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  □これまでの日記一覧

2007-05-31

[][] 奇術師/クリストファー・プリースト

世界幻想文学大賞受賞作。どこかの書評を読んでずっと気になってたもので、私にとってははじめてのクリストファー・プリースト作品です。

でも読んでるうちに、これはもしかすると、今映画館で予告をやっているあの映画の原作なのでは? と思えてきて、最後あとがきをよんだらそのとおりらしい。原題のまま「プレステージ」というタイトルの映画で、監督は「メメント」のクリストファー・ノーラン。この監督の映画化だったら、きっとすごくしっくりくると思います。

最初の語り手のもとに送られてきた一冊の本から、二人の奇術師の人生がひも解かれていく。アルフレッド・ボーデンとルパート・エンジャ。二人はお互いの奇術に尊敬を抱きながらも、激しく憎しみあっていた。そして最後、彼等が競い合った演目は「瞬間移動」。

整然とした文章は、ただ出来事を見たままに「記述」しているように感じさせる。時折、これは奇術師の伝記なのかしらと思える箇所もあるくらい、その記述の仕方は抑制されたもので、中盤まではその意図がよくわからない部分もあった。

しかし、各章ごとに入れ替わる視点、矛盾する出来事、哲学的な自問に思えた言葉の意味、そういったものが明かされる過程は上質なミステリー作品としての読みごたえがあって、ページをめくるスピードは確実にあがっていった。また、物語の中心にすえられている「瞬間移動」の着想はSF的な(ようなといっていいのかはわからないけど)モチーフなのだけど、ガジェットが物語の核としてずっとそこにあり、最後に包括される様はまさに奇術。

SFとしても幻想文学としてもミステリーとしても好みの作品ではないはずなんだけど、そのすべての中間にあることで、独特な、とても面白い小説だった。そして、そのたたずまいをイメージするなら、エンジャのそれだろうなと思う。

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[][] 少女革命ウテナ/第6話〜10話

少女革命ウテナ L’Apocalypse:2 [DVD]

少女革命ウテナ L’Apocalypse:2 [DVD]

6話から10話を鑑賞。コメディパートと「世界」についての伏線とで、うまい具合に緩急つけて進んでいる感じです。

卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく

我らが雛で、卵は世界だ

世界の殻を破らねば、我々は生まれずに死んでいく

世界の殻を破壊せよ 

世界を革命する為に!!

何度も繰り返されるこの台詞が、やはりこのアニメのテーマなのだと思う。この鳳学園を覆っている世界のはて。その存在は学園に影を落とし、影はあの噂好きの2人組のように、きっと至る所にはびこっている。

で、9話の「棺」に関するエピソードがでてきたあたりで、ああこれは、エヴァの女の子版というか、カウンターというか裏返しの物語になるのかもなと思った。

「生きてるのって、なんか気持ち悪いよね」

「そう?」

「そう。気持ち悪いよ。どうせ死んじゃうのに、なんでみんな生きてるんだろう。なんで今日までそのことに気づかなかったんだろう。永遠のものなんて、あるわけないのにね」

ここを外ととらえ、中へ行くエヴァと、中ととらえることで外へ向かうウテナの、目指す場所は違うのに、そこについてる名前はきっと一緒なんだろうなと思う。それは、少年/少女の違いともいえそうだなぁ。

とにかく、かなり面白くなってきました。以下メモ。

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ichinicsichinics 2007/06/10 02:46 こんばんは。うわぁおすすめありがとうございます。行く行く。見てきます。小説を読んだ後も、わかってるつもりだけど、でもそれで正しいのかわかってない部分が多い残ってたので、気になっているんですよね。でも、人が少ないというのは意外ですね。いまいろいろやってるからでしょうか。ともかく楽しみです。

2007-05-30

[][] フラワー・オブ・ライフ 4巻/よしながふみ

フラワー・オブ・ライフ (4) (ウィングス・コミックス)

フラワー・オブ・ライフ (4) (ウィングス・コミックス)

楽しみにしてた作品が終わってしまった。4巻を手に取って、読むまでにすこしためらった。あーこれ読んでしまったら、終わるんだなと思ったりした。それはちょうど、大晦日の夜の、終わりと始まりのうえに、ぶら下がっているような気持ちだった。

4巻の雰囲気は、これまでの3冊とは明らかに異なっている。ちりばめた伏線を総ざらいしていくような駆け足が、#17でせき止められ、#18でおだやかに溢れていく。

よしながふみさんの漫画を読んでいると、ときおり、その理想のようなものを息苦しく感じたりもする。つまり、すべての人物がきれいすぎるというか、枠のようなものの中で動いている感触があって、最後にはすべて同じ人物の側面であるように思えてしまうのだ。そして、その形式とはやはり「作者の言葉」なのだろう。

しかし、この「フラワー・オブ・ライフ」は、いろんな言葉を最後には飲み込んで、ただひとつの普遍的なテーマに集約している。それが、この作品をとても力強いものにしているし、最後に提示された「言葉」が、次に続くものであるように、期待させてくれるんだと思う。

終わりではあるけれども、登場人物たちが物語の外へ足を踏み出していくようなラストのおかげで、読み終えてもさみしいとは思わなかった。いい漫画でした。

関連

1、2巻感想(id:ichinics:20050822:p1

[] ずっと飛んでるキブン

例えば、道を歩いている。あそこの横断歩道を渡ろうか…なんて選択肢が浮かんだとたん、「こっちの方向にはナチュラルローソンがあるし、じゃあパン買ってこうかな、チーズもちも食べたい、けど、こっちには銀行がないからお金がおろせないじゃん、あ、今日の夜は飲みだ、それじゃ、お金はおろしとかないと、終わってからは,間に合わないし、だからやっぱあっち行こう」などと折り畳まれてた意識が芋づる式に展開され、やっぱやめようと思って方向転換することに決めたら決めたで、また次の案と質疑応答しながら、歩くことになる。

もちろんぼんやりしてるときもあるんだけど、そうやって、ずるずる引きずりながら歩いているときっていうのは、時々どうも鬱陶しい。視界は広いのに、動ける範囲がせまい。常に追いかけていて追いかけられているような気分。

だからたまには、その辺で寝転んだりとかさ、雨が降ってもぬれるとか次の日とか気にしないで、衝動に忠実に動いてみたくて*1、でも言葉とかはわりと衝動に近くて後悔することもあるんだけど、ともかくそうやって先を予想して保険かけるの、たまにはなしにしようよ、って、誘われたい。

たとえば、フェスとかに行くと、そのきぼうはかなえられるような気がする。お祭りだからかな。芝生に転がって牛乳飲む朝霧のしあわせよ。

それから、ちょっと酔っぱらっているときね。

酔っぱらうことのいいところは、少し先のことを、単純に考えられなくなってしまえることで*2、せいぜい「こっちにナチュラルローソンがある,パン食べたい」までの単純な足し算だけが、例えば2+3が5になったときは2も3も消えてる、そういうやり方で繋がってるとこだと思う。いつのまにか別のコンビニでパン買って、でもちゃんと満足してたり。

あと、もうちょっと行けたら,私も深夜に自転車こいで海へ、とか、味噌煮込みうどんを食べるためだけに車乗って名古屋へ、とか、関サバのさしみ、とか、谷中生姜ってなんで谷中なんですかねぇ,谷中名物なのかなぁ、ねえ? なんてへらへら笑いながらもう一杯飲んで、照れずにひとのこと、褒めちぎったりできるのかもしれないのにな。*3

なんていう話をしながら、飲んでた昨日の夜。要するに私は小心者だということです。

*1:もちろん人に迷惑をかけないのも大事なんだけど、それとはべつに

*2:ちなみにわるいところも同様

*3:ちなみに車の免許はもってません

toukatouka 2007/06/01 18:50 改めてラストを読み返すと本当にいいですね、フラワーオブライフ。一日一冊漫画を読むを始めたおかげで出会えた漫画だったけれど、ほんとにその甲斐があったって思えます。お母さんにつく嘘と、翔太に言わない事実とは微妙にイコールではなくて、だからその間に挟まれるお姉さんへの言葉に「これはホント」と注釈をつける。きれいごとかもしれないけれど、だからこそ鮮やかに「大人になる」が示されていて納得させられます

ichinicsichinics 2007/06/02 01:52 toukaさんこんばんは。そうですね、その「大人になる」に最後収束していく感じが、この作品の広がりであり、後味のよさになってたなぁって思います。キレイごとばかりなのはほんとなんだけど、でもそれを納得させるってやっぱりすごい。あと、この「フラワーオブライフ」を読んで、よしながふみさんの漫画って曖昧さがなくて、作者の見せたいものが、ダイレクトに伝わってくる感じなのかな、と思いました。

2007-05-29

[][] グッバイ、レーニン!

監督:ヴォルフガング・ベッカー

グッバイ、レーニン! [DVD]

グッバイ、レーニン! [DVD]

父が西側へ亡命してしまったまだ幼い頃から、主人公、アレックスは、母、姉と3人で暮らしてきた。母は社会主義社だったが、ある日、アレックスが反社会主義デモに参加し、逮捕されようとしているのを目撃したことで、心臓発作をおこしてしまう。そして、それから8ケ月、母は眠り続ける。その間にベルリンの壁は崩壊し、東西ドイツは統一へと向かい、社会は目まぐるしく変化していた。アレックスは奇跡的に目を覚ました母にショックをあたえないよう、周囲を東ドイツのまま保つことに奔走する。

変化していく社会と、身近にいる人々との関わりが少しづつ重なり、焦点をあわせていく様が丁寧に描かれた、とてもいい映画だったと思います。

アレックスの彼女、ララ(とてもかわいい女優さん)が何度も「お母さんに本当のことを言うべきよ」とさとすように、私も最初は「嘘」をつき続けることは、よくないことなんじゃないかっていう目て物語をおっていた。でもこれは、きっとアレックスも「いいこと」だと思ってやっているというよりは、途中からはほとんど自分のためなのだろうなと思う。

社会が変化する、ということを私はゆるやかにしか感じたことがないのだけど、東西ドイツ統一時の東ドイツに暮らしていた人たちにとって、映画に描かれる八か月はきっと目まぐるしいものであっただろう。特にお年寄りには辛い出来事でもあっただろうことが、物語の端々から感じられる。

でも母を助けるという名目で、少しずつ漏れてくる「今」を隠すために奔走する日々は、やがてもうひとつの「統一」を描き出すことにかわっていく。それは彼にとって、現実を受け入れるステップでもあったのだろう。

レーニンが、ゆっくりと手を差し伸べていた。あの場面*1

の美しさのように、かつて自分たちの国だったそこを、かれらも眩しい気持ちで見送ったのかも、しれない。

映画の中に、花火があがる場面がいくつかあるのだけど、その瞬間に、人の視界とともに気持ちまでよりそう感じがぐっと伝わってくるように思った。

幼い頃に好きだった「宇宙飛行士」を縦軸に、物語がきれいに包まれるところもとてもいい。

[] キリのラスク

成城で働いてた友達に教えてもらってからわりとよく行く、Kiriy’s Fresh *2のラスクがとてもおいしいです。シンプルなラスクはナッツ入りのバケットをわりと厚めにスライスしてラスクにしてあるもので、粒子の細かい砂糖がさらっととけておいしい。

最近でた新作ラスクは、そのナッツいりラスクの上に、マロンペーストや薄切りのリンゴ、キャラメルナッツ、アーモンドなどがトッピングしてある。

マロンはケーキみたいだし、リンゴはあまずっぱくておいしいし、キャラメルナッツ/アーモンドは香ばしい。どれもラスク部分がしっとりさくさくだからボロボロしなくて食べやすいです。

f:id:ichinics:20070527150619j:image:h150

ここはカフェもあって、手作りハンバーガーなどが食べらます。

[] 河瀬直美監督作品、「殯の森

第60回カンヌ国際映画祭が27日夜(日本時間28日未明)に閉幕を迎え、コンペティション部門に日本から唯一参加した河瀬直美監督(37)の「殯(もがり)の森」が、最高賞パルムドールに次ぐグランプリを受賞した。日本作品のグランプリは90年の小栗康平監督「死の棘(とげ)」以来。パルムドールはルーマニアのチャウシェスク政権末期の違法中絶を描いた、クリスティアン・ムンジウ監督「4カ月、3週間と2日」に決まった。

http://www.asahi.com/culture/update/0528/TKY200705280001.html

河瀬直美監督作品、「殯の森」が、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞されました。おめでとうございます!!

これはすごく、うれしいニュースです。

私はあんまテレビ見てないので、どんな感じかわかんないんですが、ちゃんともりあがってるのかしら?

殯の森」は6月23日からの劇場公開に先立ち、5月29日午後8時からNHK衛星ハイビジョンで放映されるらしい。ビデオとらなきゃ*3

劇場公開は渋谷のシネマアンジェリカ*4にて。それに先駆けて監督の特集上映をやるそうです。「萌の朱雀」と「沙羅双樹」と「垂乳女」「火垂」。

アンジェリカももちろん行きたいのですが、昔見た「かたつもり」を、ぜひもういちど見たいので大阪のプラネットプラスワンでやる特集上映*5に行きたいなぁ。みたことないのたくさんある…。カンヌ効果で東京も期待できるかな?

