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  □これまでの日記一覧

2007-04-30

[] 陽気、知らない人、神田川、さようなら携帯

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ブロック塀のむこうから聞こえるラジオの音で、見えない窓が開かれていることを知る。太鼓の音を目で追うと、2階の窓から上半身はだかの背中がのぞいていた。かちこちにかわいた手ぬぐいが、軒先で色あせている。すばらしい陽気。草いきれの中を歩きながら、どれもたった今、目が覚めたみたいな顔だと思う。

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とくに行き先も決めずに電車に乗って、おりたのは池袋だった。道を尋ねたおばあさんは観光にきている関西の人で、それなのに親切に、さっきあっちで看板をみた、と教えてくれる。ありがとうありがとう。バスの運転手さんが窓を開けてなにやらしゃべっている。目が合って会釈する。そのバスに乗ってみる。池袋周辺をぐるりと回って、最後ジュンク堂で漫画を買い、読みながら吉祥寺へ向かう。喫茶店で相席したおばあさんは、これまた関西の人で、私は読みかけの漫画を伏せて、ほかの席があくまでの間、ほんのすこし話をする。東京は暑いですね、つい先日までは寒かったんですよ、昨日なんて、雷がなりました。

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夕暮れ、手みやげのお菓子と焼酎を持って、友達の新居にお邪魔する。神田川が見えたので、つい先日読んだ「サマーバケーションEP」について話をする。井の頭公園から、神田川をたどって、海にいく話を読んでね、と口に出してみてあらためて、自分の足でそれをやってみたいなと思う。

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帰り道、開きっぱなしの携帯を落として、折り畳み携帯のディスプレイ部分が折れ、ぶら下がってしまった。使えるには使えるけれど、中身がはみ出している。そっと両手で包んで持って、今までもずっと近くにいたのに、こんなふうに優しく扱ったことはなかったですねとか思う。名残り惜しいけれど、明日には機種変更しなくちゃならないだろう。内臓がはみ出している携帯なんて危なっかしくて使えない。だからいまわのきわに、と思い、とりためた写真を慌てて転送し、日記にのせたりしてみる。

[][] 蝉時雨のやむ頃/吉田秋生

海街diary 1 蝉時雨のやむ頃

海街diary 1 蝉時雨のやむ頃

表紙を見て「ラヴァーズ・キス」みたいな感じなのかもしれないと思って買ったのだけど、まさに期待どおりの作品でした。鎌倉に暮らすある4人姉妹を主人公に描かれる群像もの。

鎌倉を舞台にしているからか、保坂和志さんの小説を思わせるような雰囲気もある。とくに、父親の葬式での異母姉妹の邂逅を描いた第一話の感情の動き方にはぐっときてしまったし、続く第二話で複数の人物の行動を俯瞰した映画のような流れも面白いなと思った。それぞれの視点を一人称で渡り歩きながら、人々が集合した場所では三人称になる、その移り変わりがとても自然。家がその中心にあるような描き方なんて、保坂和志さんの「カンバセイション・ピース」のようだと思う。

ただ、主人公たちの心情に入り込みづらいところもあって、それはキャラクターたちがどこか、類型的に感じられるからなのかもしれない、と思う。とはいえ、類型的なキャラクターを描いた作品だと心情を捉えにくい、というわけではないのだけど、たとえば1話ごとに視点が固定されていた「ラヴァーズ・キス」にはあったそれぞれの切実さの「熱」みたいなものが、移り変わる視点のせいで分断されてしまうのが歯がゆい。そして、しっかりものの姉、軽そうだけど実はしっかり者の恋する乙女次女。そして明るいムードメーカーの三女、という構成も、まだその形だけをなぞったもののように感じられる。長女と四女のキャラクターは吉田秋生さんの作品に必ず出てくるタイプというか、たぶん得意とするキャラクターなのだろうし、奥行きもあるのだけど、読んでいるとどうも次女と三女の印象が定まらない。ちょっとタッチが軽すぎるような印象だった。

この作品は「海町Diary1」となっているので、今後も続くシリーズなのだろうけど、主人公が同じなのかはわからない。この姉妹のシリーズとしてもっと読みたいな、と思う。

[] The Destruction Of Small Ideas/65DaysOfStatic

Destruction of Small Ideas

Destruction of Small Ideas

65DaysOfStaticの3rdアルバム。

焦燥、疾走という言葉がよく似合う。どちらかというと線の細い印象だった2ndに比べると、ずいぶんと厚みを増した音作りなのに、抑制された音に感じる。それは彼等の選ぶ音、特にギターとドラムの音を丸く押さえていることに理由があるのかもしれない。乱暴に振舞ってもどこか上品な印象が拭えない。そしてたぶん、彼等のやろうとしていることは、そこに核があるのだろうなと思う。前作にあった混沌は薄れ、轟音も美しくコントルールされていることが、少し寂しい。

このアルバムは本当に格好の良い音楽だと思う。#2「Failsafe」の展開なんてものすごくドラマチックだし、音量をあげれば、すぐさまグッとくるフックもちりばめられている。ただすごく聴く側の気分に左右される音でもあって、だから今の私にはしっくりこないだけなんだと思う。

その焦燥、疾走の奥にある葛藤のようなものをさらけだしたものが見たいと思うのは、贅沢すぎるし悪趣味なのかもしれない。そして、その欲求は、この音が映し出す自身の空虚さを物語ってもいて、つまり私は今やっと、かつてishmaelさんが書かれていたRadioheadについての文章(id:ichinics:20050928:p1)が理解できるような気がしている。読めるなら全文読み返したいのだけど、自分が引用した部分しか読めないのがとても残念。

関連

「One Time for All Time/65daysofstatic」感想

2007-04-29

[][] 御巣鷹山

監督:渡辺文樹

町のあちこちに貼られたポスターで、その興行が近付いていることを知る。

その宣伝方法と自主制作自主上映というスタイルで知られる渡辺文樹監督の名前を初めて知ったのは大学生の頃だった。ちょうどその頃、町中に「腹腹時計」のポスターが貼られてて、映画学科の先輩たちの話にでてきたんだったと思う。

そして、その数年前に見かけて不思議に思っていた「バリゾーゴン」のことを思い出した。そうか、あのポスターはそういうことだったのねと納得して、そのときはそれで終わってしまったのだけど、今回はanutpannaさんの記事に後押しされて、見にいくことにしました。感謝。

映画「御巣鷹山」は、実際の事件を元にして描かれるフィクションなのだけど、物語としては、正直なところ支離滅裂にしか思えない。ただ、その混沌にはある種の秩序のようなものがあったし、それが私には魅力に感じられた。そして、フィクションでありながら監督の中では限りなく現実に近いのだろうなという表裏一体の質感には鬼気迫るものがあり、そしてその人は私の傍らで映写機をあやつるこの人であり、映画の中で飛び交うするあの人なのだということに、映画と今ここが地続きになる。監督の映画を見にいった人が口を揃えていうように、これは散見するポスターで気配を察知し、疑心暗鬼で会場へ向かい、監督の前口上で煙に巻かれ、監督自身の手による映写で見てこそ意義のあるライブなのだと思った。

映写機とラジカセで流す音声を同期させる手腕はなかなか手慣れたもので、このツアーはほんとうに、長い間続けられているのだなということを漠然と思う。それはずいぶんと、心強いことじゃないですか。

映画を見おわった後、クライマックスの雪景色を思い出してほくそ笑みながら、世の中はほんと面白いなと思った。見れるものは見れるときに見ておきたい、と思うのは後悔しないためではなくて、見てなんも感じないなんてことはそうそうおこらないからなんだな。

参考

真魚八重子 アヌトパンナ・アニルッダ - 『御巣鷹山』

[] 同窓会

小学生の頃の友達が結婚するというので、こぢんまりした同窓会のようなものがあり出席してみた。私は中学から地元を離れてしまったので、地元の集まりに参加するというのはものすごく久しぶり、で、新鮮だった。まず同級生結婚率の高さに愕然とした。知ってるひと同士が結婚しすぎだと思った。濃い。濃すぎる。今まで小学生だったくせに(私の記憶の中で)いきなり結婚だよ。もっとこうおつきあい段階とか見たかったなーと思い、地元の学校に行かなかったことを少し残念に思ったりした。

それから今回結婚するという友達のピュアさにもときめかされた。はじめて旦那にお弁当を作ったときのがんばり具合とか、何をやってもありがとうっていってくれるのが嬉しくて、というはなしとか、なんかもうキュンときまくった。

長いことはなれていた人たちなので、何をはなせばいいのかなぁとか行く前は思っていたんだけど、思いでというのはずいぶんたくさんあるもので、たとえ生活や文化的なものが異なっていたとしても、はなすことには困らないものだなと思った。

今日「ピロティ」って何回いっただろう。

2007-04-28

[][] サマーバケーションEP/古川日出男

サマーバケーションEP

サマーバケーションEP

井の頭公園からはじまって、神田川をたどり、海へと向かう物語。川の流れは絶えずして結んだりほどけたりを繰り返し、川に伴って旅の仲間も増えたり、減ったりする。

生まれつき人の顔を見分けることができない、という主人公の話に既視感を覚えたのは、彼と最初に出会うウナさんのそれと同じ理由だった。顔のない少年の物語。「アビシニアン」だったか「沈黙」だったか、ここはそのどちらかとひと続きの世界なのだろう。懐かしい、と思い、あんなに前に読んだ物語なのに、そして記憶力の悪い私なのに、この人の物語はちゃんとひっかかってるのだな、と思った。

そして冒険。ロードムービー。彼はその自由のはじまりに冒険を選ぶ。神田川を辿って月島ふ頭へと至るその道のりには私の知っている道もたくさんでてきて、時にはまさにそこから数分の場所で、この本を開いていた。だから今、そこにいけば彼らに出会えるような気分になって、ページを捲るのも楽しかった。

私も、いつかこの道のりを辿ってみたい。夏に。

主人公は、山下清さんに、ちょっと似ている。

[] Perfume 〜Complete Best〜

Perfume 〜Complete Best〜 (DVD付)

Perfume 〜Complete Best〜 (DVD付)

シングルほとんど持ってるし…と思ってためらってたんだけど、知らない曲も入ってるので買ってもらった。「wonder2」*1が名曲すぎるのでやっぱりアルバムは必要でした。

色んな人と笑ったり泣いたり語り合ったりするけど

キミだけはほかと何かが違う 不思議な存在なんだよ

あまずっぱい。あまりのあまずっぱさに泣きそうだ。

それから、最近良さを再確認したのが「スウィートドーナッツ」。どうやったらこんな音の組み立て方ができるんだろうってくらい気持ち良いテンポで電子音が配置されている。あたしのハアトッ!てとこが最高です。

あとはやっぱり「引力」が猛烈に大好きなのですが、この前、友達にあげたCDにもこっそり混ぜといたら後日電話かかってきて聞かれたくらいの名曲パワー。

ほかももちろん捨て曲なしです。私がアイドル歌謡っぽい音に惹かれるのは、少女漫画や魔法少女アニメ(特に80年代くらいの)を好きな気持ちと近いところがあるんですが、そういうイメージの重ねやすさにおいてperfumeは完璧だと思うわけですよ。

[][] 「御巣鷹山」を見てきた

やることは終わってあとは決裁を待つのみだったのだけど、上司が一足先に休暇をとってしまったので、というありえない展開に。

でもまあおかげでほぼ定時にあがれたので、急いで代々木八幡へ向かい、渡辺文樹監督の「御巣鷹山」を見てきた。ほんとは「バリゾーゴン」をぜひ見たかったのだけど、時間的にいけるのがこれしかなかった。サラリーマンだけに。

代々木八幡についてから駅の逆へ行ってしまい、あわてて引き返してぎりぎり、監督の口上にも間に合った。

渡辺文樹監督の名前は、それほど映画に詳しくない私も、大学時代に何度か噂を耳にしたことがあって、ポスターを目にするのも今回がはじめてじゃない。けど行く気になったのは今回がはじめてだった。そして見たことないものを見た。この感じはほんとライブのような「体験」にちかくて、巡り会ったときに行ってみるのがいいと思った。詳しい感想は改めて書きたいと思うんだけどもとりあえず、明日19時が今回最後の上映になるようなので、それだけはと思って書いておきます。場所は代々木八幡区民会館。

なんだか今日はすごく疲れた。

*1:「エレクトロワールド」のカップリングだったみたいだけどもってなかった

2007-04-27

[][] かみちゅ!

第6話まで見たところで一度感想を書いたときは(id:ichinics:20070322:p1)、続きを見なくてもいいかな……なんて思っていたのですが、「負け組日記」のかしわざきさんにコメントいただいたおかげで興味をそそられたので、最後まで見てみることにした。

かみちゅ! 8 [DVD]

かみちゅ! 8 [DVD]

結論からいうと、ラスト2話はほんとに楽しめたので、見てみてよかった、と思っています。よかった。

6話から14話までの道のりは、私にとってはかなり苛々のつのるもので、そしてそれはほぼ10割方主人公のゆりえに納得がいかないということが理由だった。いちいち「かわいい」アングルで(一番多いのは「はうー」みたいな声だして指かんで上目遣い/次回予告の「ちゅっちゅっちゅう」にもまいる)ゆりえがクローズアップされるたびに、かわいいというよりはうっとうしく感じてしまう自分の心の狭さと向きあわされる。作品自体はとても好みなのに、主人公のキャラクターだけでこんなに萎えるのは初めてだ。

その最たる場面であった13話の「夢色のメッセージ」は、主人公ゆりえが1話まるまるこたつに入り続けているというお話。この回で、なんと彼女はテレビのチャンネルをかえるために「かみちゅ」(呪文みたいなもの)を使ってしまう。こういう展開は、主人公の身に災難が降り掛かる前フリ「バチあたりフラグ」だったりすることが多いと思うんだけど、この物語ではそのような破たんはおこらない。因果応報はありません。ゆりえはあくまでも安泰であることが約束されている動かない世界。そこにやっぱり、少しいらだつ。

しかし、安泰、と思っていた世界にも、唯一ままならないものがあって、はらはらさせられるのが第15話。

ここまで見てやっと、この物語はこの結末への助走、というよりジャンプの前に身を屈め続けていたみたいなものなんだな、と思えた。ゆりえにいらいらしてたことも忘れて、瞬間、心、重ねて、拍手を送りたくなる。ネガティブに振り切れていた自分の感情が、あっというまに手のひらを返す清々しさ。

この「かみちゅ!」がジブリ的であるといわれるのは何よりこの結末(地上波ではこれが最終回)が「耳をすませば」に似ているからだったのだろう。でも、DVDにはもう1話、収録されている。

このDVD版最終話については、かしわざきさんの書かれている

DVD版最終話「ほらね、春が来た」では最後までゆりえが一人の女子中学生であり続けているということがじわりと、どすんと際立っている

http://genki01.cc.hokudai.ac.jp/reo/diary/?date=20060405

という言葉がすべて言い表していると思います。最後の最後で、神様としてのゆりえではなく、ただの中学生であるゆりえがいるという構図は、なんというか、血が通っている感じがする。そしてコメンタリーを聞きながら「自分のささやかな思い出を拡大解釈してこの物語を書いた(大意)」という脚本の倉田さんの台詞がまた良くて、私にとっての「かみちゅ!」はとてもいい思い出になった。

[] よろしくお願いしてばかり

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GWあけの締め切りに間に合うように、できることはもう祈るだけなので落ち着かない。

