イチニクス遊覧日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

0000 | 00 | 01 |
2001 | 01 | 02 | 08 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 11 | 12 |
  □これまでの日記一覧

2011-01-26

[][] 「高杉さん家のおべんとう」1巻/柳原望

あちこちでおすすめされているのを見て気になっていた作品。やっと1巻を読んだのですが、とても好きな雰囲気のお話でした。「女の子の食卓」や「きのう何食べた?」などの作品が好きな人にはとくにおすすめしたい、食べること漫画でもある。

高杉さん家のおべんとう 1

高杉さん家のおべんとう 1

主人公(高杉)は、失踪していた叔母の遺言により、年の離れた従妹(久留里)とともに暮らすことになる。初対面なうえに、30代と中学生、という親子とも兄妹ともつかない年の差に戸惑いつつ、「おべんとう」を通して徐々にお互いのことを理解していく様子がとてもかわいい作品です。2人のまわりにいる人たちもキャラクターがはっきりしていて、今後いろんな展開が期待できそう。

久留里中学生ながら、スーパーの特売が好きな買い物上手。急な来客に冷蔵庫の中を漁られるシーンで、「明日使うつもりだったナス 週末にシチューを作るつもりでとっておいたニンジンカボチャ…」なんて涙目になっているのにはちょっと笑ってしまったけれど、自分も1人暮らしをはじめてまず感激したのが、冷蔵庫の中身を全て把握している万能感だったので、なんとなく親近感を覚えました。

1巻で特にぐっときたのは第5話。落ち込んでいた主人公が、晩ご飯を作る段になって、ふと「お弁当に入れるならにんにく入れるのやめようか」と言う、その自分言葉から、こんな風に思い至るシーン。

1年先、2年先はわからないけれど

少なくとも明日の昼飯は何とかできる

考えて工夫して充実させることができる

ほんの少し未来を作ることができるのなら

その先も そのほんの少し先も

その先も

きっと何かできることはある

第5話「おべんとうの時間軸」

下に書いたこうの史代さんの「平凡倶楽部」を読んでも感じたことだけど、そんな風に、献立を考えるのは、ほんの少しずつ、手の届く範囲で毎日を重ねていくことなんだなと思う。

いま3巻まででているらしいので、続きを読むのがとても楽しみです。

[] かわはぎ、レモン、まるごとキャベツ

実家に帰るついでに、駅前の魚屋さんでかわはぎをさばいてもらったら、なんと肝入りでとてもうれしかった。かわはぎの肝はとてもおいしい。初めて食べたのは、弟が土産に持ち帰ってくれたときだったのだけど、あれもこの店だったのかもしれないなと思う。「きもいり、って言葉には“特別”みたいな意味もあるのかね」と辞書を引いてみると、そもそも「肝煎」であり、少なくとも肝入りでうれしいなどという経験とはまったく関係なさそうだった。

敷き詰められた氷の最上段には墨入りのビニール袋のような魚がいて、それはなですかと尋ねると「ごっこ」という魚だった。顔はなかなかかわいい。けれどどうやって食べるのか聞きわすれ、今もまだ少し気になっている。

いただきもののレモンの使い道に迷い、めずらしくジャムなどを作ってみる。レモンジャム、と尋ねればすぐにレシピを見つけ出してくれるインターネットは便利。レモンだけのものと、りんごレモンのものを作ったけれど、後者の方がとてもおいしくできて*1、パンに乗せたりヨーグルトに入れたり、そのまま食べたりであっという間に食べ終わる。レモンは皮がおいしいんだなと思う。そして、実家の台所にはよく皮だけ削られた柚子が放置されていたことを思い出す。

ジャムにはちゃんと、果肉も入れた。

こうの史代さんの「平凡倶楽部」という本がとても素晴らしく、ちょっとずつあちこちから読みすすめている。その中にキャベツの使い道、という丸ごとキャベツをどのようにつかったかを1枚絵にしたページがあるのだけど、そんな風に、食材を買うというのは今日明日が繋げるようなことに近いのかもしれないなと思う。

