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  □これまでの日記一覧

2008-09-24

[][] 大金星黒田硫黄

大金星 (アフタヌーンKC)

大金星 (アフタヌーンKC)

先月の「あたらしい朝」1巻に引き続き、黒田硫黄さんの短編集がでました!来月からは「大日本天狗党絵詞」の新装版、「茄子」の新装版が月イチででて、来年3月には「あたらしい朝」の2巻て予定らしいですけどほんとかな? 天狗党は友達に貸したきり行方不明だし新装版でるのちょっとうれしいです。

大金星」はアフタヌーンに連載された「ミシ」や、「茄子」にでてきたペペのお兄さんの話など、単行本未収録作品ばかりを集めた短編集。アディダスマンガフィーバー(超豪華メンツで出たカラーマンガムックみたいな)に入ってたカラー作品まで入ってる。

あと「ミシ」の第4話にでてくる

「あなたに会ったとき 妖精みたいだと思った」

「僕を?

 きみは糸の切れた凧みたいだ」

てシーンがとても好きだったので単行本でまた読めたのも嬉しかったです。こういうとき「それどういう意味?」とか聞かないとこがいい。てか「糸の切れた凧みたい」ってすごくいいよなぁ。黒田さんの描く女の子はみんなそんな感じ。勢いがあって、でも流されることに臆さないというか、そういうところがとても好きです。いちおしは「茄子」にでてくる国重です。

[] 自転車

最近チャリン子を一生懸命漕ぐことにはまってます。なんか、一生懸命漕ぐと自転車ってずいぶん速い。小学生の時、がんばって走ると速いということに気が付いて日記かいたら先生に誤解されて800メートルリレー選手になって参ったことあったけど(私はとても運動が苦手です)、もちろんそういう速さじゃなくて、毎朝チャリン子乗ってて後ろから来る人にどんどん抜かされてくのが不思議だったんだけど、一生懸命漕ぐとそうでもないということに気付きました。自転車ってすごい。ゆくゆくは自転車で転校しちゃうあの子がのってる電車とか追いかけたりしたいです。

[] ドーナツの穴問題その後

念願のドーナツにはまだありつけていないというのに、まだドーナツの穴のことを考えている。むしろ、ドーナツがあることによって、できてしまう穴のことについて、考えている。「書くことは自分に向けて話すことに似ている」と、この前書いた私は何を考えていたのだろう。書きながら考えていることに近付こうとしても、言葉にした途端、そこには新たな空洞ができるような気がする。もしかすると、毎日日記を書くのは、穴を作っているだけなんじゃないか、とか考えてみることもあるけれど、でも穴を作ることが同時にドーナツを作ることだったらすごくいいのにとか、考えてたらだんだんよくわからなくなってきたので、今夜は大根と豚肉の煮物を作りました。満腹です。

2008-09-22

[] ドーナツの穴

ドーナツが食べたい気分だった。でも朝から降り続いている雨はやむ気配もなく、ドーナツを食べるためだけに出かけるには億劫だった。そこで、とりあえずドーナツのことを考えてみることにした。

いま私が食べたいのは、ぎっしりした生地で、揚げたてで、サクッとしているあの手作りっぽいやつだ。もちろん真ん中に穴の空いている、ドーナツらしいドーナツ。そしてその穴のことを考えていたときに、久しぶりに思い出したのがこの文章のことだった。

しかしまあ,これはどうでもいいことだ。ドーナツの穴と同じことだ。ドーナツの穴を空白として捉えるか,あるいは存在として捉えるかはあくまで形而上的な問題であって,それでドーナツの味が少しなりとも変わるわけではないのだ。

羊をめぐる冒険」/村上春樹

形而上ってのがどういう意味かは未だによくわからないけれど、つまりドーナツの穴はあるのかないのか、って考えることが形而上的な問題なのだろう。

しかし、それでドーナツの味が変わるわけではないにしろ、ドーナツの穴は、ドーナツがあることによって初めて「ない」ものとして「ある」。ドーナツがなくなったら、穴もまた、なくなるのだろうか、と問うことはできるけれど、はじめからドーナツがなければ、ドーナツの穴もまたないままだ。

それは私の意識についても言える。私の意識もまた、私があることによってはじめてあるもののはずだ。そうやって考えていくと、ほとんどのものは「ある」ところからはじまっていて、そもそもの最初には「ない」があったのかどうか(って変な言葉だけど)、よく分からなくなる。

でも、私がなくなったら意識もまたなくなるのだろうか、と問うことはできるかもしれない。一度、あってしまったものは、なくなった後にも完全にはなくならないんじゃないかって気がする。ドーナツを食べ続ければ、いつしかそこがドーナツの穴に満たされる…なんてことは想像に過ぎないにしろ、それににたようなことはあるんじゃないか。

言葉で輪郭をとることで、ないものを浮かびあがらせることはできるけれど、それはもう輪郭をとった時点であるものになる。ないものはあるのか。とか、考えてたら空腹がまぎれるかと思ったけどまぎれなかったので納豆チャーハンつくって食べた。ないもののことを考えるより、あるもので何か作った方がとりあえず満腹にはなるよねという話です。

