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  □これまでの日記一覧

2010-01-29

[][] 「女の子の食卓」6巻/志村志保子

女の子の食卓 6 (りぼんマスコットコミックス クッキー)

女の子の食卓 6 (りぼんマスコットコミックス クッキー)

食べ物テーマにした連作短編集。6巻まで読んできてやっと、あー自分はこういう日記が書きたいんだろうなーって気がついた。それもおこがましい話なんですが、「女の子の食卓」の、自分にとって大事な風景言葉にしておきたいって語り始めるような雰囲気と、最後にちゃんと救いがあるところが好きです。

今回特に好きだったのは、おにぎりの話とドライカレーの話。

おにぎりの話は、やっぱり最後に思い返す表情がよかった。

ドライカレーの話は、引っ越す前に寄った「いきつけの店」で、最後のドライカレーを食べたんだけど…というお話

自分も気に入った店に延々と通ったりするけど、店員さんに顔覚えられてるなーって気づくとちょっと行きづらくなることもある。この話にでてくるお店は、適度な距離感があるとこがいいよなーと思いながら読んだ。そして最後には、でもやっぱり、覚えててもらえるのは嬉しいものだよなーと思った。勝手だな。

このドライカレーは、口絵にレシピがのっていたので、こんど作ってみようと思います。

[] 4年前の6年前がいまの10年前だということ

こないだ、友だちが1999年て10年前なんだよねえって言っていたので、つられて10年前のことについて思い出して、そういえばって日記検索したら、その10年前のことを4年前に6年前ってタイトルで日記に書いていたので、そのうち自分は日記になるなと思った。なってしまうんじゃないかと思った。書ききったらボンッて爆発して消えるとか。ってこわ! って一瞬ぜんぶ消してしまいたい気持ちにもなったけど、実際は書ききるなんて無理なので、むしろある特定の日記を書いたら消える仕組みなのかもしれないよ…。こわい…! でもそれを書いたらどうなるのか知りたいような気もしないでもない…。

ともかく、こうしてよく思い出すようなことをいくつも日記に書いてると、自分のほとんどは記憶でできてるんだなあと思います。それでも、例えば4年前に書いた10年前の話も、この4年間にちゃんと更新されている。

実は、4年前(id:ichinics:20051209:p2)に、どこかへ行ってしまったと書いた人は、あの日記を書いた時点では、いちおう見つかっていた。まったくの偶然なんだけど、雑誌にその人が書いたレコ評が載ってるのを見つけたのだった。

ただ、私がその人に書いた手紙は結局届かずじまいだったわけで、そのことが私は若干かなしかった。それで、かなしかったんだよねえ、という話を昨年、久しぶりに会った共通の友人に話していたら、そういえばこないだ偶然あいつに会ったんだよね、という話になったのだった。そんなことってあるのかって笑ってしまったけど、たまたま東京に来ていた際に、町でばったり出くわしたらしい。

そして、全然変わってなかったってことと、もうずっと前の話だけど、私の書いてたもの、載ってた雑誌を偶然見つけて読んでくれたって話をきいた。

それで、10年前の手紙のことは、本当に報われたと思ったし、ずっとなくならないだろうなと思ってたひっかかりも、いつのまにかなくなっていた。なんて、10年て年月はほんとうに、すごいなあと思ったのだった。全くちりつもですよ(言いたい)。

というわけで、この文章に含まれる「実は」はまた10年後に考えようと思います。それまでに爆発してなければだけど。

2010-01-28

[][] 「モテキ」3巻/久保ミツロウ

モテキ 3 (イブニングKC)

モテキ 3 (イブニングKC)

身の回りで、去年一番話題にのぼった漫画といえば「モテキ」だったと思います。読み終わったあとに友達とあれこれ言うのが楽しかった。

今回3巻が出たのですが、あとがきを見ると4巻で完結する予定とのこと*1。どう終わるのか、3巻の時点ではまださっぱりわかりません。

まあ、最後に夏樹がでてくるので、「忘れられない女」との決着をつけるのだろうなーとは思うけど、それでうまくいくのか、玉砕したけど大人の階段のぼったENDなのか、それとも「シガテラ」みたいな終わり方になるのか、想像裏切られるのか、とても楽しみです。

個人的な希望を言えば、3巻のフジ君は逆切れしてひくつになってるときの相手の気持ちとのすれ違いが読んでてけっこうつらかったので、最後くらいは、自分のこと好きだった女の子たちへもいいとこ見せて欲しいなーと思います。

