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  □これまでの日記一覧

2006-11-30

[][] 大奥 2巻/よしながふみ

大奥 (第2巻) (JETS COMICS (4302))

大奥 (第2巻) (JETS COMICS (4302))

男女逆転大奥物語待望の第二巻。

1巻の中心は八代将軍吉宗の時代だったけれど、2巻では遡って三代将軍家光の時代が描かれている。家康、秀忠の時代を経て、謎の疫病が流行りはじめたことを切っ掛けに、初の女将軍が生まれるに至るその変遷が解き明かされるわけだけれども、これがまた、とても読みごたえのある一冊だった。

語り手となるのは院主となったばかりの美形の僧侶。彼の美しさもまた、物語の大切な伏線となっていて、面白い。

夢中で読みました。

そしてやっぱり、性別ということについて、考え込んでしまう。生まれ持ったものでも、らしくあるということは、どこかで求めるものなのかもな、という気持ちと、本当にそうだろうかという疑問と。

続きはどんな物語になるんだろうか。ものすごく楽しみです。

1巻の感想→ id:ichinics:20051005:p1

[] 肝試し

自動販売機の取り出し口に手を入れるのがなんとなく恐い。

それがなぜなのか、今日やっとわかった。

小学生の頃にやった、肝試しだ。

修学旅行で、先生がお化け役だった。竹やぶの奥にある神社まで行って、行ってきた証拠に、賽銭箱の前においてあるくじ引きの箱から1枚引いてくるっていうルールだった。

夜の竹やぶは無気味だったけど、みんな誰とペアを組むかに夢中だったし、私もまた、その頃好きだった男の子と一緒がいいなぁなんて、それなりに楽しみにしてた。

それで、結局誰と組んだのかはもう忘れてしまったけれど、先生のお化けがちっとも恐くなかったのは、みんなで文句を言ってその後に怪談大会が開かれたくらいだから、確かだと思う。(そしてその「怪談」のほうがずっと恐かった)

びびりな私も、肝試し余裕じゃん、なんて思いながら、さっさと賽銭箱の前につき、くじ引きの箱に手を入れたんだった。

そして自動販売機に手を差し入れるたびに、思い出す嫌な感じは、それだった。

こんにゃくだ。

くじ引きの箱の中には、こんにゃくがぎっしりと詰まっていたのだ。

思い出すだけで気持ち悪い。くじがこんにゃく。こんにゃくを持ち帰る肝試し。

今でも自販機に手を差し入れるとき、というか目の届かない場所に、手を入れるとき、その先にこんにゃくがあるような気がして、とてもおそろしい。

[] 会話ってむずかしいみたい

最近「俺が死んでも誰も悲しまない」というようなことをいうひとが身の回りに多い。そして私は、そういうのに、うまく返すことができないので困る。

今日のそれはわりと仲のよい友人だったので、悲しまれなくてもいいんじゃないの、と(わりと本音に近いことを)いってみたら、『そういうときは「私がかなしい」とかいうんだよばか』、とおこられた。けど、たぶんそう答えたところで、適当なこといって、とおこられる気がするし、私の歯も浮きまくる。

そんでも、別れた後に想像してみたら思ったよりずっと悲しかったし、そもそも誰も悲しまないってお前がいってんじゃんかって突っ込めば良かったのかもしれないけれど、結局は、私が期待されてる言葉を返せなかったってだけなんだろう。

そういうのはあんまり好きじゃない。けど、その気分は想像できるような気もして、言葉の真偽とか私の考えよりも、期待される言葉を返すことが、必要なときもあるのかな、とか、考えた。

2006-11-29

[][] 河岸忘日抄/堀江敏幸

河岸忘日抄

河岸忘日抄

「河岸忘日抄」を読むのには、何日もかかった。そして、その間ずっと、楽しいような悲しいような気持ちが入り交じっていた。悲しいのは、理解がおいつかないのに理解したいと思うもどかしさについてで、楽しいのは、それに対して「他人の発言にたいして「わかる」と意思表示をするのは、ある意味で究極の覚悟を必要としる行為であり、まちがっても寛容さのあらわれではない/p265」…などという言葉が浮かび上がって見えたりするからでもあった。

言葉を手繰り、編み込まれた文章をほぐし、また編み直しながら、ただそれを続けていくことが全てのような河の暮らしは、深く深く内側に目を向け、片側に光をあてることで死角となった「ほんとうのこと」を、そっと差し出し、またさらっていく。

そんなふうに集めた言葉を、情景を、声を、一枚の大きな紙に記録していけば、彼なりの天気図ができあがるだろう。そして、できあがったとたん、それは過去のものとなるのだ。/p263

しかし、それは言葉にして、思い出し続けることで、白い穴ぼこが重なりあい、まだら模様を更新し続けることもできる。その模様を「いったい自分とは、「私」とはなんなのか?/P264」という問いの答えととることもできるし、いや、模様もまた、片側だけでは足りないのだということと、とることもできる。しかしどんな答えだろうが、名付けた瞬間に掻き消してしまうかのようなあやうさと頑さがこの小説にはあって、そこがとくに、好きだと思う。

「わたしは自分の知っていたひとびとのことを、ゼラチンを使わずに思い出そうとしている。彼等にアスピックをかけもしないし、味のよい料理につくり変えるつもりもない。おいしい料理のほうが食べやすく、またより消化にいいことくらいはわかっている。しかし、誰もがその先どうなるかを知っているのだ」/p300

なりゆきまかせに動かぬ船上での生活をはじめた主人公が語る言葉の中には、口当たりのいい物語も、思い出にかけるゼラチンもない。けれど、幾重にも蓄積されたまだら模様の底には、人生を過ごすのにはあまりある問いがあり、それを辿るだけでも存分に贅沢な読書だった。

河岸に繋がれた船が、ゆらりとゆれ「舵柄を上手へ! 世界へ!」と叫ぶ。その瞬間のめまいのような感覚を、何といえばいいのだろうか。

2006-11-28

[] Born In The U.K./Badly Drawn Boy

Born in the UK

Born in the UK

1stアルバムの個人的で濃密な空気は薄れたものの、そこに漂う親密さはかわらない。EMI移籍第一弾となる新作は、Badly Drawn Boyことデーモン・ゴフの名を広く知らしめた名作「About a boy」のサントラあたりと地続きにある、甘く、柔らかな影のあるポップソング集。彼が良質のメロディ・メイカーであることを再確認できる。

もちろん、タイトルを見れば、ブルース・スプリングスティーンの『Born In The U.S.A.』へのなんらかの思いが込められているらしいことがわかる、し、実際BDBスプリングスティーンのファンなのだそうだ。が、私は恥ずかしながら未だにスプリングスティーンの音楽を聞いたことがない(どこかで耳にしてはいるだろうけど)。世代の問題かもしれないし、ただたんに盲点だったのかもしれないけど、これはなんというか、いち音楽好きとしては、世界史未履修とかいうくらいの空白なのかもしれない。ボスと呼ばれてるらしいというのは知ってるけど。そんくらいだ。すみません。

なのでそことの関連性についてはわからないのだけど、この「Born In The U.K.」というタイトルを冠し、青空よりも曇り空の似合うアルバムに込められているのは、彼の中に連なるイギリス的なる音の系譜、なのだと思う。タイトル曲「Born In The U.K.」のイントロにエルガー「威風堂々」が使われてるところからしても。*1

とはいえ「The Long Way Round」とかを聞くと、カート・ベッチャーやLeft Bankeなどアメリカのソフト・ロックを彷佛とさせるし、それはつまり、こういうことなのかなだと思う。

Then you see the union jack

and it means nothing

but somehow you know

that you will find your own way

it's a small reminder every day

that I was born in the UK

「Born In The U.K.」

ちょっとコステロっぽい「Degrees Of Separation」とか、リフレインが美しい「Without A Kiss」とか、すきだ。

[] 食べる幸福

私にとっての幸福は、満ち足りる状態の、一歩手前にあるような気がする。もしくは、幸せだということに気付かない状態。

食事の準備が楽しい、食事中も楽しい、食べ終わってからもまだ楽しい気分は続いている、が、数時間もたてば忘れたり、もの足りなくなったりする。

食事の幸福は、目の前の幸せに夢中になっているからこそ、「今幸せか?」という自問なんて行わない状態のことだと思う。終わる、と意識したときから、それは過去の幸福になって、また次のそれを待つニュートラル状態に入る。

その「夢中」を幸福とするのなら、空腹か満腹かはただ通過する状態でしかなく、その間にある漠とした状態の中の、食材を手に入れたり、おいしそうな匂いを嗅いだり、最初の一口を切り分けるときの、なんかこう可能性のようなものが見えた瞬間が、もっとも幸福の感じに近いんじゃないかなと思う。

もちろん「○○に比べたら、よっぽど幸福だ」なんていう言葉は、不幸(もしくは幸せではない状態)と比較してどうかという話なので、私自身の幸福と重ねて語るべきではない。不幸が「幸福でない状態」だとしても、幸福は「不幸ではない状態」ではないのだから、自分は自分の知っている幸せ以外について語ることはできないのだと思う。

参考:(http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20061126#1164517162

*1:ところで「威風堂々」は、昔「小公子セディ」の中の悲しい場面で使用されていたのを切っ掛けに、私にとって泣きのスイッチを入れる曲になってしまった/悲しい曲ではないんだと思うんだけど/でもどんなシーンだったか思い出せない

2006-11-27

[][] 「トゥモロー・ワールド」の終末観への違和感

映画『トゥモロー・ワールド』は、私の見聞きする中でもとても評判が良くて、その感想に共感するところも確かにある。曖昧な感想*1を書いたまま、でもなぁ、って、ずっともやもやしてた部分について、マトモ亭さんの感想がとてもうまく言い表してくれてた。

設定として、もう全世界で18年以上、子供が産まれてきてないって話しなんだけど、それ、すごい大変な事態じゃないですか?

(略)

ワス、そんな事態になったら、生きている人は、人生をまっとうさせる努力を始めると思うんだよ。

それなのに、なぜか、イギリスは移民排除(何の為に?)を強力に推し進める警察国家みたいになっていて、どうしてそうなるのかが良くわからない・・・

そんな事態になっても、そんな事態だからこそ、そういう管理社会が強固になるというなら、その『だからこそ』を描いて欲しかったし、いきなりそれを自明のコトとされてもなぁ・・・

http://d.hatena.ne.jp/./throwS/20061124#1164367493

そうなんだよなぁ。なんで「子供が産まれない」という事態が人を排除/攻撃する方向に向かうのかがわかんなかった。

例えば、「終末のフール」という伊坂幸太郎さんの小説*2では、8年後に地球に隕石が衝突する、と発表され、5年の間混乱が続いた後の、少し落ち着いた世の中を描いている。ここで「混乱した」世界があった、というのは想像できる。それは自分達の死に関わる事態であり、どこにも逃げられない、という焦り、恐怖が混乱に繋がる。でも、人はいずれ死ぬ。それならば、あらかじめリミットが定められていたとしても、その、ひとつひとつの生の重みはかわらないんじゃないかってことが、ほんのり提示される。

たぶん『トゥモロー・ワールド』にあったテーマも、それと近いものだったのではないかと思う。でも、そのテーマと、設定が、私の想像できる範囲から、少しずれていたような気がするのだ。

例えば、映画の中に「ここにあるものを、百年後には誰も見ない」というような印象的な台詞があった。これは、誰かに見られることによって、思い出されることによって、自分が「(死んでも)ある」という希望を、子供の誕生に重ねているのかなと思ったけれど、それなら、私は今そこにある、あなたの/自分の人生のことを考えたいと思う。

終末のフール」にも、子供が産まれる話があって、あと三年しか生きられない世界に、産むべきかどうかの葛藤が描かれている。子供だって、今ここにいる自分と同じように人生がある。その視点が、映画には欠けていたようにも思う。18年間子供が産まれていない世界を、最も恐怖しているのは、19歳の若者なんじゃないか。自分が最後の一人になるかもしれない恐怖。そして、その恐怖は、人を攻撃するだろうか?

そもそも、子供が産まれず、人類に未来がない、ということが、なぜ命を軽んじる方向に向かうのか。殺しあってる場合じゃないんじゃない?