いま冷蔵庫には、浅漬けにするつもりのカブと、レモンひとつ今日買ったばかりのきれいな春菊がある。そしてお米が切れているので、明日買って帰る事。

2011-01-23

[][] 「ソーシャル・ネットワーク

監督デヴィッド・フィンチャー

f:id:ichinics:20110124230143j:image:w400

とても面白かったです。

現在活躍している人物がモデルということでいろんな見方のある映画だとは思うけれど、個人的にはこの主人公をわりと好ましく感じる映画で、その印象は最後まで変わりませんでした。

特に印象的なのは冒頭シーンで、恋人との噛み合わない会話から彼が人との会話の進め方が「うまくない」ことと、彼が実は「クラブ」というものにこだわっているらしい、ということを、とてもわかりやすく描いている。

物語現在(訴訟中)と過去(開発中)を行き来しながら描かれ、主人公の心情が、言葉として描かれるシーンはほとんどないのだけど、弁護士言葉翻訳されることと、過去の映像とのずれ具合から、その間にあるものをうまく浮き彫りにしていたと思う。

たぶん、彼はとても正直で、非効率的なことが嫌いなのだと思う。そして、相手の気持ちを読み取るのが苦手なだけで、悪気はあまりなく、ただ「説明」するのが苦手なのだとも思う。圧倒的な天才であり得意分野の中にいるときは自信満々に輝きまくるその目が、時折、たぶん彼にとっては「非効率的」なことであるはずの、友人とのやりとりや元彼女への未練に対して揺れる様子にはとてもぐっときました。ショーンへ見せる憧れの目もよかった。あれは単純に自分の考えをツーカーで理解される喜びだったのだと思うのだけど(だからといってショーンを全肯定してはいないんだけど、それがエドゥアルドにはたぶん伝わっていない)、では誰に理解されたいのか、というところに彼はちゃんと思い当たったのだ、と思う。

「聞く気があるのか?」と問われて「宣誓したから正直に言うけど、ない」って答えるシーンとかすごく好きだ。そんな風に、自分にとっての優先順位がはっきりしているところが、問題も生むけれど、彼が魅力的にみえる一因でもあるのかなと思いました。

…という若干主人公に肩入れしがちな見方になってしまったけれど、もちろん周りの人の言い分にも正しいところもあるし、結局そういう人付き合いのややこしさ、曖昧さは残るところもいい。

ただ、アメリカ大学におけるクラブ重要性というものについては、全くといっていいほど知らなかったので想像で補っている部分も多いのだけど、たぶんあの地位(家柄?)に裏付けられる人脈とそれがステータスになるような文化が、映画で描かれているようなものなのだとしたら、FACEBOOK はきっと、その壁を打ち壊すものとして受け入れられたのではないか(そして主人公はそれをしたかったのではないか)、と思った。

その目的はともかく冒頭のプログラミングシーンはとても楽しかったし、まくし立てられる会話劇を聞いていて、英語が理解できたらもっと楽しいのになーと口惜しい気持ちにもなる映画でした。面白かった。

[][] 「ハーモニー」/伊藤計劃

新しい本を読みはじめるときは、特に意識はしていなくても、もしかしたらこれは自分にとって重要な1冊になるかもしれない、という期待を持っている気がする。

とても面白いということと、重要というのは少し違っていて、重要のほうはなんというか、腑に落ちるところがあるという意味に近い。そして、この「ハーモニー」は自分にとってその両方がある本だったと思う。思う、っていうのはもう腑に落ちてしまったので、だから面白いのか小説として面白いのかよくわからなくなっているからなのだけど、でも、小説としてもとても好みだったのは確かだ。

21世紀後半〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。

この社会に暮らす人々は、大人になると体内に「WatchMe」と呼ばれるナノマシンを入れ、「生府」に健康(その他もろもろ)を監視されるようになる。

リソース意識

人はその社会的感覚というか義務をそう呼ぶ。または公共的身体。あなたはこの世界にとって欠くべからざるリソースであることを常に意識しなさい、って。/p23

そして、そんなふうに「自分自身を自分以外の全員に人質として差し出すことで、安定と平和と慎み深さを保っている/p132」社会に疑問を感じていた3人の少女自殺を試みる所から物語が始まります