ついったーにうつつを抜かしながら、久しぶりのひとにメールを書いたり、返事がきて盛り上がるのと落ち込むを同時に体験したり、する。そうやってわざと波風をたててみたりするも、あっという間に忘れて、お昼ご飯を食べていたりするのだから、その途切れ具合に驚いてしまう。考え事には向かない季節みたい、ということにしておきたい。

夏の仕事に向けて資料を集めたりしつつ、まだ実感のわかない漠然とした夏の計画をたてながら、そういえばあさってからGWなのだということを思い出す。あけのことばかり考えていたから忘れていた。

見たい映画、行きたい展覧会、読みかけの本、もうちょっとでクリアのゲーム、の全てをうめることすらできないんだろうけど、明日1日、乗り切れば終わりだというこの気分こそがしあわせだと思う。

2007-04-26

[] 「Mirrored」/BATTLES

Mirrored (WARPCD156)

Mirrored (WARPCD156)

Dirk_Diggleさんの紹介文「S-killz to pay the ¥. - ロックの未来!バトルズ!!!」を読んでから、ものすごい楽しみにしてたアルバム。

国内盤の発売日だったのでさっそく買ってきた。で、帰ってきてから、ずっとかけっぱなしで、今朝も聞きながら電車に乗ってたんだけど、そこがPCの前でも新緑まぶしい春の道でも、小学生を詰め込んだバスの中だろうが大人たちのふれあい満員電車内だろうが、目を閉じればそこにミラーボール。アフロビートの肉感とハードコアの殺伐、イタリアンプログレの絢爛とその他もろもろが数秒ごとに顔を出す多面体音楽の得体の知れなさがほんと楽しくて、ついにやにやしてしまう。それはとても自由な生き物で、このループに乗ればどこまでも行けそうな気分だ。

バンド名を体現するかのような音と音との鬩ぎあいが生み出す祭りは宴も酣、一触即発の緊張感とデタラメに抑制された展開がたまらなくかっこいいです。

それぞれにキャリアを積んだ4人のメンバーによるBATTLESは3枚のEPを経てWARPに移籍し、この「MIRRORED」こそは待望の、初のアルバムリリースである…とポップに書いてあるのに迷わずアルバムだけを買ってきたのだけど、その3枚のEPも絶対聞かなければと思った。このアルバムで聴くことのできるグルーヴがどのような場所を通って生まれたものなのか見てみたい。

それにしても、ライブがめちゃくちゃ楽しそう! だ!

D

[][] ハピネス/古屋兎丸

IKKIに掲載された短編集。

古屋兎丸さんの作品は無機質なイメージがあって、というのを前にも書いたことがあるけれど、実はそのイメージのせいで長いことあんまり好みの漫画家さんではなかった。でも「ライチ☆光クラブ」(id:ichinics:20060821:p1)と「少年少女漂流記」(id:ichinics:20070225:p1)でちょっとイメージがかわったせいか、この「ハピネス」も、IKKI掲載時に読んだことあるのがほとんどだけど、今はなんか素直に読めた。

ここに出てくる人たちのほとんどは、現実でうまく振舞えない、現実と妄想がごっちゃになっている人なのだけど、彼らを描く視線が、外側ではなく傍らにある感じがする。そして、それを嫌みに感じないのは愛があるからなんだろうと思った。「愛」なんて言葉で丸めるのは嫌らしいけど、読者がいつかの(もしくは今の)自分にもある痛さみたいなものを重ねようとするときに、その愛があるかないかじゃ身の任せ方がかわってくる。

この作品集あっての「少年少女漂流記」だったんだなと思うと、今後も楽しみです。この「ハピネス」の装丁は乙一の「失はれた物語」に似てるんだけど、同じ人がやってるのだろうか…。

ハピネス (IKKI COMICS)

ハピネス (IKKI COMICS)

ところで「ハピネス」は「リリィシュシュ」に、「雲のへや」は「害虫」に、とてもよく似た情景が出てきた気がするんだけど、どちらも見たのはずいぶん前なので私の思い込みかもしれない。それから第一話「嬲られ踏まれそして咲くのは激情の花」は映画でみたいなとおもった。

2007-04-25

[] 好きな曲

好きな曲は聴けば聴くほど完璧に感じられる法則を発見した。欲しいとき欲しいところに欲しい音がピタリと投げられるその感じはまるでよく訓練された振り付けのようで、小さくリズムをとる指先から顎先へ、意識は舞い上がり踊らされ振り回されて着地するのはいつもの駅。

聴けば聴くほどに体に馴染み、いつしか自分の体験のように感じられることは「飽きる」ことのイメージに近いのかもしれないけれど、だからといって聴きたくないなんてことはまったくなく、私は同じ曲を繰り返し、すり切れることもないデータの状態で、聴く。そんな風に聴ける曲があるなんて、世界はほんとうにすばらしいですねと思う。ありがとう音楽家のひとたち。

[] デュークさん

晩ご飯食べながらテレビみてたらデューク更家さんがでてきまして、デュークさんのウォーキングを見ながら、これは、なんだか最近見たことがあるぞ、と思って考えてたの今気付いた。

やがて人々が両手を挙げて頭上で掌を合わせ、腰をくねらせながら座敷内を練り歩き始めました。それが詭弁踊りです。「夜は短し歩けよ乙女」p36

デュークさんも詭弁部員だったとは。

[] 「Nanae」/Spangle Call Lilli Line

Nanae

Nanae

Spangle Call Lilli Lineの2ndアルバム。益子樹プロデュースでサンガツのメンバーがリズム隊に参加、というのをどこかで読んで気になってたのを、やっと聴いてみた。

良いアルバムだと思います。とても気持ちがいい。でもただ流れてしまうのではなく、ちゃんとひっかかって立ち止まれるところがある。音にも、イメージの断片のような声、言葉にも。言葉をこんなふうにいさぎよく、音として使うのは新鮮だった。

音は、ポップ寄りのポストロック、というのが近いような気がする。音響に流れるよりも、取り込めるものを取り込んでポップに傾いているところが、個人的に身を任せづらい点ではあるものの、アルバムを聴きやすく幅のあるものにしている要素でもあると感じる。開放感のある音。

[][] ヨルムンガンド1&2巻/高橋慶太郎

ヨルムンガンド 1 (サンデーGXコミックス)

ヨルムンガンド 1 (サンデーGXコミックス)

武器を憎む少年、ヨナが武器商人ココとその仲間たちとともに旅をするお話。

書店店頭で大プッシュされていて買ったはいいけど、なんとなく気が向かないまんま、もう2巻がでてるや、と思って読んだら面白かった。帯を広江礼威さんが書いてるだけあって(というかそれで買う気になったってのもあるんですが)、ガンアクション満載だったりするとこは、「BLACK LAGOON」にも雰囲気が近い。

最初の印象は、とにかくまず「設定ありき」なんだろうなー、ちょっと「何か」っぽさは否めないなーって感じだったんだけど、作者の好みを押しつけられる感じはあまりしないし、キャラクターも魅力的なのでだんだん気にならなくなった。強いていえば、もうちょっとアクション描写がわかりやすければいいのにーとか、カメラがもうちょっとひいてもいいのにーとか、思う。けど、キャラクターがブレないので物語のテンポはいいし、それはきっと「設定ありき」だからなんだとも思います。

そして私は、こういう「仲間もの」「ガンアクションもの」に弱い。だから、きっと続きも読むと思います。

ヨルムンガンド 2 (サンデーGXコミックス)

ヨルムンガンド 2 (サンデーGXコミックス)

2007-04-24

[][] め〜てるの気持ち 2巻/奥浩哉

め~てるの気持ち 2 (ヤングジャンプコミックス)

め~てるの気持ち 2 (ヤングジャンプコミックス)

私の感想の書き方ってのは曖昧なんだろうし、意図してそうしてるところもある。1巻の感想(id:ichinics:20070126:p1)を書いたときには、遠回しに「保留」の感想のつもりだったんだけど、トラバもらった先で「推奨派」に分類されていたりして、あーそう読めるか、と思ったりした。

でも「奥浩哉作品で外れたと思ったことないし」という漠然とした信頼は確かにあって、2巻読んだらやっぱり、この人の漫画は面白いなぁ、素の顔でかわされてる感じがにくいなぁと、思えた。

特に、2巻の終盤、ひきこもりの主人公とはるかの暮らす家に、第三者がやってくる辺りから、がぜん物語が活気づく。ほんとはその少し前の、クララが立った、って場面あたりから、この物語の描こうとしてることが少しづつ見えてくる感じなのだけど、この感触が掘り下げられていくならば「め〜てるの気持ち」は決してガンツの箸休め的な作品ではなく、意外と中〜長編になるんじゃないかって、気がする。

2巻を読むと、あまりにもでき過ぎた「母親」はるかは、メーテルであると同時に、人工知能じゃない月子みたいに思える。「ルサンチマン」のラストの先みたいな、そんな物語になるなら面白そうだ。

ところで私は「女なんかざまーみろ!」なルサンチマンがやがて、肯定を受け入れる瞬間というか、物事が氷解する瞬間というのにものすごくときめく。ときめいてしまう。そしてそういうとき、自分の視点がどこにあるのか、わからなくて戸惑うのだった。

[] しみこむ

最近のみものがおいしい。とくにぬるいのみものがおいしい。つめたいのはあまりすきじゃないので、いつも夏でも熱いものばかり飲んでいるのに、いまこの数日は、少しさめてしまったくらいが、ごくごく飲めて楽しい。

どんどん入る。胃袋がぬるい紅茶でいっぱいになる。リンゴ酢を割って飲み、ほうじ茶を飲み干し、カフェオレに浮かんだ丸いハート形を吸い込む。でもビールの冷たさと、コーヒーの熱さだけは、譲れないよねと思う。

ここ数日は、あたたかいのもうれしい。今年は何度も裏切られているから、おそるおそる、半そでと長そでと組み合わせて服を着るなんてこの時期だけのことかもしれなくて、でもやっぱり寒くて失敗したりして、足りない温度を注ぎ足すように、日向を選んで歩く。

眠るのもたのしい。とくに眠っていいのだいまはと自分を許す瞬間の開放感とともに訪れる沈下の感触、その心地よさを存分に味わいたいがために私は毎晩遅くまで起きているのですというのは嘘だけど、好物は最後に食べるタイプなのは本当。

音楽はすばらしい。帰りのバスの中で「引力」を聞きながら。私は私の、感情の起伏がほとんどない日々を思う。もっと泣いたり笑ったりしたい。会いたい人に会いたいという歌があったような気がする。なかったような気もするけれど、バスの最後部の薄暗い席は安心で、私は少し目を閉じて、寝てしまおうかと思う。のどがかわいた。ちょっと寒い。足りないもの全部埋まって、地球が爆発した後のこと考える。

2007-04-23

[][] 言葉で描く風景

「東京猫の散歩と昼寝」さんの「次のうち最も複雑なのはどれか A 自然 B 脳 C 映画 D コンピュータ」という文章を読んだ日、ちょうどうちの居間でも弟が「時をかける少女」のDVDを見ていたので、ここも同じ国だなぁ、なんて思いつつ。その文章の中で引用されていた「偽日記」さんの「時をかける少女」感想とともに、とても興味深く読みました。

私は「時をかける少女」を劇場で見たときの感想にこう書いています。

  • 物語に引き込む大きな力となっていたのが、まずその美術だと思う。教室に貼られた時間割、黒板の落書き、日直の仕事、掃除の風景、鞄の中身。それらのさりげないカットが、主人公の通う学校の空気を形作っている。確かに「今」を描いているはずなのに、鼻先をチョークの匂いがかすめ、階段を上る時の、あのひんやりといた風も、理科室のなぜか黒い机も、準備室の頼りないドアも、すべてが今ここにいる私の手の届くところにあるような気がする。(id:ichinics:20060727:p1

対して、「偽日記」の感想ではこのように書かれています。

観ながらずっと考えていたのは、アニメーションにおける風景表現のことと、それとも繋がるのだが、アニメにとっての「リアリティ」のあり様についてだった。つまりアニメは基本的に「絵」だということで、「絵」のリアリティは、描かれた対象との類似によっては決して保証されないのだなあ、ということだ。

時をかける少女』では、背景となる風景がとても丁寧に表現されている。しかも、新海誠みたいに、風景が安易に感情に流れてしまうようなことも、抑制されている。そこには過度な誇張や強調、象徴的な変形は抑制されており、きわめて写実的だと言える。

(略)

しかし、絵で、そこの風景をただそのまま写したからといって、それは「その場所」とはほとんど関係がない。ただ描いただけでは、風景画は、風景よりも風景画に似てしまう。アニメはアニメに似てしまう。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/nisenikki.html(07/04/20)

私は背景美術、とくにアニメを見るときはその美術を好きになることが多いのですが、それはたぶん、その風景がキーワードでできているからなのだと思う。そしてそれは、「偽日記」さんが「アニメ的な風景表現というか、風景描写が嫌い」と書かれている理由と、かなり重なる部分があるような気がする。その理由を間に、「好き」と「嫌い」とあるのは別にかまわないと思うのです。ただ、その「理由」というものがアニメ特有のものなのかどうか、ちょっと考えてみたい。

昨日聞いた池上嘉彦さんの認知言語学の講義のなかで、《「古池や 蛙とびこむ 水の音」という句は、日本ではよく知られた句であるが、アメリカ人にとっては「それがどうした?」という反応がかえってくることが多い》というような話があった。それが言語の差によるものなのかどうか、そのへんを言い切ってしまっていいのかは、たった1度の(しかも入門編の)講義だけでは何も言えないのだけれども、ただそのキーワード(古池/蛙/水の音)の並べ方によって、情景に引き込まれるという感じ、その時の作者との視線の重ね方は、私がアニメの美術について感じること(時間割/黒板の落書き/掃除)と、少し近いのではないかと思った。鏤められた断片によって想起されるのは私の中にある記憶(階段/チョーク/理科室)だったりイメージだったりする。

「時」をテーマにした「時をかける少女」では、その背景美術そのものが、時をかける「装置」として活かされていたと思うのだけど、そこを考えるのはもう一度じっくり再見してからにするとして、

描かれているものの表面だけではなく、その奥にある物語を読み取ること。それを前提として描かれているのであれば、アニメの美術は「絵」というより、「言葉」に近いんじゃないだろうか、と思った。これから見るものというよりは、既に見たものを共有するための場。それは舞台が未来であっても、どこか見知った風景や看板やアジア的な混沌が好んで描かれるのと、つながるような気がしている。

追記

そして私は、風景が記号として処理されるということよりは、記号を並べることで「想起されるはず/想起してほしい」記憶というものが、共有されている感じのほうに、興味があります。

[][] Z CHAN Lotus 改訂版/井口真吾

Z CHAN

Z CHAN

もしかしたら、気に入るかも、とおすすめされたので、うれしくて早速買いにいきました。知らない名前だったけど、Zちゃんの顔は見たことがあった。ロータスヘヴンに住むZ ちゃんとローズ、そしてローズヘヴン。物語は思ったより複雑で、注意深く読まなくちゃいけない、と思う。もうひとつの世界にも目を凝らしながら、読み進めていくのはまるで、寝入りばなの気持ち良さに、ちょっとした抵抗をしつつ、確実に沈んでいくような感触。

全ての希望がもしもかなったとしたらどうなると思う? 僕はずっと考えてみたんだよ。つまり、驚いたことなんだが、そこには何処を捜したって、もちろんケーキ屋を捜したって、希望のかけらさえなくなっちゃうんだよ。しかも、永遠になんだ。

僕にはそれがどういうものなのかわからないよ。幸福なのか不幸なのか、良いことなのか悪いことなのか、さっぱり見当がつかないよ。思い浮かべることだってできないんだ。ただ、そんなさっぱり見当がつかないようなことを望んだ最初の主人公のことを考えると、何だか知らないけど身体じゅうが不思議な具合にぞくぞくしてきて、とりあえず彼のために乾杯でもしなきゃいられないような気がしたんだよ。僕のその時の気持ちをわかってるれる、リチャード・セックス?

