「TAP」/グレッグ・イーガン

TAP (奇想コレクション)

TAP (奇想コレクション)

昨年末に出たイーガンの短編集。
相変わらず長編は難しくてなかなか読みすすめられないのですが、扱っているテーマは近くても短編はとても読みやすい。それでいて、「祈りの海」*1にしても、「しあわせの理由」*2にしても、贅沢に盛り込まれたアイデアひとつひとつに驚かされるのが本当に楽しいです。
以前『視覚』についてだけちょっと感想書いたのだけど(id:ichinics:20090305:p2)そのほかについてもメモ。

イーガンの作品の多くには、自分の思い通りにならない自我というものが多く描かれている。この短編集でいえば、ある音楽を好きだと思ったりする「感覚」について描かれた『新・口笛テスト』もそうだ。これを読んで、『しあわせの理由』に描かれていた「意味のないしあわせな気分と、意味のない絶望感がいりくんだ境界線上」を歩くということについて改めて考えたりした。
気分の理由なんてものがわかったとしても、それはこの『新・口笛テスト』に描かれているハルブライトの発明した「忘れることのできないメロディ」に近いのかもしれない。
この短編については、「感覚」は自我ではないと否定するような形で終わっているけれど、でも例えば遺伝子に手を加えることで天才児を創ることができる、という『ユージン』を読むと、イーガンの物語にはその先にある「何か」への期待があるように思う。
私がこの本で私が一番印象に残ったのは『森の奥』という短編だったのだけど、これがその「何か」についての話だったんじゃないか。
『森の奥』は、暗殺者と主人公が対峙するワンシーンの短編。暗殺者が主人公に手渡したインプラントは、

記憶がなんの違いももたらさない、とはいわない。もちろん、その逆だ。だが、きみの中には記憶とは無関係な部分がある――将来ふたたび生を送るのは、その部分だ。/p275

その「部分」を変えてしまうというものだった。ラストまで一気に読める、短編ならではの展開がよかった。
でもその「部分」てなんだろう。
それから、『銀炎』に出てくる

道徳はわたしたちの内側にのみ由来する。意味はわたしたちの内側ののみ由来する。わたしたちの頭骨の外にある宇宙は、人間になど無関心だ/p193

という一文を読んで、こういうところが好きなんだなあと思ったりしました。