そこまでは、この先どうなるんだろう、と思いながらページをめくっていた。しかしやがて、たぶんこの設定は作者にとって描きたいことを描くためのお膳立てであって、本筋ではないのだとも思った。

やがて成長した主人公は、ある「集団自殺事件」を調査しながら、この社会に対する絶望治療しようとしていた研究に出会う。それがこの社会完璧なものにする、というのはわかる。しかし、その完璧とはどういうことなのか、を導き出してしまうことになる父親と主人公の対話(p262)がとても面白かった。

そして、この物語が探ろうとしていたことはきっとここにあって、それはあとがきにもある

人間の持っている感情とか思考っていうものが、生物としての進化の産物でしかないっていう認識までいったところから見えてくるもの。その次の言葉があるのか、っていうあたりを探っている。」/p374

ということなのだと思う。

先日、知人と話していて「内臓の写真を見られたとしても、それほど恥ずかしい感じがしないのはなぜだろう」という話になった。それはたぶん他人と比較する機会がほとんどないからだと思う。では比較する機会があるものが「恥ずかしい」を伴うような気がするのはなんでなのか、とか、例えばそんな風に考えていることの基にこれがあるのかもしれない、と考えると、なんだか少しぞっとして、少し気持ちがいい。

この物語の結末は、「夢」に似ているんじゃないだろうか。感情や思考の有無ではなく、「夢」を見ているときの「後で思い出す」ことを意識しない状態、というのが近い気がするんだけど、でもそれはどういうことか、まだちょっと考えている。

解説にあるインタビューもとてもよかった。特に、小説は一人称でないと、という言葉を読んで、この人は信頼できるなと思った。

この物語と繋がっているらしい「虐殺器官」はまだ未読なのでそれを読んだらまだ考える。けど、この続きがもう読めないっていうのはとてもさみしいです。

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

2011-01-17

[] 6年

例えば小学校に入学して、友だちができたり人見知りしたり、新しい教科書ノート、うわばき、給食の揚げパンには豚汁で、焼きそばには杏仁豆腐廊下スライディングタックルの練習をして、ブランコから飛び降りて怪我をし、家ではディズニーランドに行きたいと言って泣いたり、友だちのファミコンを眺めたり、じゆうちょうに漫画を書いて回し読みしたり、好きな人ができたり、友だちとその話にあけくれたり、怒られたり、たまに褒められたり、学芸会運動会やドロケイや夕方や、朝やお昼休みドッヂボール、百葉箱ピロティ帰り道、先生さようなら、そして皆さんさようなら、なんて言葉だけでは埋まらないあの6年間と同じだけの日数が、この日記を書き始めてから経ちました。そして、この6年間はと言えば、これはこれで、いろいろあった、としか言いようがなく、転職もしたし引っ越しもしたし、あれもしたしそれもしましたししなかったりもしましたね、ってちらほら読み返して懐かしい気持ちになるとともに、過去自分に対する反発心みたいなものもあって複雑だ。

基本的に書いてることはそれほど変わっていないような気がするけど、それでも、いつの間にか書かないようにしている類のこと(もしくは書いても、ここにあげるのもなんかなと思うようなこと)は増えていて、それは長く続けることで、照れくささだったり癖だったり面倒臭さだったりが増えてきたからなのかなと思う。

ただ、そういうのはいつかまた減るような気もしてるし、ともかく、考えていることを、まとめられる場所があるのは自分にとっていいことだなと思っています。

というわけで小学校卒業したら中学生ですし、今後は中学生っぽい日記を書いていきたいなと思います。

2011-01-16

[][] 「7と嘘吐きオンライン」/HERO

7と嘘吐きオンライン―HERO個人作品集―(ガンガンコミックスONLINE)

7と嘘吐きオンライン―HERO個人作品集―(ガンガンコミックスONLINE)

昨年 twitter 経由で読み、とても気に入ったので単行本も買いました。とてもすきなお話です。

表題作は「twitter」を題材にしたお話アイコンやIDで言葉を書き込むっていうことのちょっとしたねじれみたいものがうまくお話になっていて、どこかではこういうことがほんとにあるのかもなーなんて思った。

