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春野町で暮らす山里日記 いちりん堂/楽舎 (池谷 啓)

2017-11-20

「突然」にシフトするというありよう

子供を観察していると、「突然」にシフトする。ある日、突然、できるようになる。「突然」立ち上がる。歩きだす。ことばがつながる。身体の動きがつながる。そういう面がある。

植物が少しずつ成長していくみたいに、いつの間にか……というところも、たしかにある。「突然」といっても、すこしずつ用意されてきて、その成果としての「突然」なんだと思うけど。

シフトというのは、クルマのギアのシフト、あるいはパソコンのShiftキーのように、ある種の「次元転換」みたいなもの。できないことができるようになる、というのは、そういうことかなあとも思う。

ぼくは、中学時代に器械体操部にいたので、なんとなくその感じがわかる。後ろ宙返りの練習を幾度もやりつづけると、できるようになる。自転車に乗れない子が、乗れるようになるという感じかな。できるときは突然できる。シフトするんだと思う。

人生も「突然」のシフトがあるんじゃなかろうか。努力して、努力して、がんばって、歯を食いしばった延長に成果があるということもたしか。

なんだけど本質は、突然に、できてしまう。意識が変化する、ということもある。

弁証法じゃないけど「量的拡大は質的変化を引き起こす」と。質的な変化のためには、量的な拡大、繰り返しが前提かもしれないけどね。

ともあれ、なあんだ、こういうことだったのか。かんたんじゃん。ということがある。

で、言いたいことは、努力さえしていばなんとかなる、頑張った先にいいことがある。そういうありようじゃない。

まさにいまこの瞬間、いまこことで、変わりうる。クルマのギアをシフトするよに、Shiftキーを押すように、次元転換がありうるということ。

子どもを見ていて、そのあたりを学ぶところ。この投稿、抽象的になりすぎなので、また具体例で書いてみようと思う。

子供の言葉を覚えていく過程 助詞

外国人が日本語を習得するとき、むつかしいのは、たぶん助詞だと思う。いわゆる「てにをは」である。ウラルアルタイ語族(モンゴル、朝鮮、日本語など)はおんなじ語順なので、スラスラ行くと思うけど。単語を当てはめていればいいからね。

ところが、インド・ヨーロッパ語族と中国系は、主語+動詞なので、語順がちがう。「わたし」「いく」「学校」と。そこへもってきて、助詞みたいなのがある。(ざっくり言っているので、言語学的なツッコミはご容赦を)

あかりの言葉のマスター過程を観察していると、そう思う。「かーちゃん・きたー」「にゃんにゃん・いないー」「さんぽ・いくー」「パン・ほしいー」。

母ちゃん「が」来た。散歩「に」行く。パン「が」ほしい。「が」「は」「に」「へ」という助詞はまだ使えない。

「これ・ほしい」でちゃんと通じるわけだ。これ「が」ほしい。これ「は」ほしい。これ「も」ほしい。などの使い方はむつかしい。

まあしかし、子供は自然のマスターしていく。だけど、外国人が文法から入ると、ワケわからん、となる。ワケわからんでも、ワケがわからん、でもいいわけだし。ワケがわかりません、が正式でもない。日本語、あいまいだからね。

子育て過程は、そんなこともみていくのがたのしい。

じつは、ぼくはむかし海外で日本語教師をやろうということで、三か月、日本語教育の特訓を受けたことがあった。そんなことも思い出した。赴任先の台湾には、いかすにやめてしまったけど。行っていたら、またちがう大きく人生になってた。今ごろ、台湾と中国と日本をむすぶビジネスなんかしていたかも。