本当にそんな未来があったとしたら、子供が産まれないかわりに、自殺防止どころじゃなく、今生きている人の生がコントロールされる管理社会に向かうんじゃないだろうか。

とはいえ、この映画を批判したいわけでもないのです。いろんなことを考える、いい切っ掛けになったと思うし、もっといろんな人の感想を、読んでみたいと思う。

終末のフール

終末のフール

[] ふらふらだ

ichinics2006-11-27

完全に風邪ひいた。でも月曜は打ち合わせがあるので休めない。というわけで土日の予定は全部キャンセルして(岩盤浴とか…ぱぷりか初日とか…)ひたすた休んだ。DVDとか、ゲーム(C†C、PS版2週目終了間近、で、また泣いた/盛り上がってyoutubeで関連映像を見まくる)とか、編み物とか。編み物は、フェルトの作り方勘違い→それじゃかぎ針編みで→目が減る→あきらめて棒針 ←いまここです。ミントグリーンと紺色にしたのは、実際に売ってたこの色のi-podケースが、かわいいなと思ったらすごい高かったので作ることにしたんだけど買った方が早かったかもだ。まあいいや。編みあがったら、これをフェルト化して作る予定。だったのだけど、既にマフラーなみの長さになっている。ぼーっとしてた。

風邪はまだなおりません。かっこんとうじゃだめか。というか休まずに遊び過ぎか。

throwSthrowS 2006/11/27 03:49 引用どうもありがとうございました。こちらこそ、映画の印象をうまく言い表して下さっている感じです、どうもどうも。

ichinicsichinics 2006/11/27 20:22 どうもです。勝手に長々と引用してしまい申し訳ないです。や、ほんと見終わってからずっと「違うんです!そうじゃないんです!」といいたい気持ちだったので…、throwSさんの感想読んで、ぐっときました。見習いたいです、

2006-11-26

[] ものを作る人/坂本さんについて

作品を作る人の中にも、いろんな人がいる。

自分と作品が一体になっている人、その人にしか見えないものを掘り出していくような人。感覚的/意識的という言葉のイメージに少し近い。さらに、そのスタンスとして、足りないものを埋めようとするやり方、不要なものを削ぎ落としていくやり方、を思い描く。これはなんだろうな、前者がスタージョンで後者がヴォネガットニルヴァーナと、ビートルズ、みたいな。

もちろんそれだけに分けられるわけではないし、その境界も曖昧で、どちらがいいとかいうことでもない(上に挙げた例は全部大好きなひとたちだし)。

ただ、そうやって頭のなかで分類しながら、先日(id:ichinics:20061124:p1)の坂本龍一さんの話を思い出してみると、極端に文字どおり削ぎ落としつつ、実は埋めているのかなと思えてきた。

坂本: (略)ある日、何かやってて、一緒にタクシー乗ってて、赤信号で止まった時に、僕がね、勝手に飛び出してって、そこにある牛丼を食べに行って。

牛丼屋があったの。そこに。ぱっと見たら。

おなかすいてたんで(笑)、タクシーに大森さんたちを残してさ、牛丼食べに行って。

糸井: くくくくく(笑)。

── それおいくつくらいの時ですか? 教授。

坂本: 26、7じゃないですかね‥‥。

糸井: ジャージ以下じゃないか!

坂本: (笑)。あ、そう、ジャージ以下。

食べて、また乗ってきたっていうね(笑)。

食べるの早いですからね。

http://www.1101.com/kyoju/08.html

一人でご飯食べてんじゃん、って話ですが、ともかく、こういうの嫌、美しくない、というので削いでいって、あの発言*1につながるのかなぁ、と思った。そしてそれは、坂本龍一さんの「掘り出していく」タイプの音楽(といっても私はそんなに聞いてないけど)にも現れてるとこだと思う。

でも、あのインタビューで話題の中心となっている矢野顕子さんは、差し引きを感じさせずに(インタビュー内でインプットが見えない*2といわれてるように)作品がそのまま自分の体になじんでいる希有な人だと思うし、彼等もそう評価している。そして、インタビューを読みすすめると、坂本さんはそれは自分に出来ないやり方だと考えて自分の方法を既に持っているのに、どこかその感覚的なあり方にルサンチマン的な感情を持ってるんじゃゃないかとかすごいうがったことを考えてしまった。

糸井: やだと思ってる人の方が、おもしろいですよ。

坂本: でしょう? そうすると、おもしろくなっちゃうとまずいんで(笑)、会わない。

坂本龍一って、インタビューとか読んだのはじめてなんですけど、もしかして、こういう人なの?

[] まだまだ足りない

それでも、たくさんの作品があるなかで、つい感情移入してしまうのは、何か欠けているところのある作品に多いような気がする。つい、と書くのは、基本的に感情移入する、ということにためらう気持ちがあるからで、またそれは作品の善し悪しや好悪とはまた別のところにある。

欠けているところがある、というのは別に不足だということではなく、その作品が何かを埋めようとするものであるという意味だ。もしくは欠落そのものが描かれているもの。

私は「足りない」という気持ちが好きだ。足りないところには、物語がある。向かうべき場所が、あるような気分になれる。

今日は風邪ひいて、一日中theピーズのライブDVD見てた。

そこにはいつも、たくさんの足りない気持ちがあって、それだから心強い、と思う。仰向けんなって降参しても、あっさり立ち上がれる図々しさを、まだまだ、もっと。欲しいと思って、背中がちょっとあったかくなる。

[] ギリジン

ラーメンの人たちについて、最近モチベーションがなんか微妙なとこにあったのですが、久々の本公演のお知らせはほんとうれしいです。チケットとれるのかなーって、それ考えると落ち込むけど。

で、ギリジンという名前を、最近いろんなとこで見るなぁと思っていたんだけど(気付くの遅! )、これ(http://www.youtube.com/watch?v=YaYGeonZcjA)だったのかー。ラーメンズmeetsビーマニ。いいなーこれ。ブクマ*3でも何人かの方がcapsuleっぽいと書いてますが、確かに、ぽくて好みです。かわいい。連続で13回くらい見た。

[][] BLACK LAGOON広江礼威

やっと買えたー。

BLACK LAGOON 6 (サンデーGXコミックス)

BLACK LAGOON 6 (サンデーGXコミックス)

今回はニセ札編とメイド編。表紙はロベルタ。ニセ札編はオールスター戦のような雰囲気で、登場人物がたくさんだったのだけど、一番かっこいいと思ったのはp21のシスターでした。ベニーのせっかくの見せ場があまり盛り上がらなかったのは残念…。まあ、銃撃戦に比べたらPCいじってってのは絵にならないしなぁ。どうしてもビバップでエドがベータビデオ探す場面とか思い出しちゃうけど、ベニーは天才キャラでもないしな。今後に期待。

メイド編はまだはじまったばっかりですが、はやくロベルタがみたいです。

2006-11-25

[][][] DEATH NOTE the last name

見ました。面白かった!!前編が個人的にはあんまり(id:ichinics:20060623:p2)だったので、どうしようかなぁと思ってたんだけど、kaienさんの「いいから見ておけ」という一言に背中を押されて見に行きました。ありがとうございます。

はっきりいうが、この展開を最もよく楽しめるのは原作の熱心な読者だろう。

原作の結末にいまひとつ納得がいかなかった読者にとってこそ、この映画版は傑作となると思う。細かな欠点をあげはじめれば切りがないが、ぼくにとっては満足のいく作品だった。

http://d.hatena.ne.jp/./kaien/20061120/p1

ほんとその通りだと思いました。

映画版デスノートには、原作とは異なる結末が用意されている。しかしそれは映画オリジナルのものというよりは、原作の別の側面だという印象の方が強い。つまり、そのままでもなく、逸脱するのでもなく、原作にあった要素を使って別の筋書きを描いてみせてくれた。これもあり得た、と思えるラストだったし、個人的には、とても気に入る結末だった。

もちろん賛否両論あるだろうけど、原作の延長線上にある、別の展開を見ることができる映画って、すごく贅沢で嬉しいことだと思う。

特撮風味

あと、今回、すんなり映画に入り込めたのは、映画がはじまって数分で、「これは特撮映画だったのか!」と思えたからでもあった。

映画を見るうえで、見る前の気分というのは結構重要だ。そして特撮ものというのは、独特の空気があって(言葉にできない)、そのスイッチで見ると、レムとかリュークとかの違和感はまるで気にならなくなるのだった。そういや金子修介監督作品なんだもんな。最初からそのテンションで見れたら前編もイメージ違ったのかもしれない。

月とL、夜神総一郎、ミサミサなど、いわゆる漫画的な人物造形も、とことん作り込んであってよかった。原作コマの構図をそのまま写し取ったような場面があちこちで散見できるところもうれしい。

楽しかった!!

[] Bill Frisell/Ghost Town

Ghost Town

Ghost Town

ジャズギタリスト、ビル・フリゼールがその長いキャリアを経て、はじめてリリースしたソロ・ギター・アルバム。といってもかなり前に出たものなんですが、最近またよく聞いている。

オリジナル曲とともに、カヴァー曲も5曲収録されているのだけど、全体の仕上がりはあたかも一連の風景のような仕上がりになっている。肌触りの良い音。空気がひんやりと吹いて、息をひそめ、また流れることで輪郭が描かれるゴーストタウン。そこにギターしかない、ではなくて、ギターでいっぱいだと感じる音。

特に、バンジョーで演奏されている「When I Fall In Love」がすばらしい。ナット・キング・コールが歌っていたあれです。

秋から冬にかけての、鬱々としつつ清々した気分にぴったりなのかどうか、わかんないけどいいアルバム。読書のともにもいい感じ。「幽霊たち (新潮文庫)」をおすすめしたいところです。

[] はてな夢日記/眠り

眠い日は、現実と夢のマーブル模様に漂っている。眠るとき、ほぼ確実に夢を見ている(と記憶している)私は、眠りに落ちると意識しはじめた頃にはもう夢を見ていて、例えば今日の帰り道の電車の中では、電車の外の風景を想像し、暗闇の中に走る線路が宙に浮いて、送電線との隙間に静電気が走るとピカチュウが現れて、ピカチュウきみにきめた! とかそんな台詞を叫んでトンネルを抜けるとそこは降りる駅だった。ピカチュウというのは、向かいの席の小学生が二人でDS通信しながらポケモン談義に花を咲かしていたからなんだろうけど、エスカレーターにのって改札へ向かうくらいまでは、まだ隣にピカチュウ的な何かがいるような気分で、それはそれで楽しいのだけど、眠りから体を引きはがすよりは、落ちるときのほうがずっと気持ちがいいので、本当はそのまま終点まで乗ってしまおうかと思っていた。

これから夢日記かくときは、はてな夢日記のキーワードを使わせてもらおうと思ってます。そんなに書かないと思うので、自分の日記のカテゴリをどうするかはまだ考え中。

2006-11-24

[] 生活感がない

あのね、僕はね、

ちょっと音楽に関係ないんですけど、

ジャージをはいてる人が嫌いなんです。

http://www.1101.com/kyoju/03.html

ジャージをはいてる人、一人で食事をする人、お客にアルバムを見せる人、それらの行為は、境がわかってない、生活を露出させてる感じがするわけで不愉快だという坂本龍一さん。

電車で化粧とか、そういうのもこの範疇に入るのかもしれないけど、それにしたって多くの人が反応*1しているように「ひとりで食事」はカテゴリ違うよねと思う。疑問に思ったことすらなかった。でもそれを言うなら、例えばファミリーレストランのファミリーの方が生活の延長線上にあって、そしてそれは正しい利用方法なんじゃないのか。まあ教授はファミレスいかないんだろうけど、そもそも食事は生活だしなぁ。ジャージの話にしても、例えばデートに部屋着ジャージだったらガックリくるだろうけど、コンビニにいる他人のことまで、そんな気にならない。「だらしないなぁ」と思うことはあるだろうけど、ジャージを理由に友達と「絶交した」という坂本さんの極端さはこわい。どんな生活してるんだろ。

芸術家だけに美的感覚の問題なのかもしれませんが、それってつまり他者の生活のリアルを見たくないってことで、なんかちょっと屈折したものを感じた。美しい国とかいう言葉でも思ったけど、他人の美的感覚を押し付けられることほど不愉快なこともないわけで。

ミュージシャンが逮捕されて怒って「もう聴かない!」とか言ってる人、わけわかんねーなんか曲変わったのかよ!?って思ってたんですけど、いまその気持ちが分かった。

http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20061123#1164291823

好きな作家とかミュージシャンとかのエッセイとか読むのためらうのは、こういうことってやっぱあるからだよなーと、思った。

以前「作品は好きでも作者に対する愛情があるかっていうと、ないかもしれない。エッセイなどを読んで、もっと好きになることもあるけれど、エッセイやインタビューでの発言は好きじゃないないな、同意できないな、と思うこともある。でもだからといって、好きだった作品が嫌いになったりはしない」……というようなきれいごとを書きましたけれども、(id:ichinics:20060207:p3)それはむしろ、好きな作品を嫌いになりたくないので、エッセイやインタビュ―を、遠ざけている、という方が正確かもしれない(もちろん、このひとは大丈夫だ、と思ったら積極的に見聞きするけど)。そして、あれを書いた切っ掛けは、そういえば矢野顕子さんの発言だったんですよね。坂本龍一にはあんまり興味ない(戦メリは最高だと思いますが)けど、矢野さんはずっと好きで、でもたまに、ぐさっとくる発言を目にするから、見ないでいたい人でもある。それは、問い返せない相手だからというのもあるんだろうな。

実は先日も好きな作家のサイン会にたまたまいきあったので、もらってみたら、名前についてつまんない冗談いわれたのがかちんときて、せっかく買った本読む気なくしたんだった。

追記@11/24/22:30

それでも、この対談を最初から最後まで読んでいくと、坂本さんが言いたいのは「でもそんな自分が嫌い」ってことなのか、それに無自覚なのか…? と勘ぐりたくなる感じです。まだ完結してないからわからないけど。ともかく、真に強く、発言が刺さるのはやはり矢野さんで、私が未だに忘れられないのは、「才能」についての話だったのですがそれは元の文が見つからないのでいつかあらためて。

