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春野町で暮らす山里日記 いちりん堂/楽舎 (池谷 啓)

2018-09-25

避難所で使える小さなテーブルを寄付したいと相談を受けたのだが

さきほど木工所の友人から相談を受けた。

自然災害が多い。これからもますます増えそうだ。避難所で必要なものは、たくさんあるだろう。

たとえば、食事をしたりお茶を飲む小さなテーブルなど、必要じゃないだろうか。

もちろん間仕切りとか、ダンボールの簡易ベッドのようなものが、いま必要かもしれない。

彼が言うには、自分のところは木工所だし、杉の板などたくさんある。

その天竜杉を使って小さなテーブルを寄付したい。

サイズは、300(縦)×600(横)×250(高さ)。ちゃぶ台ほどの高さだ。それを50セット。

なにか、送活用してもらうためにいい方法があるだろうか。そういう相談である。

まあ、実際にいま避難所にいる人たちに送っても、50セットでは、焼け石に水か。これから起こるかもしれない災害は、全国どこでも可能性がある。そのための備品にという考えもある。


しかし、それをいま行政に送ったとしても、どこにどう保管したらいいか、役人も困るかもしれない。

適当な村落あたりに、プレゼントしてしまうのが、手っ取り早いか。

こういうことを「呼び水」にして全国の木工屋さんが、避難する人のためのテーブルなどを作って送ったりすればいいのではないかと。彼は言う。


まあ、そのあたりは市会議員に相談するのがいいんじゃないか、とおもったり。

ということで、何かいいアイデアがありますか……。

山里での仕事 クラウドで共同作業が可能に

ぼくのメインの仕事は、編集と執筆、出版業である。東京がいいけれども、コストが高すぎる。自然の豊かな山里でも、仕事は可能だろうということで、東京から移住した。8年前のことだ。

なにごともそうだが、仕事はひとりではできない。出版の場合、取材、執筆、編集、デザイン、版下制作、印刷手配、販売、発送と様々な分野にわたる。そのほかにも、事務処理やら会計処理やら、たくさんある。かといって、人を雇う余裕などはない。また山里では、またそういう人材を見つけのはたいへん。

ということで、データを共有して、いろいろな人と共同作業するということになる。

その際、こうした仕事をしていて怖いのは、ひとつのデータに対していろんなバージョンが発生してしまうことだ。

データを加筆したり修正していった。あれれ、これは古いバージョンだった。徒労だった……。などということが、よくある。

とくに共同で作業する場合に、これは大きな問題となる。

それを避けるためには、クラウドを活用するしかない。クラウドであれば、つねに最新のデータ。データの送受信の手間も必要ない。

こうして、遠隔地の人との共同作業ができる。モバイルで作業ができることになる。

クラウドとして使っているのは、 Google Drive。そこには、ワードもExcelもPowerPointも画像の整理アプリもある。そこを自分の書斎にする。しかも、タダというのがすごい。

たくさんのデータのうち、特定のデータのみ共有設定ができる。ウェブ公開のみ、ある人だけに閲覧と編集と、共有者によって分けられる。

ありがたいのは、つねに最新のデータに更新されること。リアルタイムだ。上書きの保存忘れということはない。

また、データの保全もいい。これまで自分のパソコンがクラッシュしてデータが失われるということは、何度もあった。クラウドであれば、その問題はない。データは、自分のパソコン内にはないのだから。

もちろん、絶対に安全というワケではない。ハッキングもあると思うし、 Google が攻撃されて破壊されるとか、突然停止という可能性も、ないことはない。まあしかし、そこまでは考えない。もうGoogleにおまかせ状態になっている。

ということで、 Google で音声入力をしてテキスト変換、 Google ドキュメントでデータを作り、共同作業をする。ぼくのような編集・出版業の場合は、こうして作り上げていくことになる。

※文章は音声入力変換でつくった。また、こちらは、一昨日の講演を編集しているもの。こうして、クラウド上で作成し、共有と公開が可能。

https://docs.google.com/document/d/1sV85ynbS0-97oWjGNyqZvJTVNbkshwKC6CYD9Q_5h6U/edit

2018-09-24

お釈迦さまの国インド」の講演会 テキストにしました

お釈迦さまの国インド」の講演会。

インドの死生観、ヒンドゥー教と仏教の違い。インドの宗教、結婚式や葬式、先祖供養について。

昨日の臨済宗泰月院での講演会。ぼくとインド人の横田スワルナリさんの講演内容。ぼくは、ほとんど脇役で、メインはスワルナリさん。

聞いてくださる人は、年配の方が100名くらい。なるたけかみくださいて優しく話していただいたが、内容は高度だと思う。

音声入力のおかげで、半日で文章化ができた。ともあれ、話の流れに沿ってまとめてみた。青い色の部分だけが池谷の発言。まだ文字校正など、いろいろ不備なところはあるが。これから項目別にまとめてさらに読みやすくしていく。

こうやって、講演や講座をテキストにしていきながら「インド入門」の本を作っていくことになる。

https://docs.google.com/document/d/1sV85ynbS0-97oWjGNyqZvJTVNbkshwKC6CYD9Q_5h6U/edit?usp=sharing

夢の田舎暮らしにつきまとう「耳を疑う」現実 という本について

8年前に40年間暮らした東京から山里に移住し、田んぼもはじめ、200組以上の移住相談を行い、昨日もおとといも、月に数組の移住相談に応じている者としては、この視点は大切と思いシェアします。

https://toyokeizai.net/articles/-/238254?page=5

講演のテキスト入力が完了した、Googleの音声入力変換まおかげ

テキスト入力が完了した。昨日のお寺での講演、1時間半のインドの方との共同でのお話だ。「インド入門」の本を作ろうとしているので。こうして、地道な作業からコツコツと。

ふつうは、文字起こし(テープ起こし)など、業者に頼めば1時間あたり3万円くらいかかる。自分でやれば、3〜4時間はありまえ。ときには、半日がかり。

それが、Googleの音声入力変換を行うと、ほとんど自動的に近い形で可能となった(そのために、いろいろワザがあるが、またあらためて)。

すごいなあと感じたのは、たとえば「七仏通誡偈」(しつぶつつうかいげ)の話をした。過去に、七仏(お釈迦さまもその一人)が出現しているが、みんな「これこそが仏教の本質」だと言っている言葉である。

しちぶつつうかいげというものがあります。しょあくまくさ、しゅうぜんぶじぎょう、じじょうごい、ぜしょぶっきょうというものです。

ぼくが、こんなワケのわからない言葉を喋っても、即座に漢字に変換してくれる。こんなふうに。

「七仏通戒偈」というのがあります。「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」というものです。

ま、意味は「悪いことはしなさんな。いいことをしなさい。そのことで、自分の心を浄めなさい。それこそが真理を悟った人の教えだよ」というような意味いですけど。その背景は別の機会に。

Googleさん、まことにお利口。そして、日々、使うたびに、レベルがアップシていくのだと思う。これからも、もっとかんたんな方法を、探求中。

録音さえしておけば、ほっといても、寝ていても自動的に文字に変換していく方法がもっとあると思うのだ。

2018-09-23

ICレコーダとGoogleの音声入力の組み合わせ

ICレコーダとGoogleの音声入力の組み合わせを考えてみた。わりとうまくいった。

なにしろ春野という山奥に暮らしているので、まちなかに出かけるのに、往復50キロも100キロもかかる。往復で1時間も3時間もかかる。たまにしか出かけないにしても、運転の時間を活用したい

これまでは、運転しながらICレコーダにつぶやいて、それを文字起こしした。しかしこれ、かなりかったるい。なので、どんどんデータが増えて完全にデッドストックとなる。もう二度と聞くことはない。

じゃあ直接、音声入力がいい。ということで、iPhoneに向かって、音声入力した。こちらは精度が高い。しかし、運転しながらだとあぶない。交通規則違反。なので、時々クルマを停止しては、まとめて音声入力していた。

しかし、たびたびクルマを停めるのはかったるい。止める場所によっては、危険になる。

そこで、きょうのトライアルだ。ハンドルを握りながら、左手でICレコーダをもち、ひらめいたら録音していく。ラクだし交通違反ではない。操作は一時停止ボタンのみ。

そして、ここがミソだ。帰宅して、パソコンでGoogleドキュメントを起ち上げて、Googleの音声入力をセットする。指向性のマイクの横にICレコーダを置いて、再生する。そのままほうっておいたら、なんとか音声変換されている。これは楽ちんだ。

ただ、ICレコーダのスピーカの音質が良くないので、精度は低いな。いいスピーカにつなげれば、精度はあがるはず。そして、録音する時には、ゆっくりと正確に発音するクセをつければよい。そのことは、滑舌の訓練になる。あとは、ひとつのセンテンスの後に、間合いを置くこと。

ということで、こちらは音声入力をもとにして書いた。もちろん、すこし編集している。

インドの人とお寺で講演してきた

曼珠沙華が咲いている。彼岸の時になると、全国各地で同時に花ひらくというのが、とても不思議な花である。お彼岸の日曜日ということで、お墓参りに行く人も多いと思う。


今日は、お寺から講演を依頼されて、お話をしてきた。ぼくが「神社・寺カフェ」(いわば寺社のオープンハウス)を主催した縁で、お礼の意味も兼ねて呼んでくださったのだった。

浜松市の泰月院(たいげついん)という臨済宗のお寺。住職は、在家出身で、漁師も消防士も勤めたことがある。本山で典座(てんぞ)という精進料理の役を12年間。ボランティアで気功治療もするし、絵も描く。お寺の修理も自分でやったり、こうした集いも企画したりと、いろいろ熱心な方だ。

彼岸法要ということで、はじめにお経。「般若心経」「観音経」「息災延命呪」「白隠禅師坐禅和讃」「四弘誓願」。みなさん、大きな声でしっかりよんでいた。みんなでお経をよむと、呼吸法にもなり、ひとつのエネルギーの塊となって、場が落ち着いてくる。

それから、話をさせてもらった。テーマは、「お釈迦さまの生まれたインドという国」。横田スワルナリさんと二人三脚。スワルナリさんのほうが、ぼくよりも断然、話がうまいしおもしろい。なにしろ本場のインド人(東インドのベンガル州)である。ぼくは聞き役、補足の役目である。

お話の一部を録画した。「自分を救うのは、他人ではない。自分自身である。自分の心を清めることがたいせつ。それこそが仏教」というお話の部分。いろいろと熱心に質問も出て、話はしやすかった。