子供は「即実行」「いますぐやる」

子供というのは「まったなし」「いますぐ」。

「さんぽいくー」、と言いだしたら。あとでね、とはならない。ゆるしてくれない。即、行かなくちゃいけない。

最初は「いやー」「さんぽいく、いやー」と行っていたのに、突然、「いくー」と言い出す。

おふをはいゆー(風呂はいゆー)といったら、即、入ることになる。どがみゆー(動画見るー)と言い出したら、即、見せてあげる。

そうしないと、泣き出すし、こちらがたいへん。いまはそういう時期を全うすることだと思っている。「待ってね」「あとでね」というのは、次の段階と。

「即実行」「いますぐやる」。そんなあり方は、ぼくには遠かった。あとでやろう。一息ついてからやろう。ちょっと考えてやろう、という人生だったからね。

そういうあり方をシフトせざるを得ないってのが、子育て。いまあかりは、2歳と3か月。

2017-11-19

次々と怒涛のなかで進むしかない

昨日は春野の産業祭に出かけた。物産を買うというよりも、出展者の暮らしぶり、展望などをいろいろ聞かせてもらった。すこしずつ紹介させてもらう。

きょうは、東京で移住説明会のチラシの完成と印刷手配。明後日は、臨済宗方広寺派のお坊さんの研修会の講師によんでいただいて、お話をさせてもらう。

その翌日は、700キロのお米のもみすり。やっと収穫したお米が玄米になる。町中まで往復時間かけて、もみすりを行う。

そして、その翌日は、在宅看取りをされているに内藤いずみさんの講演会にでかけてくる。こんど「納得のいく看とりとおくり」シンポジウの企画をしているので、参考にさせていただく。

そして、今月末までに、「神社・寺カフェ」の第三回目の企画を詰めて、チラシを完成させなければならない。

さらには、納得のいく看とりとおくり」の連続シンポジウムの講師陣の依頼と決定。坊さん、神主、神父・牧師さん、医師、看護師・介護士、葬祭業者の依頼と決定。チラシの完成。

なんとも盛りだくさん。その他、田んぼの耕うん。冬水田んぼの準備。麦の種まき。

いろいろな分野に渡って、やることたくさん。次々と怒涛のなかで進むしかない。その他、なにか重要なことを忘れているしっ、後回しにして、ストレスになっていること、たくさんある。備忘録として書いてみた。

2017-11-18

東京で「田舎暮らし入門講座」を開催

田舎暮らし入門講座。国立市の公民館で開催。12月13日の14時から。定員20名。無料。要予約。講師は、池谷。

「いつか田舎暮らしをしたい」……さて、どこがいいのか。田舎で暮らしていけるのか。費用は。空き家は。仕事は。地域とのつきあい。子育て。いろいろ大丈夫?

あれこれ考えているうちに、時はたってしまう。やっと田舎暮らしをはじめたけど、もう体力がもたない。なんてこともある。

なので、いろいろと「実際の体験」を聞いてみるのがいい。

講師は、20年間、国立に暮らした。7年前、遠州の山里・春野町に移住。そこは、人口5千の過疎と高齢のまち。

その山里で編集の仕事をしながら、農業に挑戦。完全無農薬・無化学肥料。8千平米の田畑と山林で、米と大豆、ブルーベリー、栗などを栽培。

なかなかうまくはいかない。「ああ、しまった」と、いろいろ失敗や後悔も多い。

そんなことも含めて、お話します。山里暮らしの達人たち、豊かな自然資源の活用事例なども紹介。

時間が許すかぎり、移住相談など、具体的・実践的にじっくりとおつきあいします。

講師プロフィール 池谷 啓(いけや・けい)

国立に暮らすこと20年余、山里の春野町に移住して7年。山里の魅力発信と定住促進の事業を行っている。仏教書と医学書の編集・執筆の仕事をいとなむ。そのかたわら有機農業を実践。

市民と寺社をつなぐネットワークづくり「神社・寺カフェ」、「納得のいく看とりとおくり」講座などを主催。

静岡県浜松市天竜区春野町在住。NPO法人楽舎理事長。いちりん堂(編集プロダクション)主宰。早稲田大学法学部卒。64歳。ブログは毎日発信、「いちりん堂」「楽舎」で検索。Facebookでも発信。