沈むかわりにじっと読み進めながら考えていたのは鈴木志保さんのことだった。「ヘブン…」はもしかして、この物語への、しかもローズ側からの返答だったんじゃないかと思って、確認したくて、探してるんだけど見つからない。この世界がつながってる感じ、は私の妄想かもしれないし、Shipbuilding さんがおすすめしてくれた本だからかもしれないんだけど、「船を建てる」も手もとにない。だからかわりに、ロバート・ワイアットのカヴァーした「Shipbuilding」を聞いている。

作者のあとがきも、良かった。まいっちゃうよね。

「ヘブン…」/鈴木志保:感想

Zちゃん―かべのあな

Zちゃん―かべのあな

これもよみたい。

[] 道楽

新宿で、いろんな大学の先生が言語学の入門編を話してくれる講義を受けてきた。面白かった。言語に興味があるなぁと思って、でも自分の興味がどこに向いてるのかもわかってないような感じだったので、まずは話を聞いてみようっていうゆるい気持ちで受講を決めたのだけど、そんな状態でも(だからこそなのか)十分すぎるほど楽しめた。

とはいえ、時間の都合で4コマくらいしか受けられなかったし、中にはさっぱりピンとこないものもあったんだけど、うん、考えたいことがあると、安心するなー、ってくらいに興味をそそられて嬉しい。こういうの、道楽っていうんだろうなぁ。それから、特に「日本語」に興味があったわけじゃないんだけど、日本語面白いなぁって思えたのも新鮮だった。

余裕ができたら、感想を書いておきたい。

その後、またしても麺通団にてうどんを食し、映画見ようと思ってたのに時間過ぎちゃって迷ってかえることにして、オフのぞいたり喫茶店で漫画読んだりケーキ買ったりして、帰宅。日曜日が終わってしまってかなしい。

2007-04-22

[][] RIN/新井英樹

RIN(1) (ヤンマガKCスペシャル)

RIN(1) (ヤンマガKCスペシャル)

「SUGER」の続編「RIN」は、その第一話からもう、ものすごいエネルギーで、傲慢で天才かつ対人態度の最低なリンの魅力に、一気に引き込まれる。そして、この複雑なキャラクターを「動かせる」ってとこが、新井英樹のすごさだよ! 登場人物たちの誰も見ていないところで、コマはリンの、核心をとらえる表情をちゃんと見ている。見てるのに、届かないこの歯痒さ。そして届いたって扱えないリンの移ろいやすさと頑固さ。

たとえば「脳天気なバケモン」と称されるリンの笑顔は、好きな女の子のこととなると、自信がなさそうに引きつる。やっと出た2巻では、その恋の展開が、「漫画史に残る「童貞喪失」劇、敢行!」(とカバー裏にものすごい煽り文句がある)に、なだれ込んでいく。まるで自爆テロ。特に、11話のラストの畳み掛けなんて、もしかしたら今までの新井英樹作品で最も恵まれないできてるのはリンなんじゃないかって思えてしまうくらい、だ。

見捨てねえで止めてくれよオレを!!

その声は、千代に届くんだろうか。

RIN(2) (ヤンマガKCスペシャル)

RIN(2) (ヤンマガKCスペシャル)

見たこともないような恋愛漫画っていう意味では、これは新井英樹の今の「宮本から君へ」なのかもしれない。そして宮本に「仕事」があったように、リンには「ボクシング」がある。その、色恋と自分の仕事((生き方)との距離感覚というか、位置づけの仕方が、新井英樹作品における共通テーマなのかもしれないなと思いました。とくに足がもつれるような色恋の描きっぷりが冴えている。

これからどうなってくのか、まったく想像がつきません。めちゃくちゃ楽しみな漫画。

そして「SUGER」ちゃんと読み直そうと思います。

「宮本から君へ」感想(http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060108/p2

[] 宅八郎さんとチョコレートの絶望

渋谷駅についたら「ハレ晴れユカイ」歌ってる人がいてなんだなんだ、と思ったら渋谷区長選挙に立候補している宅八郎の応援演説だったっぽい。わー、久しぶりにみた、宅八郎だよ、と妹にメールしたら「誰それ?」と返ってきてジェネレーションギャップを感じた。でも私も説明できない。宅八郎について覚えていることといえば、もりたかちさと人形を持っていたことと、バラエティ番組で、チョコレートの銀紙を食べる実演VTRに出てたことくらいだ。そしてそれ以来、宅八郎さんの名前をみただけで、チョコレート食べたら銀紙まで食べちゃった、ってときのあの衝撃と絶望感がよみがえってくる。

[][] ROCKIN'ON PRESENTS JAPAN CIRCUIT― vol.42―

外でタイラーメンを食べてから入場。

今日は向井エレアコと bonobos を目当てに見にいったのだけど、始まったのはDJでびっくりした。よく見たらチケットにもそう書いてあった。すごい盛り上がってたなぁ。

ともかく、まずはライブから。

向井秀徳アコースティック&エレクトリック

いつものことですが、アウェー感をものともせずに自分世界を貫く感じはさすがだなと思います。今日はちょっと高い声が出しづらそうで、風邪引いてるのかなと思った。それはそれでワイルドな声でしたが。CITYという新曲を披露。前説が長すぎて笑った。早くザゼンが見たいっす。

bonobos

すっごくよかった。途中誰かが「いいきょくー!」って叫んでたけど、あーほんと、いい曲ばかりだなぁって思ったし、この多幸感が、ボノボだよなぁと思った。特に「ライフ」「もうじき冬が来る」「光のブルース」あたりの、ちょっとサンバっぽいリズムの曲と、ミディアムテンポの、ポップなんだけどポップになりきらない言葉のひかる曲、その2つの柱みたいなものが、明確に見えるセットリストだった。で、その2本だと後者にわけられるだろう新曲もとても良かった。

DJたち

音楽関係のイベントってライブしかいかなくなってしまって早5年、くらいは経つので、日本の曲がガンガンかかるってだけでちょっと驚きだったんですが、それはロックインジャパンのイベントだからなのかとかよくわからない。けど、最初の人がリップキックケツメイシ、とかかけていて、ああこういう音傾向が好きな人、というのはジャンルで音楽聞いているのか、それともアーティスト単位で聞いているのか、っていうのはちょっと気になった。

それから次の(向井の後の)DJの人は、スペシャルズやらブラーやらプライマルにからめてスーパーカーって、フロアにかけてくワイシャツの背中を見送りながら、なんか同じ年代の友達と音楽聞いてるみたいな気分でちょっと楽しかった。そして、これが今の、このイベントにきてる18から20歳くらいのひとたちにも通じてるっていうことをうれしく思うとともに、そこから今をつなぐラインみたいなものを自分が見失ってしまってるのを感じて、ちょっと愕然とした。CD屋で働いてた時は、ほとんど洋楽フロアの担当だったとはいえ、邦楽にも触れる機会が存分にあったのにたいして、今は好きなアーティストの新譜を買うばかりで音楽には疎くなる一方だ。けど、自分が学生時代に好きだった曲が流れるのを聞いて、「世代の音」みたいのはやっぱりあるんだなって思ったのに、21世紀最初の5年くらいの曲となると、自分の感覚がよくわからない。そしてなんとなく、私が音楽を聞きはじめた頃とは、聴く側の選び方がかわってきてるのかもしれないなぁということを、隅っこで小さくなりながら考える。もっとジャンルこだわらず、音楽を聴こうと思った。

toukatouka 2007/04/22 23:36 sugarは時々読み返してます。3巻の冒頭、「リンに気を遣った自分に頭に来てる…」っていう千代の、自分が自分であるための思考ルーチンっていうか考え方を、リンがひとコマでわかって、そしてわかられた事をわかったのは千代だけで、にもかかわらずリンの表面的な言動は千代にはよくわからない。甘いって言うんならこのシーンとその後に続く二人の関係こそ砂糖のように甘いですよね。
新井英樹の能力を最大限に引き出してくれるリンは多分作者に一番愛されていて、だからこそ今のような状況に放り込まれているんじゃないのかなあと思います。リンの言動が災いしてか、ヤンマガから隔月刊(!)の別冊ヤンマガに島流しになったことすらも新井英樹は楽しんでいるんじゃないかなあ。
あとテレビ収録のシーン、肝心の瞬間に修造だけが他所を見ているってのがなんとも修造でめちゃくちゃ笑えました。

ichinicsichinics 2007/04/23 00:43 ああー! toukaさんのコメント読んで3巻読み直してみたら、そうだった、千代は悔しいってのが下敷きにあったんだなってのを思い出しました。「RIN」では負けっぱなしだったので、忘れていた。続く甘さは今読むとちょっと泣きそうです。ほんと、リンは新井英樹に愛されてるんでしょうねー。切り取られる表情ひとつひとつにぐっとくるところがあります。
それから修造、って、いわれてはじめて気が付きました…。テレビほとんど見てなくって。あの女子アナも誰かなんでしょうか?

2007-04-21

[] 自分が何をしたいのかわからない

今日は朝からばたばたしてたけど、なんとか放り出して、夜は友達夫妻と飲みにいく。私にとっては、唯一(二?)のはてな繋がりの友達でもあり、といってもはてながきっかけで知り合った友達ではないのですけど、この日記のことを口で話すというのはこの二人相手だけのことなので、それが話題にのぼるたんびにちょっと新鮮なのでした。楽しかったですどうも。

で、今日は、もばついったん見せてもらって、おおーと思ったり、「ボーイズ・オン・ザ・ラン」の田西に彼女ができたのがなぜそんなにショックなのかということについて無理矢理語ったりしつつ、基本日記ではスカしてるよね、とかいわれてグウの音もでずにかえってきたんですけど、これはこれで素なのでやはりどうしようもないんだった。寝言ポエムはなかなか口にできないだけなんだ。なんて、ほかにも言わなくてもいいことをしゃべったような気もするけど(そしてこの日記もそうかもだけど)、それもまたよし。

お酒飲んだの久しぶりなので、帰りにぼんやり立ち尽くしたよ。最近いろいろ忘れる。月曜日のこととか考えないもんね、というわけで、明日は朝からお出かけ、夜は向井を見てきます。

2007-04-20

[] 「Cassadaga」/Bright eyes

Cassadaga

Cassadaga

二枚同時発売だった「I'm Wide Awake, It's Morning 」「 Digital Ash In a Digital urn」は噛み砕かれ消化され血肉となり、このアルバムへ繋がった。多彩さを自らのものとしたコナー・オバーストが踏み出す新たなる一歩! なんて陳腐な言葉で盛り上げて、手放しで喜ぶというよりは、この成熟をすこし寂しく思う。最近そんなことばかり言っている。

でもそれは、デビューしたての頃の、剥き出しの繊細さへの憧憬というか未練であって、そのへんを度外視すれば、この「Cassadaga」はやはり良質の作品集だった。ブライトアイズはどんどん進化する。いろんなジャンルの、とくに土地のにおいを感じさせる音をたぶん意識的に身につけ、自分の音に組み立てる。そして、思ったよりいろんな声を持っているのだなと思う。もしくは身に付けたのか、あの震えるような声も健在だけれど、ときに頼もしさすらにじむ余裕のある声に、やはり少し戸惑う。

が、Bright eyes はやはり Bright eyes なのだなと感じる、プライヴェートな音色も健在で、そのまっすぐな目が外に向いているというだけで、こんなにも印象が異なるのだということは、すなおに心強いと思うのだった。

[] 理由とルールの間

遅い夕食を食べながら、延々と流れる映像に見入っていた。私の後ろで、わけがわからないものはこわい、と言う母の言葉に軽く頷きながらも、でもどこか理解できない、とは言い切れないような気がしている。

チャンスは無数にあったはずだ、と彼は言う。でもそれはきっと場面のとらえ方の違いなのだろうとも思う。彼にとって意味のある出来事と、周囲にとっては意味もない風景としての出来事が重なっていたのではないか。そして、その温度差が堪え難いところへ振れてしまうことで、電球が灯る。

昨日、「13」という映画について、集団ロシアンルーレットに参加した主人公が、後頭部に銃口を押し当てられながらも「電球が点灯したら撃つ」というルールにしたがって電球を見守るのは不思議だ、という感想を書いた。

しかし、そのように、電球を見守りながら日々を過ごしている人も、いるのかもしれないなと思う。それが点灯したら、撃つということだけが決まっていて、それが「なぜ」そこに繋がらなければならないのかをうたがわない。そもそもその電球が点灯したときのルールを知っているのは自分だけなのだから、それを守らなくてもいいのに、と私は思うけれど、それを破るという選択肢自体が見えない、ということは、ありうる。

この程度なら大丈夫、とルールを推し量り逸脱することができるのはルールとの間に距離があるからで、多くの人は、多くの疑ってはならない前提を、無意識に守っているのかもしれない。

映画の中では、勝ち残れば金が手に入るということだったけれど、そもそも死んでしまえば金など意味がないということと同じように、例えばそれが本人にとっての大義であっても、それを受け取るものがいなければ「意味」はないはずだ。それなのに、なぜそれは実行されるのか。

…… などと、自分に理解できる範囲の言葉で思い描いてみても、「なぜ」そのルールが作り出されたのかという部分は見えない。そして、その見えなさは、なにも特別なことではなく、そこに可能性のようなものがあるような気もするのだけど。

しかし、私の知っている今ここに「気違い=他者」が現実にいるのなら、彼らをそう呼ばずして誰をそう呼べばよいのか。そうして、この社会がそこに貴重な時間やお金を費やすのに、「あいつらとどう分かりあうか」ではなく「あいつらをどう遠ざけるか」を優先せよという意見に、どう反論すればよいのか。

「東京猫の散歩と昼寝 - “So it goes”―不適用例

2007-04-19

[][] 13/ザメッティ

f:id:ichinics:20070419002957j:image:h100

監督:ゲラ・バブルアニ

2005年ヴェネチア国際映画祭にて新人監督賞を受賞し、監督自らリメイクするハリウッド版が2008年には公開予定という話題作。

輪になったプレイヤーが銃をかまえ、中央にある電球が点灯するのを合図に引き金を引くという、「集団ロシアンルーレット」。予告編でも流れたこの場面が作品の中心におかれているのは予想どおりだったのだけど、きっとカイジみたいにあれこれ策を練るんだろうなっていう予想は外れた。

ただひたすらシンプルに、たんたんとゲームの進行が描かれる中で、不思議だったのは、死を目前にした人々が、極限状態におかれてもなお「ルールを守ろうとする」ことだった。手には弾丸の込められた銃があるというのに、合図があるまでじっと息をのんで待つ様子は、どこかおかしい。

でも、その不自然さがきっと自然なのだろう。極限状態におかれてもなお、自我を保つことのほうが、難しいのかもしれないと思う。意志で動くことができるのは、余裕があるからだ。そんなことを思いながら、人が無意味に死んでいくのを見ていた。