書きっぱなしの文ですがブクマいただいてたので追記にしときます。

さらに続き(http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20061126/p2

toukatouka 2006/11/24 17:03 私も昨日他のサイト経由で読んだんですけれど、なんか知らん、めっちゃムカッと来ました。
なんでだろ?糸井重里は対談のプロで、対談相手からいいなあって思えるエピソードや思いを引き出す技量にたけていますが、それに慣れてしまって、読む前からいい話を当たり前のように期待していたのが原因かもしれない。
糸井の対談で重要なのは、なによりもセッティングなんだなと思いました。糸井の弟子(?)の風のように永田がファミ通で連載していた対談「ゲームの話をしよう」は、読んでいて何度も涙ぐんでしまった素晴らしい対談集でしたが、語るべきものを持った人に正しく語らせているからこその感動だったのだと思います。しかし、今の坂本龍一がなにを語るというのか。
この対談をもって私の中の坂本龍一は完璧に終わりましたが、最近行方不明だった彼の処遇を一発で確定してくれたという意味で、やはり糸井重里は対談の名手だと言えましょう。

体内回帰とハートビートリミクシーズが好きで、今回の騒動があっても曲自体を嫌いになるということはありませんが、とりあえず坂本龍一が死んでその作歴が完結するまでは、現在生きている坂本龍一とはまったく無関係に独立したCDになると思います、私の中では。

ichinicsichinics 2006/11/24 22:32 toukaさんこんばんは。
私もこれ書いてから、なんでムカっとくるのかなーと考えてたんですが、私が一番ひっかかるのは、糸井さんに対して「わかるでしょ?」と問いかけてるとこなんだと思います。や、二人の関係でわかるでしょ、はいいんですけど、公の発言で、そこを言語化しないで「不愉快」と切り捨ててるところに、かちんときてしまうんでしょうね。
でも「曲自体を嫌いになることはない」というのは、実は最大級の好きなのかもなって、思います。

2006-11-23

[][] トゥモロー・ワールド

(ネタばれあります)

監督:アルフォンソ・キュアロン

人類が生殖能力を失い、子どもが生まれなくなった世界で、鎖国しているイギリスの物語。

見に行こうとおもった最初のきっかけはこちら(http://movie.maeda-y.com/movie/00831.htm)の記事(ネタばれありです)だったのだけど、この記事の中で触れられているシーンにしろ、冒頭のワンカットワンシーンにしろ、銃撃戦にしろ、ものすごい迫力で、確かに圧倒され、何度も息をのんだ。

でも残念ながら、物語はよくわからなかった。

まず、「子どもが生まれなくなった」世界はなぜ鎖国しなきゃいけないほどに混乱しているのか、というところから不思議だった。絶望的な未来だというのはわかるけれども、いったい、彼等は何を奪い合っているんだろう*1。映像を見ていると、人間以外の動物には「正常に」子孫が生まれている。それなら、これは「地球のおわり」じゃなくて、種としての「人」の絶滅を問うべき状況であり、だとすると、この世紀末的な/人をまるで海に飛び込むレミングのように描くやり方には違和感があった。この設定だからこそ、むしろ語るべきことを他に、個々人の物語に、期待してしまって、テロや紛争というのが用意された仕掛けに思えてしまったのかもしれない。

そんなことを考えながら、あの8分間のワンカットワンシーンに遭遇した。それはドキュメンタリー映画でよく目にするあの一人称の追い方ではなく、銃撃戦の中を移動する主人公を追うことで、これがとても複雑で精密な「仕組み」なのだということを示しているように私は思った。

[] シークエンス

場内が明るくなると、立ち上がった人々はそれぞれに手近な扉へ向かい、また同じエレベーターの前に集まり、乗り合わせて沈黙し、その扉が開いた瞬間に流れ込む笑い声に、数人が顔をそむけ、また数人は足早に町へと消える。私は最後、笑い声と入れ違いにエレベーターをおりて、横断歩道へと向かい、知らない背中の後ろで信号待ちをする。静止している私の後ろでは、行く川の流れは絶えずしてところどころに淀み、飲み会、キャッチ、携帯電話、ため息、舌打ちの入り組んだ流れは信号が青になると同時に散開する。タイミングを逃した私の背に人がぶつかり、私はおざなりな会釈とともに道の端に寄ることで、道の向こうにある書店に向かうことにきめる。

そんな些細な風景も、実はいくつものシーンが重ね合わさったシークエンスであり、場面は全てそうやって出来ている。それを「仕組み」といってもいいし、「奇跡」といってもいいけれど、それを「場面」としてとらえること、あの頭上が明るく空と足下の暗い風景を切り取るということは、その後にしかなくて、そしてなくてもよくて、流れてしまった数多くの風景は、存在しない。

名前をつけるということは、そこにとどめることなのかもしれない。「場面」にすることも、写真をとることも、物語にすることも。まず最初に意識がそれを見つけることで、存在するのかもしれないと思った、映画館からの帰り道。

[][] 群青学舎 1巻/入江亜季

群青学舎 一巻 (ビームコミックス)

群青学舎 一巻 (ビームコミックス)

「コダマの谷」*2も良かったけど、この本は1話めからうっとりしてしまった。

一部連作もあるけれど、基本的には1話読み切りの短編集です。舞台も人物も雰囲気も、ばらばらなんだけど、やっぱりセンスが良さなと思う。

蟲師のような雰囲気の話もあれば、「ピンク・チョコレート」は戸田誠二さんぽいお話。「アルベルティーナ」は小椋冬美さん的な、なんて、こう、エッセンスを凝縮して場面を物語にするような作印象は、ちょっぴりプライベートな感じもするのだけど、完成度はあまりにも高いってとこが、独特だなと思います。

1話め「異界の窓」がとてもいい。

*1:そこが謎だったので、もしかしたらオチはイギリスこそが檻に囲われてたんでしたということなのかと思ってたけど、妄想し過ぎだった。

*2http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060930/p2

2006-11-22

[] CUT12月号「CUTが選ぶ日本のアニメ映画ベスト30!」

Cut (カット) 2006年 12月号 [雑誌]

Cut (カット) 2006年 12月号 [雑誌]

「アニメは以前より大衆化された」といっていいはずなのだが、実際にはそれほどの構造変化が生まれたわけではなく、むしろ一部の先鋭化するアニメと世間一般との距離はさらなる広がりを見せている。

つまりアニメは、一方では身近になり、一方では実に遠い存在になっているのだ。

(略)

CUTはこの機会に日本のアニメ映画を総括する。そして日本のアニメ映画ベスト30を選出した。とはいっても、当然アニメの専門家たちとはまったく違うアプローチになっていて、このランキングはいまぼくたち映画オタクの目線から観て、おもしろいと思える作品に焦点を絞った素直な結果である。

という趣旨の特集だそうです。そんなに遠いか…?

ベスト30のラインナップはこんな感じ。

  1. 風の谷のナウシカ
  2. 機動戦士ガンダム3部作』
  3. 新世紀エヴァンゲリオン 劇場版』
  4. GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊
  5. 天空の城ラピュタ
  6. AKIRA
  7. ルパン三世 カリオストロの城
  8. 宇宙戦艦ヤマト 劇場版』
  9. もののけ姫
  10. となりのトトロ
  11. 千と千尋の神隠し
  12. 火垂るの墓
  13. ハウルの動く城
  14. うる星やつらビューティフル・ドリーマー
  15. 銀河鉄道999
  16. 紅の豚
  17. 魔女の宅急便
  18. 機動警察パトレイバー 劇場版』
  19. クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』
  20. 時をかける少女
  21. 人狼 JIN-ROH』
  22. 王立宇宙軍 オネアミスの翼
  23. PERFECT BLUE
  24. マインド・ゲーム
  25. 銀河鉄道の夜
  26. 超時空要塞マクロス 愛、おぼえていますか』
  27. あしたのジョー
  28. MEMORIES
  29. 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者
  30. 鉄コン筋クリート

ラインナップは普通。「映画」に限ってるから選びにくいんだろうとは思うけど、宮崎駿押井守が多すぎる(仕方ないにしても)し、無理矢理なのも多い。『ハウル』を入れるんだったら、せめて『東京ゴッドファーザーズ』とか(今さんは「パーフェクトブルー」が入ってるしあれもいいけど)『パルムの樹』とか…ドラえもん何かとか。あってもよかったんじゃないかと思いました。それから、発売時点ではまだ公開されてない『鉄コン』を入れてるってのもちょっとひっかかる(じゃあパプリカはどうなのって感じだし)。

それでも、確かにこれは、特にアニメ好きの人でなくても楽しめるスタンダードなラインナップだとは思う。

「あれ入ってないじゃん」と思うのはたいていOVAだったりTVシリーズしか見てなかったりTVシリーズありき、の作品だったりする。そもそも「日本のアニメ映画」自体、それほど多くは作られていないんだよな。そうい意味ではまだ「全部見る」ことが可能なジャンルであり、同時にアニメ制作の主な舞台は映画ではない(とりあえず、いまのところ)ということなのかもしれない。

それから、今足りないのは、むしろこのCUTランキングと、CUTのいう「一部の先鋭化するアニメ一般」との間を埋めるようなガイドなんじゃないかと思う。埋める必要はないかもだけど、私はその辺が知りたいなー。

[][] BLACK LAGOON2〜5巻/広江礼威

買った! 読んだ! 面白かった!

これは久々のヒットだ。わー。でも最新刊が売り切れてたので、明日探しにいかなきゃなんない。ああ、でもあと1冊か。それ読んだ後、どんだけ待つんでしょうか。

1巻はほんと冒険活劇序章って感じだったけど、ロベルタ出てきたあたりからちょっと独特の雰囲気になって、2巻読みはじめたらメイドいなくてあれーと思った。なるほど、いちおうあれは「ロベルタ編」だったのかと了解する。

2巻は双子編が面白かったです。スカート翻して機関銃がいいです。3巻は張の旦那が最高です。#16のレヴィと背中合わせのとことかはジョニー・トー映画みたいだと思った。むしろ「男たちの挽歌」かな。全体的に香港ノワールのにおいがする漫画でうれしい限りです。最近足りなかったのはハードボイルドだと思った。

で、3巻終盤で登場して4巻表紙のシェンホアも良い。でも4巻は#27にしびれました。そして5巻。今までずっとロックはよくわからないと思ってたけど、はじめて良いかもしんないと思えた。ほとんどの登場人物が、それぞれ全く異なる行動規範やら価値観に基づいててんでに走ってく中で、相手について思いを馳せ逡巡するロックの存在が、物語を物語にしているんだなとか思った。でもレヴィと云々な展開にはなってほしくないな…と思う。

BLACK LAGOON 5 (サンデーGXコミックス)

BLACK LAGOON 5 (サンデーGXコミックス)

[] アブラムシと、ウニ

昨日あたり、どこかでアブラムシはクローン虫で、アリと共生しているがアリはアブラムシを殺し過ぎない、という話を読んだのだけどどこだったかわすれた。思い出せない。ブラックラグーンかと思ったけど見つからない。他に読んだ文字と言えば「河岸忘日抄」とエロティクスFと、ネットと、スピリッツとくらいなはずなんだけど、全然思い出せなくて自分がこわい。テレビだったりして。

【追記:思い出した。スピリッツの「電波の城」だった/すっきり】

ウニの遺伝子の数は人間と一緒というのは日本のスイッチだった。聞いた瞬間おーと思ったけど、遺伝子って「数」が問題なんですか? ということからわかんないので、あんまり驚けないのが残念だ。

2006-11-21

[][] BLACK LAGOON 1巻/広江礼威

おもしろーい!!

