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  □これまでの日記一覧

2008-03-31

[] ぶっかけごはん

基本的に、あるものを何で味つけるかってだけの大雑把な料理しかしない(それはできないとも言う…)のですが、そんな中でも気に入っててよくやるのが、ずーっとまえに「お料理バンバン」で見かけた白ワインとバターで味つけるやつです。そんとき見たのは豚ヒレの煮込みでそれもおいしいんだけど、ブロックで肉買うことが滅多にないのであんまり作らない。でもその味付けだけは、わりとよく流用しています。

で、今日もたまたま、あまったワインがあったのでじゃあ白ワインで何かしよーって晩御飯作りました。そしたらなんか、自分でいうのもなんだけどすごくおいしくて、なんか日記に書きたくなりました。でもこれ何味っていえばいいのかよく分からないんだよな…。

以下行程メモ。

まずサラダ油でニンニクを炒め、そこに豚ひき肉を投入。火が通ったあたりで中火にしてアスパラを入れ、いったん火をとめて(気分なので意味はない)肉が浸るくらい(表面かぶらないくらい)白ワインを入れる。そして火を入れ(これも気分)バターを大さじ1くらい入れます。コンソメも1つ入れます。ここでなんかものたりないなーと思い茄子も輪切りにして入れた。煮詰まると水分があめ色になるので、そのへんでフタして弱火でしばらく煮込む。野菜がやわらかそーな感じになったとこでフタあけて火を強め、水分ほとんどなくなったあたりで器に盛った御飯にジャーンとぶっかけて食べます。

…って書くと、なんかひどい感じもするけど、おいしかった。ひき肉だったので洋風そぼろご飯みたいでもあった。とにかくニンニク&白ワイン&バターは美味しい。で、特に豚肉やアスパラと相性がいい気がします。塩分は今回無塩バターしかなかったのでコンソメしたけど、塩入ってるバターなら普通に塩するんでも大丈夫なはず。

まだワインあまってるので、今日は菜の花とかしてみようかな。

[] 雨の日

思いっきり寝過ごして昼頃、家を出ると空が真っ白だった。

いつもの古本屋に本を売りにいき(あのひとがくると新刊が充実するな)という認定を、されたいようなされたくないようななんて妄想をしながら、査定を待つ間ぶらぶら買い物。かわいい緑色のシャツを見つけて試着させてもらうも、なんだかぜんぜん似合わなくて軽く落ち込む。緑好きなのに緑にあわないんだなーとか考えながら、そもそもお金使ってる場合じゃないか、とか思い直す。

査定が終わった後は挨拶まわり。傘さしてひとりで歩いてるときに、電話で雨降ってることとか、話したりする。話し終わってふと見ると、コートのボタンがちぎれそうになっていて、

そういえばずっとまえに見たライブ映像で、ジミ・ヘンドリックスが「雨降ってるときに、ボタンがとれると悲しいよな」って言ってたのにすごく納得したんだけど、

でも今けっこう嬉しい気分なのは、電話のおかげだなとか思いながらボタンしまった。

帰りの電車、窓の外に桜が見えるたびに、いくつもの視線が追いかける。桜ってほんと、特別な花だなと思いながら、昨年の秋、落ち葉のにおいで「ああこれ桜の葉っぱだ」って気付いたときのこと思い出していた。

2008-03-30

ichinics2008-03-30

[][] ノーカントリー

コーエン兄弟の新作。

ファーゴ』を映画館で見た時、ずっしりと重いものを抱えてしまったような気分で映画館を後にしたことをよく覚えているけれど、あれからずいぶん経ったせいか、その感覚の細かいところはずいぶん薄れてしまっていた。しかし、この『ノーカントリー』を見て、真っ先に思い出したのはあのときの「重さ」で、それを言葉にするならば「どうすればいいのかわからない」だと思う。

まず、この映画では「物語」を追ううえでの暗黙の了解、のようなものをあえて裏切るような展開がある。でもそういうことは現実では起こりうるし、だからこそ「事実は小説より奇なり」と言われるのだろう。後半になるにつれ、状況描写は省かれていくようになり、結果どうなったのか/なぜそのような行動をとったのか、などの説明はたぶん意図的に省かれている。思わず「そういうものだ」という台詞が浮かんだりもするけれど、それでもつい背後を確認したくなるような、「後味の悪さ」があって、その「空白」の存在感は『ゾディアック』を見たときの感覚に近いと思った。

この映画で描かれる “シガー” という男には、言葉が通用しないような気がする。映画の中で何人もの人が彼を「説得」しようとするけれど、言葉が彼の中で意味をなすことはない。しかも、それは言葉を発するチャンスのあったほんの一握りの人だけで、ほとんどの人は何のためらいもなく言葉を発するチャンスもなく、殺される。

シガーは恐い。でも彼と相対しているわけではない私からすると、その恐ろしさは、むしろ無力感なのではないかと思う。そして、この人をとめる方法があるとしたら、と考えてみて、浮かぶ答えがひとつしかないような気がしてしまうのも恐かった。

物語の序盤に、シガーが商店の店主に対して賭けをもちかける場面があった。

「もう店を閉めますから」

「閉店時間は何時だ?」

「いつもは日が暮れる頃です」

「俺は閉店時間を聞いてるんだ」

「今日はもう閉店ですよ」

「それを俺に言ってどうする?」

(記憶が少し曖昧なので正確じゃないですが)

というようなやりとりがあって、その後の賭けだった。この場面は見ていてほんとうに息が詰まるようだった。シガーは相手の言葉に影響されないで語る。そして、その影響されなさは、彼自身が「考えた結果に答えを出す」、ということをしないからなのではないか、と思えた。常に選択だけがあって、どちらを選ぶかは彼の気分だったり、コイントスによって決められたり、する。損得ですらない。その価値観が見えてこないからこそ、シガーは恐ろしい。

例えばシガーと相対したとき、自分には何もできないだろうということを考える。シガーが私を殺すかどうかも想像ができないから、どうすればいいのかわからなくなる。

ところで

事前情報ほとんどなしで見にいったので、『ノーカントリー』には原作があるということを今知りました(や、たぶんどこかで見てたんだろうけど)。『すべての美しい馬』の人なのか! 和訳(邦題は『血と暴力の国』)も文庫ででてるみたいなので、読んでみたいと思います。本屋いってくる。