[][] 「駅から5分」2巻/くらもちふさこ

駅から5分 2 (クイーンズコミックス)

駅から5分 2 (クイーンズコミックス)

待ちに待った気がする「駅から5分」の2巻。

1巻に引き続き、花染という町が中心になって物語が進む。というか、1巻では全面にでていなかった仕組みが表にでてきたという感じだろうか。2巻の中心にあるのは1巻にも登場したプリンセスのエピソードで、これはこれでグッとくる。こういう、女の子が好きな人に向かってって変わる場面というのは少女漫画で繰り返し描かれるエピソードだけども、何度見てもいいものだなと思う。それは、変わることがよいことというのではなくて、その熱が変わることに託されていたり、防御なしになる瞬間だからなんだろうな。

しかし2巻でより印象に残ったのは、1巻から繰り返し別の視点で描かれるエピソードが濃くなっていくことだった。最終的には、この時間に集約されるんだろうか、とか、想像するとちょっとわくわくする。

ただ、どうしてもちょっと会話とかが浮いてるような気がするところがあるのはちょっと気になった(それは感覚的なものなので私の感覚がそもそもあてになんないかもだけど)。あとこういう群像ものはあちこちの視点からみて浮かび上がるところが楽しいので、やっぱり人物相関図はちょっと蛇足な気がするなぁ。ともかく続刊に期待します。

2008-09-21

[] 「ZAZEN BOYS 4」/ZAZEN BOYS

ZAZEN BOYS4

ZAZEN BOYS4

特に熱心なナンバーガールファンではなかった*1私が ZAZEN BOYS というバンドに夢中になったのは、「HIMITSU GIRL'S TOP SECRET」のマキシシングルがきっかけだった*2。ほぼアルバム未収録曲だしミニアルバムといってもいいと思うんだけど、とにかくあの1枚のCDで、私はほとんど理想のバンドを見つけたような気分だった。CD再生した瞬間の、あのいてもたってもいられないような興奮は、今でも聞く度によみがえってくる。

そして、その気分はあの、2005年SUMMER SONIC でのライブ*3確信に変わった。あのライブは、会場の問題で状況的にはほとんど最悪といってもよいものだったにも関わらず、彼らの演奏は最高にすばらしかった*4。「全部のパートが主役として拮抗し、形を変えながら上り詰めていく感じだった」と、その時書いた感想そのままが、私にとってZAZEN BOYS の魅力だった。

その後はもう夢中でライブに通った。ZAZEN BOYSライブは、常に1度きりのものだった。ライブを重ねる毎に、曲が生まれ変わっていくようで、特に小さい会場であるほどにその感触は強まった。それはたぶん大きい場所でと小さい場所でのやり方を、変えているのだと思う。お客さんがひとつになるとか、そういう楽しさとはまた違って、とにかくバンドという塊にのまれる、圧倒されることがこんなにも楽しいなんて初めて知った。

だからこそ、私はこの4枚目のアルバムに、というか4枚目に収録されているいくつかの曲がライブ演奏されるようになって、正直戸惑ってしまったんだと思う。

ステージにいつもキーボードが出るようになったのは、たしか、駒沢大学ライブ付近だった。そんで、2006年4月のAX*5ではそれでヴァン・ヘイレンちょっとやったりもしてたのが懐かしい。そして3枚目がでて、ベース吉田さんに変わった*6。やがて、新曲として披露される曲にはちょっとハウスっぽい音色が増えて*7中にはカシオメンまでギターを持たない曲があった。

ヤンキーが身体的な演奏だとしたら、吉田さんの硬質な演奏は対極にあるように思えたし、バンドの向いている方向も、徐々に変わってきている気がしてた。しかしやはり ZAZEN BOYS というのは向井さんのバンドだし、ZAZEN BOYS という特別性能の良いバンドを生かすのが向井さんだとも思っていたので、むしろこれからに期待する気持ちのほうが強かった。

でもその期待の仕方は、やはり自分にとって最初の衝撃だった「HIMITSU GIRL'S TOP SECRET」を向いていたんだと思う。

じゃあ結局4枚目どうなの? ということについて、アルバムが出てからしばらく考えてたんだけど、やっぱり、これはすごくかっこいいアルバムだと思う。

ここまでなんか後ろ向きなこと書いててなんだよという感じなんだけど、例えばこれがザゼンのアルバムでなければ私はやはり、最初からものすごく興奮して日記を書いただろう。一番に気に入った曲が、もっとも分かりやすく「袈裟を着たレッド・ツェッペリン」的である「Honnoji」であるとこからしても、やはり私の好みの触感ギターが全面に出て、ドラムの手数が多いことなんだと思うけれど、この4枚目を聞き込んでみると、これがまたあちこちにグッとくる釣り針みたいなポイントのちりばめられた ZAZEN BOYS らしいアルバムだとわかる。

ただ、そのやり方が全開でぶつかりあう形ではなく、抑制されたギリギリのところにあることで、イメージはがらりと変わった。「DARUMA」「YUKATA」「ナベ&サダ」など、このアルバムが出るまでに繰り返し演奏され、しかしアルバムには収録されなかった曲たちのことを考えてみても、このアルバムにかける意気込みが感じられる。

