イチニクス遊覧日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

0000 | 00 | 01 |
2001 | 01 | 02 | 08 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 11 | 12 |
  □これまでの日記一覧

2010-09-16

[] 父さんの富士山

地元の駅がまだ古い駅舎だった頃、改札を通った突き当たりにある窓からは、線路越しに富士山を見ることができた。

晴れた日にはよく、まだ自動ではなかった改札をくぐった先に父の背中を見かけたものだ(駅までは別々に行っていた)。「何してるの」と声をかけたことはたぶんない。家の外では、目が合っても苦笑いで目をそらされるのが常だったし、だからそのまま私は電車に乗って、学校に向かった。父さんが何時頃会社に行っていたのかはわからないけれど、返って来るのはいつも終電間際だったから、あの頃すごく忙しかったのだろうなと今になって思う。

父さんはとにかく富士山が好きで、いつだったか家族旅行に行ったとき、富士山ビデオカメラで数時間、定点撮影していたこともあった。山を。動画でだ。でも誰も突っ込まなかった。父さん富士山好きだしね…というのは家族内で暗黙の了解だった。

父はいつも、ふらっとどこかへ行ったかと思うと、端っこの方で富士山を探していた。

最近富士登山がブームだというので思い出したのだけど、いつだったか父さんに「富士山に登ったことあるの」と訊いたことがある。「頂上とかきれいなんだろうね」なんて言っていたら、かえってきたのはまたしても苦笑いだった。

富士山は見るのが好きなだけで登りたいと思ったことなんてない。登ったら見えないし」と、父さんは言った。「富士山は近くに行かなくても見えるのがいいんだ」とも言っていた。

それを聞いた当時はよくわからないなーと思っていたんだけど、もしかするとあれは、父さんの「一服」みたいなものだったのかなと思う。休憩するのにはなんとなく口実が必要で、そんなとき「富士山見てた」というのは、それがどこからでも見えるという点で便利だし、というのはいかにも父さんらしい。

富士山動画で撮っていたのはきっと、曇っている日用だと思う。

今度富士山中のところを見かけたら、訊いてみようかと思います。

f:id:ichinics:20100917003840j:image

ところでもうすぐ朝霧ですね。晴れますように。

2010-08-30

[] 頭の中の次元

ヒックとドラゴン」を見る前、3D眼鏡をかけるのが嫌で、眼鏡かければ3D、かけなければ普通映像に見えればいいのになー、でも裸眼3Dに見える映像とかのが先に開発されたりして、なんてことを考えていた。

でも裸眼3Dに見えるって、それは言ってみれば「眼をカメラのように動かせる」(想像すると気持ち悪いけど)ってことのはずだ。

そして、もしもある特定の時間完璧に保存できて、それがいつでも再生可能であるならば、それは四次元なんじゃないか…とも思った。

四次元とは、と検索してみると「四次元とは三次元空間を見渡せる次元」であると書いてある。トラルファマドール星人のいう「瞬間という琥珀」のようなものだろう。

でもそう言われると、人の頭の中っていうのは、それに近いようにも思う。「四次元とは何か」からは離れるけれど、頭の中で思い描くことには様々な瞬間が一瞬にある、ような気がする。「インセプション」にでてきた夢の階層のように、頭の中にもいくつも階層があって、「私」は複数の階層を見渡すことができている、ような気がしないでもない。

なんて考えているとちょっと頭がややこしくなってくるけれど、

例えば映画を作る人はきっと、その場面をどこからどのように描くかという風に頭の中で考えてコンテを描くのだろうと思う。そのような作業は次元ではかれないのではないか…と思ったりした。(たぶんそういうことじゃないんだろうけど)

そして、「ヒックとドラゴン」のトラゴンに乗るシーンは、どういう風に視線を動かしたら、見ている人が「乗れる」かということを考えて描かれているような気がして、それってすごいことだなと思ったのでした。

2010-07-21

[] 昔話/タイムカプセル

学校の卒業間近、裏門のそばにクラスの皆でタイムカプセルを埋めた。ガチャガチャのカプセルに、手紙と、友だちとおそろいで買ったキーホルダーを入れたのをよく覚えている。

その場所は池を作る工事のために掘り返されてしまった、というのはもうずっと前に聞いていたのだけど、先日、投票の会場が小学校だったついでにその場所を確認してみると、そこにできた池もすでに埋め立てられ、ただの草むらになっていた。当時の校長の趣味で、蛍を育てようとして、失敗したので埋めてしまったのだと、後から教えてもらった。

タイムカプセルを埋めた場所には、S君が作った木彫りの船が飾ってあったはずだ。私も色を塗るのを手伝った。工事までの数年でくたびれていたとしても、あのきれいな船を倒して、ガチャガチャのカプセルが詰まった缶を掘り出して、何も思わずに捨てたのだろうかと考える。考えるとすこし腹が立つけれど、その辺はもうずっと昔に、散々考えたことだ。

ただ先日、あの草むらを見て考えたのは、タイムカプセルを、約束どおり成人式の日に皆で掘り出すという未来(というか過去)は、あったのかもしれないということだった。マジックで名前をかいたカプセルから手紙を取り出して、読む自分想像する。そこに書いてあることを実行するという分岐も、どこかにあったんじゃないかなと思う。

ふと思い立って、その草むらを写真にとり、おそろいのキーホルダーを入れた2人にメールする。1人からはすぐに返信が来る。何度かやりとりをしているうちに、近いうちに会おうよ、という話になる。

そして、これはあのタイムカプセルがなくなってしまったからこそ起きた出来事なんだなーと思い、なんだか不思議な気持ちになった。私はあの手紙に、当時好きだった男の子のことや、飼い猫のことと一緒に、3人でずっと仲良くしていられますように、ということを書いたのだった。

校門を出る。ありえたかもしれない、タイムカプセルを掘り出す自分とすれ違ったような気分になって、こういう感傷的なところは、相変わらずだなあと思う。