2008-03-29

[] 男女3景

朝、電車の中に、きれいな水色の着物を着たお母さんと優しげなお父さんとスーツ着た男の子がいて、七五三かな、でも七五三で季節とか関係あるんだっけ…とか思いながら見ていた。どうやら、お母さんが少し機嫌が悪くて、お父さんは息子にちょっかいだすことで丸くおさめようとしてるみたいだった。電車が開くと男の子だけ勢いよくかけてく。地下鉄って少し息苦しいよねと思った。

昼下がり、隣に座っていたカップルの男の子の方が、女の子に「世の中には理不尽なことってたくさんあるから、いまのうちに、そういうことがあるってことを体験しとくのはいいことだと思う」みたいなことをたんたんと語っていた。確かに、理不尽なことってたくさんある。でもなんでなんだろう。それを解決しようって気がおこらないのは、期待していないってことに近くて、だからたとえば仕事とか、ある目的を優先するためのあきらめなんだよなあ、ということを考える。それはけして悪いことではないし、きっと必要なときもあると思う。それはたぶん自分にやさしくすることの方に近い。手の届く範囲はそう広くはない、と思いながら、どこかさみしい気持ちもあるのは、なんでなんだろう。

夜、向かいには老夫婦が座っていた。「音量の調節の仕方がわからない」といって、女の人が、隣の男の人に iPod を手渡す。男の人は眼鏡を(老眼鏡かな?)をずらして、どれどれ、とタッチパネルをぐるぐるしはじめた。あああああ、と思って見ていたら女の人が「うわっ」と言ってイヤホンを耳から引っこ抜き、「びっくりした!」と、笑った。男の人も「ごめんごめん」と目を合わせ、笑いあうのを見て、なんだかちょっとうれしくなった。

[] お花見日和

場所によってばらつきはあるみたいだけど、もうあちこちで桜が満開になってる。咲くときはほんとあっという間。風が吹くたんびに「ちょっと待ってええー」と言いたくなるけれど、出し惜しみいっさいしません、って景気の良さが、桜のいいとこでもあるような気もして。でもせめて1か月くらいは咲いてればいいのになぁと思う。たくさん花見したい。

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そんな桜満開ど真ん中のお花見日よりだった土曜日は、どこいってもピクニックマットやらお酒やら持って外へくり出す人々で溢れていたように思います。

私もその浮かれ気分に混じってお花見をしてきた。ちょう楽しかった! 飲んで食べてに夢中になりすぎて、絵に描いたような花より団子状態だったけど、ピクニック気分を味わえたのもうれしかったなぁ。

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こちらは「さくらーさくらー」と花につられて歩いてるときに目が合った猫2匹。

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「やーもう眠くてしかたないっスよ」って顔してる(ような気がする(だって白目))。

2008-03-28

[] 昔話/マンモスホームセンター

昔、うちの近所に、金魚と植物を売ってるホームセンターみたいなのがあった。ふたつある入り口の左手側には、たくさんの金魚が泳いでいる池(というか大きな容器)が並んでいて、その奥には壁一面をぐるりと水槽にかこわれた部屋があった。お祭りなどで金魚すくいをしたあとは、よくここへ餌を買いにきたりもしたし、熱帯魚や海老や亀を見物しに行ったこともある。そういえば、うちの庭に埋めてある池も、たしかここで買ったやつだったと思う。池に放たれたまま行方不明になったと思われた金魚が数年後、池掃除の際に20センチはあろうかという巨大な魚に成長して現れたときは金魚の生命力すげーと思ったりもしたけれど、驚いて報告してみたら、母親はそんなこととっくに承知しており、しかもなぜか「ポラリスちゃん」などと名前を付けていたので私は長いこと「ポラリス」って「すごく/でかい」って意味だと思ってた…というのはまた別の話。

反対側の入り口は植物の種や苗や園芸用品を売っているお店に続いていて、その奥にはこぢんまりとした温室まであった。温室の中は生暖かかったけれど歩く隙間もないほどに植物が詰め込まれ、そのほとんどは枯れてるように見えた。

温室と金魚屋の間には、たぶん売り物ではなかったと思うんだけど、チャボやクジャクの小屋があり、だから敷地内どこにいてもチャボやクジャクの鳴き声が、 クケーッケッケッケ、クィー、クケーケッ とかそんな感じで聞こえていた。

そして、クジャク小屋の奥には、でかいガラス張りの箱があり、中にはなぜかマンモスの剥製(のレプリカ)が展示されていた。あれは確かに、マンモスだったな。

敷地内にはレストランもあった。それは子どもの頃の私の行動範囲内にある唯一の飲食店だったので、よく覚えている。白く塗られた壁が、なんていうか、すごく海っぽい店だった。

一度だけ、たぶん私がまだ小学校にあがったばかりの頃、その店に入ったことがある。客は私と母さんしかいなくて、店内にいる他の何人かは家族みたいだった。というか店内の半分はその人たちの生活空間になっていて、壁際にはビールケースとともに段ボール箱が積まれていた。のれんの向こうから、テレビの音が聞こえ、端のテーブルで書き物をしている男の子が、時折向こう側をのぞきこんだりしている。テーブルの上にはコイン式の球体おみくじがあって、わたしはそれをいじりながら、窓の外のマンモスを見ていた。どうしてわたし、ここにいるんだろう?

それから数年後、ある日突然、そのホームセンターはなくなっていた。金魚も、温室も、クジャクもチャボもぬるいオレンジジュース飲んだあの喫茶店も、マンモスも消えた。

幼い頃は、そういう「よくわからない場所」というのがあちこちにあったような気がする。でも有名な場所ならともかく、そういう場所ってある日、突然なくなってしまう。毎日見ている風景が、明日には変わってるかもしれないんだと考えると、どこもかしもこ見て回りたくなるし、もう壊さなくていいじゃんと思うこともたくさんあるんだけど、

せめて「○月○日に取り壊しが決定いたしましたので、それまでどうぞご自由に中を御覧下さい」みたいな期間があってもいいんじゃないか。

あのマンモスはどこからきて、どこにいったのだろう。今そこに何があるかを、思い出そうとしてもでてこない。毎日通っている道なのに、私の中のあの道には、いまこの瞬間にもマンモスが立っていて、どうしてわたしここにいるんだろう、と首を傾げている。ような気がする。もう一度、あの景色を見たいと思っても、もうないということが、唐突にかなしくなった。

[] 即リロード

ふだんわりとまじめな顔してまじめに喋ってるという自己認識なのに、ときメモ(GS)の話になると夢中になりすぎて笑い(気味悪め)が押さえきれない自分が心配です。心配だけどものすごく楽しいのでやめられません。今日もついったでうっかり「デート断られたら即リロードする」みたいなことを口走り、危うく(恐れ多くも)ビッチ認定されそうになったのですけど、でもそれくらい大好きなものがあるって幸せだよね! と思いこむために帰宅して妹とときメモ話をしようとしたらもう眠っていたので日記に書くことにします。はばたき学園には思い出がいっぱいだよ。ほんとだよ。うそじゃないよ。メモリアルだよ!