あらためて、ZAZEN BOYS は変わっていくバンドなんだと思うし、それはこれまでのライブでもそうだった。アルバムごとに年代を移り変わっていくような気がするくらい、がらりとやり方を変えても、それでもかわらない個性があるのは向井秀徳という人のブレなさだと思う。そして、それに食らい付いていく ZAZEN BOYS は、ほんと、ストイックにヘンなバンドだ。

これがライブでどう演奏されるのか、そして ZAZEN BOYS がこれからどうなっていくのか、正直なところ全然想像ができない。でもきっと面白いんだろうなと思う。

*1:もちろん今は大好きだけど

*2http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20050730/p2

*3http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20050814/p2

*4:これは後になって実感することだけども、向井さんというのはほんとうに、逆境に強い人だと思う。

*5http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060421/p1

*6http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20070616/p1

*7http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20070830/p1

2008-09-18

[] さよなら、こんにちは

朝、自転車を漕ぎながら、あー夏終わったなと思った。まだ半袖を着る日もあるし、帰宅したらまず麦茶一気飲みするし、たまに蝉の声が聞こえたりもするけれど、夜、網戸から聞こえるのはリーリーと鳴く秋の虫の声で、あたたかい飲み物が飲みたくなることも増えたし、朝の空気はツンとするくらい冷たい。まだ馴染むには早い気がしてただけで、もしかしたらとっくに夏は終わってたのかもしれない。

でもそもそも、今年の夏にだって、私は馴染んだんだろうか。

なんて考え出すと悲しくなるのはなんか秋っぽいんじゃないのと思いながら、もうすぐ読み終わりそうな本を鞄から取り出す。開いた本に落ちる影がぼんやりしている。そういえば読書の季節でもあるし、もしかしたら知らないうちに馴染んでいたのかもしれない、などと思いながら今日の昼、「ハローサマーグッドバイ」を読み終えました。

[][] 「ハローサマーグッドバイ」/マイクル・コーニィ

ハローサマー、グッドバイ (河出文庫)

ハローサマー、グッドバイ (河出文庫)

私の知らない面白い物語は、たぶん私が一生かけたって読みきれないほどあるんだってことを、最近考えていて、もちろんいままでだってそれを知ってるような気になっていたのだけど、改めてそれに気付く瞬間ていうのはたまにしかこない。

この気分を逃さないうちに、と思っていたおりに、murashit さんのすてきな感想こちら)を読むことができて嬉しかった。そして、私はすぐに「ハローサマーグッドバイ」を買いにいき、今日やっと読み終えたわけです。

この物語は、海洋SFであり、同時に主人公ドローブと、彼が両親とともに休暇を過ごすことにしている町にすむ少女ブラウンアイズとの初恋お話になっている。

物語世界では、罵倒語として「氷」に類する言葉が使われていて、その訳し方について読みはじめは少しつかえることがあった。でもすぐに慣れる。そして、繰り返される「氷結」とか「凍れ」などという罵倒語は、きちんと物語に生かされていく。だからこの物語SFとしても楽しめるし、でも物語を最後まで読み終えてしまえば、残るのはやはり初恋物語だと思った。

ドローブの父親に対する反抗的な態度と周囲の人たちに対する目線には、思春期特有の甘えと正義感があり、その頑さが、ブラウンアイズの前で真摯さに変化していく様子はとても、鮮やかだ。

例えば自分が小学生の頃の、あの訳もなく好きになって訳もなく全部を肯定したくて、でも時折何かが心配でたまらなくなるみたいな気持ちがちらっと過り、奥の方に重いものを投げ込まれたような気分になる。あのような訳のなさを、やがて自分がどうしたのかも覚えているし、でもだからこそドローブとブラウンアイズの2人を見て/読んでいるのは、月並み言葉だけど、眩しかった。

遠くへ行ってしまった人の諦念が正しいこともあるけれど、でも、手にあるものを守ろうとする人に諦念は届かなくていい。その訳もなさは、言葉にしてしまえば凍ってしまうのだと思う。彼らが守られますように。

2008-09-16

[][] アヒルと鴨とコインロッカー

アヒルと鴨のコインロッカー [DVD]

アヒルと鴨のコインロッカー [DVD]

伊坂幸太郎原作映画版。借りてきて見ました。

お話は、主人公の椎名が、大学入学のためにアパートに越してくるところからはじまる。そこで出会う隣人によって、彼が巻き込まれる「物語」が物語

原作がかなり印象に残っていたので、この映画の大きな仕掛けにだまされることができないのは残念だったけど、かなり原作の雰囲気に忠実に作られてるところとか、嬉しかったです。実写でやると気恥ずかしいなぁーて演出もあるんだけど、主役の2人はそこらへんすごく自然でよかった。

そして、この「いい話」を嫌みなく描くってのはやっぱり伊坂さんならではだよなと思う。ただ、若干キャラクター固定化してしまってもいるので、なんかもっとこう、ガッとくる新作読みたいなぁとかも思っています。