*1:どこかでみたことあるけど、思い出せない

*2http://www.seijo.or.jp/asp/shop.asp?ass_id=149375&kind=2

*3:間に合わなかった…映画館で見ます。

*4http://www.gojyu.com/

*5http://www.planetplusone.com/special/post_2.php

2007-05-28

[][] 少女革命ウテナ1話〜5話

少女革命ウテナ L’Apocalypse:1 [DVD]

少女革命ウテナ L’Apocalypse:1 [DVD]

TV版を見始めました。とりあえず劇場版とは絵柄の印象がかなり違っていて、とっつきやすい。そして、劇場版では映画の時間におさめるために、あえてあのような演出をしていたんだなとわかる。もちろんそれは世界観を踏襲し再構築するものだったのだし(もしかしたらパラレルなのかもだけど)、じゅうぶん面白かったけど、見るならTVからのほうがよかったかもな、と見始めてすぐに思った。

全部で39話もあるので、感想メモ。

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[] とりあえずここはいい気持ち

ちょっと日差しが強くなると、すぐカルピスが飲みたくなるわたしは、改札をくぐり階段をおり左手に曲がってキオスクのガラス戸を、それはガラスのようでプラスチックのような質感なのだが、戸をあけて、迷わずカルピスウォーターを手に取る。150円はらう。どうも、という言葉はありがとうと言うより相手に負うところがなくて(べ、別に、あんたに礼言われるためにやったんじゃないんだからねっ!、と言われたら私は素直にへこんでしまう)楽だとか思う、そんな消極的な気持ちでも、知らない人と声をかわすのは、やっぱりすこしうれしい。

「どうもです」

「どうもねっ!」

会釈をなびかせながら、各駅停車に乗り込む。ひんやりしたそれをこめかみにあてがいながら、ボトルネックについていたおまけに気づき、見てみるとそれは、あの「どこでもいっしょ」…だったかな、ゲームにでてくる猫の人形で、私は思わずカルピスを鞄にしまう。

…もう一度出して,見る。

この猫と過ごした日々は、たぶんもう五年くらい前のことだ。ちょうどそのころブロークン諸々で落ち込んでいた私は、猫を飼うことで気がまぎれるんじゃないかと思って買い、実際かなり紛れていたはずだった。なにより、ポケットステーションに入れて、つれて歩ける、というのが画期的で、ヒマさえあれば猫に言葉をおしえていたし、猫の不条理な報告に苦笑したり、「愛ってせつないのニャ」なんて台詞にうるへーよ、なんて毒づいたり、法則に基づいたやりとりであっても、それを生き物みたいに感じることは難しくなかった。

猫が消えたのは、湖でボートを漕いでいたときのことだった。新潟の湖だ。なんでそんなところにいたのかは、正直よく覚えていない。たぶん、相変わらず落ちこんでいたので、ぼんやりしていたのだと思う。

しかし、猫がいなくなったことを知って驚いた私は、もうぼんやりしていなかった。「ぶるーたすおまえもか…」って電源オフした後「やっぱ…」てオンして、無駄だと悟り、ポケステ投げ捨てようとしたり、友達に電話したいけど、「猫がいなくなったー」なんて狂気の沙汰だわ、と思い、そもそもその湖の上は圏外だということに気づいて、ガンガン漕いで岸に戻って、ベンチで昼寝してた友達を起こし、東京へもどった。

あのときの感情の起伏というのは、確かに生きてる感じがした。相手が人工無能であっても、そうやって気持ちを動かす事が出来るというのは、すこしふしぎで、でもたとえば twitter の中にそのような人工無能が混じっていても、私には気づける自信が無い。

そもそも気づく事が必要なのかもわからなくて、そこに書かれている文字が、読むものにとって意味を成すならば、それは意識(のようなもの)を帯びているのではないかと思う。

なんてことをぼんやり考える。話がそれたな。

ところで私は、昨日、出くわした人のことで、まだ動揺している。その様子は、ちっとも変わっていなくて、見た事のある服で、相変わらず手ぶらで、ポケットに手を入れて肩をいからせて、歩いていた。その様子があまりにもあの頃のままで、しかし私は自分がずいぶん変わってしまったことを自分だから知っていて、だからそれは、どうもの挨拶をかわすことのできるキオスクのおばちゃんより遠い。いなくなってしまった猫の姿に、カルピスのおまけとして出会うことと同じくらい、異なっている。

つまり、この出来事をこんなふうに、客観的に思い描き、アウトプットする気持ちの揺れを楽しめている時点で、わたしはわたしじゃなくなっていたのだ。

それってどんな気分なのか、どちらのわたしも好きだったカルピスウォーターを飲みながら、考える。よくわかんないけど、とりあえずここは、いい気持ちだった。

どこでもいっしょ

どこでもいっしょ

2007-05-27

[][] スケルトン イン ザ クローゼット/岩本ナオ

岩本ナオさんの初単行本。とてもよかったです。

スケルトン イン ザ クローゼット (フラワーコミックス)

スケルトン イン ザ クローゼット (フラワーコミックス)

「Yesterday , Yes a day」が長編だったのに対し、この「スケルトン イン ザ クローゼット」は、表題作を含む連作と、短編を集めた一冊だからか、かなり印象が違った。

一作づつの、エピソードの積み重ねが、とても練られたものであることを感じるし、複数の登場人物をたくさんの時間と場所で動かしながら物語がこんがらがらない。読むのに時間かかるし、情報がたくさん詰まっているのに、解放されるタイミングがうまくて、どきっとする。

それから、先日「Yesterday , Yes a day」をよんで、キャラクターが印象にのこる、と書いたけれど、この本でもやはり登場人物たちの描かれ方が、背景まで感じさせるものになっている。

たとえば、「スケルトン〜」第二話で、雪の日に、キオスクのおばちゃんから傘をもらう場面がある。会話の途中の回想シーンとして描かれるのだけど、直接的なつながりはないのに、彼がそこでそれを思い出す、ということで、人物としての奥行きを感じることができる。つまり、物語の解説としてではなく、人物の背景として情景がいきていて、その描き方だけをとっても、私はこの漫画家さんを、特別に好きだと思う。

[] 渋谷ぶらぶら節

家を出ると、それまでブロック塀にしがみついていたカナヘビが、長いしっぽをくねらせながら日陰へ潜るのが見えた。かがみこんで顔をのぞき見ても、彼(もしくは彼女)はじっとしたままで、その目はどんなふうに、わたしを見て/もしくは見ていないのだろうかと思う。写真をとっても微動だにしなかったが、日陰だったせいでうまくうつらなかった。

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バスにのる。駅前のパン屋をめぐったのち、電車にのって渋谷へゆく。店をめぐり、半そでやキャミソールや薄い生地やらレースやらについ手がのびるのは、夏がきている証拠だわなんて納得したような頭で、妹はサンダル、私はデニムを買った。シャツも買った。たぶんお互いに金欠なくせに散財をしてしまったことにちょっとした罪悪感と高揚感を覚えつつ、喫茶店に入り同じケーキ選び、同じタイミングで甘さにぞわぞわしてしまったので、これは血のつながりと関係あるのかと一瞬思ったけれど妹はカレーが好きじゃないので(そして私は大好きなので)味覚は関係ないだろうとすぐに了解する。パルコの前で大きなバイクをみかけ、そういえばあそこのライブハウスに行ったとき、私はチェックのシャツをきていたのだけど、あのシャツはどこにいったのかなということと、その日、一緒にいた人のことを少し考える。

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妹と別れた後は、私がカレーを好きであることの証として代々木公園にいくつもりだったのだけど、予想以上にケーキが胃にこたえたので、予定変更して本屋に行き、積んである本が山ほどあるにも関わらず漫画を買い、それを喫茶店で読んだ。コーヒーの濃さと、読んだ漫画のすばらしさに少し動揺しながら道を歩いていたら、さきほど思い出したばかりの人にばったり出くわしてさらに動揺する。その様子はあまりにもあの頃のままで、でもだからこそ遠いなということを思い知ったりもして、それなのに、帰りの電車では、でも気分が浮き沈むと生きてる感じがする、なんて考えていて、どうしようもない。

ほんとにどうしようもないが、私の明日はとりあえず続く。

[] きのこ!

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渋谷にいったついでに、ロゴスギャラリーでやっているキノコ

*1を見た。キノコ絵柄の切手がたくさん展示されていて、そのあまりのかわいさについ、切手収集をはじめてみたくなるも、自分の、ひとつのことを続けることのへたさもよく分かっているので、いつかねと思いながら、後にした。

2007-05-26

[][] ラヴ・バズ志村貴子

1、2巻の感想かいたとき完結してるって知らなかったから、3巻よんでびっくりした。

ラヴ・バズ 3 (ヤングキングコミックス)

ラヴ・バズ 3 (ヤングキングコミックス)

なぜプロレスをやるのか、という自問に「知らん、」と放り出す藤はたぶんきっと言語にすることにこだわらないタイプで、試合前の「このさ ドッドッドって 鼓動がはやまってく感じがさ やっぱたまらんよね/p40」という台詞のように、感覚的なものに支えられてるからこそ、よわくてつよい(まあおおむねよわい)、しなやかさがあるのではないかと思う。

23話、回想シーンのなかで色ボケに逃げる藤は、その言語化できないぶぶんを恋人にたくしてるような気がする。でもそれは、言語化とおなじくもろいもので、つまり「私のどこがすき?」*1という疑問に答えてしまうことで、それ以外の可能性を浮かび上がらせてしまう矛盾、と似ているんじゃないだろうか。

でも結局、藤はゆりが好きで、ゆりに認められたくて、でもゆりに夢中になってしまうのが(それは負けを認めることになるようで)こわかったんじゃないかなと思う。でもこう、ガツンとやっぱかっこいいゆりが、自分を見てくれたときの、そのときの藤の顔ったら! 具体的にいえば3巻の180ページのことですけど、ここ見て、あー「ラブ・バズ」は、「おおきく振りかぶって」にちょっと似てるなと思ったりした。顔のことじゃなくて、関係性にささえられる「好き」の多幸感っていうのかな。

だから頑張れる、っていうものがあるのは、うらやましいなと思いました。

[] ビールのおいしい季節になってきました

金曜日。帰りに友達のやってるお店に行き、ハーゲンダッツドルチェのおいしさを力説しながらビール。そんなにいうなら買ってこいよといわれたので買ってきてビール。おいしそうな顔を見ながらビールを飲んだ。満足。つい飲みすぎて、送ってもらう車の中で眠ってしまった。

土曜日。起きてしばらく、今日が何曜日だったのか思い出せない土曜日。起きて、布団干して仕事に行って、ご挨拶してまわる。夕方にあがったのでいろいろ回ろうと思ってたのに、久々に方向音痴を発動して、見知らぬ道を歩き回るはめになる。猫には逃げられる。ヒールだしもう歩けない、と思って神保町さぼうるでビールと読書。明日こそは衣替えしようと思いながら、そう思ってるうちにきっと、季節が先にきてしまうのだということもわかっている。そもそも、ビールがおいしいということは、もう出遅れているということなんだ。きっと。

[] Release The Stars/Rufus Wainwright

Release the Stars

Release the Stars

ルーファス・ウェインライトの5枚めとなるニューアルバム。セルフ・プロデュースですが、エクゼクティブ・プロデューサーとしてPSBのNeil Tennantも名を連ねています。

『WANT』二部作が絢爛さと退廃を臭わせるクラッシックな雰囲気だったのに対し、今回はシンプルながら力強いルーファスの音楽になっていて、それでもペルシャ絨毯かビロードかという差であり、このしっとりとした上品さがやはりルーファスなのだなと思う。オーケストラぽいものからほぼピアノだけだったりバンドだったり、演奏自体はかなりバラエティに富んでいるのだけど、彼の声がのるだけで、空気がかわる。なつかしい、粒子のあらい、けれどきらびやかなテレビを見つめているような気持ちになる。

それは例えば、はじめて「オズの魔法使い」を見たときの気持ちでもあって、CDにはさまっていたルーファスがジュディ・ガーランドを歌ったというイベントの、CD&DVD発売のお知らせを見て、ああこれ見なきゃ、と思う。

2007-05-25

[] 「Keep Breathing」/The Durutti Column

最近はずっとこれを聞いています。

それはもちろんフジにくるというニュースを聞いたからで、とうとうチケットもとってしまったから勢いで感想をかこうかな、と思ったりしたんだけど、いざ言葉をさがそうとすると、うまくみつからないのね。それはこの音に付随する風景があまりにも鮮明だからで、そういう音楽っていうのはほかにもいくつかある。

Keep Breathing

Keep Breathing

The Durutti Column をはじめてきいたのは大学生のころで、去年でたこのアルバムをきいて、最初に思い出したのもやっぱりその頃のことだった。たぶん、わたしにとってヴィニさんのギターはそのときの音で、それはちょうどこのくらいの季節で、窓の外の緑や光やその日のこれからと一緒に、音が流れているのが見えるようで、こうぐっと、引き戻されそうになる。

けど、ふと立ち止まってみれば、この音は私がはじめてきくよりずっと前からあったのだということを思い出せる。あっちから、こっちまで、ヴィニさんの手にずっと続いてきたって知ることはとても心強く、この音を今に、更新できるような気がする。そんなアルバムだった。 “Keep Breathing" というタイトルが、またすてき。

瑞々しく、光があたってもひんやりとしているわき水のような、音。

[][] Yesterday , Yes a day/岩本ナオ

Yesterday,Yes a day (フラワーコミックス)

Yesterday,Yes a day (フラワーコミックス)

田舎の、高校の、兄妹と幼なじみと。のどかな日常。どんな話なのかうまく説明できないし、ストーリーじたいは読み終えると溶けてっちゃう気がするんだけど、キャラクターとその場の印象はしっかりのこってる。

それはきっと、登場人物たちに流れている時間が、画面に描かれてる部分だけじゃなく感じられるからなんだろうな。

ルイちゃんがすきです。

2007-05-23

[][] 光の海/小玉ユキ

光の海 (フラワーコミックス)

光の海 (フラワーコミックス)

人魚のでてくるおはなしが5つ収録された短編集。ここにでてくる人魚は、近くて遠くて、いることはみんな知っているけれど、でもあまり目にしない存在として描かれていて、人のようだけど人じゃない。その距離感がまず新鮮だった。

この人魚が、子どもにしか見えない生き物や、ロボットや、宇宙人、そういうものと異なっているのは、その位置づけが、まるで人と人との関わりのように、ひとつひとつの短編ごとに独立して描かれているからなのだと思う。

同時に、全ての物語で人魚は主人公を映すものとしてあらわれる。

なりたかった自分が、こうふと水面から顔を出すような、手を伸ばした先にあるきれいなものみたいなイメージが、この物語たちを切なくいとおしいものにしているなぁと思いました。

サーフィンするお坊さんの姿にやられた「光の海」、「波の上の月」は人魚の男の子と人間の女の子それぞれの気持ちを理解しあうことで外へ出ていくおはなし、「さよならスパンコール」は、人魚の友達の話、ここで描かれる女の子のかわいさは、ああ人魚だからこそこの絵になるんだなあってもので、「水の国の住人」は、人魚と人間の共存について触れつつ、最終話らしいすてきな終わり方。

一番好きなのは「川面のファミリア」。これは唯一、言葉の通じない人魚のお話なんだけど、その表情がとても魅力的だから、それだけでじゅうぶんに伝わる感じがする。結末がとてもすきで、この最後のひとコマが、読み終えたあともずっと、余韻としてのこっている。やわらかであたたかくて、いいものに触れたみたいに。

ちなみに作者の小玉ユキさんは、これが初の単行本とのことですが、デビューはCUTIE COMICだったらしい。ああー多分読んでたんだろうな。こういうとき雑誌感想かいておけば良かったって思う…。

[] 夢だけど、夢じゃなかった

昨晩、いつもより早く眠ってしまったせいか、今朝は目覚ましより早く自然と目が開いて、目が開いているのに、夢の中の楽しい気分を引きずっていた。

それからばたばたと出勤し、会社のPCを立ち上げて、でもやっぱりねむいな、なんてあくびをかみ殺しながら、今朝の夢は楽しかった、ということをぼんやり思い返していたら、ふとそれはほんとうだということに気が付いた。

