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  □これまでの日記一覧

2007-02-28

[] 「Yanqui U.X.O.」/Godspeed You! Black Emperor

Yanqui Uxo

Yanqui Uxo

『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』という、日本の暴走族を題材にしたドキュメンタリー映画(柳町光男監督作品)のタイトルをバンド名に冠した、カナダ・モントリオール出身のバンド、Godspeed You! Black Emperor。90年代前半に結成されたようだけれど、日本で話題になり私が知ったのは、確か音響/ポストロックブームの頃のことだったと思う。

繊細な音色やミニマルな楽曲が数多く押し寄せてくる中で、Godspeed You! Black Emperorのストイックさ、ヘヴィさ、反商業主義を主張するスタンスは異色だった。ポストロックの色が透明から白、水色だったとしたら、彼等の音は黒かった。そして一筋の光。

最近CD棚に「Slow Riot for New Zero Kanada」を見つけて、そういえばあの人たちどうしてんだろ、と思って買ったのがこの「Yanqui U.X.O.」。スティーブ・アルビニ プロデュース作なのね。でもこれ、2002年の作品で、これが最新作ということは、もう既に5年も音沙汰がない、のだろうか?

ヘッドフォンで聞くと、何度も何度も、新しい映画を見ているようなカタルシスと物語を伴う音。一曲20分程もある長い楽曲が目立つけれど、何曲めから始まっても、様々な起承転結が思い描ける。今聞くと、これは音響とかポストロックとかいうよりは、むしろ現代のプログレッシブロックなんだろうなとか思いつつ、ビル街を歩く。街の印象が変わる。ライブ見たかった。

[] 認識する、という行動

shokou5さんからトラックバックいただいて、コメントで質問してみようかなと思ったのですが、まとまらないのでとりあえずここに書く。

とはいえ、私は、自分の考えていることが何の話なのかよくわかってない。もしかしたら、ごっちゃにするな、と怒られるようなことしてるのかもなぁというのがちょっと心配で、だから、何を言っても机上の空論、多く見積もっても、私だけが実感をもって感じられることだと思ってます、という言い訳を最初にしときたい。まだ手をかけるとこ探してる段階です、ということでゆるされたい。

ともかく、私が気になったのはこの部分でした。

計算をチョイスしている際(delay period)に足し算/引き算を担っている部位(MPFCa)と、実際の計算を行っている際(execution period)に足し算/引き算の情報を担っている部位(MPFCp)が異なっていることからも、「意図」と「実行」の分離ははっきりと示されている。またこの分布から脳の内側の前方から後方に向かって、意図→実行というグラデーションが描ける、ということも先行研究と一致して示された。

今回の結果は、「意図」とは事後の解釈によって行動に対して与えられる「理由」でしかない、と考えるアンスコムに対するはっきりした反証となるのではないだろうか。

冗談を休み休み言いたい。− 「脳の中の意図」

shokou5さんが言及されている実験内容は、たぶん、「足し算or引き算どちらかを選べ」というお題が最初に与えられた状況で、数字が提示され、あらかじめ決定した意志に従う様子を証明(?)するものなのだと思う(ちょっと自信ない)。そして、その(計算のための)数字が提示される前から、前頭前野に「意志」が表象されている……簡単にいうと脳が準備している、ということ、かな?

正確な意味合いはshokou5さんの文章を参照していただきたいのですが、「この時、被験者は「足し算」か「引き算」か、決めることができる」というのが意志(or意図)だとして、足し算か引き算か「決めた」、と被験者が認識するより前に、それが決まってるっていう話ではないのだろうか。

私はアンスコムという人を知らないのですが*1、その選択自体が「行動」であるとするなら、やはり「意志」は行動の「理由」なんじゃないだろうか…。「理由」というよりは、意味というか。意図すること、意志することの言語化(具体化)が、行動(決定)なんじゃないか……と思った。

もちろん、このへんの疑問にはshokou5さんも触れられていた。

今回注目している脳活動は、おそらく、実際の足し算/引き算のチョイスが意識に上っている段階のものだ。では、被験者が実際に意識的にチョイスを行う前の脳活動はどうなっているのだろう? “select” の指示が出る前から、被験者の行動は脳内で「決定」されているのでは? これは恐らく正しく、恐らく間違っている。実際の行動の因果を辿っていけば「意図」はどんどん時間的に空間的に分散してしまう。

今読んでいる「心の社会」から自由意志について書いてあるところ*2をひいても、やはり

おそらくは、「自分の判断は、自分でもわからない心の中の力によって決められた」のだ、と言ってしまったほうが正直だろうが、何かほかのことによってコントロールされていると感じるのは、誰にとっても嫌なものなのである。

「心の社会」p502

と書いてある。うん、まあね、そうだよなぁって最近は思ってる。でも、ですよ。私は私の意志によって私の行動を決定できる、というのが正しくないにしても、そう感じることのできる心の動きは残るわけです。そして、そう感じる心の動きもまた、コントロール、されているとする。

こう考えると勝ち目のない戦いのような気もしますが、そのコントロール作業自体が、「私」という視点がなければ、あらわれないものでもあるわけですよね。

いやいや、もし全ての因果をマッピングできれば「私」の視点を分割することもできる?

かもしれない。

でもそれは果たして「私」の続きなんだろうか…って、この(よくでてくる)疑問の意味するところが、やっと分かりかけてきた気がする。

 関連?

意味は後からやってくる

意志と言葉

[] 続き/身体と脳

先日、飲んでる時に「身体が脳を作る」みたいなことを言っていた人がいた。

だから俺は身体を鍛える、みたいなことを言ってたので、そのへんはまあいいんですが、私はいつも考え事をする時「身体」という輪郭というか境界線のことについて、あんまり意識しないようにしている気がする。感覚、は気になるけど。

でもそこは結構重要なんじゃないかって気もしていて、じゃあ、なんであんまり身体という捉え方をしないのかといえば、意識とか、意志とか、そういうことについて考えるのは、むしろこの身体、という枠の外に踏み出してみたいと考えることに似ているからなのだろうなと思った。客観できないものを客観視してみたいというか。

*1:ちょっと検索してみたところ、エリザベス・アンスコムというのがその人なのだと思う。分析哲学者で、ヴィトゲンシュタイン「探求」編纂に携わったことで有名。とのこと。

*2:ほとんどラストだ/もちろんまだそこまで到達してなくて先に読んじゃったんだけど

shokou5shokou5 2007/02/28 21:02 ご感想戴きありがとうございます。僕自身あやふやなところなので一緒に考えていただけて心強い限りです。
アンスコムに関しては僕の記述が不十分だったのですが、彼女は実際の行動が起こった後に、後付けで行われる「説明」として意図を考えているのです。つまり彼女にとって「意図」とは行動に先立つ原因のようなものではないのです。元の記事に別の詳しいサイトへのリンクを張っておきました。ご参考になさってください。
実験結果の解釈としてはお考えの通りでよいと思います。ただ
>被験者が認識するより前に、それが決まってる
ということ自体は、この実験自体では示されていません(こちらのコメント欄で紹介したベンジャミン・リベットという人の実験がそれを示唆していますが)。fMRI という測定器具はそこまでの時間精度はないんです。
この実験のポイントは脳の活動パターンに被験者の「意図」らしきものが反映されていた、ということです。イーガンの「決断者」(すごかったです!)では眼球に設置したパッチに自分の意図 (=神経活動) を反映したヴィジュアルが映し出される描写がありましたよね。あれに近いことが出来たということです。
そして、あの小説の結末が示すようにその意図を遡っていくと結局、百鬼夜行の中に消えて行ってしまうんですね。けれどもそれでも「私の自由意志」というものは存在する、と僕は思います。たくさんの支流の合流地点としての「私」というのは、それだけで何か尊い特別な地点として考えていいのではないか、と思うのです。そんなことをイーガンを読みながら考えていました。

>意識とか、意志とか、そういうことについて考えるのは、むしろこの身体、という枠の外に踏み出してみたい
まさにそういった提案をデネットはしています。僕が引用したところでも、「自分自身を小さくするな!」と。

ichinicsichinics 2007/03/01 01:25 shokou5さん、どうもです。こちらこそ、つたない疑問につきあっていただいて、感謝します。
「決断者」すごいですよね。で、あれに近いことができた、という説明でなんだかずいぶんすっきりしました。いまさらですが、すごい実験ですね。
それからアンスコムについての説明もありがとうございます。はじめに「「意図」とは事後の解釈によって行動に対して与えられる「理由」でしかない」と書かれているのを読んだときは、自分の考えてることのイメージに近いかな、と思ったんですが、ちょっと違ったかもしれません。もうちょっとちゃんと読まなきゃわからないですけど…。
ただ、まだうまくいえないんですが、「自由意志」という言葉の意味することが、自分の意志で自分の行動を決定できること」だとしたら、私はそれは、なくてもいいんじゃないかな、と思ってます。
「自由」というのがどういうことなのか。「自由意志」にまつわる文章を読んでいると、仮に《「私」にこれまで蓄積されてきたデータの計算結果として行動がある》、という論に反論しようとするとき、そこでは「自由であること」よりも、それが「オリジナルであるかどうか」が、重要なポイントとして語られているような気がするのです。「個」性があるかどうか、というか。
「心の社会」読んだら、デネットの本も読んでみようと思ってます。ほんと、今が夏休みだったらいいのに(笑)!!

2007-02-27

[][] 君とボクの虹色の世界

監督:ミランダ・ジュライ

君とボクの虹色の世界 [DVD]

君とボクの虹色の世界 [DVD]

この映画には、思春期の少年少女と、思春期をこじらせた不器用な大人たちがでてくる。彼等の抱える妄想と現実。端からみたら照れくさいし、可笑しかったり、むちゃくちゃだったりするのだけど、彼等は皆それぞれに切実に、求めている。………でも逃げたり。

天井を見上げながら、夢の家について解説する少女の隣で、「天井に住みたい」と言う少年。しかし少女は「そうしたら、この部屋にある全てが落ちてきて、死んでしまうわ」と答える。

ここと、あそこ(そして「君」と「ボク」)は、そのように相容れない世界かもしれない。もどかしさに行き止まった時は、クリスティーンのように、車の窓ガラスに「FUCK YOU」と書きなぐって、自分を取り囲むうまくいかないあれこれをののしりたくもなるのだけど、思いがけない現実はいつの間にかベンチの隣に座っていて、髪をなでてくれたりもするのだ。

あの場面の可笑しさと優しさと愛おしさったらなかった。

見終わった後、なんだかいろんな気持ちがわっと浮かんできて、訳もなく歩き回りたくなるような映画でした。外にでて、早足はだんだんと駆け足になって、不意に口元から漏れる意味もない笑いのようで、特別なんだけどどこにでもある。スイッチ。この気持ちは、「ひかりのまち」を見たときの感じに似てる。私はあの映画がほんとに好きだ。「何か」の手を感じてしまうような、誰かと誰かのつながりをもっと見たいといつも思っているし、この映画はそれを見せてくれた。それから「サムサッカー」や、一昨日読んだ「少年少女漂流記」(id:ichinics:20070225:p1)と同じく、全ての登場人物が、どこか愚かな部分を持っている、中二な映画だったのも、照れくさくて何度も唸ったけど、好ましい。こういうがむしゃらさ、というか切実さにぐっとくるんだ。

わざわざあげるのは野暮な気もするけど。導入部分を見て「あなたがここにいてほしい」を思い出した。そういう意味では「ロード・オブ・ドッグタウン」みたい…とか一瞬思ったけど全然か。

Wish You Were Here

Wish You Were Here

[] 今日はとても、いい天気でした。

ichinics2007-02-27

ヨコハマ発の電車に乗った。

空は晴れわたって青く、でも少しかすんで深い色。

「ホットなナンバー空に溶けてーったー」

なんてちょっといい気分になりながら、

どうも、お忙しい中、お時間いただきまして、ところで云々、

なんて、仕事をすませて帰る頃には、町の輪郭は赤く煙り、

線路の向の向こうでゆらめく感じに、ウルトラセブンの何話めだったかを思い出す。

赤いてるてる坊主肩に乗せてあるくやつ。

あれはセブンじゃなくてレオだっけ?

それにしても、夕焼けを見るのは久しぶり。

ぼーっと見てたら、あっという間に夜になった。

帰り道にかかってたのは「My Life Is Starting Over Again」。

オバーアゲン、オーバー、アゲイン

月曜日ってウンザリ、ってつり革に手も届かないランドセルの女の子が吐き捨ててて、

わたし、がんばんなきゃーなーと思う。

[] 

今日、コスモ石油のCMの曲は菅野よう子さん作曲だ、と知った。

2007-02-26

[] 想像した

毎朝乗るバスは、路線に中学がひとつ高校がみっつ小学校がひとつあるせいか(たぶん)とにかく老若男女が満載で、みんながちょっとしたダルさを共有する月曜日はいつも、よたよたと走り、やっとのことで駅にたどり着く。

駅について、電車に乗り込んで、やれやれだぜ、で携帯でアンテナ見るのも「いつも」なんだけど。

フジ、いいなぁ、苗場、遠い。誰か行かないかなぁ。なんて思いながら、「freak in freak out」さんの「かなしいうわさ」を読んでいて。

って!!!!!!!!!!!

Jonathan Richman

の文字が目に入って、思わずうえって(興奮しすぎて)なった。

おおおおおおおおおおああああああああああああええええええええええええええええええ

あ、引用するとこ間違えた!

想像してごらん

苗場の青空の下でThat Summer Feelingを聴くことができるんだよー

「かなしいうわさ」200702252007年02月25日(日) 満を持して

想像した。

うわー!!!!!!!!

ああああああああどうしよう。どうしようか?

じぶん、フジは苗場になってから行ったことないんす。でもジョナサンくるなら1人でもいきたいっす。でも土地勘なさすぎるしたくましさに自信ないので、人を捜し、その上でチケットがとれるかどうか、そして宿が…という戦いに参戦しなければならないわけですね。朝霧より(チケットとるの)厳しいのかな。あああ。一日ならとれるかな。あれ、通し券しかないんだっけ?(確認した。一日券もあった)

とかとかとか。

でも行けないかもな、って思うとすげーかなしい。

まだ三月だ。どうにかなる。きっと。

とにかく、だいすきなJonathan Richmanが、夏に、フジに、くるんだって!

[][][][] 平成18年度文化庁メディア芸術祭

今年も行ってきました。10周年だそうです。

今年は全体的にアート部門の受賞作品に「言葉」「文字」をビジュアルで表現したものが多かったのが印象に残りました。ただ、寝坊したせいであまりじっくり見れなかったので、会期中にもう一度行きたい。「こまねこ」上映される日にまた行く、つもり。

こちらで、受賞作品の映像見れたりします。

以下気になったものメモ。

アート部門

  • Imaginary Numbers 2006/木本圭子
    • 大賞受賞作品。黒い画面の上を乱舞する粒子。とてもシンプルな画面でありながら、消えていく花火のようでもあり、水中からあおぎ見る水面のようでもあり、膨らんでいくイメージに引き込まれる作品だった。解説には「作者が長年追求してきた、非線形数理モデルをベースとする有機的また生物的ダイナミクスをテーマとした作品群の新作である」とあって、正直私には何のことかわからないんですが…、でもイーガンぽいなと思って盛り上がる。すみません。でも計算式の美しさをビジュアルで表現するとしたら、こんな感じなのかなとか、思う。
  • OLE Coordinate System/藤木淳
    • 優秀賞受賞作。シンプルでユーモラスな図柄で描くエッシャー的不条理世界という感じか。三次元と二次元をいったりきたりする感じが面白い。
  • 素数ホッケー/リスーピアプロジェクト
    • 落ちてくる数字の中から素数だけを打ち返すホッケー。楽しそうだったけど、バカがばれると恥ずかしいので見てた。
  • CREATUREs/植木淳朗
    • ふいごのような仕組みで、まるで眠っている「生き物」のように見える造形物。天井につるしてあった花もかわいかった。
  • diorama table/高橋圭子:笹田晋司
    • コップを置くと町が出来、ひもの上を汽車が走り、丸めたところに池ができる。ジオラマテーブル。楽しい。
  • 言琴
    • 鉄琴を叩くと、掛け軸の形をしたスクリーンの上に文字が落ちてくる。混んでて触れなかったのだけど、たぶん鍵盤ごとに文字が割り振られていて、音の響きによって落ちてくる文字の大きさや動きがかわってくるのだと思う。文字の消え方が美しい。

エンターテインメント部門

  • 大神
    • 大賞受賞。弟が買ったのでやります。
  • リズム天国
    • 優秀賞受賞。試遊してみたんだけど、かなり面白かった。ので買うつもり。こんなの出てるの知らなかったなー。
  • CORNELIUS “Fit Song”
    • 優秀賞受賞。辻川幸一郎監督作品。受賞を知ってからスペースシャワーやらでよく見るようになったのだけど、とても面白いMV。音楽と映像がかみ合う気持ち良さと楽しさ。
  • 日本再発見マップ
  • 雨刀

アニメーション部門

短編とか面白そうなのたくさんあったのに、ほとんど見れなかったので、後日改めて。

  • 時をかける少女
    • 大賞受賞。DVD予約しました。
  • おはなしの花/久保 亜美香 / 井上 精太
    • 優秀賞受賞作。すごく良かった。今回新しく知ったものの中で一番印象に残りました。何気ない会話を映像にしたアニメーション。この前読んだ「決断者」*1にでてきた「言語を資格化するソフト」のことを思い出した。ここ(http://plaza.bunka.go.jp/festival/sakuhin/sakuhin/anime02.html)で映像見れます。

マンガ部門

よつばと!」5巻の原画に見とれる。好きな漫画がたくさん。なので原画だけぐるっと見て、ほかはほとんど見てません(時間なかった)唯一の自主制作作品、「SHI RI TO RI」の絵がすごくかわいかった。佐々木マキさんの絵本のようだ。

