イチニクス遊覧日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

0000 | 00 | 01 |
2001 | 01 | 02 | 08 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 11 | 12 |
  □これまでの日記一覧

2008-06-30

[] 机を買った日記

机を買った。

妹とあちこちのカタログみながら、やっぱりでかい机がいいよねと言いあって、横と手前に補助板が出る机に決めた。うちにあった古いミシンに少し似てる。去年だったか、友達につれられて行ったお店で見た机*1、あれこそが私の理想の机だったような気もするんだけど、でもそれはいつかの机であって、今はこの机が好きだと思った。

ただ、久しぶりの大きな(金額もサイズも)買い物なのにも関わらず、お店にいって「これください」と、注文の手続きをするその間、私の気分はちっとも盛り上がらなかった。もしかして自分はこの机が気に入っていないのだろうか…と考えてみたけれど、そういうわけではないようだ。ただ、ぼんやりと、店員さんの着ている服がかわいいなとかそんなことを考えていて、そのぼんやりがとめられないことに、私は拍子抜けしていた。情熱が足りない。大きな(金額もサイズも)買い物をするには、それにふさわしいくらいの思い入れが必要なはずだ、とかなんとか、ぶつぶつ思いながらそれでも私は注文書にサインした。その間も、店員さんの着ていた柔らかい黄色のカットソーが気になって、ここが洋服屋さんじゃなくてよかったと(節約的な意味で)思ったりした。

机が届いたのは、それから数週間経ってからだった。あっという間に段ボールをむき、手際よく室内に運び込んでくれた配達の人にお礼を言いつつ、

それが部屋の真ん中に置かれたのを見てやっと、なんだかちょっとわくわくしてきた。ああどうもこんにちはよろしく…という気分で引き出しを開けたり閉めたりする。いいね。とてもスムーズ…とか思いながら嬉しくなって妹に写真つきメールも送った。

昼御飯時だったので、なんとなくその机の上にご飯を用意してみる。ポテトサラダと作り置きの煮物とライス。食器を机におくときのコトンという音がなんとなくうれしい。

さて食べるか…、と思ったとき、そういえば椅子を買うのを忘れていたことに気がついた。

立つと低いし、座ると頭のてっぺんくらいの高さなので、椅子がないとどうしようもない。机と言えば椅子椅子と言えば机なのに…なんで買い忘れるんだろうって笑いながら、もしかするとぼんやりしつつもそれなりに高揚してたのかもしれないなぁ、なんて思った。そして、立ったまま昼ご飯食べて、椅子を買いに行きました。椅子が届くのは来週です。

[][] ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

ichinics2008-06-30

監督:ポール・トーマス・アンダーソン

久々のPTA新作をやっと見ました。

冒頭からしばらく続く、台詞のないシーンにぐいっと胸ぐらをつかまれたような気持ちになる。私はこれまでのPTA監督作品にかなり思い入れがあるのだけど、この映画については、それと比較して見る気にはならなかった。それは、あまりにも雰囲気が違うように感じたからなのだけど、それはこの映画で描かれるのが、「変化」ではなく、「変化しないこと」を描いた物語だからなのかもしれない。

とはいえ、この映画は、きっと見る人によってかなり感想の異なる映画だろうと思う。特に、物語主人公であるダニエルをどう見るかで、印象はがらりと変わるだろう。

ダニエルは最初から最後まで変わらなかった。そういう映画だと私は思った。個人的な価値観で判断してしまえば、ひっかかる部分ももちろんあるのだけど、それでも、ダニエルという人のクロニクルはひたすら魅力的で、それはなぜだろうと考えてみると、それは彼が変わらないからなのだった。

私は人が変わっていく物語が好きだ。変化というより、なにかのスイッチが入るかのような、いつのまにか新しい場所に立っていることに気付くような、そんな物語がとても好きだ。

それとはまた別の気持ちで、ダニエルの「堅さ」には爽快感すら感じた。そして、その堅さがなんであるのかを、ひとつの「言葉」で言い表せないところが、この映画の面白さだとも思う。

それから、この映画は音楽*2もすばらしかった。音楽があることで、その画にいくつもの視点が生まれるような、映画ならではの音楽だったと思う。若干、音楽が語り過ぎる部分もあったとは思うけれど、とても印象に残った。映像も美しく、全ての色を混ぜ合わせた黒のような、贅沢な映画だったと思う。

*1http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20070304/p3

*2:Radioheadのジョニー・グリーンウッドが担当

2008-06-25

ichinics2008-06-25

[] 渋さ知らズオーケストラ vs ZAZEN BOYS/6月24日@渋谷O-east

ニューアルバムは9月17日!レコーディングあけのザゼンのライブ見るのはこれが初めてです。しかも12月以来(id:ichinics:20071212:p1)って久しぶりすぎる。