「ほんと藤本君 私の事 何も見てなかったんだねぇ」っていう土井さんの嫌味が通じてないのがまた切ない。土井さんいいこだな。

[] 顔をなくしたニンニ

小さい頃、よくスライドムーミンを見た。カセットテープかけて、タイミングごとに絵を切り替えていくやつ。たぶん壁に映してたんだろうけど、うちのどこにそんな大きな壁があったのか今となってはよくわからない。

親の仕事の関係でもらったものだったせいか、スライドは1話ぶんしかなくて、しかもお話の途中までだった。それでも、いくつかの場面については、岸田今日子さんの声とともに、今でもはっきりと覚えている。オープニングの音からしてちょっとこわいのとか。

「顔をなくしたニンニ」は、ムーミンの家に「ニンニ」という女の子がやってくるところからはじまる。

ニンニの姿は誰にも見えない。彼女は一緒に暮らしていたおばさんからいじわるされて、だんだんと姿が見えなくなってしまったのだ。そのため、ムーミンの家にやってきた時は、首にかけた鈴だけが彼女の存在を知らせるものだった。

しかしムーミンたちにやさしくしてもらうことで、ニンニは少しずつ姿を取り戻していく、というお話

食事をしながら、「たのしいってなんのことですか」「うれしいってなんですか」って言うところとか、今思うとちょっと綾波っぽい。スライドはたしかそのへんまでで終わっていて、なんだかすごくかなしい話だったなと思っていた。

そんなことを思い出したので、あらすじを検索してみたところ、ニンニがその後ちゃんと顔をとりもどしたことがわかってほっとした(平成版と私が見てた旧版を比べるとおちがだいぶちがっててそれはそれで笑う)。そして、きっかけはムーミン一家のやさしさであっても、顔を取り戻すきっかけになるのは、彼女自身の気持ちってところはさすがヤンソンさんだなと思ったりした。

まあニンニのようにつらいことがあったわけじゃなくても、たまに消えてるような気分になることはあって、例えば最近インフルエンザになったりしたので一週間くらいずっとマスクしてたんだけど、マスクしてると楽なのは人から顔見られないからなのかなーとか思ったりした。スクランブルスーツっぽいですね。話がずれた。

*1:それは前よんだインタビューにも書いてあった気がするけど、ほんとにまとまると思ってなかった

2010-01-27

[][] ちづかマップ衿沢世衣子

ちづかマップ

ちづかマップ

ちづかという主人公は地図が好きで、尋ね人探偵をやっているおじいちゃんの家にいりびたっている。で、まあいろいろあっておじいちゃんの仕事を手伝うことになる…というお話

探しものをしている過程で見えてくる、町や人の歴史がすごく魅力的な漫画だった。「ブラタモリ」みたい。ってのはたぶんまんまな感想

本郷浅草鶯谷から日暮里、そして京都。これ読んだあとにはすぐそこに行きたくなります。特に、最後の京都包丁研いでもらうのとかぐっときたな。長年使い続けた包丁ってあんなふうになるんだな! って思って、私もいつかここにでてきた「早川刃物店」*1自分包丁買いたいと思いました。

ところでこの「ちづかマップ」、これでおしまいなのもったいないなあ。まだまだいろんな町の話描いてほしいです。

[][] 運命と偶然/「(500)日のサマー」2回目

運命と偶然ってどう違うのかなーとか考えてた。「(500)日のサマー」、2回目は妹と見に行って、見終わった後に「これは結局運命はないって話なの?」って聞かれたからだ。

いやいや違うでしょ、なんて話しながら、でもそこが一番切ないんだよなあとも思った。

個人的には、その恋が運命かどうかなんてどっちでもいいことだ。

ただ、この映画が回想であるように、意味は後からやってくるものだし、むしろ偶然こそが運命なんじゃないかというか、その偶然を、運命だと捉えるかどうかは、その人次第ってことなのだと思う。

たぶん、この映画にぐっとくる人のほとんどは、トムに自分を重ねるのだろう。私も最初に見たときはそうだった。

でも、やっぱり自分が悲しかったことのほうがよく覚えているもので、いろいろ思い返してみれば、自分だってサマーみたいな意地悪をしてしまったことはある(「映画どうする?」「見なくてもいいよ。君の家いこうか」「私は映画見たいの」っていうシーンとか、ほんと典型的(当時は自分でもなんでそういうこと言っちゃうのかわかんなかった))。もちろん、トムのように相手の気持ちが見えなくておろおろしたことだってあるし、時には、同じ相手に対してサマーだったりトムだったりしたと思う。

最初に見たときは、結局惚れたら負けって話ですよね…って思ったんだけど、でも、そもそも負けって何だって話だ。人間関係なんて人の数だけあるし、どうするのが正解かなんて思い返す位置で違うだろう。