[] バンビ〜ノ!ドラマ版見た

間に合うようにがんばってかえった。面白かったので来週もみると思う。

全体的に漫画の雰囲気をいかしたドラマだと思ったけど、伴が博多弁じゃない(たまーにちらっとそれっぽいのがでる程度)のは残念だなぁ。「すいまっしぇん!」とか「ばってん」とか「ウマか!」とかいわないのかー。でもバッカナーレのドアあけて、ぐるっとメンツが映し出されただけでどれが誰かわかるのはいいねと思った。キャラ立ってるんだなぁ。特に与那嶺しゃんと桑原しゃんの年齢が、漫画版より高めに設定されてるのがリアルというか落ち着くなと思いました。

雨にうたれてるシーンとかね。早くおきて! 厨房もどって! ブロードつくんなきゃ! きがえようよ! とかそんなことばかり思ってしまう小市民ですが、ハラハラできて楽しいです。それにしてもアップ多くて笑った。

ドラマ見終わってから、以前のスピリッツ感想(というかメモ)読み返してみたら「合コンいってウザがられる伴」とか「誕生日にひとりでガンプラつくる伴」とかあったなーって思い出したけど、ドラマじゃきっとやらないだろうな。あと、伴さんは基本的に逆切ればっかりしてるなぁ。「ドラマ化するんじゃないの」みたいなことも書いてたのでちょっとうれしくなりました。漫画もまとめて読み返したい。

[] 半月前

国会図書館へ行くと、借りたり複写したり返したり待ったりを繰り返してあっちこっちたくさんの移動を繰り返すはめになるのだけど、あそこの暗がり、とか、窓の外の吹きだまり、とか、日差しの感じとか、あの人もう数時間も前からソファで眠ってる、とかそういうものが目に馴染んでいくと、ふいにここで暮らしているような気分になって、楽しい。

新館の地下(ほんとは1階)の喫茶店は、天井が低く薄暗く、オナモミみたいなランプがちょっとかわいいので気に入っている。カフェオレのあわもきれいだし、へんな音楽もかかってないし、眠っている人もたくさんいる。このまま数ヶ月先まで吹き飛ばされてしまいそうな薄く丸まった時間。

入館時に荷物を預けるロッカーは、いつも同じところを選んでいたのだけど今日は塞がっていて、奥に、何か入ってるんじゃないかってほんの少し、気になった。ロッカールームで、その場所を使っていた人とすれ違う。当たり前だけど知らない人だった。一足先に図書館を出たその人は、私が玄関を出る時、黒塗りの車に積もった桜を払っていた。ような気がした。

2007-04-18

[][] ねにもつタイプ/岸本佐知子

ねにもつタイプ

ねにもつタイプ

車のナンバーを覚えてしまう癖や下北沢を過ぎたところにあるボクシングジムに目を凝らす習慣、波平、アイスクリームの食べ方から蚊にさされたときの応急処置バッテン。

あまりにも身に覚えのある話が続くので、振り返って背後を確認したくなる。おそるおそる。―― どこかから頭をのぞかれてるのかもしれない。それとも私が独り言を言っているのか。もちろん記憶にないお話もたくさんあるのだけれど、それは既に、脳みそを食べられてしまったからなんじゃないか…、そしてきっと、この本を読み終えたその瞬間に、私は消されてしまうんだ…、なんて具合に、こわがってみるのも、布団に本を持ち込んで読む秘密の読書みたいに、すこぶる楽しい。

楽しかった。すべてが自分のことに思えてしまうくらい、一語一語ににやけながら抱え込んで読んだ。何度でも食べたい。和尚さんの秘密の壷みたいな本だった。

こんな妄想ができたなら、どんなにか面白いだろうと思う。でもきっと、それはこの人の文章で読むからこそ、もっとずっと格別に愉快なのだとも思う。

ちょっとおごらせてくださいよ、と絡みたくなるほどに楽しかったのだけれど(おこがましいにもほどがある)、今の今まで岸本佐「和」子さんだと勘違いしていたことを打ち明けたら、ねにもたれたり、するのだろうか。

[] コートはクリーニングに出してしまった

もうコートは着ないだろう、と思ったとたんに、寒い日が続くようになった。こういうのを手のひらを返すっていうんだと思う。かじかんだ手は白い。おせんべやけたかな、というゲームはどうなったらおしまいになるんだっけ。

それにしても寒い。うちは灯油ストーブを使っているのだけど、もう灯油がないのでストーブがつけられない。かわりに電気のストーブを出してきたけれど、半径30センチ以内に立たないと暖かさをわけてもらえない。

コートはクリーニングに出してしまった。コートがかえってくる頃にはきっと、また暖かくなっているのだろうと思う。おせんべが焼けたら、ひっこめるんだたぶん。

[] 若返った。

本を読みにドトールに入ったら、向かいの席にセーラー服の人が座っていた。長い髪はわりとキューティクルで、ファッションブランドのビニール袋やら豪快にキーホルダーをつけた鞄やら、ディテールは女子高生そのものだったのだけど、おもむろにプカーとたばこを吸いだしたのに驚いて顔を見ると、それはセーラー服をきた、おばさんだった。ならば(とりあえず)よし、と思って本に集中して小一時間、人の気配に再び顔をあげると、向かいの席はいつのまにかからになっていて、今まさに新たなセーラー服がその席につこうとしていた。彼女の周囲で、複数人の視線が交錯した。

2007-04-17

[] 「Our Earthly Pleasures」/Maximo Park

Our Earthly Pleasures

Our Earthly Pleasures

予備知識のないバンドのアルバムを買う時に、重要なのはなんといっても1曲目だと思う。それも最初のリフから第一声を発するまでの空気が気に入れば、もう買うことは決定したも同然。その点、この『Our Earthly Pleasures』の冒頭を飾る「Girls Who Play Guitars」は最高だった。タイトに刻むドラム、ギターのユニゾン、ゆるめのボーカル、疾走感。そのへん、今聞きたいのは疾走感、と思ってさがしていた私にはうってつけだった。

WARP発のギターバンド、ということで注目を集めていたのがこの Maximo Park だってことに気付いたのはかえってきてからだったのだけど、レーベルはもちろん、ジャケットのイメージともずいぶん違う音だった。

というか、1曲目の印象も、ずいぶんと裏切る内容だった。期待外れという意味ではない。ただ、最初思い描いた勢いのある音、よりは張りのあるなめらかな曲が多く、80年代英国POPのにおいを感じる、わりと上品な感じのバンドなのだなと思った。XTCやらブラー、デラミトリすら彷佛とさせるけど、スミスやパルプを引き合いにだされることも多かったらしい。今のバンドでいうなら BLOC PARTY をもう少し丸くした感じだろうか。

良いアルバムだし、懐の深さには好感をもった。ただ惜しいのはやはり音色が丸すぎることだ。たぶん、私が欲しかったのは疾走感じゃなくて、焦燥感だったんだな。もっと殺伐としててもいいから、アクセル踏み込むことにためらわないような音が聞きたい。

[] 約三か月ぶりスピリッツ

漫画雑誌感想を別のところに移そうと思ってここに書かなくなったせいか、今年になってから遠ざかっていたスピリッツ。田西に彼女ができたらしいと聞いて、久々に買いました。

思ったよりみんな相変わらずであんしんしたよ。若干意味の分からない事態も生じていましたが、なんとかついていける範囲。

で、彼女ができた「ボーイズオンザラン」田西くん。私の友達にすごくよく似たひとがいるんだけど、久々に見てみたら、髪型から眼鏡から振る舞いから似加減がさらに増加していて、ちょっと見づらかった。そして「ちはるーっ」ていってたはずの彼はいつのまにかあのボクシング少女とデートしてるんですけど、ちはるとは全然タイプの違うこの子を好きになった理由はなんなんだろうな、とどこかしら寂しい気分で思う。というかこれは花沢健吾流の中野靖子なんだろうな。そして田西はまだまだ宮本にはなれてないっぽい。

あと気になったのがテイ・トウワさんの「恋愛睡眠のすすめ」の映画評。

ファッショナブルでガーリー。中目黒とか下北沢でカフェオーレ飲んでるみたいな女のコが好きそうな映画。だから、男は女のコ誘って見に行くべきだよね。「わけわかんねー」とかって話も広がって、「なんか眠りたくない?」って、「ホテル行こう!」って話になって(笑)

これはひどい。

2007-04-16

[] mice parademice parade

マイス・パレード

マイス・パレード

mice parade 6枚目(だと思ってたけど7枚目という話もある)のフルアルバム。初めてのセルフタイトルアルバム、ということでちょっと身構えて聞いてしまったのだけど、これまでのマイスパレードの音から外れているわけでは決してない。地続きの、でも、結果的に姉妹作品のようになった前2作品とは、少し違う場所にある。

その『Obrigado saudade』と『Bem-Vinda Vontade』*1にあった、個人的で親密な空気と比べると、まず感じるのは、新たなドアを開いた瞬間のような、ひんやりとした心地よさ。そして、踊り出したくなるような#3「the last ten homes」で陽がのぼり、#4へ流れていくあたり、このアルバムの空気が動いていることを感じる。

全体的にドラミングがすばらしいのは相変わらずなのだけど、今回はわりと楽器の幅が広くとられていて、今までのアルバムでは使われなかったような音色が聞こえてくるのも面白いです。

でもやっぱり、マイス・パレードの音。

[][] 春/うどんとメンチ

今日はとても暖かかったです。朝起きてピーズ@AXのチケットをとって、ご飯食べて洗濯して新しい服を着て、お出かけ。もうコートはいらないみたいだということを、町の人々をみて再確認する。中にはキャミソールの人までいて、さすがにそれはやりすぎだと思ったけれど、この入り乱れ具合が季節の変わり目なのだなぁと思う。

タワーでCDを買いあさり、洋服を見たり買ったりして、浮き足立ったまま、twitterで噂になっていた東京麺通団へ。めんたま目当で行ったにも関わらず、肉につられてたんたま(坦々麺の肉そぼろと生卵ぶっかけ)を食べました。もちもちした麺がおいしかったです。お惣菜も充実していて、つい揚げ物などもつまんでしまったせいか、小腹を満たすつもりが満腹になる。メンチカツおいしかった。これで今週は4メンチです。とくにメンチ好きなはずではないんだけど、なんかメンチづいていて、食べるとおいしいんだなー。うどんはいつか全メニュー制覇したいです。会社のそばにあったら通うのに!

ところで、うどんといえば思い出すのが、下北沢にあったぶっかけうどん屋さんのことだ。和田アキ子みたいなおかみさんがいて、食べ方についていろいろ指導してくれたりするとこ。あそこのうどんはほんとうにおいしかった。ご主人が体調を崩されたとかで、今は閉店してしまったのだけど、いまでもときどき、あのうどんのこと思い出す。細麺で、つるつるしたきれいなうどんだった。風邪ひいたときとかはあそこの釜あげにお世話になったものだ。

麺通団のうどんは、そこのとは正反対の豪快な麺で、あんまり外でうどんを食べたことがない私にはとても新鮮でした。うどんたべたーって満足感がよかったです。

[][] 超劇場版 ケロロ軍曹2 深海のプリンセスであります

ichinics2007-04-16

ほかにも見にいくつもりの映画は何本かあったんだけど…もうすぐ終わりそうなケロロを優先してしまった。うん。楽しかったです。見終わったあと、ロビーで6歳くらいの男の子が売店のお兄さんに「いやー面白かったよ」と報告してたのもよかったです。今回の劇場版は二本立てだったんですけど、短編の方でクルルがなぜ黄色いかみたいな話があって、終わった瞬間「なるほどねー」っていってた男の子が彼だと思います。フランク。

映画本編の方は、深海に住む王子と夏美の、幼い頃の思いでを介したふれ合い…っていう感じの、ちょっといい話でした。いい話すぎるとちょっと斜に構えてしまう私ですが、夏美はやっぱいい子だと思うので異論はないです。モアちゃんや桃華が活躍する場面も楽しくって、女の子祭りな映画だったと思います。ただ、ケロロが劇場版ジャイアンみたいながんばりをみせる場面では、それがちょっと逆にさみしいような気分にもなったのですが、でもまあいいです。楽しかった。

あと、全体的にパロディ要素は劇場版1より控えめな気がした。もしかして、ゲド戦記のパロディなのかしら…って場面があったけど、ただ唄いだしたってだけで違うかもしれない。ETかと思ったとこも自転車飛ばなかったので違うかもしれない。

ともかく、私はタママがビーム吐く場面が好きすぎるので、タママがキレてくれれば7割強は楽しいです。ま、みんなそうだよねー(かわいいほうのタママも毒舌はいてるときはスキですー)。

そして、家へついてまたケロロ。虫歯菌を倒すお話を楽しく鑑賞しました。あれだね、三郎先輩はカヲルくんなんだなってやっと気が付いた。ということはタママはアスカなのか。ヤンデレってやつか。

2007-04-15

[][] 王様ランチ/三宅乱丈

王様ランチ (F×COMICS)

王様ランチ (F×COMICS)

1998年から2003年までに描かれたものを集めた作品集。2004年に出てたみたいだけど、今日見かけるまで知らなかった…。三宅さんの短編を読むのはもしかしたらはじめてかもしれないんですが、すごく面白かったです。もっと読みたい。

どれも、作者の妄想力のたまものというか、思いつきが脱線していく過程にやたらと勢いがあり、その力の込め具合にスリルと笑いが生まれていく感じ。

表題作の中編「王様ランチ」は、トラウマとフェティシズムと罪悪感と快感がおどろおどろしく混ざりあってコミカルになるところが、独特。でも、どこかしら理解不能ではないような気がするのは、好きなものをちょっといじめてみたくなるような感じ、と似てるのかもしれない…。

短編は、どこまで嘘かほんとかわかんない、ショートショートのようなお話が多くて、例えば夢の中で肛門を買い求める話とかね、突飛な状況の中にもリアルな質感があるとこが面白いです。

昔の絵柄がちょっと松本大洋さんぽいんだけど、お話のテンポはあくまでも三宅乱丈さん独特で、やっぱ語り口に色のある漫画家さんなんだなと思った。

[] よくありたいと思うことの意味

目の前に、募金箱がある、そこには「アフガニスタンの人達は、4人家族で200円あれば1日暮らしていける」と書かれてある。

それでも、その文字が目に入りながらも、私はおやつを買うとする。

「G★RDIAS - 「本当は、できるでしょう?」の原初的風景」

それを「間接的な人殺し」といえるかどうか、ということについて、書かれた文章をいくつか読んで考えたことを、なかなかまとまらないんだけど書いてみます。

まず、上のエントリを読んで思ったのは、そこにあるのは「募金しなかった」という事実だけだ、ということです。

募金できるのにしなかった、と思い後から罪悪感に苛まれたとしても、自分が募金をしなかったことなどすぐに忘れて、お菓子をおいしく食べたとしても、そこに「外側から見えるような」差異はない。ほんとうはこう思っていた、と自分の「善さ」を主張したって、「しなかった世界」では何も起きません。

もちろん、その自戒が芽生えることによって、これからの行為に影響があるかもしれません。でもそれは行為として世界に関与した時点ではじめて、「意味」をもつことであり、いくら心根の美しい人であっても、その美しさは他者によって知られることなしには「意味」を持つことができない、と私は思います。(意味、という言葉の扱い方はとても難しくて、これは私がいま考えていることの中心(のひとつ)でもあるのですが、とりあえずこの場合は、目的が達成されること、のような「意味」です。そして私は、自分にとって大切なものならば、意味などなくてもいい、とも思っています。とりあえず、いまのところは。)