好きな方には何を今さらだと思いますが、やっと1巻買って読んだ。最近、「カウボーイビバップ」好きならとすすめられて、書店行くたびに気にしてはいたんだけど、前半の巻が売り切れてることが多くて、ほんとやっと。でも3巻売り切れてたので明日探さなきゃ。

BLACK LAGOON 1 (サンデーGXコミックス)

BLACK LAGOON 1 (サンデーGXコミックス)

サンデーGXに連載中の漫画で、運び屋「ラグーン商会」の魚雷艇ブラック・ラグーン」に乗り込むメンバーを中心に描かれるアクション満載の冒険活劇、なのかな。とにかくアクションシーンがかっこよく、コマ割りのテンポもリズミカル。WHITE ZOMBIEの「Electric Head pt.1」*1が引用されてるシーンとか、動いてるみたいで興奮する。あとロベルタ。ロベルタいいなぁ。

カウボーイビバップ」を彷佛とさせるのは主にそのキザな台詞まわしと、メンバー構成で、船長ダッチは「食らい付いたら離さないブラックドック」であるところのジェット、で、ちょっと影が薄いベニーはエドかなぁ。メカニックってことで。あ、むしろアインかな。2丁拳銃のレヴィはフェイといいたいとこだけど、フェイと素子を足して割った感じか。や、あんなクールじゃないけど。一応主人公と思われる緑郎がロックと呼ばれるとこではちょっと笑ってしまいましたが、スパイクではなさそう。とまあ、別にそんなににてるわけじゃないんですが、それはそれとして、おすすめされた理由はよくわかりました。そしてナベシンさん(渡辺信一郎の方)がアニメ化してくれたらいいのにーと思ったけどもうアニメになってた。そりゃそうか。

ちょうど最新刊がでたとこらしいのもうれしいです。たのしみ。

[] そろそろ年末

会社で冬休みの日程を教えてもらったら、一週間しかなくてがっくり。でも今週木曜日休みだと思い出して嬉しくなる。連休もいいけど、休日の前日が増える飛び石連休も好きです。でも、行きたいとこややりたいことがどんどんたまってしまうな。これ(http://www.5carnets.com/pop_expo.html)も行きたいし。久しく触れてなかった人たちの、久々の本公演とか、年末のザゼンとか、年末進行の真っただ中にチケットとってしまったボノボのライブとか、食べにいきたいと思ってたお店とか。年末は楽しいけど、バタバタするなぁ(遊んでばかりだけど)。

そんで昨日から、フェルト作ろうとして勘違いして買った毛糸、を、再利用するために編み物をはじめました。なんか間違ってる気もするけども。10年ぶりくらいにかぎ針とか使ってみたたら、あっという間にこんな時間。…たのしい。でも難しいなぁ。なんでか丸は編めるのに四角だと目が減ってしまう。不器用。

*1:でも個人的にはpt.2のが好きだったと思う

2006-11-19

[][] 秋の日は釣瓶落とし/岡崎京子

秋の日は釣瓶落とし (アクションコミックス)

秋の日は釣瓶落とし (アクションコミックス)

アクションに掲載された2作品の初単行本化。

岡崎京子のすごさ、そのワン&オンリー感というのは、あまりにも語られすぎていて、考えにくい。「岡崎京子」という名前が、まるで何かの代名詞のように、その意味を改めて思い出すことすらなく歴史に馴染んでしまっているように感じる。

私も、岡崎京子の漫画はすごく好きで、今読んでも面白いなぁと思う作品は多いのだけど、何がそう思わせるのかは、よくわからない。ただ、熱心に読んでいた中・高校生の頃の読み方が、今はできなくなってしまったような気はしていて、それはたぶん、岡崎さんが時代というものを意識して、反映させながら作品を描いていたからこそなんだと思う。

この「秋の日は釣瓶落とし」は、たぶん過労死という言葉が出てきはじめの頃の作品で、佐川急便が云々という話もでてきたりするので、ああ昔の漫画なんだなぁと気付くけれど、それ以外の部分では、古さを感じさせることもなく、ただ岡崎京子の漫画だなと思う。すべてがいっぱいいっぱいになって、表面張力がくずれて水が溢れる、その瞬間を甘美に描くことがとてもうまい。いつもどおり祖父江慎さんによる装幀もさえていて、後半、舞台が暗転して後の紙色をかえているところなんて、気の利いた演出だなと思う。

けど、何かもの足りない。3話で序破急の構成は、少し急ぎすぎてるような気もする。それはつまり、その甘美な壊れ方にぐっとくるからこそ、もっとじっくり見たいなということでもあるんだけど、でも、「もの足りない」と思うのはむしろ、時代と結びついていたはずの、作品中にある空気を、私がもう感じ取れなくなってしまっているからなんじゃないか。

もちろん、すべての作品をリアルタイムで読んでいたわけではないし、この単行本に収録されてる作品は、初めて読むものだったというのもあると思うけど、「空気」の有効範囲みたいなものを意識したのは今回が初めてだった。学生の頃には、ピンとこなかった「時代」とかいう言葉が、振り返ってみたらあった、って気分だ。というか、あったんだな、と思うことで、はじめて「時代」という代名詞に補完されるのかもしれない。

今だったら、岡崎京子なら何を書くんだろうな。

[] 雨の日

昨夜の話では弟と秋葉原へ行くはずだったのだけど起きたら妹と新宿へいくことになっていた。雨のせいでテンションは著しく下降線をたどっていたけども、お気に入りの靴とお気に入りの鞄で無理矢理気分を盛り上げて、あっさり盛り上がって、新宿へ到着。妹の買い物につきあって、家の買い物もして、オカダヤで手芸用品買って(すぐ飽きるくせに)、本屋で漫画買って、その間、店に入るたびに傘袋に傘入れたり出したりして、あれはなんかもったいないよねと言いつつ、ご飯へ。最初に入ろうとした店では、隣に並んでたカップルが周囲の人間採点をしてたため、恐ろしくなって移動。沖縄料理を食べることにする。海ぶどううまい。らっきょやらゴーヤやら紅芋やらの天ぷらもうまい。泡盛がたくさんある。談笑しつつ食事をする周囲とはあきらかに異なるスピードで料理をたいらげ、帰宅。秋葉原組の弟に頼んでた買い物を受け取り、新しく買ったというノートパソコンを見物してたら、もうこんな時間。雨はまだ降ってる。明日が仕事なんてしんじられない。

2006-11-18

[][] 赤い文化住宅の初子/松田洋子

赤い文化住宅の初子 (F×COMICS)

赤い文化住宅の初子 (F×COMICS)

少女、初子の物語。映画化されるそうです。

帯には吉田戦車さんの言葉として「ヒロインの半端ではない幸薄さとささやか極まりない希望」と書いてある。確かにそうなんだけど、なんかちょっとつかえるものがあった。

この漫画は、松田さんの作品でははじめてかもしれない、わりとシリアスな描かれ方をしている。物語に説得力もあるし、広島弁で語られる台詞もとてもいい。

ただ「幸薄さ」や「不幸」と評される物語を読む時に、あらかじめ期待してるのはやはり「希望」ではなくてまずは「不幸」だなってところに、自分の中の悪趣味というかいじわるさを感じてしまうわけですが、その「不幸」に共感/驚くできるかどうかって点は、作品中の「笑い」がわかるとかわからないとか、そういうことと同じように、物語を楽しむ上で必要としてる部分だったりする。

ただ、この物語の重大な仕掛けなのか、それともたまたまなのかわからないのですが、表紙に描かれてる女の子と、主人公は同一人物であるはずなのに、全く印象が違う。

表紙の女の子は、遠い目をしてるけど、意志が強そうで、だから私はこの子がサバイブする話なんだと思って読みはじめたんだけど、初子は基本的には終始受け身で弱く、幸薄いというよりは「薄幸の少女」で、松田洋子さん独特の、自虐的なつっこみの視点がすぽんと抜けているというか、なんというか、そこらへんがとても歯がゆく共感するのが難しかった。ただ、「赤毛のアン」について妄想するくだりで見せる価値転倒は、決して美しくはないけれど、力強く、初子のあの部分をもっとクローズアップしてくれたらよかったのにと思った。

個人的にはむしろ兄のほうが切なく思えてしまう。兄側の話もあったらよかったのにな。

併せて収録されている「PAINT IT BLUE」は1998年から99年にかけてモーニング増刊に連載されてていた作品で、松田洋子節全開というかんじでよかった。

[] ブルーチーズ味

ローソン限定で出た、ブルーチーズ味のポテトチップス。会社の近くのローソンにあったんだけど、家の近くで買えばいいかと思ってたらなくて、この記事(http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20061116_bluecheeze_chips/)を見てから、もう一度会社の近くのローソンいったらなかった!その間1日ですよ。どんだけ売れてるんだ。

かわりに、久々に見かけたカルビー「うましお」を買いました。相変わらずおいしい。

というわけで新発売ラッシュですが、今期(今期とかあるのか)はチーズ系がやたら多い気がします。

明治のスティックタイプ「おじゃが」は「ガーリックバター」と「コンソメチーズ」だったかな。味が変わってもいつもどおり。なんでだろうなぁ。濃いです。カルビーのリッチシリーズの新しいピザポテトは、ちょっと濃すぎる。普通のピザのがおいしい。そして反対に普通のピザより少しあっさりめのがカルビー「3種のチーズ」。それからカルビーは「クリームチーズ」も出してますがこれはまだ食べてない。リッチとか厚切りとかばっか食べてたら、通常パッケージのが薄くて味気なく思えてきた。

[] 金曜日

ichinics2006-11-18

友達の家にお泊まり。なので、ひさびさに遅くまで飲んだ。しらない人も何人かいたけど、しゃべり過ぎたくらいしゃべった。そういうの久々でうれしい。解散して帰ってお茶飲んで、化粧品借りてあれがいいとかこれがいいとか。そんでぐっすり眠って、きちんと朝ごはんたべて、本読みたいのもってけば、と言っていただいたので何冊か頂戴して、帰宅。

帰宅して、真っ先にしたのは、ストーブをだすこと。これでもう、いつでもこいだ。

2006-11-16

[][] うつうつひでお日記吾妻ひでお

うつうつひでお日記 (単行本コミックス)

うつうつひでお日記 (単行本コミックス)

読んだ。2004年の夏から2005年初頭にかけての絵日記で、ちょうど『失踪日記』の発売までのお話になってる。

ひたすら図書館いって本読んでアイス食べて寝て凹んで仕事してという毎日なんだけど(とにかくものすごい量の本を読んでいて驚く)あとがきで「あれはあれで楽しかった」と書いてるのはほんとだろうなと思う。

そしてその「失踪日記」がイーストプレスの手に渡った日を見ると、おおーと思います。

しかし、これ読んでると、ちょっと現実に戻りづらくなるなー。

[] 結論は遠のく

前に書いた文を読み直したりしてたら、言葉が遠回りしてややこしくてうんざりしたり、今の自分の感覚と違うこととか結構あってはずかしかったりで、苦々しく思ったりもしたけどすぐに持ち直した。

その「今の自分の感覚と違う」ことのひとつ。「なぜ自殺をしてはいけないのか」という文で、私は最後、「社会」に暮らしていない(無人島に1人で暮らしているとか)人に対して、何が言えるだろう、と書いた。

それ書いてから、もう1年以上経ってたことにもびっくりだけど、今考えてみると、無人島の例に限らず、そのような場面に遭遇したときに、私が何を語るかなんて重要じゃないんだと、思う。逆の場合で言えば、何を言われても、問題じゃないということ。

そういった場面でするべきこと、したいことがあるとしたら、それはむしろ「聴くこと」だったのかもしれない。もちろん(それで「もしかしてこれは、止めて欲しいのかもしれない」と思ったら話は別だし)そういう相手で、いられればの話だけど。

私に話せるのは、私についてだけだ。そんなの後からいくらでも考えればいいし、すでに毎日、勝手に話し続けてる。言葉が遠回りしてうんざり、とか、何言ってるの、はずかしー、とか、そういうのも含めて、つねに最新だけど、こうして1年間で感覚が変わるのも、聴いたり/読んだり、という影響によって出来上がっていて、そこに意味のようなものが、あると、思う。

[] あたらしい

ichinics2006-11-16

今日は朝がきれいだった。

早起き、ましてや冬の早起きなんて、絶望的だと思っていた私ですが、

「ふゆ」に「つとめて」を選んだ気持ちが、

わからなくもないなと思えるくらい

日差しがあたたかくまっすぐで

しもばしら、南天、触れるとぬれる常緑樹の葉

ふゆが楽しみになってくる。

が、やっぱり寒いのは苦手で

布団の中にいる時間は、日々増える一方です。

それこそ寸暇を惜しんでいる。

2006-11-15

[][] ブロック・パーティ

監督:ミシェル・ゴンドリー

アメリカのコメディアン、デイヴ・シャペルが今の成功を地元(オハイオ)の人々に還元したいという思いで発案。NYブルックリンで行われた路上ライブの出来上がるまでの数日を追ったドキュメンタリー。

ライブに登場するミュージシャンは私でも知ってるような超大御所ばかり。(詳細はこちら → http://blockparty.jp/index.html)ただ、私は残念ながらデイブ・シャペルその人を知らなかった。

それでも、この映画ではライブ自体と同時に、デイブ・シャペルという人そのものを中心に描かれていて、映画全編をとおして、彼の人のよさというか、わけもなく好ましく思う気持ちに満たされ、とても楽しかった。特に彼が路上にいる一般人(土地の人だったり、会場周辺にすむ人だったり)たちと交わす言葉の数々が、なんかこう面白くてギュッという気分になる。子供とかけっこするシーンとか、マーチングバンドの若者たちとか。あのバンドはよかったな。ふとった女の子たちのグループが旗をぐるっとまわしてみせるときのチャーミングさとか、周囲の人々の興奮とかが、近く伝わってくる。

ライブ自体もすごいのだけど、このライブを成功させるというポジティブな気持ちと、愉快なやりとりと、真摯な思いと、「お前はすごいよ」「お前もな」って心からの賞賛を、ぜんぶ明らかに見せてつながってる感じが、この映画の良いとこだったと思います。