2008-03-26

[] 風船

考え事するのは、自分の中だけで新陳代謝してるみたいなものだ、と思うけど、でもちょっとだけ、愚痴とかいってみたいときに、でも自分よりたいへんなひとたくさんいるし、そんなしんどいわけじゃないし…とか思ってやめると、そんなたいしたことじゃなかったはずなのにふくらんでたりする。

でもそういうときに、タイミングよくやさしい出来事があったりすると、いつのまにかふっ飛んでたりもして、しぼんだ風船つまんで、なんでこれで悩んでたのかなーとか、思えたりもするから、考えても詮無いことはとりあえずおいといて、

ちゃんとご飯作って、おいしいもの食べて、アイロンかけたり衣替えしたり、眠って起きてを繰り返しながら生活して、誰のためにとかそういうんじゃなく、やさしくなりたいなと思う。

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歩いているとあちこちの色に目をひかれて、景色が目に染みるみたいだ。

2008-03-25

[][] ネムルバカ/石黒正数

ネムルバカ (リュウコミックス)

ネムルバカ (リュウコミックス)

コミックリュウで連載されていた「ネムルバカ」の単行本がようやくでました。待ってた!

学生寮で同室の先輩後輩(ともに女子)が主人公。沙村広明『おひっこし』に通じる、大学生の迷走を描くその語り口は軽いのに、だからこそ読みながらズーンとくるものがあるというか、他人事として笑えない…って思う作品だった。

個人的に、例えば木尾士目さんの作品や、『ヤサシイワタシ』は、むしろ安心して読むことができる気がするんだけど、それはたぶんそこに痛みというか方向が提示されてるように読めるからだと思う。でも、この『ネムルバカ』を読んでるときは、主人公たちの視点で読みつつ、でも主人公たち自身が自分の言葉と実際に迷ってる感じがする。そこが魅力で、同時に恐さを感じる作品だったと思います。

特に、ラストの決着のつけ方が好き。

[][] 「それでも町は廻っている」4巻/石黒正数

それでも町は廻っている 4 (ヤングキングコミックス)

それでも町は廻っている 4 (ヤングキングコミックス)

はじめて本屋さんで手にとったとき「SF…?」とか思ってたことが意味分かんないくらいに既にその存在が脳になじんでいる「それ町」ももう4巻です。あいかわらずたのしくて3回くらいとおし読みしました。4巻では歩鳥の弟、タケルが大活躍します。タケルの話も楽しい(とくに「電脳コ○ル」の回とか)んですが、個人的には、シーサイドに歩鳥あこがれの人がやってくるの巻が楽しかったです。その気持ちすごいわかるぜ…とか思いながら読みました。あと年賀状の回の最後のコマは何度見てもオナカイタイ。

あと、4巻冒頭の回で歩鳥たちがとまる旅館の名前と、「ネムルバカ」にでてくるファミレスの名前が「ハチノス」でおんなじなのなーとかいうことに珍しく気づいたりした。これ前の巻とかにも出てきたのかなー。ハチノスかーたべたことないけど…。

[] そらとぶひかり

今朝いつもと違う道を通って会社に向かっていたら、桜並木があかいろで、あとほんともうちょっとって感じで、季節の変わり目っていつも唐突な気がするけど、このもうちょっとを見られる時期がすごく短いからなのかもとか、そんなことを考えていた。あと数日で、はじけるみたいに、桜が咲くんだろうなって想像して思い描いたのはポップコーンだったけど花柄の服とか着たいのはやっぱり春だからかな。いい天気とか、お気に入りの服とか、桜とか、週末とか春の先にある夏とか。そういうものにちょっと背を押されて歩きたい気分。もうちょっと、いろんなことちゃんとがんばろーとか思うのも、寒いのが終わりかけだからなのか。

2008-03-24

[] 「傷つくことに弱虫なんて乙女がすたるもの」

ここ数日でたくさんの、袴姿の女の子をみかけた。私は袴をはいたことがなくて、大学の卒業式では高いレンタル代払うくらいならワンピース買いたいだってその方が後々使えるだろうし、なんて言ってタイシルクの刺繍入りワンピース買ってもらって、それすごくかわいかったけど、かわいらしすぎて結局一度しか着なかったのが、今でも心残りで、だから私はもう柄でもない服なんて買わないって決めたら、黒い服ばかり増えすぎてしまった。

けど今になってやっぱり一度くらいは袴を、もしくは振り袖を着てみたかったとか思うのは、子どもの頃、お母さんの衣装箪笥から洋服引っ張りだして着替えごっこしたあの頃の気分と同じで、なんていうのか、装うっていうのはそれだけでけっこうわくわくすることなんだと思う。

大人になったらきっと、そういうわくわくがたくさんあるんだろうと思ってた。でも、実際はそんな機会ほとんどなくて、とても残念です。

まあ、たぶん私は袴はいても「はいからさんが通るだー」とかそんなことしか思わないだろう。でもなんていうか、成人式の振り袖も卒業式の袴も、今でも名残惜しく思うくらには憧れがあったのかもしれなくて、なーんて「かもしれない」とかぼかして主張しないくせに、いつまでも欲しかったなーとか思ってる周回遅れの人生を卒業したいです。晴れた 空が 好きです。

2008-03-21

[] あばよ涙、よろしく勇気

もう10年近く前(…ってあらためて過ぎ去った時間が10年であることを考えるとおそろしいな)、私はとある町のとあるレコード屋さんでバイトしていました。当時大学生だった私は、漠然とした不安と期待とやる気と無気力が交互にやってくるような日々を、思い切り泣いたり笑ったり時には思い切らなかったりして過ごしていました。そして時には恋したりも(げふげふ(中略))その頃付き合っていた人と、お別れしたときは、ほんとうに悲しかった。「若さ若さってなんだ〜」と問われれば「振り向かないことさ〜」と即歌するわたしですけれども、昔は今よりもずっと、振り向きまくっていた気がします。

その彼とお別れしてしばらく経ったある日、バイトの帰り道に偶然、鉢合わせしてしまったことがあった。

ま、鉢合わせといっても声かけたわけじゃなくて、遠目に会釈くらいしかできなかったんだけど、一緒にいた同僚Yさんも元☆彼のことは知ってたから、「なにどうしたの」とか言われ、「実はねー」、みたいなことを、歩きながら少し話した。「ふられたー」「わー!」って話は女友達と散々したし、ずいぶん元気になったと思ってたけど、でもいざそうやって振り返ってみるとなんか悲しい。そんで、つい、目から水が出てしまった。

