時間・タイムマシン・私/「アレックス・タイムトラベル」

以前「男が読んでもおもしろいと思われる少女マンガを挙げてください」というはてな質問で、質問者の方が「今読みたいのは「アレックス・タイムトラベル」みたいなの」と書かれていたので気になって買いました。そういえば、私の友達で少女漫画好きな男の人も、陸奥A子清原なつのが好きだっていってたけど、そのへん何か共通点があるのかな?

アレックス・タイムトラベル (ハヤカワ文庫 JA (669))

アレックス・タイムトラベル (ハヤカワ文庫 JA (669))

表題作「アレックス・タイムトラベル」は、15歳にしてタイムマシンの研究をしている主人公アレックスが、友人の “行方不明”にまつわる謎を調べるうちに、いまいる場所では「記憶」までが管理されているということを知る。自分の記憶すらほんとうなのかわからないまま、タイムトラベルを続けるアレックス。彼の見る風景を短編シリーズで描いていくこの形式は、たとえば山下和美さんの「不思議な少年」に近いものがある。
ところで、タイムトラベルを題材にしたSFでは「過去に干渉してはならない」というきまりがセットで描かれることが多いと思います。(私は、H・G・ウェルズの「タイムマシン」を読んだことがないのだけど、あの作品でもそのような解釈に到達するんだろうか?)
そして、そのようなSFになじみが深いせいか、未来が過去に干渉すれば、現在がかわってしまうというのは、実際タイムマシンがない世界でも自明のことととしてとらえられてるように感じます。でなければ、物語は現実を肯定することができないし、現実を肯定しなければ、タイムトラベルをすることのできない読者がおいていかれてしまう、というのはちょっと考えればすぐにわかる。でも、それだから「歴史に干渉してはならない」というのでは、ちょっとつまらない。
だからこそ「タイムトラベル」を題材にした物語では、「過去を書き換えること」の是非が、物語の中心として描かれることが多いのかもしれません。

旅のはじまりは自由をもとめての出発だった
管理された社会で生きるのがいやだったのに
しらないうちにぼくは品行方正
律儀なタイムトラベラーになっていたんだ!
「思い出のトロピカル・パラダイス」

例えばこの先にタイムマシンというものが発明され、過去を書き換えるということがおこったなら、この今も変化しているはず。でも、変化していることを知らずに一連のものとしてとらえているのなら、それはやはり一続きの今なのだし、と考えていくと、何度も繰り返したどり着く「いまここ」の唯一性に、ふたたび戻ってきてしまう。
このお話でタブーを侵したアレックスは、もといた世界から弾き飛ばされてしまいます。しかし、もといた世界とひと続きの(と感じられる)意識だけは残っているアレックスの言葉は、過去を肯定するというよりも、未来へ希望を残すものになっていて、だからこそ、タイムマシンのないここでも共感のできるものになっている。どこがほんとうなのかわからない、いろんな角度から読むことができるお話で、そんなふうに思考の例題を与えられる面白さっていうのが、私にとってSFを読む楽しみの大きな部分をしめているなあと、再確認した作品でした。

 目が溶ける

昨年末からずーっと、世の中では風邪がはやっているようですけど、わたしなんか平気だわ、元気ってほどでもないけど、風邪はひいてないわ、おやまあ、と思っていたらとうとう捕まってしまった。金曜のよる、ヤキニクを食べてテンションあがりまくったまま帰宅して起きて、なんか頭痛いのはふつかよいだと思ったら風邪だったみたいです。
だから土日はあほみたいにねた。眠り続けてたまに布団のなかでDSして、ってほんとどんなこどもだよと思うけどさ、いいじゃん風邪引いてるときくらいこどもでいいじゃんかーとかって逆切れしたくなるのは調子悪い証拠。目の奥が乾いてる。肩が重い。膝とか肘とかがだるい。ポカリスエットがのみたい。
で今日もそれは続いてるんだけど、いざ会社にきてみたら調子が悪いわけでもなくて、かといって熱が下がったわけでもなく、なんだか良く解らない感じのまま、今週がのりきれればいいなぁと思っていたりします。