帰りには、二俣のマルカワの蔵に寄る。ここは、酒屋蔵を改装して、ギャラリーとなっている。ここにふらっと寄ると、いつも新しい出会いがあるのが、ありがたい。

ちょうど、インドのスズキ自動車の工場を起ち上げてきた方がおられた。インドでどのようにして品質管理を行ってきたかなど、聞くことができた。そこに作家の方も参加し、ぼくのインドの放浪記など、話も弾んだ。

https://www.youtube.com/watch?v=siBl48iYE2g&feature=youtu.be

2018-09-22

雨の中、あかりを連れてほたる公園に

家の中にずっといたんじゃつまらない。友だちと一緒に遊びたいよー、友だちと一緒に遊びたいよー。あかりが、泣いている。

でもね、この山里には、おんなじくらいの友だは、ちっともいないんだ。おじいちゃんと、おばあちゃんばかりだね。

それであかりを連れて、ほたる公園にやってきた。でも、外は雨が降っている。ずっとこの東屋の下で待っていよう。

この雨の中で待っていたら、友だちがやってくるかもしれないよ。

それじゃあ、待ってる。あかりは言う。

ほら、チョウチョが飛んでるね。草の中から、こおろぎの音が、ヒリヒリヒリヒリと聞こえてくる。鈴虫の音も聞こえるよ。リーンリーン。

あれれ、鳥の声が聞こえるね。いまピピーって鳴いた。あれはヒヨドリかな。それからカラスの鳴く音だって、聞こえるね。

これはね、猫じゃらしと言うんだよ。ほら猫の前で、ゆらゆら揺すったら、猫が遊ぶんだよ。

あの向こうに見える赤い花はね、曼珠沙華。お彼岸の季節に咲く真っ赤な花だよ。

見た目は、あかりちゃんとちょっと違うけれどもね。それもみんなお友だち。鳥さんも虫さんも蝶々さんも、お花も、みんなお友だちなんだよ。

雨も、しとしと降り止まず。さあ帰ろうかね。

おかあちゃんにおみやげ……。あかりが言う。

あかりは、葉っぱをひろう。彼岸花と紅葉を手折って、お母ちゃんへのお土産にした。


※iPhoneもって、雨の中、音声入力を使って書いた。もちろんあとで、編集したけれど。便利だ。

麻原彰晃との対談企画の顛末

「池谷さんは、オウムだという話があるんだけど、どうなの?」

いつもワークショプの会場として使っている国立市の福祉会館の館長から呼び出されて、そう聞かれたのであった。オウムが強制捜査されて、世の中が大騒ぎになったあとのことである。

「ええ?どうして、そういうことになるんですか」。

「じつは、そういう電話があったので……」

前年、麻原と南伝仏教僧侶との公開対談を企画していたわけだから、その話が、ヘンに伝わっていたのかもしれない。

当時、ぼくの主催するワークショップ(アートエナジー︰国立市)は、そういう目で見たら、それはアヤしい。

たとえば、アフリカンドラム10台を叩いて、真っ暗にして数時間も踊り続ける、インドのグルであるOSHOのダイナミックメディテーション、「鼓動」の元メンバーが和太鼓を叩いて、笛と太鼓で踊る、ヴィパッサナーの瞑想会、舞踏、シタールのコンサート、野口体操、フェルデンクライス、古神道行法、カバラの神秘など、いろいろやってきていた。

これらはみな、国立市内の公営掲示板にポスターを貼っていた(国立市の広報の許可印を押して)。そういう時代である。

ところが、オウム事件が起きてからというもの、瞑想とかヨーガとかインドとか、そういう企画そのものが、じつにアヤしいと見られるようになってしまった。アフリカンドラの響きにあわせて踊る、沖縄民謡の旋律で踊るみたいなものでもアヤしい目で見られるようになってきたのだった。

「ヘンみたいだよ……」。こういう人たちに「オウムじゃない」ということを証明するのは、難しい。そのときは、「いえ、まったくちがいます」と言うしかなかったわけだ。(続く)

これまでの記事 銑い楼焚爾

https://note.mu/ichirindo/n/ne963975a6951

https://note.mu/ichirindo/n/ne963975a6951

https://note.mu/ichirindo/n/ncb911b2cc988

https://note.mu/ichirindo/n/ncb911b2cc988

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2018-09-21

音声入力のメリット

音声入力のメリットは、書くことに対するハードルが低くなることだ。iPhoneあれば、家の中で歩きながら、ぶらりと散歩しながらでも、入力できる。メモ帳を持たなくなった。

運転していてひらめいたとき、車を止めて入力する。会議でも、「ちょっと待ってね。いまの確認のために入力するから」と。

シンプルノートやEvernoteと連動させれば、入力したものがそのまま同期・保存できる。あとで帰宅して、パソコンで編集が可能だ。遠隔地の人と共同作業も可能になってくる。

友人と電話やスカイプでの雑談や打ち合わせは、ICレコーダーで録音しておく。あとでそれを再生しながら、音声入力。新しい発想、新しい論理展開、新しい視座が生まれてくることも多い。

音声入力のメリットは、言葉化することで、自分の思想が整理されるところにある。それをFacebookなどで発信することで、共感を得たり、反論をもらったりする。そのことで、また新しい発想が生まれ、自分なりの思想の深みが生まれてくると思う。

ということで山里に暮らしていても、全国、いや全世界に発信することは可能なわけだ。そして、どんな地域であろうとも、共感できる友人を得ることが可能になってくる。

たえず発信をつづけ、共感できる友人を得てゆく。やりとりを深めながら自分の考えを深めていく。それが人生の一つの大きな喜びとなっていく。

山里の過疎化対策について

山里の過疎化対策というのは、全国的にとっても難しい事業であることは間違いない。過疎地は高齢者ばかり。活気はなくなる一方。ガソリンスタンドもなくなる、買い物のできる店もなくなる。医療施設もすくない。

なにしろ過疎地というのは、仕事がない。だから、みんなまちなかに行くわけだ。自分で仕事を作れる、あるいは貯蓄の余裕がある人でないと、なかなか移住できない。

しかし、定住の可能性はある。とくに、若い人たちに、山里に住むことにメリットがあることを、具体的にアピールできるかどうか。

以下は、ぼくができることは、ひとつもない。ので、行政に期待するところとして、備忘録として書くだけのことでしかないが。

まず、子育ての家族に、山里暮らしはメリットがあるということを、行政が示すことができるかどうか。

たとえば、若い夫婦向けに安い家賃の住宅があるといい。南信州では、そのことで出生率が大幅に上がった村(下條村)もある。保育所が近くにほしい。むつかしいなら保育ママ制度(資格のある人が自宅で子どもを預かる)を活用する。

お試し住宅をたくさん作る。一年くらい限定で、山里暮らしが体験できる。その間に、人間関係もつくりながら、空き家を探す。お試し住宅には、廃校になった教職員住宅などを活用する。

クルマ社会だから、豊かな自然の春野で子育てをしながら、まちなかまで通勤が可能である。そのための通勤補助制度も考えられる。

たとえば、都田に移転するスズキ自動車に勤務する予定の夫婦が、春野町で子育てをしたいということで訪ねてきたことがある。春野から浜北や都田ならば、クルマで1時間余でいける。十分に通勤は可能である。春野はバイパスが整備されているので、道路事情はとてもよい。


通勤しながら、まちなかにある保育所に預けることができればいい。仕事に行くときに、子ども預け、帰りに一緒に帰ってくるというスタイルもある。

しかし、過疎地に移住することが、浜松市にとって経済的なメリットがあると感じるのかどうか、ということもある。

もう、そんな山奥には住まないでほしい。過疎地は、消滅してもらいたいという気持ちだってはたらくと思う。山奥に人がいるばかりに、橋が崩れた、崖が崩れた、道が崩れたと言うと、補修費用に何億、何十億とかかるわけだし。

ても、メリットもいろいろある。すなわち若い人が移住すれば、なにより山里に活気が生まれる。経済循環もはたらく。集落の見守り支援にもなる。災害時におけるサポートにも貢献する。そしてなにより、集落としてとしての維持継承が可能になってくる。

ぼくは都会暮らし40年から山里に移住して8年。山里に、暮らすメリットはいろいろと気がつく。もちん、影の部分もあるが、またそこは別の機会に。

やはり自然が豊かだと、気分がいい。子育てにもいい。清流の気田川、豊かな森林、そのまま冒険ランドとなる。カヤックやキャンプなどアウトドアが好きな人には、いいかもしれない。また春野は、他の中山間地よりも移住者が多いほうなので、多少の風通しの良さはあると思う。

耕作放棄地もたくさんあるので、田んぼや畑をやりたい、有機農業をやりたい人には、向いている。「ラブ・ファーマーズカンファレンス」のような有機農業者の集い、山里の暮らしをみてもらう交流の機会、地元と移住者が行う「春野人めぐり」なども、年に2〜3回やっている。

それらの企画の起ち上げには、協力させてもらった。イベントを通してのネットワークづくりもまた、たのしい。都会では味わえない豊かさの一つである。

妻との会議も音声入力で

昼食前には、妻と NPO 法人などのやることの打ち合わせ。

各自がパソコンを起ち上げて、共通の黒板としてGoogleドキュメントを使う。話しながら、それを文章にしていく。リアルタイムで議事録。あとでまとめるということはしない。

やはり音声入力だと、抜群に効率がいい。ぼくがポイントをマイクから音声入力してゆく。Google の精度が高いといってもやはり間違いもあるので、妻がリアルタイムで文章を直し、たがいに文章を編集していく。

頭の中を言葉にすることで、文章となって整理され、リアルタイムで編集される。これは、執筆と編集作業として、なかなかいい方式と実感した。

そして、これから音声入力の精度はどんどん上がっていくので、仕事は楽になっていく。スマホからも入力できるわけで、ワンコの散歩中に、あるいは食事中でも思いついたら、音声入力している。

そのままGoogle のクラウドに入れて共同編集が可能。なので、遠隔地の人との共同作業が可能である。こんな山里でも仕事ができることになる。

一昨日は、本を出したいという京都の友人から、電話をいただいたので、そのままインタビューに入る。 iPhone のスピーカーで語り合いながら、それを録音。その日のうちに音声でテキスト入力できた。あとで、Cloud上で、お互いに加筆修正していけばいいわけだ。

この形でやれば、遠隔地の人と電話や Skype でやり取りをしながら本作りが可能である。音声入力の速度は相当早く進歩していくし、喋り言葉の自動翻訳も進歩する。

そういうなかで、大切なのは、メッセージ力である。言いたいことをわかりやすく、よみやすく、迅速に伝えること。そんなところで、トライアルの日々。

神仏キリスト教の同居のパンフ

朝のトップスピード。あかりとぬいぐるみあそびをやって、保育所に連れていく。帰宅して、Facebookの友人の中島敬子さんが描いてくださった絵をもとに、来年の「神社・寺・教会カフェ」のパンフレットづくり。タイトルは、要検討。

一輪の花に無限の宇宙あり。そんなイメージですかね。いろんな神さま・仏さま、なんでもいいとはいわないけれど、すべてあなたの心の中にある。そんなきっかけ作りの企画。

今回は、キリスト教会も参加してもらうので、神仏キリスト教の同居のパンフが難しかったところ。この一輪の花で、すべてをあらわすということに。

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できることしかできない。やれることしかやれない

これをやろうという目標は、毎日ある。たくさんある。けれども、その10%もできない。

妻も同様。毎日、不全感が積み重なるので、それは心身が疲労する。子育てに時間とエネルギーをとられるというのは、とても大きいんだけれど。

そもそも、できもしないのに、見極めずに、やろうとしているからだということはある。

まあ、できることしかできない。やれることしかやれない。なんとかしなくちゃいけないけれど、まあなんとかなるという心がけも、もつ。しかし、なんともならないという事態もでてくる。そのあたり、あぶないバランスを保ちながら、ゆらゆら揺れながら暮らしている、ということになる。

