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  □これまでの日記一覧

2009-02-28

[] 冬の空

ぼんやりネットを見ていると、たまに、どこからどんな経緯で開いたのか覚えていないタブが残っていることがある。

先日、そんなふうにして出くわしたページを、これいい写真だなとか思いながらスクロールしていったら、その先に「高校に受かった」と書いてあるのを見つけて、思わず手をとめた。

「いい写真だな」と思った時点でわたしは多分、相手(そのページを管理している人)を目上のように感じていて、だからこそ、「高校に受かった」という一文に少し驚いたのかもしれない。

でも、それだけじゃなくて、いつの間にかそこに写っている海や、雪や、冬の空の下に、受験生の自分もいるような気分になっていたのが不思議だった。そこにいる私はまだパソコンも持っていなくて、毎日退屈で面倒で夜は親にかくれてラジオを聞き、授業中は居眠りばかりしている。だから同級生がこんな写真を撮って、ネットに日記を書いてるなんてことは知らずにいて、それをたまたま見つけてしまって、どこか、おいてかれたような、そんな気分になっていた。

自分の方がずっと年上なくせにおかしな話だけど、それは「物語」を読んでいるときの感情移入とも、自分の時間に対する後悔とも違って、初めて見るページの、書き手に対する先入観もないまっさらな場所だからこそのねじれ方のように思えた。

[] 2月の終わり

2月の終わりはなんだかあわただしく、とても楽しかったような気がする。毎年、このくらいの季節になると、もう今年もこんな調子できっとあっという間に過ぎるんだとか、厭世的になったりもするのだけど、今年はそんなのも5分くらいで過ぎてった、ような気がする。

朝起きて、植物を日向に出し、近所を散歩して相変わらず道に迷って、喫茶店で本を読んでからスーパーで安売りの豚肉まとめ買いして、弁当用に惣菜をいくつか作り冷蔵庫にタッパーを並べる。そんなときにふと、料理は無心になれるから楽しい、とか、そういう単純な共感が嬉しかったこととか思い出して、

考えていることを言葉にしても、それがどう写るかを気にせずにいられるのはやはり気持ちがいいことだなと思ったりした。

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散歩道に花が増えてきたせいか、最近は寒くても春みたいだ。

2009-02-26

[] 雪、茶色、アイロン

昼休みの喫茶店はいつも満員御礼で、今日もまた私含めて数人、カップもったまま立って席があくのを待っていた。並んだりはしていないんだけどなんとなく、自分より先に来た人へどうぞどうぞという雰囲気ができている。しばらくして、奥の席があいたとき、待っていた3人の中で一番後に来たおじさんが、どちらにともなく「あきましたよ」と言い、私ともう1人が顔を見合わせ、私は「どうぞ」をもらった。こういうとき、なんとなくだけど近しい気分になるのはなんでなんだろう。

席へ向かう途中、残った2人が「雪ですね」と話しはじめるのを背中で聞いた。

幼い頃、祖母は私を称して「茶色の似合わん子」と言っていたそうだ。その話を母さんに聞いたのは、私が春休みの(はじめての)バイト代で買ってきた茶色の服が、あまりにも似合わなくて途方に暮れていた時の事で、それから私は長い事、茶色を目の敵にしていたはずだった。

しかし昨夜、洗濯物をしまっていたときに、うす茶からこげ茶まで、いつのまにか茶色の服が随分増えてることに気がついた。私はいったい、いつから私は茶色絶ちをやめたんだっけ。

そういえば、昔はピンクとか着てたなと思う。21の誕生日にピンクのTシャツきて写ってる写真は、自分が写ってる写真なのに珍しく気に入っていた。でも、その写真ももうなくしちゃったし、今はもうピンクは選ばないだろうなと思う。でも、いつのまにか茶系も違和感なくなってたみたいに、好きな色が似合うようになればいいのにとか思う。

でもいつも一番に思うのは、白いシャツが似合うようになりたいということだ。

そして、似合うも似合わないも、私があまりシャツを買わないのはアイロン掛けがめんどくさいからだ。

風呂上がりにジュース飲みながらぼんやり通販番組を見ていて、ハンガーに吊るしながらシャツにスチームで!アイロンがけらくらく!プリーツも!とかやってるのを、固唾をのんで見守り、発表された五千円という値段がずっと頭に浮かんでいるのはのはたぶんそういう理由。

たまに、書きたいと思いついたことを携帯にメモしたりもするけど、それらは後になって読み返しても、時化たクッキーみたいにそそらないものになっていることがほとんどだ。もちろん、また気分がめぐってくることもあるので、たまに、しれっと数ヶ月前の日記を書いていたりもするけど、気分だけはいつも今なのが日記書くののおもしろいところ。