参考

平成17年度文化庁メディア芸術祭;感想

平成16年度文化庁メディア芸術祭:感想

[] 「Saccade-based Display」@最先端技術ショーケース

文化庁メディア芸術祭協賛の「最先端技術ショーケース」。ここは毎回楽しいんだけど、いっつも時間切れになってしまいます。

Saccade-based Display

これはすごい。何を言っているのかわからねーと思いますが…私も何をされたのかわからなかった…。そこには棒のようなディスプレイがあるだけなのに、でも、何かが確実に見えている。

人間の眼は自分の見たいと思う方向に向かって1秒間に数回大きく動いています。そして、その度に眼の中の網膜には、ビデオカメラを高速で動かしたときに生じるようなボケ画像が描かれます。にもかかわらず、日常生活においてはそのような像が見えることは殆どありません。つまり眼が動いている瞬間の情報が切り捨てられることで、安定した視覚世界が作り上げられているのです。(パンフレット解説より)

そして、この「Saccade-based Display」は、縦一列に並んだLEDによって、情報として切り捨てられる動きの中にだけイメージを映し出す。

今まで意識してなかった部分が浮かびあがってくるときの恐さと面白さが強烈だった。

f:id:ichinics:20070226015003j:image:h150 普通に見る

f:id:ichinics:20070226015000j:image:h150 ちょっと動く

実物はもっとすごいです。見れないのに見える、複雑な気分を味わえる。来てるなー未来。

参考

こちらに解説があります。

http://www.star.t.u-tokyo.ac.jp/%7ejunji/saccade/indexj.htm

ORIPA/Computational Paper Craft

折り紙の展開図を描くエディタ。こちら(http://mitani.cs.tsukuba.ac.jp/pukiwiki-oripa/)に公開されています。

そういえばメディア芸術祭のエンターテインメント部門にも「パソコンでつくるペーパークラフト〈2〉 (I/O BOOKS)」というものがあって面白そうだった。

toukatouka 2007/02/26 17:06 雨男を見てイラッときてしまったんですが、なんでこれを見ていらつくのかを考えてみると、この作品はたとえば往年の時代劇から直接のインスピレーションを得て作られたものじゃなくて、源平、侍スピリッツやブシドーブレード、それに3D Gundam(http://www.youtube.com/watch?v=raFKb7kjz2g)、ピタゴラスイッチ(http://www.youtube.com/watch?v=GV1pyICsR6M)などの作品の影響を受けて作られたものだということが露骨に見て取れて、そしてそのことを、審査する側がまったく見破れていない、そこに流れる文脈にまったく気がついていないという断絶にいらついたのでした。だって見よう見まねで丁寧に仕上げただけの、なんらあらたに見るべきもののない「秀作」ですもの。知ってたら絶対嫌な顔しますって。
こういう賞はあくまできっかけとして存在してるんだから、いちいち目くじらたてたって……とは思うのですが、微妙なところをかすられると、やっぱどうしても反応してしまいます。

ichinicsichinics 2007/02/27 00:11 toukaさんこんばんは。イラッときましたか(笑)
というかよりによってそこを突っ込まれるとは…ってちょっと後悔しました。(ん?)
それより今回みるべきは「おはなしの花」ですよ!
で、えーと、「雨男」に関しては、たぶん作者は自覚的なんだと思いました。だからいいって訳じゃないですが。あと、毎年楽しみにしてるイベントですが、私にとって、文化庁メディア芸術祭における審査員評はあんま見ないでスルーしていいかな…という部分です。でもそういうとこからランダムにあがってくる作品がいいな、というか。デジスタ見てる気分です。
しかし「3D Gundam」は何度見ても愉快ですね。「雨男」ももっとベタにパロディだったら面白かったのかもしれません。そしたら文化庁はないかもだけど。うーん。

2007-02-25

[][] 少年少女漂流記 古屋×乙一×兎丸

小説すばる」に連載された、古屋兎丸乙一の合作漫画。

少年少女漂流記

少年少女漂流記

すごくよかった。これまで古屋さんの漫画は、どこか無機質なイメージがあったのですが、乙一さんとの会話から生まれていったというこの物語は、なんかこう、エモい*1

最後に収録されている対談で、

古屋 : 「中二病」って言葉があるじゃないですか。僕と乙一さんの共通点を挙げるとすると、そこなんじゃないかな。

(略)

乙一 : あの頃のようなちょっと馬鹿な。

古屋 : なんかこう、満たされない思いを妄想で補っているような。

乙一 : なんか自意識過剰みたいなね。ハタから見たらちょっとイタイんだけど、本人はすごい必死な感じというか。

古屋 : 僕も乙一さんもたぶんそういうものを引きずっているというか、そういう主人公を描くのが好きだという共通点がある。

という発言があったんだけど、つまりどこかで思春期を抱えっぱなしでいる人には、ぐっとくる漫画なんじゃないかと思う。私はそうだった。渦中にいると、自分と比べ過ぎてしまうかもしれないけど、離れてしまうと、この漫画を読んでいる今と、あそこがちゃんと繋がってるのがわかる。ラストのまとめ方も、作者ふたりの立ち位置がきちんとあらわされていて、力強い。

物語は8人の少年少女の「妄想と現実」。コメディがあり友情があり片思いがあって、古屋兎丸乙一、という二人の作家の多面性を味わえる作品集でもある。

思春期における葛藤や肥大する自意識、というのは、特に漫画ではよく扱われてきた題材だと思うけれど、この「少年少女漂流記」は、ひとつひとつを取り出してみても独立した面白さがあるうえに、1冊でひとつの物語として読むからこそのカタルシスも用意されている。贅沢な構成だ。

読み終えてみると、自分もまた、自分の中の思春期と顔を見合わせていた。お互い苦い顔しつつ、どこかとても、頼もしい気分だと思っていた。面白かった。

[] ブーツ

ABCのイベント行く前に、妹と買い物にいった。ブーツを買いました。そろそろ冬も終わるというのに、ですけど、前から欲しかったやつが安くなってたんだ…はじめて見たときは試着したら欲しくなるけど高いし、と思って履かなかったんだけど、履いてみたらやっぱかわいかったんだ…。そしてしかも妹と色違いで同じの買ってしまった。今月はオーロラシューズ予約しにいこうと思ってたんだけど、ちょっと見送るべきかもしれない。

アルパカっぽいブーツです。皮で、もこもこしてて、ちょっとヒールあって。帰り道「でもこれ、なんかFFっぽいね…」と気付いたら、いったい何にあわせて履けばいいのかちょっと心配になったけど、まあ大丈夫。残り少ない冬に活用しようと思います。はやくこれ履いて出かけたいなー。

[] 島鳥

先日、行ってきた展覧会。

「島鳥」

Gallery工房「親」

2007年2月16日〜3月3日12:00〜19:00(日、月休み)

http://www.kobochika.com/HOME/Home.htm

梶浦さんは友達の紹介で知り合った、インドネシアで生活しながら、造形作家として活動をしている方。

彼女の作品は、どこか不思議で、やさしくて、私は昨年だったか、友達に初めて展覧会につれていってもらってから、すっかりファンになってしまった。

鳥や馬や牛や猫。そして植物も、その造形だけでなくて、背景にある物語まで、見えてくる感じ。

今回の展示ではブロンズ像の他にたくさんの動物の絵も見ることができます。

パンフレットに書いてあった言葉も、すごくすきだ。

世界が広がるような一瞬を流れている時間の中に見つけなくてはいけないんだよ。そんでもってハシでつまみ上げる感じですよ

HP → http://www004.upp.so-net.ne.jp/monasuky/

2007-02-24

[][] 放浪息子 6巻/志村貴子

放浪息子(6) (BEAM COMIX)

放浪息子(6) (BEAM COMIX)

文化祭で上演する「ロミオとジュリエット」を中心に展開する巻。とても充実した読みごたえのある巻だった。とくにマコちゃんとニトリくんの友情が良い。

高槻くんとニトリくんの関係は、あの「遠くに行こう」と下着を買いにいくシーンなどみると、ほんとに「鈍感な男子と乙女心」のステレオタイプでもあるのだけど、それでいて、その上にきちんと共有するもののある友情がある。

しかし千葉さんがニトリくんを思う気持ちは何だろう。

まだ憶測でしかないけれど、千葉さんが男装をしても髪を長いまま見せているところからしても、千葉さんは、ニトリくんを好きでも、そのことによって自分の性別を置き換えようとはしていないのだと思う。ただ、教会でひとり、ロミオとジュリエットに自らを当てはめてて夢想する千葉さんの様子を見ると、千葉さんはちゃんと、女の子としてのニトリくんを、好きなのだと思う。

そして、p188の高槻くんの顔。高槻くんは、男の子として、恋をしはじめているのかもしれない。切ない。

[][] 森達也×斎藤美奈子トークショウ@青山ブックセンター

森さんが話をしてるところを生で見てみたいなと思って行ってきた。

最後に、司会の(編集者の)人が「帰ってブログに記事を書くひとは〜」みたいなことを何かいっていて、それでも書くのってなんか申し訳ないというか、そういうことをわざわざいうんだ、って、ちょっとびっくりした。

で、どうしよっかなと思ったんですが。やっぱり「個人的な」記録として、書いておこうかなと思う。

今日のトークショーの中で、最も印象に残ったのは、

『個人的には、とか、いちいち付け加えてしまうのは、「私の意見」の他に「みんなの意見」があるからで、そのように皆が二重規範、ダブルスタンダードでいるのは不健康なのでは』(注:記憶書きです)

という話だった。たぶん斎藤美奈子さんの発言だったと思う。

私も上に「個人的には」と付け加えてしまったけれど、普段からこの前置きはよく使う。講演のテーマとはずれるけれど、これはネット上に日記やら感想をあげるにおいては、ちょっと難しい問題だ。で、わざわざ「ブログに〜」と釘をさされるのだとしたら(今日のはそこまでの意図はなかったのかもしれないけれど)、それは「これは私の意見であって、何か正しい「情報」ではないですよ」と前置きしておくことで応えたことにはならないだろうか。

このプライベート感とおおやけ感の境って難しいな。

と、前置きが長くなりましたが、今日のトークショーはとても面白かったです。

斎藤美奈子さんの本は実は読んだことなかったんですが、話を聞いていて楽しい、魅力的な人だなと思った。ので読んでみたい。

上の話の続きで、斎藤さんは『教室では1つの正しい答えを求められる。そして求められる答えと自分の心にあることを、「本音と建前」としてバランスをとる能力を身に付けていくのが日本の教育なのでは』と解説していて、興味深いなと思う。確かに、常に自分の意見の他に「建前」やらを意識して設定しておかなくては、という「空気」あって、それはすごく強い圧力でもある。しかし、例えばメディアという「大きな意見」を察することよりもまず、それもまた一つの意見/側面であるということ。それをふまえておくことの大切さこそが、森達也さんが長年語り続けていることだ。

だからつい、これも一つの意見ですよ、という意味で「個人的には」と言ってしまうのだけど、そこには矛盾があるだろうか? ちょっと考えてみたい。

その話から少しさかのぼって、「日本のメディアは家族主義、疑似家族としての規制がある」というようなことを話もあった。そして、この家族主義、他者の感情をおもんばかるべき、という空気もまた建前のひとつなのだろうと思う。

これもまた、物事を是非で二分化するのではなく、ちょっと立ち止まって考えることの大切さの話なんだなと感じた。

他にも、時事問題についていろいろ興味深い話が聞けたのだけど、それは自分の中でもうちょっと消化して考えてみたい。「日本国憲法」はまだ読んでる途中なので、それもいずれ。

ところで、今日は会場に「日本国憲法」と「それってどうなの主義」の装幀をされたコズフィッシュの祖父江さんがいらしていた。講演が終わってから誰かと話しているところを通りかかったのだけど、なんだかすてきなひとだったなぁ。

[] つかれた

昨夜は友達数人と飲みに行って、始発で帰宅。

何軒めかで、同じ店にいた、振る舞いが花村萬月かって感じのおじさんに絡まれる。

なんというか…本で読むのとリアルで萬月的な振る舞いをするのとじゃ訳が違うよなと思う(そもそも違う人なんだけど(というか花村萬月にしつれいか…))。ギラギラしてるのはこわいです。

酔っぱらってる友達(男)はたよりにならないので、ひとりで店をでて始発まで時間を潰す。もうあの店行かない…。

2007-02-23

[] エモさについて

ときどき、日記を書きながら、自分エモいなと思うことがあります。

エモ、という言葉を最初に聞いたのはロモロックとかエモコア、って音楽ジャンルとしての文脈で、確かシンプルプランの国内盤プロモーションでは、すでにエモエモと煽られていたように記憶している。それがたぶん5、6年前。で、ああエモというのはエモーショナルなってことね、と感情的全般に了解していたのだけど、去年くらいから、またちらほら「エモい」という言葉を見るようになって、印象が少し変わった。

つまり「エモい」と形容される場合、そのエモの語源は同じ emotional 、でも、どこか否定的な要素が加わるっぽい。なんというか、ちょっとメタ視点が入った感じになるのはなんでなんだろう?

で、最近はファッションにも「エモ」ジャンルがあるそうです。

ザイーガ:【MOVIE】エモ(EMO)になる方法

この記事を読んだ後、図書館で調べものしてたとき、たまたまこんな記事を見つけた(で、仕事中なのにメモった)。確か、イギリスの最近の若者事情みたいなコラムだったと思う。

ミドルクラスの若者のファッションに「エモ」が新たに登場した。(略)男性はストレートのダークヘアーで片目だけを覆う。黒ぶち眼鏡をかけるキーホルダーをアクセサリー代わりにし、子どものころはやったスローガン入りTシャツの上に小さめのセーターを着る。女性はブロンドの髪なら黒に染め、ヘアーバンド、銀のネックレス、ストライプのシャツ、黒か紺のデニムジーンズ、カラフルなソックスにスニーカーが基本だ。

恋人にふられてひとりぼっちで悲しい、誰も理解してくれないなどといった悲観的な失恋の歌を聞き、人生をはかなむポーズをとる。学校でも仲間から離れて校庭の片隅で、ひとりで感傷にふけっている。自殺志願でリストカットなどの自傷行為をする。

「教育医事新聞」2006年12/25

服装の部分は普通じゃん、と思うけど、「人生をはかなむポーズをとる」ってどういうことなんだろう。ポーズって自覚してるなら、小学生の女の子とかが悲劇のヒロイン気分を楽しむ感じと似たようなものかと思うけど、そんなポーズやファッションだけで群れから離れてひとりで感傷にふけったり自傷したりする……かなぁ? ちょっと信じがたい。

ビジュアルで思い描くのは多田由美さんの漫画の主人公とかかな。

Sittin’ in the balcony―長編+イラスト集

Sittin’ in the balcony―長編+イラスト集

でもこれで「エモい」という語感がそういう、いわゆる「ポーズ」つまり演技として定着するのはなんかやっぱ惜しい気がする。

エモ《Emotional 》自体に演技のイメージがつくと、感情的であること、感情をあらわにすること、を、演技、と捉えだしそうに思えるし、感情を「振る舞い」としてとらえだすと、ややこしすぎる(仮にそれが正しいにしても)。

けど、「泣ける」ブームとかきたあとは、簡単にエモ批判とかに流れる感じが想像つくし、それは、「エモ」という言葉に関わらずあり得そうなことで。(そう考えると実は多くの人は、自由意志で感情を動かしている/動かせると、考えてるのかもなぁ)

ともかく。もし「エモい」という言葉が、単に、こう「グッときた」とか「泣ける」とか「笑える」とか「おもしろい!」とか、そういうのひっくるめて表現するような言葉だったら、「キモい」並みに普及した/するんじゃないのって感じも、してるんだけど。

なんて、いろいろ考えてみましたが、結局は、自分自身のエモさについて、どう扱ったらいいだろうか…という話のような気もします。

参考

ファック文芸部 − ファッキンガム殺人事件 − はてなダイアリー − エモいとは

[] 喫茶店事情

本を読みに喫茶店に寄ったら、隣に座ってた男の人が突然、

「僕のココロが傷ついたんですよッ!そのことはどうでもいいんですかッ!?」

と叫んだので、ビックリして水こぼした。男女の二人組だったんだけど、私が机拭くものとりにいってる間にいなくなっていて、いったい何だったのかちょう気になる、と、もやもやしていたら、逆側の隣に座っていた男性(電話中)が、

「おれはお前のココロが心配なんだよ」

といってて、どきどきした。彼はつられたんでしょうか。それとも、いま「ココロ」って言葉がはやってるんでしょうか? なんか新鮮すぎてショックだった。

[] オイルサーディントースト

殊能さんの日記につられて、オイルサーディンのオープンサンドを作った。

潰したサーディンと卵の白身と粉チーズを混ぜてパンに塗って焼く、と書いてあったのに、何を勘違いしたのかニンニクを用意していた…ので、サーディンとニンニクをみじんにして白身とまぜて塗って焼いて食べたら、これはこれで美味しかった。次はちゃんと粉チーズでやろう。

最近サブウェイにはまっているせいで(ピーマン抜き、オリーブ多めで)、気付くと三食パンだったりするのだけど、ほんとうはお米が一番好きです。

kebabtarokebabtaro 2007/02/23 02:39 ピーマンは嫌いなんですか?おいしいんだけどなあ。定番ですが、パンはハニーオーツが一番好きです。
あ、すいません誰も訊いてないのに。

ichinicsichinics 2007/02/23 10:11 サブウェイについてはkebabtaroさんとこ見て書いたんですよー。ピーマンたくさんか…と思って(笑)
わたしも昨日クリームチーズローストチキンでした。パンはウィートで。でもハニーオーツも好きです。そして、恥ずかしながら、ピーマンは子どもの頃から苦手です。ししとうは好きで、ほとんど同じじゃんとは思うんですけどね…。

2007-02-22

[][] 「君に届け」/椎名軽穂

君に届け (1) (マーガレットコミックス)

君に届け (1) (マーガレットコミックス)

よく表紙見かけるけど、あんま縁ないかんじかなと思ってスルーしてたのですが、あちこちでみかける評判がのきなみ高く、買ってみたら……あやうく電車の中で泣きかけた。

ピュアホワイト!!!