その楽しい気分は、昨日の飲み会楽しかったな、とか思うときのそれとかわるところがない。逆に、悲しい夢を見たときの悲しい気分は、悲しい映画を見たときに感情移入しておこる悲しさとは少し違う。楽しさとは重なるところがあるかもしれないけれど、それは「楽しい」という気持ちの方が悲しいよりも体験に近いからなのではないかと思う。そして夢の中では、感情移入は、たぶんしない。したことがないような気がするから少し違う、と感じるだけで、感情があったというところではかわらない。

つまり、夢もまた体験だ、といえるんじゃないか。もっといえば、過ぎ去った過去は夢も現実もすべて等しく体験であって、感情というのはそれに付随しておこる、なにやらよくわからない現象のようなものなんじゃないか。

生活をしていると、感情こそが自分だと思うことがあるし、実際に感情によって動かされているような気がするのだけど、感情というのはそのように、自分から遠い夢のようなもので、それに動かされている私は、それを感じることができる唯一であり、しかしそれに関与することはできない。というより、それがおこることこそが、驚くべきことであるというか、ある、に触れることなのではないかと思ったりした。

[] もうすっかり夏みたい

ichinics2007-05-23

きょうできることをあしたに送り続けているうちに、いつのまにか夏になってしまった。また夏がきた。あちこちにバラが咲いている。「アレックスタイムトラベル」を読みたいと思って読む。最近は私も図書館というものを覚えたのだけど、ない本のが多いし、近頃うわさの漫画レンタル屋さんは近所にないので本屋にいく回数はあまりかわっていなくて、相変わらず積んである山は崩れない。衣替えも終わってない。それなのにまた夏がきてしまった。かたづいてないけど、ごめんね、あがって、みたいななし崩しでなくて、もっときちんと夏を迎えたいと思うのに、毎年これを繰り返しているような気がする。

2007-05-22

[][] 少女革命ウテナ アドゥレッセンス黙示録

企画・原作:ビーパパス幾原邦彦さいとうちほ榎戸洋司長谷川眞也小黒祐一郎

少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録【劇場版】 [DVD]

少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録【劇場版】 [DVD]

すごいものを見てしまった。見てる間ほとんどポカーンとしてたと思う。そのくらい妙で、最初は劇場版だからかなと思ったんだけど、それを差し引いても様子がおかしい。

しかし、最初のコーラスの入るあたりで、ああこれは舞台なんだなとわかる。背景の掃けかたも、狂言まわしとしてのDJシーンも、コマ割りも、会話のテンポも、暗喩のような台詞も、気付けば宝塚の絢爛豪華さと現代劇の文法を融合させたような演出になっていて、様式さえ了解してしまえば、後はその物語が何をいわんとしているのかを見るも、様式の奇抜さを楽しむも自由になれる。

バラが豪快に舞い散る中、男装の麗人である主人公がお姫さまを獲得する為に戦う…。どうやらそれがこの世界のルールらしい。最初は違和感のあったビジュアルにもあっという間になれ、単純に見ていて楽しい。そして、その中に少女であり王子であるウテナの弱さや曖昧さ、迷いを滲ませる場面の作り方が、「わざとらしくて」良い。たとえば碇シンジの独白のように、言葉とともに脳内をさらけだすときの薄気味の悪さは、じつはそのキャラクターに対する気味の悪さではなく、物語がそのキャラクターの脳内に回収されていくような気がするからなのかも、なんて考えてみたり。

直接的な表現と、メタファーをそのままビジュアルとして見せてしまう。のねじれ具合が絶妙。とくにラストは圧巻。思わず「なんで!」といいたくなる演出が、文句を差し挟む隙もなく繰り広げられる。そして物語は意外な展開を見せる。物語があくまでも「お芝居」として描かれていたことの意味、ウテナが女でありながら王子だった意味、というかからくりが露になる。

いやーすごいアニメでした。こんなの見たことなかった。ただ、物語については、たぶんTV版を見た方がよさそうなので、見てからあらためて。

ちなみに音楽は寺山修司主催「天井桟敷」の音楽家J・A・シーザーさんが担当しています。「絶対運命黙示録」のインパクトがすごい。

冒頭の場面で、なぜか長野まゆみさんの「テレヴィジョン・シティ」を思い出したりしたんだけど、テレヴィジョンシティがどんなはなしだったかが思い出せない。

[][] かよちゃんの荷物/雁須磨子

かよちゃんの荷物 1 (バンブー・コミックス)

かよちゃんの荷物 1 (バンブー・コミックス)

どこへいくにもどっさり荷物を持参する、かよちゃん(30歳)の日常は、だらしなかったり適当だったりのんきだったり。

えー身につまされるところも多々ありますが、ドロドロしてなくていいなと思った。それはひとえに、かよちゃんのキャラクターのたまものであると思う。あんまり深刻に考えるということがない、けど、悩み事がないわけでもなく。このひとことで割り切れないキャラクターは、とても存在感がある。続きはないのかな。続いてほしいな。

9話めで大笑いしました。

とあっさり感想を書き終えて、でもまてよ、と思うのは、わたしもまたかよちゃんのように、最近思い悩むことがへってないか、ということだった。何もないわけじゃないんだけど、悩んでたことを忘れる。気分が移ろいやすく、考え事はしているけれど、それは悩みではなくて、頭の中はどうにでもなるという感じ、は年とるにつれ強くなっているような気がする。固まらない程度にしておきたいな、と思うんだけど。これは執着心がなくなってきたってことなのかな、とも、ちょっと思う。

[] ドライマンゴーヨーグルト

ラップのうえに、名前を書きなぐってね、これ、たべないでね!と忠告までしてケチよばわりされてやっと食べることができました。

いやーおいしかった。いきかえったドライマンゴーの弾力のある食感に、ヨーグルトはまるでプチダノンのようなこってりさん。スプーンもってうろついて母さんにも妹にもむりやり食べさせた。

漬け込んでる間に思った以上にヨーグルトが減るので、次はブルガリアのパックにまんま入れてみようと思います。いろんなドライフルーツでやってみたいなー。

ドラマンヨについて、くわしくは「月光ワルツ」さんの紹介を…

http://d.hatena.ne.jp/./xavi6/20070517%23p1

[][] ローリング

起承転結しない文章を読んで/書いてみたいなぁと思っていて、一文ごとは断片にすぎないのに全体になると何かが見えるような、手前と奥で別々のことが起こっているような、それはもしかしたら演劇のようなものなのかもしれないと昨日ウテナを見ながら考えていた。起承転結しないということはつまり、起を読みながら承転結を思い描いてしまう煩わしさ(もしくは簡便さ)から解放されるということ、ただ目の前で起こる事のみに集中するということ、集中してOKだというルールを提示するということ。と、そこまで思って、もしかしたらそれは流水先生じゃないのかと思った。いや違う。というかわたし流水先生の本は読んだ事がない。ただ、読み終わって、思わず投げた、という友達のハナシを聞いたことがあるだけで、でもハナシに聞くだけでそれはすげえなあと思ったりもしてて、なにがって、読ませることが。最後まで読ませて、しかも投げさせるということが。

私が投げたくなった本といえば、某俳優の小説という名のノロケ話のような「愛する事を恐れるべきでない云々」というやつ一冊きりなんだけど、そういえばこれもその流水先生の本を投げた彼女からもらったのだ。だったが、私の投げたくなった理由は彼女が流水先生のそれに感じたのとはきっと別の理由だと思う。他人のラブレターを盗み読みしてるようなおちつかなさ、感情移入するスキもない文章。しかし読み終えて(読み終えた自分に驚く)も実際に投げることをしなかったのはとよかわファンだからではなく(ではあるけれど)もっとずっと昔にあきらめていていたからで、だからやっぱりラストまで期待させておくことのできた流水先生はそれだけですごい。のかもしれない。読んでないからわからない、けどどっちにしろきっと違う。脱線し過ぎた。

断片を練り合わせて編んでひとつになって別の模様があらわれる文章。私の思う起承転結から解放される文、のイメージに(思い描けるもののなかで)一番近いのはたぶん古川日出男さんだ。あの文章は、なんというか、場と場と場を重ね、転しつづけるような文章。……と、いうことは、つまり終わらなければ良いのかもしれない。断片が重なって大きな物語に包まれる瞬間こそが、結になる? そして、さらに、結でどんな新しい起に繋げるかということが、枠を外す事に、なるんじゃないか。つまり、流水を投げたその瞬間こそが、次の輪にジャンプする、結であり起であるのだろう。

なんて、ダラ書きしてみたくて勢いで書き始めたらなんだか先生にしつれいなハナシになってしまったけど、べつに嫌いなわけじゃないです。ただ、起を読みながら、起だけを楽しめるような、起承転結そろって初めて意味をもつような、そんな文章をさがしてる。

toukatouka 2007/05/22 04:08 いまからTV版追いかけるのもちょっとなぁ。でも映画版だけ見てよいものか…と、ずっと思案していたので助かりました、そのうち映画版借りてきて見てみますって、テイのいい弾よけ代わり?(笑)。
須磨子先生の御作はほんとにすばらしいですよね。このなんともいえない絶妙なトーンが、ある任意の(奇跡の)一作でとどまらず、タイトルが変わってもずーっと引き継がれていて、しかし特別になにか技術があるようには見えないってのが。
漫画が上手くなると必ず削ぎ落とされてスタイリッシュを志向してしまうものが、ずっと削ぎ落とされないままスタイルになってしまって、またそれが受け入れられる。人柄がここまで漫画に現れて揺らがない人を私は知りませんね。こういう人と日々暮らせたら幸せだろうなーって思います。

ichinicsichinics 2007/05/22 09:14 ウテナ、雰囲気を見るだけなら映画版で十分かなと思います。けどそぎ落としてる部分がかなり大きそうでもあり…。ナデシコおわったらTV版見る。見たいな、と思わせる劇場版ではありました。最初ほんとあの絵?と思って見る気しなかったのになぁ。
須磨子先生は、私もだいすきです。かよちゃんも好きです。そして、このかよちゃんにあるブレなさみたいなものは、でもやっぱり絶対に出さない部分があるからなんだろなとも、思います。そこがやさしさ(?)というか…整頓されることとは別の上品さがあるよなと、そこを好きだなと、思っています。

2007-05-20

[][] 流れ星が消えないうちに/橋本紡

流れ星が消えないうちに

流れ星が消えないうちに

橋本紡さんの本を読んだのははじめてで、しかも恋愛小説を読んだのも久しぶりだったから、なんだかちょっと照れくさい。でも、すごくすんなり入ってくる、酔いざめの水みたいな文章は、読んでいて気持ちがよかった。

物語は、恋人を亡くしてから玄関でしか眠れなくなってしまった女の子、奈緒子と、その恋人、巧、二人の視点から交互に描かれる。旅先でなくなってしまった加地くんを間にはさんで向かい合う二人の、再生の物語、なんて一言でいってしまえばシンプルなのだけど、その道筋と思い出が折り重なって見えてくる部分が、そこにはいない加地くんの存在を色濃いものにしていて、ふたりが好きなそのひとを、いつのまにか好きだなと感じていたりする。

いなくなってしまった人を、思い出すことでつながっていく様子が、よかったです。

ただ、この作品のように、視点が交互にかわる物語では、冒頭にくるキャラクターに感情移入しがちなのだけど、この作品の場合、読みながら私が感情移入していたのは冒頭の奈緒子ではなく、巧くんだった。ラストが奈緒子で終わっていることからも、あくまでも主人公は奈緒子なのだと思う。けれど、その割には彼女の巧くんに対する心が、すこし分かりづらいようにも思えて、巧くんに感情移入している自分としては、すこし寂しく思ったりもした。

ところで、カジくん、という名前のせいか、読みながらずっと頭に浮かんでいたのは南Q太さんの「スクナヒコナ」だった。あの、カジくんの場面は衝撃的だったけど、すごく印象に残っていて、なんか切ないです。

[][] タビと道づれ/たなかのか

タビと道づれ 1 (BLADE COMICS)

タビと道づれ 1 (BLADE COMICS)

「その街は、同じ夏の一日を繰り返していた。」という帯文を読んで、それなんてCROSS†CHANNELと思って買った。

読んでみたら全然違ったのだけど(あたりまえ)、このお話はむしろ「同じ一日」というより、出ていけない街の方に面白さがあって、通行証を集めて目的地(まだどこかわからないけど)に向かう、道筋もできてるし、今後が楽しみです。

ところで物語の舞台となるのは「緒道」という街で、たぶん尾道なんだけど、「かみちゅ!」にしろ「アニメがお仕事!」にしろ、尾道が続くなぁ。あ、「タビと道づれ!」だったらさらに繋がったのか。

2007-05-19

[][] メガネ越しの秘密基地/「電脳コイル」1、2話

時は202X年。

今よりもちょっと未来。

子供たちの間で“電脳メガネ”が大流行していた。この“電脳メガネ”は、街のどこからでもネットに接続し様々な情報を表示する機能を備えた、子供たちになくてはならないアイテムだ。現代の携帯電話のように普及し、ほぼ全ての子供が持っている。

舞台は由緒ある神社仏閣が立ち並ぶ古都でありながら、最新の電脳インフラを擁する地方都市「大黒市」。

公式サイト(http://www.tokuma.co.jp/coil/)より

最初にタイトルを聞いてビジュアルをみたときからぐっときてて、その後、監督/脚本/監督は磯光雄さん、しかも制作はマッドハウスってことで期待値は相当高まってたものの、最初のシーンからあっという間にもってかれた。面白いです。

監督が、押井守監督作品やジブリ作品などの原画を担当されていた方だからなのか、動きや音の具合や一部キャラクターや動きがトトロっぽかったり(トトロすぎる気もしたけど)、「電脳」の扱い方が攻殻ぽかったりするんだけど、そういう好みのディテールが物語とがっちりかみ合っていかされてるアニメってなかなか出会わなかったような気がする。こういうのが見たかったんだなーって思う楽しさ。そのほか、いろんなアニメのパロディっぽい場面も、その世界が「今」の文化と地続きにある感じがして、少し懐かしい。あと、物語の雰囲気は、アニマトリックスの森本監督作品「ビヨンド」にも雰囲気近かったな。「秘密基地」の解放感と「秘密」にわくわくする感じが動きであらわされてるのが「ビヨンド」だとしたら、「電脳コイル」はメガネをとおして世界が「秘密基地」になっている。

とにかく世界観がとてもよくできていて、説明を省いてもなんとなくわかるし、いきなり中に入ってなんとなく覚えていく感じが「子供の世界」の勢いだよなぁと思う。習うより慣れろ。

第1話は、大黒市にある祖母の家に引っ越してきた主人公、優子が電脳ペットである飼い犬「デンスケ」を救出するお話。いきなりトラブルに巻き込まれる疾走感のあるお話だったのも、引き込まれる要因だったと思います。