人間というものは、瞬間瞬間、自己採点している。これじゃだめだ、という自己採点の低さが、エネルギーを消耗させる。うん、うまくいった。おお、これでオッケーということになると、がぜん元気になる。

ということで、目標値を下げて下げて、できることだけをしっかりとクリアーしていく。やっと動き出せばいい。そうすると、慣性の法則で、難しいことにもトライしていこうという意欲も出てくる。と、うまくいくことがある。

できることだけをしっかりとクリアーしていく。それは、仕事を小さく小さく区切って、そこは確実にこなしていくということになる。まあ、一歩、一歩の積み重ねが登山ということなんだろう。あきらめなければ、いつか山頂にはたどりつくかか。

2018-09-20

いきなりトップスピードに入る仕事ぶり

「よしこれでいこう・いきたい」とあらたらめて定めたのは、「いきなりトップスピードに入る仕事ぶり」というところ。

これは、尊敬する脳科学者の茂木健一郎のよく言っていることだ。かれの講演などに接すると、いきなり高いエネルギーで話をすることがよくある。いきなり「トップスピード」に入るのだ。

準備も試運転も必要ない。ぐずくずしない。パッとその瞬間に集中力を上げる。あれこれ考える前にパッとやってみる。

そういう生き方、日常のあり方に、いきなりもっていきたいものだけれど。以下、茂木さんサイトからの引用。

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「すぐやる脳」をつくる「三つの法則」茂木健一郎

私自身、毎日トップスピードで、精力的に働くことができています。なぜなら、「脳内ダイエット」で自分が取り組むべきタスクをあらかじめ整理し、「やる」「やらない」というボーダーラインを明確にしているからです。

けれどもそうして脳内にスペースをつくっただけで、行動力や創造力が勝手に生まれてくるわけではありません。動きが軽やかで、アイデアがどんどん湧き上がる脳、これこそが「すぐやる脳」の重要な特徴です。「私は長年の経験から、そうした行動力、創造力を生み出すために効果的な三つの法則をあみ出しました。これからご紹介しましょう。

まず第一の法則が「瞬間トップスピードを習慣化する」ということです。これは、往年の人気プロレスラーの名前を取って「タイガー・ジェット・シン方式」などと言い換えることもあるのですが、ともかくいきなりトップスピードで、すぐに行動に移すということです。タイガー・ジェット・シンは試合のリングに入るやいなや、花束贈呈のセレモニーを待たず、いきなり相手につかみかかり戦闘を開始、一瞬にして会場の熱気を最高潮へと持っていきます。この「瞬間トップスピード」が、行動力強化のために必要なのです。

そもそも人間がいきなり行動を開始するためには、脳の背外側前頭前皮質(dorsolateralprefrontalcortex)という回路を鍛えることが必要です。

私がよく学生に言うのは、「キミたち、勉強するときにぐずぐずしているだろう?そうじゃなくて、勉強をしようと思ったら、パッとその瞬間にやるんだよ」ということです。

みんな最初はなかなかそれができないのですが、脳の回路も筋肉と同じで、毎日続けることで強化されていきます。

私の場合、仕事を立ち上げてからトップスピードに至るまでの時間が非常に速いと自負しています。

たとえばそれは、最近始めた英文のライティングでも効果を発揮しています。とにかくウォーミングアップもなしに、PCをパッと立ち上げたと同時に、すぐさま書き始めるのです。そこには準備をするという意識がありません。どうしたらできるのか?それは先ほども言った「特別に意識せず、その行為を習慣化する」ということなのです。

歯磨きでもするように、あれこれ考える前にパッとやってみるのです。何度か試しているうちに、ある日、考えずにできている自分に気がつくはずです。

第二の法則が、「雑談の時間をつくる」ということです。どうしても、日本人は準備や根回しに時間をかけてしまいがちです。それを物語るのが、「打ち合わせ」ではないでしょうか。

私自身、不要な打ち合わせはお受けしないよう心がけています。多くの打ち合わせでは、ほとんどの時間が本題とは関係ない話で終わっています。本来、この無駄な時間は、もっと創造的に使われなければいけないはずです。

だから私はメールで済む場合はメールで済ませ、創造的なコミュニケーションが必要な場合には雑談の時間を取るのです。雑談はとてもクリエイティブな行為です。特定の目的を持たない、創造性に富んだ自由なコミュニケーション。それは脳のマッサージであり、同時に様々な価値観が芽生える脳のサプリメントでもあります。

経済の話をしていたはずが、いつの間にか流行の漫才コンビの話にすり替わり、あげくの果てに、小学校時代の懐かしいケシゴム遊びへと脱線していって――。その場の雰囲気でガラリと変わっていく話の様子は、ほとんどミュージシャンのジャムセッションです。この雑談の時間をつくることで、創造力は大きく飛躍します。

結果、実質的な打ち合わせも省力化できるため、トップスピードでこなせます。まさ「に一石二鳥です。

第三の「すぐやる脳」の法則は、「ベストエフォート方式」です。真面目な人や完璧主義者にありがちなパターンなのですが、たとえば英語を勉強しようと決めて三日目までは続いたのに、何らかの理由で四日目にできなかったときに、「ああ、やっぱり私にはできなかった」「これだから、私はダメなんだ」と嫌気がさして、以後はすっぱりやめてしまうことがあります。

でも、よく考えてみてください。四日目にできなくても、五日目からまたやってみるほうが、そこであきらめてしまうよりはるかによい結果が待っています。「このように、あきらめてやらないよりも、途中からでもやったほうがいいじゃないかという考え方が、ベストエフォート(最善努力)方式です。「やる気を持って何かをすぐやるときには、「ベストエフォートでいいんだ」ということを、徹底的に自分に叩き込むことが大事なポイントになってきます。

もちろん私自身も何かを始めてみて、できない場合があります。

確かに、そのときには罪悪感や「あ、ダメだ」という気持ちも起こりますが、その「心のゴミ」のようなものを処理する時間が短ければ短いほど、その後の展開がよくなると実感しています。

このベストエフォート方式で、「やれる範囲のことをやる」という哲学を骨の髄まで染み込ませる。そうすれば、自分に対して言い訳をする必要がなくなります。うまくいくコツは、罪悪感などの「心のゴミ」をできるだけ速やかに処理すること。するととてもスッキリして、すぐやる勇気が湧いてくるのです。

2018-09-19

「哲学と仏教 生き方講座」2回目/9月30日13時半〜

講師︰長野貴晃

1部︰13時半〜16時(2時間半)

2部︰17時〜19時半(2時間半)

参加費︰各千円(1部・2部)/要予約 TEL080−5412−6370(池谷)

主催︰いちりん堂

会場︰県居(あがたい)協働センター(商工会議所隣)

浜松市中区東伊場二丁目7-2

駐車場︰有(無料)

バス︰浜松駅バスターミナル5番のりば「宇布見山崎」線、「商工会議所」下車、商工会議所南

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一方的な講座ではない。参加者の質疑応答が中心。その内容によって、いろいろいろな展開となる。池谷が司会とインタビューを兼ねる。1部と2部両方への参加も可能。

暮らしのなかに悩み、苦しみ、葛藤があって、いまその突破口がほしいなど「暮らしからの問い」を軸に、こたえてもらう。

たとえば、子育て、子供の教育、借金、自殺しそうな人のこと、仕事が苦痛で楽しくない、先祖供養。あるいは、環境問題、過去世、カルマの解消、仏教の難しい論議、哲学的なこと、およそなんでも質問オッケー。

そうした問いに対して、長野さんは、適確に答える。長野さんは、即座に、明快な深い答えをくださる。池谷がまた噛み砕いて質問して語ってもらうこともある。そうした役割を務める。

自分というものは、無限な能力がある。この現実は自分が選択したもの。けれども多くの人は、その無限の可能性を封印している。あえて苦しい道、努力の道を選んでいる。そのこと自体は、魂の学びなのかもしれないが、瞬時に苦を楽へと転換できる世界はあるのだろうか。

長野さんは44歳。塾を経営している。浜松北高、京都大学医学部卒。しかし、二年生のとき、悟りのような体験をして以来、普通の暮らしはできなくなったという。医師の道は歩んでいない。ギリシア哲学、諸子百家、インド哲学、仏教、チベット仏教、大本の経綸などについて、たいへん濃縮した深い著作がある。

山里暮らし相談会&雑談会 9月30日(日)10〜12時

田舎暮らしの事例、いろいろな暮らしぶり、移住しても失敗した例、空き家、耕作放棄地、子育て、仕事のことなど。講師は、春野町に移住して8年の池谷。ま、ふらっと池谷と雑談に来てもらって結構です。

日時︰9月30日(日)10〜12時。

参加費︰無料/要予約 TEL︰080−5412−6370(池谷)

主催︰NPO法人 楽舎/浜松市後援

会場︰県居(あがたい)協働センター(商工会議所隣︰浜松駅からクルマで8分)和室

住所︰浜松市中区東伊場二丁目7-2

駐車場︰無料有(49台)

バスの場合︰浜松駅バスターミナル5番のりば「宇布見山崎」線、「商工会議所」下車、商工会議所南

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田舎暮らしをしたいと相談によく訪れる。メールなどで問いあせが来る。この8年で、200件以上の移住相談をし、10組14名ほとほどの移住があった。

山里暮らしは、自然が豊かで、田んぼや畑もできるし、スローライフに素晴らしい。山里の資源は、無限にある。活用次第だ。山、森林、お茶、山菜、耕作放棄地、川の幸、なにより山里暮らし達人、これはすごいという人がいたりする。

けれども、さて移住しようと言うと「空き家がない」。いやじつは、山里は空き家ばかりだが(しかも、どんどん増えている)、かんたんには貸してくれない。

「仕事がない」。蓄えがあればローコストな暮らしでやっていけるが、そうでないと行き詰まる。働く場が、そうそうはないのだ。若くて元気でコミュニケーション力があれば、いろいろ仕事は作れるとは思うが。

「地域の閉鎖性」。山里はいろいろつきあいがある。「人生の楽園」のように、そんなにやさしいわけでもない。このあたりは、地域によって温度差がある。人によっては楽しめたり、プレッシャーになったり、一概には言えないが。

先日、空き家を探しに訪ねてきた方は、春野でジビエに関わる仕事するということで、「仕事はある」。しかも、定年退職して、余裕もある。

もともと、春野の生まれだから「地域の閉鎖性」というのは、感覚的にわかるし、溶け込みやすいかも。しかも、近隣の都市からの移住なので、行ったり来たりできて、そのあたりは気がラクだろう。

問題は「空き家」だ。これが、かんたんにはみつからない。廃屋のようだ、遠すぎる、家主がわからない、予算よりも高い……など。

たとえば月に1万円以下のものを探そう、景色も良くて、居心地よくて、日当たり良くて、職場にも近くて……というところも、ないことはない。しかし、やはり時間がかかる。

「あきらめない」。絶対に見つかる、見つけるという強いイメージで探す。人間関係ができれば、そこから紹介の道が広がる。地域の人は、その人柄をみている。いい人だよという口コミは強い。