最初のお祈りで、ジーサスとアッラー(だっけかな)って同時に祈るとことかもぐっときた。

あとあと、デイブのファッション(ハンチング、ポロシャツ、細身のズボンがにあう)と、モスデフさんの「おれはダンテ、モスデフとかって呼ばれてる…」って台詞にぐっときた。や、普通の自己紹介なんですが。あの語尾のためというか、一瞬せつない感じになるのがモスデフさんの持ち味だと勝手に思っております。それからレストランの従業員(一般人だと思う)の卑屈ラップもぜひ。なんだったんだあれ。

[][] 映画館/手のひらサイズ

ichinics2006-11-15

せめて週1で映画館行きたい、と思ってるのに、朝早いのよねぇと思うとへたれるのはなんとかしたい。できれば土日の混雑の中でなく、平日の、ちょっと空間のある映画館で見たい。なぜならすぐ泣くし吹くからなんだけど。特に年末にかけては、土日と平日一本ずつでも見切れないほどみたい映画がてんこもり。特に、今敏監督と4℃新作が連続で見れるなんてお祭りだ。

あと、今日は予告で「ファントムブラッド」が流れた。声は誰なんだろうな。ゲームと同じかな。そして続きもやるのかな。

帰宅すると、フェリシモさんから荷物がきてた。ほとんど妹のだったけど、かまわずあけて、たのしみにしてた苔玉に水やる。「チェッカーベリー」という植物だそうです。しぼんだ実がせつない。大事に育てようと思います。

[] ビアトリス宇宙へ行く

英王室のベアトリス王女(18)が、王室史上初めて宇宙旅行に参加することになった。

http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20061114-116752.html

このニュース読んで驚くべきところはほかにあるんだろうけど、とっさに思い出したのは「タイタンの妖女」*1の最後の場面だった。あれはビアトリスだったけどスペルはおなじBeatriceなはず。

ビアトリスが宇宙船に乗り込む場面が忘れられない。私もあんな捨て台詞吐けるようになりたいものです。あの台詞のおかげで、ビアトリスは忘れられないひとになった。他に強烈に印象的に残っている「小説にでてくる主役ではない女性」というと、アンヘラ・ビカリオがいるのだけど、特に共通項が思い付かない。イメージとしては、滅多に笑わない感じかな。どうだろう。そしてビアトリスが報われる話を書きたいと思ったけど、それはすでにアンヘラ・ビカリオがかなえているのだった。滑稽なかたちで。

とはいえ、その印象もそろそろ古ぼけてきたので、そろそろ「予告された殺人の記録」を読み返さなきゃと思う。

whistlemanwhistleman 2006/11/16 09:17 シャペルについてはこちらが詳しいです。
http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/2006/03/321_bd26.html

ichinicsichinics 2006/11/17 00:38 ありがとうございます! 聞いてみたんですが、すごいですねー。番組見たかった。批判も多かったんでしょうが、そういう背景知ってあの映画を見ると、きっとまた違った見方ができるのかもしれませんね。それにしても魅力的な人だなと思います。

2006-11-14

[][] エオマイア/タカハシマコ

エオマイア 上 (アクションコミックス)

エオマイア 上 (アクションコミックス)

読みたい、といってたら友達が借してくれました。ありがとう。

とある新興住宅地に隕石が落ちてきて、その墜落現場にいた者の身体に異変が起こる、という設定はちょっと「SOIL」を思い出すところがありますが、むしろ「虹ヶ原ホログラム」(←ネタばれになるかも)で描かれていた関係と近いと思った。

繊細でかわいらしい絵柄でおどろおどろしい現象を描くというギャップがいい。帯文もたしかに「ファンタジック・サスペンス」な雰囲気をかもしだしていて品が良い。

ただ、ラストの展開はちょっと唐突だったような気もする。「身体」という個を保つことと、混じりあうことの対比はとても興味深かったのだけど。あと、人物として面白かった「林」と「真紀」、とくに真紀が早々に退場してしまうのも個人的には惜しいと思った。

[] 負け犬の遠吠え

女子とゲームの断絶エピソード」(id:msrkbさんのブクマコメントより)の日記について言及いただいていたので、蛇足ながら補足。

そんなこと言ったら、ポップカルチャーをかるーく聞き流して、流行をある程度追ってて、そんで恋愛して、結婚して家庭を持って、老いて死んでゆくだけが人生ということになってしまう。

http://d.hatena.ne.jp/./halfway/20061113/p1

この辺私もよく考えるのですが、それが「人生」かどうかはさておき、それが「幸せ」と考えるのはありふれた/ふつうの/一般的な/ことなのかもしれないと思う。 とりあえず特殊なことではないみたいだ、ということには、気付いた。

本読んだ、ゲームやった、映画見た、というようなことを周りの人(特に女の)に 言うと、たいてい「よくそんな時間あるね」と言われます。年をおうごとに、そう言われるようになってきた。そういうとき、私はいつも「ソロ活動だから」と答えてるのですが、するとたいてい「じゃあもっと出会いのある趣味にすれば? テニスとか」とか、いわれる。あはははは。うーん。

もっと別の答えを探すべきかもですが、ともかく、私がテニスにまるで興味ないのと同じように、相手は私が最優先している事柄には興味がないんだと思います。それは仕方ないし、別にすすめたいわけでもない。私だってすすめられてもテニスしないだろうし(やりたくなったらやるかもだけど)。

でも女子とゲーム(とかアニメとか、まあオタ要素のある文化)の『断絶』は女性のなかに、趣味は属性として「身につける」ものだって考えの人が(男でもそうかもだけど)多いからなんじゃないのかって気もする。女友達のグループはたいてい似たような服装のグループで構成されるみたいに*1

やってないけど「いい感じ」な趣味

やらないし「関わりたくない」趣味

自分の好き嫌いとか興味とかと同じくらい、もしくはそれ以上の重要度で、そういう分類を、してる人は結構多い。そして、ゲームは自分を『落とす』(要するにもてない)趣味に分類されてるのかもしれない。だから「おわってる」。

そして、終わってると思われたくないという防御というか牽制が、敬遠させ、沈黙させるのかもなと思います。

僕らオタクは、社会はだいたいこういう雰囲気で構成されているということを肝に命じておかなければならない。つまり、僕らオタクは隠れていてこそ、生きていけるのだ

確かに、と思うところもあるけど、個人的には残念なことだと思う。オタクというか、興味があることに執着してる人自体に、あまり出会えないのはさみしい。インターネットだとたくさんいるように見えるんだけどなぁ。

そしてあれだ、こういうのは私が「恋愛して結婚して家庭もって」という流れにあまり興味をもてない/自分の未来として想像しがたい(とりあえず、いまのところ)から感じることでもあるんだと思うけど、そういうこと言うとぜんぶ負け犬の遠吠え(正しい意味で)になってしまうのがくやしい。

id:enziさんにトラバいただいて、先日の日記が、あの「カトゆー家断絶」さまにて紹介されていたことを知りました。久々にカウンター見たら今日一日でいつもの10日分くらいだ。すごーい。初体験。弟に自慢できる。

あー、で、そして弟に言われるわけですね。

「うちの姉貴がさー、ネットで? リンクされたとかって喜んでてさー」

「おわってるよねー」

いわないし、うちの弟もそんなこといわない。

[] 一日

会議中ずっとマウンテンデューのロゴ*2の落書きしていた。ダニエル・ジョンストンの映画を見てからマウンテンデューが飲みたくてしかたない。ウヒヒヒヒというあの声。火曜日はだるい。

帰宅すると、弟がいた。上の弟は、寮にはいったはずなのだけど、けっこういる。週の半分はいる。弟がカワハギを魚屋でさばいてもらったといって(なぜ?)、それをごちそうになる。刺身と肝を食べる。カワハギの肝ってはじめて食べたけど、ものすごくおいしい。濃厚だけどくどくない。薬味としょうゆでも身とあえてもよし。検索してみたら「海のフォアグラ」とかいわれているらしい。でもフォアグラより好きだ。

お風呂に入ると、窓のそばにカマドウマがいた。嫌いな人が多い虫だけど、Gに比べれば全然かわいい方だと思い、慌てもせずに放っておく。飛ばなきゃいい。でも竃馬であるはずなのに、あたまに思い浮かぶのは「カマドーマ」というイントネーション(メラゾーマ的な)で、ちょっとかっこいいと思う。

朝、手帳に「今日の予定/ストーブを出す」と書いた。なのにまだ出してない。かわりに週末まで耐えられますようにと願っている。

*1:これはまあ学生に限った話かも

*2http://softdrinks.org/asd0205a/md_my.htm

2006-11-13

[][] しあわせの理由/グレッグ・イーガン

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)

先に『ディアスポラ』を読んでいたのですが、どうしても前提が把握できず、もやのなかを進んでるようだったので、めちゃめちゃ悔しいんだけど中断して、これを読みました。『祈りの海』もすごかったけど、これもすごい、面白かった。

「記述により、畳み込まれる無限」という概念。さらにはそれを可能にする「記述」自体に対する興味。アイデンティティの問題も、結局この「記述」に関する興味の一部になる。p445

という解説の言葉がぴったりだと思う。でもそれ以前に、まったく新しい/しかし想像できうる世界観をさらりと提示し、その世界観が光となって、物語に描かれる見慣れたものを、まるで見知らぬ風景に見せる。その切り口こそが、やはり魅力だと思う。

この本で目立つのは解説でも触れられている「アイデンティティ」を題材にした作品だった。手を変え品を変え、今私が持っている自我というものの不確かさを再確認させられるようで、体が宙に浮くような心もとなさと、かゆいところに手が届くような気持ち良さを同時に感じることができる。

以下特に気に入った作品について。ネタばれなので畳みます。

続きを読む

[] 日曜日

前の職場の同僚(?)の結婚式へ。前日の雨が嘘のような晴天で、まっすぐに射す陽の光があたたかい。少し強い風が、スパンコールのドレスを着た人の足もと、中庭の木々の下、花嫁さんの髪飾りを大きく揺らして、水たまりみたいなきらきらを散らす。今日はたくさんきれいなものを見たような気がした。結婚式って、いついっても多幸感に溢れていて、いいなぁとおもう。「儀式」の迫力って、なんか不思議なものだ。

なんだろな、すべての「見せ場」がスローモーションになるような感じ…というと、それはなんかオモシロな雰囲気だけど。

披露宴の後は一緒に行った友達と、その夫のひととお茶。有明帰りとのことで、戦利品をちらほら見せてもらう。いいなぁ。個人的には、文学フリマ行きたかったのが心残り。あーあー。で、ゲームの話などして、というかさせてもらって(?)帰宅。帰宅したら兄弟たちがややこしい話をしてた。

居間を早々に退散して部屋に戻ると、昨日の日記に同じスパムが二件、何も考えずに削除しちゃったけど、タイトルが「豊胸」だったな、というのを後から考えて、なんかうけた。余計なお世話すぎる。何を書いてもそんなトラバがあったら、情けないことであることだと思った。

2006-11-12

[] Lost and Found/Daniel Johnston

このアルバムは、トリビュート盤に継ぐ「待望の」新作で、私がはじめてリアルタイムで聴くことができたダニエル・ジョンストン作品でもあります。一言でいえば「すげーいい」です。どこから聴いてもダニエル。

絶妙に壊れてて、楽しくて、かなしく、いとおしい。「Squiggly Lines」の駆け上がるピアノのずれ方なんて、たまらないです。

ロスト・アンド・ファウンド

ロスト・アンド・ファウンド

映画を見てから感想書こうと思ってたんだけど、映画の印象が強烈すぎて、あの空気を思い出さずには聴けなくなってしまった。私は、彼がなんらかの精神的な病を抱えてることは知っていたものの、想像と映像で見る彼とはまったく違っていた。そういえば彼の動く映像を見たのははじめてだった。でも、確かなのは、彼の存在を確かに感じることがなくても、音楽は魅力的だったということだ。

それでもどこか、あの切実さを、記録しまくった彼の事実を、歌詞にあるほんとのことを、音に重ねてしまう。あの頭の中に鮮明にあるビジュアルをアウトプットできるという才能のことを考えてしまう。それだけじゃなかったのに。

うー。なんかなと思うけど、ややこしく考えないで聴きたい。ぼくはキャスパー/ザ フレンドリー ゴースト/なのさ。というあのフレーズを思い出すときの、口元のにやける感じで。それはもう、アイスクリーム食べて「うまーい」と笑うようなものなのだ。

ただ、映画を見てわかったことは、ライナーにも触れられているとおり、このアルバムには、プロデュースを担当したブライアン・ビーティーの「理解と愛情」があるということ。愛されているなぁ。

[] 夢の中で

思いを巡らせることもなく、好きなものはたくさんあって、と当たり前のように感じているけれど、実はほんとうに好きなものなんて、すごく少ないのかもしれないと思う。好きっていう気持ちの本当を証明することなんてできないし、それは自分自身に対しても、できない。

例えば好きな食べ物とか、そういう「体」が感じてる「気持ち良さ」を「好き」と置き換えることは確実なような気がする。けど、好きって「心」が感じてると(感じている)気持ちの本当って、なんだろう。そしてそれは終わるのか。終わるなら嘘になるのか。