2009-02-22

[] 歯磨きの視界

寝る前には洗面所へ行き、歯ブラシを左手に、右手に歯磨き粉のチューブを持ち、そのフタを開いて左手の歯ブラシのブラシ部分に歯磨き粉を、あんまりたくさんの歯磨き粉をつけてはいけませんよ、といういつかどこかで聞いた忠告を反芻しながら5ミリ程度だしてチューブのフタを締め、パチンと音がしたことに少し気をよくしながら右手に歯ブラシを持ち直し、さて、と鏡に向かう。そして目を閉じる。

この、長年繰り返してきた作業をたどりながら昨夜、なんでここで目を閉じるんだろうという疑問におそわれた。

奥歯、奥歯の奥、歯の裏など、鏡で見やすい前歯以外は目を閉じることで、あくまでも気分ではあるけれど、口腔内に目を移動させ、その様子を想像しながら磨くのがやりやすいような気がしていた。

しかし、これまで合宿や出先の洗面所や友達の家に泊まりに行き、目を閉じて歯を磨いている人なんて見たことなかったし、私も人前ではなんとなく、目を開いたまま、鏡にうつった自分の視線を気にしながらも、もくもくと歯を磨いてきた。

考えだすと落ち着かなくて、目を開いたまま鏡に向かってもみたけれど、結局いつのまにか、視界は(想像の)口の中にあった。

ところで今日、長いこと積んでいたイーガン『TAP』を読み始めたのだけど、その中に、自分の身体から視覚だけ切り離されてしまう「視覚」という短編が収録されていた。その着想を、イーガンその人も歯磨きの際に思いついたのだとしたら面白いのにな、とか思ったりしたけど、まあそんなわけないか。

[] パセリ

土曜日、用事を済ませた帰り道、以前から行ってみたかった喫茶店に寄った。外観を見てなんとなく想像していたとおりのお店で、長らく集中できずにいた文庫本もあっという間に読み終えてしまった。

眠る前に本を開いてもあっという間に眠ってしまい1ページも進まないので、読書はもっぱら喫茶店でするのだけど、このお店は特に、理想的に思えた。

店内は薄暗く、机の上に小さな明かりが用意されているのもいいし、コーヒーもおいしい。私はブラックで半分まで飲んで、途中でミルクを入れるのが好きなのだけど、途中でミルクを下げに来たりしないのも気が楽だった。

居心地の良い場所を見つけたことに気をよくしたのか、店を出た後つい寄り道をして、小さなパセリの苗を買った。ちょうど植え替えをしてあまっていた鉢があったのでそれにおさめる。夕食につくったあまりご飯リゾットにパセリをのせてみたら、なんとなく、すごく贅沢な気分になった。

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2009-02-21

[][] 「回送電車」/堀江敏幸

回送電車 (中公文庫)

回送電車 (中公文庫)

堀江敏幸さんの文章を読んでいると、使い込まれた肌なじみの良い木材に触れているような、静かでまっすぐな気持ちになる。

読んでいる途中で書いた「ジョセフ」という小説のことについても*1、私の抱く感想堀江さんの書くそれはわりと異なったものなのだけど、それでもすんなりと、なるほどと相槌を打てるので気持ちがいい。

予防線をはるようなこともなく、このようにフラットな文章が書けるのは堀江さんの特別なのだろうけれど、私がそう感じるのはなぜなのか考えてみると、シンプルなようでいて、とらえどころがない文章であることがわかる。

そして改めてページをめくり、この本のタイトルとなっている「回送電車主義宣言」こそが、作者の文章をあらわすのにぴったりだったのだと知る。そのように、自らの文章に対してすら、「見る」ことに優れた人なのだと思った。

この「回送電車」はさまざまな媒体に掲載されたエッセイを集めたものだ。以下いくつか印象に残ったところをメモ

かすかなコミュニケーションが成立するときにだけ輝くあたたかい燈火の、具体的な手応えとでも言うべきか、それ以前にふたりがどのような関係にあり、またこの先どんな結末を迎えようとも、手紙を介してむきあっている二者のあいだに誰にも切断できないやさしくしなやかな糸の張られた瞬間が、みごとに描きとめられている。

破滅を導く無鉄砲な逃避行でも激しい肉の交わりでもない、山の神さまがつける口べにのような、すぐにも消えてしまう朱色の相互理解こそが真正の恋なのだ、と私は思うのである。

これは和田芳恵おまんが紅」という小説について書かれた文章なのだけど、恋の定義についてはともかく、今後私が「かすかなコミュニケーション」が成立するときの、ささやかな光のようなものに触れることがあれば、「山の神さまがつける口べに」のことを思い浮かべるのだろうなと思った。

それからヘッセの描く水彩画について書かれた「電信柱の教え」という文章に引用されていたコリン・ウィルソン

ヘッセは彼自身の人生問題を、紙面において見ることによって解決しようとする欲求にとりつかれて創作する。

という言葉には、ヘッセの、特に「荒野のおおかみ」という小説の魅力が凝縮されているように感じた。するとこの文章で堀江さんが書いているように、ヘッセ水彩画に対する気持ちもピントが合うというか、なんだかつられてわかったような気分になってしまうのだった。