ただ、後々に思い残すとしたら、その時々に、自分の気持ちに正直でいたかどうかにあるんだろうなーとか、思った。

そういう意味では、ラストサマーがトムに向かって言う「踊りたかったから」というのは圧倒的に正しくて、つまり、偶然の一歩を踏み出す瞬間なんて、常にあるんだよなあっていうことを考えたりした。

そこにどんな意味を見つけるかは、また別の話。

それにしても、妹はトムに感情移入するところがまったくないみたいで話してて面白かった。趣味とか考えることとか似てても、やっぱり全然違う。

1回目の感想http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20100111/p1

ところでこの映画見てから、主演のJGLさんに夢中で、この映像を毎晩寝る前に見ています。すてきすぎる…!

D

2010-01-25

[][] かいじゅうたちのいるところ

監督スパイク・ジョーンズ

f:id:ichinics:20100125231823j:image:w300

予告を見たときから楽しみにしていた作品。とてもよかったです。

主人公の少年マックスが、ある日お母さんと喧嘩して家を飛び出し、「かいじゅうたちのいるところ」へ行くお話。そこでマックス王様になって、いろんなことを「OK」にしようと試みる。

ここで描かれているのは、子どもの頃の、世界自分の境目があいまいな感触だと私は思った。自分がいて、他の誰かがいて、その誰かの気持ちに自分の手が届かないということを知ったときの無力感と苛立ちが、画面からふくれあがってせまってくるようだった。

特に、マックス自身の分身のような「かいじゅう」とのやりとりは、見ていてはらはらするところもあるのだけど、彼とのやりとりから、マックス自分だけでなく、他者もまた「自分」なのだということを、知ったのだと思います。

そして、他者と関わるのは難しいけれど、それでも、関わることで世界はすこし変わる、という手ごたえを見つけて、映画は終わる。

私自身のことを思い返すと、マックスよりもうちょっとひねくれてた気もするのだけど、冒頭の雪遊びの場面とかね、こんな風にしたいんじゃないのに、って思いながら、世界がもどかしくてたまらない感じをうまく描いているなと思いました。

あと全体的に無茶というか、理不尽だったりするところも、生々しくて面白い

[][] 「坂道のアポロン」5巻/小玉ユキ

坂道のアポロン (5) (フラワーコミックス)

坂道のアポロン (5) (フラワーコミックス)

読み始めたとき、なぜか舞台設定が60年代ということに気づいてなかったせいで、軌道修正するのに手間取ったんだけど、やっと慣れた気がします。

前の巻で、喧嘩してしまった薫と千太郎が仲直りする巻。

文化祭でのライブシーンがとてもよくて、この場面を音付きで見たくなりました。

彼らにとってジャズが特別だっていうことがよくわかるシーンだった。それで、再び練習に行った時の、おじさんの嬉しそうな感じがまたよかったです。

2010-01-20

[][] 「春にして君を離れ」/アガサ・クリスティー

先日、インフルエンザで高熱が出て、一日中布団の中にいたときに読んでいた本。ジョーンという主人公の女性が、バグダッドからイギリスへ帰る途中に足止めをくらい、一人きりになったところで自分自身について考えはじめる、という、ほとんどそれだけのお話なのだけど、しばらく1人きりでいなければならないようなときに読むのが一番堪える(うってつけともいう)内容で、ちょっと辛い読書だった。

この物語面白いところは、ジョーンという女性盲点が、ジョーン自身を語り手として浮き彫りになっていくところにある。

それは同時に、ジョーンの言葉を通して読んでいるこちら側にも盲点があるのではないか、知らず知らずのうちに、誰かを傷つけているのではないか、そしてそれは、知らなかった、では済まされないことなのではないか、と思いをめぐらせることでもある。

わたしがこれまで誰についても真相を知らずにすごしてきたのは、こうあってほしいと思うようなことを信じて、真実に直面する苦しみを避ける方が、ずっと楽だったからだ。/p250

ジョーンは、立ち止まらなくては見えないものを、見たのだと思う。そして、そのことが明るみに出たときにどうなるか。

かしこ物語がおそろしいのは、そのような盲点は誰にでもある、ということもまた浮き彫りにしているところだ。物語の最後に、語り手が変わるのだけど、ここから先は、その登場人物の(もしくは読み手の)自戒物語になるのではないかなと思った。

ちなみにこの本は、「焚書官の日常」さんの日記(http://d.hatena.ne.jp/./mutronix/20091129/p1)で触れられてるのを読んで気になって読みました。ありがとうございます。

