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  □これまでの日記一覧

2009-04-28

[][] 劇場版グレンラガン 螺巌篇

初日に見てきました! すっごい楽しかった…!!

劇場版前作紅蓮篇はまだ見ていないんだけど、一応はTV版の総集編だしなーと思って行ってしまいました。でもほんと、劇場で見てよかった。誘惑に負けてよかった。

もともとTV版にもはっきり前編、後編と分けられるラインがあるので、TV版を見ていれば螺窟篇から見ても大丈夫だと思います。はじめてみる場合はTVから…といいたいとこだけど、劇場版上下から見るのもありだと思う。

とはいえ、映画はちゃんと映画版だった。新しい場面やカットがたくさん追加されていたし、脚本もきちんと映画の枠にあうように練り直されていました。TV版でもそうだけど、「絶対的絶望」に立ち向かうって構図が主軸としてクローズアップされていて、倒されても倒されても倒されても立ち向かうその果てしないモグラたたきのような展開が相当熱くて泣いたり笑ったり忙しかったです。

それから大グレン団の面々それぞれに見せ場が用意されているのもよかったな…。すごく楽しかったのでもう一回くらい見に行くと思う…。

紅蓮篇見たらあらためて通しで感想書くつもり。

TV版の感想

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20090319/p1

[] ピーマン

ちょっと酔って帰宅したときの、だるい感じがけっこう好きなんだけど、この前、翌日の花見用になにか作ろうと思ってとりあえずジャガイモゆではじめたのは本当に無謀だったというか、ジャガイモってそのまんまゆでたらだいぶ時間かかるのに、あっというまに眠くなって即、火をとめて寝てしまい、おかげでその大量のゆで途中イモを翌日なんとかして1人で食べることになり、もともと花見用のつもりだったから1人で食べるにはあまりにも多くて、それから飲んだ夜は料理するのはやめた。

それでもめんどくさくない程度には毎日料理が楽しくて、そんなに凝ったものを作ることはないけれど、いつも野菜がたくさん売ってるスーパーに「蓮根がおいしい季節です」とか「そろそろナス」とか「ウドおいしいよ」とか書いてあるのを見て、ウドとか豆苗とか使ったことなかった野菜のおいしさに気づいたのは最近の収穫。

そこで今日ピーマンおすすめされていたので、子どもの頃からずっと苦手だったピーマン嫌いを克服すべくピーマンを買ってみたはいいけれど、そういえばピーマン料理ってものがほとんど思いつかないことに気づき、もしかしたらあまりにピーマン嫌いを主張しすぎたせいで家ではピーマン料理が封印されてたのかもしれないと思い申し訳ない気持ちになった。

それまで嫌いだった食べ物って1回おいしいスイッチ入ってしまえば「好き」になる気がするので、スイッチをさぐるべくはじめてのピーマン料理に取り組んでみたいと思います。

2009-04-27

[][] あいびき勝田文

あいびき (クイーンズコミックス)

あいびき (クイーンズコミックス)

2004年に出た勝田文さんの短編集。最近再び勝田さんブームが巡ってきていて、まだ読んでなかったこの「あいびき」を買いました。

勝田文さんの作品は、例えば「しゃべれどもしゃべれども」など、原作つきのものを読んでも、独特のリズムがあって日向っぽい。語り口と絵柄がしっかりかみ合ってるような気がします。

前に岩本ナオさんのアシスタントをやっていたという話を教えてもらってから、そういえばちょっと雰囲気が似てるなと思ったりもしてて、だからというわけじゃないんだけど、岩本さんの漫画が好きな人には特におすすめしたいです。

この「あいびき」には銭湯舞台にした表題作と、短編が4作収録されています。

特に好きだったのは最後に収録されている「妹の花火」。学生時代の恋の数年後のお話なんだけど、大人になっても素直になれない男の子と、成長したから言える、という女の子の場面になんかすごくにやにやしてしまう。どんなにドラマチックな場面でも、それぞれのキャラクターがちょっとづつかっこわるいのも好きだ。

[] 「ぐっと」の感じ

最近読み始めた本の冒頭に、「主人公は生まれてこの方知らずにいた「希望」というものに怯えていた」*1という一文があった。

何かに期待することで、それまで気づかなかった可能性を見てしまう、その瞬間を恐ろしいと感じる気持ちは、なんとなく自分にも想像できるような気がする。けれど、その可能性を見なければ、このお話は始まらないんだよなーってところに、なんだかぐっときて、まだほんの序盤なんだけど続きを読むのがとても楽しい

期待と不安は表裏一体のものだけど、可能性に手をかけた時点で、その先はもしかしたら「ある」ものになるのかもしれない。叶うかどうかは別にして。

ところで、「ぐっときた」を、それ以外の言葉で説明したいのだけど思いつかないのが悔しい。

ほんとそのまんま、ぐっ、て感じで、感動ともちょっと違う、例えば本を読んでいて「この一文が読めて嬉しい」と思うときのようなあれ。友達に会って話するとしたら「ここの、この文がすごくよくてさー」などと勢いで言うのだろうけど、文章にするといつもためらうのは、言葉を出すまでの時間があることで、ひとつひとつの「ぐっと」にぴったりの言葉を選びたくなるからかもしれない。でもなかなか思いつかないからいつも「ぐっときた」って書いちゃうのが悔しい。

そういうところも、話し言葉と書き言葉は全然違うなと思うんだけど、使う言葉が何であれ、その中にある「感じ」が伝わった気がするととても嬉しいのは、きっとどちらも同じだろう。

*1:大意

2009-04-23

[] 昔話/ロールパン

幼い頃、よくロールパンを食べた。

近所に子どもたちが集まる公民館のようなところがあって、入り口に並べられた大きなダンボールいっぱいに入ったロールパンを、各自一袋づつもらえることになっていたのだった。

