イチニクス遊覧日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

0000 | 00 | 01 |
2001 | 01 | 02 | 08 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 11 | 12 |
  □これまでの日記一覧

2015-12-29

[] お引越し

気付いたら2005年から2015年まで、なんと11年もはてなダイアリーで日記を書き続けてきました。

今年は初めてまったく日記をつけていない月が4か月も続いてしまいましたが、それまで毎年12か月書いてるんだからよっぽど日記好きですよね。

たぶんこれまでの人生で、一番長続きした趣味なのではないかと思います。

それもこれも、はてなダイアリーの居心地が良かったから、だと思うのですが、先日のリハビリ日記にも今年の目標は引越し(住居)と引越し(ブログ)であると書いたので、年の瀬に滑り込みで達成しようと思い、年の瀬まとめを書く前にはてなブログ(http://ichinics.hatenadiary.com/)へ引越ししてみました。

ダイアリーにも愛着があるので、まだちょっと迷ってるところはあるけど、ブログでもこれまでどおり、たんたんと更新つづけられたらいいなーと思っています。

ありがとうはてなダイアリー。

2015-12-25

[] YELLOW DANCER/星野源

YELLOW DANCER (初回限定盤A)

YELLOW DANCER (初回限定盤A)

いろんな人がほめていたことや、カラオケで友だちが歌っていたのを聴いて気に入った曲が収録されていたこと、今ちょっと音楽を聴きこみたい気持ちだったことが重なって、発売されてわりとすぐにこのアルバムを買いました。

星野源のアルバムは以前友人が貸してくれたのをよく聴いていて、それもとても気に入っていたのだけど、今回のアルバムは、再生ボタンを押してすぐに、ああこれ最高のやつ!と思いその印象はアルバムの終わりまで途切れることなく、繰り返し聞きまくっている今もまだそう思う。

その最高さの理由のひとつが、聴いているとつい、歌ったり身体を動かしたりしてみたくなるということだと思う。まさにタイトルの通り。

それから、私の好きな音楽のジャンルに「映画のエンドロールにかかりそうな曲」というのがあって、個人的にエンドロールソングと読んでいるのだけど、私がこのアルバムをすごく気に入った理由のひとつに、そのエンドロールが満載であること、がある。

これは実際にエンドロールに使われている曲、という意味ではなく、あくまでも「エンドロールでかかりそうな曲」だ。

「YELLOW DANCER」を聴きながら、この曲にはこんな映画のエンドロールが似合いそうというのを考えていた。例えば「時よ」は青春映画のエンドロールで、ロボコンみたいなのに出場するシーンが流れながら終わるとか。「口づけ」は恋愛映画のエンドロールで、別れてお互いの人生を歩むエンドとか。「Friend Ship」は人情映画エンドロールで、主人公が修行にでるところで終わるとか。

歌詞がというよりは、単語とメロディーがそのような物語のスイッチを押していくようで、つまり、「それでも人生は続く」というようなイメージに溢れているアルバムだなと思ったのでした。

1枚のアルバムをこんなに繰り返し聞くのはとても久しぶりのことだ。でも、これまでに繰り返し聴いたいろんなアルバムを聴くことで思い返す風景があるように、このアルバムをいつか久しぶりに聴いたとき、どんなことを思い返すのか、楽しみでもある。

2015-12-18

[] おめでとう

朝起きて真っ先に、今日はなんていい天気なんだろうと思った。風呂に入ったり髪を乾かしたり、ばたばたと支度をしていると、妹から「今からラジオ番組に生電話で出ることになった!」と連絡がきて、あわててラジコのチャンネルを合わせて部屋の真ん中に突っ立ったまま、それを聴いた。ラジオ越しの妹の声はちょっと緊張しているみたいで、昨日の夜「どう?緊張してる?」なんてメールしたときは、ゲームやってたらこんな時間になってたよ、なんて言ってたのになーと笑う。妹がファンだというDJの人が何度も繰り返し「おめでとうございます!」と言ってくれてることに、こちらまで面映い気持ちになる。

今日は妹の結婚式だった。

メイクも髪も着付けも全部会場でやることになっていたので、スキンケアだけ念入りにしてすっぴんのまま外へでる。青い空に銀杏の黄色が映えて、きれいですねえ、なんて見たままのことを思いながら歩く。前のめりすぎて、会場には着付け予約の時間の30分も前についた。