例えば、ずっと好きでいると思ってた人のことも、いつか忘れたりする。…以前はは私も「ずっと」があると信じてたことがあるけど、今はもうその点において自分を信じられない。忘れてよかったんだということもできるし、それを惜しいと思うこともできる。好きにただしさなんてないということもできる。

ただ、その「ずっと好き」を燃料にして動いていると、それがきれたときのショックは大きい。そうだな、例えば宗教でもいいや。信仰心によって、自分を支えてたひとがいるとする(や、宗教ってそういうものかもしれませんが)。でもある日、もしかして自分は自分を支えるために神を信じてるのかもしれない、ということはこの気持ちは、嘘なのかもしれないって、ある日疑ってしまったとする。そのことによって、自分が汚れたと思えばいいのか、目が覚めてよかったと思えばいいのか…その迷いを抜けて、さて「神は死んだ」という心境に至ったとする。それはもう、昼間に提灯掲げて走り回るくらいの衝撃だろう。それまで生活の中心にあったそれを失うということは、世界が真っ白になるようなものだ。

もちろん、そんな「支え」を必要とせずに生きていくこともできる。でもそれを必要とする人もいるし、自覚せずに託している場合もある。世界は往々にしてままならない。齟齬もあれば、魅力が失われ、失望することもあるし、叶わないこともあれば、いなくなることもある。ある。でも真っ白になるのは、自分の中にある矛盾に対処できなくなったときだと思う。それは方法を忘れることだ。

神は死んだ、とは、神がいる/いないではなく、この私が、神を信じられなくなってしまったということが問題なのだ(と思う)。

このへんの気持ちを、私は「自分は良いものじゃない/利己的なものだ」と思うことで、解消できたような気持ちになっていたけど、それもきっと防衛本能みたいなものだ。ときどき、あの真っ白から、引き返していたら、と考えることもある。憧れてるといってもいい。でも、昨日の映画で、そのことの辛さを目の当たりにしたような気がした。

どうしようもなく、私は正気なのだった。たぶん。マジレスしかできない不器用さがうっとうしい。

2006-11-11

[][] 悪魔とダニエル・ジョンストン

ichinics2006-11-11

ぼんやりした画面に、幼いダニエル・ジョンストンが映って自己紹介する。この映画は新しく撮影されたインタビューと、ダニエル自身が撮り、録りためた膨大な記録によって構成されているのだけど、現在と過去が同じ密度を持ってそこにあり、見た目はすっかりかわってしまったものの、ダニエル自身はずっとかわらずにいるように見える。

例えば「ローリー」。大学時代に出会った初恋の人、ローリーのことをダニエルは今も歌い続けている。彼女へのかなわぬ恋こそが、わき水のように歌の生まれる源になるって、それはロマンチックなことというよりは、むしろ自分自身を動かすことができる燃料として、必要なことだったのだろう、と、思う。ダニエルはずっと、彼女にひとめぼれした、その瞬間に釘付けになったままでいる。だから彼の歌、思いには嘘がない。そしてそれは、結構きついことだと思う。

精神を病み、悪魔を恐れ、数々のトラブル(それはほんとにシャレにならない)を引き起こしてもなお、彼が愛され続けているのは、その純粋さと、むきだしの才能によるものなのだろうと思う。

瞬間に固着することができないものにとっては、その対象がかわらずに輝き続けていてくれることこそが、引力として作用する。ダニエルの才能について語る人の目は、きらきらとしている。そして、この映画の濃密さにも、それはあらわれているんじゃないだろうか。想像するだけで迷子になってしまいそうな膨大な音源を、この監督は凝縮して見せたのだ。

ダニエルの歌。少し空間がずれても、でもちゃんとそこにある。

[] 月

今の会社に入って最初の仕事がひと段落したので、今日は出先から直帰で映画。直帰最高。見終わるともう夜になっていた。

横断歩道で立ち止まる、視線の先の、赤信号にかかる月。ぼんやり見てると、どんどん体が小さくなっていって、

大気圏を抜けたところでポンと体が開く。ワンタッチ式の傘みたいに、視界が裏表になる。

これはすごい発見だわと思ったけど、裏返ったままで歩いていると、自分を見失いそうになる。あぶない。動いて、空気が流れるとつめたい。ということは、空気が冷たいから月があんなにはっきりしているのだと思う。視力が0.5以下になってからも十年以上ずっと裸眼で過ごして、滲んだ世界にもなれきっているけれど、ここ数日の月はそんな私にもはっきりと見える。

近くにあるものよりずっと。

[] トートとコフレ

都会に出たのでクリスマスコフレとか予約したりしました。って、もうそんな時期なんだ。年末のデパートはお祭りみたいでいい。年末はおいしいもの買い込んで引きこもろう、なんてわくわくしながら帰宅。

帰宅して、みつばちトートを受け取る。うう、かわいい。明日出かけるか迷ってたけどやっぱでかけようと決心する。みつばちトートでは、トートブックを、好きな本とセットにしてプレゼントにするっていうのが気に入ってて、定番にしてるんだけど、自分用のを買うのは久々。でも、トートバッグはいくつあってもいいものです。よね。

loomerloomer 2006/11/11 22:27 私も今日「悪魔と〜」をちょうど観たところです。濃密でしたね。ローリーのくだりは、私はなんだか切なくなってしまったけど、一緒に行った人が「ほかのアーティストでもこういう存在っていうのは多分いるんじゃないの」と言っていたのが印象的でした。

ichinicsichinics 2006/11/11 23:00 実は今ちょうどloomerさんの感想読んで考え事していたところです。ローリーについては、確かにそういう対象が在ってものづくりをしている人って多いのかもしれませんね。テーマというか…。でも、その気持ちは「関係」ではないのかな、とか、そこに嘘が混じらないってのは、どういうことなんだろうって、まだ考えてます。

2006-11-09

[][] ヴィンランド・サガ3巻/幸村誠

ヴィンランド・サガ(3) (アフタヌーンKC)

ヴィンランド・サガ(3) (アフタヌーンKC)

待ちにまった3巻。

ヴァイキングたちにとっての「戦」というものがどういうものなのか。未知の価値観に圧倒される。でも、どこか魅力を感じてもいる。例えばフローキとトルフィンの戦闘シーン。何がおこっているのか考えさせずに伝えるカット割りと、迫力。ページをめくるのが楽しい。

そんなすばらしいカメラにささえられつつ、物語はヴァイキングの生き様を追う。トルフィンの立ち位置を描いた傑作17話と、アシェラッドの確固たる価値観を描いた20話が特にいい。それからフローキの「いかに戦い、いかに死ぬか、それが問題だ」という台詞。死を恐れる、という描写はほとんどでてこない。なかったような気がする。

幸村さんの漫画は、死を描いていても、テーマは「いかに生きるか」にあるんじゃないか、なんて思う。生き様漫画。

1巻の感想(http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20050724/p1

[][] 女の子の食卓1巻/志村志保子

女の子の食卓 1 (りぼんマスコットコミックス クッキー)

女の子の食卓 1 (りぼんマスコットコミックス クッキー)

本屋さんで平積みになってたので買ってみた。すごい良かった。

この作品は、題名にもあるように、女の子と、食べ物との関わりが描かれている。そして、毎回でてくる食べ物は、どれもほんとにちゃんと物語に必要とされて、関わっている。

今の、ヤングアダルト小説といわれるものの雰囲気にとても近い漫画。読みやすい文体で、リアルな問題を、気持ちをすくい上げるように描く。その感じは角田光代さんの「学校の青空」とかよりはちょっと幼くて、森絵都さんの「永遠の出口」とか佐藤多佳子さん「黄色い目の魚」とか、ああいうにおい。とても品がいい連作短編集でした。2巻も買おう。

あとがきに「2作同時掲載が多かったので話が少しずつつながっている」と書かれてましたが、そのつながってる感じも、読み返す楽しみになる。

[] ワイドショーのナレーション

ワイドショーとかで、「手紙」などを読み上げるナレーターの声が嫌いだ。

妙に感情がこもっていて、でもその言葉とどんどん離れていくような読まれ方。そうやって演出されることで、フィクションになる。でもそれって意訳じゃないのかと思う。落ち着かない。もちろん、感情をこめて読めと指示している人がいるんだろうけど、それはなんでだろ? 視聴者の足りない想像力を補うため? 補うどころか頭の中で分離してどよどよだ。

特に、出方を伺ってる段階が一番たちがわるい、というのは今日たまたま出先でついてたテレビを見て思った。フィクションでエンタテインメントにしたいんだったら、いっそのことほんとに思ってることいえばいいのにと思うけど。いや、もちろんそういうわけにもいかないんだろうけど。うううん。

なんかなーと思うけど、なんでこういうことで気分が悪くなるのかを考えるべきなんだろうなと思う。

[] やりたいゲームが

たくさんありすぎる。まだまだ知らないことはたくさんあって、世の中は広いなと思った。

それにしても年末発売予定多すぎる。ハードもソフトも。

とりあえず家でやるゲームにはしばらく困らないつもりなので、やりたいのから優先して買うとして、個人的にネタ切れしてきたのがDS。とにかくタクティクス系を出してほしい。DS用シュミレーション欲しいと思って目をつけてた「ルミナスアーク」はそろそろ発売日決まるっぽいけど、どうかなぁ。面白いといいなぁ。ほんとはタクティクスオウガDSとかFEの携帯ゲーム用新作が欲しいとこだけど。そんなにシュミレーションしたいなら三国志とかやるべきか。

toukatouka 2006/11/11 01:19 久しぶりにゲーム屋を覗いてみたらいまだにDSが売り切れで、なんかもう笑ってしまいました。もうすぐシレンが出るというのに…

ichinicsichinics 2006/11/11 01:47 まだそんな状態なのですか。凄まじいな。あー、さらに年末にかけて品薄になったりしそうですしね…。ところで、toukaさんはシレンできる人なのですね。私はもう、あのシステムにどうしても慣れなくて、じゃっかんトラウマだったりします。でも兄弟間では大人気なんですけどね。

2006-11-08

[][] 図書館戦争NARUTO

堂上&小牧を指して「無愛想なイルカ先生とやさしいカカシだ」と言った妹の台詞が言い得て妙だなと思って、あらためて考えてみると『図書館戦争』の主要登場人物は他にも手塚がサスケで柴崎がシカマルで、と、うまいぐあいにはまる気がする。もちろん郁はナルト。そう考えると郁の熱血っぷりも仕方ないかなーと思えるのでした。

つかナルト、どこまで読んだんだっけな。途中でジャンプ読むのやめちゃったから、私もイメージしてるのと、今の彼等とは違うかもしんないけど。この間コミックスの表紙みたら、みんな成長しててびびった。『NARUTO』は成長する漫画なんだな。

[] 手が届かない言葉

言葉で表現することと、言葉を理解することは、別のことなのかもしれない。

「会話」が難しいのは、その二つの異なる作業を同時にこなさなければいけないからで、そして、つい「言葉」にばかり気を取られると、その言葉が選ばれるまでの理解や表現、つまり意志のようなものが、自分の外にもあり、それは手の届かないものである、ということを、忘れがちだからだ、と思う。

毎日のように日記を書いていると、たまに、この文字をとおして見える人物は、きっとこれを目にした人それぞれで違うのだろう、ということを思う。

それは会話でもそうなのだけど、言葉だけを切り離して、置いてくるということを私が好んでいる理由の一つは、会話にまとわりつく意志と言葉が重なることへの期待から離れて、どこかに映るその時々に委ねてみたいから、なのかもしれない。

繰り返しながら、この言葉が選ばれるまでの「意志」が伝わらなくても、もしかしたら、理解されることはあり得るのかも、と思う。そしたら、そこにいるのは私じゃないとしても、それはすごいことだ。

……というのは、自分が読むにあたって、誤読を恐れて予防線を張前に、まずは素直な感想でいいんじゃないのかと思ったことへの言い訳でもあるんだけど、それでも、その感想が、読んだ言葉にある意志と重なっていてほしいという気持ちも、やっぱりある。それを知ることができたらいいのになと思う。いつもそこに手が届かない。

[] 忘れてない

ichinics2006-11-08

今日みたいな天気の日は、外歩くのが楽しい。高くて、透き通った青い空。つめたい空気のにおいにいろんなことを思い出す。久々にヘッドフォンして歩く。音楽があるだけで、通勤電車が遠くなる。

音楽といえば、最近ザゼンのこと書いてませんでしたが、そろそろサラリーマン生活にも慣れてきたし、平日ライブも大丈夫な気がしてきたので、チケットチェックはじめました。(見るといきたくなるからしばらく謹慎してた)今月末からツアーもはじまるし、楽しみ。カウントダウンジャパンは先行応募寸んの忘れたけど大丈夫かな…。だめかもな…。

2006-11-07

[][] こっこさんこうの史代

こっこさん

こっこさん

雄鶏「こっこさん」とやよいとその家族のお話。しんみりすてきになったところで、落とす、その落としかたにやっぱり持ち味があって、完全に「良い(ような)」状態がほころびたところ、突き放した距離感とかに、あったかさが滲む。