私はよく、幼馴染のAちゃんやHちゃんと一緒にそこへ行っては、ロールパンをもらった。近くに湧き水のある小さな丘があって、ちょうど湧き水の真上にある木のうろに私たちはドラクエダンジョンマップ(手書き)やラメ入りのえんぴつキャップ、いらないキン消しとか授業中にまわした手紙をしまったりしていたのだけど、帰りにはよくそこへ行き、人に見つからないように(気分の問題)ロールパンを食べた。

そのロールパンはいつもできたてて、ほんのりあたたかかった。バターのいいにおいがして、いつもはすぐに食べ終えてしまうのだけど、一番好きなロールパンの食べ方はやっぱり家に持ち帰ってトーストすることだった。

トースターで3分くらい焼いて、背中がちょっと焦げそうになったところでだして半分に割ってバターを塗る。それをまた閉じてかぶりついたときの、溶けたバターとロールパンの背のカリカリ具合が大好きだった。

でもいつしかそのロールパンの風習はなくなり、湧き水の丘も立ち入り禁止になってしまったのだった。

そんなことを思い出して、先日久しぶりにロールパンを買ってみた。しかし、トーストして、さてバターを塗ろうと半分に割ると、そこにはすでにバターが入っていて、袋をよく見ると “そのままでおいしい マーガリン入り” と書いてあった。

なんて便利な世の中なんだと思うとともに、少し味気ない気分になる。バター入りロールパンを食べながら、そういえばあの木のうろには、いまだに私たちの入れたあれこれが、残っているのだろうかと考えた。

2009-04-22

[][] 「論理感性は相反しない」/山崎ナオコーラ

論理と感性は相反しない

論理と感性は相反しない

書き下ろしの連作短編集。

すらすら読めて、なんだかとても楽しかった。そして、こういうのは錯覚なのかもしれないけど、作者もこれ書くのすごく楽しかったんじゃないかなーとも思った。

この本におさめられた全部で15の短編には、共通したりしなかったりする登場人物数人の視点から、重なるようで重ならない場面のスケッチが描かれている。

表題作には、この本の中心人物のひとりである神田川と、真野の生活があって、「アパートにさわれない」にはその数年後の2人がいる。人がでてこない話もあれば、作者の分身と思われる「矢野マユミズ」という小説家が登場する話もある。その中で、「マユミと水」って説明を見て、ようやく「ナオコとコーラ」なのかなと思い当たったりもした。

小説家小説家について書くのって、読者は作者と重ねて読むだろうし、だからこそフラットに書くのって難しいんじゃないかなと思うのだけど、このマユミズについてはなんていうか、すごくフラットな感じがした。小説を書いているときは、身の回りにあるもの全てを小説に利用したくなる。でもそれだけじゃなくて、ちゃんと目の前のものに向かってもいる。そのたたずまいこそが「論理感性と相反しない」ということなんじゃないかなと思う。それから、表題作では感性神田川論理を真野が担当していたようだったけれど、数年後の物語ではその分担がなくなってしまっているのもさみしかった。

特に印象に残ったのは「まったく新しい傘」という短編。私は雨が降るたび、21世紀になっても傘をさしてるとは思わなかったなー、ということを思うのだけど、この短編に描かれているまったく新しい傘の雨あがりの様子はほんとうに素敵で気に入った。

この本は、風呂上りの水を飲むように、さらっと読み終えてしまったのだけど、ところどころにすごく印象に残る破片のようなものがあって、ともかくとても楽しい読書でした。

そうして二人は末永く幸せに暮らした……と締めたいところだが、人生というものはそう上手くはいかないもので、この三年後には共同生活に終止符が打たれ、二人は別々の道を歩みだす。しかしながら、永遠に各々の脳の中で、この頃の生活がキラキラと、いつまでも光り続けるのだ。/p23

[] なんとなく

論理感性は相反しない」というタイトルのことをなんとなく考えていて、そうだよなー、論理的であるということは感性を切り離すということじゃないよな、と思った。

冷静に考えてみれば絶対に正しい(とされている)ことでも、どうしてもやりたくないことはたくさんあるし、自分でも理由はわからないけど、そうしたいと思う瞬間に従ったりもする。

そもそも論理とは何なのかがよくわかっていないのだけど、辞書にある「思考の道筋」という言葉に沿ってイメージするならば、それはいつも、なぜだろう、と考えた後からやってくるものなんじゃないだろうか。ならば、説明する必要がないことに関しては、論理を必要としないはずなのだけど、それでも意味や理由を探そうとしてしまうのは、過去自分と今の自分を繋ぐためなんじゃないかな、ということを思ったりする。

もしかしたら、こんなことを考えているのにもなんか理由があるのかもしれないけど、それは「なんとなく」のままとっておきたい気がしたので、考えるのをやめにした。

[][] シュトヘル/伊藤悠

シュトヘル1 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

シュトヘル1 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

皇国の守護者」の伊藤悠さん待望の新作です。

1209年、西夏に攻め入るモンゴル族皇子と、西夏の女戦士「シュトヘル」が物語主人公。現代とパラレルで描かれているのだけど、この1巻はまだ前フリであって、ここからどんな物語になっていくのかぜんぜんわからない。

伊藤悠さんの描く戦闘シーンは相変わらず迫力があって、読んでて盛り上がるので、ぜひこのままの勢いで描ききって欲しいなと思いました。期待してます。

2009-04-20

[][] 「宇宙兄弟」1〜5巻/

宇宙兄弟(1) (モーニング KC)

宇宙兄弟(1) (モーニング KC)

連載開始だけちらっと読んだだけで、評判は目にしていたもののタイミングを逃していたんですが、先日貸していただいて読むことができました!! すごい面白かった…! 大感謝

宇宙兄弟」は、六太と日々人の兄弟が宇宙を目指すお話物語は、弟の日々人が一足先に宇宙飛行士になっているところからはじまり、兄、六太が宇宙飛行士試験の受ける過程が5巻かけて描かれています。

六太には「兄とは常に弟の先を行ってなければならない」というこだわりがあって、そのことが時折自信を無くさせたり、逆に力になったりしている。この長男なりのプライドっていうのが、長女なりに身にしみる…。

それから、私は努力して才能が開花するお話や、天才にはなれなくても努力して自分なりの役割を見つける物語にほんと弱いので、その点でもこの「宇宙兄弟」はど真ん中な物語でした。

桜木花道もそうだし、宮本もだし、ジャイキリの世良も、ちはやふる肉まんくんも、ぐっときたのもたぶんそこだ。

一緒に試験を受ける仲間たちもそれぞれすごく魅力的で、せりかさんの名前の話とか、時折はさまれるエピソードがまたぐっとくる。ほんと勢いのある漫画だと思いました。

これからどうなるんだろうなー。続きがとても楽しみです!