第2話は、ウィルスに感染したデンスケと彼を追うなぞの生物、そしておばあちゃん最強説。第2話ですでにキャラクターに愛着わいてる。

続きがほんと楽しみです。

[] 記憶でつながる

幼なじみの結婚式に出席した。

幼なじみ、とはいえ、一緒に過ごしたのは小学校の頃だけで、その後は1年に1回、会うか会わないかの関係だったし、会うたびに会ってなかった時間をうめるような会話をするには、長いこと離れ過ぎていて、どこかぎこちなさを感じてもいた。

だからなのか、今日は結婚式だというのに、私はいまひとつぼんやりした気持ちのままでいた。それがなかったといったら嘘だと思う。なにしろ、小学生の頃の記憶がほとんどだから、彼女がこれまでどんな恋愛をしてきて、家族になるその人とどのように出会ったのかも、私はほとんど知らないのだ。

それなのに、今朝、仲の良かったもうひとりと待ち合わせして、会場に向かう道すがら、三人が出会ったきっかけについて話をしていたら、そんな思いはあっという間に消えてしまった。

私たちがであったのは、小学校三年生のときに同じクラスになったのがきっかけだった。下校途中、道ばたに座り込んで長話したり、お互いの家に泊まったり、好きな人について話したり。三人とも絵を描くのが好きだったから、三人で漫画雑誌を発行したりもした。もちろんフル手描きなので、発行部数1だし、読者もお互いとその兄弟くらいだったのだけど、それでも10号以上は続いたと思う。おおむね妄想の産物でしかなかったけど、楽しかった。

そういえば、あの子は絵を描くのがうまかった。壁新聞に連載してた漫画が大人気で。初恋の彼を好きになった理由は泳ぐのうまいからだったでしょ、三人でチョコつくったな、告白できなかったんだよね、あの公園、まだあるかな、あるよこのまえ通った、また行きたいね、三人でね。日の出見にいったの覚えてる? もちろん、あのとき私たち、はじめて徹夜したんだよね。

そんな風に、記憶はどんどんつながっていった。

驚くほど鮮明な記憶が押し寄せてきた頭の中は、すっかり小学生気分なのに、ふと気付けば目の前には、ドレスをきたあの子がいる。照れくさそうな顔で、指輪を交換し、会場に深々と頭を下げるあの子の礼儀ただしさやさしさを、私はよく知っていた。

式のあと、披露宴の会場につくと、机の上にメッセージカードがあった。

そこには、習字を習っていたころとかわらないあの子の字で、私たちの「秘密」が書いてあって、そのあまりの懐かしさに私たちは苦笑しながらちょっとないた。向かいに座っている彼女の伯母さんも、カードを読みながらボロボロないていた。「うれしいですね」と声をかける。席に座っている全員が、誇らしげな顔で頷く。

彼女が覚えていてくれてうれしい。その彼女のしあわせそうな顔が、うれしい。

ああそうだ私たち、会ってなかった時間を埋めるんじゃなくて、もっといろんなこと、思い出せば良かったんだ。私が見てなかったことを見てる人がいて、あの子たちの見てなかったことを私はきっと覚えている。これはそうやって続くものだった、って、やっと気付いた。

f:id:ichinics:20061112134106j:image:h150

2007-05-18

[][] 『アニメがお仕事!』1〜6巻/石田敦子

アニメがお仕事! 1 (ヤングキングコミックス)

アニメがお仕事! 1 (ヤングキングコミックス)

面白かった! 久々に勢いで読み終えてしまった。

イチ乃と二太は双子の姉弟。幼い頃からアニメが好きだった二人は、東京で駆け出しのアニメーターとして日々奮闘を繰り返している。挫折し、立ち直り、また悩む、という繰り返しに成長の兆しが見え、また出会う人々の葛藤などを折り込みながら物語が進んでいきます。

業界ものとして読んでも、群像ものとして読んでも、立身出世ものとして読んでも面白い。「編集王」のアニメ版、というのが一番雰囲気がつたわりやすいかな。

途中までは、登場人物たちが挫折したとき、状況打破の糸口が常に「アニメが好き!」という気持ちに集約されがちだなーと思って読んでたんだけど、「アニメ」を選択するということにまつわる状況の切実さが描かれていくにつれ、それをはねのけるのにはやはり「好き」が重みをもつものなんだと思える。そのまわりに技術や経験を積み重ね、転がっていくうちにでかくなる。で、また簡単にでかくなれないとこが、ご自身もアニメーターとして活躍されてる石田さんだからこそ描けるリアルさなんだろうな(だからこそ恐ろしいドロドロな描写もあるわけですが)。

もちろん私は、ほんとのアニメ業界がどんなだか知らないけど、「動画」をやり続けたイチ乃がはじめて「動画チェック」を任されて、追いつめられてつかんでく感じとか、ほんどぐっとくる勢いがあります。

仕事にしたらもういい訳もできない

道はたくさんはない

うまくなるかそうでないか

うまく?

どうやってなるの?

#12

こういう台詞とか、ほんとつらい。けどやりたい、っていう気持ちもいっぱいつまっていて、だからこそ切実に感じられる。

「自分がどうあがいてもたどり着けない場所があると思ったなぁ

そういうのない?」

「……ありますけど……」

「天才ってのはいるよなあ」

#22

大きく頷きそうになる。けど、確かにそのとおりなんだけど、折れてしまう人もいる中で、こういう台詞に引きずられずに、ふんばるところが、この主人公の魅力だなと思うし、踏み止まるにはやっぱ「好き」が力になるんだっていう説得力につながっている。

6巻の最終話の彼女が感じてるみたいに、イチ乃だけじゃなくどの登場人物にも、見てて(読んでて)イライラする部分は少なからずある。でも、自分を成長させるのは、自分だけ、なんだよなぁということを分かっていても、いろいろ引きずられてぐだぐだになる登場人物を応援したくなるし、そういう、情けなかったり汚かったりずるかったりする部分も含めて、成長する、というのがこのお話で作者のこだわってるとこなんじゃないかと思います。

6巻の、湯田上くんの電話で泣きました。見ててくれて…ありがとう!!

アニメがお仕事! 6 (ヤングキングコミックス)

アニメがお仕事! 6 (ヤングキングコミックス)

[] 名前がないと消えてしまう世界それは冷蔵庫。

ドライマンゴーをヨーグルトに入れて一晩冷蔵庫に入れといてから食べるとウマいよという話をついったーで聞いたので、早速ドライマンゴーとヨーグルトとかってきて、深夜に台所でマンゴーを刻み、ヨーグルトにまぜ、ラップにかけて冷蔵庫にINしておいたのですが、起きてみてみたらないのね。ヨーグルトパックごと。

そういえば我が家の冷蔵庫ではときどきそういうことがおこるのです。ちょっといいとこのケーキとか、アイスとかね、あとで、と思って楽しみにしてるものに限って、冷蔵庫にいれると消えちゃうんです。不思議ですね。

だから、マンゴーヨーグルトが消えた日も、またか、と思ってあきらめていました。しかし、冷蔵庫を閉めようとしたそのとき、私は冷蔵庫の中に見なれぬものを見つけたのです。

牛乳の上の、浅いポケットにささってるのは、なんと黒いマジックでした。

私は首をかしげ、お母さん、こんなところにマジックがあるよ、といいました。すると、お母さんはそのペンで、大好物の高級キムチの瓶に名前を書きはじめました。「これで名前を書くと、冷蔵庫の中から消えないのよ」

そんなマジックがあったなんて、私は全然知りませんでした。お母さんはなんて物知りなんでしょう。

私はさっそく、もう一度ヨーグルトを買ってくると、ドライマンゴーをそのまま食べてしまいたい気持ちをぐっとこらえ、刻んでまぜて丁寧にラップをかけ、そのうえに名前を書きました。

明日の朝、ヨーグルトが消えていなければ、マジックは成功です。

2007-05-17

[][] パラダイス・ナウ

ichinics2007-05-17

監督:ハニ・アブ・アサド

イスラエル軍の占領下にある町、ナブルスを舞台に描かれる2人の青年の物語。

彼らは貧しい。四方を囲まれた息のつまるような町に生まれ、その町から出てゆけないことを知っている。

ある日、彼らは自爆攻撃の「殉教者」に選ばれる。たんたんと準備がすすめられ、胴体に爆弾が、自分では外すことができないという説明とともに、巻かれる。その光景は「死」を前にそれぞれが目をそらしているかのようだ。

死んだら天使が迎えにくる。天国にゆける、英雄になれる。

そんなことは「頭の中」にしかないとわかっていても、囲われた町の中にいるかれらにとっては、「ここ」から出ること、「いま」をかえることがたいせつなのだ。きっと。でもそれが、生よりすばらしいものではないということも(バチあたりだと思いながらも)わかっている。それでもハーレドは「地獄で生きるより頭の中の天国のほうがマシだ」という。

彼らが加害者と被害者の役を同時に演じるなら

僕らもそうするしかない

被害者であって

殺人者となるしか…

この台詞にもあらわれているように、映画の視線はパレスチナ側にありながらも、同時にイスラエルのひとびとひとりひとりにも物語があることをきちんとしめしている。

ラスト、テルアビブの町に着き車を降りた場面で、私はイスラエルの豊かさに驚いていた。高層ビルがたちならび、ビーチで遊ぶ人々がいる。殉教者となるしかなかったハーレドたちには、そこに立ってみてもなお手の届かない遠い世界だった。

この映画を見る前に、私が思い描いていた「自爆テロに向かう心境」は、むしろ宗教的高揚感のようなものだった。その方向から想像しようとしていた。もちろん、この国に様々な人がいるように、パレスチナにも様々な人がいて、その中の戦う人の中にも、さまざまな人がいる。ということは頭では理解していたつもりだったけど、様々であるにもかかわらず、戦うことを選択してしまう/選択せざるをえない、ということについて、傾向をもった答えを想像しようとしていた。

けど、そうじゃないんだな。

事件を解決したり防ぐ目的として、傾向を見出すことには利点があるだろう。しかし、そのことによって、自分を「それ以外」において安心して、おしまいにするのでは何もだと思う。いくら属性を組み合わせてもそこから人は生まれない。相手を知るには、相手について考えるのではなく相手が何を考えているのかを知ろうとするべきで、関わってみればきっと、共有する部分もあるはずだ。

テルアビブの「豊かさ」を見渡す場面で、私は確かに「うらやましい」と思った。ハーレドではなく、私が。

人を理解するというのはすごく難しいことだけど、共感することはできる。相手は自分と同じ「ひとり」だというただそれだけをこの映画はいっていたと思う。相手にも生活があるとか子供がいるとか笑う食べるとかそんな当たり前のことだけじゃなく、その感情を身近に感じることはできて、だからこそわからなくなる。ラスト、自分が彼だったら、どのようにふるまえばいいのか、わからないままでいる。

アップリンクはちょっと遠いけど、DVDとかでるかわからないし、とおもって見にいった。いってよかったです。もっとゆっくり感想かきたいんだけど、でももうすぐ終わっちゃうから、取り急ぎ。

公式HP → http://www.uplink.co.jp/paradisenow/index.php

けばぶたろけばぶたろ 2007/05/17 13:25 こんにちは。いつだったかの自分のレビューにも書いたのですが、あなたがテロリストであってさえ理解不能な他者なのではなく、あなたと私の立場はいつだって入れ替わる可能性にさらされているんだ、そういう共感するためのレッスンみたいなとてもいい映画だったなーと、ichinicsさんのレビューを読んで思い出しました。しかし、あのテルアビブのリゾートっぷりといったら!

ichinicsichinics 2007/05/18 02:08 けばぶたろさん、こんばんは。コメントありがとうございます。このような題材を扱うときに、たとえば壁を通して向き合うようなやり方で描かれた物語はこれまでも見てきたしそれに私は感動もしたのだけど、この映画の場合は、様々な対応が対応ではなく、あるかんじが新鮮でした。とくに主役二人。このようなとらえかたをしてもいいのだ、できるのだ、と思えるのは心強いです。
しかし、テルアビブにはほんとおどろきました。それもあのナブルスでの風景があるからこそなんでしょうね。

2007-05-16

[][] 『未来日記』1〜3巻/えすのサカエ

未来日記 (1) (角川コミックス・エース (KCA129-5))

未来日記 (1) (角川コミックス・エース (KCA129-5))

自らを「傍観者」と称し、携帯電話に「目にしたこと」を日記として書き続ける少年、雪輝。そんな彼がある日手に入れた特殊能力は「予知日記」だった。そして12人の日記所有者によるサバイバルゲームがはじまる。

ゲーム参加者はほんともうしょっぱなから臨戦態勢、物語もガンガン進んでいくので、この調子で進んだらあっという間に終わっちゃわないか?とよけいな心配までしてしまいます。

が、この漫画が面白いのは、お話ももちろんなんですが、やはりヒロイン我妻由乃の魅力によるものだと思います。彼女も雪輝と同じく日記所有者なのですが、その日記に書いてあるのはユッキー(雪輝)のことだけ。私の日記は「雪輝日記!」とか啖呵きったりしますが、つまりまあストーカーなわけです。ストーカーなのにかわいいというギャップ萌え(今日覚えた言葉)です。

あの、ひぐらしでレナの目がかわる瞬間、こわ! と思いながらもそれをもっとみたいと思い、しまいには「次はいつきれるんだろう」と心待ちにしてしまうような気分。(実際、2巻はあの「鬼隠し編」が元ネタと思われるおそろしい名場面もあります)

ユッキーが私とデートする事になる。

こんな日がくるなんて夢みたい。

なんてかわいらしい日記を書いてる由乃は、一晩に40通もメールを送ってくるわ、すぐ斧もって走り回るわ、「私を選んで“生き延びる”か 6thを選んで“死ぬか”」なんて選択を迫りながらアハッと笑うわ、まあほんとに恐いのですが、ユっキーもユッキーで、三巻にいたる頃には相当感化されてしまっています。

由乃は実際異常なのかもしれない……

でも……

それ以上に確かなのは……

僕のことが好きで守ろうとしてくれてたって事だ……

いやいやいや。と思わずのけぞったりしつつ、でもこの「信頼感の芽生え」が今後の展開に大きく作用してきそうでもあり、続きがとても楽しみです。

しかしなんで自分が由乃みたいな女の子にひかれるのかはよくわかんない。これ、男キャラだったらどうなのか、ってちょっと考えてみたけど、由乃みたいに「異常」でも、主人公と(一応でも)関係性を築ける男キャラってほんと思い付かない、というかちょっと形が違うかなという気がしている。

 参考

たまごまごごはん - 「未来日記」から、「萌え」世代のモンスターについて考えてみる。

未来日記 3 (角川コミックス・エース 129-7)

未来日記 3 (角川コミックス・エース 129-7)

