4年前の6年前がいまの10年前だということ

こないだ、友だちが1999年て10年前なんだよねえって言っていたので、つられて10年前のことについて思い出して、そういえばって日記検索したら、その10年前のことを4年前に6年前ってタイトルで日記に書いていたので、そのうち自分は日記になるなと思った。なってしまうんじゃないかと思った。書ききったらボンッて爆発して消えるとか。ってこわ! って一瞬ぜんぶ消してしまいたい気持ちにもなったけど、実際は書ききるなんて無理なので、むしろある特定の日記を書いたら消える仕組みなのかもしれないよ…。こわい…! でもそれを書いたらどうなるのか知りたいような気もしないでもない…。

ともかく、こうしてよく思い出すようなことをいくつも日記に書いてると、自分のほとんどは記憶でできてるんだなあと思います。それでも、例えば4年前に書いた10年前の話も、この4年間にちゃんと更新されている。

実は、4年前(id:ichinics:20051209:p2)に、どこかへ行ってしまったと書いた人は、あの日記を書いた時点では、いちおう見つかっていた。まったくの偶然なんだけど、雑誌にその人が書いたレコ評が載ってるのを見つけたのだった。
ただ、私がその人に書いた手紙は結局届かずじまいだったわけで、そのことが私は若干かなしかった。それで、かなしかったんだよねえ、という話を昨年、久しぶりに会った共通の友人に話していたら、そういえばこないだ偶然あいつに会ったんだよね、という話になったのだった。そんなことってあるのかって笑ってしまったけど、たまたま東京に来ていた際に、町でばったり出くわしたらしい。
そして、全然変わってなかったってことと、もうずっと前の話だけど、私の書いてたもの、載ってた雑誌を偶然見つけて読んでくれたって話をきいた。
それで、10年前の手紙のことは、本当に報われたと思ったし、ずっとなくならないだろうなと思ってたひっかかりも、いつのまにかなくなっていた。なんて、10年て年月はほんとうに、すごいなあと思ったのだった。全くちりつもですよ(言いたい)。
というわけで、この文章に含まれる「実は」はまた10年後に考えようと思います。それまでに爆発してなければだけど。