「貞子」というあだ名で呼ばれる主人公、爽子は、内気だけど、読者の予想を裏切るほどのいい奴であり、いじられてるのかいじめられてるのか、紙一重の状況を、誰のせいにもしない。ごく自然にポジティブで、かといってポジティブすぎず、よごれたとこがない。むしろ自分の予想する展開が裏切られ続けることで、穿った自分を発見して情けなくなってしまうほどです。

しかし、そんな私も2巻を読み終えた頃には、貞子のピュアホワイトぶりや、周囲の風早、吉田、矢野、真田らの友情に泣いたりして、すっかりこのお話の展開を信頼してしまっていた。3巻では、ようやくライバルが出現し、あーこのまま新刊待つのはたえられないよ……なんておもってたのに、ラストは今までにあんま見たことないような切り返しで(3巻は)幕を閉じ、あっけにとられつつ、さすが、と思った。あきれるほどにピュアホワイト。そしてこの「そのまんま」なところが、かわいいんだろうなぁ。ちくしょう。

そして、そんな貞子(爽子)を応援したい自分の気持ちに、疑うところがないのが救いです。

君に届け (2) (マーガレットコミックス (4094))

君に届け (2) (マーガレットコミックス (4094))

キャラクターは違うけど、この裏表のないポジティブさは「時をかける少女」のマコトにも通じるとこがあるよなと思った。空気を読まない善人。

 最近びっくりしたこと

母親がmixiやってた。

追記

もちろん、偶然見つけたのではなく、「mixiやってる?」と聞かれて知ったんですけど。主婦仲間でやってるらしいです。

そのうちお祖母ちゃんとかもはじめるんじゃないだろうか…って気がしてきた。

heiminheimin 2007/02/23 01:19 マイミクになるべき。

ichinicsichinics 2007/02/23 01:29 むしろ heimin さんのマイミクに・・・。いかがでしょうか(気のいいおばちゃんですよ!)

heiminheimin 2007/02/23 01:44 とても素敵な案だと思いますけどぼくがichinicsさんのおかんといきなりマイミクになるっていうのはなんか順番間違ってる気がするんですよ(笑)

ichinicsichinics 2007/02/23 02:04 じゃあ私のマイミクになってくださいっ! って言えるようなアカウントがあればいいんですケド、既に廃墟なのです。でも、うちの母さんがmixiで何書いてるのか、知りたくないけど知りたい複雑な気分なんですよ! 母親のマイミクにはなりたくないけど、誰かにそっと報告してほしい(笑)

2007-02-21

[] 好きなジャケットデザイン

mikkさんのところで見て(http://d.hatena.ne.jp/./mikk/20070216/p1)、pen 最新号を買ってきました。

CDでも本でも装幀まわりについてあれこれ、という特集好き、で。今回は「ロックのデザイン」とのこと。の割にはなんかなーなラインナップですが、今度はぜひJAZZのジャケット特集とかやってほしい。Prestige、Blue note、ECMデザインがずらーってとこ見たいなぁ。

ともかく、「ロックのデザイン」特集では、大御所デザイナーのインタビューも数本あり、でもやっぱりピーター・サヴィルのデザインが、好きだなーと思う。

全体的にわりと緩い、年齢層高めに向けた特集ですが、自分の好きな一枚、というコーナーは面白かった。まじで? とか、あーわたしもそれすきだ、とか、勝手に感想思いながら読む。

で、私もちょっと並べてみたくなった。

一時は「権力の美学」が一番好きなジャケット、とか言ってた(id:ichinics:20050202:p1)けど、同じく花ジャケットといえばギャラクシー500の『TODAY』。

f:id:ichinics:20050804161050j:image

あまずっぱい思い出がたくさん繋がりではマイブラの「You Made Me Realise」のEPとかね。部屋に貼ってた。コピーして(せこい(だって))。

f:id:ichinics:20070221234531j:image:h150

あとPREFAB SPROUTを挙げてるひといなかったのは意外。

f:id:ichinics:20070222002630j:image Steve Mcqueen

それから、この写真とかも好きだなぁ。

f:id:ichinics:20070222002008j:image Manny & Lo

John Lurieはとても好きなミュージシャンで、同じくmikkさんとこで(http://d.hatena.ne.jp/./mikk/20070211p2)知った、三月、ユーロスペースにて「fishing with John」リバイバル上映っていう嬉しいニュースも。行く行く。

少しずつ時代をさかのぼっていくと、

f:id:ichinics:20070222002442j:image アニマルズ

工場萌えとか

f:id:ichinics:20070222001842j:image サーフズ・アップ

落ち込んでるかんじとか

f:id:ichinics:20070222002909j:image Monk's Music

すねてるわけじゃないんだろうけど、とか

好きです。

あと色合いでいえば、クラスター&イーノのこれが最高に好きで、

f:id:ichinics:20070222001638j:image クラスター&イーノ

今のバンドだとLOWのジャケットデザインが毎回好きです。

f:id:ichinics:20070222002102j:image Songs for a Dead Pilot

たくさん並べられて満足。しかし我ながら好みに節操がないなぁ。

mikkmikk 2007/02/22 01:29 うわー色々ありがとございます!うん、あのアルバムピックアップは謎ではありますが「まさに!」な人たちも多いんですよねきっと。。ええ。。。
私もギャラクシーとマイブラのその2枚は大好きで(ジャケも音も勿論)この間も好きなジャケ考えたときに思い浮かべましたよー。こうやって並べてみると「節操が無い」とはおっしゃってますが、絵的にはどこか共通している空気感がありますね。

ichinicsichinics 2007/02/23 00:52 mikkさん、毎度いきなり言及してごめんなさい(笑)。思わずコメントしようかと思ったんですが、pen 買ってからにしようと思って、買ったら、やっぱ選んでみたくなりますね。ギャラクシーとマイブラ、やっぱこの二枚は特に思い入れがあります。好きなバンドで、ジャケットも好みだと、うれしいですしねー。

2007-02-20

[][] ひとりっ子/グレッグ・イーガン

ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)

ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)

 イーガンの小説は、「祈りの海」と「しあわせの理由」とこれと、つまり短編集でしか読んだことがないのだけど、読むたびに唸らされるというか頭のもやもやしたところをマジックでなぞられている気分というか、とにかく「すごい!」と叫びながら走り回りたい気分にさせられるのだけど、くやしいことに、私はここに書かれていることをただ見上げているだけで、がんばって首をのばしてようやく、垣間見えたもののイメージは鮮明でも、それを自分の言葉で説明する方法がわからない。…なんて言いつつも、こうしてつたない感想を書いてみたりするわけですが、この気分をたとえるならば、それは、こんな感じ。

舞いあがりもしなければ、夢見心地でもなく、海岸に立って海の広さに思いをはせているような気分。それは、図書館で難解な研究論文[モノグラフ]を読みはじめたはいいが、内容をほんの一部しか理解できず、インクや紙のにおいだとか、すっきりと均整のとれた数字や記号の列だとかを鑑賞するほかなくなったときの気分と同じだった、その先に輝かしいものがあるのはわかっているが、それをものにするのがいかに骨の折れる作業かもわかっているときの気分。/「ひとりっ子」p323

「祈りの海」や「しあわせの理由」と比べると、この「ひとりっ子」という短編集は、何といえばいいのかな、とっつきにくく難解だと思う。小説というよりはアイデアのプロット、その切れ味を、とりあえず物語の形に「当てはめた」もののように感じる部分がある。

 しかしそれは、小説になっていないとかそういうことではなくて、むしろイーガンの視点を借りること自体を、楽しめる作品集だったと思うし、作者の視点はテクノロジーを通して、常に人間の「心」を見つめている。

 その真摯さに、またぐっときて、私は今度こそ長編を読み切ろうと思うのだった。

 この短編集をおおまかに分けると、前半は自分の「意識/意志」に対する疑い、後半(「オラクル」と「ひとりっ子」)は、自分の存在、時間に対する疑いがテーマになっているように思います。そしてそのどちらも、「私」とは何か、ということに繋がっている。

「もし x プラス z イコール y プラス z ならば、x イコール y 。なぜこれは道理にあっているのでしょう? わたしたちがこれをこのような数式のかたちにすることを習うのは十代になってからですが、もし小さな子どもにふたつの箱を ―― 中はあけずに ―― 見せてから、両方の中に同じ数づつ貝殻なり石なり果物なりをいれ、それから子どもに箱の中をのぞかせて、それぞれの箱に同じ数の品物がはいっているのをたしかめさせたら、子どもはなにも習っていなくても、ふたつの箱には最初に同じ数のものがはいっていたに違いないと理解するでしょう。(略)」/「オラクル」p290

 例えばこんな風に、一見すると何がおかしいのかわからなくなってしまっているようなこと、を疑い、細い光を辿りながら進んでいくような物語。ここに書かれていることをヒントに、何か面白い想像ができそうな気分にさせられる。

 まっさらのフロアを、マッピングしはじめるときのように、途方にくれつつ、この面白そうなものを、ものにしたいな、と思っている。

 以下、簡単に感想メモします。――と、その前に、おすすめの感想はこちら

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ −「ひとりっ子/グレッグ・イーガン」

 とてもわかりやすくて、すごい。

続きを読む

[] わたしは運動がにがてだ

知らない小学校のホームページを見た。

現在の生徒数は、14人って書いてあって、

トップページには、みんなで並んだ写真。

それぞれ、肩をいからせて気をつけをして、笑いを堪えた顔をして、

シャッターがおりたあとに、わっ、緩む空気まで、目にうつるようだった。

四季の行事、その背景に映る山や空はぴかぴかしていて、

四季の華、のリンクには生け花の写真。

背景は廊下か職員室か、素っ気ない灰いろの事務机の上に、日差しが溜まっていて、

ここに毎朝華を生けて、その度にカメラをかまえる、

その手のことを考える。

その学校も、町も、そこに住む人も知らないのに、

私の中にもある、学校の記憶だけで、

空間が繋がる、ぐうぅって気持ちになって、

指先に刺さった刺、あの子の耳たぶ、スプリンクラー、虹。

カシャン、

の後、一斉に走り出すのを想像して、思わず膝をさすった。

2007-02-19

 お気に入りアイコン…?

はてなダイアリー日記のお知らせ「お気に入りアイコン(favicon.ico)の廃止について」を読んで、お気に入りアイコンてどれのことだ? と今さら見返してみました。ブクマのアイコンとかのことなんですね(よくわかってない)。でも自分の今までの、小さければ(見えないから)いいけど大きくなるにたえない感じだったのでこの機会に変えてみました。

f:id:ichinics:20070218020515j:image:h100なんかひなまつりっぽい

ダイアリーのプロフィール画像はどうなるかまだわからないらしい。けど、個人的にはダイアリーのプロフィール画像は別でもいいんじゃないかなーと思います。あの人のあの画像が好きっていうの多いし、ブクマアイコンはなんとなく変えづらいけど、プロフィール画像はよく変えるヒトもいて、それも楽しみにしてるし。なー。

[] なにがしたいのか

世界樹はマンネリをちょっと抜けたみたい。攻撃方法に変化が出て楽しい。でもまだ第三階層入ったばかりで11、12階を行ったりきたりしています。なんだこのエレクトリカルパレードみたいな世界。

第二階層は、後半なかなかセーブするタイミングがないのが辛かった。なので常にふた閉じて一時停止。電池消耗激しそうだなぁ。レベルもいいかんじにあがっていて、今はとにかくレンジャーが強い。紅一点で大活躍。でも一人で虎、はソードマンで行きました。1対1ならやっぱ斧が強い。ソードマンは斧(FOE用)と剣(トルネードorハヤブサで集団戦)を使い分けています。私はできる限り少ないターンで敵殲滅したいので、集団攻撃大好きです。ギラ!

なんていってたら亀みたいなので久しぶりの全滅。

あと日曜日はアイマス動画漁ってたら夜になってた。なんてこった! でもかわいい。

WiiよりPS3より今わたしに必要なのはXBOX360だったなーと今さら気付いたよ。祭終わったら考える。考えるのか。うん。

[] あかつきをおぼえず

今週のテーマ曲は「モータウン/Number Girl」。イントロでぶわっと興奮できるので低血圧な朝の気付けに活用している。

仕事は再びよくわからない状況。今の上司はとてもいい人なんだけど、実は優柔不断というか、なんてもとりあえず保留にするひとのようで、今月入ってから待たされてばっか、で、困ってきたので今日は帰宅間際にちょっとせかしてみたら、長い打ち合わせがはじまってしまって、失敗した。

あたたかいのになかなか春にならない。ぼんやりした頭だけ、先に春みたい。絶望先生買って帰る。

[][] ありふれた

フリクリ」と「凹村戦争」のこと書いてて、なんか頭の奥の方にひっかかってるんだよなー、 と思ってgoogleにきいてみたら、ここだった(http://ugnews.net/neatsorg/log/2004_04_a.html)。そっか、この文が頭にあったんだな、というか、最初に「凹沢戦争」読んだとき、いまいちピンとこなかった私は、この文読んで、あーそうだ、フリクリ見てないなぁ見たいなぁ、なんて思って、ブラウザ閉じて電気消して眠ってゴハン食べて仕事いって忘れてしまったんだった。ということを思い出しながら、ページの上を見て、そうそう、perfumeを知ったのもここだったよね、って、こっちはちゃんと覚えてて、CD探したりしたんだってことも思い出した。その差はなにって訊いてくれるなら、じつは「フリクリ」は弟のPCに入ってたのでいつでも見れると思って安心してて、でもPCでアニメ見るのなんかなーだったので、なかなか手を付けなかったのって、言い訳するけど、そんなのもう過ぎたこと。惜しいけど。……で、こういうケースの場合は、とにかくバット振ったほうがいいの法則あてはまるんだって思った。私はほんとに腰が重い。し、できるだけ頭の中はシンプルに保ちたいなやっぱりと考えているので、処理仕切るのが夢です。というのは脱線。

ともかく、久しぶりに読んだら(まあほとんどローカル保存してあるので、久しぶりでもないんだけど!)なんだか無性に、ああそうだ、いらだちは必要だよなとしみじみ思ったりして、でもきっとしみじみしてる時点で私の反応は鈍く、最悪なことにそれはほとんど常にで、それでも、私はこの文章にあこがれていた/いるなぁと思って…ハッとした。そんなふうに私の好きは好きがこじれるといつも憧れに集約される。あーあ。かっこいーな。

2007-02-18

[][] フリクリ

フリクリ 第一話「フリクリ」 [DVD]

フリクリ 第一話「フリクリ」 [DVD]

監督:鶴巻和哉

ずーっと見てないなぁ、と思いながら見てなかった作品。toukaさんにおすすめいただいてやっと見ました。感謝。

「すごいことなんてない…ただ当たり前のことしか起こらない」

舞台は怪しげな医療組織「メディカルメカニカ」の建物がそびえる地方都市。

「すごいことなんてない…ただ当たり前のことしか起こらない」と呟きながら、兄の彼女(?)と河原にたたずむ(というかいちゃつく)少年、ナオ太の元に、事件がやってくる第1話。頭に角が生えたり、そこから何かが生まれたり、ギター(リッケンベース)を武器に戦うお姉さんが現れ、家に居候をはじめたり。で。巻き込まれることに苛立ちながらも、いつしか状況を楽しんでいるかのように見えるナオ太と、主に三人の女の子の物語が全6話で描かれる「フリクリ」。

このアニメを見て、最初に思い出したのは西島大介さんの「凹村戦争」だった。というのは時系列が逆だけれども、1999年に描かれた「フリクリ」の後にあの漫画があったのだな、と思った。つまり、んー、20世紀を凹村といってもいいし、あの「なにもない」世紀末を凹村、といってもいい。

甘いの好きだけど「好きだろ?」といわれるとムカつく。かっこわるいことしたくないけど、かっこいいといわれたい。自分勝手な独占欲。その拘泥は「トップをねらえ!2」における「トップレスであること」とも重ねられる。つまり、まあ、子どもでいることの全能感を手放したくないということでもあるんだけど、そう言ってしまうと視点が裏返ってしまう。「フリクリ」にあるのは、あくまでも、そのめちゃくちゃに巻き込まれて、打ち砕かれるまでの物語だ。でもとてもすがすがしい。

そこが鶴巻和哉監督の持ち味なのかもしれないな、とおもいました。「エヴァフリクリ」「トップ→トップ2」という2種類のアンサーを見ても、その土台に対する愛が溢れてるのに、でも確実に打ち砕いてく部分がある。そこがすきです。

ただ、ナオ太にとって、ハル子*1はどのような存在だったのかっていうのは、最後までちょっとわからなかった。「好き」の対象というよりは、母親っぽいなと思ったんだけど…つまりミサトさんかなと思うんだけど。小学生から中学生くらいの男の子にとって、年上の女の人を好きになる、もしくは翻弄される、というのは通過儀礼の一種としてわりと普遍的なこと(共感を得られること)なんだろうか。

 作画や脚本

前々からの評判どおり、作画の凝り具合がすごいアニメでもありました。特にアクションシーンの動きがいい。あと足。特にニナモリの頭がどうにかなっちゃう場面で振り回されるニナモリの足がとても良い。ちなみに私はニナモリが好きです。

見たのが今で残念だなぁと思う点は、随所でくり出されるネタが若干古くなってしまってることかな。でも仕方ないっす。見るのがおそ過ぎるっす。っつーマミ美のしゃべりかたもかわいかった。

脚本は「トップ2」と同じく榎戸洋司さん。原案が監督というのも「トップ2」と共通ですが、どちらも、すごーくメタな解釈をすることもできるし、そのまんまに見ても面白いお話だなと思います。なんて、私はメタファーとかの解釈にはいつも自信がないんですが、いろいろ見聞きしてるうちに培われてればいいなーと思ってます。

フリクリ 第6話「フリクラ」 [DVD]

フリクリ 第6話「フリクラ」 [DVD]

関連

トップをねらえ!2」の感想 → id:ichinics:20070117:p2

[][] 「すごいことなんてない…ただ当たり前のことしか起こらない」

そんな諦観、もしくは世紀末的への失望は、あくまでも外に向かっているようで、実は内側、つまり自己との出会いにつながっている。

物語で描かれるそれは「世界のとらえかた」なんてつまらないことじゃなくて、試される場、チャンスが欲しいということのように思えるし、実際に主人公は試されることになったうえで、それでも何もできない自分に出会ったり、何かできたことで成長したり、する。ナオ太も、シンジ君も、レントンだって?