ですから、「本当は、できるでしょう?」と問われれば、できるのにしなかった自分を認めるしかありません。ただ、それを悪であると言うのは(別に誰かがそう言っているわけではないですが)、間違っていると思う。

「間接的に人殺し」であるかどうか、という点でいえば、人はすべて間接的な人殺しであると思います。それを指し示すのに、上記エントリの例えはちょっとわかりにくいと思うけれど、要旨は、つまり自分が利己的であることに自覚的にいたい、ということだと読みました。

上記の例だけでなく、ありふれた日常の中にも、できたはずのことは無数にあるのに、それらを見過ごし、自分の小さな幸せを、たとえば200円のおやつを、私は優先する。そのこと自体は、悪いことではないと思うし、逆に言えば、200円ばかりで救った気になる、と考えるのも、欺瞞であるといえばそうだ。でもそこにはとりあえず「行為した」という意味がある。

ただ、「できるのにしなかった」ことで思い悩んでしまうのだとしたら、それは「私にとって悪いこと」だ、と言うことはできる。

例えば、私が電車でおばあさんに席を譲ったとする。それは善いことでしょうか? 善いことだとするなら、それはまず、私にとって善い(心地よい)ことなのだと思います。おばあさんにとっても善いことであったなら、うれしいですけど、そうでない可能性だってあるはずです。

そして、私が善いことだと思ってすること、ほんとうはやだなーと思っているのに義務だと思ってすること、その思いの部分は、面と向かっている場合には表情などで伝わってしまうこともあるにせよ、ほとんどの場合「意味」をもちません。そして、もてないのであれば、「意味」という目的を自分にとっての善いことへ、結び付けていけるようにしたいな、と思ってます。

善悪について考えると、答のでない、どうどう巡りになりがちですが、用意された答え(例えば法律や道徳)が、必ずしも善であり正解である、というわけではないということは、覚えておきたいし、考えていたい。

どんな人間文化も、法律や宗教や哲学の制度を進化させてきた。そして、こうした制度によって堂々回りの疑問に特定の答が用意されるとともに、そういう答に含まれた信念でもって人々を支配するための、権威の枠組みが作り上げられている。人は、こうした枠組みが理性や真実に対するドグマになってしまっている、と不満を唱えるかもしれない。しかし、そうした枠組みは、不満と引き換えに、一方では、あらゆる人間が意味のない推論の輪によって時間を浪費してしまうということがないようにしてくれている。解くことのできる問題について心の中で考えているときの方が、ずっと実りの多い生活がもたらされるのである。

しかし、思考がぐるっと回ってもとに戻ったからといって、必ずしも何かが間違っていたというわけではない。なぜなら、堂々回りの思考は、その各段階でどんどんと深く強力な考えを生んでいくのであれば、成長に結びつきうるからである。そうするとコミュニケーションの能力を用いることによって、そういう強力な考えを自分の利己的な境界を越えて広げる方法が見つかり、そうした考え自体がいろいろな人の心に根を生やすことができるかもしれない。こうして、言語や科学や哲学は、いずれは死んでしまう人間一人ひとりの心の限界を越えることができる。

「心の社会」第五章「個性5・2答えられない質問」

関連

「で、みちアキはどうするの? - 罪悪感について(まだ途中)

矛盾だらけ

罪悪感なんて役にたたない

2007-04-14

[] 今日の風景

午前中にいろいろ没になり、気分が荒れ果てたまま打ち合わせに出かける。風がやたらと強くて、頭もボッサボサでふてくされていたのに、今日初めてあった相手の人が、はちきれんばかりに元気な方だったので、ずいぶんといい気分でチョッキすることができた。

友達とケンタで待ち合わせ。隣のレジで「6ピースパックを」と言ってる人に対して「店内でお召し上がりですか?」と返すのは間違っていると思ったけど、もしかしたら食べるかもしれない。食べれないこともないかもしれない。ケンタの肉と皮の配分はまるで柿の種のようで、いつもはもうちょっと皮がついてればいいのにと思うけれど、6ピースも食べるならば肉が多い方が正解かもしれない。けっこうこってりしてるからね。

すっかり肉を食べ飽きた私はコーヒーだけ注文し、隣の人は持ち帰った。

そのまま友達の誕生日プレゼントを買いに閉店間際のデパートへいったものの、目当てのものはなく、なんとなくカラオケでもいく? ということになる。からおけって、なんだっけというくらいに久しぶりで、歌いたい曲は「ケロッ!とマーチ」くらいしかないわたしだったけど、ケロッ!とマーチは予想以上に楽しくて、すこぶる満足する。 → youtubeへ

八重桜はまだまだ元気。

f:id:ichinics:20070414012650j:image:h150

[] わたしが無職だったころ

春になると、最初の勤め先を辞めて、無職になったときのことを思い出す。よく自転車に乗った日々だった。菜の花が満開の川沿いを走り、公園へ行って本を読み、風がつめたくなれば喫茶店へ移動し本を読み、ブによって本を買い、家に帰ってまた本を読んで眠った。

一見、なかなかに充実した日々のようだけど、結局は暇から逃げていたのだと思う。少し目をそらせば、自分が無職であるという事実に気分が重くなったし、友達にあえば、その話になるのがわかりきっていたから、携帯電話も持ち歩かなかった。持ち歩いてもあまり見なかった。その習慣は今でもつづいていて、メールの返事がおそいとよくいわれる。

でもたまには人に会った。そして、私が数日ぶりみたいに感じていることと、相手が数年ぶりみたいにふるまうことに、もしくはその逆に、すこしさみしくなった。

力強くペダルを踏み込む。そのことで少しずつ薄く遠くなれるような気がしたけど、薄く遠くなっていったのは春で、雨の後には夏がきた。

夏生まれの性分なのか、暑さと天気の良さを見せつけられたらもう、屈服するしかない。ふらふらと町へ出て、アイスを食べ歩き、お金もないのに夏フェスに行って、アタリメを食べビールを飲んだ。そしてふと、お金が欲しいと思い、秋になったら仕事がきまった。

出勤日までの数日、私はまた自転車に乗っていた。長い夏休みの間にたまりまくった本を少し売り、ビールを買って公園へいった。平日の昼間の公園に、ひとりでいるのはわたしだけだった。そして、すでにそれを贅沢だと思っている自分の贅沢さにあきれつつ、あしたからしごとです。とメールをかいた。

2007-04-13

[][] それでも町は廻っている/石黒正数

それでも町は廻っている 2 (ヤングキングコミックス)

それでも町は廻っている 2 (ヤングキングコミックス)

1巻(id:ichinics:20070129:p3)読んだときは、ゆるい漫画だなぁって印象だったんだけど、コミックリュウ掲載の「ネムルバカ」、モーニング2掲載の「気の抜けたビールで…」ともに面白かったので、やっと2巻を読んでみたら、面白かった。1巻がつまんなかったわけではないんだけど、1巻買ったきっかけである「もしかしてSF?」という期待が2巻でかなえられたからってのが大きいかも。おかげで(わたし側の)ピントがあったような気がします。

あとやたらとパンツみえる(ぜんぜんやらしくない)漫画だとも言っておきたい。あ、あとアルス風の表紙絵があってちょっとうれしかったなー。

夜の町の冒険譚「ナイトウォーカー」は、「おしいれのぼうけん」を読んだときのわくわくする感じを思い出した。「ジョセフィーヌの夏」で吹いたよ。

[] 今朝はほんとうについてなかった

乗ろうとしたバスには「次のに乗れ」といわれ、次のがなかなか来ず、渋滞に巻き込まれ、遅刻しそうになり、あわてて落とした定期を踏まれ、足を踏まれ、網棚から落下したサラリーマンバッグが後頭部を直撃したときは、思わず手が出そうになったけど満員電車で身動きとれなくてよかった! と思いました。首はむちうちですがわたしはげんきです。

[] So it goes.

そういうものだ、と呟いてはみても、ぽかんと開いた口が塞がらない。

私にとって彼の、親愛なるカート・ヴォネガットの存在は、トラルファマドール的時間軸を照らすすてきな放物線だった。フォーマを掲げたドン・キホーテのごとく、時空を旅するその勇姿には、ほんとうにたくさんのことを教えてもらったし、それはわたしにとって大切な「ひまつぶし」として、いまもしっかりと手もとにある。

ジェイルバードはときはなたれた。その風景を、わたしは何度も見送ってきたような気がする。

ギルゴア・トラウトいわく――

「長い年月のあいだ、わしはずっと部屋の窓をあけはなち、世界に求愛していたんだ」

胸をつかまれたような気分になるのは、ただ、感謝したいからだ。

ありがとうありがとう!

いつの日かリンゴの木陰でレモネードを飲むヴォネガットに出会うことを夢見て。ピース。

http://www.vonnegut.com/

2007-04-12

[][] 夜は短し歩けよ乙女/森見登美彦

あちこちで感想をみかけるものの、どこか煙に巻かれてるような、で、どんな話なの? って気になって仕方なくなって、読みました。最近めっきり読書スピードが落ちている私には珍しく、一日で読み終えてしまった!

夜は短し歩けよ乙女

夜は短し歩けよ乙女

“先輩" と「詭弁論部」の後輩で彼の意中のひとである “黒髪の乙女” が、目論見とすれ違いと鯨飲の末にの邂逅を果たすまでを活写した現代版伝奇のようなおはなし。

ひたすら乙女を追いかけ、計算尽くしの「偶然」を演出しようと試みる先輩のパートと、乙女の視線を通して語られる奇妙で味わいぶかい世界のようすがかわるがわる描かれていく構成は、最初少しだけ読みにくく感じたものの、ラストまで読み終えてみれば、なるほどね、とほくそ笑んでしまう。つんのめるような文体も勢いを増すほどに滑らかになり、恐れることはない、いざ。とかつい書いてみたくなるこの感じが、まるで講談のようだと思った。イメージだけど。それが詭弁でも酔っ払いでも、後にはじんわりと楽しかった、という気分が競り上がってくる。

中でも、この本のクライマックスともいえる、先輩の自問自答がよかった。その恋は性欲かそれとも自己憐憫か逃避か、そもそも恋とは何であるのか。追いつめられた先輩が最後にぶちあげるアジテーション(p262)のすがすがしさよ。

そんなやつを読む閑があったら、むしろ私を読みたまえ。なかなかオモシロイことが色々書いてあるよ。p80

小説だからこそ、この語り口だからこその面白さ、ではあるんだけど、つい今敏監督が映画化してくれればいいのにーなんて思ってしまいました。特に1話めの李白さん登場場面とか、圧巻だろうなぁ。あとちょっと「福神町綺譚」(id:ichinics:20060414:p1)の雰囲気にも近いとこあるかも。

[] セクシーボイスと沖縄県

きのう「セクシーボイスアンドロボ」をみた。まあそうだろうなぁとは思ってたけど、いきなり三日坊主の話で、諸々がっくり。それからモロ下北の露崎商店がバーンと出てきたりして、見なれた風景すぎると、室内のセット部分と外観がつながらないものだなと思いました。

それにしても「わたし…生きたいんだ」って台詞に、画面から目をそらしてしまう私はなんか中二だねと思う。

でも、このドラマの前に見てた県民性がどうとかいう番組で「自分が大好き」な県第1位は沖縄っていうのやってて、「自分好きですか?」って聞かれて「だいすきでーす」なんて迷いなくと答えてるひとたちのまぶしさは、ちょっとうらやましかった。

東京は2位だった気がするけど「自分好きですか?」って聞かれたら、私はまず即答できないんだろうな。好きでも嫌いでもないとか言ったり言い訳したりしそうだ。

でも、そういうの断言したくないのは、言葉にしてそれ気にしたくないからなんだろうなと思う。「私のこと好き?」とか聞かないのも、それに回答されたら回答されたとおりにしなきゃだめなような気がしちゃうから。気弱。

 ありがとうヴォネガット

会ったことも無い小説家の死に、泣けてくるなんてはじめてだ。

ヴォネガットの書いた小説、まだぜんぶ読めてもいないのに、

大好きなんだ。

これがすてきでなくて、ほかになにがある?

っていう叔父さんの台詞、いまもよく思い出す。

きっと青いトンネルくぐって天国までいった、

ヴォネガットさんにたくさんの感謝を。

2007-04-11

[] 春眠

ここんとこ眠くて仕方ない。昨夜なんてとくにひどくて、ネットつけてた覚えはあるんだけど、いつPC切ったのかも定かじゃないし、下の感想文も書き終わった記憶が無いし、「ぼくらの」見るつもりだったけど見れないからビデオとって…てお願いした気がするけどそれも定かじゃない。それでもいつもよりずっと早く眠ったはずなのに、目が覚めてもまだ眠くて、朝ごはん食べても目が覚めないし電車の中で何回もおちそうになるし、会社きてもまだ眠い。睡眠を我慢するのが辛すぎて、もう金払ってでも眠りたい気分…。人間の三大欲求とかいいますけど、睡眠だけが突出して堪え難い気がするよ。食欲は食べれば確実に解消されるけど、睡眠欲はどういうタイミングで解消されんだかわかんないしなぁ。よく寝た日でも、夜は眠くなるし、どうやったら起きれるんだかわからない。どうもならないと思うんですよね。なのでもうこのままここで眠りたいんです。眠ってもいいですかね。だめですか。そうですか。じゃあいっそ起こさないでください……!

 twitter

つられて作ってみた。

http://twitter.com/ichinics

けど、どう使えばいいのか、いまいちよくわからない。外国のひとがたくさんだ(当たり前)。

[][] 大阪ハムレット森下裕美

森下裕美さんの漫画を読んだのはこれが初めてです。じつは「少年アシベ」も読んだことがない。なんとなく、ファンシーなのを予想して読まずにいたんだけど、この「大阪ハムレット」がイメージと違って、すごくとっつきやすい漫画だったので、読まず嫌い、だったのかもしれないと思った。

大阪ハムレット (1) (ACTION COMICS)

大阪ハムレット (1) (ACTION COMICS)

大阪ハムレット」で描かれるのは、大阪の町に住む人々の群像劇。悪人はでてこない。いじめっこだって、常にいじめっこなわけじゃない、ということがきちんと描かれる、やさしい漫画。

この町の人は、不器用ながらも、精一杯生きている…なんてつい書きたくなってしまう「良い話」だけど、この絵柄で描かれるからこそ味わい深く、嫌みにならないのだと思う。お話と絵柄のテンポががっちりかみ合ってる安心感。

[] 女の子になりたい男の子

大阪ハムレット」を読んで、最も印象に残ったのは「放浪息子」のニトリ君を思わせる「ヒロ君」が主人公の物語だった。

とにかく設定がとても良く似ていて、クライマックスの男女逆転劇があるところもそっくり、なのだけど、受ける印象は全然違う。

ボク 女のコになりたいと思てます

ボク 真剣やから 変にからこうたりせんとって下さい

ヒロ君が主人公の物語は、彼が学級会でこのように宣言するところからはじまる。

放浪息子」の世界が、どこか閉じているように感じられるのは、登場人物たちがほとんど「うつくしい」からなのではないかと思う。箱庭があって、そこでシミュレーションを繰り返しているような無機質さ、とでもいえばいいんだろうか。それは、キャラクターの内側にある輪郭をもたない感情を、浮き彫りにする「やさしい」装置でもあるのかなと思うんだけど。