[][] 南極物語に行きたかった話

先日も感想を書いた「flat」という漫画には、ひとりで家にいることが多くて、つい我慢をしてしまう「手のかからない」子どもであるところの「秋くん」が登場する。この秋くんがめずらしく懐いた相手が、主人公である平介なのだけど、

先日でた新刊を読みながら、私がこの漫画を読んで、平介には、ぜひ秋くんを大事にしてほしい、嫌わないで欲しい、と思ってしまうのは、もしかしたら自分の幼い頃を重ねて読んでしまうからなのかもしれないなーと思った。

私は「となりのトトロ」においては完全にサツキ派で、心がせまいようだけどメイのことはちょっと苦手だった。

ただ、その苦手、には若干のうらやましさが混じっていて、たぶんそれがぜんぶなんだと思う。

おんなじことを「はなまる幼稚園」の杏を見ていても感じてしまうのは(アニメは面白く見ています)、たぶん大人の注目が自分にあることをうたがわないその様子がうらやましいんだろうなーと、思った。すごく勝手なことを言っています。

私は4歳まで一人っ子だった。そこから立て続けに弟が2人と妹が生まれた。お姉ちゃんと呼ばれることが誇らしく、はりきってお手伝いをしたものだけど、その間に2度ほど親戚の家に預けられていた期間があって、そのときのことは、今思い出しても居心地が悪い。

前にも書いたことがあるけれど(id:ichinics:20071211:p1)、従兄弟の家に預けられていたとき、従兄弟と友だちが「南極物語」を見に行くと話していた日があった。いーなーと思いつつ、「○ちゃんもいく?」ときかれた私は反射的に「ううん」と首を振っていた。「そっかー」といって従兄弟たちはでかけていった。

後に残された私は、水槽グッピーを数えながら、後もう1回誘ってくれたら行ったのになーとか思っていた。

私は、秋くんのようないいこじゃなかったし、長女だったことで特にさみしい思いをしたとかいうわけでもないのだけど、

ただ、「flat」という漫画を読んでいると、どうか、秋くんの気持ちが、報われますようにって、こんな年になってまで「南極物語行きたかった…」とか思っているようなひねくれた大人になりませんようにって、思ってしまうのだった。

3巻もとてもよかったです。

flat(3) (BLADE COMICS)

flat(3) (BLADE COMICS)

1、2巻の感想http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20100106/p2

2010-01-17

[] 5年たった

はてな日記を書き始めて丸5年が経ちました。

5年間、この日記に費やした時間を考えるとちょっと気が遠くなりますが、とりあえずは、5年間続いたってことの方を大事にしたいなと思います。

せっかくなので、ここ何日かかけてざっと読み返してみたりしたんだけど(もちろん全部じゃない(無理))、自分で思ってた以上に、この5年にはいろんなことがあったなって思いました。さすが5年。

何回も同じこと書いてるかと思えば、すっかり忘れてるものもあって、でもほとんどが読み返すのも照れくさい。

ただ振り返ってみて改めて、人の書いたものを読むのが楽しくて、っていうのが最初にあったから、ここまで続いたんだなと思いました。

そして何より、読んでくれる人がいるっていうことが、いちばんの励みです。それは1年目(id:ichinics:20060122:p1)から変わってません。

思い返すこととか反省とか、いろいろ書いてみたけどまとまらないので、とりあえず、ざっと読んで個人的に印象深かった日記(じゃないのもあるけど)を10本あげて、5周年記念ということに。

続きを読む

 告白

5年も続けてると、この日記の文章に慣れてしまってなかなか変えられないのですが、正直なところ、上のようなことを書いた後には、そのあらたまりっぷりに、穴があったら入りたい気持ちになります。(さらにこうやって塗り重ねてるのも恥ずかしくなって以下無限ループ

なので今年は、もうちょっと違う文章書けるようになりたい。と言う意味目標は練習です。

2010-01-12

[][] 「ノラ猫の恋」1巻/長野香子

ノラ猫の恋 1巻 (BEAM COMIX)

ノラ猫の恋 1巻 (BEAM COMIX)

本屋で見かけて気になって買いました。長野香子さんの漫画を読むのはたぶんはじめてです。

主人公の女の子が、離れて暮らしている父親からの手紙を頼りに家を訪ねるところからお話がはじまり、そこで出会った2人との共同生活(?)が描かれている巻。

それぞれがどんな理由で主人公の父を訪ねてきたのか、まだちゃんと明かされていないので、どんなお話になるのかも想像つかないんだけど、最悪な気分でいるときの、おいしい食事(63〜64ページ)の場面がとてもよかったので、これはもしかしたら食卓の漫画なのかもしれないなーと思って読んでいます。

