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  □これまでの日記一覧

2015-12-14

[][] あなたを選んでくれるもの/ミランダ・ジュライ

「君とボクの虹色の世界」公開後、2作目の脚本執筆中にミランダ・ジュライが行っていたというある「ミッション」の様子を描いたノンフィクション。

そのミッションというのは、『ペニーセイバー』という、日本で言うところの「売ります買います」を集めた冊子に広告をのせている人たちに電話をかけ、インタビューを申し込む、というもの。この本はそのようなインタビューを写真入りで紹介していくという構成になっている。

しかし、この本が通常の「インタビュー集」と異なっていると感じられるのは、インタビューによって浮き彫りになるのがむしろインタビュアーの側、みたいに感じてくるところだった。

個人的な話になるけれど、今年私がやっていた仕事のひとつに、ある特定の悩みを持つ人たちに会って、話を聞いて、原稿にまとめる、というものがあった。

取材などに行くことはこれまでもあったけれど、書くことは私の本来の仕事ではない上に、人に会ってインタビューをするのはほぼ初めてのことで、私はこれをどう行えばいいか、かなり迷った。インタビューの相手は、ある悩みを抱えているという共通点だけがある、ごく一般の人であり、中には学生もいて、彼らの多くはインタビューを受けることは初めてだったと思う。私は当初、そのような場で接する大人として彼らを不快にしてはいけない、という気持ちが先立ち、しかしそのような甘い心構えで、本来この原稿に求められる核心的な部分に触れることができるのだろうかと不安になっていた。

彼らの悩みは切実なもので、だからこそ私は何度もそれにひきずられそうになったし、そのことで彼らの中に自分が見たいものを、見ようとしているだけなんじゃないか、と何度も考えた。

この本に出てくるインタビューは、もちろん私が行っていたインタビューとは種類の違うものなのだけど、私がこの本を読みながら真っ先に思い出したのはその、人に会って、話を聞くということは、結果自分を見ることと同じなのではないか、という感覚だった。

著者の中には常に、完成していない映画の脚本のことと著者自身の人生についての逡巡があり、出会った人たちに対して、これをその相手が読んだらどう思うのだろか? と考えてしまうような、あけすけな言葉も平等に書き連ねていた。

誰でも自分の物語は、その人にとっては大きな意味をもっているのだ。p36

この本におけるインタビューは、そのような他人の物語を自身で濾過し続ける作業のようだった。でも物語とは、そのように主観を通さなければ産まれないものなのだろう。そして、だからこそ、この本の結末に待ち受けている、贈り物のような出来事にたどり着くことができたのではないか、と思う。

この世界には無数の物語が同時に存在していて、ジョーとキャロリンもその一つに過ぎないのだと思うと、なんだか胸が苦しかった。(略)登場人物を誰もかれも入れることができないのは、なにも映画にかぎったことではない。他ならぬわたしたちがそうなのだ。人はみんな自分の人生をふるいにかけて、愛情と優しさを注ぐ先を定める。p229

この本はある映画が完成するまでのドキュメンタリーにもなっている。私はまだそれを見ていないので、近いうちに見てみようと思っている。そのようにして他者の物語を自身で濾過したときに、何が残るのか。それを見たくて私は物語を摂取するのかもしれない。

2015-11-17

[][][] この世にたやすい仕事はない

今の仕事をしていない自分のことを考える。

よく思い浮かべるのは、薄いグレーの制服を着て、非常階段で休憩しているとか、晴れの日は屋上で弁当を食べるとか、椅子がギイギイ音がすることが悩みだとか、そんな仕事内容とは関係のないこと。でも体育の授業で着替えるのも嫌いだった自分には、毎朝「職場で着替える」というのは少し億劫にも思える。

昔、友人が「毎朝通勤電車に乗る仕事が辛い」と言っていたことを思い出す。モノになったような気持ちがすることに耐えられない、と彼は言っていた。その言葉が切実なものだということは私にも伝わったし、それからしばらくして会社をやめ、フリー仕事で順調に活躍しているようなので、彼にとってそれはとても大切なことだったのだろう、と思う。

私自身はモノとして運ばれるのは割と心地が良いし、誰も他人のことを見ていないから都会の電車は好きだなと思う。けど、それはまあ、仕事場なりどこかへ行くことで、自分解凍されるという保障つきの心地よさなのかもしれない。

でもそんなふうに、仕事を選ぶ上では自分の心地よさとの折り合いをつけることが、大事なんだなと思っている。

津村さんの新刊は、津村さんの小説が好きというのももちろんあるけど、それだけでなくタイトルに惹かれて買った。

自分と年の近い主人公が、さまざまな仕事転々とするお話で、そのいくつかはすこし不思議で、でもどこかにこんな仕事があるのかもしれない、と思えるような本だった。個人的にやりたいのはおせんべいの袋裏を考える仕事で、絶対やりたくないのはポスターの仕事。ただどれもその場なりの楽しさや難しさがあって、

やはり、この世にたやすい仕事はないのだなと思う。でも仕事生活の一部であり、自分に適した仕事はきっとある

この世にたやすい仕事はない

この世にたやすい仕事はない

2014-03-28

[][] 「アズミ・ハルコは行方不明」/山内マリコ

アズミ・ハルコは行方不明

アズミ・ハルコは行方不明

一昨年読んだ『ここは退屈迎えにきて』(http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20121011/p1)がもうずっと忘れないだろうと思う1冊になった山内マリコさんの新刊

『ここは退屈迎えにきて』と同じく地方都市を舞台に、主に4人の登場人物の視点から描かれる物語。

「お前は? これからどうすんの」/p52

という問いから逃げ続けるような日々から抜け出したくて、寄り添って、また離れる。そこに杭を打ち込むことを選んだようでいて、実は表面をひたすらなでていただけ、という幾重にも重なった失望と諦念が、でも絶望になってしまわないようにぎりぎりで堪えているような状況描写が息苦しい。

一瞬だけ近づいて、すぐにすれ違い、もう二度と会わない。そんなつき合いをいろんな人と、何度も重ねてきた気がする。最近ちょっと絡んでいる的な、単発的な関係。/p193

からこそ、ラストに提示される可能性はやっぱりキラキラして見えてなんだかとてもまぶしかったし、主人公の女の子が求めていたものの結論としてはとても納得がいくものでした。それは『ここは退屈迎えにきて』の多くが恋愛ではなく友情について描いているのに近く、作者のテーマのひとつでもあるのかなと思います。

物語の大事なところに出てくる2つの映画、「イクジット・スルー・ザ・ギフトショップ」と「スプリング・ブレイカーズ」も見てみたいなと思いました。

少女ギャングの都市伝説のような描き方とかはちょっと古川日出男さんの「LOVE」や「ロックンロール七部作」のわくわく感を思い出した。