宇宙兄弟(5) (モーニング KC)

宇宙兄弟(5) (モーニング KC)

[] 金曜日と週末

金曜日が、1週間で1番好き。

土曜日は、1番の話ばかりしていた。1番好きな映画とか、1番好きな小説家とか、とか。それは折々でかわっていくものなんだけど、そうやって「やっぱりあれいれたい」とか「これもはずせない」とか考えるのは、頭のなかを棚卸しするみたいで楽しい

日曜日は、この冬買ったばかりなのに、2度しかスイッチを入れなかったホットカーペットをしまった。最近買ったものの中で1番、残念な買い物だと思う。でもおかげで長風呂の楽しさを知った。

掃除機をかけてベランダで干して、大きな袋に入れてから押し入れに詰める。その後、カーペットをどけたフローリングの床を湿ったクイックルワイパーみたいなやつで拭き、乾くまでベランダに腰掛けてマンガを読んだ。ホットカーペットは濃いグレーだったので、それが敷いてあるだけでなんとなく部屋がひきしまって見えたんだな、ということを、白っぽく間延びした部屋の様子を眺めて考える。お湯をわかしたけどコーヒーがなかったので、スーパーに行くつもりでCD屋に寄り、目当てのものを買わずに、店内でかかっていた新譜を衝動買いした。

なるべく時計を見ずにいれば時間が進むのも遅くなるような気がして、まだ明るいからという理由で喫茶店に寄る。頼んだ飲み物がでてくるまでに短編を2本読み、飲みながら3本読んだ。それで、日本小説を読むのは飲み物を飲むことに似ていて、翻訳小説を読むのはおおむね固いパンを食べるようなものだ。どちらがおいしいとかではなくて、読む感触そのものが違う、などということを考えてみる。まあ、何事も「一概にはいえない」のだけど、ともかく久しぶりに読む日本語で書かれた物語はすらすらと気分に入って、それはやはり水を飲むように自然だった。

背後で日がくれかけたのを感じたので、あわてて本を閉じ、会計の際、いつももの静かな店長さんが髪を切った事に気づいて100円玉を落とした。こういうときさらりと「似合ってますね」とか、言える人にわたしはなりたい。セロリ、ほうれん草里芋山芋にんじん。つやつやした床にスーパーの袋を置き、やっぱり敷物を買おうかなと思う。たぶん来週あたり。

日曜日の夜はいつも、早く金曜日にならないかなと思っている。お湯をわかして、結局コーヒーを買い忘れたことに気づく。

2009-04-19

[][] 「みどりのまきば」1巻/御徒町鳩

みどりのまきば 1 (WINGS COMICS)

みどりのまきば 1 (WINGS COMICS)

友達におすすめしてもらって探してたのがやっと買えました!すごく好きな話だった。

双子の青葉と若葉、やさしいまっちんと最近モテてる千尋、それから背が高くて大人っぽい小鞠の5人組小学生日常漫画です。雰囲気としては「放浪息子」の小学生時代に近いかな(あくまでも雰囲気だけでお話はぜんぜん違うけど)。

若葉と小鞠が女の子で、あと3人が男の子最近千尋がモテるからめんどくさい(ことに巻き込まれそう)なんて話を女の子2人がしてるのとか、あーそうだこんな風に女の子が先に大人びてくんだよねということを思ったりした。

後半、龍之介という転校生がやってきてから彼を交えたお話が続くので、たぶん今後は6人の話になるのかなと思います。この龍之介不器用さが、すごく丁寧に、もどかしく描かれてるのも良い。ほめられても「別に」って返しちゃったり、自分より弱い人みつけて攻撃しようとしたり、精一杯なのがせつない。

一番印象に残ったのは、1巻の終わりに小鞠が塾に行ってることを知った若葉が「一緒の中学じゃなきゃやだ」っていう場面。自分にも似たようなことがあったなーと思ってなんだかすごく懐かしく思った。今となってはあれでよかったと思うけれど、みんなと同じ中学行ってたらどうだったかなーとかいうことをいまさら考えたりとかして、とても楽しく読みました。「続き」が楽しみというより、このお話をもっと読みたいって気分です。早く新刊でないかなー。

2009-04-18

[] 「Narrow Stairs」/Death Cab For Cutie

ナロー・ステアーズ

ナロー・ステアーズ

ちょうど1年前くらいに出た、Death Cab For Cutie 6枚目のアルバム。

買ったのはずいぶん前なんだけど、今日Twitter経由で下に書いたPVを見たりしてて、そういえば感想書いてなかった…と思って引っ張り出してきました。

前作*1から引き続き、安定感のあるアルバムだと思う。個人的には初期の、親密な雰囲気にも未練があるのだけど、ちゃんと相変わらずな「らしさ」もあって、特に楽曲から時折染み出してくるような風景が、デスキャブらしくて好きだなと思った。家で聴くより、歩きながら聴きたい音楽。

特に、「Talking Bird」の歌いだしや「Your New Twin Sized Bed」のイントロの気持ち良いギターの音、「The Ice Is Getting Thinner」で締めくくられるアルバムの余韻は、このバンドならではだなと思う。