ご飯をおいしそうに食べる漫画っていいなあと思う。

[] 年始日記

年末日記書いたら年始も書こうってつもりで忘れていたのをせっかく思い出したので、少し過ぎてしまったけど年始日記。

年越しは妹とテレビを見ていた。年が明けてから、

「そういえば今日月蝕なんだって」「へえ! 何時?」「…4時頃」「4時か…」「うん…」「…」「寝るか!」「おやすみー」

なんて具合にあっさりとあきらめて眠った。

近くにお寺があるので、部屋で横になっていると除夜の鐘がすぐそばに聞こえるのだけど、その音の感触からか、31日の夜、こうして眠ろうとしていたときのことをいくつも思い出して、21世紀か…と目を閉じた。

目を閉じて、最も鮮明に思い起こされるのは、ベッドサイドのテーブルにノートパソコンを置いていた頃のこと。やっていることは今とたいして変わってないんだけど、そのノートパソコンは、なぜか一度もインターネットに繋がなかった。

あの時と今では、何が変わったのかな、とか考えながら、いつのまにか眠っていた。

1日の朝はおせちを食べ、雑煮を食べ、妹と出かけた。父親の誕生日用のケーキを買うつもりが、デパートがあいていなくて、なんだかんだで不二家を見つけ、意地でケーキを手に入れた。

不二家の店内はがらがらだったにもかかわらず、やたら大勢の店員がいたり、熊の顔したケーキのはずが、耳が片方しかなかったりとか、いろいろ不安になる感じではあったけれども、誕生日ケーキはやっぱり必須。これは誰、あれは誰、と見当つけながら買ったものが、ぴたりと当たって満足する。

正月休み最後の日は、友だちと初詣に行って、今年初ビールを飲んだ。ライブ以外でこんなに大勢の人がいるところに来るのは久しぶり。混雑した中で、後ろを振り返ると一緒にいった友人が待っててくれてほっとした。

f:id:ichinics:20100113001320j:image:w300

おみくじ小吉。英語ではレギュラーって書いてあった。

今年も沢山いいことが

あなたにあるように いつも いつも

A Happy New Year

去年も書いた気がするけど、お正月の曲といえばやっぱりこれです。

そんなわけで、とっくだけど、あけまして。

2010-01-11

[][] 「(500)日のサマー

監督マークウェブ

スミス聴いてるのね、私もスミス好き!」みたいな出会いのシーンを予告で見て、これは…と思い見に行ってきました。

よかった、と、ひと言で言ってしまうのはためらわれるくらい、とても身につまされる物語でした。いろいろあるけど、だからといって暗くなるわけではなく、夢物語というわけでもない、バランスのとれた映画だったと思います。

【内容にちょっと触れています】

映画では、主人公が、サマーという名前女の子に恋をした500日間が、時系列でなく、500日を行ったり来たりしながら描かれます。だから、花畑を背負っているような顔の直後にこの世の終わりのような顔が現れたりもして、場内には時折笑い声も起こっていた。そしてだんだんと、500日の全体像が見えてくる、という構成になっています。

客観的に見て、トムのサマーへの恋は、完全に負け戦というか、ぬののふくを装備したままバラモスに挑んでいるような具合だった。しかし、それはサマーバラモスだというわけではなくて、トム自身が、自分の思い描く夢の女の子っていうシナリオと戦っているようなものなのだと思う。

相手のことで頭がいっぱいで、何度もシミュレーションして、思い通りにいかなくてもうだめだと思って、でもあきらめられなくて、良かった探しをして、自分を励まして、でもちょっとしたことでへこんで自信喪失して疑って自滅している間に手おくれ。

そんな経験のある人にはきっと沁みるところのある映画だと思うのですが、この映画の良いところは、それがどちらかの明らかな落ち度ではないというとこだと思う。映画はトムの視線から描かれるため、「続くことを信じられない」というサマー側の視点が少し弱い気もしたけど、「記憶」が入り組んでいるように、そうなった「理由」も一言ではいえないようなものなのだ。たぶん、サマー完璧女の子じゃないってのが、監督の目線なのだと思います。

最後の場面で、サマーがトムに言う台詞は、まったくもって彼女の正直な気持ちなのだと思う。それはほんとうに仕方のないことだ。ただ、その人が好きになったというだけで全部で、だからトムがサマーを見る笑顔はほんとうに素敵だったし、それはサマーだってそうだ。そこを否定しないで次に進むというのが、すごくよかった。