でも「バットはまず振ってみなきゃ」って、それをメッセージとして受け取るのも、なんかちょっと違うような気がするなぁってひねくれた世紀末に、試されてもなお、「すごいことなんてない…ただ当たり前のことしか起こらない」世界は続くのが「フリクリ」だった。

そして何事もなく、21世紀はやってきた。「凹村戦争」でも、その苛立ちは続いていて、だからつまり世紀末でなくたって、いつだって凹村から出たいけど、あがいたところで出たところもまた凹んでしまってるのだ! じゃあどうする? どこにいってもおなじなら、ここにいても同じ? むしろ満足している……なんて箱庭的充足感が、空気、だったときもあったような気がする。

そして(1997年から10年後の)今、「トップをねらえ!2」や「時をかける少女」で描かれたノノやマコトの強さとか、努力と根性とか、新鮮に感じられるのは、彼女たちその辺のあきらめに流されることがないからなのかなと思う。

動物的というか。

で、その、ちょっと鈍感なまでの前向きさに、打ち砕かれたいとおもうこの気持ちは、なんていえばいいんでしょう。初恋の、次みたいな?

ってそういえば

「酸っぱいのは嫌いなんだよ」

「辛いのも苦手」

で、「最近つぶつぶが好き」? ナオ太がラストに飲んでいるのはブラックコーヒー*2だった。

なんていろいろ考えてたら、そういえば、「ひぐらし」は、その箱庭が裏になったり表になったりするとこが面白かったよなぁって思って、まあ、つなげる必要はないんですが、今求められてるものの空気というか、そういうのがあるのかなぁってのはちょっと考えてみたいなと、思ってます。【この文の続き → id:ichinics:20070219:p1

凹村戦争(おうそんせんそう) (Jコレクション)

凹村戦争(おうそんせんそう) (Jコレクション)

*1:今見るとハル子はハルヒみたいだなーと思った

*2:もちろんUCC、だったと思う

toukatouka 2007/02/19 17:20 フリクリは気が向いたときにちょくちょく見返しています。情報の捌きかたっていうか詰め込みかたがあまりにうまいので何度見てもほれぼれしてしまいます。ラストを見てはじめてわかったんですが、これはナオ太が主人公であるお話に寄生するようにして語られるマミ美が主人公のお話でもあり、当時全盛だった「女子高生」ブームの中で、女子高生の申し子のようなキャラのマミ美が、それをみずから脱ぎ捨てて旅立っていくという最後のモノローグの力強さが、このアニメをなんともいえないすがすがしいものにしていると思います。チョー泣けます。
全6巻の中ではどの巻が好きですか?私はやっぱり、端正な3巻が好きですね。他の巻もそれぞれ個性があって素敵ですが。
あとアマラオがカッコイイ!エヴァンゲリオンでの格好をつけられるところしか晒せなかったゲンドウや加持などの大人の男たちと比べて、情けないところをさらけ出しまくっていますが、キツルバミに嫌がられながらも最後まで重心の定まったセリフを吐き続けられるのがかっこいい。

ichinicsichinics 2007/02/19 23:23 toukaさんこんばんは。おすすめありがとうございました。やー見て良かったです。大満足。でも、好きな巻、て悩みますね。1,2,3は全部好きです。もちろん4,5,6もいいんだけど。1の冒頭のマミ美語り(あのイントロ大好き)、2のマミ美のカンチとの遭遇、3のニナモリー! て、女の子ばっかですが、このふたりがやっぱり好きですね。あと、アマラオは「重心の定まった」ってまさにそう。私だってもうやらしー大人ですからね。でもどこかでまだふっきれてない部分、アマラオはちゃんとクリアして(もしくはしないで)いるってのがかっこいいです。

2007-02-17

[] キセル×おおはた雄一代官山UNIT

キセル「おじゃましますツアー」最終日。

久々のキセル。そしてはじめてのおおはた雄一さんライブはとても楽しかったです。

おおはた雄一

うたも、ギターも、ほんといい音でした。演奏しているひとの中に、きちんとめざす音が見えてるんだろうなって感じるライブだった。そしてやさしい。

途中で披露された、Eric Justin Kaz のカヴァーが、出だしにたぶん歌詞を忘れたのかしらってハプニングありつつ、はじまったらすごく味わい深いというか、おだやかな歌声にしっくりきていて、帰宅してからアルバム探してるんだけど、見つからない…。

ともかく、とてもいいものを見たって感じでした。「昼間にもライブをやってきて…」と話されているのを聞いて、ほんとにライブの人なのだなぁと思う。

キセル

久々なんだけど、やっぱ好きだなぁ…とうれしくなる。

今日は最初の「近未来」から、新しいアレンジの目立つライブでした。新曲も2曲あって、今日できたばかり、といっていたほうは「エノラ・ゲイ」や「風とくらげ」「虹を見た」を思わせるようなキセル節。もう1曲のニューアルバム(「夏には出したい」とのこと)に入る予定の曲は、光が差すようなイントロの美しい曲。

そして! 今日はおおはたさんのライブにもゲストで出演されていた高田連さんがキセルにも参加。さらに、おなじみエマーソン北村さんと、moose hillの伊藤葉子さんとの、デラックス編成(デラ・キセルだそうです)で聞けるキセルはすばらしかった。特に「ハネムーン」(ちょっと記憶に自信がないんだけど、でもたぶん)【→追記2へ】がとても良かったです。

そして念願の「鮪に鰯」。この編成で聞くことができるなんてなんて贅沢! 歌う兄さんには気合いを感じました。この曲は、オリジナルではないながら、キセルのSF(すこしふしぎ)世界観をよくあらわしているなぁと思う。

会場で、なぜか買ってなかった「方舟」のシングルを買ったのですが

この曲が「柔らかい丘」だったのか、ってなんかすごくうれしい発見をした。この曲は個人的キセルベストに入るくらいすきな曲。【追記1:でもなんか聞いたことありすぎるなと思ったら『窓に地球』の1曲目だった…。あれがCCCDだったのはほんとーに痛かった。というかそのくらいPCでばっかり音楽聞くようになっちゃったんだな、自分てのがショック】

方舟

方舟

 追記2(&お返事)

キセルライブの感想について、miyamyaさんよりメーをいただきました。

(こんにちは、はじめまして! メールありがとうございます。)

で、私、「ハネムーン(たぶん(略))がよかった」と書いたのですが、あのライブで「ハネムーン」はやってなかったようです。ああ…。

miyamyaさんいわく「町医者」ではないかとのことだったので、帰宅したら早速確認してみますね。情報感謝です。「ハネムーン」か、「庭の木」か、どっちだったかで結構悩んでハネムーンにかけたんですけどね。アンコール前のデラキセルでやったのは「ギンヤンマ」と、あとあとあと…てのが、CD聞き直すほどにわかんなくなってしまって。

ライブが終わると何やったかわからなくなるのはいつものことなんですが、キセルは特に、こんがらがります。というか、さらにダメな自分を告白すると、キセルライブは椅子があると、ねてしまったり、しています。夢見心地です。大好きなんですが。

ともかく、miyamyaさん情報ありがとうございました!

(日記、少し拝見させていただいたら、すてきな文章で、好きなもの、被ってるとこもおおいみたいで、嬉しかったです。今後ものぞかせていただきますね。)

 聞いてみた

まさしく「町医者」でした。miyamyaさんありがとうございます!

なんていい曲なんだ。これi-podに入れられないって悲しいなぁ。cccdじゃないのに買い直そうかなぁ。

2007-02-16

[] 「Fisherman's Woman」/Emiliana Torrini

Fishermans Woman

Fishermans Woman

アイスランドのシンガーソングライター、Emiliana Torrini の2ndアルバム。1st は聞いたことないんですが、いつも音楽情報参考にさせていただいてる「tropicalia」さんでおすすめされてるのを読んで(http://half.exblog.jp/6203893/)、youtubeでクリップを見たら、歌もだけどクリップもかわいくて、いきなりぐっときてしまった。大好きな声です。少女みたいな柔らかさと、すこしかすれてることで滲む色っぽさが、とても上品。

そして、その声が、シンプルな演奏と絡み合って開けていく先には、雪の日に、ストーブの前でうたたねしてるような、気持ちの良い空間がある。

アイスランドのアーティストということで Bjork と比較されてるのをちらほら見かけますが、どちらかというと、stina に近い声だと思う。まあこの前、ちょうど stina のこと思い出してたとこだからかもしれないけど。

[] 四角い箱

もう割り切れない場所、もしくは、システムの輪郭を見渡せる場所(それは同じ場所なのかもしれないけれど)に興味をもつのは、そこにあるドアを開けてみたいということ、もしくはドアを閉じたいということ(それは同じことなのかもしれないけれど)と、そんなに違わなくて、それからどうするか/どうなるか/どうしたいのかすらわかんないから、面白そうだ、と思うのかもしれない。

でもそこには、ある程度期待する「像」みたいなものが、たぶんあったりするんだろうけど、でもそれすらまだ意識できてない。

例えば四角い箱があって、その中心から外側にむかって広がっていく領域のようなものをイメージする。その広がり自体には、それが四角い箱であることはわからなくて、でも領域が広がっていくことで四角い箱もまた大きな立体の中心点であり、広がっていくうちに、飲み込まれてしまう単位の1つであることがわかる。

……というような光景をイメージして、で、何? と思う。

わかんないな。しぬまでにわかることができるのかな、とか思うけど、わかってもまたそれは四角い箱の1つだった、ってことに気づくだけなのかもなぁ、とも思う。

わかんないことばっかりだけど、わかんないことって必要。

だって全部が腑に落ちたら、飲み込まれるか、拡散するか、どちらにせよ過ぎてしまうような気がする。かといって腑に落ちることを避けようとは思わないんだけど、もちろん。

[] 世界樹とか

遅々としてすすまない世界樹探索。なんとまだ8階。ついさっき、ひとマスだけ9階に入ったところ。とりあえずエリアキュアとリザレクションを覚えるのが遅すぎて、駝鳥に苦戦しまくったのが痛い(フロアボスでもないのに!)。やけにレベルがあがってしまったような気がするなー。というのは、バードのレベル上げしてたのもあるんだけど、パラディンLv30のクエストがでたので今はパラディンを復活させてる。でもバードもかなりレベルあがったので後々使えそうです。なんて脱線してたら、クエストの条件とか忘れちゃってそれも困った。謎の怪物って何階にいるっていってたかなぁ。

「また君か。@d.hatena」さんの攻略過程がちょうどかぶってるのでおいてかれないよう目標に(勝手に)しています。

でも、もうすぐ「祭」の発売日なので、それまでにどうにかしなきゃなぁとも思ってる。まあ、DSは外でもできるんだけど、外では本も読みたいし(手いっぱい)。

ところで、今欲しいパソコンのゲームがあって、でもどこいけば買えるのかさっぱりわからない。基本的にパソコンのゲームって、世の中の人はどこで買ってるんでしょうか。先日、友達とその旦那さんを散々引きずり回して(迷惑)探したのにもかかわらず見つからないっていうか店員に聞けないっていうか。新しいのじゃないからかな、と思うけど、頼みのアマゾンが中古しかないってときは*1どうすればいいんだろ。

これが手に入れるまでがゲームっていうやつかー。

ちなみにDSで楽しみにしてた「ルミナスアーク」は世界樹終わるまでお預けに。でもきっとキリついた頃には逆転新作とか出てたりして。なんかこれからゲームめじろ押し過ぎて困る。うれしいけど。

すでに2作品予約済みなのは「世界樹」でこりたからです。

*1:なんとなくマーケットプレイスは使いたくないので

troicaliatroicalia 2007/02/17 20:59 ichinicsさん、はじめまして。かなり前から愛読させていただいています。そして、ずっとコメントしたいなぁ、と思いつつ躊躇していましたけど、大好きなデキシー、スパークルホース、タンなどが載せられたときは、思わずコメントしそうになりました。なので、こうして紹介していただいて、コメントする機会がもててとても嬉しいです。こちらこそ、いつもichinicsさんの紹介される、本や映画をすごく参考にさせていただいてます。ありがとうございます。これからも日々、更新楽しみにしています!

ichinicsichinics 2007/02/18 01:33 troicaliaさん、はじめまして。わー! コメントありがとうございます。もうずいぶん長いこと(たぶん私がここで日記書きはじめるより前だった気がします)「troicalia」を愛読させていただいてるので、はじめましてというのも不思議な感じなんですけど、この感想書いて良かったです。しかもここ読んでいただいてたなんて…、とびっくりしつつ、とてもうれしいです。
このEmiliana Torriniだけでなく、これまでにもtroicaliaさんのおかげで知った音楽がたくさんあって、感謝しています。こちらこそ、これからも更新楽しみにしていますね。

2007-02-15

[][] 「古川日出男×向井秀徳

KIASMA vol.18「古川日出男×向井秀徳

5月3日(祝) 渋谷 O-nest

向井秀徳情報(http://www.mukaishutoku.com/main.html)より

わー!ぎゃー!行く行く行く!!

食い合わせが良いか悪いかは全く想像つかないですけど*1、行ってみなきゃわかんないし。わたし、ポテトチップスもバター醤油味もスキですけどポテトチップスのバター醤油味が最高に好きなんです!

楽しみだ。一般発売 3/24(土)から。

 でんわカメラから

f:id:ichinics:20070215114500j:image:h150

2006年12月20日AM07:31の空

f:id:ichinics:20070215114458j:image:h150

2007年2月13日AM07:31の空

年末と年始。別々の町(かな?)で、同じ時刻の、朝の空。

今使っている携帯、もうボロボロなんだけどわりと気に入ってて、

でも気づくと空写真ばっかになってる。

特に朝はねぼけてるからな。

ちなみに「caramel*vanilla 》 トイカメラ風の写真を作る方法」で紹介されていた、Mac用ソフトを使ってみた。

f:id:ichinics:20070215115140j:image:h150

「ROUNDRECT X RUSSIA」にて。このソフトはかなり応用がきいて、愛用してます。これ↑はなんかさえないけど、もっと色合いのきれいな写真だといいかんじ。

f:id:ichinics:20070215163321j:image:h150

「ROUNDRECT X HEAVEN」にて。ゲージ1つで調整するシンプル仕様。これはかなり天国寄りです。どんな写真もドリーミィに。

[] 『決断者』

イーガンはすごい、なんてことはもう自明なんだと思いますが、それでも「すごい」と言いたくなるすごさ。今、イーガンの「ひとりっ子」(asin:415011594X)を、「ふたりの距離」まで読んだところなんですが、最近私が考えてたことに直結していてめちゃくちゃ楽しいです。ぞくぞくする。

詳しい感想は読了後に書くとして、今日はその中の短編「決断者」について。

「決断者」は、あるアイディアを、小説の形で分かりやすく解説したものだけれど、このようなアイディアを説明するのに、これほど分かりやすい解説を読んだことはないとも思った。

主人公が盗んだ眼帯[パッチ]は、それを装着することで言語のつながりを視覚化するものだった。つまり、そのパッチを通して言葉の意味を「見る」ことができるようになる。

 もしそうしたパターンの読みかたを知っていれば、おれはすべてのプロセスをたどることができるのだろうか? プロセスを遡って第一原因に行きつくことが?