特に「The Ice Is Getting Thinner」は国内盤のボーナストラックで入っているピアノボーカルだけのシンプルデモがとても好き。

ところで、デスキャブにしろブライト・アイズにしろ、デビュー当時は「エモ」という言葉であらわされることが多かった気がするけど、それまで感情込めて歌うことってそんなに珍しいことだったんだろうか。たぶん、そんなはずないと思うんだけど、でも確かに、ベンの歌声には言葉ひとつひとつのタイミング物語があるようで、それを何かひとことで言い表そうとしたら、エモーショナルなのかもしれないな、と思いました。

[] 「A Movie Script Ending」

D

今日は一日中「A Movie Script Ending」のPVのことを考えてた。この曲自体は「The Photo Album 」に収録されているもので、もうずっと前から知っていたのに、これを見た後ではもう、すっかり特別な曲になってしまって参った。

ドライブ中の、光の加減や、それぞれのシーンのラストに残される女の子の視線がほんとうに切ない。

[] 光の加減

大人になって失ったものといえば、あきらめの悪さなんじゃないかなと思っていて、それは自分が大事にできるもの、手の届く範囲においておけるものの少なさに、気づき始めたということでもある、…なんていうのはきれい事で、要するに、忘れることが少しうまくなっただけだろう。

無理を通そうとすることは、往々にしてその時の全力を傾けなければできないことだったりする。そして、たとえ全力を傾けたとしたって無理なものは無理な場合もある、と痛感してからは蛇口をいっぱいに開くことが難しくなった。

それよりはその、無理を通したいという気持ちを逸らしてしまうことのほうが楽だ、と言葉にしてしまうと実につまらないのだけど、結局はそういう意味で忘れることがうまくなってしまったのだと思う。

でもその予防線の内側になにがあるのかというと、それもやはりいつかの、懸命さだったりする。ふとした折にぶわーっと、いろんなことを思い出すタイミングというのがあるけれど、それは思い出すたびにまるで今のことのようで、まぶしい。

なつかしい曲とか、日の落ちる速度とか、アスファルトの暖かさや白い壁、電車から見える家の光とか。

2009-04-15

[][] 星の速さで駆けてく/谷川史子

星の速さで駆けてく (りぼんマスコットコミックス クッキー)

星の速さで駆けてく (りぼんマスコットコミックス クッキー)

なんとなく谷川史子分が足りない気がしたので読みました。

この本には中編2作と短編エッセイ漫画(?)が収録されているんだけど、特にぐっときたのは「ココアブレイク」という中編で、なんかもうお湯が目にしみた…。

ココアブレイク」は谷川史子節といってもいいくらいの片思いもの。主人公片思いしている相手は、学生時代からの友人で、「最愛の友」なんていわれてしまって複雑な気分なんだけど、それでもやっぱり会えれば嬉しい。そんな主人公のもとに、女子高生幽霊が現れて「身体を貸して欲しい」というんだけど…というのがあらすじです。その幽霊とのやりとりをきっかけに、主人公は一歩踏み出すことになるんだけど、って、ちゃんと前向きに終わるところも谷川さんらしい。

谷川史子さんの漫画に出てくる男の子は、いつも初恋男の子なんだよなーということをこの本読んで改めて思ったりもしました。表題作で描かれるお話もだし、私が小学生の頃に読んでた作品からずっと、主人公が好きになる男の子はなんとなくなつかしい気がする。

[] わらったりとんだり

好きなもののことになると、つい前のめりになってしまうのをどうにかしたい。ちょっと恥ずかしい。かといって落ち着こうと思うと無関心なふりしてるみたいになるし、それでも、机の上にポテトチップスとかりんとうがあったら、いつのまにかポテトチップスばっかり食べてしまうのはわかりきっているので、無駄な抵抗はやめたほうがいいのかもしれない。

前に、いつももの静かな友達が、好きな音楽の話を始めたとたん、ぱっと楽しそうな顔になったことがあって、それにぐっときたのが今も忘れられないんだけど、自分もあんなふうにかわいらしく、好きなものの話ができたらいいのになと思う。思うだけでどうもできないのは残念だけど、でもそれ以上に、あの楽しそうな様子がもっとみたくって、さーって話してるだけでまた前のめりそうだ。

なんとなく、焼いた厚揚げにネギみじんのっけて食べたいとか、ミョウガもいいなとか、ビールの気分になって、春の背中を見送りながら、もう夏が近づいてるようで嬉しい。今日なんてほんと洗いたてみたいないい天気で、ずっとそわそわしてて、つまり夏がすごく好きなんだよなと思った。

[] あまりご飯用

ちょっと前に*1買ったパセリその後です。リゾットはあまったご飯でつくるいんちきリゾット。これも前書いたんだけど、あまったご飯は炒飯かこれになることがほとんどです。

  1. あまったご飯(お茶碗1杯)をバターで炒める
  2. キノコやベーコンなどあれば一緒に炒める
  3. 水(少なめで100ccくらい)と白ワイン(大さじ2くらい)をまわしいれる
  4. コンソメ入れてフライパンにフタをして弱火でしばらく放置
  5. 水気がなくなってきたところでチーズを散らし、再びフタ
  6. チーズ溶けたあたりでコショウふって混ぜて出来上がり

パセリがあるだけでわりとおいしそうに見えるのでお得だなと思いました。

だけど光合成しなきゃと思って、今日いつものように外に出してたら暑かったせいかあっという間にしなびてた…。復活するかな。

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2009-04-12

[][] 「チャイルド44」/トム・ロブスミス

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

前評判にかなり期待して読んだのですが、とても面白かったです。特に上巻いっぱいかけて張り詰めたものが一気にはじけるような下巻の展開はほんとうにすばらしかった。

物語舞台スターリン体制下のソ連主人公レオ国家保安省の有能な捜査官として働きながら、やがて国家の抱える闇を目の当たりにすることになる。

ささいなミス冤罪を呼び、一度疑われたら最後、取り返しのつかない監視社会の描写は圧倒的で、上巻を読んでいる間中、頭の中に暗雲がたちこめているようだった。しかし決定的な「転」の後はスピーディな文体に突き動かされるようにラストまで読むことができた。