それから、この本のなかでもっとも気に入ったのが、最後に収録されている、谷川俊太郎さんの「みみをすます」という詩についての文章だったのだけど、「昨日の雨だれ」に耳をすますということを、誰もいない映画館で見た「2001年宇宙の旅」の思い出と重ねているということにぐっときてしまった。これは「感想文」ではないけれど、私の思い描く感想文の理想のひとつがこの文章であるように思った。

2009-02-20

[][] レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで

監督サム・メンデス

いろんな人の感想を読んで気になっていたので地元映画館の最終日に見てきました。

タイタニックに主演したレオナルド・デカプリオとケイト・ウィンスレットが再び共演するということで(同じくタイタニックに出演していたキャシー・ベイツも出ている)、その配役にはなんらかの意図があることがうかがえるのだけど、タイタニックに描かれた氷漬けのロマンチックはこれでもかというほどの木端微塵にされるので、正直なところ、見終わった後にぐったりしてしまいました。(関係ないけど、この前テレビで久々にタイタニックをみたら、はじめてみたときとは違って、ローズ婚約者が不憫で仕方なくてそこばかり気になった…)

物語は、郊外に住む若夫婦ディスコミュニケーションを描いたものといっていいと思う。二人には子どももいるのだけど、あくまでもその存在感は薄く、描かれるのは二人のやりとりが中心だったため、まるで二人劇のような脚本だなと感じました。

女優を目指していた妻は、にぶい夫への苛立ちを募らせながらも、子どもができたことで郊外に家を買い移り住み、夫は夫で「ああはなりたくない」と思っていた父親と同じ会社に勤めている。

そんなある日、妻は「夫のために」といってある人生改革プランを発表するのだけど、2人の恋人同士のようなやりとりと反比例してお互いの思惑はすれ違っていく。

これは存在意義のよりどころをお互いに見出そうとして失敗する物語、ともいえるのだけど、彼らはなぜ失敗したのだろう…と考えると、どこも行き止まりのように思える。

この映画を見始めて、真っ先に思い浮かべたのは、「めぐりあう時間たち*1に描かれたローラという女性のことだった。彼女の抱えていた「些細な、しかしきわめて切実な絶望」のことを思う。そして、なぜケイト・ウィンスレット演じるこの妻には、あらゆる予想を裏切るような一瞬が訪れなかったのだろうか、と思う。それは彼女が最後まで、自分と向き合うことができなかったからなのではないか。

そこで、ラストのおじいさんが選んだ方法を正解とするのは、なんだか皮肉のようにも思えた。

あと、感想書き終わってからこの監督ケイト・ウィンスレットのだんなさんであることを知ってものすごく複雑な気分になりました…。

2009-02-19

[] 家族写真

小学校の高学年くらいから、家族写真に写るのが苦手になった。父さんは出かける予定の時間になってからトイレにこもり、その後洗車をした後に、持ち物チェックをはじめて…と、お決まりの行程を経なければ出かけられないような人だったので(なので後に目標時間を1時間上前にして伝えるようになった)、もちろん写真を撮るにしてもいろいろと時間がかかる。

でもそれがいわゆる写真撮影スポットだったりすると、後ろに待ってる人がいたりもするわけで、そういうのにもやもやしていたのもあるし、それ以上に、そんな気分で写った私の仏頂面といったらどれもこれもひどくて、写真ができあがるたびに自分が写ってるとこぜんぶ消したくなった。

だから今でも記念撮影みたいなのって苦手なのだけど、正月に両親にアルバムをプレゼントしようってことになって昔の写真をひっぱりだしてみていたら、意外なほどに楽しい写真がたくさんあって驚いた。

赤ちゃんの頃の弟抱いて父さんが寝てる写真とか、私と弟が遊んでる写真とか、学芸会とかバースディケーキとか、全部みんな楽しそうな顔してて、なんだかちょっと安心した。

「撮りますよ」って構えて撮る写真のよさってのももちろんあるんだろうけど、子どもの頃の、カメラ意識してない表情ってのは明らかに違う。そして、自分写真に写るのが苦手なのは、父さんに対して、どんな顔していいかわかんなかったからなんだろうなと思う。

残念ながら今年の正月のも、集合写真は相変わらずいまいちな顔してたんだけど、これから先に撮られる家族写真が、だんだんといい顔になってくといいなと思います。

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メレ子さんのこの(http://b.hatena.ne.jp/mereco/20090219#bookmark-12198498ブクマコメント見て、正月スキャンした写真があったのを思い出しました。のぞいてるのは妹と父さん。

[][] 「女の子の食卓」5巻/志村志保子

女の子の食卓 5 (りぼんマスコットコミックス クッキー)

女の子の食卓 5 (りぼんマスコットコミックス クッキー)

志村志保子さんの、食べ物テーマにした連作短編集第5巻。

この食卓シリーズは1巻からずっと、ひとつひとつのお話にこめられる力加減がかわらないのがすごいなと思います。ここに描かれるさまざまな「食卓」の形を見るたび、食べることってほんとうに、人の生活に深く絡み合っていることなんだなと改めて思う。

