合い過ぎている会話の不自然さについて、聞いているときに思い出したのは映画「犬猫」だった。あの、心が余所にありながら、会話が続いていく感じが、柴崎さんの小説にはあるような気がする。それは自然なことであり、小説としてあらわれるのは希有なことだ。

「小説の誕生」と「その街の今は」は会場で買って、サインしてもらいました。保坂さんと間近で少し言葉をかわしたら(非常に手慣れてらした)、あーこの人も人なんだなとか当たり前のことを思ったりする。

しかし小説を書く人にとって、読者と相対するってのはどういう気持ちがするものなんだろうか。私が保坂さんの本を読む時は、いつもじっくり没頭してしまうので、親密な読書体験をした気分になるのだけど、その親密さはあきらかに目の前にいるこの作者の人とは別のところにあって(当たり前だけど)、作者の人は目の前に人として現れれば大抵は「知らない人」としての印象の方が強い。そうすると文章っていうものにも何かしら体のようなものがあるような気がする。

[] バイバイ/ムイボニータ

真剣な顔でバイバイ、と叫んでいる子供がいた。二歳くらいだろうか。バスの中でのことだ。母親の腕の中で活きの良い魚みたいに跳ねながら、バスを降りてもまだ、バイバイ、と繰り返している。車内の女性が小さく手を振った。つられて手を胸元に挙げた女性もいた。

その音を言葉として認識する私にとって「バイバイ」は別れの挨拶であり、だからこそ手を挙げるという仕草の意味もわかるのだけど、あの子供にとって、バイバイはまだきっと「音」でしかない。なぜそう思うかといえば、その音と表情や目線が一致していないからであり、そうすると言葉は音だけで成り立っているのではないのだと思う。

あの子供にとって、バイバイはまず、手を振ってもらえる合図としての音として認識されるのだろうか。そう考えると「音と意味が一致する」という法則を知るのはいったいいつになるのだろう?

「ラモンターニャエスムイボニータ」というのは今日友達にならったスペイン語のフレーズで、聞けばなんとなく「ラ/モンターニャ/エス/ムイ/ボニータ」なのがわかる。それは音に意味があるということを経験上知っていて、しかもそれを組み立てるときに、なんらかの法則があって当然だと考えているからなのだろう。

そういうことを改めて考えると、言葉というのは、道具なんだなと思う。トールキンが作り出したというエルフ語のように、もとはきっと誰かが考えて、使いはじめたものを、皆で使ってるなんて、よく考えたらすごいことだ。

そして、道具というものは、使い方があるものなんだなと、思う。だからこそ、風景や、気持ちや、使い道のないものについて、考えることもできる。ありがとう言葉。

言葉がなかったら、私は自分の思いを自分で理解することすら、できなかったのかもしれない。

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