物語には「ある事件」が描かれているのだけれど、それがこの本の主題ではないと思う。むしろそれは八方塞にも思える社会の描写のひとつであって、この物語の魅力はあくまでも社会に立ち向かう人々の描写にあると思う。特に、国家に忠実であったレオと、その妻となることをえらんだ、ライーサとの駆け引きは印象に残った。

作者はこれがデビュー作で、しかもこの「チャイルド44」ははリドリー・スコット監督による映画化が決まっているとのこと。今後の作品にも映画にも期待したいと思います。

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

[] 金曜日

友達へのお土産を買った後、デパート地下の誘惑から逃れて待ち合わせの19時、友達を待ちながらいくつかのメールを書いた。その後、学生時代バイト仲間と、久々に顔をあわせて開口一番、かわんないなーと言いあったけれど、やはりそれぞれそれなりに変わった、と思いながら見慣れぬ帽子姿を眺めて歩く。それめずらしーね。そうかな最近よくかぶってて、云々。

混雑した金曜の飲み屋にふられ続けて4軒目、ようやくビールを手にして皆、一様にほっとした顔になる。以前は近況なんて話すこともないほど毎日一緒にいたのに、最近どうしてる? というところから話がはじまり、やがて酒が進むほどに思い出話になってくのは今のいつも通り。そこに出てくる、店で「why can't we be friends」ばかりかけていたという19のときの私とここにいる私はすっかり別人なのだけど、19の私をほめられれば今の私も嬉しいし、21の私の失敗を思い出せば今の私も恥ずかしい。ここにいない人のことを考え、今を知らないのだということは、あちら側にも別人の私しかいないのだということを思う。

そういえば、2000年2001年の年越しもこの町で、夜中に卓球をして牛丼食べて帰ったっけという話になって、卓球といえば2002年のワールドカップのとき、たまたま店に居合わせ卓球(人の方)が、画面にカーンセーブシーンが映る度にアテレコをしていたという話を聞いて笑ったりする。あの店がまだあると聞いてうれしい。時間が経つと2、3年の差なんてわからなくなって、ぜんぶずっと前みたいだし、ついこの間みたいに思う日もある。

明日早いからといって別れたのはもう23時、混雑した中央線に乗り込んでふと、あの頃とは帰る家もかわったんだなということに気づく。お互い年取ってもこんなふうに、相変わらずと言い合い、少しづつ変わっていく印象を更新していければいいのになと思うけれど、なんとなく、それができると思っていれば大丈夫な気がした。

酔い覚めの自転車は気持ちよくて、意味もなく隣の駅まで寄り道をして、嬉しい予定のことを考え、つい立ち漕ぎしたりして、家着いておもむろにジャガイモをゆで始め、待ちきれなくなって火を消して寝て、翌朝後悔した。金曜日の話。

2009-04-11

[] 桜餅

道の両脇に積もった真っ白な花びらを眺めつつ、ついこの間満開になったばかりだというのに、散り始めるとあっという間だなと思う。

桜の季節はお花見とかお花見とかお花見とか楽しいので、もう少し咲いていればいいのになとも思うけれど、かばんの中に桜の花びらがまぎれこんでいたりするとなんだか少しうれしい。

そういえばこの前、どんな植物が好きかという話をしていて、そういえば私は葉の柔らかい植物が好きなんだなと思った。桜もそうだし、山吹とか、やわらかい葉は緑もきれいだ。ツツジは毛羽立ってるから生垣に突っ込んだら痛そうとか、椿はきれいだけど葉っぱが硬いとか、アジサイは湿っているとか、あれこれ話していてて、そういえば桜の匂いって桜の葉っぱの匂いなんだよな!って自慢気に言った気がするけども、それは桜餅の匂いのことだった。

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[][] 「TAP」/グレッグ・イーガン

TAP (奇想コレクション)

TAP (奇想コレクション)

年末に出たイーガン短編集。

相変わらず長編は難しくてなかなか読みすすめられないのですが、扱っているテーマは近くても短編はとても読みやすい。それでいて、「祈りの海」*1にしても、「しあわせの理由」*2にしても、贅沢に盛り込まれたアイデアひとつひとつに驚かされるのが本当に楽しいです。

以前『視覚』についてだけちょっと感想書いたのだけど(id:ichinics:20090305:p2)そのほかについてもメモ

イーガン作品の多くには、自分の思い通りにならない自我というものが多く描かれている。この短編集でいえば、ある音楽を好きだと思ったりする「感覚」について描かれた『新・口笛テスト』もそうだ。これを読んで、『しあわせの理由』に描かれていた「意味のないしあわせな気分と、意味のない絶望感がいりくんだ境界線上」を歩くということについて改めて考えたりした。

気分の理由なんてものがわかったとしても、それはこの『新・口笛テスト』に描かれているハルブライト発明した「忘れることのできないメロディ」に近いのかもしれない。

この短編については、「感覚」は自我ではないと否定するような形で終わっているけれど、でも例えば遺伝子に手を加えることで天才児を創ることができる、という『ユージン』を読むと、イーガン物語にはその先にある「何か」への期待があるように思う。

私がこの本で私が一番印象に残ったのは『森の奥』という短編だったのだけど、これがその「何か」についての話だったんじゃないか。

『森の奥』は、暗殺者と主人公が対峙するワンシーンの短編暗殺者が主人公に手渡したインプラントは、

記憶がなんの違いももたらさない、とはいわない。もちろん、その逆だ。だが、きみの中には記憶とは無関係な部分がある――将来ふたたび生を送るのは、その部分だ。/p275