自分学生ときにこんなやりとりは想像つかなかったけど、文字の言葉と生身の言葉をどう使うかが人それぞれなのは、きっと今も昔も変わらないだろう。例えば、ネット上で発する言葉は、ネット上でどんなものを見聞きしてきたのかに影響されるところが大きいだろうし(ボキャブラリーとか特に)、それは生身の言葉でも同じで、生まれてこの方触れてきた言葉に影響されているんだなーということを考えたりもした。

特に好きなのが、主人公のモノローグと、コマのテンポがとてもよく合っていて、漫画なんだけど、声できいてるような気分になるところ。読んでいて気持ちのいい漫画だなと思いました。

同時収録の「レッテルのある教室」もよかったな。

[][] ワタナベ君

映画ノルウェイの森」を見て思ったことのひとつに、自分はとっくに主人公の年齢を越したんだなあということがあった。

例えば学生時代の教師が今の自分と同じ年だった、ということに気付いて、「先生」でなく、同級生にいたらどうだろうと改めて考えたりするみたいな感じ。

小説を読んでいるとき、特にそれが一人称であれば、登場人物の世界自分自身のものに近い。感情移入しているというのとはちょっと違うのだけど、そこに描かれる恥ずかしさや切実さに、自分を重ねようとするし、だから1人ひとり受け取り方は異なるだろうと思う。

けれど映画というのは、小説とはまたちょっと異なる視線があって、「ノルウェイの森」の場合あらためてブリーフ姿で「もちろん」なんて言ってるワタナベ君を見るのは、正直、気恥ずかしいところがあった。

という話を、この前友だちと飲みながらしていた。

今さらワタナベ君の恥ずかしさを見せられても戸惑っちゃうよね…と話しながら、それは、この小説を読んでいたとき自分世界を、改めて見返すようなところがあるからなのかもなー、と思った。

目印のように心強く思う存在は年をとるごとに変わっていくし、それはその対象が変わるからでもある。

でもできるだけ、好きなものを好きだったことを忘れたくない気持ちはあって、

ただそれは「ワタナベ君」ってわけではなく、当時の自分の目線みたいなものが、村上春樹のある時期の小説に残っているからなんだと思う。

2011-01-07

[][] 「ききみみ図鑑」/宮田絋次

ききみみ図鑑 (ビームコミックス)

ききみみ図鑑 (ビームコミックス)

「音」をテーマにした短編集。表紙が気になって買いました。

で、この表紙の女の子が登場する『視える音』という短編は、音がそれこそ「視える」ことで音楽が嫌いになってしまった男の子お話。むしろこのお話の続きで、この男の子がどんな演奏をするのかが視たかったナーと思った。あと「Genius Party BEYOND*1の『GALA』(前田真宏監督)を思い出した。

天使の声』というエレベーターに閉じ込められた男の人と、警備員室にいる女性との会話のお話は、ありそうな展開ではあるけど、ラストがよかった。

もっとも気に入ったのは、『秘密言葉』。ある女子校で交わされる「ごきげんよう」という言葉についてのお話クライマックスのコマが印象的でした。ただ、この短編集全体でみると、このお話だけ「音」と外れてしまっているような気もしました。

[][] 「あたらしい朝」2巻/黒田硫黄

あたらしい朝(2)<完> (アフタヌーンKC)

あたらしい朝(2)<完> (アフタヌーンKC)

とうとう出ました第2巻で完結巻です。ドイツ軍へ入隊した主人公の箱根での日々が描かれるわけですが、主にパンを焼く練習をしたり、肉体労働をしたり、勘違いをしたりの日々で、これって実話なんだっけ?と思わず奥付とか確認してしまうような(違いましたが)予定調和のない展開なのがすごい。