2007-05-15

[] BeyondDinosaur Jr

Beyond (Dig)

Beyond (Dig)

会えると思ってなかった人に会えるときいて、ためらう気持ちがなかったといえば嘘になるけども、そんなのがばかばかしくなるくらい、距離はあっという間に縮まった。笑っちゃうよ、うれしくて。

音楽雑誌とか買うのやめちゃったので、どういう経緯で再結成、しかも J、ルー・バーロウ、マーフのオリジナルメンバーアルバム制作にいたったのか知らないのですが、つんのめるギターで幕をあける「Almost Ready」の拡散する音と声、「Pick Me Up」のながーいギターソロに「Been There All The Time」の疾走感、Jの揺れる声にくらくらして、「We're Not Alone」終盤のギター!「Lightning Bulb」のドラム! このアルバムの音はまんまあのときの続きで、違うのは私がもう出会った頃の十代じゃないってことだった。あんなに繰り返して聞いた、親密な音だったのに、いつしか家でダイナソーをかける日も減って、Jの近況にもすっかり疎くなって、気付けばずいぶん遠くまできていた。

それなのに、今このアルバムを聞きながら、私は追いかけているような気分でいる。

だって何年ぶりなの。ダイナソー名義では10年、オリジナルメンバーでは18、19年ぶりくらいだっていうのに、この音が聞けて、しかもそれがすげーいいって思えて、しかもそれがひいき目でなく素直な気持ちだなんて。ちょっと泣いてもいいですか。

[][] 「ほとんど記憶のない女」/リディア・デイヴィス

ほとんど記憶のない女

ほとんど記憶のない女

ぜんぶで51の短編小説がおさめられたこの本を読みながら私が考えていたのは、はたして自分には本を読むことができるのだろうかということだった。そもそも文章を読むとはどういうことなのだろうか。文字になっていることをそのまま受け取るのが正しいのかその奥にあるものを見るのが本当なのか。私は鈍感になっていないか、それとも鈍感でいるべきなのか。

しかし読んでいるうちに、この本はそれでいいのだと、どこに思いがあるのか、手探りしながら読むものなのだと、思うことができて、それもまた正解なのかはわからないけれど、文章がめくれて内側に入り込むような感覚を楽しみながら本を読むことは自由だと思った。

そのころの私は四六時中考えてばかりいて、考えすぎる自分にうんざりしていた。他のこともしたが、それをしているあいだも考えていた。何かを感じても、感じながら自分か感じていることについて考えていた。自分が考えていることについて考え、なぜそれを考えるのかまで考えずにいられなかった。もしもカウボーイと結婚すれば、それで私の考えすぎが止まるような気がした。「大学教師」p20

[] 喉元のことば

「伝えるべきことは伝えられるうちに伝えるべき相手に伝えればいいのに」と、ある人に言われたのがずっと頭に残っていて、それを心掛けたいと思っているのだけど、伝えたい気持ちをどうあらわすのかが、じつはいちばん難しいような気がしていて、伝えることを試みてもいつも、ぜんぜん足りないと思うのだった。

かといって言葉を尽くしてもよけいなものがまとわりついてしまいそうだし、それが、要求になってしまわないように、とか、もっとそっと(豆腐をすくうみたいに)、って思うのは影響を与えたくないということなのかもしれなくて、じゃあそもそも伝えたりしようとせずに、ただ享受し続ければいいじゃない。と、しばらく目線を固定しつつ考えてみて、でも、やっぱり外に出したいなにかがあるのは、たぶん、きっと、喜んでもらいたいんだねと気付いた。

たしかに、それは、ちょっと図々しいことなのかもしれない。けど、でも、そう。とめてしまうんじゃなくて、少し送れるような。わたしがたくさんもらったみたいに、例えばそれがほんの少しの燃料に、なれたらいいなと思うのだ。もう少しつづをつなげてほしいっていう、要求が(それはやっぱり要求で)あって、だから私はぐずぐずと言葉をいじりながら、伝えたい気持ちをどうあらわすのかが、じつはいちばん難しいような気がしている。

もしもカウボーイと結婚したら、わたしのこの意気地のなさも止まるのだろうか。

2007-05-13

[][] スパイダーマン3

ichinics2007-05-13

監督:サム・ライミ

シリーズ第3作目。

浮かれ気分と若干の驕りで彼女の失意を見過ごし、それによって生まれた誤解、自暴自棄が悪意を呼び、あっちこっちに敵が現れる。てんこもり映画でした。

相変わらずトビー・マグワイアのオタク青年ぶりがすばらしい。憧れの女性を恋人にしてけっこう経つにもかかわらず、ピーターは未だに「MJが好き!」な自分と「オレMJの彼氏!」ってだけでMJが自分を好き、っていう部分があんま見えてない。だから「スパイダーマンと俺とどっちが好き?」みたいなことも思い付かないし、MJに嫉妬される場面では、これっぽっちもピンときてない。ただ、とんちんかんでも思いっきり素直なとこが、最終的にはには母性本能(的ななにか)をくすぐるわけで、しょっぱなから「もう、オタクなんだからっ」うふ、みたいな感じで、いちゃつくMJはきちんとくすぐられていると思った。

今回の見どころは、人の攻撃性を高める寄生生物にとりつかれた黒ピーター。ワルになっても、どこかぎこちなく、女の子に色目を使っていても、どこかこなれてないとこに「中身」の歴史を感じる。視線の奥に罪悪感がある。このピーターのキャラクター、存在感が、面白さの鍵だよなぁと思います。

このシリーズはアクション場面、ドラマ部分ともに緩急があって面白いんだけど、これまで一貫してドラマの中心だった、MJとハリーとピーターの三角関係には、今回の3で一応の決着らしくものがついた。正直グッときたし、友情最高! と思ったそばから、いまいち気の利かない台詞を返すピーターに苦笑したりね、もうすっかり愛着のわいてしまったキャラクターなのでこれで終わりになったら寂しい(という私もしっかりくすぐられている)。ぜひ続きも作ってほしいです。今回はピーターの成長が描かれてたけど、スパイダーマンとしてのスパイダーマンだからこその、悩みはまだまだこれから掘り下げられそうだし。期待してます。

あと今回は、アクションシーンも充実してて、特にラストの、上中下と縦のラインで複数の出来事がおこっているシークエンスがとてもよかった。落ちる!あがる!落ちる!飛ばされる!みたいな、縦横無尽の戦い。

それから新キャラ、サンドマンは、重さと軽さが同時にあるキャラクターで見ていて面白かった。けど、ピーターが秀才キャラのわりに、肉弾戦ばかりなので、知能線ぽいのも見てみたいです。原作にはないのかな?

ともかく、おもしろかったよ!

[] ははのひ

母の日ということで、弟の作ったちらし寿司と、私と妹が駅前の風月堂でひとめぼれしたケーキと、でちょっとしたお祝い(祝い?)をした。レモンとクリームチーズのムースのうえに、ホワイトチョコレートで作ったカーネーションが乗っている。母さんにケーキ持たせて、写真をたくさんとった。

f:id:ichinics:20070513211536j:image:h200

[] ヘイ君に何をあげよー

起き抜けに、ブォーンて、マックたちあげてそのまま、顔洗ったりご飯食べたり、でまたパソコンに戻ってきてネットをぶらぶらして、あ、このページいいな、あ、ラジオやってる人だ、って、それ聞きながら着替えたりする感じはとなりの部屋から聞こえてくるおしゃべりのような、遠いけど親密なもので、このひと好きだなー、ってしみじみしてたらふと、流れてきた音があんまりきれいでちょっとなきそうになった。というかちょっとないた。

なくってのは別にかなしいとかうれしいとか理由のあるものじゃなくって、たとえば窓の外ぼんやりみていて、ふいに、あーきれい、と思ったりするときのようなこと。うたた寝しながら、近くにいる人の笑い声聞こえて、幸せだと思ったりするときのようなこと。

そんな、あたりまえにあるけど、自分では押せないスイッチのようなものを、パソコンから流れるその音が押したことがうれしくて、その曲を作った人にお礼をいいたくなる。

でもどんなことばでそれをいえばいいのかわからないし、そういうことばかり考えていて何も言えなくなる私は勇気が足りないのかもしれない。くれよ、といいたいんじゃなくって、ただ勝手にもらってしまっただけのものに、感謝する言葉があればいいのに、なんてへたれたことを思いながら、けど待ってろよ、いつか、感謝とともに好きですと、言ってやるんだ、と誓う。

2007-05-12

[][] ラヴ・バズ 1・2巻/志村貴子

ラヴ・バズ 1 (ヤングキングコミックス)

ラヴ・バズ 1 (ヤングキングコミックス)

五年前、プロレスの試合中に逃亡したきりだった主人公が、子連れでジムに舞い戻ってくるところからお話が始まる。この主人公、藤は試合から逃亡するくらいの、まあ「だめなひと」なんだけど、そのへたれ具合がすごく新鮮。

女性が主人公の漫画で、だめな主人公のだめさというのは大抵恋愛におけるだめさであることがおおくて、仕事に身がはいらないとか、逃げたいとか、だりーつれーこえー、とか、そういうのあんまり描かれない。でもそれはあるんだよ、ということについて、志村さんの漫画はやさしい。

藤の、よーこちゃんやゆりに対するあこがれは、「乗り越えるべき壁」であると同時に、家族のような、近しい空気がある。でも、そこを「目標」とか、簡単に言葉をあてはめないで、なんでプロレスやるのか、「知らん」、と放り出せるところが面白い。つまり、物語のテーマみたいなところも、ある程度放り出してあって、装置としてある場が、物語を生んでいる感じがする。人を描くときに、その人が生活と結びついているところがちゃんと見える。

1巻の冒頭で社長のお父さんが亡くなるとことか、ふつう物語で人が死ぬことには「意味」がずっしりついてくるものだけど、ここは意味という必要性なんてなく、ただそれは起こって、藤が少しだけしんとした気持ちになる。こうだったから、こう描いたんだよ、といわんばかりの自然さで、第2話のえりかとお絵書きしてる場面とかもね、いいんだ。遠くじゃなくて、すぐそばにある話みたいで、だからこそ藤が好きになる。

人はそんなすぐにかわれない。でも、根性、ほしいなあって思う。

時系列に読んでるわけじゃないんだけど、どんどん志村さんの漫画好きになっている。これはたぶん、志村さんの漫画の文脈や語り口にある程度なれて、そしてそれが好きだということなんだろうな。

[] 飲み会ふたつ

ichinics2007-05-12

あたらしい靴を買ったので、早めに家をでて、町をぐるぐる歩く。

猫、とか、本屋、とか、に釣られながら、買い物すませて喫茶店で本を読んでいたら、昨日のこと思い出してちょっとへこんだ。会社の飲み会で、いわなくてもいいことをいってしまったのだった。発された言葉に対して返事をすべきなのに、その人がそれを言おうとしている理由の方に、返事してしまった。

まあ、向こうは覚えてないだろうしきっと酔い方に温度差がありすぎたんだろうな、なんてあのひとの真っ赤な顔思い出しながら、今後は気をつけようと誓う。

ただ、わからないことをわかるとはいえない、し、判断しなくてもいいことを判断したくない。ときどき、言葉に対する忠誠心みたいなものが、つまずくきっかけになるので、そのへん、もっとやわらかくなりたい。なあ。

夜は友達と焼き鳥。ビール飲んで、焼酎。よくしゃべった。最近好きな人ができたという友達が、その人を好きになった理由は、「ありがとう」といっているところを見て、その言い方にぐっときて、と話してくれたのがとてもすてきだと思った。相手は彼女がよく行くお店の店長さんで、その言葉はバイトさんに向けての言葉だったみたいなんだけど。で、しかも、バレンタインにチョコ渡して、メイル交換する間柄になったって。あるんだなあ、実際。

飲んだ後は、ひさびさにカラオケ。リンダ見た後遺症でブルーハーツ歌ったり、かつてモーのひとだった男の子にパフュを押してみたりする。

2007-05-11

[][] 世界を肯定する哲学/保坂和志

世界を肯定する哲学 (ちくま新書)

世界を肯定する哲学 (ちくま新書)

…私は、ただ私であるということだけで生きていたい。痴呆老人にでもなったら、望むと望まないとに拘らず、ただ<私>であるだけの存在になるのだ。私は、これまでの人生という時間が私の中に<蓄積>されているというよりもむしろ、それぞれの<場>に居合わせ、そこでそのつど<保坂和志>らしきものが結ばれてきた、という風に感じることの方が強い。/p187

この本を最初に読みはじめたのはずいぶんまえ、たぶん半年以上前で、なぜこんなに長いこととめていたのかというと、その頃ちょうど保坂さんのトークショウにいったからなのだった。単に、保坂さんの話しているところを見てみたいという気持ちで行ったのだけど、ほんの一言交わした言葉が強く印象に残ってしまって、文章に集中できなくなってしまっていた。それはちょっと不思議な感じだった。かといってそれは感情ともちがうのだけど、保坂さんの文章はとくに文を文のまま、他者を読むというよりは自分と読むというやり方を求めるもののような気がしていて、特にこの「世界を肯定する哲学」は、その断片的な印象(しかも更新される可能性はなさそうな)が薄れてからのほうが、読むのに適している本だろうなと思ったのだった。

そしてこの本を最後まで読み、「カンバセイション・ピース」で書こうとしていたのもそれなんだな、という結論(のようなもの)まで導かれて、やっと、あの印象というものが、何か意味のあることのような気がしている。まだうまく言葉にできないけれど、それはつまり上に引用した部分に近いこと。

それと同時に、先日書いた感想は、おおきく読み間違えているのでは、と感じる部分もたくさんあって、この本を書いた人が質問できる相手でないことがとても残念だと思った。でもまあいいや。考えるし、うれしい読書でした。

[] 「私のどこが好き?」について

前にどこかで「私のどこが好き?」とかいう質問に答えるのは難しいとかそういうのを読んだ気がするのだけど(そしてそれはわりと定番のテーマなのかもだけど)、その質問に対してもっともしっくりくると思えた回答がこれだった。

親子の関係ももちろん“差異の体系”の外にある。親が子どもをかわいいと思うのは、「自分に似たところがあるからかわいい」わけではなく、まして「他の子どもよりも姿形がいい(頭がいい…etc)からかわいい」のではなくて、「自分の子どもだからかわいい」。それ以外に理由はないし、それ以外の理由を求める必要もない。逆に子どもの立場からすれば、自分が親にかわいがられる理由が「親子だから」という単純極まるものだけが安心できる理由で、「顔がかわいいから」だの「頭がいいから」だのといったもっともらしい理由がでてきたとき、子どもの安心は奪われる。そういう評価にまつわる理由が出てきたとき、子どもは親の“社会的な価値の編目”の一画を占める存在にすぎないものになってしまう。/「世界を肯定する哲学」 p218