何度も書いてるけど私が大好きな「魔王」最近文庫になったみたいだし、もっかい読もうかな。

[] お見舞い日記

つくばエクスプレスにはじめて乗った。母さんと妹はDSお絵描きしりとりをしていて、私は妹側のを見ていた。コアラ、ラッパ、と続いてパ、母さんが書いたのは白黒の旗みたいなものと何かの四角で、「旗だしパレードじゃね」と言ってドを考えはじめたところで「パリパリ」と注釈が入った。四角いのは凱旋門とのことだったが、そもそもフランス国旗は3色じゃん、と言うと「だってDS白黒なんだもん」と言う。うん、しょうがない、と、改めてリを考えていると、続けて焼き芋みたいな絵を送ってきて「いまのなし!」と手を振る。「ンついてた」「え、焼き芋じゃないの?」「パンよパン」

そんな具合にお絵描きしりとりはなかなか盛り上がって、だから終点まではあっという間だった。さすがエクスプレス。と3回くらい言った。

駅をでると、伯父さんが迎えにきてくれていた。「マンゴーを忘れてきたから家に寄る」とのことで、着いたのは見覚えのない団地だった。幼い頃自分が預けられていたあの家にはもう住んでいないのだということに今更気づく。茨城には、祖父母も住んでいるので、伯父さんちには長らく行っていなかった。車の外では、マンゴーを持ってきてくれた伯母さんを捕まえた母親が袋から洋服を出してあれこれやっている。ピンク色の大きなシャツを、これどう? とすすめるが、伯母さんは「そういうのあるから、いいから」と明らかにいらなそうで、でもそれも見なれた光景のような気がした。

「ああいうの濡れ落ち葉っていうんだよね」と、走り出した車の中で伯父さんがいったのは祖父のことで、今日見舞いにいっても、母さんはどうしたとしつこく聞くだろう、でも今日は母さんは休憩させて、見舞いには我々だけでいくのだと、そういう話だった。「ようするに母さんを頼りきりなんだよな」と伯父さんは言うけれど、例えばうちの父親がそうなるところを私は想像できない。でも、伯父さんがそうなるところは、なんとなく思い描ける気がする。濡れ落ち葉、という単語がなんだか印象に残った。

しかし病室にいた祖父は思ったよりもずっと元気そうで、「今日は母さん休みだからね」といった私の母さんの言葉も納得済みのようだった。それには構わず伯父も母も祖父も、たぶんこの家族特有の玉入れみたいな会話を、つまり全員の言葉を投げあいまくってたまたまカゴにたまってくみたいな、忙しい会話を続けていて、私も妹も、これまたいつものようにぽかんとそれを見ていた。

剥いてきたマンゴーを食べ、土産にもってきたサブレをいただいて、時間が差すたびにもうちょっといいだろと祖父は言う。そんなふうに、夕食の時間まで病室で過ごして、それじゃあまたきます、とそこを後にした。

帰り道には、地元の美味しいパン屋さんというのに寄って、長いパンを妹と私と母と伯父の4人で分けて食べた。もうだいぶ暗くなったパン屋の店先で、この4人でいるというのはもしかしたら初めてかもしれないなぁと思う。パンはおいしかった。それから、私と妹の顔を交互に見比べる祖父の顔を思い出し、今日は来て良かったなと思った。

[] 「ZAZEN BOYS 4」第一印象

新譜!予約して買いましたユニオンで!

そんで、早速聞いているのですが、第一印象としては、やっぱりこうきたのかーという感じです。ライブで新曲が披露されるたびに、何となく想像してた方向にやっぱり展開したというか、まだいろいろもやもやしながら聞いてるところ。

たしかに「ほんのうじでまってる!」から始まる『Honnouji』とか、かっこいい。かっこいいんだが、全編通してのこの単調なリズムは(こういうのなんていえばいいんだっけ…)やっぱりザゼンに求めてる感じと違う。それもまあ、勝手に求めるなよという感じなんだけど、「袈裟を着たツェッペリン」そのものに感じられたあのヒミツガールのマキシからはずいぶん遠くに来てしまった、ような気がしてる。

3からキーボードを使い始めて、ちょっとハウスっぽい打ち込みが増えてく感じは、向井さんの興味の変遷でもあるんだと思うんだけど…。もうちょっと聞き込んでから、改めて感想書きたいなと思っています。

2008-09-12

[][] 「死のロングウォーク」/スティーブン・キング

初めてスティーブン・キングの作品を読みました。というと自分でもちょっと意外な気がするのだけど、スティーブン・キングの名前を知ったのは映画が先で、子どもの頃から、映画の人、というイメージだったのがその理由かもなぁと思う。

読み終えてあとがきをみると、これはもともとリチャード・バックマンというペンネームで発表された作品みたいだ。

なんで私が初めてのスティーブン・キングにこれを読むことにしたのかというと、人にお勧めしてもらったからなんだけど、これはこれでまた、後味の悪い作品だった。もちろん褒めてる。