この巻では特にマーマレード焼きそばの話が好きだったんだけど、やっぱりひとつをと挙げるなら「スモア」だと思う。

バーベキューの網でクラッカーあぶってチョコ載せてその上にあぶったマシュマロのせてクラッカーサンドするそのお菓子のことを、私は去年の朝霧で知ったんだった。友達のテントに遊びに行ったときに作ってもらって、そのとき「女の子の食卓で読んでやりたくて」っていってたのはこれだったのかー!て嬉しい気持ちになった。

それで芋づる式にあのチョコ渡して栓抜きかしてもらったんだっけとかライブぜんぜん見てなかったなとかいろんなこと思い出したりもして、そういうのって物語とここが入れ込みたいで面白い。またいつか食べたいな。

この巻には読みきりも1編収録されているんだけど、そっちについてはいろいろ考えこんでしまったのでまた今度。

4巻の感想

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20080723/p1

2009-02-18

[][] 群青学舎4巻/入江亜季

群青学舎 四巻 (BEAM COMIX)

群青学舎 四巻 (BEAM COMIX)

入江亜季さんの連作短編シリーズがとうとう最終巻を迎えてしまいました。さびしい。

こんな風に、いろんな物語をひとつのシリーズとして読むのはたぶんこの「群青学舎」がはじめてだと思う。以前、女の子本棚みたいな、と書いたけど、ほんとそんな雰囲気の短編集でした。続いてるお話もあれば、1話きりの登場人物もいるけれど、ぜんぶのお話もちゃんと続いているんだなって思えるラストがすばらしかった。

この4巻で特に好きだったのは、三人の子どもとその両親のお話。3話連続で収録されているんだけど、ぜんぶがほんとに大好きだった。終わらないで欲しいな、って思った2話から、3話への流れがほんとあったかくて切なくて思わず目から水でした。

特にラスト、全部を包むようなお父さんのひと言と、眼鏡の奥の描写がたまらなかったです。

ほんと、入江さんは女の人を魅力的に描くなぁと思う。1話めでライダーの世話を焼くマージににしても、この「群青学舎」でもっとも長いシリーズとなった「ピンクチョコレート」のみやこさんにしても、ほんとうにのびやかで気持ちがいい。たまりません。

群青学舎が終わってしまうのはさびしいけど、入江さんの今後の作品を楽しみにしています。

2009-02-16

[] 小説家

以前、教えてもらった保坂和志さんのインタビューを読んで、小説家であるとはなんて心細いことなんだろうと思った。

「とにかく小説家小説を書いて成長するし、小説を書くことで人生時間を生きていく。」「この不安だけが正しいんだという意味では僕は確固としていますね。」*1と語るその心持のことを想像するときの感じと、ちょっと飛躍するけれど、「RIN*2のように“天才”が描かれる物語を読んでいて感じる“遠さ”は少し似ている。

天才」という言葉を使うのは、生きてる人を神様というくらいなんだかちょっと抵抗があるのだけど、天才とはそのように、別の場所に生きているように感じられる人のことをいうのかもしれない。

そして私は身勝手なことに、「天才」という言葉を思い浮かべるたびになぜか、ふと穴に落ちたような、漠然とした寂しさを感じるのだった。

でもそれは、「天才」の本来の意味であるはずの才能についてではなく、心細さを持ち続けるということを、改めて意識するからなんだな、ということを昨日、あの村上春樹のスピーチを読み、動画を見ながら考えていた。

中学生のとき、国語総覧で顔写真を見て、イメージとだいぶ違うな…と思って以来、村上春樹が「動いている」のを見たのは初めてだったから、その内容以前に、ああこの人はちゃんといるんだな、なんて感じたりもしたんだけど、

ピーチの中に、「小説家というのは、自分の目でみたものしか信じない」という言葉がでてきたのを読んで、それが心細さを持ち続けるということであり、不安を信じるということなのかもしれない、と思った。

そして、「天才」、という言葉がどこか寂しく感じられたのは、天才がどこか別の場所に生きている相手だからではなく、その言葉が、すべての私は孤立しているということを思い出させるからなのかもしれない。見て、考えるのは「私」だ。

なんだか話が飛躍しているけれど、自分がずっと好きだった小説家だから、という贔屓目もあるにせよ、村上春樹があのスピーチをした、ということにはかなりぐっときてしまって、昨日も今日もそのことばかり考えている。

保坂さんを引き合いに出したのには連想以外の意味はないのだけど、そういえばちょっと顔が似てるような気もしないでもない。

2009-02-15

[][] RIN新井英樹

RIN(4) <完> (ヤンマガKCスペシャル)

RIN(4) <完> (ヤンマガKCスペシャル)

RIN」の最終巻がでたのは先月なのですが、なかなか感想が書けずにいました。

私は、リンの物語はあくまでも(前作「SUGER」から描かれてきた)千代を巡る色恋を中心にまわっていると思っていたし、最後の6ページはあくまでもおまけだとしたら、実際そのように終わったのだと思う。ただ、その閉じ方があまりにも切なすぎた。