しかし「大阪ハムレット」に出てくるのは、絵柄のせいもあってか、みなうつくしいのかどうか、よくわからない人ばかりだ。特に、「ニトリくん」と同じ立場にたっているヒロ君の場合、物語の中にそのような視点は(ほとんど)ない。でも、だからこそ、周囲の人のやさしさが、際立つのだと思った。

つまり、二つの作品は、よく似た設定で、別々のことを描こうとしているんだと思う。

「ヒロ君」は物語を読むとわかるように、「女の子の格好をしたい」気持ちに理由がある。そして、それはあくまでも(いまのところは)女の子の格好をしたい、という欲求なのだろう。それを見守る大人たちの視線には、ぐっとくるけれど、同時にその女装はいつか乗り越えられる予定の「困難」なのかもしれない、と感じる。

対して「放浪息子」で描かれるのは、アイデンティティとしての性、なのだろうな。だからこそ、美醜の問題は二の次として、彼らは守られているんじゃないだろうか。なんて。

いろいろ考えてはみたものの、全然まとまらない。

2007-04-10

[] 電話にでると声が高くなる謎

今日、隣の席の人に「電話の声高いっすよねぇー」みたいなことをいわれた。うん。自覚してる。普段のトーンを「ド」だとすると、仕事の電話にでるときにはだいたい「ソ」くらいだと思う。電話だと顔見えないし、地声がわりと低いので、おこってるように聞こえたらやだなーという心の現れ、つまり丸腰アピールなんだと思うけど、それにしても確かにソって高い。ので、なんでそんなに高くなるのか…ってことを考えていたら、昔レコード屋で接客業してた頃に「怒ってるの?」と聞かれたことがあるのを思い出して、対面でもそう聞かれるってことは、顔見えててもだめなんじゃんね。

[][] 意識を産む

「空中スキップ」に収録されていた『産まれない世界』(id:ichinics:20070406:p2)が新鮮に感じられたのは、時代が途切れるということを、示唆していたことにあったと思う。

それでいろいろと想像していたら、ずっとまえに「人工知能に意識があるかないか判定する方法はあるか」という質問があったことを思い出した、

その質問に対する答えは、今も「その方法はない」なのだけど、信じればある、と付け加えたいのは今も同じ。

例えば、数十年子どもが産まれないという状況があって、1人づつ人工知能を育てる、という世の中になったとする。対面せずに会話してると、相手が人間なんだか人工知能なんだかわかんない、それが普通になる。やがて人がいなくなって、人工知能だけの世界が残ると、それぞれ自分の親とそっくりな活動を続ける。

仮に、そういう状況を想像してみると、その世界はいったい何なのだろう? そもそも「何なのだろう」、ということを考えないということを、意識がない、というんじゃないだろうか。

例えば、猿がシェイクスピアを書いたからといって、それを読み(読むような仕草をし)、何を感じるかというのはヒトには分からない。さらに言えば、同じ人間にたいしてだって、相手が何を思うかは「自分と重ねる」ことでしかわからないのであって、人工知能の「意識のあるなし」を測定できないということと、条件はかわらないのかもしれない。

つまり、「意識」という概念が言葉である限り、そのあるなしは、記述させること、語らせることでは「わかりようがない」ということだと思う。

そして、今まで記述する存在のように感じていた意識の主体としての「私」は、実はそれを「読む」存在なのかもしれない、と思った。読むというか、受ける、というか限界にあるというか。読まれてはじめて、意味が産まれる。その意味こそが、意識なんじゃないだろうか。

その質問への以前の回答

私が私であるということ

質問者michiakiさんの文章

意識のチューリングテスト

引退後はサイバースペースへようこそってわけで。

うわ、そういうことだったのかって今さら思った。やっぱすごいなぁ、と思う。お元気でしょうか。

2007-04-09

[] 100s中村一義

100s

100s

久々に、中村一義が聞きたくなって、何枚かi-podに入れて聞いてたんだけど、金字塔からながしてきくと、「中村一義」名義のラストアルバムであるこの「100s」は、開けてるなぁと思う。ヘッドフォンで聞く音から、スピーカーで流す音になったような、そんな感じ。

宅録からバンド・サウンドへ移行する、その片鱗は「ERA」にもあるものの、やはりこの「100s」が到達点だろう。歌詞のポジティブさとかね、まぶしい。

大好きなアルバムではあるんだけど、ERAからこのアルバムに移行するときには、少し身構えてしまう。

例えば。音楽を聞く人の気持ちっていうのは、「金字塔」から「100s」の間を揺れ動いているようなものだと思う。そして「100s」のイメージというのは、わりと特別な瞬間のもののように感じる。まぶしくて、憧れるんだけど、初めて中村一義を聞いたときの、あの感情と音がじかにつながっていることの驚き、みたいなものは、もう感じられない。ここにあるのは、もっと普遍的な物語だ。だからこのアルバムは、終わり*1でもあり始まり*2でもあるんだと思う。

[] 選挙の日

f:id:ichinics:20070409013330j:image:h150

選挙は近所の小学校が投票所だった。誰もいない校庭、からっぽの靴箱を眺めてすこし、感傷的な気分になる。校門の桜が盛大に花弁を散らしているせいか、ピロティにもちらほらと花弁が落ちていた。ピロティって、懐かしい言葉!

投票をすませたあとは、喫茶店で読書。持ち歩けないせいでなかなか進まない「心の社会」だったけど、やっと目処がついてきた感じ。すごく面白いし、わかりやすく書いてあって楽しい。これ読んでると、頭の中にタチコマがたくさんいるような気分になるな。

没頭して数時間、夕暮れに帰宅してTV見てがっかり。だけどなんでがっかりなのか、はっきり言えないのが恥ずかしい。それにしても、私の投票と、テレビの中の結果が、つながってる感じが全然しない。この仕組み自体が、もうちょっとかわってもいいんじゃないか、つまり、これほどまでに通信技術が発達した今なら、部分的にでも、直接民主主義っていうのは可能なんじゃないかと思う。けど。

選挙行くと、「投票行って外食するんだ〜」って歌ってたあの曲を思い出す。あそこであの言葉がほかの「わりと普遍的なこと」と並べられてたのが不思議だったんだけど、そういう消費万歳みたいな空気って、今はずいぶん薄れたような気もする。

[] 『ファイナルファンタジータクティクス A2 封穴のグリモア

前作から4年、ついに待望の新作が登場! 『ファイナルファンタジータクティクス A2 封穴のグリモア

http://www.famitsu.com/game/coming/2007/04/04/104,1175656318,69561,0,0.html

ファイナルファンタジータクティクスアドバンスの続編がDSで出るそうです。うそ! やった! うれしい!

タクティクスアドバンスは、シミュレーションゲームとしては比較的易しくて、物足りないとこもあったんですけど、携帯ゲームとしてはそのくらいがちょうどいいのかもしれない。

あとこのシリーズは伊藤龍馬さんの絵本ぽいキャラクターデザインも好きなので、ほんと楽しみだ。はやくでないかなー。

*1中村一義名義の

*2100s

2007-04-08

[][] 何かをものすごく好きになるということ

昼ご飯にイングリッシュマフィンのトーストを食べながら、テレビ東京の「土曜イベントアワー 2007自給自足物語 冬の大地に生きる夢の家族SP」という番組を少しだけ見た。タイトルは今検索して調べたんだけど、ずいぶんと恣意的なタイトルだなぁと思う。けど、私が見た部分、一人で自給自足している女性を紹介していた部分は、ナレーションにもずいぶん含みが多く、へきえきした。へきえきしたけれど、私はその女性のことをすてきだなぁと思ったので、その気持ちについて書いてみたいと思う。

私の友達に、農家の後を継いだ女の子がいる。すごくすてきな人で、誠実で頑固で、苦労ばかりしていて、それこそ「愛すべき娘たち」にでてくる爽子のような人だ。少し遠いところにすんでいるし、農業には休みというものがないので、なかなか会う時間がないのだけれど、でも何かあるたびに彼女のことを思い出して、がんばらなきゃなと思う。そんな人だ。

数年前、仕事の愚痴のついでに「自給自足の生活がしたいなぁ」みたいなことを、彼女に言ってしまったことがあった。それは、ビルの非常階段に座って電話してる自分と、電話の向こうに広がっているのであろう畑とうっすら聞こえる犬の声との落差に思わず出た言葉だったのだけど、静かに「そんな楽なものじゃないよ」と返され、自分はなんて無神経なことを言ってしまったんだろう、と恥ずかしくなった。

今でもどこか、それに漠然と憧れる気持ちはある。けれど同時に、死ぬまで都会を離れないのかもしれない、手のかかった昼食を作るよりもトーストですますような生活を続け、テレビを見ながら、あんなふうに生きることもできた、なんてうらやむことをいつかは恥じなくなってしまうのかもしれないとも感じていて、それがなんだか、息苦しい。

番組に出てきた『セレブOLから大転身』した女性にとってのきっかけは何だったのか、それが気になって、食事が終わってもしばらくテレビをつけていた。ここでセレブという言葉を使うセンスは本当にくだらねーと思うけれど、テレビにうつっていたその人は、そんなくだらなさとは関係ないところにいるように見えた。実際のその人がどんな人かはしらない。けど、私がその人をすてきだなあと思った理由は、取材の最後で彼女が言った言葉に対する単純な感慨だった。

最後に、夢はなんですか、と聞かれた彼女は、それまでの寡黙さが嘘のように「稲穂」の魅力について語り出したのだ。「私はほかのひとの畑も見るんですけどね、ほんとうにうまいひとの稲穂っていうのは、輝いて見えるんですよ。私も、いつかああいう稲を育てたいっていうのが夢ですね。まずは稲、それから…野菜かなぁ」たしかそんなふうに話していた。

私は、何かをものすごく好きな人を見るのがとても好きだ。そして、あの人にとっての「きっかけ」は、農業を好きになったことなのだと思う。それこそ苦労を厭わないくらいに、好きが勝ったということなのだろう。そんなふうに、何かをものすごく好きになることで、生活をがらりと変えてしまう可能性というのは、あるんだなぁと思った。

もちろん、年をとれば可能性が少なくなるとか努力しなきゃ報われないとか云々あるけれど、何かを知ったり、興味をもったりすることで、生活はいつのまにかかわっていくものだし、変化してしまえば、それはどれが最初の一歩だったのかはわからないようなものなのだと思う。

まあ、要するに、興味を持ったら、少し踏み込んでみるくらいのことはした方が面白いよなぁ、そうしたいなぁ、と思ったということ。それがどこにつながるかなんて、死ぬまでわかんないんだきっと。

[][] 街角花だより/こうの史代

1995年から2007年までに書かれたシリーズと短編2作が収録されたこうの史代さん最新刊。

街角花だより (アクションコミックス)

街角花だより (アクションコミックス)

「街角花だより」は花屋さん “花ひわ” を舞台にした女二人の「相棒」もの。おっとりした店長と、ある事件がきっかけで仕事をクビになり、“花ひわ” で働くことになったりんのコンビがいい具合です。二人のキャラクターは「長い道」の道と荘介をまぜてバランス良く分けたみたいな感じで、その不協和音が時には和音になるような「長い道」に対して、こちらは和音で軽快なワルツを踊るような(表紙のイメージね)お話でした。なので、「毒」はひかえめ。

この本は新しいものから古いものへという順で収録されているのですが、絵柄があまりかわっていないので最初読んだときはわからなかった。でも、後半の「街角花だより」には最終話が2案収録されていて、この書き直しを読むと、前半の「街角花だより」がとても洗練されていることに気が付く。踏み込んでしまいたくなるところで引く勇気、とでもいうんだろうか。その見極めは、きっとすごく微妙な、勘のようなものに頼らなくてはならないものだと思う。定めてしまえば色あせるし、踏み込み過ぎると読者がついていけなくなる。

そのことをうっすらと感じ、そしてこの作品の後に描かれてきたものを思うと、こうの史代さんは、やはりすごい漫画家だなぁと思った。

そしてやっぱり、こうのさんの描くキャラクターが好きだ。

ichinicsichinics 2007/04/09 01:37 こちらこそ、コメントありがとうございます。
ネガティブな情報や見せ方には、うんざりするところもありますが、結局、そういうのに引っ張られてしまうのも自分なんですよね。だから、好きなものごとを、エネルギーにできている人をみると、尊敬するし、うれしくなるんだと思います。

2007-04-07

[][] 前田弘二監督特集 − 女 −

映画館のチラシを見て、面白そうだなと思って見にいった。会場は満員、監督やキャストの舞台挨拶まであって、なんかすごい盛り上がりだなぁと思いつつ。「誰とでも寝る女」「古奈子は男選びが悪い」「女」の三本をみました。

たぶん、どれも上映会とかで1本見るには印象に残る作品だと思う。でも3本とも、定点カメラ長回しで、間の多い会話を捉え、場にいる人物間の温度差におかしみをかもし出す、という構成なのが、見ていてちょっと息苦しかった。監督の個性というよりは、制限を設けてるみたいに感じてしまった。なんというか、動かない画の中で、沈黙を描く間合いって難しいなと思う。

今日見た3本の中では、最新作の「誰とでも寝る女」が一番洗練されてたと思うんだけど、冒頭の長い会話がひっかかった。短編の作品で物語の筋とはあまり関係のない場面を入れるっていうのはちょっと違和感あるのかもしれない。「女」も良かったけど、ラストが不思議すぎた。「古奈子」は、「男選びが悪い」という語感の面白さに気をとられてしまった感じ。

[][] 「萌え」についての雑感

『Something Orange』さんのエントリ(以下引用)を読んで考えたこと。

たぶん、こんなふうに考える方もいらっしゃると思います。

何を言っていやがる、十代前半にしか見えないような、あるいはもっと幼く見えるような少女に「萌える」行為は、それだけで十分ロリコン的じゃないかと。

お説ごもっとも。でも、やっぱり絵と生身の人間には落差がある。

(略)

だから、少なくともあるひとがあるイラストレーションに「萌え」たからといって、すぐに幼女性愛者とか、その候補だと考えることは無理がある。

やっぱり「キャラ絵」と生身の人間のあいだには暗い深淵があるのです。

それでは、幼女性愛者でもないくせに、なぜ幼女の絵に「萌え」るのか。これは、正直、自分でもはっきりとはわからない。

Something Orange - 萌えと幼児性愛に境界線は引けるか

オタク文化について語られる文章を読むときに、なんかこう、女にはわかんないよみたいなことを言われたことはないのに感じることはあって、今回の話題もその範疇に入るのかもしれませんが、とりあえず疑問なのは、「萌える」行為とは、性欲に繋がっているのかな? という点。

言葉の定義はわかりません。けど、これまで私が読んだことのある「萌え」表現の文脈を思い起こしてみると、それはその一歩手前のような気がするのです。それが性欲に繋がることはあっても「萌える」感情自体が欲求なわけではないというか。

たとえばkaienさんのエントリに挙げられている中でいうと、私はばらすぃーさんの絵が好きで、ファンですと言えるほどに見てはいないけれど、フィギュア買っちゃうくらいには好きだ。他に「萌え絵」範疇に入りそうなもので好きなのはノ、okamaさんの絵とかはいるかな。ちょっと定義がわかんないんだけど、ともかく、私が女の子のイラストに「萌えてる」のだとしたら、それは「造形美」に萌えてるんだと思います。猫!猫!かわいいー!とかいうのと極めて近い衝動で、「もっと見たい」とか思うのは、その先の欲求だと思う。