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断酒によって人生は変わる

酒が大好きでほとんど栄養も摂らずに、ガリガリに。ついには腰の骨が折れて動けなくなった。ぼくが見つけて、救急搬送を手配。

一か月後。入院暮らしで酒もタバコも絶ち、栄養もつけて、とても元気になった。コルセットで支え、歩行器をつかって歩けるようにもなった。

会ったときのエネルギーは、いままでの濃霧が晴れたような感じであった。驚いた。

それまでのかれは、会話のテンポも遅く、ぼわっとした反応であった。ただ脱俗の味わい深い人柄とあいまって、なかなか風情があった。森の中の清流のそばに暮らし、漢詩に出てくる神仙みたいな雰囲気であった。

まあ、変毒為薬、災い転じて福となすというか。酒を断つことによって、新生の暮らしができるかもしれない。山奥から引っ張り出して(かれの家で)、その造詣のある漢文学の講座を開いてもらおうと思っている。春からになるだろうけど。

山里のひとり暮らしともなれば、やることもなく、語り会う友もいない。ついには、朝から酒を飲みだしてしまう。そのうち衰弱したり、病気にもなる。ついには、動けなくなってしまう。

酒好きに節酒というのは、難しい。が、いちばんは「断つ」こと。一滴も口にしないこと。いや、ほんの一杯くらいなら、……そこから崩れていく。そのことは、ぼくは自分で何度も体験済み。


それにつけても、深酒は脳を萎縮させていくと思う。ぼく自身、お酒が好きで毎日、飲んではぼんやりしていた時代があった。

サラリーマン時代、毎日、会社の仲間と飲みに行く、帰宅してもまた飲みだす。ついには、休みの日など、朝、ちょっと一杯やるとほんわかしていい気持ち。そういう堕落の道に入りかけた時がある。

営業所から、本社勤務となって、事務的な仕事が増えた。しかし、酒の暮らしが背後にあるので、仕事も人間関係もうまくいかない。上司ともうまくいかない。

あるとき、新聞の記事から、仏教サークルの勉強会に参加することになった。阿含部経典から、密教の経典までまなぶ楽しさを知った。だが、酒を飲みながら経典を読むような接し方であった。

そのサークルは、きっちり戒律を守れ、ということであった。肉食はしない。酒は飲まない。毎日、写経することに徹していた。ぼくは写経はしなかったけど、菜食と酒を断つことにトライしてみた。

すると、一年。仕事はかなりはかどるようになった。上司にも恵まれた。ドイツとイギリスの現地法人を担当して、海外出張もさせてもらった。……まあ、人間関係は、あいかわらず下手くそで、我の強さと思い上がりで、敵をいつもつくっていたけど。

仕事がはかどるようになったきっかけは、「酒を断つ」ことにあったと思う。毎日、酒を呑むような暮らしをしていると、ぼんやりした濃霧のなかで船を漕ぎだすようなもの。気を抜くと、磐にぶつかる、浸水して沈没しそうになる。

酒を断つと、ちゃんと視界がはっきりしてくる。太陽が出てくる。きりっとしてくる。頭の回転もよくなる。酒を断てば人生が変わることは、まちがいない。

ところで、もっと頭が冴えて、暮らしが劇的に変わる、感動的になる実践法がある。それは「断食」だ。2週間の断食にトライしたことがあるが、心も体も軽い、軽い。頭の冴え渡ること。至福感があること。これに、祈りと瞑想が入ると、もっとすごいことになる。これはまた、また別の機会に書こうと思う。

2017-11-17

信貴山真言宗の千手院の寺報を

信貴山真言宗の千手院の寺報をつくらせてもらうことになった。

だいたいの原稿を頂いて、読みやすいように手直し。レイアウト、小見出しつけたり、写真の配置などのデザインして印刷手配まで行う。

こういうふうに、かたちにしていくというのが、好きな仕事の一つ。お寺の寺報作りは、これをきっかけに展開していこうと思っているところ。

寺報はPDFで読めます。第65号 ブータン特集。

http://www.senjyuin.or.jp/?info-cat=寺報

信貴山千手院のホームページ

http://www.senjyuin.or.jp

こんな山里にもわざわざ訪ねてくださる方がいる

毎日、ちと過剰なほど、自分の暮らしの発信している。多くの方に読んでいただいているのはありがたいこと。ネットを通して、アメリカや南米、ヨーロッパ、東南アジアの方とも交流できる。