天才・・・・って/病気だから/私は・・・・嫌だ

千代アイリーン中野靖子のような、新井英樹の描くヒロインの典型に近い印象はあるけれど、彼女たちのように物語の中心にいるのではなく、あくまでも外側にいて、常にリンを突き放してきた。

最終巻はほぼ立石戦をメインに構成されているのを見ても、リンを受け入れる場所はもうリングにしかなくなっていた。そして、そのリングさえもリンを受け止めきれずに、物語は幕を閉じたように思う。

遠くて近寄り難くてまぶしい存在であることを、たぶんリンがのぞんだわけではないからこそ、リンは天才なんだと思う。それは「ザ・ワールド・イズ・マイン」で描かれたヒグマドンの姿にも似ている。

でもそれじゃあ、リンはこれからどうなるんだろう。そんな詮無いことを考え込んでしまった。

「SUGER」から引き続き描かれてきた「石川凛」の物語が、こういう風に終わることを私が意外に感じたのは、最後までのんきに千代存在を頼っていたからだ。千代ならリンを天才じゃないただの人にできるんじゃないないかと期待していた。だからつまり、私は天才から「降りる」瞬間が見たかったのかもしれない。

でも、上記に挙げた千代言葉も切実なものだと思えたし、それが普通だと思う。

読み終えてしばらく経つ今も、リンの圧倒的な存在感はしつこく残っていて、これを千代はどんなふうに持ち続けていくのだろうか、と思った。

1、2巻の感想

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20070422/p3

[] 久しぶり

高校の同級生で卒業してからもずっと、月に1度は近所のファミレスに集まって時間を過ごしてきた友人たちがいる。*1

趣味はあわないし、進路もバラバラだし、共通の友人もその3人がほぼ全部で、それなのにあんなにたくさんの時間をどうやって過ごしてきたのか、私はいつも、2人の話を聞いているのか聞いていないのか、あいまいな感じでその場にいたように思う。

それでも、大学卒業直後に私が当時つきあってた人と別れたときは散々話を聞いてくれたし、後部座席でビール飲んでる私を夜景がきれいだからといって夜の飛行場に連れて行ってくれたりもした。泣いてたって笑ってたって眠ったふりしてたって、彼女たちはいつもと同じ調子で、私のそばにいて、私が話を聞いていようがいまいが、変わらぬ調子で話し続けるのだった。

そのうちの1人が昨年結婚し、先週末にその新居へ遊びにいってきたのだけど、私も地元を離れ、1人は新しい仕事をはじめたばかりで、もう1人はこうして新しい土地に住んでいるというのはなんだかすごく不思議なかんじだった。

いつもの車でいつものサザンがかかってることに悪態をつきつつ、2人で高速のって海のそばにある彼女の家に向かうのも、途中ケーキなど物色しているうちに、約束時間をとうに過ぎてしまったのも、会ってもたいして話題がないのだって、相変わらずなんだけど、

呼べばいつでも会える距離にいないというのは、離れてもこうして会おうという積極がなければいつか途切れてしまうのかもしれないということをあらためて思って

この相変わらずが、お互い年寄りになっても続いてればいいなあとか、別に言わないけど、かわりに「また来る」って言い過ぎて笑われたりした。

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2009-02-14

[] 天気がよくって

土曜日はすごくいい天気だったので、窓全開にしてもぜんぜん寒くなくて、掃除機かけて布団干して洗濯機2回回して、シーツもすぐかわいて植物光にあててそれでもまだお昼で、木曜に漬けた鱈の粕漬け焼いてあたらしいすり鉢でいりゴマすって、ほうれん草ゆでて胡麻和えと食べて仕事して、友達に会ってチョコ交換したりして喉が痛くなるくらい喋って井の頭腺で手を振って、自転車漕いでるあいだもやっぱり寒くなくて、最近音楽聴くの楽しくて毎日がなんだかなつかしくてひさしぶりにお風呂じゃなくてシャワーだけにして、ふかふかになった布団にもぐりこんで明日のこと考えて眠った。