あーあ、って思ったけど、でてしまったものはなかなかひっこまない。でも、駅についたとき、一緒に歩いていたYさんが困った顔で、

「おれ帰ってもいい? 」

って聞いてきたのが、すごく面白くて、つい笑ったら自然と涙もとまった。

たまに、女の涙はめんどくさいって言葉を目にするけど(Yさんもそういうこと言う人だった)わりと涙もろいタイプであるところの私からすると、泣いてる方だって結構めんどくさかったりする(そうじゃない人もいるかもしれないけど)。泣くとスッキリすることもあるけど、人前だと気を使わせてしまうことが多いし、心配かけたくないのになーってこともある。そんな時、この「おれ帰ってもいい?」を思いだすと、けっこーふっきれたりする。

とはいえ、誰に言われても笑える台詞じゃない気もするし*1、優しい言葉をかけられたら、それももちろんすごく嬉しい。

ただYさんの「おれ帰ってもいい?」の後ろには、家帰ってテレビみたいとかご飯食べたいとか明日また普通に一緒に働くとか、そういうのがすごく素直にあって、だからこそ、私の毎日だってまだまだ続くもんね!って、気持ちになれたんだと思う。

まあ、面と向かってそんな事なかなか言えないけど、こんときのことは今もよく思いだすし、Yさんと飲んだ時はいまだにこの話がでたりする。

そんで笑いながら、やさしいとかつめたいとかって表面的な言葉だけじゃ判断できないものだよなあとか、そんなこと考えたりしてます。

若さ 若さってなんだ? 振り向かないことさ

愛ってなんだ? ためらわないことさ

ギャバン あばよ涙

ギャバン よろしく勇気

宇宙刑事 ギャバン

D

*1:キャラクター次第なのかなあ

2008-03-20

[] 日記かきたい

更新頻度が落ちてるなあとか思うとなんとなくそわそわしてしまう私ですけれど、よく見てみればたった3日あいているだけだったりして、その間なにをしてるかといえば普通に会社いって仕事して家かえって眠ってるだけなんですが、それでも日記を書かないと物足りない気がするのはたぶん、これがわりと自分の生活の一部だからなんだろうなと思う。その点で私の日記は質より量、なのかもしれないけど、例えば毎晩絵を描いてから寝るとしてもうまく描けた方が嬉しいし、上達したい気持ちもあって、その上達したい気持ちと、ただ描きたいという気持ちを天秤にかけるといろいろ悩ましいなーとか、考えたりしています。

そんなこと考えつつ、今日の私は朝からずっと雨やまないなあ、ばっかり言っていた。いまは弱まったけど、次に晴れるのは土曜日だって天気予報は言っていた。家に帰ると母さんはやっぱり桃鉄をやっていて「なんでわたしこんなに強いのかなー」とか言っていた。私は今まで桃鉄って完全に運のゲームだと思っていたけれど、しばらく見ていると確かに母さんはものすごく上達していて強くて(コンピューターと対戦している)、なんかわたしも上達したいと思った。なんか練習したい。とか思うのは春だからかもしれないけど、でもとにかく、私は日記を書こうっと、と思いました。

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[][] 真空融接/びっけ

真空融接 上 (B's-LOVEY COMICS)

真空融接 上 (B's-LOVEY COMICS)

きれいな絵だなーと思って気になっていたけど、読んだことなかったびっけさんの作品。お友達に借りて初めて読みました。感謝…!

物語の舞台となっている国では、幼い頃にもっとも波長が合うパートナーを割り当てられる。その組み合わせは補給者と供給者で構成され、補給者は供給者から力をもらい、供給者は補給者に力を与えることで生きている。力の受け渡しは唇…ってつまりキスするわけで、だからこの作品にはとてもたくさんのキスシーンがでてくるわけですが、それがどれもすごくいい。あーこの人キスシーン描くの好きなんだろうなあとか思いながら、どれもすごく切ないというか、力の受け渡しであってもそれは信頼関係なんだなあとか、そんなこと思いながらにやにやして読み終わりました。

以前読んだよしながふみ羽海野チカさんの対談(前出た本に入ってるのかな?)にあった、「やおい」とは、というくだりが、この作品ですごくふにおちた気がしたので、もうちょっといろいろ見てみようと思います。なんていうか、それは「関係性」を指すのかな、とか。

2008-03-17

[][] フルーツバスケット高屋奈月

フルーツバスケット (1) (花とゆめCOMICS)

フルーツバスケット (1) (花とゆめCOMICS)

アニメ見てからずっと、読みたいなーと思ってたフルバをようやく一気読みしました。楽しかった!

フルーツバスケット』は、十二支(+猫)の物の怪に憑かれた人たちと、主人公、透(女の子)の物語です。異性と抱き合うことで動物化してしまう…って設定とか、最初はコメディだと思って読んでたんですが、楽しい雰囲気はそのままに、それぞれに抱えているものを乗り越え自立していくまでを描いたお話になっています。

登場人物の変化の過程が、最初から作者の計画していた通りに連載されたんじゃないかと思うほど、丁寧に描かれていて驚かされる。人の関係なんてそんな一朝一夕にかわるものではなく、徐々に、ゆっくりと、成長していく中で、不意に開けてるものだったりするんだなあとか、しみじみしながら読みました。

生まれもったつながりの場所から、登場人物のそれぞれが、それぞれに、自分の場所を見つけていく中で、唯一主人公「透」だけがそのほとんどを見守る立場にいるんだけど、この子がほんとにいい子でねえ…。こういうキャラクターを嫌みなく(と私は思う)描けるってすごいなと思いました。そして、最後には透の物語として一本になるとこもいい。

フルーツバスケット 第23巻 (花とゆめCOMICS)

フルーツバスケット 第23巻 (花とゆめCOMICS)

以下は単純な好みの話になりますけれども、わたしは、はとりとあーやともみっちがすきです。それから本田父が好きです。妹は夾くんが好きだそうです。そんな姉妹です。ばんざーい!