シュガーマンから始まるのは12月もだったかな、とかちょっと記憶が曖昧になりつつ、ライブがはじまるとすっかり目が覚めたような気分になった。

新曲の、「ASOBI」とか、たぶん「I Don't Wanna Be With You」のラインがニューアルバムの中心になるんだろうなとか思いながら聴く。プログレ、ダンス、ニューウェーブ、70、80、90年代…、とかいろいろ単語を浮かべながら、まあそういうわけでもないかと打ち消して行く。個人的には、松下さんがリズム刻んでるよりは、構成わからないくらいに動いてくれるほうが聴いていて楽しい。向井さんはキーボードよりギター弾いててくれるほうが好きだ。でも、今ちらちらと見えている、ダンスミュージックっぽいあれにピンとこなくても(というかザゼンに求めてるものが少し違う感じがしても)、これからどうなるかわかんない、なにかあるはずだ、という期待をしてしまうのもザゼンで、今、どっちいこうとしてるのかはもちろんわからないけど、とりあえずまたはじまったのでとてもわくわくしている。

ただ、ザゼンの魅力は、やはり各パートのせめぎ合いのような、疾走する緊張感にあると思う。

今回聴いた「KIMOCHI」、「COLD BEAT」はものすごく素晴らしかったし、だからこそ私はザゼンに期待してしまうんだろうなと思った。また新しくなってた。あの、四肢がバラバラになりそうでならない気持ちよさ。ギター、ベース、ドラムが絡み合って空気の渦を作るような、音。圧力。黒光りするコールタールのようななめらかさに足元救われながら、オレンジ色のチカチカする光がブワーって流れてくのに目がくらみそうだ。これからですよ。ニューアルバムの発売は9月17日。首を洗って(!)待ってます。

渋さ知らズオーケストラ

楽しかった!いつもながらに素晴らしいライブでした。なんだこのハレの多幸感、ていつも見るたびに圧倒される。とても充実した気持ちになりました。大満足。

ところで私が渋さ見る時っていつも対バンありで渋さがトリなので、くたびれ切ってるときに見ることになるのが残念。なんかもっとこう、野外フェスとかでみたいなーと思います。

2008-06-24

[][] 豚茶漬け

豚茶漬けを食べると、T兄のことを思い出す。T兄は母方の従兄弟で、私にとっては実の兄のような存在だ。

T兄が私の家に下宿していた受験生の頃、私はまだ中学にあがったばかりだった。

T兄が暮らしていた部屋には、大量のカセットテープと、古めかしい石油ストーブがおかれていた。T兄はアジア音楽のメールマガジン(郵便)のようなものを発行していて、大量のカセットテープの背面には、難しい漢字や、ハングルや、見たことのない文字が並んでいた。中には彼が作曲したテープもいくつかあって、それは祖母いわく「なにやらわからん」音楽だった。私も聞かせてもらったことがあるけれど、ほとんどがオルガンの単音がいつまでも続くような、すこし不安になる音楽で、いつも穏やかな従兄弟がこれを弾いたというのは、なんだか意外にも感じられた。T兄はいつも、ウナギ犬の描かれたバックを持って予備校に通っていた。

そんな従兄弟の部屋のストーブの上には、いつも薬缶が乗っていた。ほとんど夜食のカップラーメン専用の薬缶で、私も時折そのご相伴にあずかった。

当時、カップラーメンはほとんど食べさせてもらえなかった私は、今でもカップラーメンを食べるとき、ちょっと後ろめたいような気分で、T兄のことを思い出す。

そんな T兄が大学に合格して越して行った後、うちに訪れるたびにリクエストするメニューが「豚茶漬け」だった。

「ほかにもいろいろできるよ」と母さんがいっても、豚茶漬けがいいんですよ、と笑う兄の顔は、私とは全く似ていないのだけど、いつのまにかT兄の来訪と豚茶漬けはセットになって、兄が来ない時でも豚茶漬けといえばT兄の、あの笑うと細くなる目とふくよかな腹を、思い出すのだった。

豚茶漬けは我が家でも人気メニューだったため、いつも満腹になるまで食べるのは難しかった。なので、いつか豚茶漬けをひとりじめしてみたい、というぼんやりとした目標が私にはあって、先日、西友にて豚肩ブロックが安売りしているのを見つけ、作ってみることにしたのでした。

作り方

豚肩ブロック…500gくらいの、なるべく脂身の少ないもの

ネギ(青い部分)…1本分

漬け物各種

キュウリ…1本

塩、しょうゆ…適量

酒…半カップ

1:豚肩ブロックが浸かるくらいまで水+酒半カップを入れネギの青いとこも入れ、圧力鍋でゆでる。圧力鍋がなかったら炊飯器で。今回は炊飯器使いました。

f:id:ichinics:20080625005915j:image:w200

2:脂身をとりながら、ゆであがった豚をさく。

3:スープはネギをのけて少し煮詰めながら、塩で薄めに味付けする。

4:さいた豚はフライパンで空炒りし、しょうゆで味付け。

f:id:ichinics:20080625005917j:image:w200

5:キュウリをスライサーで輪切りにする。

6:4の豚と5のキュウリ、漬け物各種をご飯に盛り、3のスープをかけて食べる。

f:id:ichinics:20080625005918j:image:w200

完成!今回は漬け物がしば漬けだけですが、つぼ漬けとかもよくいれます。

豚をさくのがちょっと面倒だけど、あとはいたって簡単で、とてもおいしいです。

今回は300gくらいのブロックで作ったのですが、、それだと肉が全然足りなくて、2食分しかありませんでした。できれば多めに作って、夕食、朝食、昼食くらいは食べ続けたかった…。いつも家族6人+T兄が食べる7人分作ってた母さんはいったいどんくらいのブロック使ってたんだろうなー。