(略)

 もしパッチが、おれの魂を映しだす鏡になれるなら ―― 引き金を引くときに、おれという存在の中心からおれ自身の意志が手をのばしているのを見ることができるなら ―― 。

 その瞬間、完璧な誠実さが、完璧な理解がもたらされるだろう。

 そして完璧な自由が。/p156

つまり、自由意志はあるのか、あるとしたら、それはどういうものか、というお話(だと思って読んだ)。で、どうなるの? という結末まで、とても興味深く読めたし、面白い小説だった。ビジュアルでイメージできるっていうのはすごいな(すごいばっかり言ってますが)。

イーガンはいまだに長編が(むずかしくて)読めないんだけど、もうそろそろ…読めるようになったかなぁ。

ちなみにこの短編については末尾に作者コメントがのっています。

この物語は、マーヴィン・ミンスキー、ダニエル・C・デネット、ほかの人々の“百鬼夜行”認識モデルにインスパイアされたものである。しかし、本作中で提示したラフスケッチは、そうしたモデルがどのように働くかというおよその概念を伝えることのみを意図したものであり、こまかい点まで正しく描こうとはまったくしていない。詳細なモデルは、デネットの『解明される意識』およびミンスキーの『心の社会』で語られている。/p173

解明される意識

解明される意識

心の社会

心の社会

これを読むためには、まずどこか補強しなきゃいけない気がするんだけど…。

[] 2007年のバレンタインデー

相談がある、と友達に呼ばれて表参道で待ち合わせだからエルメ行ってマカロン買うか…なんて思ってたら大雨、で、傘がない、ので階段あがったとこで途方に暮れてたら、通りすがりの女子が「ピエール・エルメは太ってるから信用できるんだよ!」と言っていて吹いた。そんで数日前にはてブ経由で見た文章に、チョコが高くて驚いた、みたいな話があったのを思い出して、それはおおむね自分のためですよ、このように・・・と思った。で、ようやくやってきた友達車に乗り込んだら開口一番「ねぇ、今日バレンタインだってしってる・・・?」と疑問形でスタート。これはもしやと思ったら、バレンタインなのに会えないってあのひとわたしのことすきじゃないのかなぁ・・・という愚痴だった。おまけに「(id:ichinics)ちゃんって、彼と(性格が)似てる」とまでおっしゃるよ。それ、うれしくないですよー。と言った。ら、殴られた。ひどい。

*1:でも古川さんはNUMBERGIRLファンらしいので組み合わせは不思議じゃないけど

雪雪雪雪 2007/02/15 07:52 おじゃまします。『心の社会』はすさまじく読み易い本ですよ。本自体が「心」とおなじ構成になっていて、いつ、どこから、どっちに向かって読み進めてもよい。全体と部分が生命的に関連し、読むときの関心の赴く方向によって、読むたびにちがう相貌をあらわします。
考えに行き詰ったときには必ずヒントをくれる、私にとって座右の書であり、「無人島に持って行く一冊」です。
とは言っても、この本を私ほどおもしろがる人に出会ったことはないので、話半分に聞いてください。

ichinicsichinics 2007/02/15 23:34 雪雪さん、はじめまして。コメントありがとうございます。なんかいろいろ勉強してからじゃないと読めない(理解できない)本なのかなーと思ったのですが、いただいたコメントに惹かれて早速注文してしまいました。楽しみです。おすすめありがとうございました!

shokou5shokou5 2007/02/16 00:32 便乗しておじゃまします。デネットも分厚いですが必要以上に難解ということはないと思います。自由意思に関してはデネット『自由は進化する』が集中的に扱っており、こちらは山形浩生訳ということもあり(好き嫌いはあるにせよ)かなり読みやすいです。デネットの思考は扱い方によって、寛容にも冷酷にも道が開けている印象を受けますが、個人的にはかなり共感を覚えますし、優しくなれる気がします。現在デネットの最新論文を非公式翻訳中なので完成の折りにまたお知らせします。
それにしてもイーガン、そんな短編も書いているとは!読みかけの万物理論そっちのけでハマりそうです。
それからichinicsさんの文からはいつも考えるヒントを頂いているのでこの機会に御礼申し上げます。ではでは。

ichinicsichinics 2007/02/16 01:09 shokou5さん、こんばんは。ほんとこちらこそ、ですよ。
『解明される意識』はISBNページ見たら最初に言及されてるのがshokou5さんで、さすが、と思いました。ほんと未知の分野なので、身構えてしまうんですが、shokou5さんのおかげで勇気づけられました(笑) とりあえず読んでみて、わからなそうだったら随時なにかを補給してみようと思います。おすすめ参考にしますね。わくわくします。あー今が夏休みだったらいいのに!
ところで、上に書いた「決断者」という短編は「ディアスポラ」(途中でくじけたままですが)の原型なんじゃないかなって気がしてます。

2007-02-14

[][] 「トコトコ節」/いましろたかし

トコトコ節 (Cue comics)

トコトコ節 (Cue comics)

学生時代の友人に、中央線沿線が好きで好きなくせに認めようとしなくて、飲みに誘うときはいつも敬語で酔っぱらえば「おれけっこうじぶんにじしんあるんだよね」なんていってみたりする、T という人がいる。彼とはよく東中野で映画を見た。そして会うたびにお互いの青々しい頃の話ばかりしていたので、数年前、彼が田舎に帰ることになった時は、さみしくなるなぁ、なんてしんみりしたものだけど、実際はそんなこともなく、最近も「酔っぱらってたんぼに落ちた」などというメールをわざわざ写真付きで送ってきてくれたりするので、再会すればまた、同じような話をするのだと思う。私は相変わらずですよ。

そんで今日、やっと手に入った「トコトコ節」を読みはじめたら、第1話にでてくる千葉ちゃんの台詞が、その T のものと被って見えて、なんだかとても懐かしくなったのだった。

「トコトコ節」は、主人公、千葉ちゃんとその友達の物語を断片的に描いた短編集。「ハーツ&マインズ」にあった切実さのようなものは少し薄れ、自分の情けなさ、とかそういうのを受け入れるとか以前にあんま考えてないのんびりさがある。あるよ。千葉ちゃんありがとう。千葉ちゃんが私の友達だったら、ぜったいなんか恩返しするよ。たいしたことできないと思うけど…とか思いながら読んだ。

『初期のいましろたかし』を読んでからこっち、もっといましろたかしを下さい、という気分なので今は「釣れんボーイ」をちびちび読みすすめている*1

で、そうだ T にもすすめよう、と思ってメールを送ったら、速攻で「こっちくんな」という返事が返ってきた。さすがだ。

関連

「初期のいましろたかし − ハーツ&マインズ+ザ★ライトスタッフ+その他」

ところで「松浦に気をつけろ」のこぶの話、ちょうど「フリクリ」見てたのでシンクロニシティ…とおもった。なんか元ネタあるのかな。

[] 「HELLBILLY DELUXE」/ROB ZOMBIE

そんな友人 T の好きなミュージシャンがロブ・ゾンビだった…というわけで久々に聴いてみたら、やっぱかっこいい…!!!

この「HELLBILLY DELUXE」はWHITE ZOMBIEのフロントマン、ROB ZOMBIEの1stアルバム。マリリン・マンソンとキャラクター的に近いとこもあるけど、より強靭な、というか音からも歌詞からもナイーブさを排除した世界観。おおむねゾンビ。プロデュースはナイン・インチ・ネイルズの「Closer」リミックスを手掛けたスコット・ハンフリー。

ロブ・ゾンビのソロは何枚か聴きましたが、個人的には WHITE ZOMBIE が好きだったので、音が最も近いこのアルバムが気に入ってます。WHITE ZOMBIE 解散しちゃったのは残念。あのかわいいベースの子はどうしてんのかな。

ヘルビリー・デラックス

ヘルビリー・デラックス

ところで先日のメタリカ後、調子のってジューダスとか聴いてみたんですが、やっぱ私は「速さ」と「高音」の組み合わせは好みじゃないみたいだ。やっぱりハードコア側からしか手をのばせないのかなぁ。

 アンテナさん

最近、というかこの前のメンテ以降、アンテナの様子がおかしい、というか、はてなダイアリーだけ拾うのが遅いような気がして、「しばらく更新無いなぁ」、と思って行ってみるとちゃんと更新されてたり。する。キーワードは反映されてるから「ちょっとした」ではないっぽいのに、アンテナが拾ってないのはなんでなんだろう。

私はとにかくアンテナ大好きっ子なのでアンテナ不調だと非常に困る、というか日々の楽しみが足りない…と思うようになってしまった。というか、もうずいぶんの間アンテナぎゅうぎゅうなので、有料にしちゃおうかな、と思ってたとこなんですケド、もうアンテナの時代じゃないとかいわないですよね…。

*1:いちおうコメントでお勧めしてもらった順に読んでみようと思って。whistlemanさん、toukaさん、ありがとうございました!

2007-02-13

[] Nine horses/Snow Borne Sorrow

Snow Borne Sorrow

Snow Borne Sorrow

David Sylvian、Steve Jansen そして Burnt Friedman によるユニット「Nine horses」のデビューアルバム。

バーント・フリードマンの影響か、「blemish」*1に近い雰囲気のアルバムだと感じました。つまりエレクトロニカの要素があるってことなんですが、でももっと「歌」が全面にでている、というのが面子から想像するとちょっと意外かもしれない。

Stina Nordenstam がヴォーカルで参加している#1「Wonderful World」が好きです。

買ってからずいぶん経っていて、よく聴いてるんだけど、シャッフルしてるとどれが David Sylvian でどれが Nine horses なのかわからないといえばわからないので私には語る資格がない。けど良いアルバムなんだ。日曜日に起きたら雨だった。そんなときに聴きたい。もしくは寒い日に裸足で布団に潜り込んで丸まって、窓の外は森って想像しながら聴きたい。そんな音です(と聞いて想像するのはどんな音でしょうか)。

[][] 「無性になる」物語/「愛すべき娘たち」3、4話について

先日troubleさんにトラックバックしていただいた「月と太陽のおもいで。 − イノセンスへの憧憬/「ぼくがおんなのこになりたいわけ」について」という文章を読んで、いろいろ考えていたことを書いてみようかと思います。

まず、1年ちょっと(?)くらいtroubleさんのブログを読ませていただいてたので、今回の文章は、なんだかとても、ぐっとくるところがありました。なんてこんなふうに思うのはおこがましいのかもしれないけれど、ともかくtroubleさんの書かれていた、

むしろ、捉え方としては、「無性になりたい」という捉え方の方がよいのかもしれません。

という一言には(方向性は違うかもしれないけれど)共感するところがありました。

青い花」「放浪息子」と続けて読んで、苦手なはずなのに「性」ということについてひとしきり考えてみて思ったのは、私もやっぱり自分に与えられた「性」に、積極的にではないにしろ、抵抗したいと思っているのだということだった。でもそれは女性を否定したいわけでも男性になりたいわけでもなくて、実際、文化としては男性的なものも女性的なものも好きだし楽しめるんだけど……というもやもやしたところを纏めると、たぶん「無性になりたい」に近いのだと思います。

私の場合、それを端的にいえば、

  • 性別とは、何もつきあう異性の対称としてあるわけではないと思っている。(id:ichinics:20070128:p1

ということです。ただ、これもまた、恋愛を否定したいわけではないんだよね…と考えていたら、また「愛すべき娘たち」に戻ってきてしまった。

「…それにしても 何であんたが いまだに 嫁に行けてないのかが あたし達には 分からないわ」

「あんたはホントに いつ見てもキレーよねぇ しかもユッコのよーに キッツイ美人じゃなくて 清楚な感じでさ」

愛すべき娘たち (Jets comics)」/p79

ここであんた、と呼ばれている主人公*2の爽子は、マルクス主義者の祖父に「全ての人に分け隔てなく接しなさい」と教えられて育ち、やがて、恋をするということは人を分け隔てることである、と気付いてしまう。そして爽子がラストに出家を選択することについて、物議をかもしたりしていた……かはわからないけど、ともかく多くの人にとって衝撃的なラストであったと思う。

でも、もしかしたら、この物語においてマルクス主義云々というのは物語をわかりやすくするための小道具にすぎなかったのかもしれない、と思う。

この第3、4話には4人のお見合い相手が出てくる。そしてそのうちの一人の「やっぱ女の人は爽子さんみたく自然体で女らしい人がいいですよぉ/p91」という台詞に現れているように、選ばれる側/選ぶ側というパワーバランスは、長い間、女性を選ばれる側としてとらえられていたんじゃないかなと思います。しかし、ここでのお見合い相手の描かれ方は、選ばれる側として陳列されている。

そして、爽子は、自分がお見合い相手を「選んでいる」ことに気付いてしまったんじゃないだろうか。そして、それに甘んじるということは、自分もまた「分け隔てられる」ということを赦してしまうことでもある。つまり、「分け隔てる」ことを否定するために「分け隔てる」のでは、結局「選ぶ/選ばれる」という場に参加してしまうことになる。

だからきっと、爽子は「私は孫の中でお前が一番可愛いよ/p122」という祖父の言葉に、失望したのだと思う。そして「自分が間違っていたことを認められる人間は偉い/p118」という不破の言葉に惹かれつつも苦しい、と感じたのではないか。

「ちょうどその頃、友達から “税金も払ってて、犯罪もしてなくて、なんにも世の中に対してやましいことはないはずなのに、恋愛をしたことがないっていうこの1点だけで、どうしてこんなに責められてる感じがしなきゃいけないのか” って言われたんです。」(id:ichinics:20060811:p1

この友達の台詞に対するよしながさんの回答が、この物語だったのだと思います。そして、選ぶことも選ばれることもしたくないと考えた(であろう)爽子の、出家という選択は、やはり防御だったのだと思う。

個人的には、恋愛というものは、ここに挙げたような「属性を選択する」こと以外に、何かがあるはずなんだと思う。もしくはあってほしいと思っている。だから、「分け隔てる/分け隔てられる」ということそのものを否定してしまう描き方を救いとして提示することには違和感もあるのだけど。

ただ、この爽子を「美しく、清楚で、しかも仕事もできる」というわかりやすいカテゴリで描かなければ伝わらないというのは、よしながさんのやさしさなのか、それとも未だに越えられない壁であるだけなのか、そういう歯痒さを飲み込んで、これは、自分に与えられた(異性の対称としてある)性から降りることで「無性になる」物語のひとつととして読めるのではないかと思います。

もちろん、現実には爽子のように自分を定義しきってしまうことは難しいだろうと思う。だからこそ、よしながさんの友人のように、社会にあって「責められている」と感じてしまう人もいるのだろう。(それから、ルサンチマン的な感情の発露として、似たような防御法を選択しようと考える人もいるだろうなと思いますが、それは願っている方向がたぶん違うので、また別の話になると思う)

私自身は、それほど社会における役割みたいなものに誠実であろうという意識がないので、たいして悩んだりはしないんだけど、でも、それを赦してくれる社会であってほしいなと(図々しくも)思っていたりする。

主題は違うけれど、私の考える理想のかたちのひとつがこちらの文章でした。

個々の人間がもっともその個人が望ましいように生きることができる社会態勢を整備する、という観点からは少子化は問題にならない。個々の立場からは子供を産むことが難しくなるような環境と人生の選択肢が判断の要素なのであって、少子化だから産む・産まないということではないのである。「私が産むこと」は「隣人が産むこと」や「友人が産むこと」とは置換不可能である。したがって「産む人間」にとって少子化は問題の対象にならない。極端なことをいえば社会がどうであれ、私は産む、のだから。

「kom's log − 極私的選択」

関連するかも

「よしながふみと志村貴子」

「規則を知らないゲーム」

*1id:ichinics:20060619:p2

*2:第3、4話の主人公

2007-02-12

[][] マリー・アントワネット

ichinics2007-02-12

監督:ソフィア・コッポラ

ロストイントランスレーション」を見た時に、なんだかすごくやるせない気持ちになったのが嘘みたいに、この「マリー・アントワネット」は楽しんで見ることができた。どちらもソフィア・コッポラソフィア・コッポラによるソフィア・コッポラのための映画、という勢いはあるんだけど、「マリー・アントワネット」という映画が好きだなと思ったのは、世界と自分との関係を疑わない、全能感を持った少女時代が、残酷な形で壊れるまでを描きながらも、好きなもの、楽しかったことは否定しないという強さがあったとこだと思う……、とかそういうややこしいこと抜きにしても、すべての場面がLovelyとBeautifulに満ちていたのがすばらしいと思った。

以前、フランス旅行に行った時にヴェルサイユ宮殿も見にいったんですが、今の視線でみるとどうしても古ぼけて見えるあの建物と観光客でいっぱいの庭園が、映画の中では瑞々しく、確かに輝いて見えた。という作り込みようは全て監督の美学に基づいているのだろうなとも思ったし、あのような風景を見れただけで、もう満足です。あのプチ・トリアノンでの生活は、確かに夢のようだし「わたし田舎って大好き」という言葉がいかに誤謬であったとしても、それより前に憧れてしまう気持ちがある。

物語自体は、テンポが緩いかなぁと思ったとこもあったけど、ルイ16世とマリーのやりとりはどれも味があって、好ましく思えた。群衆に囲まれたヴェルサイユ宮殿の中での家族をかばうようなルイ16世の手つき、それから最後に二人が見つめあう場面なんて、思わずマリーが「わたしたち、やっと夫婦になったわね…」とか言い出すんじゃないかと思うくらいで、このへんの、ルイ16世を最後までちゃんと夫として描いているところも、いい。(ルイ16世びいきです)

あと、映画の中には私も大好きな音楽のいろいろが出てきてうれしかったんですが、その度に現実に引き戻されるというか、映像と音楽があんまりあってないかなぁって思うとこも多かったです。とくにヴォーカル入りのトラックを使うところは難しいですよね。

久しぶりに絵をかきたくなって、写真集のつもりでパンフレット買っちゃった。わー。

[] あまずっぱい

最近のまとめ買いお菓子は、ローソンで売っている「素材が活きてる チョコinストロベリー」です。

フリーズドライのイチゴとチョコといえば、六花亭のストロベリーチョコを思い浮かべますが、これはチョコがけではなく、フリーズドライのイチゴにホワイトチョコが染み込ませてあるというものです。準チョコだけど、うまい。チョコというよりは、フリーズドライのイチゴに甘みが足してある感じで、ちょうどよいあまずっぱさ。ただ、一袋に入っている量があまりにも少なくて、すぐ食べ終わっちゃうのが困りものです。

イチゴ好きの人にはおすすめ。

緑色のパッケージのシリーズで、100円均一かな? と思うけど違うやつです。

[][] 朝から晩まで

朝起きてお天気でうれしい。今日は、映画見て髪切りに行って買い物して飲むぞ、と思ってたので、平日よりちゃんと化粧とかしてみる。ふだんあんまりしないくせに、化粧品は好きなんだけど最近はRMKに落ち着いてて、あそこのBAさんにおそわったマスカラの塗り方とか、気に入ってる。基礎は相変わらずオリジンズだけど、このまま当分、化粧品では悩まなくてよさそう。なんてことを妹と話しながら、ばたばたと家を出て、「マリー・アントワネット」の劇場は思ったとおり女の子でいっぱいで、見終わったらやっぱり、あそこの場面で着てた服、かわいかったよねぇ、という話があちこちで聞こえて、私たちもあの、庭で着る服、あんなの着てみたいよねぇなんてうっとりする。そのうきうきした気分は飲みにいくまで続いてて、おいしくって満腹で幸せ。で、相変わらず漫画も買って、アマゾンで数週間かかるといわれてカートに入れっぱなしだった「トコトコ節」が見つかったり買いのがしたモーニングtwoが買えたうえに、明日も休日、なんて、なんて最高なんだろと思って今にいたります。

IMAOIMAO 2007/02/12 07:03 「世界と自分との関係を疑わない、全能感を持った少女時代が、残酷な形で壊れるまでを描きながらも、好きなもの、楽しかったことは否定しない」非常に的確にこの映画を現すコメントだと思います。女の子の気持ちって、多分ああいう事なのかな?と思いながら観ていました。しかし、僕の見間違いかもしれませんが、靴を選ぶシーンで一つだけバスケットシューズがあった様な気がした様な・・・
ちなみに僕はかなり前の通路側で映画を観る事が多いです。よっぽど酷い映画の時はすぐに退出出来るので^^

ichinicsichinics 2007/02/13 01:41 そういっていただけるとうれしいです。やったー。
バスケットシューズ(コンバースらしいです)は見間違いではなく、ソフィア・コッポラのこだわりらしいですよ。個人的には、ちょっとこだわりすぎかもなぁと思いましたけれど。
ところでIMAOさんも前方が好きなんですね。でも退出かー(笑)私は貧乏性なのでいまだにしたことないです(ビデオ早送りならありますけど)。でも最近はちらほら評判見聞きしてから見にいくことも多いので、はずれること自体がないかもしれませんね。