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2009-02-13

[] 「メイド イン ジャパニーズ」/イルリメ

メイド イン ジャパニーズ

メイド イン ジャパニーズ

一昨年の夏にでた「イルリメ・ア・ゴーゴー」はほんと大好きなアルバムになった。再生するだけでてきめんに元気になったし、何回か行ったライブもほんとすばらしかった。

ただ、「イルリメ・ア・ゴーゴー」はまるごとライブのようなつくりになっていたし、この勢いっていうのはきっと何度も繰り返されるものではないだろうなと思っていた。

だから、新作には前作のような空気を期待してはいなかったのだけど、聞こえてきたのはやっぱり私が大好きな音楽だった。

それぞれ立場も違うだろう

名前性格も違うだろう

だけどそれが好きならば

違いの分かる似た者だろう

時間ですよ!」

これライブできいたらぐっとくるんだろうなーってしんみりしてたとこでアップテンポなインストはさんで「カレーパーティ」。

たぶん、このカレーパーティの、がやがやちゃごちゃたのしくってめんどくさい! ってねじれ具合がいかにもイルリメ節で、私はそこが好きなんだと思う。

みんなで食べて めんどくさい

うまいかどうか めんどくさい

飲み物倒し めんどくさい

フキンで拭くの めんどくさい

カレーパーティ

それから、ニカさんに書いた曲のそれぞれを思い返してみても(このアルバムにはイルリメ版「今日を問う」が入ってる)、イルリメの書く言葉ってなんだかすごくなつかしい。

明るい話題や暗い話

他人事ではすまない時

いろいろ突然やってきて

憶えて忘れて過ぎてゆき

思い出せることもあれば

忘れてしまう記憶もある

目のまえぼんやり眺めてる

流れるこの景色のように

「たれそかれ」

自分が今考えてることに、偶然でもぴったりくる言葉って、それだけで特別に思える。すごくいいアルバムでした。

鴨田潤名義の「ひきがたり」も一緒に買ったのだけど、そっちについてもまた書きます。

関連

イルリメ・ア・ゴーゴー」の感想

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20070704/p1

[] 春一番

生ぬるい風が鼻先かすめた瞬間に、冬が終わったような気がした。まだ春になる手前の、なんだかそわそわするようなにおい。

今日は、思いがけない贈り物をもらって久しぶりに、嬉しくて涙がでた。もともと涙もろいので、泣くのは珍しいことではないんだけど、こんなに気持ちがいいのは久しぶりだなと思う。

長いこと、自分がやりたいことをやっているだけで、なぜまっすぐに満足していられないんだろうと思ってた。それだけじゃなくて、欲しいものを、欲しいって言いたくなくてずっと、落ちてくるのを待ってたような気がするけど、口に出さないでもできることはたくさんある、と背中をおしてもらえたような心強さだ。

言葉が追いつかないけど、いつか、と思いながら、目の前をすぎてく白い花びらのような何かを目で追った。

2009-02-10

[][] 「おやすみプンプン」4巻/浅野いにお

おやすみプンプン 4 (ヤングサンデーコミックス)

おやすみプンプン 4 (ヤングサンデーコミックス)

浅野いにおの受け取られ方っていうのは、きっと初めての単行本がでたときの感じから、虹ケ原、ソラニンあたりで屈折し、プンプンに至っては拡散してしまってるんじゃないかって気がする。それは私自身がそうだからで、実際はどうなんだかよくわからないんだけど、二転三転してプンプン3巻*1を、素直に「好き」とは言いづらいけれども、すばらしい漫画だと思った私は、その後に出た「世界の終わりと夜明け前」*2で、なんだろうこの居心地の悪さは…と思うようになり、プンプン4巻ではやっぱり、なんていうか、信用できない、と思ったのだった。

信用できない、という言葉をあえて使うのは、それがこの漫画の勢いでもあるように感じられるからだ。この4巻では特に、登場人物の心の動き、葛藤絶望を、俯瞰する作者の視線が見えるような気がする。それは物語コントロールする視線という意味ではなくて、ここに描かれてるみんな、幸せにはしてくれないんだろうな、たとえ幸せが描かれたとしても、それを作者は信じてないんじゃないかな、という感触がある。特に雄一の拘泥は、そのまんまプンプンの絶望を演出するために使われているような気がして、読んでていたたまれない。

ただ、神様にすら見放されてしまったプンプンの絶望だけが物語全体に生きているように感じられるのも確かで、この外側の「信用ならなさ」をあえて描いているなら、と思うと、続きがこわいけど、楽しみです。

それにしても、この物語はいったいどうやってどう終わるのだろう。ただの印象で乱暴なことを書いてしまっているけれど、ほんとすごい漫画だと思います。

[] 知らない

好きかどうかなんて見てみるまでわからないから、どんなのが好きなのときかれても、漠然としたことしか答えられない。白っぽいもの、青っぽいもの、いい天気、風呂上がりのジュース楽しい音楽、エンドロールみたいな曲、食べ物なら固いもの、触るなら柔らかいもの、でも柔らかくておいしいとか言うし、冷たくて固いものに触るのも好きだ。そんなふうに迷い出したらきりがないから、とりあえず見てみたい。とか。で、実際見てみても自分がどう思ってるのかなんて、わからなかったりもするんだけど、例えばサラダに入ってるカリカリしたベーコンがそのサラダぜんぶをすばらしくしてしまうみたいに、急に焦点があうような瞬間っていうのはちゃんとあって、だいたいはそれを待ってる毎日なんじゃないかって思う。

今日は月がすごく近く見えた。夏に太陽が近くなるのはわかるけど、月はどんなとき近くなるんだっけって、もしかしたら小学生で習うようなことも、私はぜんぜん知らないなと思った。