[] 一気に春がきた

目が覚めた時、寒くなくって驚いた。気温と体温がちょうどいいくらいに混じりあってる感じがした。外の空気はまだ少し張ってるけど、部屋の中は柔らかい。

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外にでるとあちこちに花が咲いていて、あー春になったんだなぁと思う。そろそろコートはクリーニングにだして、去年ほとんど袖通さなかった春コート着よう、とか考えるとちょっとわくわくする。菜の花がおいしい、って去年も思ったの、もう一年もたつんだなあ、とか、あの頃よく遊んでた友達は、外国へ行ってしまったことを思い出したりする。

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やさしくしたいのかやさしくされたいのか、どっちが先なのかよくわかんないときに、不意にやってくるひとことに、すくわれた気持ちになったりすると、なんていうか、世界の半分はやさしさでできている…とか、思う。単純かもしれないけど、へこむのなんていつでもできるし、って、机の上の山片付ける月曜日。毎日眠くて春眠暁を覚えない感じです。

2008-03-13

[][] 「そんなもんじゃないだろ」

ちょっと気になっていたので『人のセックスを笑うな』を読み返してみた。

気になってたのは、映画でも小説でも、最後にでてくる

「会えなかったら終わるとか、そんなもんじゃないだろ」

っていう台詞についてなんだけど、再読してもやっぱり、小説で読むのと映画で見るのとでは全然印象が違う気がした。ミもフタもない書き方をすると、小説は否定、映画は肯定に思えた。その台詞に対して、みるめが、自分で用意しているだろう答えが。

もちろんどっちがいいとかじゃないし、ユリとみるめの関係も、映画と小説ではそれぞれ違う。

でも、その否定肯定の感触っていうのは、もしかしたら映画と小説の違いなんじゃないのかなって気もした。

小説は、回想するみるめの視点で読んでるから、「 」でくくられたあの台詞は、やはり遠くのものに感じた。しかし映画のみるめは、台詞の(台詞だったっけ、モノローグだったっけ、その差も重要な気がするけどとにかく)渦中にいて、「 」はまだ過去になってなかった。

小説のラストで、続いてく花火を見ながら思っていたのは、輪と輪のつなぎ目みたいなものだろーと私は思っていた。そして、そこんとこ、映画は違う提示の仕方を選んだんだと思う。

だからなに、というわけではないのですが、今日はそんなことを考えていました。

そんなもんじゃない、という視線の先にある「続く」にも、いろんなかたちがある。

私は、弱火でまめに、溶いてるみたいなのがいいなと思う。

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写真は関係なくて、このまえなんか鼻息が聞こえる…と思ったら植え込みの中に猫が寝てたのみつけたときの。猫にも花粉症ってあるのかな(早く元気になりますように…)。

 夢が叶いました

これまでこの日記更新するにあたって特に目標とかたてたことなかったんですが、でもなんかちょっと…と思い今年の目標は実は「ブクマ30いってみたい」でした。それがなんと、昨日の父親日記で、とうとう叶ってしまいました。ありがとうございます!

たくさんのブックマークおよびコメントをいただけて、盆と正月が一気にきたような…という慣用句が頭に浮かぶほど、めでたい気持ちになりました。

折しも、こちら(http://response.g.hatena.ne.jp/ichinics/)で応答日記をはじめたところだったので、応答を書いてみたりしたいなーと思っております。どうもです。よろしくお願いします。

2008-03-12

[] それ言わなくてもいいのに日記

「結婚できない男」というドラマを何回かテレビで見たことがある。わりと面白くて、人気もあったドラマだと思うんだけど、この主人公の言動は(顔ではなく)うちの父親にとてもよく似ていていた。

たとえば、建築家である主人公のところに依頼に来たカップルが、結婚後に奥さんは仕事を続けるのかどうかでもめている場面での台詞。

「まあ話を聞いたところでは、奥さんの思い過ごしと言うか…ご主人はあなたを必要としているわけだし、あなたに家にいて欲しいんですよ。

今の職場でこんなに求めてくれる人がいますか? 必要とされる所にいた方が良いでしょう、居ても居なくても同じような所にいるよりは…」*1

前半はいいとして、後半のこの、言わなくてもいいひと言が、もう…ものすごくうちの父さんぽい。あまりにも似ている。他人事とは思えない…!と兄弟で言いあった。(ただドラマを全部見たわけじゃないので、あくまでもこの場面の印象だけど)

例えば、うちの父さんは、料理をつくって「どう?」と聞いても苦笑するだけだし、口を開くとしても「塩が控えめならよかった」「彩りがよければよかった」「こんないい肉使っても料理の腕が云々」「ちゃんと特売の日に買ったのか」みたいな台詞ばかりだ。ご飯や煮物をよそおうとすると怒るし(自分の食べる量は自分で決めるからとのこと)、好きじゃないメニューだった場合は自転車でスーパー行って刺身買ってきたりもする…。

そういえば、わたしが大学受験のとき、一緒に合格発表見に行ったのに、

「落ちてる気がするから俺見ないから、ひとりで見てきなさい」

って言ったのにはびっくりしたなぁ…。そんで「合格してたー!」って父さんとこ戻ったら、

「そういうことはちゃんと確認してから言いなさい…!」

って怒られたなぁ…。そして自分も番号確認して、何を言うかと思えば「ま、もうちょっと学費の安い学校だったらいうことなかったけどね」って。うん。

もちろん、子どもだったわたしは父さんのおかげで生活できていたんだし、今になってみれば、ああいうの基本的には照れ隠しだったんだろうなって思う。現在では父親と同じ仕事をしているくらいだから、影響もたくさん受けた。

でも、まあそういう言動に、いちいちショックを受けていた時期というのもあって、そんなわけで、わたしと父親は、あんまり仲が良くなかった。お互い年をとって、今はまあまあと言えるくらいになったけど、その仲良くなかった時代にしても、仲が悪いっていうのとはちょっと違って、たぶんお互いに、どう付き合っていいのかよくわからなかったんだと思う。

昔から、外で会っても知らん顔だった。中学生の頃から電車通学だったわたしは、駅で、帰り道で、父さんとすれ違ったけれどいつだって、目が合ったって、声をかけあうことはなかった。

それなのに、最近は夜洗面所で歯を磨いていたりすると、「お姉ちゃん、ブログって知ってる…?」とか声かけてきたりする。親に向かって言うのも生意気だけど、お互い年とってまるくなったなぁと思う。