今、T兄は長いこと海外を転々としていてなかなか会えないのですが、次に帰ってきたときは一緒に、大量の豚茶漬けをすすりたいと思います。夜中に、少し、後ろめたいような気分で。

2008-06-23

[] 負け戦

毎日眠くて仕方ない。眠気に耐えてるときって、背筋はゾッとするし、膝は抜けそうだし、手先に力入らないし、なんか目が乾く気がするし、でも耐えなきゃと思って全身に力いれてるのに、顔だけ力入らなくて頭もぐらぐらしてくるし、そうしてるとそのうち、時間がスキップしたりして、会議が終了していたり、目覚まし時計がとまっていたり、目的の駅を通り過ぎるところだったり、何事も起きてないかのように、しんとしていることもあるけれど、もしかしたらこれも夢なのかもしれないと思うこともあって、もう何も信じられないと目を閉じた後、足を踏み外したときのような無重力感に驚くのと、落とした文庫本がつま先に当たったのに気づいて目を覚ますのはほぼ同時だったりして、それを拾い上げながら、ねじれた紙の裏表のようだと思ったり思わなかったり、開いたドアから大雨の音が漏れ聞こえたような気がしたりしなかったり、誰かに呼ばれた気がして背筋をのばす、そのときの気分は「授業中」のあれで、そういえばこのまえの結婚式で再会した高校時代の友人に「あんたは授業中ねてばっかりで教卓の真ん前が指定席になったのにそれでも寝てるから度胸あるなーと思ってた」といわれたけれど、それは度胸ではなく単に、意識が途切れただけでそんなふうに、わたしは毎日眠くて仕方ない。たぶん、季節の問題なんだと思うけど(思いたいけど)。

2008-06-21

[][] べしゃり暮らし 6巻/森田まさのり

べしゃり暮らし 6 (ヤングジャンプコミックス)

べしゃり暮らし 6 (ヤングジャンプコミックス)

5巻から続くデジきんの回想シーンとともに、NMC準決勝現在進行で描かれる。よく回想シーンはワク外がベタになってたりするけど、そういう明確な区分けをしていないのに、途中で「藤川キャラたてるために太った」ってエピソード入れることでわかりやすくしたりとか、ほんと見せ方がうまいなあーと思う。

例えば、藤川の息子は、嫁ネタで笑いをとる父親の漫才をみて、「お父さんは母親の悪口を言うからいやだ」と言う。これはかつての上妻の父親のエピソードとも重なるんだな。そして藤川の息子が準決勝見る場面、そのとなりにいる上妻の言葉が力強いのは、彼はすでにそこを通ってきたからなんだろう。なんて丁寧な漫画なんだ…!

とにかく構成に無駄がない。ぐいぐいひっぱられるように読んでしまう。

そんでこの、畳み掛けるような6巻ラスト。夜に布団の中で読んでたんだけど、あまりにも衝撃すぎて、しばらく寝付けなかった。

これからどんな物語になってくのか全然わからないけど、きっと最後まで引っ張って読ませてくれるんだろうなと思う。

1〜5巻までの感想

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20080522/p1

[] 朝、テレビ自転車

蒸し暑いなーて思いながら眠り、目覚めた時には案の定、布団ははねのけられている。ねぼけたままお湯湧かして、支度しながらコーヒー飲んで、ばたばたばた、TVの向こう、名前もしらないアナウンサーおはようございますと、顔を上げるのをまってスイッチを切る。むこうとこっちの距離が、急に離れるみたいな気分。

意図的にではないのだけど、たぶん母親冬のソナタにはまったせいで、私はほとんどテレビを見なくなった。というかテレビが常に冬のソナタになってしまった。冬ソナブームが終わったあともしばらく韓国ドラマテレビは独占され、私はそのままテレビを見ることをほとんど忘れていた。

でも最近、久しぶりによくテレビをつけるようになって思うのは、テレビって見たいものが見たいときに見れるわけじゃないんだなーということだった。スイッチを切っていても、テレビの向こう側はずっと流れてる感じがする。なんだろ、セワシ君が過去のび太を画面上で見てる感じだろうか。違うな。よくわかんないけど、毎朝、アナウンサーの人があそこにいるのは、毎朝使う駐輪場のおじさんに挨拶するのと、同じようで私の気分は全然違う。でもなんでそんなこと今さら思うんだろう、ってくらい、テレビを見るときの気分みたいなものを忘れてしまった。

忘れたなー、とか考えながらまあいいかと思う。久しぶりに、 i-pod 持って家を出る。気分が良くなって、わたしの生活に足りないのは音楽だったんだーとか、たぶんこれまで何度も思ったことを思う。自転車をこいで駅まで5分。駐輪場のおじさんは、毎朝「おはようございます」と声をかけてくれる。そこで、おはようございます、と返す声が、私の1日の最初の声だ。