物語としてはまとまっていないような気もするんですが、ともかく、黒田硫黄が描くと、画面全体が生き生きとして見えて楽しかったです。

トラックで山道を走るシーンの会話とか、この人にしか描けないテンポだよなあと思う。それからラストの見開きもぐっときた。

次回作が楽しみです。

第1巻の感想

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20080902/p1

[] 正月のご飯

正月

正月前のスーパーはあきらかに日常楽しい。鶏肉が売り切れていたり、ぶちぬきみかんコーナーができていたり、年越し蕎麦コーナーも追い込みをかけつつ、いたるところに餅コーナーが設置されている。なんだか冬眠するみたいでわくわくする。

年越し蕎麦

年越し蕎麦というのは年を越しながら食べるのが正式なのかどうか、実はよく知らないのだけど、実家では大晦日の夕食に年越し蕎麦を食べる。蕎麦には海老の天ぷらがつくのだけど、むしろ雑煮用に煮てある鶏肉を乗せる方が人気だったりして、皆無言で乗せまくるのであっという間に売り切れる。

今年の年越し蕎麦では「おれダイエットしてるから小さいのでいいや」といった弟が小さなお椀で暖かいそばを食べた終えた後に、ざるでおかわりしていたのが印象的でした。「まあいいじゃん」て言ってた。

おせち

たぶんここ10年くらい、おせちほとんど出来合いのものですませるようになって、それもほぼ元旦の朝食分でなくなる。そろえるのは伊達巻、田作り、黒豆昆布巻、数の子、くりきんとん。作るのは、紅白なます菜の花のおひたし、くわいの煮物、筑前煮くらいで、それになぜかイチゴがつく。人気がないのはいつも田作り。

今年は祖母の家でもおせちを食べたのだけど、そちらはきちんとお重に入れられており、しかし人数が多いせいかあっという間に空になった。

一番人気はだいたい数の子なのだけど、祖母の家で数の子なしの松前漬けと数の子が並んでいるのを見て、自分松前漬けの方が好きなんだなということに気付いたりもした。

雑煮

正月といえばお雑煮。大好きなのに毎年正月しか食べないのでなんだか特別なのかもしれません。

実家雑煮は、もちの入った鶏がらスープに、鶏の煮物と茹でたほうれん草鰹節を乗せる。この鶏がらスープと鶏の煮物と筑前煮をつくるのが大晦日の恒例なのですが、よく考えたら鶏肉ばっかりなんだな。

三が日は外出しても帰宅するたびに「雑煮まだある?」って聞いてる気がします。でも今年は2日目にしてなくなっていたので完全に食べたりない。でも正月以外に作って食べようって気になったこともない、不思議料理です。たぶん、正月料理正月しか食べないから好きで、だから正月が特別に感じるっていうのも、あるんだろうな。

全国各地の雑煮まとめとか読むのも楽しい

あこがれ

一度やってみたいのが、鏡餅をよく干して砕いて、おかきを作る作業です。なぜならおかきが好きだからなのですが、そもそも実家には鏡餅を買うという習慣がないため、まだやったことがありません。いつかやりたい。

f:id:ichinics:20110108000348j:image:w150 f:id:ichinics:20110108000347j:image:w150

なんでこんなことを今頃書いているのかというと、今年は完全に正月気分に乗り遅れた気がしてて、それはあきらかに雑煮を満足いくまで食べれなかったからだと思うんですということです。あまった菜花はもう開いちゃったのでいけた。

2011-01-04

[] 年末年始日記

30日はスイスから来ていた友人を囲んで観光した後にみんなでご飯。彼と顔をあわせて話すのは8年ぶりだったのだけど、私のめちゃくちゃな英語を一生懸命理解しようとしてくれるのでありがたかった。「インセプションラストはどうなったと思う?」「そりゃ希望を言えば…」ってくだりでにやにやできたり、「ダークナイト面白かったよねーとか、じゃあ「月に囚われた男」みた? とか、お互い知ってるものだと単語だけでもだいたい通じるので楽しい。あと、飲み屋で選んだものがチーズでさすがスイスと思いました。

f:id:ichinics:20110104233456j:image:w150

年越しは兄弟モンハンクエストスタートすると、まず道具箱から地図や回復薬などを取るのですが、毎回いっせいに箱に走って人数分あるはずの回復薬やドリンクの奪い合いになるあさましい4兄弟でした。普段の食事でも、もちろん肉からなくなります

f:id:ichinics:20110104233117j:image:w150

今年の元旦は祖母が若い頃に着ていた着物を着て挨拶に行く、というのは、祖母を喜ばせたいという母の思い付きだった。ただ、温和だった祖父と違って、祖母は普段から孫にはあまり興味がない人なので、張り切る母の期待が空振りに終わらないといいけどね…なんて心配も実は少ししていた。