そんでも「ああ、やったことあるけど(適当)なんで?」とか答えると、嬉しそーな顔で訊いてくるのが、

「どう? 炎上してる?」

だったりするのが相変わらずで(そもそも意味わかって言ってるのかは謎だけど)、面白いです。

*1:台詞はこちらよりお借りしました(http://csx.jp/~lipcre/comic/kekkon.htm

2008-03-10

[][] 東方見聞録 − 市中恋愛観察学講座/岡崎京子

東方見聞録―市中恋愛観察学講座

東方見聞録―市中恋愛観察学講座

1987年ヤングサンデーで連載された作品の初単行本化。

ハワイに住む海外育ちの女の子が、おばあちゃんのかつての恋人の孫と一緒に東京見物をしてまわるお話。岡崎京子さんの作品で、まだ単行本化されてないものがあったっていうのも驚いたけど、作品自体よりも、描かれているのが自分の知っている東京だってことが、不思議に思える漫画だった。なにしろもう20年も経ってる。20年前の東京を今として読んでしまう居心地の悪さというか、やっぱり岡崎さんの漫画って、常に「今」なんだよなあってことを思った。つまり、懐かしく読む雰囲気じゃない。まるでテレビをつけたらどのチャンネルでも昔の映像が流れてるみたいな気分だ。

正直な感想をいえば、まだつたないところもたくさんある作品だと思う。のめり込んでは読めなかったし、私の好きな/好きだった岡崎京子のあの迫力のようなものはまだない。ただ、例えば

学校と家の往復なんて退屈じゃない。

たまには風景を見に行こうよ。

なんて台詞に、確かに憧れただろう自分がいたことは確かだ。

例えば私がはじめて岡崎京子を知ったのは、塾通いしてた小学生の頃、授業さぼって駅前のワゴン売りの古本屋で立ち読みした「東京ガールズブラボー」だった。あのときのわくわくする感じ、この中に自分もいるって感じ、なにかを無責任に願う感じ、あれを斜に構えることなく受け取ってしまったことで、引きずられていった部分も、確かにあると思う。

岡崎京子が描いた年代があるとしたら、完全に同時代ではなく少し上だからこそ、それは私の年代でもあった。そして、それを追い越してしまったことを思うと、やっぱりすこしさみしい。

[][] いましろたかし傑作短編集

「クール井上」の文庫版です。文庫版て読みやすくていいなあと思いました。このシリーズで「釣れんボーイ」も出るらしいのがうれしい(持ってるの分厚くて読みにくいし…)。

この本に入ってるので特に好きなのは「釣れんボーイ外伝」なのですが、釣りしてる途中で猫に魚やったりするの、こういう、日常雑記みたいなの、もっとたくさん読みたいなあと思うんだけど、いつのまにか、いましろさんはそういうのやりたくないのかなーどうかなーとか思いながら読んでる自分がいて変だ。「習作」のいきなり毛をそりたいとかいうトコも好きです。だいたいいましろさんの漫画にでてくる人たちは、不器用なんだけど、やさしいっていうか、いいやつなんだよなーとか思う。女の人の描き方も、わりとたくましい感じなのがいい。

全然関係ないけど「愛しのアイリーン」のラスト思い出したりする。

2008-03-09

[][] 死刑森達也

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

少なくとも死刑を合法の制度として残すこの日本に暮らす多くの人は、視界の端にこの死刑を認めながら、(存置か廃止かはともかくとして)目を逸らし続けている。

ならば僕は直視を試みる。できることなら触れてみる。さらに揺り動かす。 余計なお世話と思われるかもしれないけれど、でも実際に人が死ぬ。誰かが誰かを殺す。誰かが誰かに殺される。そんな事態に対して不感症でありたくない。

だからできるかぎりは直視して、そのうえで考えたい。死刑は不要なのか、あるいは必要なのか。人が人を殺すことの意味は何なのか。罪と罰、そして償いとは何なのか。

p012

この本を書きはじめる前、存置か廃止かでいえば、森達也さんは廃止派よりであったと思う。しかし、なぜ自分はそう思うのか、それを知るためには、もっと「死刑」というものを知らなければならない。この本はそうやって書きはじめらている。

私自身は、この本を読みはじめる前、死刑は廃止したほうがいいと思っていた。でもその理由は自分自身がその制度に関わりたくないという、利己的な感情にすぎず、日記にもそう書いたことがある。しかし読み進めるうちに、そう書くのはやはり、ただの言い訳だなと思った。

この本の最大のテーマは、好むと好まざるとに関わらず、もうすでに関わってしまっているのだから、知ってほしい/知るべきである、という主張だと思う。そしてインタビューは重ねられる。それぞれが死刑に密接に関わっている人たちの言葉だからこそ、読めば読むほどに迷う。存置か廃止か、知りもしないで傾けられることではない。

例えば、私は死刑が国家による、多数決による、殺人であるという点におそろしさを感じていたけれど、この本を読むうちに、その制度についてあまりにも知らないこと、確定死刑囚がどのような生活をしていて、いつ執行を言い渡されるのか、冤罪の多さ、遺族の思いもまた一通りではないという当たり前のことを、あまりにも知らずにいることのほうがずっと、もちろん比べることではないのだけど、こわいと思った。

価値や規範を可視化できない個々の苛立ちや恐れが、絶対的な正義の存在を希求する。人は規範に従いたい生きものなのだ。規範がないのなら無自覚に作り出す。そんな究極の規範が、この世界のどこかに存在していてほしい。人はそう願う。

これがこの国における死刑制度の本質だ。

p243

つまり、死刑の有用性ではなく、論理ではなく情緒が、死刑制度にまつわる水掛け論のゆえんである、と森達也さんは書く。

この本を読んでいると、廃止派の人も存置派の人も、死刑囚の人も冤罪死刑囚の人も、刑務官として死刑を見てきた人も、被害者遺族の人も、それぞれ悩みながら言葉を発していて、そのほとんどの人は、帰結が異なるだけで同じことを言っているようにも思う。

本を読み終えても、廃止/存置のどちらが正しいのかなんてことはわからなかった。

ただ、それはやっぱりシステムではなく、それが誰であれ、一人ひとり違う。だからこそ、知れば、言葉をかわせば、その人を殺せないと思うのが情緒であってほしいと私は思う。