その「部分」を変えてしまうというものだった。ラストまで一気に読める、短編ならではの展開がよかった。

でもその「部分」てなんだろう。

それから、『銀炎』に出てくる

道徳はわたしたちの内側にのみ由来する。意味はわたしたちの内側ののみ由来する。わたしたちの頭骨の外にある宇宙は、人間になど無関心だ/p193

という一文を読んで、こういうところが好きなんだなあと思ったりしました。

2009-04-09

[] 少し「づつ」

いつまで経っても少しずつ、の「ずつ」に慣れない。慣れないっていうか、なんで「づつ」じゃないんだろうってよく思う。日本語何年も使ってて、こんな事言ってるのはまずいと思うけど、でも「ずつ」ってなんだ。たまに間違って「すこしづつ」と打ってしまって「須子志津津」とか変換されるたびに、「ずつ」ってなんなんだと思ってきた。

私が「少しづつ」のがしっくりくる気がしているのは、たぶん「づつ」には「続く」の意味があるような気がしてるからだ。例えば「ずつ」の後には、「少しずつ歩いた」「一枚ずつ分けた」など、繰り返される「同じ動作」が続く。その繰り返されるイメージが「つづく」なのだと思う。そして「つづ」と「づつ」は似てる。「ずつ」は似てない。

それから「ずつ」「づつ」の字面だけ見ると、どうも「づつ」の方が発音しやすい気がする。それは「つ」や「ち」が同音で続くときには「つづ」のように後がにごるルールがあるからだと思うんだけど、とか考えていたら、こんなページを見つけました。

「少しづつ」を教科書的に校正すれば、「少しずつ」になります。

「同じ割合で」といった意味を持つ「ずつ」を「づつ」と表記することは、現代仮名遣いとしては間違いなのです。

ただし歴史的(旧仮名遣い的)には「づつ」が本来の表記であり、現代でも「許容範囲」として容認されています。

http://www.tt.rim.or.jp/~rudyard/hirago001.html

ここにはとりあえず「づつ」も完全に間違いというわけじゃないと書いてあって少し安心しました。でも「続く」に似てるとかは完全に私の妄想だと思います。

関係ないけど稲妻が「いなづま」でなく「いなずま」なのも不思議。妻って書いてあるのに「ずま」ってなんでだとか思うので、もろもろ考えていくと、私はきっと「ず」より「づ」派なんだと思います。

[][] 恋文日和ジョージ朝倉

恋文日和 (1) (講談社コミックスフレンドB)

恋文日和 (1) (講談社コミックスフレンドB)

友達に貸してもらって読みました。私はジョージ朝倉さんの漫画を初めてちゃんと読んだのがIKKI連載当時の「平凡ポンチ」だったのですが、この「恋文日和」はおすすめされたときに聞いたとおり、今の作風とはイメージがずいぶん違って驚いた。絵柄も、この頃はまぶたの描き方などに岡崎京子さんの影響が見えたりする。

恋文日和」はラブレターモチーフに描かれる短編集。

口に出す言葉と、書く言葉の違いだったり、「手紙」という相手の顔が見えないものだからこそのすれ違いにそわそわできて楽しかった。

特に1巻の屋上のお話と、2巻のFAXの話が好きでした。特にFAXの話は、みんなが見てない場所でのやりとりを、表に出すまでがもどかしくて、でも顔見て話してたらこんなふうに素直にはならなかったんだろーなってとこのさじ加減がとてもよかったです。

恋文日和(2) (講談社コミックスフレンドB (1230))

恋文日和(2) (講談社コミックスフレンドB (1230))

そして3巻になると、いきなり最近作品になってる気がするんですが(掲載号がわからないけど2巻と3巻の間に3年くらいあいてるし)、これがもう、作風ごとがらりとかわってて面食らいました。

その最近作品と思われる2作品のうち、ひとつはちょっとこのシリーズからは浮いてる感じがしたんだけど、最終話はすごく好きで、3巻とおして、1番好きなのはこの最終話「METAL MOON」かもしれないなと思った。

「METAL MOON」は、「あなたのこと好きだって気づいたんだけど、好きになってくれっていうんじゃないから」という手紙をもらったことをきっかけに、その子のことが気になり始める男の子お話。「あの手紙みたいな情熱でおしてくれたら」と思う感じは、ちょっと「モテキ」とも重なるなーと思った。

気になるけど、好きかどうかまだわからない、その瞬間までの満ち引きの様子が生々しくていい。

恋文日和(3) (講談社コミックスフレンドB (1399))

恋文日和(3) (講談社コミックスフレンドB (1399))

2009-04-07

[][] 「青年のための読書クラブ」第1巻

漫画:タカハシマコ/原作:桜庭一樹

青年のための読書クラブ 1 (Flex Comix)

青年のための読書クラブ 1 (Flex Comix)

マリアナ学園というお嬢様学校の異端者が集う「読書クラブ」の記録をたどるお話。この第1巻には1969年度「烏丸紅子恋愛事件」と1990年度「奇妙な旅人」の記録が収められています。以前友達に教えてもらってやっと買ったのですが、これすごく好きだなーと思いました。話はぜんぜん違うんだけど、「少女革命ウテナ」とか「桜の園」とか好きな人におすすめしたいです。

「烏丸紅子恋愛事件」は、シラノ・ド・ベルジュラックをモチーフに、その貧しさから差別されていた転校生が、読書クラブの演出によって、校内のアイドルへと変貌を遂げるお話。そして、その背景に流れる部長の物語。女子校ならではの排他的な残酷さと甘さが、物語に操られることであらわになる様子がとても面白かった。

「奇妙な旅人」はバブル時代の物語で、これまた「群れ」の女の子たちと、個の女の子たちの距離感が残酷なんだけど、そこを切り抜けていく感じがわくわくする。演劇調の語り口が「少女革命ウテナ」みたいだなと思いました。

すごく面白かったので、ぜひ原作も読みたいです。

[] 桜

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桜の、ほんとうに満開の瞬間を見るのは久しぶりのような気がする。毎年桜が咲くとすぐに雨が降り、散り始めてしまうことが多いような気がするのだけど、今年は今のところ天気に恵まれているのか、どの桜も枝を大きく広げ、景気よく花を咲かせている。