物語は「ロングウォーク」という競技を描いたものだ。アメリカ全土から選抜された100人の少年が、コース上をただ歩きつづけるという競技。歩行速度が落ちたり、立ち止まったりすると警告を受け、3回目の警告を受けると射殺される。そして最後の一人が残るまでゴールもなく歩き続ける、文字どおりの「死のロングウォーク」。

物語の冒頭では、競技のルールなど詳しく描かれていないため、最初の銃撃があって初めて、彼等はそれが冗談ではないことを知る。そして読者である私も、ではなぜ彼らは参加するのか、そして、この国ではそんな競技が許されているのだろう、ということを考えはじめる。その答えが知りたくて、ページをめくるのだけど、ロングウォークは終わらない。最後の一人になるまで、終わらないんだということだけがずっしりと立ち上がってくる。

少年たちは互いに励ましあい、時には相手が先に死んでくれればいいのにと思い、それを恐れ、また友人に隣にいてほしいと願う。

そしてページを捲る私も、銃の音が主人公の命が少しのびることを意味するように感じ、次は誰が、ということを考えはじめている。なぜこんなゲームが行われるんだ、という疑問はだんだんと遠ざかり、歩き続けることによって、かろうじてつなぎ止められる時間と、その先にある死ばかりが目前に広がる。

はやく終わってほしい、と思うことの意味をあらためて考える。やりきれない話だけれど、登場人物がとても印象的な作品でもあった。

[] 幻想水滸伝1と2をやったよ

タイトルだけは知っていたけど、やったことがなかった「幻想水滸伝シリーズの1、2を幻水大好きな友達に貸してもらってやりました。ついに!

そして結論から言うと、1終わって盛り上がって2やりはじめたらもう大津波に飲み込まれていた感じです。貸してくれた友達に勢いで興奮した長文メールを送りつける程には夢中です。楽しかった。ほんとうに、楽しかった…!

何をいまさらな事を書く

幻想水滸伝の魅力っていうのは、ストーリー中心のRPGであるところだと思う。シリーズに共通しているのは108人の仲間を集めるということなんだけど、この仲間を集めながら物語が進んで行くスピードと、主人公達のレベルがあがっていくスピードが丁度いい。物語の途中にレベル上げという「作業」が入らないのが新鮮で、そのせいか、「主人公」視点で読む物語みたいな感じで楽しめた。もちろんレベル上げが必要なRPGも好きだけど、これはまた全然別物だったな。

108人の仲間それぞれに背景の物語を感じることができるし、本拠地となるお城で遊ぶのも楽しくて、終盤ではこの物語から出たくないなぁーとか思ってた(重傷)。

早速ニコニコMADあさったりもしてたんですが、3、4、5のネタばれに出くわすのが恐いので、早く5までクリアしてネタばれのいろいろにダイブしたいです。どーん!

ちなみに

1で主に使ってたキャラは、ビクトール、バレリア、キルギス、スタリオンとか。なんというか守りに入ってる感じです。一番好きなキャラグレミオでした。グレミオでした!

2で主に使ってたのは、序盤ムクムク、キニスンとシロ、オウラン、ツァイ。後半はシロ、ビクトール、カスミ、ロウエン、アイリとか。いちばん一緒にいたのはシロです。そして一番好きなキャラはホウアン先生でした。でしたー! あっあとナナミね。ナナミかわいいよナナミ。おんぶされるとこでなきそうになった!

あと幻水は音楽もとてもよくて、とくに2のサウスウィンドウの町の曲とかすごく好きだった。

というわけで

いまだにはんぶんあのお城にいる気分です。今後何周もしてしまいそうな予感。

幻想水滸伝2

幻想水滸伝2

幻想水滸伝

幻想水滸伝

2008-09-10

[] 読書体力

ジャック・ケッチャム以降、電車でも昼休みでも帰りの電車でも、駅についたら喫茶店に寄って、さらに寝る前にまで本を読んでいる。今ははじめてのスティーブン・キング中なのだけど、これがまたどんどん先を読みたくて仕方なくなる感じで、あと30ページくらいで読み終わるんだけど、そしたら次は何を読もう、とかもう考えながら、でもまだ読み終わりたくないような気分でいる。

小学校高学年から中学生くらい、アガサ・クリスティにはまったときは、今よりずっと時間があったし読書体力も好奇心もあったので、ハヤカワの赤い背表紙の、特にポワロシリーズを片っ端から、週に2冊くらいのペースで読んでいた。

でも最近は、あきらかに読書体力が落ちたなーって、そういえばちょっと前に誰かが日記で書かれているのを読み(どなただったか思いだせないんですが…)、ああほんと私もだなとか思った。

それでも、2年くらい前までは週に1冊は読んでいたはずだ。それなのに、最近はといえば、月に2冊がせいぜいで、つい短編集ばかり手にとってしまう。イーガンの難しいのがなかなかすすまない。ハイペリオンも読みたいのにあの長さの前にひるんでしまう。私は死ぬまでにカラマーゾフ読めるのか。このままじゃ読めないかもしれない。なんてこった…!