関連

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20080208/p1

[] 走りたい

のんびりしてるといわれたこともあるしせっかちだといわれたこともある。やさしいといわれたこともあればつめたいといわれたこともあり、好奇心旺盛だったり無関心だったりけんか腰だったり懐が深かったり、全然違ういろいろな印象が私なのはつまり相手によって、もしくは同じ人相手でも時によって全然、あるいはちょっと、違う人みたいなのかもしれなくて、とか考えているとたまに自分でもわからなくなって夏場に出しっ放しのバターのような/冷凍庫に数ヶ月放置されてる製氷皿みたいな、そんな気持ちになることがあるけれど、それでも、何のためらいもなく大事だと思うものがあると心強いのはなんでかなって考えたりして今日、だいすきな、ある日記で、それがあやふやに形を「みつけてくれる」って言葉を読み、ああその憧れはわたしの中にもあると思った。あってしまってると思ったし、それをみつけたいと思ってもいるようで、それはなんて、とぐらぐらするような気持ちはたぶん、願うことににてる。でもちょっと違う、言葉になんないこと思うと、なんだか走りたくなる。走るの遅いけど。

f:id:ichinics:20080311005711j:image:w350

関係ないですが、見返してみると飛行機雲の写真をけっこうとってるので、いつかだーっとならべてみたいな。

2008-03-08

[] コーヒー日記

そういえば10代の頃はコーヒーが飲めなかったような気がする。だけど、大学時代のバイト先の側にあったドトールで、休憩時間はたいていそこで本を読んだりしていて、頼んでいたのは常に、ブレンドコーヒーだった気もする。

なんでコーヒー嫌いだったのか、それなのにどうして飲むようになったのかは、よく覚えていない。ただ例えばコーヒーをいれる過程の、特に台所に突っ立って湯が沸くのを待つ間が、コーヒーを好きだと思う気持ちに近いんじゃないかと思う。

待つ間の足の裏の冷たさと、息切れしてるみたいな薬缶の音。さむ…、とか、まあいいか…とか、独り言ってみたり、ふくらんだ豆をじっとみたり。

そんなしみじみした作業もとても気に入ってはいるんだけど、普段家で飲んでいるのはもっぱらゴールドブレンドで、これはもう幼い頃から母さんが、インスタントコーヒーは断然、ゴールドブレンドがおいしいと言い続けている刷り込みみたいなもので、でも実際、ほとんど贅沢をしない母さんが唯一銘柄にこだわるのがゴールドブレンドでもあって、だから幾つか飲んでみた結果,私もインスタントコーヒーはゴールドブレンドがおいしいと思うにいたりました。

けど、最近飲んだ西友オリジナルのインスタントコーヒーっていうのもまたおいしくて(しかも安くて)、そんで私は、ドトールのもマックのも自分で入れたのもゴールドブレンドも西友のも、どれもおなじくらい好きだと思う。だけどそれは「どれも同じ」とは全然違っていて、なんていうか習慣とかそういうのって、案外あっさりと終わって、かと思えばまた戻ってくるものだったりする。それは自分が動いているからなのかなあとか、そういうこと考えたりしつつ、

でもほら、透明のグラスや白いコップに入ったコーヒー飲むときって、ああコーヒーってけっこう透明なんだなと思うことがわりとよくあって、今もまた、透明だなと思いながらコーヒーを飲んでいます。

2008-03-06

[] 居間の女王

母親が桃鉄にはまっている。最近は家に帰ると必ず居間のテレビが桃鉄なので、母親がキングボンビーにみえてきた……、ってのはないけどちょっと、心配になるくらいやりつづけているので、「やりすぎじゃないですかね…」みたいなことをやんわりと言ったら、「イギリスの女王もwiiにはまってるらしいわよ」とよくわからないことを言われた。

桃太郎電鉄12 西日本編もありまっせー! (Playstation2)

桃太郎電鉄12 西日本編もありまっせー! (Playstation2)

[] いつかの私

気がむくとたまに、去年の今日とか一昨年の今日とかの日記を読んでみたりする。そこからたどっていくうちに、ふと、日々の流れみたいなものを遠くから想像してることに気付く。ちょっと前までは、日記に書いたことほとんど覚えてるつもりだったのに、だんだんと、すこしづつ溶けてってるような気がする。

むかしから、未来というものを想像すると、崩れてく崖を逆に再生するようなイメージが浮かんでいたのだけど、そのとき残される地面みたいに過去は確かなものじゃなくて、後戻りはやっぱりできないものなんだなとか、思う。踏み出す一歩と、置いていくことは同時にあって、でも過ぎても、確かに今の私にも混じりあっている。

例えば、「好きなことや好きなものややりたいことやほしいもの、そういうのってガソリンみたいなものだなぁってのはよく思う。それがあるから、もうちょっと先まで、行ってみようかなと思える。そんな感じ。」*1と、いつかの私が書いているのを見つける。私はこのときの私の気持ちをよく覚えているけれど、今ならこう書かないだろうなとも思う。ちょうど裏返しみたいだ、と思うけど、でもそれはどちらが正しいとかそういう話じゃなくて、

なにに、手をのばせばいいのかよくわからなくて、浮かんでしまいそうだったあの気持ちを思い出しながら、

祈るような気持ちで、口を開いてはみるけど言葉が追い付かない。ただ、

できるだけ手をのばしていたいと思う。先へ、届いてますように。

2008-03-05

[] 「magic hour」/キセル

magic hour

magic hour

キセルの5枚目のアルバムをきいたとたんに、思い出されるのはやっぱり朝霧の朝。あのときのライブは新曲中心だったけど、なんともなじみ深く、キセルらしい時間だったと思う。

構成はほぼ前作(id:ichinics:20050629:p1)の流れを受け継いでいるし、手触りはかわらないのだけど、でもアルバムを重ねるごとに、少しずつ、まるく、力強くなっているようにも思う。

キセルのアルバムにはいつも、とても好きな音が詰まっている。

懐かしい未来のような、昼下がりの光のような色が、物語のように広がっていく。

中でも、「君の犬」という曲のことは、朝霧で聞いた時からなんどもなんども思い返してきた。

[] チェリー

「君の犬」を聴きながら思い出すのは、チェリーという犬のこと。クリーム色した犬で、うさぎの人形がお気に入りだった。

チェリーは昔、私がつきあっていた男の子の家で飼っていた犬だった。初めて会ったときは怪訝な顔をしていたのに、その後は彼の家に遊びに行くたび玄関先まで迎えにきてくれた。公園や川沿いの道を、よく一緒に散歩した。コンビニやビデオレンタル屋さんに寄るときは、店先につなごうとすると悲しい顔をするので、どちらか一人はチェリーと一緒に待つことになった。

「うさぎ」というと、うさぎの人形をもってきてくれるのが得意技で、ちょっとしたことで喧嘩しそうなとき、どちらかが「うさぎ」といえば、チェリーが仲直りのきっかけをくれた。よだれまみれのうさぎと、ちぎれそうなチェリーのしっぽ。クリーム色した、目の大きな犬だった。

別れてずいぶん経った頃、友達の結婚式で再会した彼に、まず一番に訊いたのはチェリーのことで、

掘っても 掘っても 指先に

触れてくるのは 柔らかな 思い出ばかり

いろいろ、思い返すと切ないけど、あの頃のことを考えると、最初に出てくるのはやっぱり、玄関先まで迎えにきてくれたチェリーの、あたたかくて重い、前足の感触だったりする。