IMAOIMAO 2007/02/13 07:23 そっかー、やはり見間違いではなかったのですな。もう『明日の記憶』状態になっているかと思いましたです。何はともあれ、ネット&ブログで何が良いって、映画とか諸々の評判が判りやすくなった事です。御陰さまで結構参考にさせて頂いております^^

ichinicsichinics 2007/02/14 01:08 ほんと、以前は雑誌の映画評とか書評とか見たりもしてたんですが、ブログとかの方が速いし、おすすめしてる人の好みもわかりやすくて参考になります。今までだったら見すごしてたようなものも見つけやすくなりましたね。で、見たい映画が見切れなかったりもしますけど。

2007-02-10

[] 自由意志と「我あり故に我思う」

休日に、さて出かけよう、と思う。友だちとどこかへ遊びにいこうか、それとも1人で映画でも見ようか。考えて、映画にする。で、メッチャつまらない。1番、「あーあ、友だちと遊んでたほうが良かったなぁ」。まぁ、帰るか、と思うと急にすっげー土砂降りでズブ濡れに。2番、「あーあ、こんなじゃ出かけなければよかった…」

で、ぼくの言いたいのは、1番はアリかも知れないけど2番はナシだよな、ということです。家にいた時点では「今日は出かけない」ということを一度も考えていないわけです。その選択肢は、存在しなかった。しかし、「出かけなければよかった」と、言葉を使うことによって、未来の時点から語れてしまう。そのせいで、そういう行動を取ることもできたはずなのだ、というように錯覚してしまうのです。でもそれは過去の改変/捏造でしょう、とぼくは思う。

「で、みちアキはどうするの?」 − 自由意志の幻が生まれるところ

面白かった。特に下に引用した部分がとてもわかりやすいたとえだと思った。

で、私もちょっと考えてみたんですが、私にはどうも、1番も2番もナシに思える。つまり、その休日に選ぶ選択肢は「さて出かけよう」の時点でもう決定されているような気がする。振り返って「出かけない」選択肢もあったのだと「言葉で思う」ことで、次の休日には天気予報を調べる、といったことがおこるかもしれないけれど(そして、だからこそ「思うことには意味がある」と思うけれど)、その休日の行動は、その瞬間までにもう「予測不能ではあれど決定されている」んじゃないだろうか。

最近、「我思う故に我あり」は、「我あり故に我思う」なんじゃないの、と思うようになっています。

「我あり故に我思う」なんじゃないの、というのは以前読んだmichiakiさんが書かれていたことで(http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20050926#1127745320)、それからずっと気になってたことなんですが、その時の私はこう書いてた。

  • 「ある」ということを知らないということで、はじめて「ない」だけが存在するんじゃないだろうか。(id:ichinics:20051009:p3

いいたいことはわかるけど(書いたの自分だし)、自分でもわかんないと書いてるように、「思考」と「感覚」がごっちゃになってるなぁと思った。こうやって自分の考えが更新されてることに気付けるのはちょっと面白い。

ともかく、「我」が「思う」と感じるのは、「我がある」からだ。そして今ちょっと、その「我」を言語といってもいいかもしれないって考えています。言葉があるから、自由意志があるように感じる。過去を未来から語ることもできる。しかし、過去は未来から語られた時点で、複数あるように見えるようで、実は定着してしまう。

上に引用したエントリの続きに、こうあります。

今度は逆に「家にいること」を後から語ることを考えてみます。「買い物にでも行けばよかったんだけど、家にいた」「遊びには行かないで家にいた」「外に行けば出会いがあったのかもしれないけど家にいた」「知事選には立候補しないで家にいた」。でもこれ、この人をビデオで撮ったらどうなるか考えて見ればわかります。全部同じ、「ただ、家にいる人」が映ってるだけです。

ここで、何が定着しているのかというと、それが「意味」かなぁって気がしている。例えば、一番上の引用部分では、土砂降りでズブ濡れになるまでは「出かけなければよかった」という思いもでてこないわけで、ここで初めて「出かけたら雨でズブ濡れになった」自分が登場する。因果関係はないのに、あるように、たとえば「今日はついてない」みたいに感じることができてしまう。でもこの後に、雨を避けて喫茶店に入ったら旧友に再会した、なんてことがあって「出かけてよかった」になる可能性だってあるわけです。家に帰ってくるまでは。

このように、何かを思ってしまうのは、「言語」があるからこそだよなぁ、と考えているわけですが、だとすると「言語」を使う「私」ってなんなのか。そこがちょっとややこしい。

私がある、ゆえに思うことができる。そして思うことができることによって私があるということが「わかる」という感じ? かなと思うんだけど、「ある」だけじゃ「思う」はうまれないような気もする。

ともかく、思うことのできる「我」っていうのは、もしかして言語のあたりに、由来を探せるのかもしれないなと、考えてるのをざっと出してみて、また考える。

[][] 映画館にて

映画館が好きです。だいたい週に1度くらいの割合で行きますが、9割は1人で行きます。つまり10回に1回は人と行くこともあるんですが、そのとき迷うのが、どこに座るか、です。

以前、ちょっといいなと思ってた男の子と映画行って、「席どうしよっか」みたいなことになったときに、好きなとこでいいよと言ってくれたときはなんていい人なんだってお言葉に甘えたんだけど、なんか映画の間中落ち着かなげで悪いことしたなって反省したことがあった。そしてその後の飲み屋で首痛くなったとか言うので、えー、と思ったりした。とはいえ、お互い好きな席で、といっても変だし、それからは初めての人の場合、相手にあわせるようにしてるんですが、一番後ろ、とか言われると、結構かなしい。

たぶん、人によって自分の見やすい席っていうのがあると思うんですが、座席指定をするときに、後方中央と通路側が売り切れていることが多いので、その辺は人気なんだと思います。でも私が好きなのは、前から5、6列目の最初の段差があるあたり。そういえばあの辺はいつもすいてるし、人気ないってことなのかもしれない。

で、何が書きたいのかというと、この前、映画館に行ったときに、私の直後に切符買ってたおじさんが迷わず私と同じ列を指定していて、思わずときめいた、というそれだけの話なんです。すみません。

[] 楽器を習いたい

楽器をならいたいなぁと思っている。

やってみたいのはチェロだけど、大きいし、持ち運べないし、習ったことがあるのはピアノだけで、そのあとベースとドラムもやったけど、やっぱりピアノが一番好きだ。

「でもピアノも持ち運べないからなぁ」と言ったら、「母に持ち運んでどうするの?」といわれた。

確かにそうだ。持ち運ばない。でも、なんとなく、河原でトランペットの練習してる人とかの開放的な感じが、うらやましいなぁと思っていたのだ。でもそれは逆に練習する場が少ないということでもあるのよね。

そういえば、前にテレビ番組の広告で演奏する場所を探して歩く旅番組みたいなのをちらっと見たことがあって、それもすてきだなぁと思ったんだった。

ともかく、もう一度ちゃんと楽器ならいたいな。

michiakimichiaki 2007/02/11 14:04 あはは。じぶんも「前方中央」が好きなので思わずコメント。要するに視界にスクリーン以外のものが入るのがイヤなんですよね。と言ってもエイガ観るのも年に1,2度ですが。

IMAOIMAO 2007/02/11 14:38 女の子と映画を観る時の席選びはかなり大命題ですね。と言っても女の子と映画観るのは年に1、2度です^^あんなに映画館行ってるのに・・・

ichinicsichinics 2007/02/12 02:12 >>michiakiさん
まさにそれ。視界をスクリーンでいっぱいにしたいんですよね。でも私は真ん中よりちょっと左よりが好きなので中央はmichiakiさんに譲ります。
>>IMAOさん
もちろん、私だって10回に1回は人と行く、といったって男の人と行くのなんて年に1、2度あるかなぁ…ですよ(笑)でもまあ、一緒に行った人と、どのへん座る? で趣味が合うとうれしいよねっていう感じです。IMAOさんはどのへんが好きですか?

2007-02-09

[] 「Some Loud Thunde」/Clap Your Hands Say Yeah

大ヒットした1stアルバムから約1年、プロデュースにデイヴ・フリッドマンを迎えて制作されたセカンドアルバムがこちら。

Some Loud Thunder

Some Loud Thunder

ただ、楽曲にはそれほどプロデューサーの影響は感じられなくて(良い意味で)、あくまでも1stの延長線上に進化しているアルバムでした。すごく良いです。音作りの面では、特にヴォーカルとベースが聞きやすくなっている。この芯の通ったオリジナリティと、浮き世離れした独特の雰囲気は、たとえばCAKEみたいに地盤のあるバンドだからこそなのかなと思ったりします。

1曲目は今回も拍手入り。音の壊れ具合が気持ち良い。そしてこのヴォーカルは聞いててやみつきになるというか、聞けば聞くほど魅力的に思えてくる。スルメみたいですね。声を震わせる感じはblighteyesっぽいのなかぁと思ったけど聞き比べてみるとそうでもないの。

アルバムはレコードのA/B面みたいに6曲めと7曲めの間で少し空気が変わります。こういう色のつけかたも、懐の深さがあらわれてる。今後も楽しみなバンドです。

ちなみに今回のジャケットはボブ・ディラン『PLANET WAVES』ぽいなーと思ったら(似てないかな?)、ヴォーカルのアレックはボブ・ディランのファンとのことで、なるほどと思った。

Planet Waves

Planet Waves

[][] グアンタナモ 僕達が見た真実

ichinics2007-02-09

監督:マイケル・ウィンターボトム/マット・ホワイトクロス

2001年9月、無実であるにもかかわらず、テロリストとして米軍に拘束され、その後、二年間も米軍基地グアンタナモにて収容所生活を強いられることになったパキスタン系イギリス人の青年、ローヘル、アシフ、シャフィクの三人。この映画は、彼らへのインタビュー映像、実際のニュース映像を交えて描かれる。

物語の主人公は、ファッションに興味があって、ラップが好きで、適当だったり友達思いのところがあったりするごく普通の、つまり、決して「理解できない」ような悪人ではない青年たちだ。

お見合いのためにパキスタンへ帰国し、結婚することにしたアシフに招かれ、ローヘル、シャフィク、そしてムニールがパキスタンに集う。そしてそこで隣国アフガニスタンの状況を耳にし、自分達の目で見てみようと思い立つ。そして、そこで「戦争」に巻き込まれることになる。

タリバンだろ?」「兵士だろ?」「おまえの友人が吐いたぞ」なんて台詞をひたすら浴びせられ続けるが、そんなわけない。その尋問の不毛さ、理不尽さにも腹が立ったけれど、そこにいる兵士もまた末端なのだと思うと、怒りの矛先をどこに向ければいいんだかわからなくなる。

しかし、インタビューを受けている実際のアシフ、ローヘル、シャフィクの三人の「今」には、お互いを信頼し、その過酷な状況を乗り切ったのだという自負がある。そして映画は常に、三人を誇張せず、地に足のついたリアルな存在として描いていた。その点で、「グアンタナモ」は、何かを告発するものであるというよりも、彼等の成長と関係を描き、その力強さを描いたものだったと思うし、そこに私は好感をもった。

それでも、私は映画を見ている間中、「危険かもしれない存在」を取り除くことができない可能性よりも、「罪のない人」から自由を奪ってしまうことの方が、ずっと恐ろしいことだ、と考えていた。「疑わしきは罰せず」ってやっぱりすごく大事なんじゃないか。

世界では悲惨なことがたくさんおこっているのに、テレビは、メディアは信用できなくて、という風潮が今あるような気がするけれど、世界で悲惨なことがたくさんおこっているような気がするのは、それだけ「一人の人間の命」やQOLが重くとらえられるようになったからで、それにはメディアが少しは役立っているんじゃないのかな? 楽観的すぎる? でも、きっと百年前には、でもこの映画にあったような断絶がいたるところにあって、しかもそれを知ることもできずにいたんだろうなと思う。

じゃあ、それを知ることができるようになってどうするのか?

個人であること、個人が幸せを求めること、それが等しく保証される世界を目指すというところを、願うことくらいしかできないとしても、何もできないからといって無関心であるというのは、違うよなと思う。

2007-02-08

[] ZAZEN BOYS LIVE2005-2006 感想ひとり寄せ書き

ヤンキー時代のライブをふりかえった。

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[][] トップをねらえ!

トップをねらえ!2」がものすごく面白かったので、順序逆になってしまったけど1988年作品の「トップをねらえ!」を見ました。

トップをねらえ! Vol.1 [DVD]

トップをねらえ! Vol.1 [DVD]

すごい面白かった。全6話のうち、最初の2話くらいは、昔のテンポだなぁって思ってひいてみてたんだけど、だんだんのめり込んで一気に最後まで見てしまった。これはほんと傑作だ。そして、トップ2はすべてこの話にちゃんとつながってたんだなって発見も面白くて、大満足です。

トップ2は物語の核に「トップレス」というキーワードを付け加えていたけれど、「トップをねらえ!」の核になる部分は純粋に「ウラシマ効果」の悲哀についてだったと思う。最初は努力・根性ものかと思ったけど、全体的に駆け足な展開ではあるものの、中盤からの重点をおさえた丁寧な描写が、ラストへの大きな流れを作っていた。

六か月、十五年、そして…と、間隔があいてゆくなかで、ノリコとお姉様が再会する場面には、かなりぐっときてしまった。ここの友情物語も、あのノリコがお姉様を鼓舞する場面があるからこそで、シンプルで力強い脚本だなぁと思う。

1も2も、大好きな作品のひとつになりました。アニメってほんとおもしろいなー。

「トップをねらえ!2」の感想

[] 世界樹名前出し

どうしよっかなーと考えてたとき本棚の水色背表紙が目に入ったため、ヴォネガット・キャラクターでギルドをつくることにしました。

ヴォネガットまだ全部読んでないくせに…! ですけど。読むし。

  • ソードマン:トラウト
    • いちおう主人公のつもりだったので、ヴォネガットの分身にしてスタージョンがモデル、というSF作家、ギルゴア・トラウトよりトラウト。
  • パラディン:キャンベル
    • パラディンて悲しいというか無骨というかなんかなんかなイメージなので、ナチ宣伝員?ハワード・W・キャンベル・ジュニアよりキャ ンベル。っていったら缶詰みたいな気がしてきた。
  • アルケミスト:ラムファード
    • 全ての時空に存在する男、ウインストン・N・ラムファードより。時間等曲率漏斗の場面とかアルケミストっぽいし。関係ないけど好きな名前。
  • メディック:エリオット
    • 億万長者にして浮浪者、財団総裁にしてユートピア夢想家、慈善事業家にしてアル中、愛すべきエリオット・ローズウォーターより。ここまで 皆名字なのでローズウォーターにしたかったけど文字数制限あったのでエリオットに。昨日エリオットにボーンステッキ買ったらまたお金なくなった。
  • レンジャー:ビアトリス
    • 女性名なーとちょっと悩んだ結果、ラムファード夫人ビアトリスに。ビアトリス贔屓なので。

カースメーカーとブシドー入れるとしたら、「トラル」「ファマドール」とかにしよっかなと思ってます。

toukatouka 2007/02/09 07:55 トップは98年じゃなくて88年です。このラストの完璧さと、完璧すぎて後に続こうとすると身動き取れなくなってしまうところが、なんだか「ポートピア連続殺人事件」に似ています。人類こそがウィルスで、そして本当にそうだったというエンディングが、自嘲的にならずに語られているのが素晴らしい。作者と登場人物の意志の力、あーそれを努力というんですね、をはっきりと感じられる作風はくらもちふさこの漫画に通じます。
ビリー・ピルグリムはいまいちぱっとしない名前だなあ。

ichinicsichinics 2007/02/09 09:14 わー書き間違えました。訂正させてください。で、ほんと完璧なラストですよね。《完璧すぎて後に続こうとすると身動きとれなくなる》て、ほんとそのとおりだなと思います。見終わってしばらく、なんか感想かこうと思っても、面白かったなぁ…しかでてこなくて、今まで手をつけてこなかったことが悔やまれます。2から見たって言うのももったいなかったですが、トップの物語をあのラストで見終われたのは感動的だったからよかったかも…。1も2もきっと繰り返し見る。で、今はフリクリ見てますよ。いつのまにやらガイナックス特集だ。
ちなみにピルグリムも好きなんですけどね。響きからしてメディックなのでメディックはローズウォーターさんに決めてたので(笑)です。

momomomo 2007/02/09 11:13 ここの動画サイト面白いよ!http://www.ganzis.jp

ShipbuildingShipbuilding 2007/02/10 00:30 なるほろいいネーミングかと。わたしはヴォネガットを母なる夜、タイタンの妖女、と読んでから村上春樹の初期作品を読んだので、なんてそっくりな!と驚いたのですが。それはともかく!世界樹でおすすめの職業は、バードですよ。メディック。レンジャー。バード。がいればあとはお好きに。というわたしは、27階ですよ。率直に言ってやりすぎです。誰かにわたしを止めてほしかった。

ichinicsichinics 2007/02/10 01:04 バードですか! 強化系って盲点だったなぁ。でもそういわれると入れたくなりますね。まだまにあう。うーん、パラディン削るか…。ちょっと入れてみます。というか、27階まであるんだってことにびっくりしてますよ。私はやっと6階です。だんだんお金持ちになってきてうれしい。