うまいなぁ。いつもうまいなぁと思うけれど、「こっこさん」は特に、意図的に「落ち」をまとめてるように感じる。その整然とした感じに嫌みがないのがすごい。けど「長い道」などを読んだ後では、あの、奥にこわいものが潜んでるようなお話を期待してしまったりもする。

はづきの話「こっこ笑」で見せる、はづきの横顔に、ちょっと谷川史子さんを思い出したりした。

[] 「意志する」

日立製作所は6日、暗算や暗唱などによって生じる脳内の血液量の変化を電圧信号に変えることで、鉄道模型の電源スイッチの「オン」「オフ」を切り替える実験に成功した、と発表した。

(略)

暗唱、暗算などの脳活動ごとに活動する脳内部位が微妙に異なるため、この違いを信号に反映させることでより複雑な機械操作を目指すが、研究チームを率いる同製作所小泉英明・フェローは「脳機能のリハビリを、結果を確認し、楽しみながらやることで効果の増大も期待できる。5年以内に実用化できれば」としている。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20061106it13.htm

いつかこれが「当たり前」になった時のことを想像してみる。

この実験は、つまりオン/オフを脳の血流のパターンにあてはめてるということだと思う。「オン」にしたいときの言語のかわりに、脳の動きのパターンを利用している。つまりそれは翻訳された「意志」だ。

なんて考えてみると、やっぱり、「意志」を形にすることの難しさは、やはり「言葉」にあるのだと思う。

そして例えば昨日感想書いた「愛はさだめ〜」の中に収録されていた「最後の午後に」では、「心から願う」ことが現象に反映されていた。

意志は言葉を裏切るものだ。そして言葉も意志を裏切る。

その追いかけっこのままならなさが、「自由意志」の遠さを裏付けるものかもしれない。

それじゃあ、意志はいったい何に制御されてるんだろう。

[] 方南町

言葉を読んでいる夢を見た。本か、手紙か、ネットか、ともかく字をたどりながらずっと、声が聞こえていた。知らない声。でも誰だかわかっていたような気がする。「方南町」を「ほうなんのまち」と読んだところで、それが声だということがわかる。視覚音との違和。

「ほうなんのまちで」とか「ほうなんのまちに」とか予想外とか…、方南町が何なのかは、目が覚めたときに忘れてしまった。

ただ、その何かについて書かれた文を読みながら、私の思い描く場所の外には海が見えて、なんだか楽しいことがあるような気がした。はやくそこへ行きたい。そんな気分で目が覚めた。

で、起きてすぐ調べてみたけど、当然、方南町に海はない。夢の中だと、横浜とかそんな感じだったけど。でも一回行ってみようかな。住宅街かな。

[] 盗みぎき

エクセルシオールで、「しあわせの理由」(ちょう面白い)を読みながら聞こえてきた会話。

「お姉ちゃんがさぁ、どうぶつのもり?ってゲーム?をやってるらしくて」

「森の中で動物飼ってるらしいんだけどさ」

うんうん、へえ、飼うは違うよ、なんて聞き耳たてて。

「なんか誕生日にさ、その動物からプレゼントもらったとかいってちょう喜んでて」

なにそれそんなイベント体験してない、って思いながら。

「おわってるよねー」

ってので、思わずそっちをまじまじと見てしまった。

えええ?? なにそれひどい。やってから言えよ、とは思わないけども、終わってるって言われるほどのもんじゃない、とか自分のことのように憤慨してしまった。つーか終わりってなんだ、女として? それ言われたらぐうの音もでませんが。でも、「どうぶつの森」なんて、めちゃめちゃ一般向けだと思うのになぁ、ゲームってだけでだめか。でもトロとかはかわいーとか言ってたりするんじゃないの。

なんて一人脳内で反論してたら、

「ああはなりたくないからがんばろ☆」

という結論に落ち着いていて、空しいというか切ないというか悔しいというか、悲しくなった。しあわせの理由はいろいろですよ。

2006-11-06

[][] 愛はさだめ、さだめは死/ジェイムズ・ティプトリー・Jr

たったひとつの冴えたやりかた」にしろ、この「愛はさだめ、さだめは死」にしろ、タイトルの付け方が(そして翻訳が)かっこよすぎる。

人間が六十歳になるころには、脳は信じられないほどおびただしい共鳴に満たされた場所になる(とわたしは思う)。人生と、歴史と、過程と、パターンと、ちらちらのぞき見された無数のレベルのあいだのアナロジーとで、ぎっしり詰まっていることだろう……。老人たちがひまをかけて返事をするひとつの理由は、あらゆる単語とキューが千もの連想を目覚めさせるからだ。

もし、かりにそれらを解き放ち、開けはなすことができたら? 自我と地位を捨て、あらゆるものを外に出して風の匂いを嗅がせ、衰えてきた感覚に、そこにあるもの、成長するものを感じさせよう。あなたの無数の共鳴はおたがいに融けあい、たわむれあい、変化をとげてもどってきて……新しいことを告げてくれるだろう。

p18

冒頭に掲載されている、ロバート・シルヴァーバーグによる解説の中で引用されていたティプトリー・ジュニアのエッセイの一文に、思わず寝ぼけた目が開く(解説自体も面白い)。この本には12編の短編が収録されている。全体的に最初に読んだティプトリー作品「たったひとつの冴えたやりかた」とはイメージの違う、どちらかというと硬質な作品が集まった短編集だったけれど、エッセイにある自由さと可能性に惹かれ突き動かされているような印象は、彼女の作品に共通する美しさでもあると思う。

最も印象に残った「接続された女」は、自殺未遂をした醜い女性が科学者に拾われ、美しい肉体の中に生きるお話。

ひとつだけ、はっきりさせとこう。P・バークは、自分の脳がサウナ部屋にあるとは感じていない。あのかわいい肉体の中にあると感じてるんだ。オタク、手を洗うときにさ、自分の脳みそに水がかかってると感じるかい? むろん、ちがうよな。両手に水がかかってると感じるだろう? その“感覚”なるもの、実はオタクの両耳のあいだに詰まった電子化学的ゼリーの中で、チカチカまたたくポテンシャル・パターンにすぎない。しかもそいつは、オタクの両手の先から、ながーい回路をとおって脳に届いたわけさ。ちょうどそれと同じ理屈で、キャビネットの中のP・バークの脳も、トイレの中で両手にかかる水を感じてる。その信号が途中で空間をジャンプしたって、べつに違いはない。p165

こんな文を読んでると思わず楽しくなってしまうのだけど、同時に、悲しくてメロドラマで滑稽な物語でもあった。何よりも皮肉なのは、彼女自身がそれを望んでいることだ。自分への執着が否定であるということ。

ラストに収録された「最後の午後に」と、表題作「愛はさだめ、さだめは死」では、自分の意識、心、感情というものは「支配」できるものではないということを思い知らされる。どちらも切ない話だけれど、「接続された女」とは正反対の物語だともいえる。

突き放すようなラストも多いけれど、どこかでこだわり続け、葛藤している部分があるようにも感じる。そこが「甘さ」と評されることの多い部分でもあり、魅力なのかもしれない。

[] The Afghan Whigs

1965

1965

久々に聞いたら、やっぱすごく好きだと思った。このアルバムについては、前にも一度書いたことがあるんだけど(id:ichinics:20050220:p3)その日記で書いてるレコード屋さんについては、ここでも書いてた。なんだか、The Afghan Whigsのこと思い出すたびに書いてるような気がする。

ともかく。私はこの「1965」というアルバムが大好きです。#2「Crazy」は、冒頭のヒップホップ風つぶやきでちょっと吹いてしまいますが、歌が始まると、波にさらわれるみたいに、ぞわっとなる。この声。韻を踏みながら、重ねられていく単語と声が意味で重なる感じ。「A memory... I wanna remember me」というとこに特にぐっとくる。

ハイトーンなんだけどハスキーで、トム・ヨークよりも甘く、不器用だけど、生々しい。

その甘い声で歌ってこそ映えるのが「66」。その1曲前から聞くのが欠かせないのは、鼓動みたいなノックの音とギターが重なる様瞬間がたまらないから。「イェア」って囁きにまた笑いそうになるけど(なんか似合わないのがおかしくて)、軽やかに、駆けてくみたいな韻の踏み方、終盤に向けての鍵盤も効果的にドラマを盛り上げていって、舞い上がるようなイメージに、聴くたびに顔がほころぶ。それから #8「Slide Song」も名曲。フレーズを繰り返しながら静かに重なっていくギターと、声の転調がドラマチック。

ジャケットのイメージもあるかもだけど、SF小説を読むのにもぴったりのアルバムだと思ってる。「たったひとつの冴えたやりかた」なんて特にあいそうだ。

あーあ、再結成しないかなあ…と思ったら、ほんとにするみたい、だ! こちら(http://loser.jugem.cc/?eid=272)に情報が…。一時的なものだとしても、うれしい。楽しみです。

[] いつも「何か」のはなし

朝起きたときはまだふらふらしていたけども、一日過ごしたら、ようやくちょっと冷静になった。昨日の感想、我ながらちょっと感傷的すぎるんじゃないの、と思う(けど消さない)。

そんくらい、驚きだった。なにしろゲームやってまともに泣いたの初めてだし。

でも、これはたぶん、物語に感動したってのとはちょっと違うと思う。ひとりひとりの物語も、読みごたえはあるけど、想像し難いところもあったし、目新しいってわけでもない。これが小説だったらこんなにも印象に残ることはなかったのかもしれない。

構成に驚かされることはあっても、構成「だけ」でぐっときたんでもない。もちろんそれだけでもすごいんだけど、このゲームにはそれ以外の「何か」があった。それに動揺した気がする。いつも「何か」だけど。

この空が消えてなくなるその日まで

っていう言葉はどういう意味なんだろうなって、今日ずっと考えてた。 それははじまりなのか終わりなのか。

EDの曲に「世界と自身とを分かつ壁は/人を象り閉じ込める檻」という言葉があって、ということを教えてもらってたので、それを考えながらやってたんだけど、実際、この物語にはたくさんの檻が出てくる。世界、町、学校、自分自身。その「中」にいるのは、心地よいことでもある。

あの世界が終わる、とかじゃなくて、もともとここはそういう場所なのかもしれないとか、思う。

そしてたまに、「何か」が、聞こえたり、見えたりする。そのことのすごさを痛感するのに、あの繰り返しはとても有効だった。

聞こえてるか、見えてるかは、自分にはわからないことだけど、それでいいのかもしれない。

って、まただんだんポエ夢になってきたので、このへんにしておきます。次はリプレイした後にでも。

2006-11-05

[] CROSS†CHANNEL

ついさっき、おわった。

今だから、というのもあるんだろうか。わからない。でもあると思う。なんというか、出来上がりかけてた琴線のようなものに、触れる、というのじゃなく、染む込むようにして、色が変わってしまったと思った。

何を大げさな、と思うかもしれないし、そう皮肉る自分もいるんだけれども、ちくしょう、参ったな、というのが、正直な感想です。だって動揺してるし。近年稀にみるくらいに。

やりはじめた当初は、クリア後に何か感想めいたことを書いてみようと当たり前のように思っていたのだけど、これは難しい。でも何か書こうとしてるのは、これが私にとって必要だってことなんだと、思います。誰かに報告したい。

まずは、これをおすすめしてくれたid:michiakiさんに心から感謝。

クロスチャンネル ~To all people~<2800コレクション>

クロスチャンネル ~To all people~<2800コレクション>

このゲームは、何ていうんだろうな。ギャルゲー、っていうんでしょうか。(注*1)はじめはどの子を落とすかとかそういうのだと思ってたんだけど、違った。構成としては、例えばひぐらしがひとつの物語であったように、これもゲームというよりは、ひとつの物語を読むような進め方でした。

ゲームの中で、ある日々を過ごして、少しずつ角度を変えてくことで、印象や見えることがかわって、交わされるやりとりが、積み重なっていく。そのこと自体に核となる意味があり、些細なひっかかりが像を結んでいくという構成はすばらしかった。時には太一の米笑がツボに入ったりもした。

大きくわけて、3つの章(4つ、かな?)にわかれているんだけど、特に二つ目の章では会話のひとつひとつに、驚かされた。個人的なキャラクターに対する好悪とかが、あまりにもタイミング良く主人公の台詞として反映されたりするので、脳内を読まれてるんじゃないかとすら思った。そして、このシナリオを書いた人がいるんだよなってことに、感動する。そして、これをやった人が、たくさんいるんだよなぁっていうのが、また。

【以下、ネタばれもあるので畳みます】

続きを読む

*1:実は、これが届く前に、PCの体験版をダウンロードしてちょっとやりました。で、プレステ版とPC版はもしかしてちょっと違うのね、ということがわかった。エーロー方面で。そこんところ、PS版では若干の不自然さがあるのですが、そこは脳内モザイクで処理できる程度でした。ストーリーに違いはあるんでしょうか?