でも、その「造形美にときめく」はたぶん、「萌え」の用法としては変化形だと思う。

上記引用したエントリでは、『キャラ絵」と生身の人間のあいだには暗い深淵がある』というところにポイントを絞って考察されていますが、私の、ひじょうに個人的な雑感を書いてみると「萌え」という言葉は、その「深淵」や「落差」「ギャップ」に出会うこととともに使われるのではないか、と思うのです。ただし、それは「生身の人間」との間にあるギャップではないような気もするので、kaienさんの書かれてることとは少しずれるかもしれません。

ともかく。

「弱そうなのに強い」「強そうなのに弱い」「子どもが大人びている」「大人がこどもじみている」「明るい子の涙」「いつも大人しいあの子がわらったノ」「猫がしゃべる」「人間が猫」「学校が要塞」「あの子が変身」「生徒会長はニンジンが苦手!」「厳しい先生が居眠り!」「セーラー服と機関銃!」などなど、まあ中には微妙なのもありますけど、これらのギャップが、『隠されていた間のことを考える』ことでおこる感慨を「萌える」というのではないでしょうかと言ってみたい。

でも、そのギャップの多くは、対象の弱点がさらされることでもある。上の例とはかけ離れてるかもしれないけど、まあそうだと思う。そこに、ちょっとしたうしろめたさのようなものを感じることはあるのだけど、ともかく、その感慨自体は、ベクトルではあっても欲求ではないと思う。どうかな。

そして、なんらかの感慨を抱き、その感慨について検証するのは個人のレベルで行われるものだ、とも思います。なんだか自己責任論みたいだけど、肯定も否定も行き過ぎるとそれはルールになっちゃうのでつまんないな、と思いました。

2007-04-06

[][] 空中スキップ/ジュディ・バドニッツ

目覚めるとつかみ所のなくなってしまう夢の中の風景みたいに、懐かしくて捕らえ所のない物語が、読める、ということにびっくりした。大好きな本は数多くあるけれど、この本はちょっと特別な存在になった。そして、恐れを知らずに言ってしまうと、たぶん、私が書いてみたいと思っていたのは、こんな文章だったんだ。

空中スキップ

空中スキップ

ジュディ・バドニッツという作家さんの作品を読むのは初めてで、たまたま本屋さんで、岸本佐知子さんの翻訳ということで手に取りました。既に翻訳出版されてるものもあるそうですが、全部で23の短編が収録されているこの短編集が、ジュディ・バドニッツさんのデビュー作ということです。原題は「Flying Leap」。これを「空中スキップ」と訳すところからしてすてきすぎる。

巻末の訳者あとがきで、「この本を読むということは、たとえばラジオのつまみを回して飛び込んでくるいろいろな周波数の電波に耳を傾けるような、見知らぬ遊園地の乗り物に次から次に乗せられるような、そんな体験に似ている。」と表されているように、この本におさめられた作品はどれも、空間をすこしずつずれて、スキップする。でもそのイメージの連なりが、しっかりと肌触りとして伝わってきて、その、物語が立ち上がるような感覚にくらくらする。

23の物語はどれも異なる味わいなのだけど、全体的な食感は、皮肉の中にも切実さの垣間見えるもので(あるいはその逆で)、ガーリーな雰囲気を纏いつつもスタンドアローンな力強さを感じる。日本でいえば、古川日出男さんみたいな雰囲気かな。

特にすばらしいと思ったのは「産まれない世界」と「電車」。ほかにもたくさんあるけど、この2つはすごく印象に残った。「電車」は、私にとってあまりにも理想の小説で、読みたいんだか読みたくないんだかわかんなくなりながらむさぼり読みました。「産まれない世界」については下に。

[][] 「産まれない世界」と「トゥモロー・ワールド

「産まれない世界」は、映画「トゥモロー・ワールド」ととても良く似た状況の物語だ。しかし受ける印象はまったく違っていた。

もっとも大きな違いは、「争い」だ。「トゥモロー・ワールド」の世界では移民問題を中心に争いが絶えなかったのに対し、ここで描かれる争いは、まだ子どもがいた時代の奪い合いだけで、後に残るのは緩慢な死だった。

私たちはみなリタイアし、仕事を捨てた。あとを引き継ぐ者はいなかった。都市の機能はじょじょに低下し、やがて完全にストップした。

私たちは家から一歩も出なくなった。ある者は死の床にあり、そうでない者も時間の問題だった。/p264

今思い出しても、やっぱり「トゥモロー・ワールド」には首を傾げてしまうところがあるのだけど、この作品を読んで、それは単なる視点の違いだったのかもしれないと思った。たぶんあの映画の中にだって、このようにじっと暮らしていた人たちがいたはずだ。もうすぐ先に死が見えているのに、なぜ争うんだろう、と思いながら映画を見た私にとって、この世界の提示はとてもしっくりくるものだった。

そしてどうなったか? と言うのは書きません。でも、この「産まれない世界」のラストは、産まれない世界の行き着くところとしてリアルに感じられた。そして同時に「トゥモロー・ワールド」に対して抱いていたわだかまりみたいなものも、とけてったような気がする。

とても短い短編なので、興味のある人はぜひ読んでみて下さい。

 トゥモロー・ワールドについてあれこれ書いたもの

「トゥモロー・ワールド」(感想)

「トゥモロー・ワールド」の終末観への違和感

空気が読めなかったのかもしれない

[] 起承転結をほどいてみたい

もしかして、文章というのは起承転結から逃れられないのでは…? って考えはじめたら、落ち着かなくなった。ゲシュタルト崩壊しそうだ。例えば「春だ。春なので、どこかいこうと思ったけど、めんどくさくなった」という文の起承転結は、ブログなどで(たとえばこの日記で)、よく見られる展開形式ですけど「春だ(起)春なので(承)どっかいこうと思ったけど(転)めんどくさくなった(結)」って、見事に固まっていてなんとも歯がゆい。かならずしも起承転結の順だってわけじゃないけど、でも全ての文はそうやって「起」「承」「転」「結」グループに割り振ることができちゃうんじゃないでしょうか。ほら(起)、今書いてるこれだって(承)いつのまにか割り振られている(結)! ってまぁ、自分でやってるんだけど(転)。

もちろん、起承転結という「意味」に当てはめるのは文を読む側のすることであって、文章が起承転結を持っている訳ではない。だけども、私がそこに意味を見いだそうとした瞬間に、そこには起承転結が見えてしまうんじゃないでしょうか。そして、それは文が書かれている瞬間には意識されてないことのはず。

話をしているとき、言葉を使っている時というのは、起承転結から逃れているような気がする。そして、そのような文章というのも、ある。起承転結に割りふれないような文章、意味より先に見えるものがあって繋がる文章、っていうのを、読んだことはあるはずだけど、書けるものなら自分でも書いてみたいと思った。

ちなみに以上の文は、「起承転結」という言葉の使い方として間違っています。結。

2007-04-05

[][] とうとうロボがきた!/Q.B.B.

とうとうロボが来た! (幻冬舎文庫)

とうとうロボが来た! (幻冬舎文庫)

久住昌之久住卓也の兄弟ユニットによる4コマ作品。4コマだけど複数ページで1話になる形式で、昭和的小学生男子の日常というとこは「団地ともお」と似た雰囲気なんだけど、ともおの物語が三人称視点なのにたいして、この「とうとうロボがきた!」は新吉という男の子の一人称で語られる。その一人称が半端なく小学生のそれで、久住兄弟はもしかして今でも小学生なんじゃないかしらと思ってしまうくらいだった。なんというか、子どもを「観察」してる感じがしない。そして、100点とったのに母さんの反応が悪かったときのあのふて腐れ方にまだ感情移入できるのは、私にも小学生だったときがあるからなのだった! すばらしいね。

[][] いちごが好きでもあかならとまれ。/雁須磨子

1996年の連載作品と1997年と2000年に書き下ろされた作品。でも全て同じ主人公によるひとつづきのお話です。つーか雁須磨子さんは絵柄がかわるなぁー。面影はあるけど、タッチがぜんぜんちがう。

うん、でもすごく面白かった。最初に読んでぐっときた「のはらのはらの」*1にとても近い雰囲気のお話で、幼なじみの男の子二人が、まあすごく仲良くって、で、なんか相手を意識しちゃって、という恋のお話です。

この、相手を意識する瞬間の描写っていうのが、たぶん私はすごく好きで、そこを丹念に描いているところが、身悶えしたくなるような……楽しさというか、浮き足立つことの気持ち良さを味わわせてくれる。

二人の恋愛を観察する大久保という登場人物をおいているところも、この(現実ではこわれやすいだろう)世界を頑丈なものにしていて安心だし、読者の立ち位置としても重ねられるとこが、とてもやさしい。

そして「秘密」を共有することが「絆」として機能するのは少女漫画の特徴の一つかもしれない、と思った。

しかし、「フライングボディアターック」って、これはすばらしいバカップルですね。あんまりにも楽しそうなので、なんだよもう、とか思う。いいなぁ、お忍び旅行。

[] さむい四月の雨の日雪まじり

昼過ぎから図書館にこもっていた。行く道の向こうに桜並木を見つけたので、帰りにちらっと花見でもしていこうと思っていたのに、地上へ戻ると外は大雨。傘はない、コンビニもない、何もない道を走りだしたとたんに、体が重くなるほどの雨。

だから、屋根を見つけて飛び込んだのは、ぬれるからではなく、単に息切れしたせいだった。すでにそこには同じく途方にくれている人が数人、肩をよせあっていて、彼らもまた、それぞれに濡れていた。グレーがネズミ色に、ブルーが紫に、私の春コートも、K100がリッチブラックになっている。立ち止まると急に寒い。首をつたう水滴に肩をすくめる。

そして私たちは、ざあざあ降る雨が急に太く流れ、ぼた雪になる瞬間を見た。しゃーっという車の音にまぎれて、誰かが「雪だ」と言い、頷いてしまったのは私だけじゃなかったような気がした。

そして再び走り出す。吐く息が白い。ぼた雪が顔や手に張り付いて痛いくらいだったけれど、どうにか駅までたどり着く。あたたかい。そして、急にびしょぬれな自分が恥ずかしくなり、恥ずかしさとは、多数との違いにあるのね、なんて思う。私の姿を見て、雨降ってるの? という会話をしてる人が数人いたけれど、こんどは頷かなかった。

雪はすぐに雨にもどり、それも夜にはやんだけれど、いつもは淀んでいる川が、ごうごうと流れ、大量の花びらを飲み込むのを見ると、もうおしまいなのかなぁ、と、思う。風邪ひきそうだ。

toukatouka 2007/04/06 01:30 須磨子先生の漫画は、「あっ」と思って見つめてしまった人の頬や手や髪に触れようとする指先の感覚がすごいですよね。指先の指紋とその間の空気が感じられるようです。
男同士の恋愛を描いてもやおいにならずに少女漫画になってしまうのは、その息を呑む溜息が、「自分と同じ魂を持つ相手に巡り合った」ではなくて「びっくりするくらいきれいなものに出会ってしまった」という驚きからきているからじゃないかと思うのです。
なんて言っておきながら「いちご」は未読(笑)。97年頃に「ぱふ」で大絶賛されていたのを憶えています。
あと、あてもなくハムトーストも私もすごい好きです。

ichinicsichinics 2007/04/06 02:12 そう、あの「あっ」って息をのむ感じと、指先のためらう感じに、どきどきしますよね。あの、視線が吸い寄せられてく感じは、確かに「びっくりするくらいきれい」という感覚によって起こるどうしようもなさで、雁須磨子さんのBLは、ひたすら少女漫画だなぁって思います。ってあんまり読んだことないんですけどね。
しかし97年に大絶賛て、さすが「ぱふ」ですねー。
それから「あてもなくハムトースト」、あれがどこか救いに感じてしまう自分がいて、でもそういうこと軽くいっちゃだめだ、とも思ってて、なんだかなぁってまぶしい顔になっちゃう感じひっくるめて、大好き、です。

2007-04-04

[] あの子はモモレンジャー

結局、今でも実写作品が好きなのは、「現実と区別がつかなくって素敵!」という一点につきると思う。現実とフィクションを冷静に区別をつけて生きるような大人にはなりたくないね。

「虫博士は西荻区長に立候補 - アニメ嫌い」

名言だと思う。とくに「現実と区別がつかなくって素敵!」って目からうろこだったな。

で、以下は話がずれるんだけど、

何かわからない相手や事柄に対して、フィクションに理由を求めるのは、それこそ「わからない」という降参でしかない。でも、そのわからなさが恐れられるからこそ、フィクションと現実の区別をつけたがる人というのもいて、それが多数派だからこそ「大人の振る舞い」として扱われるんだと思う。そしてそれは「扱われてる」だけのことだ。

私はアニメもゲームも実写も好きだけど、どのカテゴリのものを見ても「現実と区別がつかなくって素敵!」と感じることもあれば、「こんな妄想ができるなんて素敵!」とうれしくなることもある。だから、特にアニメと実写をわけて考えてはいないかな、と思う。

私にとって、映像作品を見ることの楽しさは、他人のビジュアルイメージを見ることの楽しさでもある。見たことのないような状況に興奮したり、見たことのあるような風景に感情移入する。

そして物語を体験する楽しさとは、それこそ現実と区別のつかない情景の中で物語を自分のものとして体験するということだったり、他者の物語の中に自分を見つけることだったりする。

確かに、着ぐるみのドラえもんやのび太を見て、ほんものだー、とは思えないですし、中の人や俳優があらわれたって、○○だーとは思えない。それはまた別のファンタジーだ。

でも、そうやって簡単にさらされる「仕組み」以外のとこで、ホントは現実と繋がってる、って思わせてくれる魅力が実写にはある。となりのあの子が、実はモモレンジャーなんじゃないか、とか。この物語は、今どこかの部屋で実際に「起こっていることなんじゃないか」とか。

逆に、アニメーションは、今まで頭の中にしか存在できなかったような世界が、動く、ということがその大きな魅力になる。だから現実に近付ける必要はないよなーとも思うんですが、現実で身近にあるものはリアルでないと受け入れられにくい、というようなことを押井守監督が言ってたみたいに、そこにリアルと繋がる部分を見つけるのも面白い。

もちろん、どちらも、それだけが魅力ってわけじゃないけれど、現実と区別して見るよりも、体験するように見る方が断然面白いのは同じ、だと思う。

ともかく、見てみなければ何もはじまらない。そして、もっともっと、見たことのないような絵空事を、リアルに感じたいです。

[][] 「死なない程度にかんばってください〜」

というわけで(わけで?)、すでに膨大な量のDVDが出ているのでやめなよー、と弟に反対されつつ借りてきた「ケロロ軍曹」を1巻から見ていたりします。いまちょうどGW前進行で煮詰まっていて、煮詰まっているということはすなわちなーんも考えとらん空白の脳なので、やたらとケロロがしみる。楽しい。次回予告とかまで楽しい。「死なない程度にかんばってください〜」というタママの語りを5回くらいリプレイして、「かみちゅ」の続きをみたらちょっとイラっときたのでまたケロロに戻る。ううううたのしい。

2007-04-03

[] 「世界樹の迷宮」エンドロールを見た

バードのレベル上げしたにもかかわらず、結局最後はいつものメンバーだった。キャンベル(パラディン)はひたすら防御、トラウト(ソードマン)は「ガンガンいこうせ」、ビアトリス(レンジャー)はサジタリウスの矢、ラムファード(アルケミスト)は魔法でジリジリ削って、エリオット(メディック)は「いのちをだいじに」、というたぶんすごくオーソドックスな「世界樹」らしくない戦い方で、やっとエンドロールまでこぎ着けました。

いろんな思い出が駆け抜けたよ。結構ながいことやってたな。

そして、まだまだ探索は続くのでした。今はファマドール(バード)とトラル(ダークハンター)を育てています。両方女の子キャラで、マーニャとミネアみたいな感じだ。…ドラクエ脳!