遅れて来た母親と並んで着付けをしてもらい、ロビーに戻るとすでに父と弟たちと、新郎の家族が到着していた。あちこちに顔を向け、似てますねとか似てますかとか、お噂はかねがねとかお噂ってどんなのですかねなんて話をする。

妹とは、妹が中学にあがった頃から仲良くなって、まあほんとによく遊んでいると思う。先日、この日記を始めたころにこの日記を知っている知人は3人しかいなくて、と書いたけれど、そのうちの1人が妹だったくらい(読んでたかは知らないけど)、自分のことを何も考えることなく、話す相手でもあった。

だから新郎になった彼と付き合い始めた頃のことなんかもわりとよく覚えていて、あれこれ振り返る事も多く、だから結婚式なんて、絶対に泣く、と思っていたのだけど。

新婦の衣装(着物もドレスもあった)を着た妹はたいへんかわいく、弟と一緒に騒ぎながら写真を撮ることに夢中になったり、兄弟で写真を撮ってもらって笑ったりしているうちに、1日は終わりかけていた。

式の間中、何回も挨拶をした相手方のご家族もとてもすてきな人たちで、既に妹が家族として迎えられているのだなということを感じてしみじみする。

帰り道、母と2人で歩きながら、お互いに泣かなかったことが意外だ、という話をした。それは新郎のことを既によく知っているからかもしれないし、相手のご家族がよい人たちだからかもしれない。結婚とともに遠くへ引っ越すわけではないからかもしれないし、スピーチなどの泣かせどころは入れなかったんだろうな、というセトリだったからかもしれない。

ただ、母と別れ、今日撮った写真を一人で見返してみると、昔は笑顔がぎこちなかった弟がほんと嬉しそうに笑っていたり、ふだん仏頂面の父親もどこかうっとりした顔をしていたり、妹は相変わらずのダブルピースだったり、写っているすべての人が、いい顔をしていて、結婚式ってほんとうに、よいものだなあと改めて思った。

要するに、ただひたすらにめでたい。

何度もカメラロールを見返しながら、ふと遠くから撮った写真を拡大してみると、妹が思いっきりこっちを見ているものがいくつもあって笑う。

笑いながら、末永く、お幸せにと思った。

f:id:ichinics:20151220221312j:image:w400

2015-12-14

[][] あなたを選んでくれるもの/ミランダ・ジュライ

「君とボクの虹色の世界」公開後、2作目の脚本執筆中にミランダ・ジュライが行っていたというある「ミッション」の様子を描いたノンフィクション。

そのミッションというのは、『ペニーセイバー』という、日本で言うところの「売ります買います」を集めた冊子に広告をのせている人たちに電話をかけ、インタビューを申し込む、というもの。この本はそのようなインタビューを写真入りで紹介していくという構成になっている。

しかし、この本が通常の「インタビュー集」と異なっていると感じられるのは、インタビューによって浮き彫りになるのがむしろインタビュアーの側、みたいに感じてくるところだった。

個人的な話になるけれど、今年私がやっていた仕事のひとつに、ある特定の悩みを持つ人たちに会って、話を聞いて、原稿にまとめる、というものがあった。

取材などに行くことはこれまでもあったけれど、書くことは私の本来の仕事ではない上に、人に会ってインタビューをするのはほぼ初めてのことで、私はこれをどう行えばいいか、かなり迷った。インタビューの相手は、ある悩みを抱えているという共通点だけがある、ごく一般の人であり、中には学生もいて、彼らの多くはインタビューを受けることは初めてだったと思う。私は当初、そのような場で接する大人として彼らを不快にしてはいけない、という気持ちが先立ち、しかしそのような甘い心構えで、本来この原稿に求められる核心的な部分に触れることができるのだろうかと不安になっていた。

彼らの悩みは切実なもので、だからこそ私は何度もそれにひきずられそうになったし、そのことで彼らの中に自分が見たいものを、見ようとしているだけなんじゃないか、と何度も考えた。

この本に出てくるインタビューは、もちろん私が行っていたインタビューとは種類の違うものなのだけど、私がこの本を読みながら真っ先に思い出したのはその、人に会って、話を聞くということは、結果自分を見ることと同じなのではないか、という感覚だった。

著者の中には常に、完成していない映画の脚本のことと著者自身の人生についての逡巡があり、出会った人たちに対して、これをその相手が読んだらどう思うのだろか? と考えてしまうような、あけすけな言葉も平等に書き連ねていた。