「どこかで妥協する」。いろいろ苦労して探して、遠いけど、きれいじゃないけど、これならいいねも仕方ないねと妥協できるわけで、いきなりぽんと理想的なところは難しい。

「できるだけ通う」。そこの暮らしに接すること。どんな暮らしをしているのか、どんな人がどこにいるのか。そのあたりが、とてもたいせつ。

2018-09-18

4年目を迎える「神社・寺カフェ」にキリスト教会も

来年、4年目を迎える「神社・寺カフェ」。市内の30以上の神社と寺院が参加してくれている。それぞれの寺社では独自の企画で、一般の人を迎えてくださる。一般の人が、神主や住職と自由に語らいのできる〈きっかけ〉となる。

さて、この飽きっぽいぼくが4年も続けるのは、珍しい。なにしろ同じことを繰り返せない。なにか変化をつけたい、新しいワクワク感がほしい。

じつは新興宗教が参加してくれれば、活気があってじつに面白い。とはおもうのだが、いろいろ厄介。勧誘されたり、あとでトラブルになったりするかも。寺院としては、一緒くたにされるのは、嫌がるかも。なにより行政の協力は得られにくい。

そこで、やはり「伝統宗教」だ。地域の寄り合い場になりうるものとして、キリスト教会に参加してもらうことを考えた。なにしろ、こちらは宗教としては、2,000年の歴史。心の癒やしの場、社会貢献として数々の実績は、むしろ既成仏教よりも活発かも。

ただ教会というものは、牧師や神父の所有物ではない。共同運営のようなもので、長老会の許可が必要だったりする。また、キリスト教といっても、なかには過激なプロテスタント教会もあるので、要注意。

そこで、いつものように。縁のあったところからはじめることとした。きょう、たまたま天竜材でつくったすばらしい建築の教会のことを知ったので、そこに電話してみた。

ところが、電話したのは、そことは別の教会であった。まちがえた。でもまあ、そのことも縁だと思い、企画の趣旨を説明した。

奥様、そして牧師さんが電話に出てくれた。参加を打診したら。はい、ぜひ参加させてもらいます(幹事会の許可が必要だが)ということになった。浜松では歴史のある教会である。

ということで、キリスト教会も参加してもらう方向に動き出したところである。

あかりとお絵描き

おとーちゃんあそぼう。あそんでー。

パソコンに向かっていると、全体重かけて手を引っ張る。あ、まったと言ってもきかない。

ごろっと横になると、起きてー、ここに坐って。枕を持っていってしまう。メモなどしようものなら、手帳とペンを捨てられる。本などもってのほか。

なにしてあそぼうか。

ぬいぐるみごっこー。

あかりが、たくさんのぬいぐるみをもってくる。ちゃぶ台の上に並べて、あそぶことになる。

あるとき、森のなかでうさぎさんが歩いているとね。カンガルーがやってきてね。やあ、どこにいくの。山に行くんだよ、じゃあ、一緒に行こう。おやあそこに山小屋があるよ。行ってみよう。すると、そこに大きなクマさんがやってきて、ギーっとドアをあけました。

……みたいな話になるわけだけれどね。ネタも尽きる。さほどの発展性もない。ので、つづけていくとつらくなる。楽しくない。親もたのしまないといかんのだね。

そこで、お絵かきにシフトする。A3のコピー用紙を持ってきて、その風景描く。基本の絵を描いて、あとはあかりに描かせる。すると、どんどんと場面がひろがっていく。

雲がやってきてね、山小屋が燃えちゃうの。へー、それはたいへん、どうすると。あのね、ぞうさんがきて、鼻から水をかけてくれるの。それはよかった。消防車はくるの? たくさんくるよ、

みんなで水をかけたら、海になっちゃった。へええ、海に。それはたいへんだ。みんな溺れちゃうね。そうするとね、クジラさんがやってきて、空からはプテラノドンが飛んできて、助けてくれるの。

……というふうに、飛躍していく。それを見守っているというのが、今のところ楽ちんである。描くのも楽しい

しね。

まあしかし、子育ては、魂の修行になるまあ、逃げられない、やめられない。毎日、えんえんとつづく。休めない。こうして原稿を書いているとも、またもやあそぼうと手を引っ張ってくるのだった。

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麻原彰晃との対談企画顛末記(4)

麻原彰晃×南伝仏教僧侶の対談の企画は、ほぼ日程も決まり、あとはパンフレットの内容を詰めていくことになった。

しかし、半月たってもオウムの方から音沙汰がない。やがて、オウム出版のMさんから電話があった。

「じつは、シンポジウムができなくなりました。キャンセルさせてください」。

「え?どうして? そちらのほうから依頼してきたのに」。

「尊師が重体となったんです。山梨の道場の上空に米軍が飛行して、空中から毒ガスを散布されました。いまオウムが攻撃されているんです」。

米軍機による毒ガス散布? まことに奇妙で信じられない話である。だが、そう言うのなら、仕方がない。この話はこれでおしまいということになった。

そうして、その1か月後に、松本サリン事件があった。

このとき、もしやオウムの仕業では?とピンときて、Mさんにそのことを話した。「私たちが、毒ガス攻撃に遭っているのに、そんなバカなことするわけがないじゃないですか」と彼は言ったした。

その翌年、地下鉄のサリンの事件があり、オウムのサティアンが強制捜査。信徒が次々と逮捕されていった。マスコミはオウム報道ばかりとなった。

やがて、ある時、いつもワークショップ会場に借りている国立市の福祉会館の責任者から、呼び出された。「池谷さんは、オウムだという話があるんだけど、どうなの?」と館長は言うのだった。(9/16から連載中︰つづく)

2018-09-17

麻原彰晃との対談企画の顛末(3)

オウムは、解脱に至る基本的な修行法である「四念処」の「念」(サティ)については「記憶習修」としていた。ま、これは東大の中村元大先生も含めて学者の多くが、そのようにとらえていた。(いまではほとんど学者の主流は「気づき」=アウェアネス、マインドフルネスというふうになってきているが)

オウムにあっては、この身体は、無常であると記憶して忘れない。この心は、無常であると記憶して忘れない。……と繰り返し、記憶するような行法になっていた。

「これが真理である」として権威として与えられたものを、記憶して忘れない、身体に叩き込むというあり方である。偉大な権威=グルによって与えられたものを、無批判に受け入れ繰り返している。それはそれで、修行になるわけだけれども。

ともあれ、オウムの行法のすべてにわたって、「気づき」というポイントが欠落していると感じた。神秘的・通力的な「力」を獲得していく。達成していくことを、行法のメインとしている。

そのあたりのオウムの修行論まで、対談ができたらおもしろいな、そう考えた。それで、いよいよ、具体化の打ち合わせに入ることになる。

ある日、オウムの人たちが下見に訪ねてきた。タントラ・デュパ正師という女性幹部と杉並道場の責任者のTさん、オウム出版のMさんの3人だ。

かれらの対応のあり方は、とても誠実で真面目。話をしているとき、ビシッと結跏趺坐して不動。姿勢はまったく崩れない。かといって、緊張しているわけではなくリラックスしている。さすがだなあと、感心した。当時のぼくなどは、結跏趺坐など長時間できないし、体はグラグラ動くありさまであつた。

「じゃあ、会場の下見をしましょう」ということで、一緒に国立福祉会館の多目的ホールに行く。かれらは、会場の寸法など測っていった。「うん、ここなら尊師のリムジンも入る」と。そして、「また詳細は、詰めていきましょう」ということになった。

ううむ。そんなに気乗りはしないけれど、この流れで進みそう。あのド派手な衣装(クルタ)を着たオウムの人たちが、この国立のまちにやってきるのか。そして、麻原彰晃その人が来るのか。

そうイメージすると、いやあこれはちと不安かあるかなあというのが正直なところであった。(以下、つづく)

2018-09-16

麻原彰晃との対談企画の顛末(2)

麻原の対談本に、スリランカのチャンドラシリ僧との対談「四念処から阿羅漢までの瞑想ステージ」とか、アーナンダ・マイトリー僧、ラーフラ僧との対談などがある。(『世界は尊師を待っている』オウム出版)。

麻原は、自分の神秘体験を交えて話をしていく。

──最終的な段階になると光の粒が生じ、六神通の段階に入るはずです。六神通の最終的な段階では経験の滅尽が起きるはずですが、そのときに光の粒の海が見えて、その光の海の一つ一つが衆生の流転を表していることを認識できる状態になっているはずです。

そして、それは表層の意識に戻るときには光として見え、深い意識状態に入ると、その粒は一つ一つの魂の経験、魂の流れを表しているという状態が来るはずです。

そこでお尋ねしたいのですが、この状態の次にはどういう経験をするのでしょうか。

そして、スリランカの僧は、語る。

──最も高いステージというのは、パンニャー(智慧)の開発です。この我々の生命の完全な理解のことです。これが瞑想の最高段階といえます。(中略)

どのように思考が生じ、そして去っていくかという過程を理解しなくてはいけません。その心というものについて、一瞬に注意を深く心を傾けなくてはいけません。心の本質というものを吟味しなくてはいけません。

わたしたちが心と呼んでいるものは、思考が生じ、思考の発生、およひ消滅の流れでしかないことを理解します。

そして、このように、消滅、発生を繰り返していって、これが苦みであり、そして本質が存在しない、本質不在のものであることを理解します。

このようにして、心の観察を続けていくと、最終的にわたしたちは、心全体というものかスンニャッタ(空性)であるということを理解します。

……このように、なかなか興味深い対談である。ま、結局は、論点がすれ違いのまま、上滑りに終わってしまう。

ぼくは、こんな公開対談を、麻原彰晃と南伝仏教の長老との対談を企画したかったのだった。

麻原彰晃との対談企画の顛末(1)

「ぜひ尊師の説法会をやらせてほしいんです」

「え? 説法会って。でも麻原さんって来てくれるの?」

「はい、喜んできますとも。ぜひ、お願いします。池谷さんが主催するワークショップに来る人たちは、瞑想に深い関心が多いから、ぜひ、尊師の説法を聞いてもらいたいんです」

Mさんから頼まれた。かれは、オウム出版に勤めていた。

──へぇぇぇ。それは、面白いかもしれない。

当時、ぼくは東京の国立市でアートエナジーというワークショップを運営していた。瞑想、ボディワーク、アフリカンドラム、ダンス、シタールなどコンサート、曼荼羅アート、新体道、野口体操。

さらにはカバラ、クロウリーの魔術だろうが、古神道だろうが、おもしろそうなことは何でも企画していた。NHKやアメリカのウォールストリート・ジャーナルテレビなどからも、取材の申込みもあった。そんな時代である。

その参加者のなかにMさんがいた。その彼からの提案であった。

じゃあ、企画してみようか。テーマは、「瞑想と気づき」でどうだろうか。

でも、麻原だけの説法だとオウムの布教の手伝いになってしまう。公開シンポジウムができないだろうか。

オウムは、クンダリーニ・ヨーガの行法、原始仏教、そして大乗、さらには後期密教、チベット仏教に至るまでのいろいろな行法を提供していた。麻原の説法に「原始仏典講義」などもあり、「沙門果経」講義などを読むと、体験的に瞑想の境地を微細に述べていた。