引用箇所では恋愛と親子関係について述べられていただけだけど、思考前にある感覚というものはおおむね「差異の体系」の外にあるのではないだろうか。つまり、そもそも理由なんてない。あるとしたら、そうだから、としか言えないものが、実は確かなのだと思う。

理由をもとめようとするから、そこにありもしない「比較対象」が生まれてしまう、てことなんじゃないかな。

[] 雨/The Afghan Whigs

ichinics2007-05-11

久しぶりに定時にあがって、注文していたオーロラシューズを受け取りにいった。うれしい。ついでにお買い物でも、、と思ったけどいきなりどしゃぶりになったので、あきらめて駅に向かい、電車の中で、でも、そういえば今お金ないんだった、って思い出して、とめてくれてありがとう雨、と感謝する。

最寄り駅についても、まだ雨は降っていたので、喫茶店に入って本を読んだ。本につかれたとこで漫画に切りかえる。今日読んだのは「未来日記」。うは、おもしろー!っていいたい時に、ついったーは欲求をみたしてくれるとおもった。2巻まで読んだところで、いつのまにか雨はやんでいた。

夜は Greg Dulli の気分になって、トワイライトシンガーズをかけてみる。で、あれ The Afghan Whigs の再結成ってどうなったんだっけって検索してみたら、すでにアマゾンで予約受付中になっているじゃないですか! か!って目をくいしばりつつ前のめりで迷わず予約。思い出してよかった。myspaceで聞ける新曲はちょっと、久々なのにそれですかって感じなんだけど(失礼)「1965」の1曲めもこんな雰囲気だったの思い出して、まあ相変わらずだなとか、思う。それはうれしい。

http://www.myspace.com/theafghanwhigs

http://www.myspace.com/twilightsingers

画像は日記とは関係ないけど、最近買った鳥。鳥グッズを集めています。

2007-05-10

[][] リンダリンダリンダ

劇場でみなかったことを後悔した。ものすごいよかったです。これ公開時に見てたら今年のベストとか言ってたと思う。見終わったあとに、こう、思わず走りたくなるすてきな映画でした。

リンダリンダリンダ [DVD]

リンダリンダリンダ [DVD]

女子高生が、バンドをやる。文化祭最終日の本番まで3日間しかない中で、ブルーハーツのコピーを猛練習する。学校に泊まり込んだり、みんなで買い物して友達の家でご飯食べたり、その夢中をあたりまえのこととして過ごしながら、時折、ふと今がすごく特別だって意識して、それに照れたりしながら。

その「特別」をもっとも明確に意識しているのは、たぶんバンドのボーカルとして気まぐれに誘われたのは留学生のソンちゃん*1だ。だからこそ、彼女がみんなを見る視線が、物語の視線にもなっているんだと思う。ソンちゃんが1人で「今」を反芻する場面や、言葉が通じなくてもなんとなく通じる場面は、たまらなくいとおしかった、

映画を見ながら、自分が学生時代にバンドやってたときの、こう、ドラムスティックが削れてくのがうれしかったことや、シンバル高くたてすぎて腕がつったライブとか、通学途中ずっとウォークマン聞きながら耳コピしてたこととか、マガジン叩きながら練習とかね、こう質感としてよみがえってきて、楽しかったけど、でもあんまうまくなれなくて、バンドも自然消滅して。もっとがんばりたかったなとか、もっと夢中になりたかったとか、そういう手の届かない感じは、この映画で描かれる「学校」という空間が、とてもリアルだからこそ、切実なんだと思う。

リアルというのは、そのまんま、ということではなくて、画面にうつっているもの以外の、空気を感じるという意味だ。物語につながるとはそういうことだと思う。そして、音楽にはそれを、後押しする力がある。

ラストのライブシーン。演奏が始まる瞬間までの、セッティングしている間のざわめき、マイクを握った瞬間から、飛ぶ感じまでをひとつづきの流れて丁寧に描写していて、鳥肌が立つくらいすばらしかった。彼女たちを見つめる男の子の視線もよかったです。そして、ブルーハーツは最高だ。

とてもいいものを見ました。ありがとうっていいたい。

[][] 「Atlas」

ゆっくりとまわる銀色の球体が室内で唯一の光源だった。その表面はちいさな六角形に覆われていて、そのひとつひとつの六角から小さくて黄色い、ところどころに水色の縁取りがある衣服をまとった生き物が踊りながら出てくるのを私はぼんやりと眺めていた。右足を踏み出し、左足でリズムをとると同時に両手を広げる。単調だが複雑なステップを繰り返す生き物たちは留まらず淀まずひたすらに行進を続け、いつしか床いっぱいにとぐろを巻いていた。彼らはステップをふむたびに「おーえーおぅ」というかけ声を発するのだけど、その小さな体のどこから音を出しているのか、彼らの黄色が眩しくて見る事は出来なかった。もっと近付いて彼らを見ようとしたが、腰掛けていたスツールからおりた瞬間、かけ声は止み光も消えてしまった。光が消えれば黄色も見えない。暗闇にのまれたわたしは、きっと誰かがツマミをひねったのだと思う。だがツマミとは誰か、誰かとは何か、それもすでに消えていた。行進の足音だけがザッザッとあたりをおおい、足はひとりでにステップを踏み、腹の底を揺らし、音に引っ張られるように腕が開いた。頭上で鈍い黒色が回転する。ひたすらに前進を続けた先には、六角形のドアが開いていた。視界にあふれるまぶしい銀色はゆっくりとまわる。

目を開くと地下鉄の車内で、私は銀色の手すりにしがみついていた。

*1ペ・ドゥナさん(猛烈にかわいい)

toukatouka 2007/05/10 19:34 香椎由宇だけ腰にセーター結びつけてたり、細かいつくり込みが楽しいですよね。しかし最後にふーらいぼーって歌ってた人、確か手を怪我してギター弾けなくなった人だったと思うのですが、それだけ歌えるならあんたがボーカルしてりゃよかったじゃんよ、ってツッコミを入れてしまいました。
映画館でこの映画を見て「天コケもこんな風に映画にならないかなあ」。しかし、それが本当に実現されてしまうと、不安で不安で、やっぱあんなこと考えるんじゃなかった…。

ichinicsichinics 2007/05/11 02:29 「天然コケッコー」映画は、正直なところすごく期待してしまってるんですけど、自分の期待が不安でもあります。できれば、漫画とは別物だけど、いい映画ってなってるといいなぁ。なってる気がするんだきっと…。
あの、浩太朗の成長してく感じとか、ああいうのはきっと映画の時間じゃできないことだしなー。
あ、あと湯川潮音さんのライブシーンは、たしかになんでこの子がボーカルじゃないの、て思いましたけど、ペ・ドゥナの歌い出しはほんとよくて、なんかふっ飛んだ感じです。あの、雨で人が集まって、って構成も、いいですね。

toukatouka 2007/05/11 05:43 メンバー紹介は前日に済ませていて(笑)、本番では省かれるんですよね。そういう2時間しか時間の取れない映画ならではのハイブリッド感が好きで、だからデスノートの映画版はもう見てらんないって感じなんです。

ichinicsichinics 2007/05/13 03:40 あの前日のメンバー紹介と、当日の呼吸は、映画ならではっていうか、いい場面でしたね。
それから、デスノート映画版は、前編はどうしてもしっくりこなかったんですけど、後編は、特撮ものならではの大仰な雰囲気に最初から馴染めたので面白く見れました。あとはやっぱ、ラスト。あっちがいい、っていうんじゃないけど、ああこれも面白いって思えて良かったなぁ。

2007-05-09

[][] 新井英樹マンガノゲンバ

新井英樹が出演するというのを「の残滓」さんのところで知り楽しみにしてたのですが、5/9て明日かと思っててあやうく見逃すところだった。ありがとう教えてくれた人。

というわけで、前半の榎本俊二さんの部分は見れなかったんですが、新井先生の部分はばっちり見ました。動いているところを初めてみたけど、まったく違和感なかったな。自画像似てる。

梶原一騎作品などの「群れない主人公」に惹かれたという話をきいて、宮本の袖(たぶん1巻)に書いてあった「クソ意地はる男が好きです」という台詞を思い出す。「自分の力を信じる」というキーワードは、ただそれだけを聞くときれいな話なんだけど、信じる/信じられる感触をリンの不遜さ、「凡百の天才と一緒にすんな」って言葉など、に繋げていくのが新井英樹ならではだなと思う。

「天才を語る時に、ただ天才であるということだけでなく人格やらを付加するのが気に食わない。天才というのは何かのバランスがおかしい存在だ」(記憶書きです)

と語っているのを聞いて、今まで読者としての思い込みでしかなかった「新井英樹の意図」みたいなものに、少し触れられたような気がした。それは、あこがれと、人格の肯定は別であるという考えかたに裏付けられた言葉なのだろうし、そうやって、ものごとを「混同しない」でいるというのは、力のいることなのだと思う。

あとね、やっぱ鉛筆書きの絵コンテ見て、感動した。

ボクサーにインタビューして描いたという「RIN」の場面がうつるのを見ていて、ああそうか、この人の漫画はやっぱり、カメラじゃなくてその場の見え方なんだなとか思う。そして、それは「漫画」だからこその表現だよな。

[][] 鈴木先生2巻/武富健治

鈴木先生 2 (アクションコミックス)

鈴木先生 2 (アクションコミックス)

「た…たまらな過ぎるぜ――」

1巻の内容をふまえ、さらに掘り下げていく第2巻。様々な人物のからみ、伏線、溢れかえるディテールが徐々に響きあって立体的になっていく。

相変わらず不思議な緊張感に満ちた画面なのだけど、

いい子ばっかり集まるとつまらないクラスになる……

クラスを人間的に活性化させる中心はむしろ不良にある――

そんな現場的な常識をぶっとばしてやりたい!

「@昼休み」

ていう鈴木先生の目論みのようなものも見えてきて、もしかしたらこれはかなりの長編になるんじゃないだろうかって気がしたし、そのくらい、学校で過ごす「三年間」という重みや長さを、感じる漫画だった。

こういう展開になるとは思わなかったです。

[][] 荒川アンダー ザ ブリッジ/中村光

「モーニング2」で連載されている「聖★おにいさん」が面白かったので、買ってみました。でもこれの前に「中村工房」というのがあったらしいので、それを先に読めば良かったかもしれない。

荒川アンダー ザ ブリッジ 1 (ヤングガンガンコミックス)

荒川アンダー ザ ブリッジ 1 (ヤングガンガンコミックス)

「人に借りをつくるな」と教えられ生きてきた主人公が、ある少女に命を救われてしまい(つまり大きな借りをつくってしまい)、借りを返すために彼女の「恋人」になって荒川の橋の下(欄干?)に住むことになる。お話は主に、愉快な川の仲間たちとの生活に、ちょっとラブコメがまじる感じ。「聖★おにいさん」ほど笑えるわけでじゃないけど、ちょっと新鮮なギャグ漫画だった。とくにラブコメ部分が好きだな。手が届きそうで届かないやきもき感が好きです。

[][] 世界を肯定する

「世界を肯定する哲学」がとても面白いです。もうちょっとで読み終わりそうなんだけど、思ったことを少し整理してみる。

まずこの本で繰り返し書かれていることは、言葉と思考/意識の間にあるものについて、だと思う。そこに近付こうとして押し返され、また近付く。

書くことも現在の私たちのように思考することも、テクノロジーであるかぎり後天的に習得したものではあるけれど、人が母国語を操るのとほぼ同程度に自由に操っている。しかしこれはむしろ「操られている」と言った方がいいような状態であって、人はついつい操ってしまっていて、操らないことの方が難しい。

(略)

書くことによって生まれてしまった思考によって、本来充足していたはずの記憶は、いわば神経症的に浸食されてしまうことになった。しかし当然のことながら、現在の人間はそこから自然な状態に戻ることはできない。/p74

まずは、書く、ということが、例えば歩くこと箸を使うこと、から進んで、挨拶するときに頭を下げてしまうことや女性ならトイレの前で赤い色の方に歩いていってしまうこと、頭で文字を思い浮かべることもなくしゃべるようにキーボードを叩くこと、のように習慣化されることで「意識されなくなっている」、ということに気づいて、少しおどろく。やはり私は意志するよりまえに、言葉を選んでいる(ことが多い)。

でも、それは決して「そのもの」ではない。無意識にでも、言葉は選ばれ、選ばれたそばから「読まれる」。書くということ、もしくは人に物語るということは、そのように記憶を上書きしてしまう。そして上書きされた記憶はもとのぼんやりした状態には戻らない。

これはふだん、日記を書いているときにもよく思うことなのだけど、記憶をただ情景のままとっておくこと、というのは意外と難しくて、「それ」を思い出そうとするだけで、あそこ、白い建物があって、あの白い建物は病院に似ていて、だからそれは彼が入院していたときのことで…というふうに芋づる式に思考は進んでしまう。漠然とした「印象」は、そのときすでに思考後のラベルが貼られた「記憶」になってしまう。

言葉は決して映像に追い付かないし、感情の全てをあらわすこともできない。好きなものを選ぶことはできても、好きな理由を明確に示すことはできない(たぶん)し、何を好きになるかはそもそも選択すらしていない(それはたぶん習慣に近いのではないか)。

ただ、それを語ろうとするときに、見ているもの、その言葉でとらえきれなかった部分にこそ、「何か」の感触がある。

何か。

「生きている」ことは自明ゆえに語ることができない。

その自明性を突き崩さないかぎり「死」を語ることができない。

自明性は突き崩せないので、「死」は語れない。/p130

その何かは、例えば自分が、世界が、「ある」ということなのかもしれない。この本では、その「あるの自明性」を、「肯定感」と書いているんだと、思う。

世界を肯定する哲学 (ちくま新書)

世界を肯定する哲学 (ちくま新書)

2007-05-08

[][] AQUA天野こずえ

Aqua 1 (BLADE COMICS)

Aqua 1 (BLADE COMICS)

かつて火星と呼ばれた星は、テラフォーミング後、水に覆われた星アクアとして親しまれている。そんな遠い未来舞台に、水先案内人になるべくアクアにやってきた主人公と、そのまわりの人々の生活をのんびり描いた漫画

「ARIA」を読んでみようかなと思って、まずこの前編を買ってみたんだけど、あちこちで「癒し系」とかいわれていたのが、なんとなく腑に落ちるお話だった。というのは別に皮肉ではなくて、画面から「気持ち良さ」がにじみでてくるようなこの雰囲気こそが、魅力なんだろうなって思えたからだ。

あと「ARIA」はよく「ヨコハマ買い出し紀行」と比較されてたりするのを目にしましたが、この「AQUA」を読む限り、設定はにているものの、雰囲気や背景は全く違うなーと思いました。