トムにはとってもしっかりした妹がいるのだけど、ラスト近くで、彼女がトムに「もう一度思い出してみて」というのは、そういうことなのだと思う。そして、そこからこの映画がはじまっているのだとも思う。

あと、個人的には出てくる音楽が自分青春(…?)ど真ん中なのもよかった。カラオケpixies の「here comes your man」熱唱しちゃったりとかもたまらなかったです。

とにかく主役のジョゼフ・ゴードン=レヴィットさんがすごく好きになった。

[] You Make My Dreams Come True

私は(特に映画だと)やたら涙もろく、たいていの映画で一度は泣いてるような気がするんだけど、「(500)日のサマー」ももちろん仕舞いには泣いていた。

でもそれは、映画の登場人物に感情移入して、というわけでもなかった。そもそもそれほど「悲しい」お話ではないし、場内ではよく笑い声が起こっていた。

今日見てきたばかりで、映画感想はまだ見て回っていないんだけど、私があの映画にぐっときたのは、やっぱり、もう一度思い返してみて、というところ。

そこでなんとなく、前日、友だちと飲んでいたときに、ちょうど自分卒業制作で使った曲が流れたのを思い出した。編集の間に繰り返し聴いていたせいで、もう新鮮さは感じられないその曲の隅々に、それを作っていたときの、長らく思い起こすこともなかった出来事(映画におけるトムに起こるようなことですね…!)を思い出したりして、

以前は、当時のことを思い出すと、体ぜんぶ裏返して洗って溶けて消えたいような気分になったものだけど、だからといってそれだけじゃなかったよね、というのが「(500)日のサマー」のいいところだと思った。ほんとうに。

劇中で、ホール&オーツの「You Make My Dreams Come True」がかかる印象的な場面があるんだけど、今後はこの曲聞くたびに、「(500)日のサマー」のこと思い出すだろうなー。

D

2010-01-06

[][] 「清々と」1巻/谷川史子

清々と 1 (ヤングキングコミックス)

清々と 1 (ヤングキングコミックス)

谷川史子さんの、女子校ものです。青年誌ヤングキングアワーズ)連載らしいのですが、これがまた王道谷川史子節だった。

あこがれの女学院に入学して、あらためて自分について考え始める主人公の清、その清のともだち、みやびちゃんに、女学院卒業生英語教師後藤先生。みんなかわいい。そしてこの巻の最終話になっている、校長先生の若い頃のお話がまたとてもよかった…!

谷川さんの描く男の子は、いつも初恋男の子だ、と思うのですが「清々と」に出てくる先生もまたそんな感じだったな。なんつーか、かなわなくても受け入れてもらえるっていうのは、それだけで安心なんだと思う。

余談ですが、谷川さんの描く、女の子スカートのラインがとても好き。

ところでかつては自分女子校の生徒だったのですが、まあこんな感じではなかったよなあ…って、女子校ものをよむとよく思う。それでも、ひとつひとつの考え事に毎日が左右される感じとかを懐かしく思ったりはする。

なんて、いまもそれほど変わってないような気もするんだけど、このまっすぐさはほんとまぶしくて、続きがとても楽しみです。

[][] 「flat」1・2巻/青桐ナツ

flat (1) (BLADE COMICS)

flat (1) (BLADE COMICS)

面白いときいたので買ってきた。よかった。なんだかとても落ち着く漫画でした。

主人公は、お菓子作りが趣味男子高校生、平介。たぶんこのタイトルの「flat」は彼のイメージなのではないかなと思います。物語は、平介がいとこの幼児、秋君の面倒をみることになるところからはじまり、主にその2人のやりとりが描かれていくわけですが、この秋君がもう! とてもかわいかった!

ひとりで家にいることが多くて、つい我慢してしまう「手のかからない」秋君が、平介に向ける視線はすごく素直で、きらきらしている。どんかんな平介も、だんだんと秋君の気持ちを考えるようになり、秋君のほうも、少しずつ自分の気持ちを言葉にするようになる。そのゆるやかな歩み寄りが丁寧に描かれているのが良いです。

「伝わらないって報われないねえ」っていう平介の台詞が、いやもうほんとそうだよねえ、って感じで、そして、報われた瞬間の嬉しさもたくさんあって、それを見ながら発される、1巻最後の「ボールも シャボン玉も ぜんぶうらやましい」っていう台詞にやたらうちのめされました。

あとホットケーキ食べたくなったよ。

flat 2 (BLADE COMICS)

flat 2 (BLADE COMICS)

