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  □これまでの日記一覧

2015-11-30

[][] 恋人たち

監督:橋口亮輔

最近、映画や物語には、その世界に自分がいないからこそ、ただ物語として受け取ることができて楽しい、という種類のものがあるなということを考えていて、そういう意味でこの「恋人たち」は、それとは正反対の、確実に自分がいる世界のお話だからこそ、気持ちを揺さぶられる映画だなと思った。

登場人物の中の誰かに感情移入したとかそういうことではないのだけど、ただ、あの映画と自分のいる世界は地続きだと思ったし、そこで描かれているのは自分にも関係のある話だった。

「恋人たち」は、主に3人の主人公がそれぞれの抱えているものと向き合う過程のお話。ただ、そのような瞬間というのは誰にでも起こりうることで、つまりその3人だけでなく、周囲にいる人たちや映画をみている自分たちもまた、彼らと同じように物語をもつということを、繰り返し訴えかけられているような気持になる、とても誠実な脚本だった。

映画を見た後に、タマフルのムービーウォッチメンでやった「恋人たち」評を聞いたのだけど、そこで語られていたことにすごく印象的なエピソードがあった。物語中、主人公の一人がもう一人の主人公から言われるある心無い一言があるのだけど、それが、監督が実際に言われたことのある言葉だった、というものだ。

つまり監督は、自分が受けた傷をもってなお、それを投げかけた相手を物語の主人公として創造してみせたということでもある。

映画は、その言葉を吐いた男もまた、追い詰められ余裕をなくしていた(むしろ目の前の悲惨な状況にいる男が手に入れていたものを羨ましく思っているのではないかというほどに)ということが痛いほどによくわかる描かれ方をしていた。「恋人たち」は、そのように、相手にも物語があるということを失念してしまうことが、他者に対する残酷な振る舞いを招く、というお話でもあったと思う。

自分もまた、あの人は「○○な人だから」と切り捨ててしまってはいないだろうかと考える。もしくは自分の抱えている悩みを支えきれず、他者の痛みを慮ることを放棄したことはなかったかと考える。あったはずだと思う。

自分の中にある切実は他者の中にもあるのだということを、知っているはずなのに、人は、この映画のような視点で世界を見ることはできない。生きている限り視点を自分から移すことはできないから、想像するしかない。自分ではない、誰かの気持ちを想像していたい。そう思うような映画だった。

すばらしかったです。本当に見てよかった。

2015-11-24

[] 優柔不断の仕組み

じゃあやればいいんじゃないですか、と言われて何も言い返せなかった。思い切りの悪いことには私の中で定評がある私だけども、これまで生きてきた中で数回くらいは、思い切りのよかった出来事もあったはず。なんて過去の栄光にすがりつつ、でもこればっかりはさぁ、と何度も思い浮かべては停止ボタンを押し続けてきたプランの、背表紙だけをちらりと見る。そこにあることは、もうずいぶん前からわかっていた。

わかっていたけれど手に取らずに過ごしてきた。だってさぁ、の先に出る言葉もいつも同じだ。それなら私は何を期待してその悩みを口にしたのだろうかと思う。そんなのはわかりきっていて、要するに自分でできない判断を、誰かに委ねたかったのだ。さらにあわよくば、それが成功するほうにベットして欲しかった。でもそれは自分にはそれが出来ないからであり、失敗するくらいなら、棚にしまっておくことを選んだ方がいいと思っていることの証左でもある。

そして、やればいいんじゃないですか、はどういう意味なのかといえば、とっとと白黒つけろという意味であり、それができたら悩まないよということで振り出しに戻る。

ただ、そんなどうしようもない優柔不断でも、死ぬまでにもう一度くらいは思い切りよくなれるかもしれないという可能性にかけて、「じゃあやればいいんじゃないですか」と声をかけつづける。

2015-11-21

[] 夏の内見

一度目の内見で覚悟完了した私は、とりあえず9月末の連休あたりで引越しをすることを決め、盆休みにいよいよ本格的な内見を開始、しようとしたけどできなかった。盆休みは不動産屋もしくは管理会社の盆休みでもあり、ほとんどの不動産屋が休んでいた、もしくは管理会社が休みで内見ができませんといわれたからだ。