ヨコハマ」が描いているのは、水没していく過程であり、この世の晩年だった。そして、それを見るものとして外側にいる(もしくはいた)アルファを描いていた。しかし、とりあえずこの「AQUA」の主人公はきちんと世界と関わっているし、世界はとりあえず安心だ。それはつまり、読む人がいる場所とは断絶しているということでもあるのだけど、このお話が向かっているのは、守られた世界観だからこそ描ける安心なんだよなと思う。

あと、気が向いたときにぱっと開いて読める感じが、どことなく、80年代っぽい。

Aqua 2 (BLADE COMICS)

Aqua 2 (BLADE COMICS)

[] モーニング2が面白い

オノナツメ山下和美小田扉やまだないとTAGRO加藤伸吉…って、まさかの豪華メンツですし面白くない訳はないんですが、それにしてもレベル高い。雰囲気でいうなら、モロにIKKIなんだけど、全体的にメジャー感をかもし出してるところがモーニングレーベルレーベル?)。かつて、イブニングの前身だった(たぶん)アフタヌーン増刊にも雰囲気近いけど、増刊だからこそできる豪華さなのでこのまんまで、せめて季刊で続けてほしいなぁ。

「ネムルバカ」が掲載されてんのがこれならいうことないのに…(ひどい)。

それから、あまりにもメモすぎるので日記にのせるのやめてた漫画雑誌感想はこちら(http://comicmagazine.g.hatena.ne.jp/ichinics/)で細々と続けようかと思ってます。でもあくまでも記憶整理のメモ

モーニング2」については、モーニング2創刊号の感想にラインナップほとんど載せたと思うので、読もうか迷ってる人の参考になればいいなとおもうけど、メモすぎるからだめかも…。

[] 月曜日なのに機嫌わるいの

どうするよ、って、月曜日は機嫌わるいものでしょ。とくに今日連休あけだもの、なんて思いながら通勤。ものすっごい満員電車に消耗しきって会社到着。あんまりにも久しぶりすぎて、PCに貼ってあった「やることリスト」見てもさっぱりピンとこない。ので、とりあえず、机の上のできごと→把握の時差をうめるため、まずはたくさんもらったおみやげで糖分を補給する。

でもあったまってきた脳が気にしだしたのは「機嫌悪いのどうするよ」て、何の歌だっけということで、頭のなかずっとそこだけエンドレスリピートで、でもどうしても思い出せなくて、仕方なく保留して一日強制終了して、家かえって最近聞いてた音楽をさかのぼってたら。たどりついたのは「らき☆すた」だった。だつりょくかん。空白の脳!

考え事には、向かない季節です。まだ。あともうちょっと眠りたい。

cdefgcdefg 2007/05/08 14:00 こんにちは。まんが雑誌は普段買わないのですがアフタヌーン2は思わず買ってしまいました。「聖おにいさん」の作家さんは知らない方だったので他の作品も読みたくなりました。まんが雑誌はたくさんありすぎてどれを買ったらいいのかわからないというかどれも読みたくて選べないです。
以前はシーズン増刊を毎回たのしみにしていたのですが、増刊だと買いそびれを気にせず気軽に買えるし(モーニング2の場合執筆陣が豪華だし)、うれしいと思っているのは私だけでしょうか。フンイキ気分、たのしみにしています。

ichinicsichinics 2007/05/09 00:45 こんばんは。聖おにいさんの人はわたしもこれで初めて読んで、「荒川アンダーザブリッジ」を買ってみました。あと上に書いた「コミックリュウ」で連載してる石黒正数さんの「ネムルバカ」も面白いので、チャンスがあったらぜひ。
漫画雑誌はほんと、たくさんあるし、途中から読むのが難しいから、なかなか新しく手を出しづらいですよね。単行本ももうおく場所がなくって。近頃よくきくレンタル漫画やさんが近所にできればいいのになぁって思っています。

2007-05-07

[][] 機動警察パトレイバー劇場版

雨が降っていたので出かけるのをやめて、「機動警察パトレイバー劇場版」を見た。台風じゃないけど、こんな天気の日には、おあつらえむき。

機動警察パトレイバー 劇場版 [DVD]

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東京湾埋め立て計画「バビロン・プロジェクト」が進行中の湾岸地域を警備している第二小隊は、多発するレイバー暴走事件対処に追われている。原因不明とされている暴走事件と、レイバー用最新OS「HOS」の間にある関連性を察した後藤は、それとなく遊馬を焚き付け、調査を開始する。やがて、東京湾上に建てられた「箱舟」から投身自殺したという天才プログラマー、「帆場英一」の存在が浮かび上がる。

…というのがおおまかなあらすじ。今でこそパソコンが普及し「コンピュータウィルス」による犯罪が作品のモチーフになることも珍しくなくなった。けれど、まだパソコンなんて持ってなかった頃と、今の印象を比べて見ても、物語の面白さはまったく損なわれるところがないし、それはやっぱり、題材の目新しさだけでなくて作品の世界観とモチーフががっちりかみ合っているということなんだと思う。シバさんの、OSインストールへのこだわりに納得できてしまうのも、自分の使う「道具」として機械をとらえる感覚が、今も昔もあまりかわっていないからなのかもしれない。それはレイバーについても同じなんじゃないかbな。原作者のゆうきまさみさんが何度も語られていることだけど、レイバーが「強くない」というのはほんとに大事なとこで、強くない、必殺技もない、というとこが、レイバーを身近なものに感じさせるし、ドラマと地続きにアクションを描くことができる理由でもあるのだと思った。

はじめて見たのは、小学生か、中学生か、とにかくかなり昔なのだけど、それから何度もレンタルしたし特集上映とかスクリーンで見たこともある。でも何回見ても、やはり神田川周辺の再開発区域を探索する場面にはぐっとくるし、後藤さんは格好良いし、BABELの流れ出す瞬間にはぞくぞくする。零式の手が伸びる瞬間の、配線コードが露出する演出なんかもたまらないし、シバさんと遊馬がシミュレーションしてる場面とかは、私がハッカーものとかに弱くなった原因だと思う。つまり、この映画は、私がアニメを見るにあたっての趣味嗜好を決定づけた作品なんだよなーということを、再確認しながら見た。

今回見てて思ったのは黒沢清監督『叫』*1の視線と、この作品で描かれる都市への視線がとてもよく似てるということ。つまり帆場が赤い服の女に思えて、『叫』のラストシーンに納得しかけた。

あと、やっぱり後藤さんは「皇国の守護者」の新城にちょっと似てる。かみそり後藤。

[] 手塚治虫文化賞ノミネート作品発表

「マンガ大賞」最終選考ノミネート作品

『大奥』
よしながふみ(白泉社)
大阪ハムレット
森下裕美(双葉社)
皇国の守護者
原作・佐藤大輔、漫画・伊藤悠(集英社)
団地ともお
小田扉(小学館)
『DEATH NOTE』
原作・大場つぐみ、漫画・小畑健(集英社)
へうげもの
 山田芳裕(講談社)
『舞姫 テレプシコーラ
山岸凉子(メディアファクトリー)
もやしもん
石川雅之(講談社)

http://www.asahi.com/tezuka/

相変わらず文化庁の方とかぶってるけど、「よつばと!」が入ってないのが意外。「ヴィンランドサガ」が入ってないのも意外。うーん。これまでもこの賞はいまいち選考基準にピンとこない感じだったけど、このラインナップ見てさらによくわからなくなった。どれも好きな作品だけど、タイミングがバラバラというか。

でもまあ、わりとベテランの人が受賞する傾向にある印象なので「大阪ハムレット」か「テレプシコーラ」かな、と予想してみる。

ちなみに選考結果は、2006年5月10日…て書いてあるけど、たぶん2007年だと思う。

友達と本屋にいくと、おすすめ漫画教えてー、といわれたりすることがあるんだけども、絵柄みて「これはちょっと」とか言われるとすごく悲しい。でも、そういうとき、こういう賞とっててくれるとメジャー感が付加されるのか、「もうひとおし」が楽になるので、個人的にはそういう偏見を(とくに絵柄で)持たれがちな人にどんどん受賞してほしいです。

[] 猫的睡眠

いつものように、布団に潜り込んで体を落ち着けることに腐心していたら、ふと私のこの仕草は、我が家の猫に学んだものだったということに思い当たる。20歳を過ぎて、もう人と寝るということをあまりしなくなってしまった我が家の猫も、幼い頃はよく人の布団に潜り込み、ぎゅ、ぎゅ、と足踏みをして場を作ってからおもむろに身を横たえ丸くなったものだった。その瞬間の恍惚とした顔がうらやましくて、私も布団に潜り込むときは、その、ぎゅ、ぎゅ、を見習って場を作るようになったわけだけど、具体的には寝転んだまま、足を擦りあわせたり体に力をいれて緩めるというのを何度か繰り返すことで、いつしか布団があたたまり体も完全に安心して眠気もおとずれるというあんばいで、その瞬間の気持ち良さ開放感たらないし、あれこそをしあわせというのだと思う。

けどそれは冬場の、毛布やらシーツの冷たさやらがあってこそのことなのだ。夏の眠りはおおむねだらしなく、猫だってのびきった干物みたいに眠る。あれはあれでしあわせ。だけど今は、日に日に近付く夏の気配に追われつつ、残り少ない寝床づくりを味わっておこうと思う。

2007-05-06

[] SLY MONGOOSE/Tip Of The Tongue State

TIP OF THE TONGUE STATE

TIP OF THE TONGUE STATE

この「Tip Of The Tongue State」はSLY MONGOOSEの2ndアルバムで、先日、部屋の掃除をしながら聴いてたらあまりにも愉快な気分になって、まあつまり踊り出したくなる音楽で、それ以降聴き倒しています。

下北のスリッツでLBまつりが行われていたあの頃から、スチャの名前を見かけるとつい手に取ってしまうのだけど、このアルバムもその流れで買って、買ったあとにCOOL SPOONが前身のバンドなのだと知った。なっつかしい。このへんのひとたちは今も活発に、楽しそうにものを作ってて、そういうのってなんだかとてもうれしいなと思う。

最近ではTHE HELLO WORKS(スチャダラパーSLY MONGOOSE&ロボ宙)っていう名前でも活動してて(?詳細しらないんですけど)アラバキにも出たらしい。このアルバムに収録されてる「Defenseless City」(スチャロボ宙参加曲)聞きながら、あーライブ楽しかったんだろうなーと思ってうらやましくなった。

ディスコを基調にアフロだったりレゲエ、ダブだったりが混沌としている音。それと同時に曲のイメージみたいなもの、「太陽にほえろ!」っぽかったりルパンぽかったり(てのはただの連想なのかもしれないけど、つまり大野雄二サウンドや大野克夫サウンドのにおいを感じたり)するとこが、バンドの色になってると思う。好きなものブチこんで楽しく音楽をやっている感じは、ずっと続いている。そのうえかっこ良くて踊れるんだからいうことないよね。

[][] あかずのふみきり/かわかみじゅんこ

あかずのふみきり (ボーイズラブコレクション)

あかずのふみきり (ボーイズラブコレクション)

かわかみじゅんこさんの絵がすきです。お話のテンポは独特で、クセがあるのだけどそこもすきです。ものがたりの中に、焦燥感があって、あこがれがあって、ままならない気持ちをもてあまして、て、気持ちの糸がふっと手放されるような瞬間があるのがすきです。

この本は、かわかみさんのBLも含めた単行本未収録作品を集めた本で、でもあんまBLて感じはしないんですけど、ともかく昔のから今に近い作品まで、幅広く読める。

さいきん、女の子になりたい男の子、もしくはその逆について気にしてたのだけど、この本と「ネオンテトラ」にも収録されてた*1「息もふれあうくらいにね!!」を久しぶりに読み返したら、たか子とレイコの関係は、きっと理想の友情だよなと思った。たか子は、女の子な男の子なんだけど、「…たか子おヨメに行けなかったら レイちゃんのおムコになったげる」ていう台詞みて、ああこんな風になぐさめることができるのは、異性だからで、でも同時に同性でもあることでそれは永遠に見える(ではないとしても)。それはすごく身勝手な欲求なんだけど、その距離感てのは得難いもので、だからこそ理想に見えるんだな、ということを感じました。「放浪息子」の、ニトリくんと高槻くんは、どうなるんだろうな。

[][] マイガール/佐原ミズ

マイガール 1 (BUNCH COMICS)

マイガール 1 (BUNCH COMICS)

忘れられずにいた恋人が亡くなってはじめて、彼女の真意を知る主人公。そして出会った「子供」と暮らすことになるお話。

宇仁田ゆみさんの「うさぎドロップ」と設定が少し似ていて、いまこういう父と子ものがはやってるのだろうか、とかちょっと思う。ただ「うさぎドロップ」が基本的に父親になった主人公の視点から描かれるのにたいして、この「マイガール」は、少し頼りない父親と、父親を支える娘が「同じものを見ること」を描いたお話になっている。

一緒にいることではじめて同じものが見られる。そしてお互いに気付きあうことで、あたらしい何かを知る。佐原ミズさんらしい、繊細なやさしさに満ちたお話。正直なところ、コハルみたいな子どもはいないよなぁ…と思ってしまうとこもあるんだけど、それは現実味がないとかいうよりは、むしろ妖精とかコロボックルのようなものに思えてしまうんだよね。かわいい。お話はもちろん、佐原ミズさんの絵もすごく好きです。

[] あたらしい携帯

ずーっと東芝製の携帯を使ってるので911Tというのにしたのですが、はじめてのスライド式? で、ひじょうにとまどっています。まずスライドさせるときに親指のあたる箇所にヤフーボタンがついていて、ここを無駄に押してしまうので無用なインターネット接続をしてしまうのは何かの陰謀かと思う。

テレビ見れたり音楽携帯だったりするらしいんだけど、説明書の分厚さに萎えたのでとりあえずは使う気がしない。あと驚いたのは「ケータイ書籍」フォルダとかも用意されていることで、時代の変遷の片鱗を感じた。

私が携帯をメール電話以外の目的で使うのはほとんどアンテナ閲覧と、最近はついったー、たまに時刻表と映画館情報くらいなのでこんなたくさん機能なくていいのにーと思いながらフォルダを削除していく。いつかは使いこなす日がくるんだろうか、なんて考えながら無駄にスライドさせてみる。いつかはスマートなスライドもできるようになるんだろうか。

*1:だぶって収録されてるのはどういうことなんだろう…

2007-05-04

[][] 恋愛睡眠のすすめ

ichinics2007-05-04

監督:ミシェル・ゴンドリー

面白かったです。「エターナル・サンシャイン」を見てすごい、と思った「感覚」というなんだかよくわからないあやふやなものを具現化してしまう独特の映像世界が今回も存分に味わえる。めくるめく映像とイメージの展開に見入ってしまって船酔いしそうなくらい。