[] 大貧民

我が家正月の恒例行事といえば家族大貧民、なのですが、いつもは大抵兄弟だけでやるところ、父さんを誘ってみたら珍しく参加すると言い出したのは「大貧民とか社会風刺効いてるねww」という理由だったので相変わらずだと思った。「大富豪ともいうんですけどね…」という反論はシカトされた。

父さんは初大貧民だったんだけど、8切り(8を出すと場が流せる)をやりたいばかりに最後まで8を温存していたり(あがれない)、状況が悪くなると「そんなルール知らない…」と言い出したり「2が一番強いとかおかしくないか」とか根本を疑ってみたり、そのくせ自分の番がくるとしれっと縛ってみたり、「残りの枚数見られたくないから…」ってカードを机の下に隠したりするので、まるで負けず嫌いの小学生のようだと思った。

でも、終盤の試合で3(1枚)の上に4を4枚重ねて高らかに 革命ッ!」 って宣言したときは、もしかして単純に、ルールわかってなかったのかもしれないと思いました。ちなみにこの日は父さんの誕生日。62歳おめでとうございました。

2010-01-04

[][] 「15×24」1〜6巻/新城カズマ

面白いらしいという噂を目にして気になったので1巻買って読んで、これは、と思い12月末に出た最終巻までほぼ一気に読みました。

物語全体の印象としては3、4巻のあたりが一番面白かったような気もするのだけど、それでも最後まで読みたいと思った理由は、ここで描かれているテーマが個人的にも興味にあることだったから。

物語は、徳永準という男の子からの「自殺予告メール」が手違いで送信されてしまうところからはじまる。そして、その予告メールを見た数人が、それぞれの思惑でそれを止めようと動き出し、最終的に15人の、24時間の行動が交互に描かれることで物語が進む。

15人も主人公がいたら話が混乱しそうだけど、言葉づかいだけでかなりキャラクターがくっきりと描き分けられており、読んでいて違和感はない。全巻に登場人物一覧があったらよりいいなーと思ったけれど、不思議なほど、名前と顔は一致していて、苦にはならなかった。

個人的に一番興味をひかれたのは、15人のそれぞれの意見がきちんと描かれているところ。「意味がないのはつらい」という徳永をはじめとして、誰にも切実があって、誰もそれを笑えない。そして、そのどれも結論にはしない、という描き方は好きだなと思った。

退屈な場面もなかったわけじゃないし、一番大事な伏線はちょっと弱いかなとも思った。それでも、物語には勢いがあったし、いろんな登場人物の意見を読むうちに、自分の中でも考え事ができるところが、とても面白い読書だったと思う。

こういう話を人と面と向かって話すのは、とても難しい。それはたぶん、私の傲慢さを目の当たりにすることになるからだと思うのだけど、そういうときに物語というのは、考える場を借してくれるものでもあるんだと思った。

[] 年末日記

年末休み最初の夜は、友だちとごはん最近気に入っている飲み屋でお酒を飲んで、そのはす向かいにある喫茶店でコーヒーを飲んだ。

喫茶店に移ってすぐ、店内にはいってきたおばさんが、このケーキ丸ごとだといくら、ちょっと高いわね、じゃあはんぶんで、ケーキ買いそびれちゃってね、大急ぎなの、と、生クリームの載ったシフォンケーキをまとめ買いして行った。そうだ今日クリスマスだもんね、と私たちもひとつケーキを注文し、半分づつ食べることにした。大島弓子マンガに出てきそうな細長い男の子が、やさしくもつめたくもない顔で、ケーキを取り出しているのが、いいなと思った。

この日は、最近読んでいる本の話から、今考えていることについてなど、話をしてみて気づく事がたくさんあって、なんだかとても楽しかった。特に、ナイロビの蜂の話と、砂漠の話。

ところで、自分が今まで使っていた「身体的」という言葉って、私の思っている意味とは違ったのかもなと考えたりする。そこで自分が言いたかったのは、主体であることに、切実さをともなうなにか、のようなことだったのだけど、身体的という言葉にはたぶんそんなニュアンスはない。ただ私がそれを言うときに思い浮かべる言葉がそれ以外に思いつかなくて、って、一語一語の意味を考えはじめるとキリがないのだけど、そういうあやふやなものでやりとりができるのってもしかしたらぜんぶ錯覚かもしれなくてすごい。だからこそ、身体という言葉を使いたくなるというか、いまあるこの感じのことだ、としか言いようが無いものは特別だと思う。

それから年末には祖父のお見舞いへも行った。握手をすると、触ったらダメだと言われて、あわてて手を引いた。そうかここは病院なんだよな…と反省したけれど、でもあの一瞬の手は、しわだらけなのに、すべすべでもちもちとしていて、よかった。前に会った時に言われたことについて、ここのところよく考えていたので、もう1回言ってくれないかなーなんて思っていたけど甘かった。