 いつかの犬

私は犬と暮らしたことがないので、だから、なのか、なのに、なのか、ともかく犬と暮らすことに、とても憧れがある。名前呼んだら振り向いてくれたりとか来てくれたりとか、いいなあーって思う。いつか飼いたいな、とか、言ってたらちゃんと世話できるの、て笑われたけど、

どうかな…って想像してるだけで、つい顔が緩む。のんきなもんだと思う。

写真は今日書いた文とは関係ない、いつかの台湾の犬。あつそうだった。

f:id:ichinics:20080209125108j:image:h300

2008-03-04

[] わたしの部屋は六階

イヤホンが壊れてしまったのでしばらく音楽なしで通勤していたのだけど、配線むき出しになってたとこセロテープでくるんだらなんとかいけたので、今朝は久々に、音楽聞きながら外を歩いた。すこし、前のめりになる。ジャッジャッジャーン、キーーン、ジャッ、・・・、テン! ダッ…ジャッ、、シャーン、って、音があまりにも気持ちよくて頬が緩む。

わたしの部屋は六階、ベルト緩めたままのジーパン

いつも、この音楽がすごくきもちいいのは、運動だからだと思う。運動は、不意に走りたくなるような衝動で、あと呼吸。呼吸を合わせるときの、あの、心臓が持ち上がるような空白は、たとえば振り返って目が合うときの、…って気持ちに似てる。

わたしの部屋が六階、だったことはないけれど、いつだったか高円寺のマンションで、六階のひとつうえの屋上、夕暮れ時、ぬるいワイン飲みながら日が暮れるまで、しゃべってた言葉は忘れてしまったけど、盛大にこぼしたワイン乾かすために干した、水色の中央に広がる赤色は今もひらひらしている。さびた物干竿の緑と。

部屋の中に五時半の赫色が差し込んで

何度も眠る。繰り返し眠る。眠っている間もある運動と呼吸はあんしん。三月の五時半、まだ日は沈んでいなかった。

D

2008-03-03

[] 親知らず日記

ユロさんの「左上の親知らずを抜いてきた」日記を読んでいたら、自分が親知らずを抜いた日の記憶が(よく考えたらそれはもう7年くらい前のことになるのですが)まざまざと(まざまざと?)よみがえってきたので、そのことについて書いてみたいと思います…。

当時、私の口内には上下左右計4本の親知らずが生えていたのですが、わりとまっすぐ生えていたので、そのまんまにしてもいいだろうってことで(自己判断)放置していました。しかしあるとき歯医者に行くと、左下の親知らずが虫歯になってるけどどうするか、と歯医者さんにきかれ、しかも「親知らずっていうのは普通よりも弱い歯なので抜いた方がいいよー」と言うので、はいじゃあ抜いて下さいとお願いしたんでした。

その頃通っていた歯医者さんは麻酔を使ってくれるので(その前に通ってたとこは、かなり原始的な感じだった(診察室の入り口に般若の面がかけてあったのが未だによく思い出されます…))、別に痛くないだろうしいいか…という気持ちだったんです、が。

3本の麻酔をあっちからこっちから打ち、しばらく放置した後に頬をつつく、あのときのじわーんとしびれがくる感じって正座した後に足の裏さわられるのに近い気がするんですが、ともかく麻酔が効いてきた事になって先生が「いきますよー」って、なにやらペンチっぽいものを口に突っ込み、歯をがしっとつかみました。思わず腰が引けてしまい、ビクっとした肩を助手の人に押さえられる。だって顔にタオルかかってるのでよく見えないのがこわい。ここは美容院か。違うよね。でしょ。とか自問自答してる間に、なんていうか、歯をペンチで握りつぶしてるんじゃないだろうか…て思うような「ミシミシミシッ」って音がして、頭が持ち上がるくらい引っ張られた後に先生の「はぁー」ってため息が聞こえたので、力仕事なんだな…とか思ったりしましたがそんなことより状況説明をしてくれと思いました。見えないのはこわい。

ただ、もちろん麻酔が効いているので、それほど痛みはないし、あれ?って思うくらい突然「ハイ終了」っていわれたので、最終的には、なんだこんなもんかって思いながら歯医者を後にしたんです。

だから、つい油断してしまったというか、なんというか、その日の夜、ご飯を食べに行ったときには、何の疑問もなく食べ物と、ビールを頼んでいました。

それでも、しばらくは「まだ麻酔効いてるから飲みにくいなー」ってくらいでビール飲んでたんですが、

「なんか口から血がでてるよ…!?」と言われて、慌ててティッシュで口元を拭うと、麻酔でゆるんだ口元から血が流れていてね……。しかもとまらないので、そこからはひたすらもらった脱脂綿噛んで、連れがご飯食べ終わるの待ってました。

そこではじめて、アルコールが血の巡りを良くするっていうのは本当なんだなと思ったわけです。

せっかくなので、この反省を次回に生かしたいとは思っているのですが、いかんせん抜いた跡がなかなか塞がらないのがめんどくさかったので、いまだにのこり三本を抜く勇気は湧きません…。(虫歯になりませんように…)

[] 季節

白くふくよかな梅の枝が、青い空に映える週末。いつのまにか、鼻先にふれるのは冷たさよりも甘いにおいになっていて、木曜日に作った桜餅を食べながら、数カ月前の紅葉を思い出す。赤や黄色や茶色の葉を詰め込んだビニール袋を開いたときの、あの、ぐるりと春が見えたような感じ。日向を選んで丸くなる猫を追いかけながら、夏にはいつも日陰に寝転んでいたチャオのこと思い出す。車の下、廊下、畳の部屋。お弁当もって、桜を見にいきたいなあとか思いながら、

思い出すことはたくさんあるけれど、遠くなるほどに記憶は細部の克明さと全体の漠然が混ざりあって、だからやっぱり、人生は過去ログの海を泳ぐようなもの、なんてぼんやり考えながら、波間に光るなんかきらきらしたものみたいな、季節ごとのにおいとか光の加減とかにふいにやってくるものも、きっと上書きされてく。

明日になって日記でも書くよ 今夜くらいはじっと落ち込んでたいな のんきなもんです はい あしたがあれば

「サマー記念日」

目が覚めた時、あんまり寒くないのがたのしい。歩きながらマフラー外すときのすずしい感じがうれしい。野菜がおいしい。ブロッコリーの緑色きれいだった。

f:id:ichinics:20080229012430j:image:w350

そんな感じで、またあした。