でも、もしかしたらそれは読む本のジャンルとかもあるのかもしれない、とここ最近読書熱にちょっと期待する。自分にとって、読みやすい本、読みにくいけど軌道に乗ったら読みやすい本、とかいろいろあるのは仕方ない。読みやすさと面白さはまた別のものだし(という体験はいくつもあった)、体力ないならないなりの読み方があるはずだ。私だってイーガン全部読むしハイペリオンだってカラマーゾフだって読むんだもんね、とか自分で自分に宣言しながら、今は読書体力つけてきたいなあと思っています。次は久々にミステリー読みたい。ディスコ水曜日は挫折中だけど…。

2008-09-08

[][] 「オフシーズン」/ジャック・ケッチャム

オフシーズン (扶桑社ミステリー)

オフシーズン (扶桑社ミステリー)

『隣の家の少女』を読み終えた後のどんよりした勢いで読みはじめた『オフシーズン』ですが、わりと素直に楽しんで読むことができました。かなり恐ろしく残酷な話なんだけど、ページを捲る手を休ませない勢いがあって一気に読んでしまった。その勢いはもちろん『隣の家の少女』にもあるんだけど、この読後感の違いはいまいち説明できない。

物語は、裏表紙にあるあらすじの言葉を借りれば「〈都会族〉対〈食人族〉の死闘」を描いたもの、なのだけど、どちらを「善」として描くのでもないその視線こそが、この作家の特徴なのかもなぁとか読み終わってから思ったりした。

物語の中では誰もが善悪ということからかけ離れたところにいるように思える。善を行えば報われるといった「物語」はそこにはない。それを象徴していたのがマージーという女性の心理でもあったように思う。

あとがきによれば初めて出版された時には削除されてしまった、という結末(日本語訳はオリジナル版)にも圧倒された。

そして、ジャック・ケッチャムを手に取った流れで、今ははじめてのスティーブン・キングを読んでいます。

[] 日記日記

思ってることを思ってるように日記に書くのが難しくなってきたような気がする。もちろん、今までだって思ってることを直接そのままに書いてきたわけじゃない。けれど、今とても楽しいとか落ち込んでるとか、そういう自分の「気分」のことには、頓着せずに書いてきた。

私が日記を書き始めたのは、その当時勤めていた会社でいろいろもめ事があり、けして落ち着いて仕事をしていられる状況じゃなくて、そのストレス発散みたいな気持ち、だった気がする。あの頃は、朝から晩まで、あの場所にいるのが嫌だなーてことばっかり考えてて、でも日記に会社のこと書いたことはほとんどなかったんだけど、それでもなんかすごく、日記を書くのは楽しかった。

考えたいことを考えて、好きなものの話をして、私の日記にたまに出てくるけど「コピーロボット」と話をしたい、というのは、この日記を書く作業にちょっと似てるのかも。つまり、書くことは自分に向けて話すことに似ている。

そんな個人的なものを、誰かに読んでもらえるっていうのは自分にとって特別なことだ。例えば、まったくの個人的な、普段だったら口に出して話す事なんてないような考えに、誰かが反応してくれることがあるなんて、十数年前の私は想像もしてなかった。

だからこそ、なのか、それとも単純に自分のためになのかわからないけど、私はこの日記を書く事が楽しいままでいたいなーとか、最近ちょっと考えたりした。

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2008-09-07

[] 夏休み日記その1「青海川駅」

もう秋だなんて信じない!というわけで今さらではありますが夏休みの日記を書きたいと思います。

夏休みの出だしは休日出勤だったのですが、その翌日早朝から電車に乗って、西に向かいました。18切符というやつです。初体験です。乗り降り自由なんだって!すごい。

埼玉から群馬、新潟まではノンストップで向かい、最初の休憩は水上という駅でした。次の電車まで1時間くらいあるってことで、川など見にいったりして、最後、駅前のコンビニというかパン屋さんででサンドイッチを買った。奥の厨房的なところで、おばあさんが作ってたできたてのサンドイッチ。ソースにひたしてある揚げたてっぽいハムカツがじんわりおいしかった。

どこでとまるか決めずに電車に乗ったのだけど、とりあえず上(日本海側)にむかったのは、日本海を見たかったから。

f:id:ichinics:20080909003019j:image:w300 車窓に惜しみなく広がる海

やがて車窓いっぱいにひろがった青い海と海水浴をする人々の姿につられて、初めて18切符らしい「ぶらり途中下車」(←言ってみたい)をしたのは、青海川という駅でした。

f:id:ichinics:20080909003022j:image:w300 海どーん

f:id:ichinics:20080909003023j:image:w300 トンネルにときめく

「海に一番近い駅」という看板が立っていて、駅から出るとすぐに浜辺へとおりる階段が見つかった。

f:id:ichinics:20080909003015j:image:w200 これ階段

海見ると無条件に気分が盛り上がるのはなんででしょうね。説明できないところがいいよなとか思います。

f:id:ichinics:20080909003017j:image:w300 ビール(のみかけ)