それから紆余曲折あって、周りの人にもいろいろ相談しつつ、候補を2つに絞ったのが8月末頃。まだ人が住んでいるとのことで内見するより先に、その建物だけ見に行った日があった。

最初の印象は「写真で見たとおり」。

入り口は暗いけれど、階段は明るく、近くに公園か学校があるようで、子どもの歓声が聞こえていた。住人でもないのに気がひけたけれど、とりあえず賃貸にでていた部屋の前まで行ってみる。部屋番号をみて、振り返ると町が遠くまで良く見えた。

駅前に戻り、駐輪場を見つけて管理人さんに周囲にどのくらい駐輪場があるのかを尋ねると、親切に駐輪場案内の紙(その裏は、駐輪禁止の貼り紙だった)をくれた。自転車を携えてもいないのにそんなことを尋ねてしまったのでつい、今度引っ越してくるんです、と、まだ決まってもいないことをいうと「それはおめでとう」とおじいさんは笑った。

結局決めたのはその日見に行った建物で、思ったより古びていたとか、リフォームがイメージと違ったとか、いろいろと思うところや現実との折り合いをつけなければならない所はあるのだけど、毎朝階段を降りるたびに、景色が遠くまで良く見えるのは、やっぱりいいなと思っている。

2015-11-17

[][][] この世にたやすい仕事はない

今の仕事をしていない自分のことを考える。

よく思い浮かべるのは、薄いグレーの制服を着て、非常階段で休憩しているとか、晴れの日は屋上で弁当を食べるとか、椅子がギイギイ音がすることが悩みだとか、そんな仕事内容とは関係のないこと。でも体育の授業で着替えるのも嫌いだった自分には、毎朝「職場で着替える」というのは少し億劫にも思える。

昔、友人が「毎朝通勤電車に乗る仕事が辛い」と言っていたことを思い出す。モノになったような気持ちがすることに耐えられない、と彼は言っていた。その言葉が切実なものだということは私にも伝わったし、それからしばらくして会社をやめ、フリー仕事で順調に活躍しているようなので、彼にとってそれはとても大切なことだったのだろう、と思う。

私自身はモノとして運ばれるのは割と心地が良いし、誰も他人のことを見ていないから都会の電車は好きだなと思う。けど、それはまあ、仕事場なりどこかへ行くことで、自分解凍されるという保障つきの心地よさなのかもしれない。

でもそんなふうに、仕事を選ぶ上では自分の心地よさとの折り合いをつけることが、大事なんだなと思っている。

津村さんの新刊は、津村さんの小説が好きというのももちろんあるけど、それだけでなくタイトルに惹かれて買った。

自分と年の近い主人公が、さまざまな仕事転々とするお話で、そのいくつかはすこし不思議で、でもどこかにこんな仕事があるのかもしれない、と思えるような本だった。個人的にやりたいのはおせんべいの袋裏を考える仕事で、絶対やりたくないのはポスターの仕事。ただどれもその場なりの楽しさや難しさがあって、

やはり、この世にたやすい仕事はないのだなと思う。でも仕事生活の一部であり、自分に適した仕事はきっとある

この世にたやすい仕事はない

この世にたやすい仕事はない

2015-11-16

[] 内見

気が付いたら内見をすることになっていた。きっかけは最近よく一緒に、沿線の行ったことない駅に行ってみようツアー、をしている友人SとLINEをしていたとき、なんとなく勢いで「引越ししようと思ってるんだけど」と送ったことだった。あっ、送っちゃった。と思いつつ、こういう言っちゃったを積み重ねていくことが勢いになるんだし、と尻の重い私は考えていたのだけど、

予想外にSはその話を面白がってくれ、じゃあ次のツアーは内見ね、ということになったのだった。

まだ春のことで、引越しするならGWか、秋の連休か、なんて漠然としたことを考えていた段階に、いきなり具体的な課題として内見が持ち上がったことで、まずどの駅で内見するかを考えることになった。

Sとのツアーの延長線上だったので「この沿線で坂がないのってどこの駅までかな」と聞いたところ、ここだね、と帰ってきた駅に決めた。

図書館、公園、こぢんまりした商店街と大きなスーパー、ドトール。商店街沿いにいくつかの不動産屋をのぞき、いちばん奥にあった小さな店に入る。

冷たい麦茶を出してもらったのはいいが、それを飲み干し、かごに盛られた飴をいくつか食べて、すっかり喉がカラカラになってもまだピンとくる物件はなかった。パソコンの前で、間取り図の下部にある、たぶん他の不動産屋の名前が入っている部分に、この店のバナーを覚束ない手つきで重ねてプリント、を繰り返す担当者を眺めつつ、でもここまできたら何か見ないでは帰れない、という気持ちにもなっていた。じゃあこことここ、今日見れますか?