2008-06-19

[] Weezer(The Red Album)

ザ・レッド・アルバム

ザ・レッド・アルバム

Weezer 6枚目のニューアルバム。日本盤にのみ BoA のカバーが収録されるっていうニュースに驚いているうちに発売されてて、先日ようやく聞きました。

これがねーよかった!1曲めから、そうそうこーいう Weezer が好きなんだよーってにやにやしちゃような楽しさ。リヴァースの泣きのハイトーン、1st アルバムを彷佛とさせるような、ゴージャスなコーラスもありつつ。

たしか 3rd の頃かな、もう1曲にいろいろ詰め込むのやめる、3分以内の曲しかつくんないみたいなことを雑誌のインタビューで話してるの読んで(完全に記憶で書いてるので確かではないですが)、1st の、あの、短編小説に長編のアイデアを惜し気もなく詰め込んだみたいな前のめり感が好きだった私はさみしい気持ちになったものです。

でもこの6枚目には、1st、1nd の感触がたしかにある。もちろん 3rd 以降のアルバムの良いところもきちんと受け継いで、#11 とかの泥臭い声とか、全体的にドラムの質感がかわってるとことか、新しい変化も見せつつ、とても Weezer らしいアルバムになってると思いました。

ちなみに「メリクリ」は(私は原曲しらないので)思ったよりウィーザーらしくなってるなーと思ったけど、やっぱ日本語として耳に入ってきちゃうのが照れくさかった…!

[] 話すこと書くこと

電車の向かいの席で、2人の男の子がPSPやってた。モンハンかな。そういえば弟が「俺の PSP かわない?」とかいってたけど、あれどうしようかな。DS もやる暇ないのにむりか。でもゲームしたいなーとか、考えながらぼんやりしてたんだけど、ふと、その片方の男の子が

「あーくそ、死ねばいいのに」と言ったのにちょっと驚いて、顔をあげた。そのときに思ったこと。

面と向かって発された言葉の場合、相手の反応次第でその言葉の受け取られ方がある程度わかったりもする。その男の子も、たぶん冗談で「死ねばいいのに」を使ったんだと思うけど、友達の方はちょっとひっかかったみたいで、苦笑いしてスルーした。

でも、この苦笑いは、文字でやり取りするネットでは伝わらない。そのことにあらためて気付いたように思う。

死ねばいいのに」というフレーズが、私は好きじゃないんだけど、そんでもネット上で使われるとき、それはたぶん本当に「死ねばいい」と思って言ってるんではないんだろうなと思う、ときのが多い、ような気がする。でも、言った本人がいくら「これはあくまでも冗談ですよー」というつもりでも、それは、書き手のことをある程度知っている人か、そのフレーズの使われ方をなんとなくでも知っている人にしか通用しないだろう。

話すように書く、ということに憧れたりもするけれど、でもやっぱり書くことと話すことは全然違う。その違いは、あの苦笑いのように、目の前の人の反応が見えるかどうか、にあるのかもしれない。

相手を想定しながら書く、ということも、やっぱり話すこととは違って、

つまり書かれた言葉は、自分が想定しているところ以外にも届く可能性がある。そして、そのほとんどの反応は見えないのだということが、書くことの怖さだと思った。いつどこで誰がどんな風に自分の言葉を受け取るのかわからない。ネットに文章を公開するというのはそういうことなのだ。

とはいえ、きつい物言いや毒舌を読むのが楽しいこともある。正直に思ったままを書きたいこともあるし、まったく個人的なことを書いたつもりが誤解されてしまうこともあるだろう。言葉は意図した通りに伝わることのほうが難しい。

でもだからこそ、何かを書きたいと思う時は、できるだけその怖さのことを忘れないようにしたいと思う。

とはいえ、こうして文章を書きながら一番に考えてしまうのは、自分は何が書きたいのだろう、ということだ。それは、書く時に目の前にあるのが、自分の反応だからなのかもしれない。そして、それを正確に推し量ろうとするのもまた難しいので、思い付いたことから片っ端に、話すように書いてみたい、と思ったりもする。そうして出てきたものを見てみたい。そのとき自分はどんな顔するんだろうか。

2008-06-17

[][] Tesoro オノ・ナツメ初期短編

TESORO―オノ・ナツメ初期短編集1998・2008 (IKKI COMICS)

TESORO―オノ・ナツメ初期短編集1998・2008 (IKKI COMICS)

初めて読んだお話が多かったけど、オノさんの話ってなんつーか、むかしから優しかったんだなあということを思う。絵柄の変遷はあるけどぜんぜん印象がかわらない。ただ、今のお話のがもちろんオノ・ナツメらしさ、があるような気がするけど。