けれども、原始仏教を基礎としているというが、どうなんだろう。たとえば、三十六菩提分法の中核にある四念処。その「念」について。どうもちがうと思っていた。

ぼくの捉え方は、「念」=「SATI」=「AWARENESS」=気づき。いまはやりのマインドフルネスである。しかし、オウムはどうも違う。気づきではなくても達成主義・能力獲得主義であった。

そこを論点にしたらおもしろいと思った。そうして、一方的な説法ではなく、南伝仏教の長老と対談したら、そこが明確になっていくのではなかろうか。

そこで、長老に麻原との対談の話をもっていくと「ああ、いいですよ。やってみましょうか」ということになった。

当時の麻原は、東大とか東工大など全国の大学など、盛んに講演会活動をしていた。マスコミにもよく登場した。朝ナマ、とんねるず、ビートたけしとの対談。

知識人たちも称賛していた。吉本隆明、中沢新一、荒俣宏、栗本慎一郎、島田裕巳など。山折哲夫も対談していた。寺院向けの新聞。中外日報などもオウムを好意的に報道していた。そんな時代である。(続く)

2018-09-15

田舎暮らし相談会/哲学、仏教、生き方講座◆9月30日

今月末、9月30日(日)の行事。

山奥から出てくるので、まとめて講座と相談会を行います。

◉田舎暮らし相談会︰10〜12時……田舎暮らしの事例、いろいろな暮らしぶり、失敗例、空き家、耕作放棄地、子育て、仕事のことなど。ま、池谷と雑談したい方もどうぞ。

参加費︰無料/要予約 TEL︰080−5412−6370(池谷)

主催︰NPO法人 楽舎

◉哲学、仏教、生き方講座長野貴晃 講師

1部︰13時半〜16時(2時間半)

2部︰17時〜19時半(2時間半)

参加費︰各千円(1部・2部)/要予約 TEL080−5412−6370(池谷)

主催︰NPO法人 楽舎/いちりん堂

会場︰県居(あがたい)協働センター(商工会議所隣)

浜松市中区東伊場二丁目7-2

駐車場無料有

浜松駅バスターミナル5番のりば「宇布見山崎」線、「商工会議所」下車、商工会議所南

いま長野貴晃さんの本作りにトライしている

いま長野貴晃さんの本作りにトライしている。長野さんは、天才的で、とてつもなく深い内容の原稿を学生時代に書き上げている。

だがそれは、たいへんに濃縮されたもので、普通の人には難しすぎる。ので、読みやすい、わかりやすい、それでいて生き方の深いところから学びがあるというようなものを作りたい。そう思った。

ではまず講座を開いてみよう。ということで、先日は5時間近くの講座をひらいた。一方的な講義ではなくて、すべて参加者からの質疑応答。池谷が司会とインタビューとして関わる。

生活からの質問、具体的な生き方の質問など、それに対して深いレベルからの回答が出てくる。それをテープ起こし、テキストにして編集するわけだ。

そして、長野さんとは、定期的にスカイプでやりとりする。それを録音して、またテキストにして編集する。

かつてこういう作業は、かなりのストレスだった。テープ起こし、文字起こしは気力と忍耐がいる。ぼくには、いわば炎天下の土方仕事に近い。

それが、いまはとてもかんたんにできるようになった。ひとつは、Googleの音声入力の精度が上がってきたからだ。

Googleドキュメント(Cloudにあるワードみたいなもの)を起ち上げて、マイクで音声入力、それが自動的に文字に変換される。精度が高い。それを即編集する。

さらにそれを長野さんとデータ共有して、加筆修正してもらう。Cloudなので、上書きされてデータはつねに最新なわけだ。

しかもGoogleドキュメントのすごいことは、上書きされたものが、過去にいくらでも遡れることだ。過去のデータが無限にあるということになる。なんともGoogle社のメモリーの量は天文学的な驚異だ。

長野さんは、これらのやりとりをもとにして、さらにいま詳しい理論編を執筆している。リアル対話版を本にした本と、その背景にある理論的な本と、同時に二冊を作ることになる。

この編集作業自体がおもしろい。なにしろ内容が深いし、生き方のありようを変換させるところがある、本を作る過程がそのまま深い学びになり、生き方につながるわけだから。

これで、ちゃんと形にできて、本として売れれば、こんなに楽しいことはない。まあしかし、そこはわからない。それは、これからのお楽しみということになる。「池谷さん、最後に種明かしが起きますから」と長野さんが言う。

※長野さんの2回目の講座は、9月30日に開催する。

1部︰13時半〜16時(2時間半)

2部︰17時〜19時半(2時間半)

会場︰県居(あがたい)協働センター

(商工会議所隣)

浜松市中区東伊場二丁目7-2

参加費︰各部 千円

アクセス︰浜松駅バスターミナル5番のりば「宇布見山崎」線、「商工会議所」下車、商工会議所南

2018-09-14

「農的暮らし」の実践者たちとの交流会 ラブファーマーズ・カンファレンス開催(浜松市春野町)

「第4回ラブファーマーズ・カンファレンス」が8月31日〜9月2日、浜松市天竜区春野町の野外施設「春野山の村」で開催された。2015年から、毎年、春野町の同会場で開かれてきた。

「農的暮らし」の実践者たちと、その一歩を踏み出そうと願っている人たちが、交流する集い。3日間を通して、県内外の有機農業者、環境に優しい暮らしや農業を考える人たちが、200名余が集まった。

農業や環境を題材にした専門家の講義のほか、春野の移住者による座談会(写真)、ツリークライミングなどのワークショップ。野外では有機野菜を使った軽食、春野の山にある桜の木を加工したアクセサリーなどのブースが並んだ。

親子連れの参加が目立ち、過疎地の山里にあって、子どもたちが元気に大自然の中で遊んでいる姿が新鮮であった。

たとえば、こんな人達が集った。地方や田舎への移住を考えている。自然や大地で豊かに暮らしていきたい。同じ志や意識を持った人や実践者と出会いたい。いろんな人と有機的なつながりをつくりたい。有機農業や安全な食について知りたい。小さな暮らしの技術を学びたい。手仕事を学びたいなど。

特別講座が26コマが行われた、ワークショップが12コマ開催された。たとえば、こんなに盛りだくさん。

複合発酵(理論+技術)/大地の再生(理論+実践)/食料主権「種子法廃止と種苗法改正の問題点」/共感コミュニケーション/朝ヨガ/自然観察会/絶品!もろやま華うどんづくり/太鼓作りとリズムワークショップ/竹をつかったブランコ、ジャングルジムづくり/森の恵みのアクセサリーづくり(親子向け)/ツリークライミンング(こども向け)/プレイパーク+絵本読み聞かせ(こども向け)/イチからつくるチョコレートづくり(親子向け)

その他、クラフトマーケットとして計45以上のこだわりの出店者が集まった。また、9月1日(土)の夜はコンサートと盆踊りが行われた。

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2018-09-11

マザー・テレサとの出会い

「アーク」(モーゼが神と契約した十戒が刻まれた石板を収めた箱)が、じつは日本に来ている。そして、奈良の玉置(たまき)神社の敷地に埋められている。それを掘り起こしたい。

巫女さんに霊が下りてきて「十分に注意しなさい。その前にインドに行きなさい。そして、マザー・テレサに会ってきなさい」と言われました。それで、インドに連れていってほしいのですが。

けれども、インドなど行ったことはありません。どうやって、マザーにあったらいいのか、わからない。それなら、池谷さんに聞けば詳しい、と言われました。

……突然、そんな電話があった。奈良の天河弁財天の近くで暮らしていた友人の山田龍宝さん(ぶっ飛んだ元禅僧でサンフランシスコ禅センターで教えていた)から紹介されたという。電話主は食品会社の社長であった。

ずいぶんと、奇妙な話だ。が、まあそういうお話は、当時のぼくまわりにはたくさんあった。それはそれで、おもしろい。インドへの旅費だけ負担してくれれば、一緒にお連れしてもいいですよ、と伝えた。

そう言ってみたものの、マザーにツテなどあるはずない。会ってくださるのかどうか、それはわかない。けれども、まあ行けば、なんとかなるんじゃないか。そんな気楽さで旅に出ることになった。

マザーが、カルカッタにおられるのは知っていた。かつて「死を待つ人の家」も訪ねたことがある。ということで、カルカッタの安宿を拠点に、インドに着いた翌日から、マザーの居場所をさがす。「死を待つ人の家」、そして隣接している教会も訪ねた。しかし、マザーはおられない。

聞けば別の教会で毎日、お祈りをされる。そのミサに参列すれば、お会いできそうだ、ということはわかった。そこは、ミッショナリーズ・オブ・チャリティという教会であった。

すえた汗と牛のウンチとカレーの匂いのするカルカッタの喧噪な通りに、その教会があった。そこは、孤児院も経営したり、人々に毎日、食事を布施したりしていた。たくさんのシスターたちが、働いていた。

私たちのようなものでも、ミサ(典礼儀式)に、参列させてもらえることになった。時間が来て会場に入る。祭壇には十字架とイエスの像。向かって左は、シスターたち50名くらい。そして右には、世界の若者たちが、30人くらい。かれらは「死を待つ人の家」でボランティア活動をしているようであった。

ミサが始まるとと、祭壇に現れたのは、マザーではなかった。男性の神父(司祭)であった。「ああ、ざんねん。きょうはマザーに会えないんだな」と思った。しかし、ミサにはずっと参加し、賛美歌を歌ったり、お話を聞いたりしていたのだった。

30分もたったろうか。ふと後ろを振り向くと、入り口の下駄箱のそばで、ひたすら祈っている老婆の姿があった。着ている服装は、他のシスターたちとおんなじ白いサリーだ。小さな体をさらに小さく丸く曲げ、額は絨毯につかんばかりにひたすら祈りを捧げている。微動だにしない。

年老いたシスターなんだ。でもどうして、シスターの場にいないんだろう。まだ正式のシスターじゃないから、そういう扱いなんだろうか。

そうしてまた、時間が経つ。すこし気になってまた振り返って、その老婆を見た。ふたたびよく見た。

はっと電撃が走った。

も、もしや……。

この老婆こそ、マザーじゃなかろうか。

よくよく観察すると、まさしくそうだ。マザーだ、マザーテレサその人だ。

ぼくは愚かにも、マザーは、祭壇の中央にいて、みんなの前に立ち、そして説教を垂れるとばかり思っていたのだった。

マザーは、ぼくたちの後ろにおられたわけだ。しかも、出入り口の下駄箱のそばという、もっとも下座にいた。じつは、そこがマザーのおられる定位置だったのだ。

ミサが終わる。すると、マザーはすっくと立ち上がり、一人ひとりにマリア像のメダイ(アルミでできた小さなマリア像のレリーフ)を、手渡してくれた。

その際に、声をかけさせてもらった。日本からマザーに会いに来ましたというと、「アッチャー」とこたえた。インドの人がよく言う、あれまぁそうなの? という感じの言葉だ。深く刻まれたシワの奥から、とくに笑顔も見せない。