地元の産地直売所で買い物をした後、駅前で降ろしてもらって、妹とカールじいさんを見に行く。混雑したウェンディーズを横目に、いつものヴェローチェお茶飲んで映画見て帰った。

大晦日おせちの準備で雑然としている台所で、朝から弟がジャム作りをはじめる。できたてのジャムをパンに塗って食べた後は、満足したようでそのまま放置。次はパンを焼きたいとか言い出し、オーブンが壊れているので無理だよというとトースターで焼くと言う。トースターでパンを焼くのとパンを焼くのは違うんじゃないかな…と言うと、でも何かやりたい、じゃあ干物でも作れば、という流れで釣りに行きたいと言い出し、いつの間にかいなくなって、帰ってきたら寿司食ってきたというのでいろいろすごいと思った。

そんな具合の暮れでした。

2010-01-03

[][] カールじいさんの空飛ぶ家

祖父のお見舞いへ行った帰り、駅で降ろしてもらって妹と見に行ってきた。ちょうどいい時間の回が3D吹き替え版だったのでそれで。

とはいえ、3Dなこととか、吹き替え版なこととかは見てるうちにすっとんでしまって、つまりそのくらい面白かった。(そして見るのは3Dでも3Dじゃなくても吹き替えでも吹き替えじゃなくても、面白いと思う)

カールじいさんの空飛ぶ家」は、幼い頃から冒険にあこがれていた主人公が、じいさんになって冒険に出るお話映画冒頭に描かれる、カールがじいさんになるまでの過程がとってもすてきだった。その冒頭シーンにほとんどすべての伏線があって、それらを巻き上げるように回収しながら、物語が展開する。

その後、桃太郎のごとく、少年と犬と鳥が仲間になるのだけど、この仲間たちが総じてウザかわいくて笑った。特に犬。犬の声はノリスケさんの声の人(松本保典さん)だったのですが、これがもう最高に楽しかった。見終わったあと、妹が「さすがノリスケうざいな!」って言ってたのがほんとおかしかった。

そんな具合に、あちこちに小ネタが仕込んであって、笑ってるうちにどんどんお話が進んで、ほんとあっという間の楽しい時間でした。

鬼が島の鬼的な役割になる人物が、すこしかわいそうだなとか思ったりもしたのだけど、そこにもちゃんと救いと自虐を残しておくところがさすが子供向け。

一番印象に残ったのは、冒険の始まりになる、あの風船が広がる場面。子どもの頃、あんな風に飛ぶ事が出来るんじゃないかって自分も思ってたし、今でもちょっとそんな気がする。そのあこがれが描かれている手応えのような感覚が、気持ちよかった。

あと、ピクサー名物の、冒頭短編アニメもよかったです。

[] 21世紀

明日から21世紀とか信じられないよねー、なんて話をしてたのがついこの間のことみたいで、いまだに21世紀って言葉には未来を感じてしまうのだけど、その21世紀もすでに10年が経ってしまったようです。おい。

20世紀末(と書くとちょっと大げさだけど)は個人的にすごく大事な期間で、そこで自分はこれをやっていくんだな、ということを決めた時期だった。それが脱線脱線を重ねていまここ、だなあということを大晦日の夜、肌に薄氷がまとわりつくような寒さの中、外を歩きながら考えたりした。

でも、部屋の掃除をしながら、その頃に作っていたものを見返していると、やれるだけのことをやったと思える時間というのは、いつまでたっても心強いものだなと思う。

説明のつかないことでも、自分の大事だと思うことを信じるのは、自分だけで成り立てるところがいい。もちろん、それが届けばいいなという欲はあるのだけど、それはきっといつまでも途中で、だからいつでも続けられる、などということを考えた年末年始でした。

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ちょうど今読んでる本に「重要なのは、『本当のこと』じゃなくて『肝心なこと』」って書いてあって、いいなと思ったところ。

2010-01-01

[] あけまして

あけましたね。2010年はいまのところ毎日寒いです。私は寒いのがとても苦手なので、はやく4月くらいになればいいのにと思っています。いままで一年で一番正月が好きだと思っていたし人にもそう話していたりしましたが、今年の正月はただひたすら寒いと思っていた気がします。本当は夏が好きです。毛虫がでなければ春もいいです。かぶれないなら毛虫がいてもいいです。てんやで一番好きなメニューは季節の丼です。今年もどうぞ、よろしくお願いします。