私はやっぱりルチアーノ好きなので「もやし夫婦」とお弁当の短編にでてくるツンデレ旦那さんの話がいいなーと思いました。装丁もかわいらしくていい。

あとお弁当の短編の2つめで、高田純次さんがでてた「オムレツ」思い出したりした。

[] 開くドア開けるドア

私はあまりたくさんのことに注意できない。だからいつもなくなったら困るものは3つくらいしか持ちたくない。家を出る時に確認するのは財布と携帯と鍵。海外にいくなら財布とパスポート。なにか心配なことが起こった時に、自分ができることを想像してみても、いつも二通りくらいしか思いつかない。

それは迷わないためになのか、単に頭の容量が少ないだけなのか、よくわかんないけどとりあえず、たくさんのことはできなくても、できることをしたいと思う。

土曜日は朝起きてまず洗濯機をまわし、お風呂に入ってお茶を飲み、ぐるっと回っていまごろ自分内ではやっている「一万年と二千年前から愛してる」を聞きながら洗濯物を干す。楽しい。「八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった」と歌いながらちゃりんこのって駅に向かう。ということは、四千年くらいはもっと恋しい感じでいたわけだね、と、アクエリオンの内容なんにもしらないままで思う。四千年は長いな、と思いながら曲がり角を曲がる。焼き鳥のにおいがする。

なんかいろんなことをあきらめたなあ、ということを、ある人の日記を読みながら考えていた。あきらめた,というか、いつのまにか消えていた。

したいこと、気に留めておくことがなくなっていくと、楽になるのと同時に、どこに立ってるのかよくわからなくなる。そのうち家を出る時に何も、もたなくても平気になるんじゃないかって、考えるとしんとしたような気持ちになる。「ああ 彼はついに 全世界を 部屋にして そして そのドアを 開け放ったのだ」*1という言葉に憧れていたけれど、

いつも一番にあった願い事は、どこかに立つことだったような気もしている。もどってきたのか最初から同じとこにいたのかわからないけどずっと。

f:id:ichinics:20080617222513j:image:w450

おめでとう。

*1:「ロストハウス」/大島弓子

2008-06-13

[][] ラッキー村上かつら

ラッキー―Are you LUCKY? (ビッグコミックス)

ラッキー―Are you LUCKY? (ビッグコミックス)

すごくよかったです。村上かつらさんの作品は、特に短編集が好きで、だからこの新刊も書店で見かけて迷わず買ったのだけど、「ラッキー」はいままでの作品からイメージするものとはずいぶん違っていた。例えば「サユリ1号」などのように、村上かつらさんといえば人の不器用さ/弱さ/ずるさを描くのがうまい人…という印象で、乾いているようで生々しい、感触が印象に残る漫画家さんだった。

でもこの「ラッキー」は、単純な言葉すぎて書くのをためらってしまうけど、いい話だった。もちろんこれまでのお話もすごく好きなんだけど、このまっすぐさが、まっすぐとどくのが嬉しい。電車の中で読んでてちょっとないた。そしてすぐもう一回読んだ。そんでも同じくらい面白くて、電車を乗り過ごしてしまったくらい、楽しかった。

このお話は、主人公少年がある日押し入れの中で犬型のロボットラッキー」を見つけるところからはじまる。ラッキーは目のところがディスプレイになっていて、そこに映し出される五文字で会話するのだけど、この文字数制限と、家族物語主人公の成長が、すごくうまく絡み合ってる。しかもその構成を自然に見せる、さり気なさがまたすばらしい。

ラッキーはいつまでも見ていたくなるくらいかわいくて、かわいくてほんと、何回も読み返したくなる漫画でした。

わたしもラッキーと暮らしたい。

これまでの感想

2008-06-12

[][] おやすみプンプン3巻/浅野いにお

おやすみプンプン 3 (ヤングサンデーコミックス)

おやすみプンプン 3 (ヤングサンデーコミックス)

浅野さんの漫画に対して、私は「ソラニン」で、少しだけ居心地が悪くなってしまい、構えてたところがあるんだけど、あそこにあった面映いような心情描写はこの「おやすみプンプン」にはもうない、ような気がする。語り口と裏腹に、描かれていることがどんどん切実になっていって息苦しいくらいだ。

おやすみプンプン」は、一見するとそのビジュアルもあって、ちょっとあざとい、奇抜な漫画に感じられるかもしれない。しかしプンプンの造形は、見た目のインパクトだけでなく、物語の駆動力として、感情描写の手段として、すばらしく機能している、と思える。シンプルな線で描かれるプンプンの、この表情の豊かさを見てよ…!とページ開いていろんな人に見せてまわりたいくらいだ。漫画ってすげええ!

しかも、なんか絵が、どんどんうまくなってる。24話と25話の間に流れるこの時間の描写とか。「虹ヶ原ホログラフ」から明らかに変化した気がするんだけど、あそこで何かがあったんだろうな、とかいろいろ考えてしまう。わくわくする。

人はみんな平等や平和って言葉が好きだけど、

僕から言わせてもらえば、そんなの敗北者たちの宗教みたいなものだよ。

(略)

人と人が完全に同列になり個という意味を捨てた時、

本当の意味での生命の喜びを感じることができると思うかい?