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2009-02-09

[] ビールじゃない

夏場によく冷えたグラスででてくる生ビールのおいしさといったらたまらないけれども、居酒屋で頼む瓶ビールのすいすいと飲める感触にも甲乙つけがたい魅力がある。あの瓶ビールのおいしさって何だろうねと考えていたときに、もしかするとグラスのサイズが良いんじゃないだろうかと思い当たった。あの、泡の消えないうちに飲み干してまた杯を重ねる感じ。

あれを家でやりたいなーとか思っていたら、先日古道具屋に寄った際に、このごくごく普通のビールグラスを見つけた。300円。

とはいえ平日はあまり飲まないので、いつも風呂上りのジュースをこれで飲んでたりします。今日はピルクル。あと友達のベトナム土産のコーヒー飲むのにもちょうどいい。

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2009-02-08

[][] 「いっしょにねようよ」1巻/高尾滋

いっしょにねようよ 第1巻 (花とゆめCOMICS)

いっしょにねようよ 第1巻 (花とゆめCOMICS)

友達に貸してもらって読みました。

家出中の女の子が、偶然出会ったお面の男の子に拾われて共同生活をすることになる…って設定はいわゆる少女漫画らしい少女漫画なのですが、主人公女の子の抱えているトラウマが丁寧に描かれているのがすごくいいなと思いました。特におねえちゃんのだんなとのやりとりの場面はすごく痛かった。けどそうだよなあって思ってしまうところもあって切ない。

同居人たちそれぞれになにかありそうで、続きが気になるのですが、主人公が発する一言をお面の男の子が反芻する場面や、主人公が一歩踏み出す瞬間の描写が気持ちがよくて、みんな幸せになればいいなあと思いながら1巻読み終わりました。

実はタイトルにちょっとどきどきしたんですが、そういう漫画ではありませんでした(ごめんなさい)。

[] 「日記」

「この本はずっと手元に置いておく」と思った本の場合、好きなページにはどんどん折り目をつけていくのが習慣なのだけど*1はてなブックマークも以前はそんなイメージで使っていた。でも最近は、すごく好きな文章だなーと思っても、ブックマークするのをためらうことが増えたような気がする。

自分が読み返すためのブックマークとして使うのなら、とくにためらう必要はないんだろうけど、はてなブクマは、登録することで「誰かに紹介してる」ような気分になるところがあって、というかそもそもそういうツールなんだろうなということにやっと気がついた(遅い)ので、そこにその人の個人的なこと、読んでいてそう感じることが書かれている場合は特に、迷うことが多くなった。なんていうか、公園ラジカセもってってみんなでききたい音楽とは別に、ヘッドフォンで聞きたい音楽もある感じ。それから、ブクマを何かの基準にしたくないなーとも思う。

もちろん、すごくいい! と思って、ブクマして、その後にブクマがのびてたりすると嬉しくなったりもするし、私がプライベートモードにせず公開でブックマークを使ってる理由のひとつはそうやって紹介したい欲みたいなものもある。

でも、相手がそれをどう思うかわからないよねー…というところがためらうところで、それならやめておけばいいだけなんだけど、

わたしは、ブクマコメントやスターやトラバ、とかで反応をもらえることは嬉しい。嬉しいからこそ、自分も反応を返したくなるし、そんなとき、やっぱりブクマは手軽で使いやすい。

ただ、以前、私のすごく好きだった日記が、ブクマをきっかけにいなくなってしまったこともあったりして、そのハードルの低さがちょっとこわいなと思うこともある。あの人はブックマークが集まることをどう思っていたのかな、とかいまもたまに考える。

いったりきたりだ。

そんな風に、私がブクマするかどうか迷ったりするのは、「ブログ」っていうより、「日記」っていう言葉を使いたくなるところが多いように思う。続いてく中に、人がいる感じがする文章や日記が好きで、他愛ない出来事も、書き方によってこんなに面白くなったりぐっときたりするんだなーって思うことがたくさんある(もちろん「日記」以外にも好きな文章はたくさんあるんだけど)。そして、そんな日記をもっと読みたいし、わたしも書けたらいいなと思う。

でも、それを続けたいって気持ちを持ち続けるのは、今みたいに反応するツールがたくさんあるからこそ、けっこう難しくなってるのかなーっていうのを、いくつかの日記がなくなったりするのを見るうちに感じるようになっていて、

って、どうやってもうまくまとまる気がしないんだけど、だからこそ、続いていることは大切にしたいし、それにはどうしたらいいのかなーとか、考えたりしています。もうちょっとまとまったらまた書くかも。

参考

もっと、食パンのようなブログを!