[] 道徳を教えるということ

政府の教育再生会議は29日の学校再生分科会(第1分科会)で、「道徳の時間」を国語や算数などと同じ「教科」に格上げし、「徳育」(仮称)とするよう提言する方針を決めた。「教科」になれば、児童・生徒の「道徳心」が通信簿など成績評価の対象になる可能性があるうえ、教材も副読本でなく教科書としての扱いとなって文部科学省の検定の対象となりうる。ただ、反対論も予想され、再生会議での議論は過熱しそうだ。

道徳、「教科」に格上げ案 教育再生会議分科会が提言へ

私が小学生の頃、道徳の授業といえば「幸福な王子」を読んで感想文を書いたりする時間だった。そして感想を発表しあうだけで、正解不正解はなかったと思うけれど、それはいわば「空気を読む力」を養うということでもあったと思う。

「道徳」や「倫理」というものに正解はないはずだ。それは暗黙の了解、多数派にとっての善や快としてあるもので、もしも「成績評価の対象になる」としたら、それは控えめに言っても不粋だし、言葉で言い表し、評価する基準が生まれた時点で、それは道徳ではなく、規則になってしまうだろう。

私は、「自我(のようなもの)」は、規則の外にあるものだと思うし、私が守りたいと思っているのは、それなんだと思う。だから、私の思う道徳と、私のとっての善や快は別にあるということを、守りたい。そして守りたいというとこから、先に行きたいと思っているんだけど、それはまた別の話。

しかし、道徳を教えられ、それを規則として捉えた人たちは、自我と道徳との間にある隔たりのことをどう感じるのだろう?

人間がそういう道徳的感情を持つという事実から切り離されて、道徳的事実なるものが客観的にあるわけではありません。つまり、道徳的感情を持つということは、まず最初に世界の中に道徳的事実なるものが客観的にあって、それを後から表象したり記述したり描写したりしているのではないのですから、当然、そういう感情に真偽はありえないのです。ですから、もちろん、たとえば何かの事件について、他の人の道徳的評価がまちがっている、などと言い立てることもできません。そもそも認識ではないので、まちがえることなど不可能なのですから。「倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦 (哲学教科書シリーズ)」p65

関連?

「ならぬわけ」

[] 歴史をかえてはならないという倫理

昨日の感想を書きながら、歴史を変える、ということについて考えていた。「過去に干渉してはならない」という倫理があるような気がするのはなぜかということ。そして、物語の中では、主人公にとってのよりよい今のために、歴史を書き換えるという行為を応援できるのは、その倫理に矛盾していないかということ。

確かに矛盾している。実際に過去に戻って別の分岐を選択することができるなんて物語の中だけのことだとしても、それに近い行為は今だって行われている。歴史は書き換えられる。そのことを考えると、何を信じればいいのかわからなくなる。でも、そもそも歴史は絶対のものじゃないのかもしれない*1

命令しました、してません、した証拠はありません。その言葉の書き換えによって、変化することは何か。

少なくとも、その場にいた人の「今」にはつながっていないんじゃないか。歴史はいつも個人から遠い、ということは、これだけ生きればもう十分にわかる。

ただ「おこったこと」だけが変わらない。変化したのは解釈だけであって、それは常にうつろう、ということなのかもしれない。それでも、歴史に干渉することがタブーであるように感じるのは、なぜだろう?

[][] 買えたら消すメモ

よしながふみの対談が掲載されてる「メロディ」が読みたい。まだ売ってるのかな。

*1:私は学問としての歴史を知らないのだけど

2007-04-02

[][] 「バタフライ・エフェクト」から「ひぐらしのなく頃に

監督・脚本:エリック・ブレス&J・マッキー・グラバー

幼い頃から、時折「記憶を失って」しまう症状に悩まされていた少年が、後に、その「記憶」にまつわる謎を解くことになる物語。

公開終了してから知って、ずっと見たいと思ってた作品。タイトルだけで散々想像しつくして、既にあらすじが出来上がるほどに妄想が膨らみまくっていたのをやっと見た。でも、映画は思ってたのとはずいぶん違う内容で、ものすごく面白かった。

タイトルにある「バタフライ効果」とは、「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」という比喩で知られている言葉で、カオス理論*1のひとつ(らしい)。なので私は、原因Aが予想外の結果へ結びつくまでの物語を想像していたのだけど、映画はむしろ、どこにあるかわからない「原因」に振り回され、立ち向かう主人公を描いたものだった。どの糸を引くかで運命が決まる。しかし複数ある糸の先は箱の中におさめられていて見えない。

これはまるで、「ひぐらしのなく頃に」だ。

映画の冒頭、主人公は手紙を書いている。「このメモを誰かが見つけたなら、僕の計画は失敗したということになる」そこから彼の最後の挑戦がはじまる。

そういえば「鬼隠し編」の圭一も手紙を書いていた。ただ、ひぐらしの場合は、圭一の挑戦ではなかったわけだけど、自分の求める未来、幸せになるための未来を求めて挑戦しつづける物語という意味で、二つの作品はとてもよく似ている。「礼」に近いパターン(冒頭につながるとこ)まである。

だから、すごく面白い映画ではあったのだけど、「ひぐらし」後だからか、主人公が最後に選択する分岐にひっかかった。

幸せになるための未来を求めて挑戦する、なんて書くと、全ての人が幸せになんて無理だし、それを求めることでほかの誰かに「バタフライ効果」がおよんでいるのではないか、と思うかもしれない。タイムマシンの出てくる物語で、よく過去に干渉してはならない、というような倫理が語られるのは、そのいい例だろうし、もしも万が一、そんなことが誰にでも出来たとしたら「現在」というものはなくなってしまうだろう。

そう考えてみると、その物語における倫理みたいなものは、過去を変えるということが(とりあえず現状においては)不可能だからこそ、その願いから目をそらすために編みだされた詭弁なのではないかと思えてくる。

しかし、もっと良い選択ができたのではないか、と考えることは、自分の行動が世界にどのような影響を与えることができるのか、考えることでもある。そして、これらの物語は、その思考実験を描いたものでもあったと思う。

その行動は、過去ではなく、未来でもなく、今に繋がっていた。

それが出来たんであれば、あのラストは無いんじゃないかな、と、思う。そこのひっかかりをのぞけば、素晴らしく面白い映画でした。もっと見たい。

[] つながらない日々

f:id:ichinics:20070402024306j:image:h150

最近ぼんやりしている。考え事の断片だけが浮かんでいて、うまくつかめない。

春だからね、ということなのかもしれないけど、こういうとき、いつもスイッチを入れてくれてたものがないからなのもわかっている。燃料が補給できないし、漠然とさみしい。そうなってはじめて、自分は思ったよりずっと、多くのものに支えられてやってきたのだなと知る。いつもどおりの町や、見なれた顔、時刻表、毎年咲く桜。22時のデニーズでコーヒーを飲みながら話す、相変わらずの会話も、GWの計画も。

いつまでもあるわけじゃないんだよなって、教えてもらってたのに、やり残したことばかりのような気がする。

toukatouka 2007/04/02 13:33 きゃー、バタフライエフェクト!大好きです。
はいいんですが、ん、もしかして劇場公開版ではなくてディレクターズカット版のほうを見られたんでしょうか?そちらのほうは分岐違いのバッドエンドなんで超後味悪いんですよね。

ichinicsichinics 2007/04/03 01:44 ……えっ、そんな、何種類かあるんですか? とりあえず、借りたのには3種類エンディングが入ってたんですが、あの中のどれかが劇場公開版なんでしょうか。あーでも、その3種類の中ではバッドエンドなのが一番まともだったから違うのかなぁ(あとのはコメンタリー聞いてもなんか冗談みたいでした)。ええー気になる。とりあえずDVD自体には何も書いてないんですけどね…。
それにしても、ラストちょっとひっかかるものの、すごい面白い映画でした。

toukatouka 2007/04/03 02:10 3種類あるって事はちゃんと劇場公開版ですね。もちろんノーマルのが真のエンディングです。あれで引っかかりますか。あれは別にデレカ版と比べなくても素晴らしいハッピーエンドじゃないですかあ。
セルでしか見れないデレカ版の分岐こそ超超超後味の悪いバッドエンドで、監督たちはコメンタリー(デレカ版は全編にコメンタリーが入ってます)で、本当はこちらにしたかったとか言ってますが、これほどの映画を撮れる人たちがいったいどうしてこんな分岐を支持するのか理解できませんね。
うちの掲示板の(最近間違えてカウントをリセットしてしまったところの)218に感想書いてます。
一度でも時間を飛んでしまった人間は、ある意味人間であることの限界も跳び越えてしまったわけで、やはり孤独と付き合うしかないという結論は、とても誠実に考え抜かれた結論だと思います。「夏への扉」はファンタジーだと。

ichinicsichinics 2007/04/03 11:25 ラストに、というか、元々はあの「聖痕」のとこと最後の「飛び」にひっかかってるんですよね…。その方法に、ということより、見えてた物語に「追記」されたような感覚でしょうか。ちょっと時間軸がおかしい。で、それが出来るなら、もっと模索しようよ、って思ってしまうんですよねぇ。でもまあ、そんなふうに、自分なりのエンドを想像するのも楽しいんですけどね。
それより、toukaさんの感想に書いてあった「モラルの橋」っていうのが気になります。なんでしょう? ピンときたかったけどこれなくって残念です。
あ、あと子役のほうが印象に残るというのには同感です。あの耳をおさえるとこはよかったなー。あんまり主人公の内面が描かれない映画だったけど、あそこはモノローグもよかった。

toukatouka 2007/04/03 20:30 刑務所のシーンから見直してみました。ルール的に聖痕の部分はおかしいですよね(あんなことしたら人生変わっちゃいますよね)。でもその次につながるシーンが「ロープを切れ」のシーンなのでめちゃくちゃかっこよく、息もつかせぬ展開が続くので、聖痕の矛盾は保留になってしまいます。いや、その後の展開のおもしろさを考えれば、保留じゃなく、十分に解消されたといってもいい。ミステリじゃないのだからゲーム内ルールの整合性よりおもしろさが優先されるのは当然です。
 しかし、レニーやケイリーを幸せにしようとして飛んだその次の次のジャンプの後にたどり着いた世界は、皮肉なことに主人公以外の人間はみんな幸せという世界になります。「みんな幸せになればいい」と思ってたのは、主人公が幸せに成るために、というエゴに過ぎなかったという事実と向きあわさせられます。けれどここで、主人公ではなく監督が「見えないモラルの橋」を踏み外します。はい、都合よく肺ガンにかかってくれてありがとうお母さん、これで心置きなく世界をもう一度書き換えられるよ、ですね。
これは聖痕のシーンでルールを逸脱したことよりも深刻な逸脱で、あらゆる物語作者はこのようなまねは慎まなければならないと私は思ってます。
しかし、それすら保留にする怒涛の展開はラストになだれ込み、ラストジャンプの7歳時主人公の、ためらいながら話す表情が全部解決してくれました。
 人生をいじくった人間といじくられた人間がくっついてハッピーエンドになるっていうのは、それが誠実な物語であるならば、ありえないと思います。すでに主人公とケイリーとの関係は終わっていて、この超能力によってぎりぎりまで主人公のエゴが世界のルールを出し抜くんじゃないかとハラハラさせておいて、やはり、一度失ったものは取り戻すことはできないんだ、という苦味が、しかし主人公なりにやれることはやったんだという心地良い苦味になって、本当に素晴らしいエンディングでした。
 もしかしたらとてもわかりにくい文章になっているかもしれません、すみません…

ichinicsichinics 2007/04/04 01:51 toukaさん、回答ありがとうございます!
「モラルの橋」とはそこのことだったんですね。指摘されてみれば確かにあれは、作者側の「都合」がでてしまった場面でしたね。あの風呂場の場面で、彼にとってはこればすべてあったことではなくて今初めて出くわす場面なのだ、というのが強調されたとこだったので、むしろもっと自分勝手な理由で飛んでもよかったのではないかと思います。が、それだと観客の感情移入が途切れてしまいますからね…。
それから、聖痕の箇所について
>ルールの整合性よりおもしろさが優先されるのは当然です。
私もそう思います。聖痕の場面については、私も見てるときはたいして気にならなくて、見終わってからのひっかかりだったのですが、でも、あの場面だけ、あっちいって「かえってくる」んですよね。それだと、あっちに関与しても「ここ」を続けられることになっちゃう。分岐するほどの出来事ではなかったってことなのかもしれませんが。同じ場面に何度もアクセスできているということは、まだまだチャレンジする機会はあったということで、とか考えている自分はほんと往生際が悪いです。けど、ラストにつなげるのならば、ブラックアウトもなかった、ので日記もない、でよかったんじゃないかなぁとか思います。うーん。
ところでディレクターズカット版も見た方がいいですかね? 気になるなぁ。

toukatouka 2007/04/04 04:29 デレカ版はセルDVDを買わないとみれないのですが、買った私としてはわざわざ買ってまで見る価値のあるものだったとは思えません。なので、ラストの分岐を書いたメールを送ります。そんなの知りたくないと思われたら読まずに消してくれちゃってOKです

ichinicsichinics 2007/04/05 01:07 メールありがとうございます! なるほどそれは超バッドエンドですね。後味悪すぎる。でもなんかまだまだエンド考えられそうな映画ですよね。で、いろいろ想像してみると、やっぱりあの公開版が一番すっきりしてるかなって思います。そういえば、日本版の劇場予告とかキャッチコピーとかも、ちょっとそれはどうだろって思いました。

2007-04-01

 4/1

どこもかしこもエイプリルフールすぎて、こわくて街に出れません。

なので今日は朝から嘘について考えていたのですが、嘘ってほんとに嘘なんでしょうか?

例えば、私がまだ幼稚園児の頃、お母さんの「弟ができたわよ!」という嘘にだまされたことがありました。ネタばらしされても、エイプリルフールの意味がわからなくて、しばらく混乱し続けたものです。今思うと微妙なネタですが、お母さんも若かったってことですよね。でも、それから数年後、ほんとうに弟が生まれたんです。

……ということは、あれは結果的に嘘ではなかったわけですよ。

ですから、今日生まれた嘘の数々も、数年後に本当になってたりするんじゃないかなって思うんです。信じれば夢は叶うっていいますしね。

だから私の「はてなアンテナ欲しい!」という気持ちだって、完全な嘘ではないと思うんです。ほんとうは副賞が欲しいとか、そんなことないです。前回はフランスについて楽天の何かをリンクしなきゃいけなくて、面倒で応募しなかったとかそんなことないです。はてなアンテナが来たら、……確かに困りますけど、それはそれで、活用できるような気がするんです。杜王町のスーパーフライの人みたいに、鉄塔で暮らすってのもロハスな気がしますし。あ、ところでロハスって、お金払わなくていいっていう「只」のロハと関係あるんでしょうか? 気になります。教えてはてなダイアリー!

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