遠くから見るとまるで雲が降りてきたようで、休日はもちろん、月曜日だろうが昼だろうが夜だろうが、あちこちに宴会をしている人がいるのもお祭りみたいで楽しい。

自転車であちこちの桜を見物して回っている途中、庭先に椅子をだして花見をしている老夫婦を見かけた。生垣の下から太った猫が駆け出してきて、花びらがその後を追うように宙を滑った。どこかから煮物の匂いがして、その先の家からは魚の焼ける匂いがした。

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2009-04-05

[] 「TOWER」@2009/04/04本多劇場

2年ぶりのラーメンズ本公演です。このタグ使ったのも2年ぶりです。今回はチケットの発売がe+のみ、しかも本多では当日券も当日ネットで販売…という新しい方式で、先行一般と瞬殺で正直とれる気がしないと思ってたんですが、なんとかとれて本当にうれしい。

けど、やっぱこの方法はよくないんじゃないかなーと思います。PCがつながるかどうかってもうがんばりじゃどうにもならないしな…。

「TOWER」は、前回「TEXT」に比べると、シンプルなコントが多かったような気がします。たぶん私が一番好きな回は「CHERRY BLOSSOM FRONT 345」か「鯨」だと思うんだけど、あのときのような全編息つく暇もなし、というような感覚はまだ味わえなかった。

とはいえ、まだ公演ははじまったばかり。日に日に進化していくのがライブだと思うので、できればもう一回見たいです。とにかく、久々の本公演がほんとうれしかった。

以下内容に触れます。

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[] 3月、4月

3月はなんだか懐かしい月だった。

CD屋時代の同僚から電話がきて、たまたま近くにいたので顔を見に行くと、他にも何人かに電話をかけていたようで同窓会みたいになった。私ひとりで行っても思い出されることなんてない飲み屋で、久しぶりだねと言われておかしい。一緒に働いてたのなんてもう6年くらい前のことなのに、会ってすぐに悪態をつきまくる店長はまるで昨日の続きだ。年はばらばらだけど、なんとなく同級生に再会した気分。朝から晩までほとんど毎日、何年間も一緒にいたんだもんなーなんて感慨に耽りつつ、私の学生生活はここで終わったんだろうなとも思った。

近況を話すと相変わらずすぎるといって大笑いされた。でも心配してないから、と言われてちょっと嬉しくなるのはなんでだろう。よくわかんないけど、たぶん、心配してるよと言われてもきっと嬉しい。

袴姿の女の子たちを見かけてしばらく経った頃、駅員さんのアナウンス(本日は○○大学の入学式です、お帰りの切符はお早めに云々)を聞いて、そういえば私も入学式と卒業式はこの町でやったのだったということを思い出した。昼休みに外に出ると、前を入学式帰りらしき母娘が歩いていて、その娘の緊張しきった様子に、自分の当時を思い出して気恥ずかしくなったりもした。あの日桜が咲いてたかどうかなんて覚えてない。しかも、まさかこの町で働くようになるなんて、考えたこともなかったなーと思いながら、満開の千鳥ヶ淵を遠くから眺める。

2009-04-02

[][] 「とらドラ!」を見ました

面白いって噂を聞いて見てみたらほんと楽しくて、いつの間にやら最終話でした。夢中でした。

原作は読んだことがないんだけど、正統派のラブコメで、ファンタジー要素もない学園ものなのがむしろ新鮮だった。「とらドラ!」の魅力は、そのまんま、キャラクターと描写の魅力だと思う。

主人公はその目つきの悪さから怖い人だと誤解されてしまう高須竜児。そして竜児が思いを寄せる天真爛漫なみのりと、その友達で竜児の家の隣のマンションに住むツンデレ大河それから転校生亜美ちゃんに、その幼馴染で竜児の友達、北島君を中心に物語が展開します。この設定がもうファンタジーかもしんないけど、世界のどこかにはあるんじゃないかなーと思えるリアリティがあるような気がしてしまったり(手遅れ)。

とにかく女の子3人がほんとかわいくて、1人にグッときたと思ったらもう1人がぬけてくるし、かと思えばもう1人もほっとけない…! ほんと抜きつ抜かれつのデッドヒートだった気がします。毎回みんなにときめくので大忙しだった。まだ他の人の感想とか読んでないのですが誰が一番人気あるのかとかぜんぜん想像つかないです。

でも、こんなにクリティカルヒットの嵐なのに、竜児はぜんぜんブレない(むしろにぶい)のがすごい。竜児だけじゃなく、それぞれ些細な仕草にもちゃんと気持ちが見えてくるのがいいなーと思いました。視線とか、動きとかに現れる気持ちの動きがすごく丁寧に描かれてる。

台詞もテンポ良くて、「うわー」て恥ずかしくなるような場面できちんと突っ込み入ったりするのも気持ちが良いです。

中でも特に印象に残ったのが、みのりというキャラクターでした。みのり物語の冒頭では、主人公が思いを寄せるソフトボール部に所属する天真爛漫な少女としてあらわれる。でもすぐにちょっとテンションのおかしい面白い子という印象になって、かと思えば9話の夏休み旅行

「世の中の、当たり前に恋愛している人たちが、わたしにはとても遠い。だってわたしには見えないんだもん。やっぱり幽霊はいないんだ。一生見れないんだってあきらめかけてる

高須くんは? 幽霊、見える人?」

なんて一面を見せたりもする。

「あ、なにあれUFO?」

「あ、あー人工衛星だな」

人工衛星…なぁんだ、UFOかと思ったんだけどな」

最後まで見ると、このときのみのりの気持ちを考えて切なくなったりします。

やがて、文化祭後の写真選び(14話)と、亜美台詞(16話)辺りから、みのりは変化していくのだけど、そこに至る気持ちの伏線がきちんと描かれているので、みのりというキャラクターの奥行きがぐっと深まってちょっとどきどきした。

この「気持ちの伏線」の描き方こそが、この物語の魅力なんだと思います。本気で。

あと個人的に好きだったシーンは、6話の亜美ちゃんの「やめてやる」と10話の亜美ちゃんと、みのりんの「盛るぜー」と24話冒頭の疾走かなー、とか考えてるだけで楽しいです…!