まあ、かなしいかなそこから話の展開は大してできなかった。モーゼの十戒を刻んだアークが日本に眠っていて、それを掘り返すとというような荒唐無稽な話をマザーにしても仕方がない。それを説明する英語力がない。

しかし、このお姿を通して、なるほどマザーとはこういう人かということが、感じられた。

みんなとおんなじ服を着ている。特別なものは着ていない。きっとすれちがっても、わからない。

けっして上座にいない。もっとも下座にいる。

徹底して祈り続けている。

そのことを、そのお姿を通して、見せていただいた。

こういう方は、特別な雰囲気であらわれない。特別な衣装もつけていない。たとえば、掃除をしている人、下駄箱の番をしている人、入り口ににいたりする人。まさに、フツーの人のすがたでいる。じつは、そういう人の中に、すごい人がいる。

ところがこちらは、すごい人は、「特別」な雰囲気で「特別」な場で、「特別な」シーンで現れるとおもっている。なので、わたしたちは見過ごす。出会っても出会わない。一瞥もしないで、通り過ぎる。礼を失することだってある。

イエスの教えにこうある。「いちばん偉い者は、仕える人でなければならない。自分を高くされる者は低くされ、自分を低くする者は、高くされるであろう」「先のものはあとになり、あとのものは先になる」とも説かれる。

イエス自らが、最後の晩餐のときには、使徒たちの足を洗うのだった。

……インド体験記は、適当につづく。また、マザーは聖者としては、世界で尊敬されれているけれど、地元のインドではされほど評価されてはいないことを、付け加えておく。また、機会があけば、その理由を書く。

2018-09-10

カール・リンポチェに出家を勧められたこと

ブッダが悟りを開いたブッダガヤ。レストランで食事していると、西洋人の坊さんがいた。チベット仏教の衣を着ている。めずらしいので声をかけた。

デンマークの人で、元はドライバーだったという。ある坊さんに会ったのが機縁で出家したという。

どんな体験か。その坊さんに出会い、質問しようとする時、不思議と自分の中から次から次へと答えが湧き出てきたというのだ。それで出家したんだ言う。

へぇぇ、そんなお坊さんがいるのか。会ってみたい。たまたまいま、ブッダガヤに来ているという。会うこともできるという。へええ、僕みたいなものでも会ってくれるのか、と聞くと、もちろん会ってくれるよと言う。

ということで、翌朝、でかけた。チベット寺のカルマ・テンプルといったかな。その入り口には、西洋人ばかりが面談するために行列していた。ぼくは、最後尾だった。

しばらく待って順番が来て、部屋に入れてくれた。そこには、年老いた坊さんが、ベッドの上に坐っていた。体がよくないらしい。かたわらには、通訳の西洋人がいた。

ぼくは、つまらん質問をしたものだ。なにしろ英語力が低いので。まず、小乗と大乗の違いは、なんですか? 

坊さんは答えた。小乗はselfがemptyness、大乗はeverythingがemptyness。それを修行でつかむのだよというこたえだった。

ううむ。もっと聞きたいけれど、英語力が追いつかない。それで、次の質問。

私はサラリーマンしていて、どうも満ち足りていません。そんな私にアドバイスをと。

すると、即座にこう言った。あなたは出家しなさい。いまこの場で。さあどうだ。

はぁ? なんと、唐突な。

真に自由になりたかったら、いまここで出家しなさい。でないと、インドの水牛みたいになるぞ。かれらは、鼻に輪っかをはめられて、行きたいところにもいかけず、こき使わている。そういう人生になるよ。出家をしたら、真に自由になるのだ。

それにおまえは、見込みがありそうだ。いい坊さんになる。そして、チベット大蔵経を日本語に訳してみないか。

そう言うのだった。

いくらなんでも、出家とは……。覚悟がいる。いやそのぉ、いくらなでも急すぎて。日本に帰ってから考えます。その程度の答えしかできなかった。

はい、出家します。なんていうことで、チベット仏教の道に入っていたら、ずいぶんと今とは異なった人生になっていたなぁ。出会いを活かす活かさぬは、ひとつの大きな決断。電光石火の瞬間だ。

その坊さんの名前は、カール・リンポチェという方であった。日本に帰ってわかったのだが、チベット仏教の一番大きな派であるカーギュ派のトップの人だった。しかも、ダライ・ラマの養育係も務めたことがあるというではないか。

お会いして一ヶ月後に、カール・リンポチェが亡くなったことを知った。それは、書店でなにげにオウムの雑誌「マハーヤーナ」というのをめくっていたら、「尊師の前世のグル、カール・リンポチェが涅槃に入った」と書かれてあったことから知った。

なんと、亡くなったのか。そうして、麻原彰晃は、カール・リンポチェが前世のグルであったと言い、尊敬していたのがわかった。中沢新一も、カール・リンポチェほどの人が認めた麻原は本物だ、みたいなことを「スパ」という雑誌で語っていた。

それから3年後。マザーテレサに会いたいというので訪ねてきた人を連れて、再びインドを訪ねた。(マザーとの出会いはまた別の機会に書く)。

カルカッタがあまりに暑いので、避暑地の高地であるダージリンに移動した。そこで、カール・リンポチェが転生したことを知ったのだ。

それで、わざわざ山の中を探し求めて、再会(といっても3歳の子どもだ)したことがあった。

ダライ・ラマは、数ヶ月前にその地を訪ねて、元の師匠であるカール・リンポチェの転生活仏に会い、3つになる子どもに対して、五体投地して礼拝した。その姿を見て人々は、みな涙を流したという。

気分転換に、インドの旅の体験をすこしずつ書いていく。

2018-09-09

子育てたいへん

「いやー、たいへんたいへん。子育てたいへん。なにしろ体力がいる」

「そりゃそうだよ。よくじいちゃんはあちゃんが、孫が来たら、数日でへとへとになるよね。それが365日なんだからさあ」

「こんな年とって、子ども生まれるなんて思わなかったよ。人生の計画、みんなやりなおし」

「いいじゃないか。これまで、ひとりでインド行ったり、瞑想したり、さんざん好き放題したんだから。超尻がうまくあっているんだよ」

「それって、イソップのアリとキリギリスってこと?」

「まあ、かんたんにいえば゛そういうことだね」

というような友との会話であった。

ま、学び論から言うと、こうなるかなあ。

子どもは24時間、一緒。子育ては、時代の最先端。人類として最重要なことをやっていると思うべし。

子供を通して学ぶ。インドの洞窟で、瞑想するよりも、すごい。だって、子育ては逃げられない。

飽きたらやめる。苦しくなったら逃げてしまうという、これまでのありように対して、根本的な学びを迫られる。

そこがカルマの解消であり、魂の学びであり、解脱に至る道である。そのための子育てであり家庭であると。

ブッダは妻子を捨てて出家して、悟りをひらいたけどね。いまの時代は、家庭の中にあって、子育てしながら、悟りをひらこうとすべし。

2018-09-08

「哲学 仏教 生き方講座」シリーズ展開

「哲学 仏教 生き方講座」(長野貴晃講師)の第一回のテープ起こし完了。16時から21時半までの5時間の濃密なやりとりをテキストにした。

結構な体力・土方仕事である。これから編集作業にかかる。原稿用紙170枚くらいになので、これだけで本になる分量だ。

内容は、仏教哲学、宗教、論理学、カルマ、子供の教育、お金について、自殺について、供養、不施、オウム、パラレルワールドとアセンション、神々の構造など、ものすごく深いく実践的であった。

これをシリーズにして、うち(いちりん堂)が版元になって通販で出版展開していこうか、あるいは出版社に持ち込んでみようか、と考えている。とりあえず、エッセンスをいくつかに分けて、Facebookに投稿しながら、反響と反応をもらいながら、つぎのステップに入る。

ところで今回のテープ起こしは、すべて音声入力で行った。iPhoneで録音したものを聞きながら、池谷が喋り直して、Googleドキュメントに音声入力していく。かなりの精度で変換できたので、ラクだった。

講座そのものの語りを、音声入力できればいちばんラクなのだが、音声にムラがあると、精度が悪い。ので脳内で編集しながら、喋って入力していくわけだ。

Googleドキュメントはクラウドなので、データ共有がかけられる。同時に、講師の長野さんに加筆修正してもらう。リアルタイムでも可能だ。

そういう新しい形での編集作業でやってみた。あとは、録画もしているので、うまく編集して動画サイトで広報していくことも考えている。

毎月、開催する予定。次回は、カルマの解消についてをテーマにしてみようかと思う。

カルマってなんだろう。カルマの解消はあるのか。具体的にはどうしたらいいのか。まだ、現れてこない・つらくて重たいカルマがあるとしたら、どのような準備が必要か。そもそもカルマから逃げられるものなのか。

いま起きていカルマを受け入れるありようは、具体的にどうしたらいいのか。

「仏教の源流・インド」の話をお寺で

このお彼岸に、お寺で講演を依頼されている。臨済宗方広寺派の泰月院。法要の後、檀家さんを相手に話してほしいということだ。100人くらい来られるようだ。9月23日。

といってもぼくは、壇上からありがたい話はできそうにない。何を話そう。春野の山里暮らしのことがいいのか、寺カフェのネットワーク作りのこと、自身のさまざまな宗教遍歴や体験がいいのか。おもしろそうじゃないなあ。

「看とりとおくり お墓や戒名などいらない」だと、檀家さんの前では具合が悪かろう。お坊さんの研修会では、そういう話はさせてもらったけれども。お寺には嫌がられるなぁ。

それで、友人のスワルナリさん(東インドのベンガル出身)と話して、ひらめいた。タイトルは「仏教の源流・インド」だ。

お釈迦さまのインドでの受け取られ方。インドの神々と日本の神のこと。お彼岸について。ぼくがこれまで13回ほど旅をしたインドでのびっくり体験・宗教体験を中心に話をしたらいいかな。

じゃあ一緒に話をしようと。ぼくよりも、はるかにスワルナリさんのほうが、話はうまい。ベンガル語はもちろん、ヒンディー語、英語、日本語、サンスクリット語ができる。

話は明快。論理的。なにより説得力がある。それにインド人が話せば、目からウロコの話が多いと思う。

「へぇー、インドってお墓はないのか」「ガンジス川に遺灰を流すんだ」「先祖供養って、そんなふうにしているんだ」「インドのお寺って、そうなっているんだ」と。

今年は秋くらいから、スワルナリさんと、インド講座もシリーズで展開していこうと思う。仏教、宗教、ヴェーダの哲学、料理教室、スイーツづくり、サリーの着方など。

2018-09-07

いまここをちゃんと生きる、それしかできない。それもできないのだ。

すでにして、9月も7日。秋だなぁ。

鈴虫とコオロギの鳴く声がする。そして、雨粒の音。

網戸の外には、ヤモリが数匹、あるいている。その這うすがたが、可愛らしい。

あかりがよろこぶので捕まえてあげた。洗面器の水に浮かべてたら死んでしまった。

ぶーんとコガネムシが、どこからか舞ってきて蛍光灯にぶつかる。ごつんごつん。

緑色のカメムシたちも、やってくる。ごつんごつん。

カメムシたちは、うるさいのと臭いので、ペットポトルで、採り器をつくって、十匹ほど捕まえた。

かんたんにつかまえられる。器におちたカメムシたちは、ひっくりかえって足をバタバタさせている。

あかりはそれをみて可愛いという。

しかし、翌日には、ほとんど死んでしまった。

地震や台風や水害が遭っても、なあに自分のところだけは安全、と思いこんでいる。

死ぬ人は多いが、まだまだ自分は死ぬことはない、と信じ込んでいる。

じつは、風前の灯のわが生きざま、なんだろうな。

とはいうものの、いまここをちゃんと生きる、それしかできない。それもできないのだ。

まあ、それでいい。

死んだら死んだで仕方なし。あとは、どうとでもなる。なんとでもなる。

そう思っているのだが。

ブッダの最古の経典「ダンマパダ」より。

花を摘むのに夢中になっている人を、死がさらって行くように、眠っている村を、洪水が押し流して行くように。(48)