物語で描かれる夢は、「恋愛睡眠のすすめ」というタイトルとはちょっとイメージが違って、むしろ悪夢に近いようなものもある。しかし、やがて夢という無意識の中に、向かう先を指し示す「欲求」が姿をあらわしはじめると、夢もその形を変えていく。ここらへんは、もう一度見てみないとどっちが夢でどっちが現実なのかわからないくらい混沌としていたんだけど、主人公の思いの形が定まっていく過程だけはしっかりとまっすぐなのにグッときた。

「私にどうしてほしいの?」

「…あたまをなでてほしい」

なんて口にだしてしまう素直すぎる主人公も主人公ですが、素直になれない女の子(なまいきシャルロットさん)も猛烈にかわいい。

物語の冒頭、脳内にいる主人公が、夢のレシピを紹介する。その日の出来事、聴いた音楽、記憶、その他いろいろ。そして夢の中を泳ぐようにして、主人公は現実を生きている。その感覚は、夢から覚めた瞬間の、いまいるのがどちらなのか定かではない、あの感覚がずっと続いているようなものだろうか。

そこに「自由意志」はたぶんない。でも、抗えない欲求のようなものはあって、それが意志を生むのかも知れない、と考えてみる。そして、監督が興味をもっているのも、そのあたりなんじゃないかな、なんて思う。

エターナル・サンシャイン」の感想→(id:ichinics:20050504:p1

それから今日読んでた本に、しっくり重なる部分があったので引用します。

そしてまた、自分一人の頭の中で際限もなくつづいている意識も、ほとんどの場合、「瓢箪から駒」というようなつまらない格言とか、二十年前に恋人から言われた「あなたはどうして人の普通の感情をわかろうとしないの?」という言葉とか、「無意識は言語として構造化されている」というラカンのフレーズとか――と、誰かがしゃべったりどこかに書かれていたりしたことの寄せ集めによって成り立っていて、それらが総体として「思考」のような状態を作り出している。

言語というシステムがなかば自動的に意味を紡ぎ出している光景は、万華鏡の中で色とりどりの破片が集まっては散って無限の模様を描き出す光景と似ている……。

しかしそれでもなお人は言語というシステムや自分の中に累積している知識を離れてなお「私」というものが存在していると感じている。「信じたい」のではなくて、やはり「感じている」。それは根拠のないただの幻想ではないと私は思う。

保坂和志「世界を肯定する哲学」p91〜92

[] ハーゲンダッツドルチェ!

アイス革命。とかCMしてるんでしょうか。宣伝関係まだみたことないんですけど、アイスでありケーキで…すごくおいしいです…!

クレームブリュレはうえにとろっとろのカラメルがかかってて、そのしたにひいてあるホワイトチョコをスプーンで割って食べます。少し苦みのあるカラメルと混ざりあったバニラアイスを口に入れると、チョコのパリパリ感がいいアクセントになって、冷たいクレームブリュレを食べてる感じになる。ただ、カラメル部分がちょっと甘過ぎる気もする。

ティラミスは、ふたをあけるとちゃんと上にココアパウダーがかかってる。ざくってすくってみるとエスプレッソリキュールにひたしたビスケットがでてきて、層になる見た目もティラミスそのもの。食べてみるとマスカルポーネチーズの味cがちゃんとして、味もティラミスそのもの。これはほんとーにおいしかった!

これがコンビニで買えるなんて、しあわせですほんと。

2007-05-03

[] Dwight Spitz/Count Bass-D

なんかHip-Hopが聞きたい気分…で自分の部屋のCD棚をあさってみたら、いわゆるHip-HopってJurassic 5 以降なんも買ってなかった! ということに気付いて愕然とした。

というわけで買ってきたのがこのアルバム。いつだったか試聴していいなと思った人だったんだけど、どのアルバムかわかんなかったので出世作だというこれを買ってみた。

DWIGHT SPITZ

DWIGHT SPITZ

検索してみると「一人ジャズバンド」と呼ばれたりしてる人らしいから、アーティスト名も「Count Basie」をもじったものなのかもしれない。

全体的に優しい、懐かしい音色で、特に鍵盤の使い方が好み。インストが目立つ中、MCの入るさじ加減とジャジーなトラックのバランスもセンスが良い。

このアルバムには、ボーナストラックを含めると、全部で30曲も収録されているのだけど、3分前後の曲の間に1分前後の短い楽曲を挟み込んだアルバム構成は、絶妙に心地よく、かけっぱなしにしていてもちっとも飽きない。ラジオのチャンネルを捻るような感触も楽しいです(久々にエアチェックて言葉を思い出した)。

派手さはないけど、まるで長編大作の書けるネタが惜し気もなく鏤められた短編小説のようなアルバムで、しかもひとつひとつのネタが、ユニークで味わい深いとこに底力を感じる。楽しんでつくってる感じが伝わってくるのもいいな。

要するに、すごく良いアルバムだと思います。

[][] 間宮兄弟

監督:森田芳光

酒造メーカーに勤める兄と小学校の校務員として働くの弟の二人暮しは、丁寧につつましく重ねられてゆく。二人の、大人子供な感じは確かにちょっと見てて気恥ずかしいのだけど、仲良きことはやはり美しい、とも思う。まあ、その仲の良さが、他者を遠ざけるってことはあるのかもしれないけど、彼等の周囲の人は、きちんと互いの領域を尊重しあっているように感じる。

個人的に、森田監督の作品は、どうもテンポがつかめずに見終わることが多く、この作品もその例にもれなかった。それでも、モテない兄弟の二人暮し、を、否定するのではなく、見守るように描く物語のタッチはとても好ましく感じました。また、二人が自分達のことを卑下しないのも良い。

本の詰まった本棚、作りかけのプラモデル(?)、丁寧に畳まれる洗濯物に、風呂上がりの一杯。いちにちの終わりのビデオ。

平均的であることと、幸せであることは、また別だよねということを思う。

お互いに依存しあう関係にも見えるけれど、映画を見ていると、例えばどちらかに恋人ができてそこを出ていくことになっても、きっと心から祝福しあえる人たちなんだろうなって漠然とした信頼感がある。泣きながら抱き合って別れを惜しむ様子が目に見えるようで、それはなんだか、うらやましいような光景だ。

ちなみにこの「間宮兄弟」は江國香織さんの小説を映画化した作品なんだけど、原作は未読。でも、映画を見終わったらぜひ読んでみたくなった。

[][] わにとかげぎす 3巻/古谷実

わにとかげぎす(3) (ヤンマガKCスペシャル)

わにとかげぎす(3) (ヤンマガKCスペシャル)

「事件」から三か月半が経ち、「死んだらおしまい」ということを悟った富岡。

新しい職場にうつった富岡が出会った「斉藤君」と富岡の「おしまい」観のコントラストがこの巻の中心になっていたと思う。特に後半は、富岡を描くというよりも、富岡の視点から斉藤君を見る感じになっている。

この斉藤君のキャラクターは、大金を手にしても「結局いらねえ」と思ってしまった上原にも似ている。つまり、この連載を俯瞰すると「孤独は罪」だと思った富岡が、様々な孤独の形を見ていく話になるんじゃないかな、と思った。

上原が、瞬間的な欲求に従うタイプだったのに対して、斉藤君は、それでうまくやってる、ように思える。

富岡さんは完全に“毒”だと思ってる……

“毒”は“薬”にもなるよ……

悪い面ばかり見ちゃダメだよ……

p101

という台詞とか、なんか、あーあるよなと思った。波風たたない状態を心地よいと思うかつまらないと思うか。それもどっちかに完全にふれてるのはなかなかない状態で、富岡みたいに50のとこにいて揺れてるのが一番多いんじゃないかと思う。それでもたまに、斉藤君みたいに真っ白でおいておける欲求もあって、それはずいぶんとラクなことでもあって。

なんというか欲求というのは、持つことを忘れてると、なかなか持てなくなるものでもあるんだよね、ということを思ってちょっとへこんんだ。次巻が楽しみです。

あと今回は、羽田さんの決死のアタックも印象に残った。富岡との噛み合ない会話も楽しかった。だからこそ、斉藤君の今後が、とても気になる。

2007-05-02

[] 伊豆旅行

地元の友達と伊豆にいってきました。

初日はいつものように友達の車にひろってもらい、海老名インターで海老名スペシャル(生クリームたっぷりラテ)を飲んで開始。長い付き合いだけに家族旅行みたいなテンション(つまり素すぎるほどに素)。昼すぎ、熱海のボンネットでハンバーガーを食べる。バンズはふちがかりっと焼けていて、ハンバーグは分厚くてジューシー。スライスオニオンをはさんでたべるとさくっじゅわーっとうまい。昔ながらの純喫茶って感じの店内もいい感じだった。

その後、起雲閣とか見学して泰淳先生の間でひとしきり興奮し、夕暮れには旅館到着。伊豆半島によく来るのは、ほとんどこの旅館に通っていたようなものなのだけど、とうとう来月末で閉館になってしまうらしく、泊まるのは今回が最後。この旅館にはだいぶお世話になった。季節の見どころを教えてもらったり、畑でいちじくもぎをさせてもらったり、夏には浴衣も着せてもらった。大正時代にたてられたという建物は、たぶん今後も残されるのだろうけど、もう泊まれないのだと思うと寂しい。

夕食に出た金目鯛のしゃぶしゃぶがウマかった。ここのご飯も食べおさめだ、と思い食べまくる。美味しかった。後悔はしてない。ただねーちょっとねーそろそろあれだねー危機感を持ったほうがいいなー自分。と思い、早めにあがってリンカーン見ながら体操…そんな付け焼き刃じゃ何の役にもたたないんですけどね。

友達たちは風呂あがりも延々恋話。ネタがあるのがまずすごい。というのは口にださず、ビールのみながら聞いてた。

f:id:ichinics:20070502115432j:image:h200 旅館でもらったおまんじゅう。

翌日は晴れ。朝から食べまくる。みそしるがおいしい。おかみさんに挨拶をして、出発。まずは藤棚が見ごろだというお寺へ行く。

f:id:ichinics:20070502104806j:image:h150

天気もよくてドライブ日和。海見たりケーキ食べたりした後に、友達おすすめ熱川の「錦」でご飯。あじのたたき丼はあじのたたきが山ほどのっていて、ものすごい量だけど飽きがこないおいしさ。つい勢いで刺身も頼んでしまったので満腹すぎたけど、大好きなカワハギの肝が食べれたので大満足です。カワハギは、ぎゅっとして弾力のある刺身と、とろっとろの肝のどちらも最高に好き。肝を食べるなら旬は秋以降だけど、刺身がうまいのはこれかららしい。あともう一品は鯖のあふり刺。あぶらが香ばしくてじゅわー。

まあ、結局食べてばっかりの旅行だった気がします。

新しい携帯カメラでいろいろ撮ってみるも、なんかまだしっくりこない。なんで縦長なのか。

f:id:ichinics:20070502155642j:image:h200

てんとう虫かわいい。

f:id:ichinics:20070502151459j:image:h200

こういう駅から学校通いたかった。

f:id:ichinics:20070501162748j:image:h200

起雲閣の庭でとった、芍薬だと思う。

f:id:ichinics:20070502104732j:image:h150

「ちょっと食べ過ぎじゃない?」「そうねー」

2007-05-01

[][] バベル

監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の新作「バベル」は「アモーレス・ペロス」「21グラム」と同じく、複数の物語が絡み合う物語だった。この語り口はすでに監督の個性でもあると思うのだけど、物語の組み合わせ方/演出はもちろん映画によって異なっていて、今回はわりと一本の道筋にそって描かれた脚本だったと思う。モロッコ、メキシコ、東京、それぞれの場所で起こる出来事が少しづつ重なりあいながら、すれ違う。その断絶を描いた物語。複数の視点それぞれの匂い立つような存在感が印象に残る映画でした。

たとえば、砂煙の舞うモロッコの町を観光バスで通り過ぎる時、バスの中と外は明らかに別の国だったりする。バスの中の秩序はアメリカやヨーロッパの都会で暮らす人の倫理/価値観に基づいていて、彼らはバスを降りてもなお、土地に従うことを拒絶する。

たとえば、丘の上に立つ兄弟ふたりの空間と、見下ろす大地を走る観光バスの間には断絶がある。こことそこは、同じ空間の中にあっても、つながっていない。

たとえば、耳の聞こえない女の子が、音に溢れた周囲とのはざまで感じる孤独。

そのような断絶が引きおこす悪循環の中で、やがて、すべての人が個々に断絶された「形」の中にいるということが浮き彫りにされる。その象徴的な役割を担っていたのが菊池凛子さん演じる日本人の少女だったのだと思います。

しかし、この映画で描かれる「日本」は、どうも「ロスト・イン・トランスレーション」で感じた違和感に近いところがあって、見ていて落ち着かなかった。ただそれは、私が日本人でなければ、気にせずにみれたのかもしれないな、と思う。

逆に、メキシコの町が描かれる場面は、監督の出身地だからなのか、躍動感に溢れ、とても魅力的に映った。そのせいもあって、メキシコ人のおばさんの視点で描かれるパートが、私にとっての「バベル」全てであるといっても過言ではないくらい印象に残っている。鮮やかなメキシコの町並みと、彼女が見渡す360度、すべて同じ風景に見えるあの場所のコントラストこそが、この映画でもっとも絶望的な断絶に感じられる。

映画の中で、手を握る場面が2度クローズアップされる。的外れな感想かもしれないけれど、手の届くところに誰かいるということは、希望だと思ったりした。

[][] くいもの処明楽/ヤマシタトモコ

くいもの処 明楽 (マーブルコミックス)

くいもの処 明楽 (マーブルコミックス)

ラシさんの日記(http://d.hatena.ne.jp/./cdefg/2007042/:p1)で紹介されているのを読んで買ってきました。アフタヌーン四季賞入賞作を読んだとき(id:ichinics:20050909:p3)に、この人好きだーと思ったんだけど、その後いろいろあったようで、単行本はこれが初めて、なのかな。

飲食店を舞台に描かれる、バイト君に告白されて、とまどう店長のあわてぶりと、保守的であることの理由を年齢に求める店長に苛立つバイト君の、攻防戦にほくそ笑みながら読みました。照れるねこういうの。

ただ、その「とまどい」の熱だけで焼き上がったお話にも感じられて、巻末に収録されているお店の面々の紹介など読むと、まだまだ広がりそうな設定なのに、これでおしまいなのはもったいないなと思えた。

私がながいこと勤めてたCD屋さんも、メンツはちょうどこんな感じだったなとか思って、なつかしくなった。

四季賞受賞作も、私はとても良いと思ったし、単行本に収録されたら買うと思う。ああいうお話も、また読みたいな。あの「化け物」の顔は、今もよく覚えてる。

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