2007-02-07

[] 町田のヤンキー

日向秀和脱退のお知らせ】

☆このたびベース日向秀和ZAZEN BOYSを脱退いたしました。

これは、前向きな話し合いの結果によるものです。

ZAZEN BOYSはあらたな活動に向けビリビリ準備中でございます。

2/7(水)更新の向井秀徳情報(http://www.mukaishutoku.com/main.html)より。

なんだってー! と、思ったけど、日記の方を見て納得する。そりゃそうだ。今までだって平行はきびしかっただろうし、バンドとしてのテンションもかなり違う。町田のヤンキーとしての日向さんが見れなくなるのはさみしいけど、今後のストレイテナーにおける活躍をきたいしてます。

でも私が見た最後の現行のザゼンが昨年末の新大久保(http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20061229/p3)だったってのはラッキーだった。すばらしかったもの。

[] 自由意志のないシステムとしてあるわたし

自由意志があるのかないのかはまだ考え中だけど、すこし分岐先を考えてみたいので、とりあえず自分の興味がある「わたしに自由意志はない」の方に仮定して(……ってなんかの皮肉みたいだけど。)、私に自由意志は「ない」のに、それがあるように感じられるのは何故だろう、ということをこの前考えて書いた(id:ichinics:20070126:p2)。

ただ、ここで「自由意志がない」、と考えているのは、「他の自由意志を持った何かに操られている」ということではないです。アインシュタインの言った「神はサイコロを振らない」っていう言葉ってどういう意味だったのかは勉強不足でまだわかんないんだけど、神という存在があるとしてもそれは「サイコロを振らない」、というか、そもそもゲームに参加していない、と思う。

だから、私が私の自由意志を感じることもまた、偶然の足取りによるものであり、偶然のはじまりとしてゲームを作ったのが「神」だとしても、とりあえあず私は偶然の開く場所にいて、漠然とした自由意志を感じている。

しかし「自由意志」があってもなくても、そんなの私以外から見れば同じこと、なのだと思う。

それぞれ「自分自身」しか知らないのだから、他者(ヒト以外も含む)を知るということは、

  • 相手がどのような言語システム/思考方法を利用している相手であるのか

ということを、

  • 「自分自身」というシステムに照らし合わせて判断する

ということで、それはきっとほとんど誤謬だ。だって「自分自身」システムだって把握してないんだから。

だからヒトはそれぞれ自動的に現象を解析しマッピングし続けるシステムであると同時に、使い道のわからない道具であると、今の私は考える。

地球にとって有害だとか、俺にとって無害だとか、国にとって有用なのでこれこれしてくださいとか、まああるとしても、それは側面でしかない。このシステムの動作記録がそのシステムの存在に「意味」を見いだすとすれば、それは振り返ってみた自分だけに理解できるものだろう。けれど、それを振り返ったときにはもう続きはないし、たぶんシステムも更新されない、だからそっちはとりあえず先にまかせて、今は今を見ることしかできない。ただそれは、感覚を受け取る者として自律したシステムであるということでもあって、意志をもった何者かの為の道具である機械とは違うとこかもなぁと思いますし、そこが気に入っているので、「機械になっちゃいたいのに*1」とはあんまり思わなくなったな。遠回しすぎる?

関連するかもしれない

カテゴリーの先と手前を想像すること

ゲームとしての私

[] アメリカンダンスアイドルが終わってしまった…

今日がファイナルの放送でした。TOP4は、ハイディ、ドニエル、ベンジー、トラヴィス。

その中では、ドニエルが一歩およばない感じだったけど、ハイディはほんと魅力的に成長したのがわかるし、トラヴィスとベンジーはほんとうに甲乙つけづらかった。どちらもそれぞれのよさがあって、だからミアの「二人とも引き分け」という台詞がうれしかった。

楽しませてもらいました。

ファイナルでは、アイヴァンとアリソン、ハイディとトラヴィスのコンテンポラリーが再演されたのがうれしかった。ベンジーとドニエルのブロードウェイ、ハイディとベンジーのマンボも。

来週からもう見れないなんて寂しいなぁ。

[] 「風来のシレン」が苦手でも「世界樹の迷宮」が楽しめるわけ

相変わらず黙々とダンジョンに潜りつつ、「風来のシレン」苦手だったのに「世界樹の迷宮」が楽しめるわけはなんだろう、とか考えてた。

まずはマッピング保存できるからだ、と思う。

死ぬとレベルが1にとかアイテムなくなるとかよりも、シレンで恐いのは、せっかく出口見つけたダンジョンにもう一回入らなきゃいけないってことだった。要は方向音痴なんだな。だから3DになってからのFFはクリアできないのばっかり。でもまあそこはプレイヤーの成長という名前の記憶で補完すればいいのだけど、1に戻ったレベルを補うためにアイテムに頼らざるを得ないってのもなんだかくやしかった。

まぁ最後にシレンやったの学生時代だから、今は楽しいかもしれないけど、ドラクエ4ではトルネコの章だけ弟にやらせたくらいかつてはアイテムに興味なかったしなぁ。たぶんレベルあがるのが好きなんだな。逆にプレイヤーが強くなりすぎるとつまらないけど、世界樹はその辺丁度良い。

個人的に思い入れのあるゲームバランスは、ファイアーエムブレム。キャラクターが死ぬと生き返らない、ので、めちゃめちゃ戦略を練って進むことになる。いつも全員生きてゴールするのが目標になってしまう。動かしている時間より考えてる時間のが長いってのが燃える。

…と考えてくと、世界樹はずいぶんゆるいゲームに思えるし、ひたすらダンジョンに潜るってだけなのに、なんではまるんだろうなぁ。という訳で今地下5階。シルバーウルフはどこにいるんだろうなー。

*1:「やっつけ仕事」

2007-02-06

[] 世界樹の迷宮Lv13

世界樹の迷宮(特典無し)

世界樹の迷宮(特典無し)

あちこちで絶賛してて…という噂はよく目にするものの、絶賛エントリじたいをまだ見たことはなくて、というのも特に攻略情報とか調べずにひたすら潜っているからなのですが、つまりあんま攻略で困ったりしない(いまのところ)シンプルで簡単なゲームって印象です。でも戦闘バランスは絶妙に苦戦させられるというか、戦闘も、ダンジョン歩くときもちょっと考えなきゃいけなくて、でも、そこがはまるんだよねって感じだ。一番の特徴は、移動しつつタッチペンでマッピング、自分でメモを貼れたりもするってところ。手持ちアイテムいっぱいでとれなかった宝箱に「みかいふう」とかね。ゲームブックっぽい雰囲気も好きだし、特に物語がないのを脳内補完してる感じが新鮮、というか懐かしい。

たのしいです。買って良かった。

とりあえず私が組んだパーティは、前衛がソードマンとパラディン後衛がレンジャー、アルケミスト、メディックです。

最初は前衛3人にするつもりだったけど、これはこれでいいかも。ただ、白魔導師的な役割のメディックがあんまりつかえないというか、MP(このゲームではTP)がなくなるとやることないので持て余している。攻撃力が欲しいです。ホーリーとかあるのかなー。あとこのゲームのパラディンはほんと防御重視で、防御って好みじゃないのでいまいち思い入れられないから、早く攻撃系のスキル身に付けないかなぁ…と思ってます。バックガードよりも攻撃力をください。遅くていいからアーマーっぽく使いたいなぁ。

ま、弱いのは全て武器買うお金がないせいかもしれないけど。逆に最高なのはアルケミスト。黒魔導師系ですがつよーい。TPのばしまくってます。あとレンジャーも素早くて良い。ちなみにこのゲームでは職業ごとに4種類の見た目からキャラクターを選ぶことができるんですが、一番好みなのは眼鏡のメディックです。

で、今まだ3階苦戦している。というかカマキリがたおせないので4階にいます。マッピングが楽しくて、新しいフロアにいきたくてしょうがない。

[] MetallicaMetallica

メタルというジャンルについては、昨年の夏に「メタルヘッドバンガーズジャーニー」を見て(id:ichinics:20060713:p2)からあれこれ考えていたんですが、その後サマソニで見たメタリカのライブが*1かっこよかったこともあり、ちゃんときいてみようと思っていた。のをやっと実行しました。いわゆるメタルのアルバムを買うのはこれがたぶん初めてです。

そもそも私はなんで「メタルヘッドバンガーズジャーニー」という映画を見にいったのか、自分でもよくわからないんですが、たぶん長年レコード屋で働いていたくせに、メタルという盲点があるのがずっと気になってたんだとは思う。意識的に避けてきたならまだしも*2、私がメタルになじみがないのは、単に中学から女子高に通っていたってことが大きいんじゃないかと思う。大学の男友達どうしがメタルの話をして、あれはよかったなぁ、みたいな語りをしてるのは、正直うらやましかったし、でもそれはみんな「かつて」の話だった。映画では『「あの夏はスレイヤーをきいてた」なんてことはない』といっていたけども、私の友達たちはみんな卒業してしまってたのか、そんなに好きじゃなかっただけなのか、もしくはそのようにふるまっていたのかはわかんないけれど。

それに私はLED ZEPPELINをこよなく愛しており、しばしば彼等のアルバムがハードロックおよびメタルの元祖的な位置づけで紹介されるのは目にしていたし、初期のサバスも好きだったし店の常連のジャズマニアのおじさん(尊敬していた)がジューダスにはまってて興味をひかれたりもしてた。

そもそもヘヴィロックは好きなんだし。

というわけで、選んだのがメタリカの1991年に発表されたアルバム、通称「ブラックアルバム」です。

メタリカ(紙ジャケット仕様)

メタリカ(紙ジャケット仕様)

1曲目からかっこいいです。なんどもいうようにメタル知識まったくないので感覚で感想かきますが、まずはとにかくリフがかっこいい。それから重厚感のあるユニゾン、シンプルなんだけどタメのあるドラム。そこに迫力とつやを兼ね備えたヴォーカルが重なり、ぎゅうっとしなったところでブレイクが繰り出されたりする展開にぞくぞくする。ヴォーカルがやたらと重なり高音域へと解放されてく感じとギターソロは、メタルっぽさとしてイメージするものに近いんですが、#2の引きずるような重さとか、#5のサイバーな感じとか、あのヘヴィロック/ハードコアが台頭しだした90年代後半は、もともとこの辺りにルーツがあったんだなとか、たぶんきっと常識すぎることを再確認した。あちこちにいい感じのフックがちりばめられており、ここで盛り上がるんだなってのがわかる。ライブ楽しそうだな。アンコールで「So What」(ボーナストラック)ですか。それともこれは中盤のバラード直後かな、なんて想像するのも楽しい。

なかでも#6はZEPぽくて、ZEPをこの音質できければいいのになぁーとか思った。つーかバラードは好みじゃないけど、それ以外はぜんぶかっこいいや。

そしてまた「メタルヘッドバンガーズジャーニー」のことを考えて、はじめて歌詞を読んでみたのですが、これまで私が聴いてきたロックと異なる点といえば、一人称が「我々」であったり「お前」と男/友人を指している曲が多いということでした。このアルバムだけ聴いたくらいじゃなにもわかんないと思うけど、その言葉が語りかける感じが、あの忠誠(に似たファンの有り様)につながっていたりするんだろうか。そりゃ燃えるよなぁと思う。

NEVER OPENED MYSELF THIS WAY

LIFE IS OURS, WE LIVE IT OUR WAY

「Nothing Else Matters」

 関連エントリ

「なぜ“メタル”は嫌われ、非難されるのか」

「デトロイト・メタル・シティ」

「FIGHT SONG」の我々と肯定への抵抗?

SUMMER SONIC2006

[] かぞえた

ローソンからスタバまで180歩。それは駅から会社の5分の1くらいで、わたしは行きと昼と昼帰りと帰り、1000歩づつ計4000歩くらいを日々この道で歩いていて、もうすでに30万歩くらいは歩いたことがあって、それをこの先どんくらい続けるのかとか考えると、うへぇって気分に、なる。べつにこの街が嫌いなわけではないんだけど、でもやっぱ場に飽きるということはあるのよね、なんて考えてて、でもわたし、下北沢で働いてた五年以上、は飽きなかった。手のひらサイズでちょうどよかったしお昼食べる場所にも困らなかった。下北好きとかいうとサブカルうぜーとか(じょうだんでも)いわれることが多くなってきてなんともなぁですが、とても好きな町であるし、落ち着くし、逆にビル街はおちつかない。1ブロックがでかいし風が強いしお昼はどこも混んでる。休みじかんにDSやれる憩いの場がほしい…。

*1:リップスに行ってしまって、途中までしか見てないですが…それでも一人でマリンスタジアムに走った。

*2ユーロビートとかはそうだな

2007-02-05

[][] 十年後の気分

日差しは暖かくて、冬なんだか春なんだかで眠いし、そんなふうに日々はどんどん過ぎてって、すでに2月も1週間たっていた2007年ですが、そんなぼんやり頭をハッとさせられたのが、「FLI-FLA」さんのこちらの文章でした。

さて、今年に入って最初に驚愕したことといえば、それは今年が2007年ということで、それはつまり10年前は1997年ということで、そんなの当たり前じゃねーか何言ってんだ馬鹿という感じですが、このサイトで僕が何億回と繰り返し言及してきたように、97年といえば中村一義の『金字塔』であり、エヴァンゲリオンであり、Radioheadの『OK Computer』であり、FINAL FANTASY VIIであり、スヌーザーの創刊の年であるわけで、未だに僕へ細胞レベルでの影響を残し続けるこうした諸傑作が続々とリリースされた重要な年から、というか、今でもハッキリとした記憶を思い返せるような年から10年も経ってしまっているという事実に、愕然としてしまったのです。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/loomer/(2007年1月28日の文章より)

びっくりした。いつのまにか、鞄のそこに穴があいてて、中身がぜーんぶこぼれてた、って感じだ。

1997年は、わたしにとっても特別な年だった。もちろん「1997」というカードは全国共通じゃないんだけど、でもだからこそ、1997年は自分たちの年だった。そう、感じていた人は多いんじゃないかなと思う。それを世代っていうのかはわからないけど。

で、上に挙げられているすべてはもちろん、あの頃のいろいろは、今でも鮮明に覚えているし、どこかまだ続いている感じもしていて、

でもあれが、十年前だなんてびっくりだ。あたりまえだけど、もう、ずいぶん遠いんだな。

あと十年経ったら 何でもできそうな気がするって でもやっぱりそんなの嘘さ やっぱり何もできないよ 僕は いつまでも 何も できないだろう

「IN THE FLIGHT」

この曲の入ったアルバムが出た夏、まだ遠くにあってぼんやりとしているだけだった十年後はほんとうにきた。正直、こんな十年後だとは想像もしなかったし、そのくせなんも成長してないような気もして、ちょっとへこむ。

ただ、今になってみれば、1997年の自分だって気恥ずかしくってさぁ、と思うけど、やっぱ楽しかったし、あの頃の好きなもの、まだ好きでいられることはうれしく思う。

あぁ、この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありますように。

「永遠なるもの」

そして、次の「十年後」から見た今も、きっと気恥ずかしいんだと思うよ。

関連:「宇宙 日本 世田谷」/Fishmans

ちなみにうえに挙げた2曲をききかえしていたら、どちらもドアから始まる曲で、「ドアをノックするのは誰だ」を探し出してきたら1995年で惜しいと思った。

[] たのしみ映画メモ

恋愛睡眠のすすめ
ミシェル・ゴンドリー監督最新作。予告編もかわいかったし、ガエルさん主演だしでちょう楽しみです。「“睡眠中”に“恋愛”する」ってなんか「ルサンチマン」ぽいですね(?)。GW公開。そしてもう一作ガエルさん出演作品↓
バベル
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督最新作。好きな監督の新作なので、俄然期待が高まります。「アモーレス・ペロス」も「21グラム」もどちらもすばらしい作品だったけど、その両作品に共通していた「複数の視点」を一つの脚本にまとめる構成が今回も見られそうで楽しみだ。役所広司、ガルシア・ベルナルなど好きな俳優さんが出演しているところもうれしい。GW公開。(公式 → http://babel.gyao.jp/
13/ザメッティ
ゲラ・バブルアニ監督のデビュー作。なんと自ら監督する「ハリウッド版」も制作が決まっており2008年公開予定とのこと。予告編を見ると「es」のような「カイジ」のような話なのかなと思われる。4月公開予定。
秒速5センチメートル
新海誠新作。一人の少年を中心に描かれる3本の短編連作。と聞いただけで楽しみにしてるんですが、公開延びてるような気がします。いまのとこ3月公開。(公式 → http://5cm.yahoo.co.jp/
前田弘二監督特集
テアトル新宿にて「女」「鵜野」「古奈子は男選びが悪い」「誰とでも寝る女」「ラーメン」を上映。3/31から1週間。(プログラムはこちら → http://maeda-kouji.net/index.html
SMILE
東京スカバラダイス・オーケストラのライブツアードキュメンタリー。予告編が強烈だったのでこれは絶対みたい。3/31公開。
松ヶ根乱射事件
山下敦弘監督最新作。チラシの推薦文を伊坂幸太郎が書いている。2/24公開。
チョムスキーとメディア
2/17@ユーロスペース

toukatouka 2007/02/06 08:40 私にとってのエヴァンゲリオン10年は2005年でした。ちょうどミサトや律子の歳を超えた辺りだったのでダブルショック…って思ったけどぎりぎりのタイミングで就職できていたのでそれは回避できてたようです。97年といえばFFTの年じゃなかったかしらん。
私にとっての10年は2009年に来ると思います。∀、フリクリ、サイトのトップを飾っているルーシーを見たのも99年だし、トム、ペリーヌ、初代ガンダムを見返したのもこの年でした。

ichinicsichinics 2007/02/07 00:22 toukaさんこんばんは。そういえばFFTも97年でしたね。FF’’7も好きでしたが、FFTのキャラクターデザイン好きでした。難しかったけど。エヴァを最初にみたのは97より前ですが、映画もあったし、エヴァ一色だったのは97年てイメージですね。あとは私は98年かなぁ。音楽関係は97年に発表されたアルバムのライブが98年にあり、アニメは「カウボーイ・ビバップ」があったし。
ところで、じつは「フリクリ」見てないんです…。やっぱり見ておくべきか。

toukatouka 2007/02/07 07:44 フリクリは断言しますが、ichinicsさんは必ず好きになると思います。一言で言えば「洗練されたエヴァンゲリオン」。
FFTはとにかく固有名詞の響きがどれも美しかったのが印象的です。タクティクスオウガと違って、男女の職業がほぼ同一ってのも楽でよかった。

ichinicsichinics 2007/02/07 21:57 コメント読んで早速借りてきました。たのしみ!!です。見たらまた感想書きますね。
FFTは確かに職業選び楽でしたね。でもFEみたいに女性は素早いとか男性はHPあがりやすいとか性格付けされてるのもすきなんですよね。もうすぐルミナスアークってDS初のタクティクスとWiiでFE出るの楽しみにしてます。

2007-02-04

[][] エレクション

ichinics2007-02-04

監督:ジョニー・トー

「アヌトパンナ・アニルッダ」さんの感想(こちら)で「全般に取り付くしまのない展開」と紹介されているのにそそられて見に行きました。

いやー、確かにこれはすごい。意外、というより“おかしな”展開に振り回された末に放り出されて呆然としつつ、でもまあ、そうだよねぇ、と思わず納得しかけてしまったけど、思い返すとやっぱおかしい。

ディパーテッド」を見たせいか、無性に黒社会もの見たいと思ってたとこなのでタイトルが「黒社會-Election」てバーン! てでたとこではにやにやしてしまいました。物語は香港マフィア組織、次期会長を決める選挙をきっかけに、金儲けが得意で武闘派のディーと、温厚な頭脳派ロクの争いを描いたもの。設定自体はこれまでのジョニー・トー作品に多く見られる、対照的な男2人の対決なんですが、まったく先が読めないというか、ある程度物語にひっぱられて予想したところで裏切っていくような展開。

最近の(ジョニー・トー監督の)作品はあまり見てなかったのですが、「暗戦」の頃のエンタテインメントとはまた趣の違うドラマが見れる。一番じゃないと落ち着かねえって感じのディーと、黙々と任務を果たすロクの対比が、銃を使うことなく*1、殴る蹴るで決着つけるやり方とあいまって、重々しく雰囲気があった。

幕切れは唐突だったけど、続編があるらしいので楽しみです。黒社会(洪門会)の歴史と「兄弟」の誓いについてはわりと丁寧に描いてあったので、続編はそのあたり、掟の崩壊などが描かれるのではないかと思う。

ところで、チムサーツォイの夜景を眺めながら、の場面の音楽には笑ったけど、笑わせようとしてんのかどうかがわからなかったなぁ。ジョニー・トーってこういう人だったの?