【28話】

ああ! 言葉と気持ちがどんどん離れてくこの不安、イライラ、焦り、それらがぜんぶプンプンの表情に現れてる。

正直なところ、この勢いが3巻まで続くと思ってなかった。でも興奮して読み終えて、もう全力で楽しみにするつもりです。えらそうなことたくさん書いちゃったけど、続きが楽しみな漫画があるってのは、ほんとーに幸せだ。

1巻感想 → http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20070805/p1

2巻感想 → http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20080110/p1

[][] ミスト

監督:フランク・ダラポン

(内容に触れています)

いろんな人の感想を寸止めにしてたので早く見にいきたかったんだけど、やっと、見にいってきました。面白かったです。でもその面白さは私が思い描いていたのとちょっと違ってた。

すこし前に『クローバーフィールド』を見にいって、そこで『ミスト』の予告を見たりしたので、どことなく同じ系統の、「何か」に襲われる映画だと思っていたのだけど、この『ミスト』の恐怖はそこを中心にしているのではなかったと思う。対象が見えないことによる「わからなさ」にじらされた『クローバーフィールド』では、恐ろしさに遭遇した人々がほぼ無条件に団結するのに対し、『ミスト』の恐ろしさは「わからなさ」を前にして、見えなくなるのは「人」である、ということだったと思う。

場面ごとに一寸先は闇という言葉が浮かぶ。闇というのは、必ずしも悪い方向に進む…という意味ではなく、単純に「わからない」ということだ。普段暮らしている中で、どれだけ暗黙の了解をよりどころに生きているかがよくわかる。人は何の理由もなく他者を攻撃しないものだ、とか。

物語の鍵となる登場人物の中に、キリスト教根本主義者の女性がいるのだけど、ここで『ドッグヴィル』のグレイスを少し思い出したりした。「宗教」というモチーフの共通点より、隔離された空間の中での正気の失い方が似ているような気がする。言葉を浴びせられ続けると、その意味を問い返すことが難しく/おっくうになって、疑わずに単純に受け入れるほうがずっと楽なことに思えてくる。

それは扇動者となる人の存在だけでなく、目の前の状況に対応することに必死でいると、そのほかの可能性が見えなくなってしまう、そういう恐さだと思った。とはいえ、その可能性を信じるには、力がいるし、それが必ずしも良い方向へ導いてくれるわけではない。ただ一寸先は闇であることだけが平等なのかもしれない…とか考えていくとどんよりする映画でした。(ほめてる)

余談

ただ「それ」の造形が、予告で思い描いてたのとずいぶん違ってたのはびっくりした。わたしが思い描いてたのはすごいでかいヒトの形っぽいなにかだった。そしてソレに想像だけでこわがり過ぎてしまったので、あれが最初にきたときに「あ、そっちかーよかったー」みたいな反応になってしまった気がしています。ぜんぜんよくない。

2008-06-11

[] ほかの誰でもない

「嫌われ松子の一生」の映画が公開されていた時、元上司が「ああいう映画は、ああ自分の人生はまだマシだって思うために見るのよ」と言っていて、驚いたことがある。自分は松子じゃなくてよかった、って? 想像してみてもいまいちピンとこなかった。もちろん、他人の状況をうらやましく思ったり、自分は恵まれているな、と思うことはある。ただ、それはその人になりたい、その人でなくてよかった、ということとはちょっと違うんじゃないか。自分が誰であるかは、オムレツを食べながら隣のカツカレーを見て、あっち食べてみたいとか思うみたいに選べるものではなくて、つまり、人生とは私そのものだ。私は私として他人の人生に(物語に)感情移入することができるけれど、私以外の誰かであることはできない。

そんなことをぐずぐずと考えながら同時に、人生というものに「価値」をつける言葉にひっかかる理由を、長いこと考えていた。

他人と自分を比較するということは、つまり自分を自分の外側に置くことでもある。あの人でなくてよかった、と思うのも、あの人がうらやましい、と思うのも、どちらも同じように、自分を蚊帳の外においている、ような気がする。それでも、視点は自分の側に立つだろう。だって自分が大切だし。

私は、誰もが「私」だからこそ、相手を尊重することが自分を尊重して欲しいと期待することに繋がる、と、思っていた。しかしそれは逆に言えば、名前のあるなしで、人は差別するものだ、ってことなのかもしれない。この「場」から自分を除外することはできないということを、どうにか言葉にしたいと思っていたけれど、それは私でありたいという「期待」を信じることの上にあったのかもしれない。

何がいいたいのかよくわからない文章になってしまったけど、私は、私のまま、もっとよくなりたいと思う。

そして、その「よさ」はは誰かと比べてではなく、ほかの誰でもない自分が判断することだ。

関連

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20070705/p2

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20080208/p1

2008-06-09

[][] 水族館劇場

id:Shipbuildingさんの日記(http://d.hatena.ne.jp/./Shipbuilding/20080527)を読んで、これはぜひ見に行かなくちゃ、と思っていってきました。