花を摘むのに夢中になっている人が、未だ望みを果たさないうちに、死神がかれを征服する。(49)

「オヤジのおばさん化」というのがいい テレビ電話

なんというか、「オヤジのおばさん化」というのがいい。世のおばさんたちのように、あれこれとくっちゃべるのはお勧め。

論理を際立たせず、人を教訓せず、いやそれはちがう、などと論を立てず。こういう体験があったね、それはおもしろいね、そういえばこないだね……てな具合である。

とくにテレビ電話が楽しい。ほんとは出かけて直に会うのがいいのだが、山里に暮らしているので、そうそうは動けない。でもこうして山里から、世界とつながる。仕事の打ち合わせもできる。ありがたい時代だ。

かつてはskypeでよくやりとりした。テレビ会議もできるし、重たいデータも簡単に送れる。地球の裏側のチリの人とやりとりしたこともあった。数名での会議もおこなってきた。

でも近ごろは、みなさんskypeをしない。ラインになってきている(ぼくはまだラインは始めたばかりで、ほとんど使わず)。

そこで、昨日からFacebookにあるメッセンジャーを使って、思いつきで電話してみた。出てくれる確立15%くらい。ブラウザの問題もあるし、マイクやスピーカなどうまくセットしていないと、つながらない。すこしハードル高し。

でも、いろいろ楽しい語らいができた。能力開発・障害者教育をしている友、創価学会にいて組織に対して疑問をいだいている友、インドの友人とは今度のお寺での講演会の打ち合わせ。

断食道場を開いていて、こないだの講座に7時間以上もかけてきてくださった方。原始仏教のこと、瞑想体験のこと、祖師たちの文章の音読の効果、断食効果、おしゃべりが楽しかった。そして名古屋に用事があって出かけている妻とあかりの顔を見ながら、などなど。

遠隔地の友と読書会というのもできる。ちょっとした会議や打ち合わせなど、テレビ電話でちょくちょくやればいい。コミュニケーションが円滑になれば、仕事の効率もはかどる。モチベーションも上がる。

ということで、突然、何の予告もなく、池谷からメッセンジャーでテレビ電話かかかってくるかもしれませんが、ほとんどたいした用事がないので、忙しかったら無視してください。いま実験中であります。

墓じまい(6)直葬、樹木・海洋葬、ゼロ葬

この夏、カタリバ「看とりとおくり」を主催した。その中の語り合いで、でてきた話題を取り上げて紹介している。

都会では「直葬」が増えている。ある調査では都会の葬儀の2割にもなるという。「直葬」とは、通夜や告別式を省略して、火葬場で火葬することをいう。僧侶をよぶときは、炉前での読経するのみ。

もっとも、いきなり火葬場への直行は難しい。都会の火葬場はつねに満杯なので、何日か待たされる。友人は、直葬ではなく、ちゃんとした葬儀を行ったが、火葬場では10日以上も待たされた。そのため、遺体を安置するホテルなどが繁盛している。

もうひとつ、火葬場で遺骨を受け取らない「ゼロ葬」というのもある。遺骨がなければ、墓などわずらわしいことはない。

子孫に墓守などの負担をかけさせたくない、という思いもあると思う。また、遺骨そのものは、所詮は、モノであり。魂などがあるわけではないという、意識もあると思う。

背景には、経済的な問題もある。なにしろ日本における葬儀の平均支出は200万円くらいする(日本消費者協会調査)。ざっと葬儀一式(100〜120万円)+寺院関係(30〜50万円)+飲食(30〜50万円)だ。(池谷のざっくりとした認識)

やはりたいへんな額だ。公営の火葬場で遺体を焼くだけなら、もろもろ費用の削減になる。それに、煩わしいこともない。お坊さんに来てもらい、枕経だの、戒名だの告別式だの、そして精進揚げなど食事の用意など。

ついで墓である。ぼくの友人に聞くと「墓などいらない」という人がほとんどだ。海にまいてほしいという。樹木葬や海洋葬がいいという人が増えている。

そのために、請け負う業者も増えてきた。遺骨をダンボール箱に入れるだけ。あとは、郵便局が集荷に来る。委託会社が、遺骨をパウダーにして、東京湾沖などでまとめて散灰する。こちらは数万円で済む。

伊豆がいいとか日本海がいいとか言うと、チャーター便で行くのて、高額になる。こちらは数十万円になる。

墓じまい(5)先祖供養

親しい人が死ぬ。故人は無になって、この世には、いない。

霊体としてどこかにいるのか、あの世とか浄土にいるのか。あるいは、すでに転生しているのか。だれにもわからない。

しかし、どこかに存在し、いまにつながっているような気がする。先祖などは、自分たちをいつも見守っているような気がする。それが、日本人の共通感情だろうか。

こうして自分が生を受けたのは、両親があり、先祖があればこそである。木でいうと根っこの部分だ。そこで、先祖に対しての供養が必要ということになる。

供養とはなにか。たいせつなのは、自分自身の日々の思いだろう。先祖に対して、思いを致すこと。つねに思い起こすこと、ありがたいと感じること、報告であり、語りかけ。そこに供養の本義があるとおもう

苦しんでいる先祖がいるとしたら、その苦をなんとか救いたい。あるいは、自分の今の悩み・苦しみを先祖たちの力によって助けてもらいたいという思いもあるかもしれない。

ということで、特別な儀式もいらない、お経も必要ない。仏壇も本尊も位牌も二の次だ。とはいうものの、やはり人は形から入るので、お経や念仏、お題目や真言を唱えることで心が落ち着くならば、それはやったほうがよい。ぼく自身は、実践している。それぞれの選択。


故人に、先祖に思いをいたすという肝心なところを疎かにして、立派な葬儀だの戒名だの、墓だのにこだわっても、あんまり意味がない。お金があればは、立派な戒名をもらい、たくさんお坊さんをお呼びして、盛大にやればいい。


そうして、こう考えてもいい。故人も先祖も、それはじつは「自分自身」だと。故人や先祖を供養するのは、自分を大切にしていることになる。自分を祝福し、癒やし、元気つけているのだ、とも。

2018-09-06

墓じまいぐ箙は煙となって

遺骨に、死者の霊とや魂が宿るという観念があるのだろうか。

故人の唯一残りつづけるもののシンボルは、遺骨。遺髪も爪もあるが、遺骨が最強。粗末には扱えない。

そんなことしたら、死者のタタリがありそう。それは怖い。それゆえ、日本人は代々遺骨を大切にしてきた。先祖供養の中核が遺骨であり、墓なのかもしれない。

だが、遺骨があるからややこしいともいえる。

骨壷に入れて家においておくのも落ち着かない。お墓や納骨堂、合祀墓が必要となる。そのことで、菩提寺との付き合いも、ともなう。信仰的な意味合いではなく、遺骨=お墓の安置するところとしての菩提寺である。

だがお墓以外にも、樹木葬、海洋葬という選択もある。身近に遺骨が必要と思えば、部屋に安置する小さなモニュメントでもつくればいい。あるいは、人工ダイヤのようにして、身に着けているのもいい。

インドみたいに、みんな灰にして川や海に流せばいいのかもしれない。インドの聖地では、毎夜、川の辺りで多くの人が賛歌を歌い祈りを捧げている。バラナシなどでは、毎日、何十万人の儀式(プージャ)がある。圧巻である。それが何千年と継承されてきている。

ちなみに、日本では海などに流す場合、違法ではない。法務省刑事局は「節度をもって葬送のひとつとして行なう限り問題はない」(1991年)という見解。ただし、市町村条例でいろいろ制限はかかる。

いちばん超簡単な方法は、遺骨を受け取らないこと。火葬場で焼いてもらっても、「遺骨はいりません」と持ち帰らなければいい。すると産業廃棄物として処理されるだけだ。

「そんな罰当たりな」と思うかもしれないが、関西ではむかしから、火葬場で焼かれる遺骨の2割くらいしか持ち帰らない。あとは、火葬場で処分されているのだ。

市によっては「残骨灰」に含まれた有価金属を売却して市の財源に組み入れていたり、遺灰そのものを業者に売却していたという報道もある。(名古屋市、東京都、新潟市、前橋市、高崎市など)

シンプルでいちばんいいのは、火葬場で高温で焼いて焼いてもらえれば、すべて灰となって天空にひろがる。宇宙に溶け込むことになる。現状、そのように火葬場に依頼するのは難しいことだが。

宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」にこうある。「まづもろともにかゞやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」

煙となって、あるいは灰となって、宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらうのがよいように思うのだ。

2018-09-05

墓じまい宗祖自身はどう言っているのか

仏教の宗祖自身は、墓などいらないという。供養などいらないと言っていた。

釈迦自身が死にのぞんで、弟子たちに遺言したのは、「葬儀などにかかわるな。おのおの、怠らず修行せよ」と。

「アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向って怠らず、勤め、専念しておれ。

アーナンダよ。王族の賢者たち、バラモンの賢者たち、資産者の賢者たちで、修行完成者(如来)に対して浄らかな信をいだいている人々がいる。かれらが、修行完成者の遺骨の崇拝をなすであろう。」『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』(中村元訳、岩波文庫)

浄土真宗の開祖である親鸞は「父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず」と述べた(歎異抄)。そして、「それがし閉眼せば、賀茂河に入れて魚に与うべし」と遺言した。川に捨てて、魚に食わせろと。

その師の法然は、「念仏を修せんところは、貴賎を論ぜず、海人・漁人がとまやまでもみなこれ予が遺跡なるべし」と遺言した。

曹洞宗の祖、道元も、臨済宗の祖、臨済、さらには白隠、最澄も空海も、さらには一遍も、自分の墓や供養のことなど、なにも述べてはいない。

墓を作れと遺言したのは、日蓮くらいか。「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」(『波木井殿御報』)と最後の手紙にある(弟子が口述筆記)。

そのように、多くの仏祖たちは、自分の墓、自分に対する供養など一切、言い残してはいない。

墓じまい遺骨にたましいが宿るものなのか

カタリバ「看とりとおくり」を主催しているので(8月は4回の開催であった)、いろいろな事例を聞く。相談も受ける。そこで、論議されていた内容をすこしずつ紹介していく。