[] さよなら森こんにちは迷宮

やーっと買いました。というわけで「どうぶつの森」はとりあえず(?)卒業。というかこれまでDSで買いたいゲームってほとんどなかったのに、今年はめじろ押しだなぁ。嬉しい。

で、さっそく「世界樹の迷宮」をはじめたのですが、とりあえず名前つけるより先に見た目を決めさせてほしいとおもった。そんなこと気にならなくなるのかな。んー。RPGやるときは、だいたい防御要員とか入れないでとりあえず攻撃ばっかり、白魔法一人でがんばってくれって感じで進めるんですが、名前先につけてたら最後の最後で女の子ひとりくらい入れたいなと思って弓を入れたら前衛が2人になってしまった。けどまあとりあえずいってきます。

とりあえず面白いです。が、結構苦戦している。なぜならお金がないからです!

[] 買い物した!

今日は友達と海の方へお買い物に行きました。

コミティアって初めていったんですが、楽しかったなぁ。疲れきっているので、詳細は後日メモするとして、とりあえず今日は[鉄腕ニトロ]さん*2と[BND]*3さんの画集かえたのが嬉しかったです。お金があったらぜんぶ買いたかった…。

で、うっとりして、船乗って、ご飯食べて、秋葉原に行き、okamaさんの画集を買いましたよ。店入ってすぐのとこにバーンと並んでで、あーこれがmichiakiさんが書いてたやつか、と思ったら違ったのね。

okamarble

okamarble

こちらもすてき画集です。内容は『「コミックフラッパー」表紙イラスト68点と幻のカラーコミック2編を収録!』とのこと。かわいい女の子満載です。トップ2のエンドロール絵とかも印刷で欲しいなぁ。

しかし休日の秋葉原はすごいひとだった…。

michiakimichiaki 2007/02/05 02:15 世界樹おめでとうございます。当方地下18Fくらいです。きのう1時間以上プレイしたあとにハングして死んだ。そういうのはまだ1度だけですが。

ぼくの書いてたのはコレです。
http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0010/11/66/040010116667.html

ichinicsichinics 2007/02/06 01:06 もう18階ですかー。私はまだ3階で苦戦してます。が、楽しいです。相変わらず貧乏ですが(死にすぎ)。早く買い物できるようになりたい。
あとアドレスありがとうございます。呼んでごめんなさい(笑)今度いったら見てみますね。

2007-02-03

[] 「A WEEKEND IN THE CITY」/BLOC PARTY

待ってたし、ものすごく期待してた。BLOC PARTYの2ndアルバム「A WEEKEND IN THE CITY」はこのような歌詞で幕を開けた。

I am trying to be heroic

In an age of modernity

I am trying to be heroic

As all around me history sinks

「Song For Clay(Disappear Here)」

BLOC PARTYは、このアルバムで本物のヒーローになるだろうと思った。期待を上回る興奮があって、こんな風に、大きな新しい音楽に突き動かされるなんて、ずいぶん久しぶりだと思った。もちろん、1st「SILENT ALARM」*1が出た後の2年間にも、たくさんのすばらしく、大好きな音楽に出会ったけれど、それと同時に、多くの火花が消えてしまったような気もする。たぶん。そして、その間、このBLOC PARTYのように、シーンとか現代とかに正面から向かいあうような立場をとるバンドは、ほとんどいなかったように感じている。

でもここには、単純にかっこいいと感じる音と、まっすぐに映し出されるヴィジョンがある。

もちろん、その楽曲群はどれも入念に構成されていることがわかるもので、特にドラムを中心としたリズムラインには彼等独特のファンクがある。しかし、それらが楽曲に力強さを与えるものとして有機的に働いているのは、どんな音も身体になじむまで訓練されているからこそだろう。

1stアルバムも、すばらしくかっこよく、しかもちゃんと評価された作品だったけれど、BLOC PARTYはそれに甘んじることなく、オリジナリティを進化させてみせてくれた。

A Weekend In The City

A Weekend In The City

シングルカットされた「I Still Remember」をはじめとして、後半はバラード中心になっているけれど、前半にはあのつんのめるような畳み掛けがこれでもかと繰り出されます。#1から#4の流れに参る。

[] 規則を知らないゲーム

「定義される」ことに抵抗したい、という気持ちもまた、どこかで身につけた『振る舞い』である、という方向から考えると、そもそも自分自身にだって「自らを定義する」なんてことはできないよなってことになるけど、だとしても、身体的な感覚として、心地よい/心地悪いは、歴然とあり、その感覚こそを理由として、個人などおかまいなしに定義する「社会」*2と相対している。

内田樹がこの本をはじめあちこちで言っているのは、「自分で自分のことを決定してはいけない」ということではなくて、人は「自分だけで自分のことを決定することなど、(できると思っても)じつはできない」ということだ。そのことに気づくまでには私もずいぶん時間がかかったし、いまでもつい、自己完結の方向にいってしまう。というのも、そのほうが楽だからだ。でも、そのツケはたまっていく。

(略)

生きているだけで、人がそこで囚人になってしまうような場所のことを、「社会」とは呼べないだろう。私は人にツケをまわしたことも、ツケをまわされたことも幾度もあるけれど、いつか帳尻が合うなら、べつにそれでもいいと思っている。(略*3絲山秋子の『エスケイプ・アブセント』について書いたけど、絲山さんの話はまさに、自分のことのように思いながら読んだ。中年になっても「革命」(=理想)というオブセッションから自由になれない、主人公の中年男・正臣が背負い込んだ(と思いこんでいる)「魂の借金」は、それでもないよりあったほうがいいと思うのだ。借金があることで、結果的に「魂」の根拠が示されるからだ。

【海難記】wrecked on the sea - 消費としての労働

ここで「この本」、と書かれているのは、内田樹『下流志向』のことだ。私は読んでいないので、ニュアンスがつかみづらいのだけど、同じエントリ内に(内田樹の言っていることをおおまかにまとめると、という文脈で)「自己決定フェティシズムが間違っているのは、人はあらかじめ「ゲームの規則を」知悉してからゲームに参入することができるし、できるならそうしたほうがよい、という「幻想」にもとづいているからだ」と書いてある。

ゲームの規則を予め身に付けておくことなどできない。なので「できるならそうしたほうがよい」というのは幻想/錯覚/思い込みである ―― というのは確かにその通りだと思う。

「自分だけで」自分のことが決定できない、ということを知ることは、自分が相対していると思っていた「社会」に、自分もまた「既に」属しているのだということを知ることでもある。ゲームに参加するかどうか迷ってるつもりだったのに、とっくにそれははじまってて、ただ出遅れてるだけだった! って具合に。

でも、そのゲームでどう振る舞うかは、自分の(自由なものではないにしろ)意志に基づくはずだし、むしろ、それしかできないのではないか。それでツケがたまっていくとしたら、それはルールからどのくらい逸脱しているかっていうこと、もしくは、すべきことをどのくらい無視したかということ、によるのかもしれなくて、そこの覚悟は必要だと思うけど、無自覚でいるのもまた個々の振る舞いなのではないか。と考えるのはやはり「自己決定フェティシズム」なのだろうか?

 魂の根拠

上記エントリに書かれている『「魂」の根拠』という語には(絲山さんの小説のそれよりも)「存在理由」の意味合いが強いように感じる。そして「存在理由」ってもしかして、「自分」を言語として配置すること、つまり意味づけるということなんじゃないかと思う。

しかし、存在理由を実感したいのなら、「仕事」をするべきだ。という論法がでてくると、それこそ「社会に属す自分には生きる「責任がある」」という幻想なのではないだろうか、と感じる。

ゲームに参加した者として、果たさなければいけない責任を「借金」ということができたとしても、それを「魂の根拠」として必要とするのは、あまりにもナイーブなことのように思う。

人間の生命というのは不思議なもんで、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬというほど人間は強くないです。というのは人間はなにか理想なり、なにかのためということを考えているので、生きるのも、自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。すると死ぬのも何かのためということが必ずでてくる。それが昔言われた大義というものです。

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060723/p1

例えばこの三島由紀夫のインタビューを読んで(聞いて)、その切実さに胸をうたれはしても、共感はできない感じに似ている。

が、それは仕事をはじめとして「社会の中での位置/責任/役割/定義?」を「存在理由」にするということに、抵抗したい私の思考癖みたいなものがあるからで、「魂の根拠」的ななにか、を必要とすること自体には納得している。それは重力みたいなもので、根拠がなくなれば解散だ。ただし、私の生の「意味」なんて、私の知ったことじゃないもんねってのは、かわらない。

人生はゲームだ、としても、その意味は、私にしかわからない。なぜなら、場を共有してはいても、プレイヤーは1人だから、ってまた戻ってきちゃったかな。

参考

ところで、「【海難記】wrecked on the sea - 消費としての労働」の内容の中心は、消費としての労働についてだったのに、ちっともそこには触れなかったのは、その辺不勉強でよくわからなかったからです。

でも、その言葉を読んで、思い出したのが「13歳のハローワーク」で(というのはたまたまなんだけど)、「極東ブログ」のこちらの文章を読んだらまさにそのことが書いてあり、なんとなくいくつかのひっかかりを補えたような気がする。

それでも、それまでの自分というのはもう死んでもしかたねぇな、と空を仰いでゼロから生き始めるといいと思う。赤手空拳で社会にたてついて、ぼこぼこにされながら、生きるという「礼」を知る、というか、そこではじめて「礼」が意味を持つと知るものだ。礼を知れば、五体満足ならいつの時代でも仕事はあるものだ(五体満足でなくても仕事はあるべきだが限定される)。所詮人間の社会などもたれ合って成り立っているのだ。

極東ブログ - 世の中の仕事ということ

*1http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20050607/p1

*2:それは錯覚かも、とか言い出すと迷うので、とりあえず

*3:東京新聞に掲載された書評のこと。今日、と書いてあるので1/28かな

2007-02-02

[][] ディパーテッド

監督:マーティン・スコセッシ

最初に私は「インファナル・アフェア」三部作が好きすぎるということを書いておきます。なので、あれと比較しないで見ることはできなかった。で、あれを見てなければ、おもしろー、と思ったのかもしれないし実際面白いんですが、やっぱり三部作見てしまった後の、「ディパーテッド」は名作「インファナル・アフェア」のハリウッドリメイク版。だったなぁ。監督はきっと相当「インファナル・アフェア」が好きなんだろうなっていうまんまなオマージュシーンも多々あり、というかほとんどまんまなんですが、まんまにならないのは、情感が足りないからだ…と思った。

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[] 社会と世界って遠い

しかし、国策として女子に向かって「勉強しなくていいですよ」ということはありえない。

男の子たちが「性差別だ」と怒り狂うことは目に見えているからである。

「ぼくたちだって勉強なんかしたくないよ」と子供たちは言うであろう。

 内田樹の研究室:夢の少子化対策

内田樹の研究室」にはいつもひっかかるとこが多いので、そういうもんだと思ってるんだけど、今日読んだこれも、引用部はこのエントリの中心部ではないにしろ、本気かなぁ? と首をかしげてしまった。「女が本を読むなんて!」っていう台詞に出くわしたときのことを思い出す。ほんとにこのとおりなら、「働かなくても生きて行ける煉獄」はむしろ天国だろうな。

とはいえ私だって、働かなくて食うに困らないなら働かないかもしれない。けれど、勉強しなくていいよと言われても、知りたいことは知りたい。そして知るためにするのが勉強ならば、それもやぶさかでない。「子どもだから」ってそんなのない、とは思わない。むしろ「やっちゃダメ」といわれたらやりたくなるのが子どもじゃないのか。

要するに私は、男女という言葉に、身体の構造上の違いとしての「性差」以外の意味を付け加えてるのがよくわかんないっていうか、それぞれ個であると同時に、意思の疎通が(スムーズではないにしろ)とれるんであれば、人種が違っても宗教が違っても年齢が違っても、ともかくはフラットなんではないのかと思っている。なので、それ以外の与えられたカテゴリや理想を身に付けるかどうかは自分次第だ、と、なんでも自己決定にもってくのは違うよなと思ったりもするし、社会はそのようにできてないかもしれないけれど。

2007-02-01

[][] gift/古川日出男

「小説すばる」に掲載されたシリーズ「かわいい壊れた神様」に書き下ろし3編を加えた短編集。

gift

gift

まだこれ読んでなかった、ってさかのぼって読んだので、あちこちにそれ以前、以後の、ベルカやロックンロールやLOVEや、の片鱗が見えるのも楽しいけれど、もし2番目に読む古川日出男作品を探しているならこれを、とおすすめしたい作品集だった。―― なんで2作目かっていうと、すごく読みやすい短編集なので、さらっと飲み干してしまうこともできそうだし、長いインプロヴィゼーションのような物語に触れてから、の方が、ここにこれからの地平を見ることができて楽しいんじゃないかと思うから。だけどまあ、順序は読んでから組み立ててもいいか。

で、この短編集には、全部で19もの短いお話が収録されている。

いろんな語り手がでてきて、時には作者自身と思われる人物も登場して、彼らの語る「世界」はここと、少しずつずれているけれど、でも重なっている感じがする。例えば夜。眠っているあいだに見る夢のように、その幕切れは時にあっけなく、またある時には目覚めても続く。

じっさい、これはそんな風にして集められた、物語の断片なのだと思う。だからわたしはここにそれ以前、以後の物語を見るし、これから語られるかもしれない物語についても、思い浮かべてみたり、する。

「あたしはあたしの映像のなかにいる」「オトヤ君」「さよなら神様」が特にすきだ。「台場国、建つ」は、声亡き言語が誕生するその瞬間に、そそられた。

[] アンケート

「gift」に収録されていた、アンケートという掌編(19話の中で一番短い)がとても気に入ったので私もアンケートのアンケートに答えようと思った。

Q 明日から無人島に流されることになりました。私物を三つだけ持っていけます。あなたは、なにを持っていきますか?

思ったのに、思い付かない。

まずナイフ。いろいろ便利。とか考えてみるけれども、それでも結局「gift」に収録されていたあれ以上のものはないような気がする。あれはいわば、無人島にいてもなお、世界との関わりを想定しているということであり、そのうえ、なにをもって終わるかということの切実さについて、たった6行できわめて簡潔に示しているものであると思った。

別にそれはあのような方法でなくてもいいのだけど、何かをあらわし、終いには飲み込まれるということについて、考えてみようと思う。

…………

でも、思い付かない、ということはつまり、なくてこまるものが思い付かないってことなのかもしれない。“そんな訳はない、人は1人で生きているわけじゃないのですから” とか、とか。まあ確かにね、と思う部分もあるけれど、ごくごく少数のなるべく少ないもので成り立っているのが心地よいというのはあって、こんなに散らかっていることと矛盾しているようだけど、つまり持ち物が多くなればなるほど、すぐに息切れしてしまう。あともうちょっとでいいんだ。ってくらいがいいんだ。

たくましくなろうとするのが先か、火種を絶やさないでいることが先か。

[] 1月のおわり、夕暮れのはじまり

仕事で、現在絶賛調べもの中なので図書館にこもっており、仕事中なはずなのについ関係ない本とか探して読んでしまったりして、ハッとして、閉架の本出してもらう間にうとうとしかけたり、とかもうほんと、眠くて困る(眠いせいにする)。でも起きてるとぐるぐる考えてしまうことがあって、のど元まで出かかってるのに文にならない、ので、ぐうぅって気分なんだけど、これも自己防衛、なんだろうな。いろいろ書いたのやめて、もうすこし考えてからにしようと思うって言って考えないのはナシにする。って足を踏み出したところで背後から押し寄せてきたランドセルの群れに巻き込まれて足をくじいた。