海の家で生ビールいただいて浜辺でぼんやりしてまた駅へ。電車写真とるので待ち構えてた男性と譲り合いつつ電車の写真を撮ったりして再び西へ向かいました。

というかその電車に乗らなきゃまた一時間待ちとかなので、慌ててて写真はぼけぼけでした。残念。

f:id:ichinics:20080909003018j:image:w300

その後、直江津で1時間ほど時間があったのでまたあたりをうろうろして、この日は富山に泊まりました。富山ではかねてからの憧れの場所に行くことができたのですが、それはまた今度。

f:id:ichinics:20080909003020j:image:w300 直江津の猫。写楽っぽい。

f:id:ichinics:20080909003021j:image:w300 直江津を出る頃には夕焼けだった。

2008-09-04

[][] 隣の家の少女ジャック・ケッチャム

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

この本の名前は何度も見たことがあって、どうやらこわいらしい…という漠然としたイメージはあったのですが、先日なんとなく手にとり読み始めたら、想像以上に恐ろしくて、しかも読み終えたときの、どんよりとした気分といったらなかった。

読んでいる間はせかされるようにページをめくっていたから、面白かったのだと思う。ただ、そのページをめくるということ自体が、この物語主人公が負う「罪」とも重なっていくようで、気が重かった。

あとがきでも書かれていたように、この物語のきっかけとなる隣の家の母親、ルースには、作者の興味が向けられていないように感じる。ルースの動機のようなものは特に描かれないので、想像するしかないのだけれど(そして想像することはできるのだけど)、むしろそのことが、子どもたちの視線とも重なって、恐ろしかった。起こっていることに、まず身を委ねてしまう彼らを無邪気とは言えないのだけど、そのことで、何かが大きく失われていく(それは少女に関してだけでなく)ことへの無責任さ、無自覚さが、本のこちら側と向こう側の距離ほども離れているようで、とにかくどんよりとした、後味の悪い読書だった。そして、たぶんこれは褒め言葉なんだと思う。その証拠に、というわけではないけれど、今度は「オフシーズン」を買ってきて読んでいる。そして読みながら、やっぱりちょっと後悔している。

「隣の家の少女」を読み終えたあとに感想を検索していたら、こんな質問を見つけた。

最悪の読後感を味わわせてくれる小説を教えてください。「期待して読んだら外した」は該当しません。

わたしのワースト3は次のとおりです。

ネタバレ有りの感想を↓にリンクしておきます。

http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2005/07/post_66b1.html

「感動的な」「泣ける」「爽やかな」物語なんていりません。

読んだことを激しく後悔するような、劇薬小説を、教えてください。

http://q.hatena.ne.jp/1122422363

私にとって最悪の読後感だった小説といえば、新井素子さんの「おしまいの日」だ。読んだのは中学生の時なので、記憶曖昧なのだけど、読んでいる間の怖さ、気持ち悪さははっきりと覚えている。読み終わった後、しばらく友人たちにも「様子がおかしい」と言われるほどだった。もう二度と読みたくない。…というのももしかしたら褒め言葉なのかもしれない。

[][] 秒速5センチメートル

秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

公開時に見るつもりだったのに結局見に行けなかったのですが、ちょっと前に話題になったエントリで(女性に見せるには)「地雷」と書かれており、さらにブクマコメントでも地雷と評判の高かったのを見て*1、(嫌な動機ではありますが)見てみました。

物語小学生のころに出会い、互いの転校によって離ればなれになってしまった男の子女の子初恋を3話オムニバスで3つの時間から描くというもの。

結論からいえば、少なくとも地雷だとは感じなかった。主人公男の子(成長してやがて大人になるまで描かれる)が、ちょっとなんていうか酔ってるみたいな感じがしないでもないですが、1話めの、東京から栃木まで会いに行くところとかは緊迫感があってよかった。待ち合わせをして、携帯もなくて、でも雪で電車が遅延して…という状況の中であせるかんじ。モノローグで「かえっていてくれ…」というとことか、10代ぽい!青い!とか思って悶えた。あと2話めで主人公のことを好きになる女の子(2話めはこの子の視点で描かれる)の、“わかってしまう感じ” は、素直に、とても切ないと思った。

わたしは「ほしのこえ」を見た/読んだときすごく感動したんですけど、(id:ichinics:20050315:p2)、この「秒速5センチメートル」を見て、“距離によって引き裂かれる悲恋” というテーマは、新海監督の続いてくテーマなのだなと思った。

まあ、そこをあらかじめ受け入れてしまってる時点で、私はやっぱりあの質問で想定される「非オタ女子」ではないんだろうな…。

でも、この映画でなにより印象的だったのはやっぱり美術だった。

新海監督独特の背景美術は必ずしも私の好みというわけではないのだけど、桜の木の下を二人が走っていくシーンの美しさ、特に光の描かれ方のこだわりは、監督の個性としてすっかり確立されているし、インタビューを見てみても、人物を背景に溶け込ませるためにとても細かな影の動かし方をしているのを見て、たぶん3話通していちばん美しく描かれていたのが、もっとも古い記憶であるあの場面で、初恋だもんなぁ…などと何か納得したような気分になったのでした。