結局、その日に見た2つの部屋はどちらも今の家とたいして代わり映えしないもので、ちょっと考えますといって私たちはその不動産屋を後にした。正直なところ、まだ正確な引越し日も決めていない、冷やかし然とした私たちに付き合わされた不動産屋の人―九州出身だといっていた―には申し訳なかったと思う。でもとりあえず内見をした、という小さいけれど大きな1歩に、私は、あの「飽きたな」を忘れられるかもしれないという気持ちになっていた。

次は新聞紙をもってくるといいよとSはいった。ベッドの大きさとかはかるのに、新聞紙とかしくとわかりやすい。

図書館、公園、こぢんまりした商店街と大きなスーパー、ドトール。駅までの道を戻りながら私は、次この駅にくるときはきっと、新聞紙を持ってこようと思った。

2015-11-11

[] キュン死

キュン死っていう言葉があるじゃないですか。じゃないですか、って「じゃないですか話法」とか揶揄されることが多いような気がするけれど、脈絡もなく話を切り出したいとき他に何と言えばいいのかよくわからない。でもとにかくキュン死という言葉がある。それはたぶん昔で言えば「胸が痛い」とかそういうことなんだけど、キュン死の場合は、偶像的な、直接相対するものではないものに向けられることが多いように思う。二次元だったり、アイドルだったり、町でみかけた出来事だったり、曲のワンフレーズだったり、いろいろ。でもその、胸倉をつかまれるような気持ちというのは、別に直接相対する何かに向ける気持ちのかわりではないし、発生させようとして発生するものでもないというのは同じなんだと思う。胸が痛いの方もそうであるように、いつのまにか捕まっている。

不思議なのは胸が痛いにしろキュン死にしろ、ときめきによって寿命が縮む方向の表現なわけだけど、でも実際は、その衝動的な感情は寿命を延ばすように感じられるところだ。例えば、ぐっとくる映画を見た後の小走りのような感覚があるうちは、まだまだ、もっと、にあふれていて、同じ曲を何度も繰り返し聴きながら、声に出す前の瞬間を何万字でも語れそうな気がする。

2015-11-09

[] リハビリ

寒い日だったと思う。いつもどおり、目が覚めて慌しく支度をして、まっすぐな道を自転車で走っているとき唐突に「飽きたな」と思ったんだった。毎朝この道を通った数年間の間にいくつかの家が建て替えられ、その敷地に新しいアパートが建ったり、更地になって売地の看板がたてられ、新しい家が建ったり、毎年楽しみにしている蓮の池(というほどでもないタライだったけれど)が、建て替えにともなって撤去されたのがさびしかったり、毎年美しいバラを咲かせる家の、丁寧な剪定を見かけたり。そういった移り変わりをほとんど自転車の上から眺めることに、飽きたなと思った。

そして、いつものまっすぐな道が終わる前にはもう「そうだ引越ししよう」と決めていた。

そもそも以前から「こんなところにあと1畳!」「天袋が実は6畳くらいあった!」みたいな夢を見続けていて、自分暮らしには、主に本を買いすぎるという理由で、今の部屋は手狭だと痛感していたのだった。それでもなにかと愛着のあった部屋でもあり去りがたい気がしていたのだけど、

「飽きたな」という感覚はするりと腑に落ち、それから半年近くは引越し話ばかりしていたと思う。

何かを実行するために何度も口にださないとなかなか動けないというのも私の残念なところで、ただそんな自分に飽きたといっても乗り換えるわけにもいかないので、まずは手っ取りばやく、引越しをしようと思ったのだった。

そんなわけでようやく今年の目標ひとつ達成したので、ちょっとずつ日記も再開したいと思っています。

もうひとつ目標はたぶんはてなブログへの移行なんだけど、それは別にダイアリーに飽きたわけではなく、でも他ブログ更新を見るにはあっちの方が使い勝手がよさそうだなという理由です。果たして今年中に移行できるんでしょうか…!