ヨーグルトさんのこのエントリにもなるほどなーと思いました。

自分はずっと、気軽にどんどん書きたいなーという気持ちと、面白い日記たくさん読んで、私ももっと面白いの書けたらいいのに…って思う気持ちをいったりきたりしている気がします。迷いっぱなし。

*1:基本的には文庫でしかやらないけど、たまにハードカーバーでもやる → http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060313/p1

2009-02-03

[] 1週間日記

ちょっと続けて日記を書いてみたくなったのは、先日、自分の口癖(書き癖)についての話になったのをきっかけに、ちょっと考え事をしていたからだった。ただ、実際書いてみたら、あんまりその参考にはならないかな…って気がしたんだけど、いくつか気づいたこともあった。

書いてみて思ったのは、まず日記([日記]タグのこと)を続けて書くと決めると、たとえ1週間でも、一気に書くのが面倒になるなということだった。いままで日記を書く動機のほとんどは「書きたいことがある」もしくは「なんか書きたい」だったのだけど、「決めたからなんか書かなきゃ」になると急にそれはプレッシャーになる。とはいえ、内容自体はいつも通りで、このいつも通りさが私の癖なんだろうなと思う。

この1週間の中で、私が最も印象に残った話は、何度か書いてはみたものの、結局捨ててしまった。それはたぶん、それが私の話じゃなかったからだ。

お互いの顔が見えているときに比べて、文章は書き手からすぐに離れてしまうような気がしてどこかこころもとない。好き嫌いについて書くことが、良い悪いについて書くことよりも楽な気がするのは、それが書き手に近い言葉だからなのだろう。

日記っていうのは、フラットな視線を保とうとすることの逆にあるのかもしれなくて、それならやっぱり好きな言葉を使いたい、というところまでたどり着いてなんとなくすっきりしたような気がします。それがこの1週間だった。

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2009-02-01

[] 炒飯日記

自炊するようになってから、友達と料理の話をすることがとても増えた気がします。そしてその度に語り続けているので、もういい加減うっとうしいだろうな…って思ってるのが、中華鍋の魅力についてなんですけども、買って半年くらい経った今も相変わらず夢中なので、左手中華鍋右手お玉(右利き)を構えるだけで盛り上がるし、最近も1回ご飯たくたびに、おかずと食べる → おにぎり(弁当がわり)→ 炒飯の流れになることがほとんどです。もちろん炒め物とかにも使うんだけど、圧倒的に炒飯が多い。

炒飯の作り方も最初にここ(http://2channel2.blog32.fc2.com/blog-entry-200.html)熟読して以来、だいぶ決まってきて、

鍋を熱して油がまわったところで捨てる → もう一度油を入れて鍋を熱し、とき卵を入れる → すぐ冷ご飯入れる → お玉で軽く叩くように広げて振ってを繰り返す → ご飯に卵が回りきったところで別に炒めておいた具を入れ、数回振って混ぜる → 味見て足りなければ足す

て具合に落ち着いてます。ちょっと嘘です。ほんとは味見はあんまりしません。だいたい具にしっかり味つけておけばいらないかなーと思ってて、具が薄味かなと思ったときは塩ひとつまみを最後に入れて振ります。

ポイントはたぶんご飯がパラパラになるまであきらめないこと。中華鍋は振ってればほとんど焦げないんじゃないかなと思う(とりあえず今までは焦げたことない)ので、ちょっとしつこいかなって思うくらいやるようにしています。

炒飯の具は、おかずあるときはネギくらい、ないときは肉も入れる。

おかずのある日

長ネギみじんとごま油にんにくみじんと塩こしょうを混ぜたものを炒めておいて、最後に混ぜ合わすか、おかずの味が濃いときは長ネギみじんや万能ネギ小口切りを炒めずに入れて火を通したりもします。

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写真がだいぶ暗いけどおかずのある日炒飯。

おかずが物足りない日

  • 短冊切りにした豚バラをごま油で炒め、火が通ったところで醤油少々→高菜かキムチあわせて炒める→炒飯工程の最後に投入
  • 塩豚ブロック(肩)を細かく角切りにしたものをごま油と塩少々とにんにくすりおろしで合えてから炒めて、炒飯工程の最後に投入→最後香り付け程度にしょうゆ
  • ベーコン短冊とたくあんのみじん切りを炒め合わせて炒飯工程の最後に投入→最後塩
  • 納豆に醤油とめんつゆを入れて数回混ぜたもの(ねばり気でないくらい)を炒飯工程の途中に投入、納豆もパラッとしてきたとこで出来上がり→最後鍋肌から醤油入れて香り付け
  • 鶏胸肉を細切れにしたものを豆板醤と醤油で合えてから炒めたものを炒飯工程の最後に投入

などなど、肉だけじゃなくて万能ネギとか長ネギとかあったら入れるし、冷蔵庫にあるものの組み合わせで、適当に味付けて作ることがほとんどです。具が適当であっても、炒飯のふっくらパラッとした感じでなんとなくおいしい気がするからすごい。炒飯天才

そういえば小さい頃、家で食べる炒飯て、かまぼこやらたくあんやらハムやらレタスやらニンジンやら、いろんなものが入ってたけど、あれは冷蔵庫在庫整理でもあったのかもしれない。

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炒飯どんぶりはひとつしかもってない。

以上です。長々と失礼しました…!