仕事終わって、暮れ始める日を追いかけるように本駒込の駅へ。駒込大観音(光源寺)の境内に建てられたその芝居小屋の迫力に、一気に気分が盛り上がる。あんな高いところに船がおいてあるよ、生ビールが300円だ(関係ない)、もういっこ小さな舞台があるけど、これも使うんだろうか、とか。わくわくしながら開演を待つ。

f:id:ichinics:20080610232623j:image:w420

暗くなる少し手前、役者さんがお酒を売りにくる。自然と人垣ができて、おつまみと石炭つきの日本酒を、幾人かの人が買う。そのやりとりが終わるかどうかの頃に、いつのまにか(だったような気がする)お芝居がはじまっていた。

最初は外の小さな舞台から。すごい。けして広くはない境内を天地縦横に使った、その仕掛けが現れるたびに「うわあ」という歓声が漏れる。あっけにとられてるうちに、劇は芝居小屋の中へ移動する。

f:id:ichinics:20080610232624j:image:w420

一番前でかぶりつきでお芝居見るなんて、もしかしたら初めてかもしれない。でも「お芝居を見る」ということのイメージそのまんまの世界があって、なんていうかほんと、あっけにとられてしまった。

とにかく、この芝居小屋(セット)がすばらしい。「建物の中にいる」ということを気持ち良く裏切られる。

300円のビール飲みながらわくわくして開演を待っていたあのときの気分。そのわくわくは、見終わったあとも続いていて、あの場所は夢みたいだった、と思う。

お芝居を見終わった後は、瓶ビールあけて、焼そばを食べ、家に帰って仕込んでいた塩豚を食べる。暗がりに灯る光がにじむような梅雨の夜。

[] 雷

月曜日は夕方から雨が降って、まぶしいくらい何度も雷が光った。光と音が近いと雷も近いんだっけとか、開けたところにいるのと混雑したところにいるのはどっちが安全なんだっけとか、ついそんなことを考えてしまうくらいすごい雷で、心臓がばくばく鳴るくらいびびった。

小学校の頃、Hちゃんと雷のなる中、傘さしたら雷落ちるから、とかいってびしょぬれで焼却炉まで走ってったの思い出す。掃除当番だったんだろうな。そういや怪物くんて雷苦手だよねとか、そんな話しながら、雨やむのまってたピロティの、あのいんちき大理石みたいな床のひんやりした感じ。

が、今もあそこにあるだろう、と思うのと同じように自分の信じてたこととか、もしかしたら全然届かないのかなとか、考えはじめると嫌になるけど、でも仕方ないとは全然思わない。

なんだかつい、せかされてるみたいな気分になることあるけど、なんのために急いでるのかと考えてみたらそれはわりとどうでもいいことだったりもして。

買い物もせずに家に帰って、夜には雨がやんでいた。

2008-06-08

[] Life is comin' back

大学時代の友達の結婚パーティに行ってきた。

ひとりで参加するってのもあって、会場に向かうまでは少し気後れしていたのだけど、会場につくと大学ぶりに顔を見る懐かしい人もいたりして、みんなうれしそーな顔で、

新郎は新郎で、なんていうか、相変わらずの率直さを振りまいてデレデレしており、やっぱり来て良かったなと思った。

私と彼は、大学時代はちっとも仲良くなかった。(という話は以前の日記にも書いたことがある。→ id:ichinics:20071031:p1*1

それなのに、大学卒業して何年もたってやっと友達になったのは、たぶん、わりと似た者同士だったというか、お互いのルサンチマン(って言ってみたいだけで、要するに自信と不安)ぽい部分で、気があったんだと思う。2人で「蛙が降らないかなー」という話をよくした。彼と飲んだ後は、いつも自分のダメな部分を思い知らされるよーで、そんでもなんとなくやる気がでるのが不思議だった。

とはいえ、お互いもう社会人だし、仕事も忙しいしで、「友達になって」から、会った回数なんてたぶん下手したら片手に収まるくらいだ。それなのに、こうして結婚パーティによんでもらえるなんて、人生なにがあるかわかんないなーと思う。

『以前のオレだったら今の自分みて「ケッ」とか言うだろーな。』というようなことを言ってて笑う。ずーっと結婚したいって言ってたもんな。家族つくって幸せにしてこその人生じゃないですかって、酔った勢いで語りつつ、「でもどうせ俺なんて」と付け加えてしまう、あの頃の不器用さは、もうほとんど見えなくなった。そのことが嬉しくて、でもちょっとだけ寂しい。

彼が奥さんに出会ったことを「蛙が降った」というんだろうか。違うような気もする。でも、これこそがそれのような気もする。

でもどちらにせよ、蛙はきっかけだよねとか思いつつ、

彼らが、守られてますようにと思う。

*1:ちなみにこの日記の最後に「好きな人ができた」と話してくれたのは、今のお嫁さんのことだ。

2008-06-05

[][] グーグーだって猫である 4巻/大島弓子

グーグーだって猫である(4)

グーグーだって猫である(4)

3巻やら約1年という早さでた新刊。*1

かえってこないビーを探すために猫探偵をやとうエピソードや健康首輪や庭の工事や、大島さんにはほんと迷いがないというか、猫まっしぐらだなあ…ということに(いまさらながら)感じ入った巻でした。特に猫探偵のエピソードなんて、百聞先生の「ノラや」のよう。