誰でも自分の物語は、その人にとっては大きな意味をもっているのだ。p36

この本におけるインタビューは、そのような他人の物語を自身で濾過し続ける作業のようだった。でも物語とは、そのように主観を通さなければ産まれないものなのだろう。そして、だからこそ、この本の結末に待ち受けている、贈り物のような出来事にたどり着くことができたのではないか、と思う。

この世界には無数の物語が同時に存在していて、ジョーとキャロリンもその一つに過ぎないのだと思うと、なんだか胸が苦しかった。(略)登場人物を誰もかれも入れることができないのは、なにも映画にかぎったことではない。他ならぬわたしたちがそうなのだ。人はみんな自分の人生をふるいにかけて、愛情と優しさを注ぐ先を定める。p229

この本はある映画が完成するまでのドキュメンタリーにもなっている。私はまだそれを見ていないので、近いうちに見てみようと思っている。そのようにして他者の物語を自身で濾過したときに、何が残るのか。それを見たくて私は物語を摂取するのかもしれない。

2015-12-06

[] 観光地

この日記を書き始めた頃は、自分のことを知っている人でこれを読む人はほとんど、というか3人しかいなくて、だからずいぶんと人目を気にしないことを書いていたような気がするけど、それなのに、読んでくれる見ず知らずの人が現れるというのは本当にすごいことだなと思っていた。今も思っている。

今では、ダイアリーにはずいぶん人がいなくなって、自分もいま何かを書くとなったらまず思い浮かぶのはTwitterだし、ブログに移行しようとも考えているんだけど、

それでもダイアリーが気楽だなと思うところもあって、それは何でなんだろうということを考える。読まれたいと思っていないならインターネットにあげる必要はたぶんない。だから自分もきっと、誰かに読んで欲しいと思って書いているんだと思うけれど、

あてもなく手を振りたいような気持ちのときに、今のこのダイアリーは向いてるんだろうなと思う。景色のよい山の上とか、雑草の生い茂る原っぱとか、冬の海とか、古びた観光地とか、そんな感じ。

2015-12-03

[][] 「海街diary」

監督:是枝裕和

ずいぶん前に見たのでかなり記憶がぼんやりしてしまっているのだけど、今年見た映画の中でも特に好きな作品だったので、感想を書いておきたいと思って書きました。

f:id:ichinics:20151203235916j:image:w300

原作に忠実というわけではないけれど、連作短編に近い原作をとてもうまくまとめた脚本だなと思った。何より姉妹4人のキャスティングと彼女達が暮らす鎌倉の家のたたずまいが完璧で、個人的には理想的な映画化だったなと感じています

特に印象に残っているシーンのひとつに、長女の幸が階段に雑巾をかけている場面がある。それは彼女が他の姉妹と比較してより強く、あの家で家族を続けることにこだわっていることを表している場面でもあった。それはきっと、彼女が長女だからだと思うのだけど、では「長女である」とはどういうことなのだろうか。

映画の中では繰り返し、親が不在である「家」のなかで、4姉妹が居間に集って食事をとるシーンが描かれていた。四季折々、朝昼夜の営みがそこにあり、それはとても幸せなものに見えた。

兄弟姉妹とは、もとは他人同士である夫婦とは違い、血という「縁」のある存在だ。しかし同時に、いつかはともに過ごした家を出て、別の場所を目指すだろう、ある意味限定的な存在でもある。もちろんそうではない場合もあるのだけど、でもそれが前提とされていて、だからこそ彼らの囲む食卓は、そのひとつひとつが、いつかの終わりを感じさせるものとして、美しく描かれていたのではないだろうか。

家を守ることに頑なな幸の姿は、その美しいユートピアにしがみついているようにも見えるのだけど、それは彼女が、家族の形は変わるのだということを、もっとも長く見てきた存在だからなのかな、と思う。

母親の違う妹が参加して4人になった姉妹の暮らすあの鎌倉の家を、一人ひとりはどのようにとらえていたのだろうか。あの家で生き生きとしはじめるすずの姿に、せめてすずが学生を終えるまでは、というぼんやりした期限のようなものを見たかもしれない。

ラストシーン、喪服で海辺を歩く4姉妹の視線は「いつか」を感じさせるものだったように思う。

いつかきっと「今」は終わる。けれどその形が変わったとしても、彼らが家族であることは、なかったことにはならない。そうであって欲しいという願いのような映画だったと思います。