それから、この主人公の声がどこかで聞いたことがあるようなと思ったら、「月光の囁き」に出ていた水橋さんの声だった。

2008-09-03

[][] ぴっぴら帳/こうの史代

ぴっぴら帳(ノート) (1) (ACTION COMICS)

ぴっぴら帳(ノート) (1) (ACTION COMICS)

そういえばまだこれ読んでなかったんだ、と思って買いました。読んだ。インコが飼いたくなりました。

「ぴっぴら帳」は「まんがタウン」に連載された4コマ漫画シリーズ。作者自身が飼っていたインコカナリヤとの暮らしをもとに描かれているそうです。

私も幼い頃に、おばあちゃんがなぜか捕まえてきたというインコ文鳥を飼っていたのですが、ぴっぴらさんのように雄弁ではなかったような気がする。というのはあんまりインコたちのことを気にしてなかったからかもしれない。というかあの頃は幼稚園児だったので素直に「捕まえてきた」という話を信じていたし、虫取り網を持って走るおばあちゃんの姿まで思い描いていたのだけど、もしかしてあれは冗談だったのだろうか。

つい先月まで私はハムスターが飼いたくて仕方なかったのですが、いろいろ考えた末にハムスターの無事を考えてやめて、でもインコなら…とか夢想してしまうくらいに「ぴっぴら帳」は楽しかったです。インコ…。

ぴっぴら帳 (完結編) (Action comics)

ぴっぴら帳 (完結編) (Action comics)

[] すばらしいたのしいうれしい

完全に自業自得風邪を引き3日間寝込んだ。雨にぬれたら即、風呂に入ってあったまるべきなのにそうしなかった自分が悪いんだけど、とにかく明け方に暑くて目が覚めたら熱いの自分だったって具合に風邪をひき、そんなわけでこの数日ひたすら眠っていた。食べ物もないし飲み物も、麦茶パックもきらしていたので、一度だけ近所のコンビニに買い出しにいったけれど、それ以外はずっと、部屋の中で寝て,寝て、眠っていた。寝ながらポカリを飲み、ゼリーを掬った。

長い時間、眠りながら何か考えてるんだけど、自分が何を考えているのか、よくわからなかった。そのわからなさについて、誰かと、もしくはコピーロボットと、話をしてみたいのだけど、それが、わからないねーと言いあいたいからなのか、わかるためのヒントがほしいのか、どっちでもいいじゃんと言ってもらうことで安心したいのかできるのかなんてそんなこと知らないけど、とにかくひとりで考えてんのしんどいなぁとか思いながらまた眠った。

しんどいなぁとか思うとき、よく思いだすのはあの、楽しさ保証付きの話。どこかに「どう考えたって、世界には、一生かけてもアクセスしきれるはずもないほど大量の」、が、わたしを待っているはずで、それがちゃんと見えてた気がしたときもあった。ような気がする。あの時はすっきりしてた。それがいいことか悪いことかは別にして、っていちいち言い訳しなくてもいいように、わたしはわかりたいんではなくてわかられたかったんだなと思い寝返りをうった。

わかられたいというのは、つまり「いいことか悪いことかは別にして」とか言い訳しなくてもいいということ。そして、自分が何を考えているのかわかりたい、と思うのは、楽しい事を楽しみにして、嬉しいことを喜びたいということで、そんなのぜんぜん、むずかしくないはずなのになぁと思いながら起きて、むずかしいことがむずかしいことよりむずかしくないことがむずかしいことのほうが悲しいなぁと思った。

2008-09-02

[][] あたらしい朝 第1巻/黒田硫黄

あたらしい朝(1) (アフタヌーンKC)

あたらしい朝(1) (アフタヌーンKC)

待ちに待った黒田硫黄の新作!というだけで心躍ります。第1話がアフタヌーンに掲載されたのは2年前だったよなぁとかいうのもいいやと思えるくらいうれしい。

巻頭のカラーページから、この躍動感は黒田さんならではだよなぁと思う。ごちゃごちゃとこんがらがったまま走り回るにぎやかな画面は、クストリッツァ監督の映画とちょっと似てるような、なんて思う。

物語は、大金を拾ったエリックとマックスが、しばらく行方をくらますために入隊するところからはじまる。金は、偶然再会してマックスが一目惚れ(?)した幼なじみ、ベルタに預かってもらっているのだけど…

というストーリーを追うよりも、その場その場の雰囲気とリズムを楽しむ漫画だなーと思いました。や、もちろん話も面白いんだけど、それより海軍を描くのが楽しいんだなと思いながら読みました。

巻末あとがきを読むと、入院されているということで、心配です。2巻がいつになってもいいから、黒田さんの漫画がもっと読みたい。

[] いつのまにか9月

いつのまにか9月になっていた。夏休みが終わって早々に風邪をひいて寝込んだり、雨と雷が続いたりしていたせいで、夏はずいぶん昔のことみたいになってしまった。夏の終わりはさびしい。いくつになってもそうなんだろうかとか思いながら、今日ひさしぶりに氷を入れて麦茶を飲んだ。

f:id:ichinics:20080903010438j:image:w430

冷たくておいしかったのでまだ夏だ、と思った。あともうちょっと。