2006-11-04

[] 清濁

上野へ行って、コーヒー飲んでから、仏像展を見る。

見終わったあと合流した友人と、お互いに一番気に入った仏像を最後にもう一度みることにしたのだけど、お互いに「意外だ」と言い合って、このたくさんの像の中から、これが、と思うのがあるのは不思議だなと思う。

その後、新宿の花園神社「酉の市」へ。

f:id:ichinics:20061105014246j:image:h150

ものすごいにぎわいで、いろんな人がいる。大きな熊手を買った人の回りには輪ができて、みんなで柏手を打つ。黒スーツの人、品のいいおじいさん、派手な女性たちに、観光客、目つきの鋭い人からぼんやりした人、カップルに子供連れ。みんな入り交じって渦になる。イカ焼きのにおい、焼き鳥、おでん、わたあめ。焼そばをいためる華麗な手つきにみとれていると、まだ中学生くらいじゃないかと思える男の子が、その手をとめてにっこりと笑う。その目。そしてかけ声。七福神だよ、お姉さん、という声に振り向く。あらそっくりだよ、買っていきなよ。笑う、泳いだ目の先に大きな熊手を持った恰幅のいい男性。連れがぞろぞろ。参拝の列に並ぶ。空を覆うかのような提灯。目がくらむ。

[] 仏像 − 一木にこめられた祈り@東京国立博物館

行ってきました。仏教徒でもなく知識もないですが、仏師を目指してる友人の影響で興味があったのと、一木から彫り上げた仏像、というとこに、なんかぐっとくるものがあって。

館内は混雑していたけれど、じっくり見れないほどというわけじゃなく、知識などなくても素直に楽しめた。手を合わせる人もいれば、「○さんににてるね」なんて話をしている人もいる。自由だ。そして、仏像にはなんかこう、威力があるなと思う。そして中には「これだ、」と思ってしまう像というのがある。あった。あるもんなんだな、と思った。

その像は、からっぽな顔をしていた。他の像には、少なからず性格のようなものを伺わせる表情があり、もしくはとても写実的で、美術品としての品があったりするのだけれど、その像は、からっぽな顔をしていた。

からっぽ、ということは、つまりどんな事柄も飲み込むような大きさがあるということだ、なんて私は思う。でもそれはすごく小さくも思える。やさしくて、静かな仏像だった。

全部見終わってからもう一度そこへ戻り、その顔を記憶しようと思ったのだけど、もう忘れかけている。絵葉書などもなかった。でもいつか、また見てみたいと思う。いつもは奈良国立博物館にあるらしい。

それから後半は円空と木喰の仏像。円空の仏像は、どれもいい顔をしている。トーテムポールみたいな三体の、左の善財童子立像の顔が特に好きだ。ニョロニョロみたいでもある。「一木」というテーマにもっともあった仏師なんだろうな。

[][] NOT SIMPLE/オノ・ナツメ

not simple (IKKIコミックス)

not simple (IKKIコミックス)

1巻だけ発売されて、未完だった作品が完結してIKKIコミックスから再発された完全版。とのことですが、読むのははじめて。

今まで読んだ作品から、想像してたオノナツメさんの作風からすると、かなり意外だった。多田由美さんの作品や「のら猫の日記」(「Manny & Lo」)を思い出すような物語だったんだけど、この主人公イアンの雰囲気は、この絵で描くからこそ、だなと思う。まっさらに見えて、全部飲み込んでくみたいで、だから物語に/フィクションに、ならなきゃ仕方なかったということだろうか、なんて考える。全てが裏返しみたいで、読み終えてから、この冒頭の話を読むとさらにやるせない。けど、

結末の付け方まで、読みごたえのある作品だったと思う。

2006-11-03

[] 下北沢

パプリカ展見にいくぞーと思ってたのに、調べたら今月末からだったので(焦り過ぎた)、下北行って、ぶらぶら。

サリースコットでスカートを試着するも、サイズがどれもあわなくて断念。残念。ちょっと柄じゃないかって気もしたけど、かわいかったなぁ。冬は嫌いだけど、冬服は好きだ。

ところで、お店でspoonを見せてもらったのだけど、「文化系女子」って言葉がふつうにのってて、というかあの雑誌は明確に文化系女子向けらしくて、ちょっと驚く。文化系女子って何だっけ? (検索した)なるほど。

それから漫画買って、飲んで、お腹いっぱいだーという台詞の十回めくらいで家に到着。

下北はたぶん、地元の次に多くの時間をで過ごしてる場所だけど、いつもだいたい、おなじパターンだ。もう何回、おなじ道を、寒くなってきたねぇなんていいながら歩いてるんだろう。そして、この先何回、こんな時があるんだろう。

同じ場面でも、毎回、私に見えてる世界はまったく違って、今日思い出したそれと、いまとは、こんなにもかけ離れている。

[] C†Cメモ

クイックセーブはセーブじゃなかった! という事故(事故?)があって、少し手間どりつつ、進んでます。危険。

せっかく鍵を手にしても使わない主人公に呆れつつ、かなりこたえる一週間をクリアしたのが数日前。でもその次の週はさらにすごかった。まさかこうくるとは思わなかった、けど、でも、そうだよなと思う。そして、彼女の話す言葉に驚く。そして、その言葉に対する主人公の返事にぐっとくる。

しかも、なんだか、あまりにもタイムリーすぎる。あーあー。んー。これって、ここでは許されるんだろうか。それとも、ゲームは現実とは違うとか言っちゃう? いや、そもそも誰に許されたいのかって話ですよ。

何の話だかってメモになっていますが、とりあえずはこの感動をメモってことで。先に進みます。

相変わらず自転車少女はかわいいです。でも後輩のあの子も大好きです。弟さんはなんであの人の声なのかが気になります。映画館でよく耳にする「ねぇねぇ、どったの? せんせぇ」のバックスバーニーだ。

2006-11-02

[][] 木更津キャッツアイ ワールドシリーズ

一人だったら別の映画を見るつもりだったけど、急きょ連れができたので、キャッツ見にいく。久々だ。「日本シリーズ」が個人的にいまひとつだったので、今回映画館に行くかは微妙だなーと思ってたんですけど―――行って良かったです。

かなり笑った。テレビシリーズひっくるめて同窓会みたいな雰囲気もありつつ、キャラクターがみんなブランクの時間を経て成長(?)してるのもよかった。今回はバンビの視点からはじまるのですが、今から思えばバンビの普通さっていうのは、竹本君と重なるような気もして、今さらながらどちらもはまり役だったんだなと思う。いい顔してた。生き返るって? と思ってたとこも、なんかうまい具合に無理矢理なのが「らしさ」だったり、泣かせるぞーって「ため」もあんまりなく、笑えるって方に力が注がれてるのもよかった。こういうお別れの仕方ができるっていうのは、やっぱりその間に流れた時間によるところもあるのだ、と思う。

某映画が軸ネタになってるとこは最初から笑えたのだけど、野球の場面では、ネタとしてではないけど、高橋ツトム「鉄腕ガール」を思い出したりした。

野球とかやったことないけど、やりたくなりました。ほんとに。

しかしなんといってもすばらしいのはやはり薬師丸ひろ子さんだ、と思う。あの普通じゃなさと慈愛にあふれる表情の紙一重で見ていて落ち着く感じ、あの人じゃなきゃできないよなと思う。

[] おとぎ話が足りない

「一切のおとぎ話をひきはがした」後に残る、絶対的絶望を直視する、という、一見、潔い行動は、実は、「自己意識宇宙の絶対的な終焉である死」という「おとぎ話」を見つめていただけなのではないのか?

死の恐怖は、死が永遠の絶対的虚無であることからやってくる。

しかし、そもそも、「永遠」など「存在」するのだろうか?

われわれは、「永遠」という名の「おとぎ話」に踊らされてはいないか?

http://d.hatena.ne.jp/./fromdusktildawn/20061101/1162352701

一切のおとぎ話をひきはがした後に、絶望や無気力が残る(回路が作動する)、というのは、なるほど、と思った。

しかし、死の恐怖、というのは「永遠の絶対的虚無」であることにあるのだろうか? 私は、死んだ後も、自己意識宇宙というものが「永遠に続く」としたら、そのほうがずっと恐ろしいことのように思う。

終わりがないということは恐ろしい。

でもそれが恐ろしいのなら、最初から無であることを知って/薄々感じ取っているのなら、なんで一切をすぐに終わらせないのか、と聞き返されるかもしれない。そこを、考えてみるべきなのかもしれない、と思う。

私が恐いのは、自分と関わる他人の「絶対的な終焉」の方だ。だからだ、と答えるのはごう慢にすぎるかもしれない。しかし、その「自分」というおとぎ話こそが、この私に力を与えてくれるのではないだろうか。

「神は死んだ」という言葉によってもたらされたものが、キリスト教における天国という永遠が虚構であったという「おとぎ話のひきはがし」だったとして、しかしその後に訪れたのは絶望だったのだろうか。むしろ誘惑だったのではないか、と思う。

神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ。世界がこれまで持った、最も神聖な、最も強力な存在、それが我々のナイフによって血を流したのだ。この所業は、我々には偉大過ぎはしないか?こんなことが出来るためには、我々自身が神々にならなければならないのではないか?

宗教や国家などの大きなおとぎ話は、時として抑圧にもなるけれど、多くの場合は小さなおとぎ話への執着が、死という「終わり」へ対する恐怖を生み、またおとぎ話を手に入れられないという葛藤が、もともと下地にあった絶望とか無気力の回路を開き、底が抜けるのではないか、もしくはガソリン切れの状態を引き起こすのではないか、と思う。

自分という存在は限りなくゼロに近かったとしても、この自分という世界の中ではもっとも大きなおとぎ話だ、と私は思うけれど、それもただの燃費の良いおとぎ話に過ぎないのかもしれない。

楽観的なんだか、悲観的なんだか。

生きているのはひまつぶし 深沢七郎未発表作品集

生きているのはひまつぶし 深沢七郎未発表作品集

これを読みながらそんなこと考えた。内容が関連してるわけではないんだけど。

[] 11月になっていた

待ちに待った三連休、で、朝からにやにやしていた。打ち合わせ行った帰りに古本屋寄り道してこの前買ったハヤカワSF数冊が全部あるのを発見して残念というよりむしろうれしくなって会社かえって仕事してまた打ち合わせして目処ついた帰り際にもやはりにやにやしていた。

昼休みの喫茶店では隣の席のサラリーマンがやけに白っぽい漫画読んでて、それはつまりハンターで、めちゃめちゃ熱心に読んでるので、やっぱ続き買おうかなと思ったりして、帰り道、うまい具合に待ち合わせできて映画みて、ほくほくしている自分がいる。

終わったことがあって、続いていることがある。

木々の色がかわりはじめ、隣の席の人のコート姿をはじめてみて、六時はもう夜で、カレンダーは残り二枚だ。しかし今日からの連休は、まるで永遠みたいにまっさらで残っている。なんてすばらしいんだ。

2006-11-01

[] ならぬわけ

北海道と福岡の児童・生徒がいじめを苦に自殺するなど、学校でのいじめが社会問題化する中、江戸時代の「什の掟(じゅうのおきて)」が教育関係者の注目を集めている。会津藩が藩校「日新館」入学前の子供たちに唱えさせたおきてで「弱い者をいじめてはなりませぬ」など7項目と「ならぬことはならぬものです」の結びの1文で構成される。現在は博物館となっている日新館には、全国の学校から問い合わせが連日届いている。

http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20061029-109918.html

倫理が通用しなくなったので、「ならぬものはならぬ」と教えようというのなら、それは逆戻りじゃないのか。ならぬものがならぬ理由として倫理があみ出されたはずなのに、それを放棄しようとしているように感じる。「ならぬ」「なんで?」「ならぬものはならぬからだ」という会話が思い浮かぶようだ。便利だ。そしてなんの効力もない。やがて、効力をもたせるために、罰があみ出されるだろう。

どうにもならないことは確かにある。でもそれを、ならぬものはならぬ、で説明しようとするのは、横着ではないのか。どうにもならなさの解決にはならない。個人の解決策としてはありかもしれないけど、ならぬわけの説明にはならないし抑止力にもならない。なぜならそれは、ならぬわけを考えさせないための言葉だからだ。

今、「愛はさだめ、さだめは死」を読んでるのですけど、そこに収録されている「接続された女」にこんな台詞がある。

公共の場所での自殺は重罪だよ

皮肉だ。

[] とどめをハデにくれ

びっくりな出来事があった。瞬間「人生オワタ\(^o^)/」が浮かぶくらいのショックだったのに、なんか、しんとしている。参ったなぁとは思っているけど、普通に残業して、散歩がてら歩いてかえって、晩ご飯食べて風呂とか入ってるって、なにこの日常。いったい自分はどうしちゃったんでしょうかってくらい、どこか他人事なのがまたショック。

それと同時に、このショックで数カ月食べていけるとも思う。それに、自業自得だって反省と同時に、自分の手の届かないとこで世界が動いてるって知るのは、悪くない気分なんだ、悔しいけど。

どうしようもないのでピーズ聞いて寝る。

ダメだもうダメだ思いきり深くダメ

はじめるぜおわらすぜわけわかんねーまま散るぜ

というわけで、もう考えない。

そんなことより、三連休だ。明日がんばって、早くおわらして映画見よう。

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