今回は特に家の庭にやってくる猫たちのお話が多くて、おなかに子どもがいるときの猫のようすや、子猫がだんだんと慣れてくる感じとか、なんだかすごく楽しい。

タマの散歩、おこげのエピソード、ミケマルのごろーん。そのひとつひとつに対する大島さんの反応が、なんというかゆれることない感じがして、

今はもう猫のこと以外で漫画を書かなくなってしまったことはすこし残念な気もするけれど、それでも大島さんの漫画を好きな気持ちは、おなじようにかわらないのもまた、ゆれることのない感じがするのだった。

関連

3巻の感想 → http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20070604/p1

*1:2巻から3巻の間には5年くらいあいていたので

2008-06-04

[] 焼きそばパン

青春のうちに経験しておきたいことベスト3といえば、パンをくわえて走る女の子と激突、土手で殴り合った後の仲直り、そして夜の学校のプールで泳ぐ…なんじゃないかと思います。ちなみにこれは今週の結果ですので、来週のベスト3がどうなるかはわかりません。学校が変形してロボットに、とか、掃除用具入れからコックピットに、とか、秘密のお茶会に参加、とか、図書室の隠し扉を発見!とか、いつもは怖いAクンが子猫を拾っているところに遭遇…とか、候補はいろいろありますけど、とりあえず夏も近づいてきた今、今週の第1位には夜のプールを推したいです。

これに憧れる理由はたぶん『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の影響なんじゃないかと思いますが(奥菜恵はあの頃からいろっぽかったよなー)、それ以外にもいくつかの「夜の学校のプール」物語を読んだことがあるような気もするので、たぶんわりにスタンダードな「青春のワンシーン」なんじゃないかと思います。ひとりで学校忍び込んで泳いでたら、水泳部のマネージャー的な女の子がやってきて、「なんであんたがいるのよ…!」的な。そんでプールに落ちる的な。怒ったとおもったら笑顔みたいな。もしくは「あたしあした引っ越すんだ…」とかそういう展開もぐっときますね…なんて、甘酸っぱい妄想が全て男子目線でしか思い描けないのは、そういうシチュエーションが描かれるのは主に男の子向け漫画だからかなーとか思うのですがまあ、実際はやらないですよね、わかります。

そんでも、夜の学校に行ってみたり…ってのは、けっこうやったことある人もいるんじゃないかなというか、私も昔にやったことがあって(ごめんなさい)、でもあれって、今だったら無理なことというか、できても大問題になってしまうのかなあと思いました。

昔は学校ってもっと公園みたいなイメージで、校庭やプールはもちろん、校舎の鍵だって一日中あいていた。だから休み時間に他校の生徒がこっそり遊びにくることもあったし、授業中、校庭を見下ろすと野良犬が横切っていくところだったりした。猫もいた。日曜日には近所の人に校庭が解放され、ママさんバレーが体育館で練習していることもあった。だから私も、いつまでもこの学校に入ることができるような気がしてた。

もちろん、子どもたちが安全な環境で過ごせることが大事だと思う。でも、かつては「私の学校」だった場所が、今はもう無断で立ち入ったら怒られる場所、になってるってのは少し寂しいなーとか思いながら、通りかかった学校のプールをのぞいていました。もうすぐ夏ですね。

f:id:ichinics:20080525011320j:image:w420

2008-06-03

[][] Beautiful Sunset − 小玉ユキ短編集2 −

Beautiful Sunset (フラワーコミックス)

Beautiful Sunset (フラワーコミックス)

「マンゴーの涙」(id:ichinics:20080130:p2)に続く小玉ユキさんの初期短編集。前回の短編集でも、見覚えのある作品があって、そんでもしかしてあれも小玉さんなんじゃ…と思っていた作品が、この短編集に入っていました。

どちらも「Cutie Comic」に掲載されていた作品で、今思えばハチクロも掲載されてたわけだし印象に残る作品の多い雑誌だったのかもしれない。それでもあんな短期間で廃刊になっちゃうってことは、やっぱり女性向け漫画雑誌ってきびしいのかなとか、そんなことを思いました。女性向け漫画、というか少女漫画と地続きにある層自体はむしろ今充実しているような気がするけど、単行本派が多いのかなとか、ってこれは漠然とした印象でしかないのですが。

ともかく。この短編集には「マンゴーの涙」よりももう少し古い作品が多く収録されていて、今の小玉ユキさんの作風とはだいぶ印象が違う。魚喃キリコさんぽい雰囲気の短編とかもあったりして、ああーそういう時期だったよなとか思いました。私がもしかして、と思っていたのは「さくらんぼうの宴」というお話。ある夫婦のもとに、おじいさんがやってくる、というか、家の前に「よろしくお願いします」という手紙とともに捨てられているところからはじまるお話だ。これをよく覚えていたのは、好き、というよりは、ちょっとひっかかるところがあって印象に残ったからなんだけど、「満員電車のススメ」の満員電車内での妄想とか、ちょっと岸本佐和子さんのエッセイ思い出したりもして、この短編集の印象と、「光の海」以降のイメージがずいぶん違うのが、面白いなと思いました。