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  □これまでの日記一覧

2015-12-03

[][] 「海街diary」

監督:是枝裕和

ずいぶん前に見たのでかなり記憶がぼんやりしてしまっているのだけど、今年見た映画の中でも特に好きな作品だったので、感想を書いておきたいと思って書きました。

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原作に忠実というわけではないけれど、連作短編に近い原作をとてもうまくまとめた脚本だなと思った。何より姉妹4人のキャスティングと彼女達が暮らす鎌倉の家のたたずまいが完璧で、個人的には理想的な映画化だったなと感じています

特に印象に残っているシーンのひとつに、長女の幸が階段に雑巾をかけている場面がある。それは彼女が他の姉妹と比較してより強く、あの家で家族を続けることにこだわっていることを表している場面でもあった。それはきっと、彼女が長女だからだと思うのだけど、では「長女である」とはどういうことなのだろうか。

映画の中では繰り返し、親が不在である「家」のなかで、4姉妹が居間に集って食事をとるシーンが描かれていた。四季折々、朝昼夜の営みがそこにあり、それはとても幸せなものに見えた。

兄弟姉妹とは、もとは他人同士である夫婦とは違い、血という「縁」のある存在だ。しかし同時に、いつかはともに過ごした家を出て、別の場所を目指すだろう、ある意味限定的な存在でもある。もちろんそうではない場合もあるのだけど、でもそれが前提とされていて、だからこそ彼らの囲む食卓は、そのひとつひとつが、いつかの終わりを感じさせるものとして、美しく描かれていたのではないだろうか。

家を守ることに頑なな幸の姿は、その美しいユートピアにしがみついているようにも見えるのだけど、それは彼女が、家族の形は変わるのだということを、もっとも長く見てきた存在だからなのかな、と思う。

母親の違う妹が参加して4人になった姉妹の暮らすあの鎌倉の家を、一人ひとりはどのようにとらえていたのだろうか。あの家で生き生きとしはじめるすずの姿に、せめてすずが学生を終えるまでは、というぼんやりした期限のようなものを見たかもしれない。

ラストシーン、喪服で海辺を歩く4姉妹の視線は「いつか」を感じさせるものだったように思う。

いつかきっと「今」は終わる。けれどその形が変わったとしても、彼らが家族であることは、なかったことにはならない。そうであって欲しいという願いのような映画だったと思います。

2015-11-30

[][] 恋人たち

監督:橋口亮輔

最近、映画や物語には、その世界に自分がいないからこそ、ただ物語として受け取ることができて楽しい、という種類のものがあるなということを考えていて、そういう意味でこの「恋人たち」は、それとは正反対の、確実に自分がいる世界のお話だからこそ、気持ちを揺さぶられる映画だなと思った。

登場人物の中の誰かに感情移入したとかそういうことではないのだけど、ただ、あの映画と自分のいる世界は地続きだと思ったし、そこで描かれているのは自分にも関係のある話だった。

「恋人たち」は、主に3人の主人公がそれぞれの抱えているものと向き合う過程のお話。ただ、そのような瞬間というのは誰にでも起こりうることで、つまりその3人だけでなく、周囲にいる人たちや映画をみている自分たちもまた、彼らと同じように物語をもつということを、繰り返し訴えかけられているような気持になる、とても誠実な脚本だった。

映画を見た後に、タマフルのムービーウォッチメンでやった「恋人たち」評を聞いたのだけど、そこで語られていたことにすごく印象的なエピソードがあった。物語中、主人公の一人がもう一人の主人公から言われるある心無い一言があるのだけど、それが、監督が実際に言われたことのある言葉だった、というものだ。

つまり監督は、自分が受けた傷をもってなお、それを投げかけた相手を物語の主人公として創造してみせたということでもある。

映画は、その言葉を吐いた男もまた、追い詰められ余裕をなくしていた(むしろ目の前の悲惨な状況にいる男が手に入れていたものを羨ましく思っているのではないかというほどに)ということが痛いほどによくわかる描かれ方をしていた。「恋人たち」は、そのように、相手にも物語があるということを失念してしまうことが、他者に対する残酷な振る舞いを招く、というお話でもあったと思う。

自分もまた、あの人は「○○な人だから」と切り捨ててしまってはいないだろうかと考える。もしくは自分の抱えている悩みを支えきれず、他者の痛みを慮ることを放棄したことはなかったかと考える。あったはずだと思う。

自分の中にある切実は他者の中にもあるのだということを、知っているはずなのに、人は、この映画のような視点で世界を見ることはできない。生きている限り視点を自分から移すことはできないから、想像するしかない。自分ではない、誰かの気持ちを想像していたい。そう思うような映画だった。

すばらしかったです。本当に見てよかった。

2015-06-23

[][] チャッピー

監督:ニール・ブロムカンプ

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日本版ではカットされたシーンがある、という騒動があったことで、自分が感想を楽しみに読んでいるような人が見に行っていなかったりするのが寂しい「チャッピー」ですが、人工知能は好きなテーマなので公開してわりとすぐ見に行きました。そして面白かったです。

「第9地区」*1とおなじく、出て来る登場人物の誰にも感情移入できないなーと思いながら見ていて、特にチャッピーの生みの親であるディオン(メイカーって呼ばれてる)が、無邪気に傲慢だったりするのは、物語が見ている側の思ってる方向に簡単には進まないことのあらわれのようで興味深くもありました。

例えば、自分の生み出した人工知能がギャングに影響されてぐれてっちゃったらショックだよねーって思うんだけど、メイカーは意外と気にしません。探究心にのみ突き動かされている感じなのはなんとなく監督のスタンスに近いのかなとも思いました。

私が特に気に入ったのはラストシーン。いろいろあって、彼らは「自己」をデータ化することに成功し、機械の体を手に入れるわけですけども、あの「体」のどうでもよさは新鮮だった。あの状態だとオリジナルを産む事は出来ないわけですが、その後データを複製して「元自分」を大量に作る事は可能なわけですよね。そうやってあのラストの数年後には、世界は元チャッピーたちに征服されてしまうのではとも思いました(でもあのメンバーだとそんなこと考えそうもないか)。

「オリジナルデータ」のかけがえのなさと、データ化された自分の軽さのコントラストが何か面白かったので、監督が次にどういう物語を作ろうとしているのか気になります。