[] 春

朝起きたら窓のそとで洗濯物がちぎれそうになっていた。ぼんやりとした空の色は午後が近づけばすっきりと晴れ、また夜にかけてぼやける。まだ寒いけど、落ち着かない天気が春らしいと思う。

春に対するイメージはここ数年でずいぶんかわったような気がする。昔は単純に、おだやかであたたかなイメージを持っていた。でも、いつだったか庭の木に毛虫が大量発生してその下にあった私のちゃりんこが(以下略)から、春がちょっときらいになったりもしたけど、寒いのが終わるのはとても嬉しいので、だから冬が厳しいイメージだとしたら、春はやっぱり、やさしげなイメージだった。

しかし最近、どうも春ってちっともおだやかじゃないような気がしている。天気が荒れることも多いし、雨は降るし風は吹くし、暖かくなったと思えば視界がかすむし(たぶんそのうち花粉症になる)、かと思えば急に冷え込んだりもする。

この落ち着かなさを、昔は新しい季節の忙しさに紛らせていたのかもしれないけど、いまはもう、花が咲いたり雷が鳴ったり、その勢いに飲まれて毎日があっという間だ。

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2009-04-01

[][] 「海月姫」1巻/東村アキコ

海月姫(1) (KC KISS)

海月姫(1) (KC KISS)

面白かったです。

「男を必要としない人生」を入居資格とするアパート、天水館で暮らす「筋金入りのヲタ女子」たちのお話。

主人公はクラゲおたくの月海という女の子で、ある日クラゲを救うために勇気を振り絞って閉店後の熱帯魚屋に突撃したところを、通りすがりのギャル(?)に助けてもらうところから話がはじまります。で、このギャルが女装が趣味(ノンケ)の男子だったー! ってことで、ラブコメになってくような気がするんですが、まだ1巻ではその女装男子、蔵之助は月海に興味を持ってるくらいで、ラブではないと思います。

むしろ蔵之助の兄さんが偶然出くわした化粧後の月海にひとめぼれしてしまうんだけど、この、蔵之助に化粧してもらって月海がかわいくなったりしてく感じは、往年の「めがねをはずしたらかわいいね」みたいな展開で、そんなうまくいくわけが…と思いつつやっぱり楽しい。

他にも、女装男子が(天水館の中で)男だってバレたら大変!て状況は、女人禁制の男子校寄宿舎に男装女子がってあれを思い出すし、弟とフラグが立ちかけてるのに兄さんにさらわれそう、とか、月海が天水館のしきたりに気を使うあたりはちょっとシンデレラっぽくもあり、「王道少女漫画」な設定を「おたく女子」というフィルターでコメディにする感じは、ちょっと「魔法にかけられて」みたいだなーと思ったりしました。

だから、このまんまでいい、べつにかわいくなんてなりたくない、って葛藤の部分がどうなるかってことよりも、おたく女子ならではの不器用さを楽しむ漫画な気がします。

ところで、月海が「腐った女子」ってことになってるんだけど、クラゲおたくも腐女子てことになるのかな?

[] ロシア

エイプリルフールだし、なにかエイプリルフールらしい嘘を言ってみたいなと思うのだけど、思いつくのはただの空想だったり、思いついてる時点で結構ほんとだったりする。

たとえば、今朝はロシアに行く事を考えていたのだった。船に乗っていて、あたり一面、のっぺりとしたグレーの海だった。

もうすぐ港が見えると聞いて甲板にあがると、そこは既に冬の国で、吐く息は片っ端から凍って落ちそうだった。その時、手すりにくっついてしまった私の指先を、通りすがりの船員さんが飲みかけのホットコーヒーではがしてくれるという出来事があったのだけど、私が思い出したのは昔テレビで見た、舌が冷凍庫の霜にくっついてしまった女の子のニュースで、あの子はその後どうなったのか今もまだ気になっている。船を降りた後、お礼を言おうと思って船員さんのを探したけれど、結局見つからず仕舞いだった。

ところでロシアといえばあの毛皮の帽子だけれど、それはたぶん日本でいう着物みたいなものだろうと思っていたら、道行く人のほとんどがかぶっていたのには驚いた。早速、私もひとつ買い求めようと思い、通りに面した帽子屋に入る。大柄な店員さんが、身振りでなにかアドバイスをしてくれたところによると、どうやら、耳まで覆うサイズのものを選ぶのが大切らしい。なんども耳から勢いよく手を落とす仕草をするのは、耳がもげるという意味だろうか。うんうんと頷き(そのジェスチャーが伝わるかはともかく)いくつか試着したうえで、最後はしっぽがついているのとついていないので迷い、結局しっぽなしを買った。

二叉路の間に立っているセントラルなんちゃらという名前の建物は、壁面にそって細長いポスターが掲げられているせいか、まるで渋谷109のようだった。こうして見るとロシアも日本もあまり変わらないよなぁと思いながら名物だという焼き菓子を食べる。名前は判別できなかったけれど、紙袋に入れてもらったそれは砂糖がけの弾力があるドーナツといった感じで、すばらしくおいしいというわけではないけれど、ついつい後をひく。後をひくというのはなんども確かめてみたくなるということで、それは気になるということで、つまりは好きだということだ。

知らない場所にいると、考え事をしているときと動いているときの、意識のある場所が遠いような気がする。ふともう降りる駅だと気づくと、人と一緒に音まで押し寄せてくるようで、あっという間にさっきまでのロシアも、遠ざかっていった。もちろんロシアに行ったことはないし、たぶん行くこともないような気がする。