しかし、いざ顔をあわせたときの祖母の顔は私が今まで見たことのないようなもので、一瞬でその着物を見分け、立ったままとめどなく思い出話を続ける様子を見て、ああこれを着てきてよかったなあと思えた。これは誰にもらった反物で、とか、何のときに作ったとか、着物っていうのはそうやって思い出と結びついてるものなんだなということを改めて思う。おじいちゃんにも見せたかったわ、という言葉に皆大きく頷き、そこでようやく祖母は椅子に座った。

ちなみに上の弟はその間ずっと iPhoneチョウザメ動画を見ていました。

f:id:ichinics:20110104233118j:image:w150 からヒートテック見えてる妹。

元旦の夜は父の誕生日ケーキを食べた。

かつては食べるものを食べたらすぐにテレビに移行する父だったけれど、定年してからすっかり丸くなったせいか、食後もパソコン操作の仕方を教えてくれといって居間ノートPCを持ち込み、結局お気に入りyoutube 動画を見せ始め(サラブライトマンとかそういうの)、早くゲームがしたい弟がイライラし始めるのも面白かった。

f:id:ichinics:20110104233115j:image:w150

おせち元旦でおわり、2日めの晩ご飯は父がすき焼きを作った。すき焼きといえば、上の弟の出産で母が入院していたとき、父がすき焼きに塩を入れ、しょっぱいすき焼きができあがったことがあった。

そんなことを考えていたら、父が「今はこんなのがあるのよね」と言ってすき焼きの素みたいな調味料を出してきたので、ああ21世紀だなあということを考えたりしました。

なんかずっとばたばたしていて、初詣にも行ってないし、おもちは2個しか食べてないしで、正月はまだまだこれからの気分なんだけど、

何はともあれ、今年もよい年になるといいなと思います

[][] ノルウェイの森

監督トラン・アン・ユン

年末に見ました。

トラン・アン・ユン監督らしい、画面のきれいな映画だったと思う。そしてそれは、私にとって村上春樹小説を読む楽しさに似ているとも思った。

私は村上春樹小説が好きで、高校生くらいの頃は特に熱心に読んでいたのだけれど、その楽しみはそこにどんな物語が繰り広げられるのか、ということよりも、文章を読むこと自体に楽しみがあったように思う。というとまるでお話面白くないみたいだけれど、たぶんそういうことでもなくて、ただ、あのリズムで、このような主人公がいて、彼がどのように考えたか、ということを読むのが楽しかった。だからはいまだに、一人称で書かれていない村上春樹小説にはあまり魅力を感じないのだとも思う。

しか映画というのはカメラという視点がある限り、一人称にはならない(たぶん)ものだ。

から映画ノルウェイの森」のワタナベは、客観的に見れてしまうし、客観的にみると、信用ならないというか、言ってることとやってることが矛盾してる気がするというか、率直に言っていけすかないという感じだった。

もちろん小説に描かれているワタナベもそうだった気はする。今読んだらそう思う気もする。

ともかく、映画にある魅力はその小説一人称マジックみたいなものとはまったく別の、むしろ監督の視線みたいなものにあるのだと思った。

ただ、主人公のモノローグ台詞小説そのままだったりする箇所もあり、それがどうも日本語の声として聞くと気恥ずかしく集中できなかったのが残念。もしこれを、外国語吹き替えで見たらかなり印象が違うだろうなと思い、吹き替え字幕の印象の違いということについて考えたりもした。

後はなんといっても、セックスシーンが長いのが落ち着かなかったですね!

f:id:ichinics:20110104234055j:image:w300

この回想シーンが一番好きでした。

キヅキとハツミさんのアップがとても美しかった。