「墓じまい」については、なかなか厄介。いまの墓所から別のところに遺骨を埋葬するときには、菩提寺の住職の証明書が必要になる。ここでなにがしかのお礼もしなくちゃいけなくなる。(いわばハンコ代みたいなものかも)

そもそもお墓というのは、土地を買っているわけではない。永代に渡って使用する権利を得ていのだ。そこで、永代使用料を払い、墓地管理料も払っていれば、墓じまいに際しては、とくにお寺にお礼など必要ないように思う。お墓から魂を抜く閉眼供養などの「お布施」は必要になるのかもしれない。

ここで問題なのは、檀家を離れるということになると、なにがしかのお礼が必要になってくるということ。離壇料を数百万円も要求されたという話も聞く。

離檀して、先祖の墓を放棄した友人がいる。その際、寺から「霊抜き料」がいると言われたが、私には関係ないと言い切って断わった。そういう墓じまいの仕方もある。しかしまあ、穏やかにはいきたいところ。

ところで、お墓から魂を抜くというのも不思議な話。そもそもお墓に魂があるのか。魂がお墓にあるとして、お坊さんの読経によって「魂を抜く」効果があるのかないのか。だれもわからない。

遺族は、お坊さんさんが「魂を抜く」という特別な力があると信じているのか。そして当のお坊さんが、自らそう信じているのかどうか。だれもわからない。

よくわからないけど、そういうものだから、やっておいてほうがいい。という程度のありようじゃないだろうか。なにもしないと、なにか祟りがありそう、気持ちが落ち着かないというところだろうか。

もしも、そういう供養や儀式か必要ということであれば、自分が心をこめてそれを行えばいいことだと思う。では、どういうふうにそれをおこなったらいいのか、また別の機会に。

いまここに具体的・現実的な脅威がある

北からミサイルが撃ち込まれる、中国にやがて占領されるという脅威は、たしかにあるのかもしれない。しかしそれはまだ、想像上の脅威である。

しかし、いまここに具体的・現実的な脅威がある。そこにこそ、政治は優先して対処すべきであろう。(などと書いても何の変化も及ぼさないけれど、自分の頭の中の整理のために)

仝業の脅威:福島原発の放射能はずっと太平洋に垂れ流しとなっている。放射能の値を変えてかつての危険領域でも、暮らせる領域としている。汚染土の行き場もない。礫土を全国に移送しようとしている。日本人がみんな放射能に汚染されるというたいへんな脅威だ。

それに全国に55基もの原発がある日本列島は、ひとたびそこにミサイル(あるいは自爆テロ、あるいはドローンによる攻撃)が打ち込まれたら、もうどうしようもないというない現実。

⊆然災害の脅威:豪雨や地震、津波などの脅威。まさに現実に起きている。いまも多くの人が避難生活を余儀なくされている。これからもますます自然災害は増えていく。老朽インフラもいたるとこで、脆弱。

5涎磴幣子・高齢化の脅威:老人大国となって、国の活力はなくなる。子供がいなくなることで、元気、活力、夢がしぼんでいく。

購買意欲もなくなる。経済は循環しなくなる。医療費は国家予算の半分くらいを占めることになる(国の予算96兆円に対して医療費は42兆円)。老老介護の現実、あるいは独居老人。老後はなんとも過酷な現実がやってくる。これは大きな脅威だ。

す埓肥大化と格差社会の脅威:公務員の給与は高くて安定している。老後も保証されている。いっぽうで暮らすのが精一杯の人たちが増えている。貧困の連鎖が起きている。格差社会が固定化されてきている。公務員の人件費で国家予算が食いつぶされるのではという脅威。

その他、食料自給率の脅威、林業や農業がだめになっていくという脅威。教育の荒廃なと、いろいろあると思うが、思いついた程度で書いた。

ともあれこうして、具体的・現実的な脅威があるにもかかわらず、防衛費に多額の金を使ってアメリカに貢献したり、海外にODAや円借款などでお金をばらまいている。いま起きている脅威への対処が二の次、三の次になっている。

2018-09-04

墓じまいについて

墓じまいをどうするか。

「墓じまい」をしたいという人たちが増えている。とくに都会に暮らしている人たちだ。

いろいろな理由がある。

先祖の墓が遠隔地でお参りできない。お寺の和尚が尊大とか贅沢で気に食わない。別の納骨堂や合祀墓にしたい。子孫に墓の苦労をさせたくない。独身なので、墓はもう守れない。自分が先祖の墓に入っても、誰もおまいりにきてくれなくなる。そもそもお寺はお金がかかりすぎる。

「墓じまい」には、墓石をとりぞき、遺骨を取り出す。更地にする。なにより、菩提寺の檀家を離れるというところが簡単ではない。

他に遺骨を埋葬するとなると、管理者(寺院であれば住職など)が署名押印した埋蔵(埋葬・収蔵)証明書が必要。お墓から魂を抜く閉眼供養、遺骨を取り出すための供養、読経、それらに対する「お布施」。さらには、離壇料を要求されたりすることもある。

「看とりとおくり」のカタリバで、そういう話題がよくでた。

そもそも論でいうと、お墓など必要かどうか。いや、遺骨など必要かというとこころ。

遺骨に故人の魂が、先祖の霊が宿るわけではない。墓、遺骨は、一つのモニュメントにしかすぎない。しかし、墓を守ることで、故人の供養、先祖の供養のかたちが、一族でまとまるということはある。核になりうるわけだ。

しかし、お墓があるといろいろ難儀だ。村の共同墓地、市民霊園ならいいが、菩提寺にあるとなると厄介だ。なにしろ、墓がある以上、お寺との付き合いがずっと続く。

それは、いい面もたくさんある。墓参りのたびに和尚とのやり取りがある、寺の風情もよければ、心も落ち着く。ひとつの魂の原点の場にもなりうる。

だが、お寺も維持がたいへんだ。改装、修理、改築、御遠忌、晋山式など、その都度、檀家は寄付を求められることにもなる。それが結構、高額だったりする。たとえは晋山式には、一千万円かかるとか、山門の改築には何億円とか。先祖の戒名が高いと位だと、それなりの寄付を求められたりする。そこで、もうお寺を離れたいという声をよく聞く。

そもそも檀家といっても、信仰的に仏教徒であるわけでもない。宗祖の教えなど、多くの人は知らない。日常、お経などは読まない(浄土真宗は例外)。徳川政権のときに、強制的にこの地域はここの寺と割当にあてられたにしかすぎないのだ。すなわち、信仰的な拠り所として、お寺に属しているわけではない。

だから、スムースに墓じまい、離檀できれば、そうしたい。そういう相談よく受ける。くわしい事例は、また別の機会に書いていく。

カタリバ「看とりとおくり」完了

カタリバ「看とりとおくり」完了。この8月だけで、3回の語らいの集いと1回の講演会を主催した。合計して60名ほど参加者だった。

講演会では、大坂から三浦紀夫さんが、臨床現場の僧侶として看とり体験・おくり体験、グリフケアのこと語っていただいた。最終回では、手元供養というところで、石地蔵を刻んでいる土屋さんに来ていただいた。

語らいは楽しいものだった。参加者の語り合いも、活発だった。

企画内容と広報にもよるが、専門の講師による講演のほうが、参加者は多い。

それぞれが語りましょうという場になると、参加者は少なくなる。専門家による話じゃないと、得られるものは少ない。そう思われることもある。それぞれの語りが主体となると、人前では語るのは苦手という人もいる。ましてや「看とりとおくり」だ。内容がディープすぎる。

でも実のところ、自分のことを語りたい、自分の話を聞いてもらいたいという人は多いのだと思う。回を重ねるにつれて、下を向いて熱心にメモをしていた方が、自分のことを語り始めるときがある。いろいろ身の上話を自ら、語り始める方もおられる。

活発は語り合いの場にするには、いろいろな人に話を振っていき、相づちと質問をしながら、活発で自由な語らいの場にしていく。自分の世界を滔々と語りはじめる人もいるので、そこは調整していく。主催者としての手腕が求められるが、ここが難しい。

それにしても、企画の内容そのものが、重たいということはある。このテーマは、とっても大切なことなんだが、語りあうにしては内容が重たすぎるか。

もっと楽しいタイトルにしたら、と言われた。そもそも「看とりとおくり」は楽しいものではない。明るいものではない。深刻で暗いイメージが付きまとう。

でも、楽しくするにはどうしたらいいんだろう。そういうところから、タイトルをみていこう。たとえば、「ラクでシンプルな おくりと供養」程度がいいか。ま、今後も継続していくつもり。

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友人が「新規事業を起ち上げる」という

友人が「新規事業を起ち上げる」という。そのサポートで、実務者会議に定期的にかかわってる。こうした仲間に入れてもらえること、新しい仕事の可能性のあることは、ありがたいこと。

問題はやはり資金。ゼロからのスタート、手弁当だけでは、すぐに立ちゆかなくなる。そのあたりの、起ち上げ資金のメドはたつようだ。

ただ問題は、その資金が尽きるまでに、事業収益があがって継続が軌道に乗せられるかどうか。

友人とぼくは、そのあたりのカネ儲けの仕組み作りはヘタ。大した実績なし。でもさいわい、事業をちゃんと軌道に乗せた実績のある人がメンバーにいるので、空論や理想論には流れずに、実務的に進んでいる。

資金に余裕があれば、心強い。しかし、余裕があるのも弱点になる。やはり心底、本気にならなかったりする。これまで、いろいろな事業の立ち上げに関わってきた。みてきた。たとえば、こんな人たちがいた。

Aさん)はじめはうまくいった。本人の能力も高く魅力もある。仲間も増えてきた、楽しかった。みんな若かった。けれどもやがて、資金も尽きてくる。会議も空回り。人も集まらず、協力者も離れていって、もうだめ……、あきらめざるをえない。本人は泣いていた。

でも、ヘコたれなかった。そこから必死になった。腹を据えた。事業そのものを見直していった。顧客のターゲットを絞り込んだ。そして、見事、事業を軌道に乗せた。いまでは、客を断らざるを得ないほど繁盛している。

Bさん)人も雇ったが、どれも戦力にならず。人件費だけがとんどんと出ていった。いろいろ削ぎ落とされてゆく。そうして、高望みしていた企画は、やがて身の丈のあったものに安定していった。

Cさん)それまで他人の力をアテにしていたが、うまくいかない。他人はやはり「我がごと」としてかかわらない。協力するがリスクは負いたくない。いつでも身を引ける体勢にいた。かれは、自分ひとりだけでもやる。家族だけで力を合わせてやっていく。そういう覚悟で進んでいったら、軌道に乗りだした。

Dさん)軌道にのってしまうと、おもしろくなくなってしまう。また、あの事業立ち上げのハラハラ、ドキドキを体験したい。ということで、また新しい展開をしようと している。

いつでも、新しいプロジェクトの起ち上げは楽しい。夢がある。夢を共有する仲間が集まって建設的な意見が出る。その過程は楽しい。「同床異夢」といえば、そういうことになるが。しかし、うまくいかなくなれば、みんな去っていく。つまるところ事業というのは、必死の思いの一人に尽きる。そんな気もする。