そうして、こんな山里にもわざわざ訪ねてくださる方がいる。今年は、大阪や東京、山梨、長野、そして浜松のまちなか、近郊の市町のから。

今日は東京からのお客さん。コメの籾摺(もみす)りの準備をしているときに、電話があった。え?知らない人だ。なになに、もう春野に来ていると……。

突然なことだけど、縁のある人かも。……そう思ってお迎えすることにした。ぼくは基本、縁とひらめきによって行動を起こすことにしている。

ちょうど籾摺りが、今日は中止。来週に延期となったので、待ってもらって事務所に戻る。

聞けばフランス・ドイツ・スペインなどに、長く暮らしていた方であった。お話すること2時間余。農業のこと、林業のこと、山里暮らしのこと、宗教のこと、仏教のこと、音楽のこと、いろいろ話をさせてもらった。東京の家を売って、山里に移住したいという意向もあるようだ。

ぼくのブログをいつも読んでくれている。ので、話が通じる。毎日、発信しているので、暮らしぶりをわかってくれている。

人との出会いは、相手の生き方に啓発されるとともに、自分自身がどういう対応をして、どういうことを話して、話す内容によって、どういうエネルギーになっていくか。瞬間瞬間、縁によって変化していく自分。そこを観察していく機会になる。

そのことで、自分自身のありよう、これからの方向性や生き方などが見えてくる。自分自身を見極めていくことにもなる。出会いによって、なにかがまた起きていくことになる。そこがまあ、人生の妙味といおうか。

かくして、田んぼは日本からなくなっていく

きょうは700キロのお米の籾摺(もみす)りの予定だった。でも、農機具屋さんの準備体制が外れて、うまくいかなかった。

来週に延期となった。こんどは、無理をお願いして義父のところでやってもらう。往復3時間以上かけて、軽トラで持ち込む。

来年のこともあるので、農協に籾摺りが可能かどうか、聞いてみた。

ぼくたちがつくっている品種(晩稲のサガビヨリ)では、ダメ。コシヒカリかキヌムスメ、あるいはニコマルだという。

そして、10月20日までと。それでは、晩稲はダメだ。

さらに経費だ。キロ19〜25円かかる。もしも収穫が700キロとすると、2万円近くかかる。

こうして農協などに手配していくと、いろいろ経費がかかる。3反の田んぼの成苗を買うとしたら、3〜4万円くらい。そうして、肥料に農薬。機械のメンテナンス。燃料代。機械の減価償却。資材費。いろいろ足していくと、ヘタすると50〜100万円くらいかかることになる。

それでいて、コメが高く売れるわけじゃない。もしも農協に卸すと、キロ200円にもならない。700キロで14万円の売上だ。魚沼産コシヒカリですら、キロ320円くらい。

経費は出ない。人件費は出ない。この程度の田んぼをやっていたら、まったくの大赤字ということだ。疲れる。時間はとられる。趣味人しか田んぼはできないことになる。かくして、田んぼは日本からなくなっていく。

趣味として、生き方として、自然との対話として田んぼをやるなら話は別。そうしたら、農薬を使うのは意味がない。ので、完全無農薬と無化学肥料でいくわけだ。

そうなると、手間ヒマ、機械の段取り、などいろいろたいへんだー、てんてこまい、ということになる。

いやあ、それが楽しい、うれしい、おもしろい。……そうなっていけばいいんだけどね。現実は難しい。いまのところ、大いなる学びにはなっているけど。学びばかりの人生をおくっている。

こういう山里暮らしも、活気があっていいね。

早朝のラン散歩のとき、山崎さんと立ち話。移住して5年余。山崎さんは、大きな石ころだらけの広大な土地をせっせと耕してきた。ブドウも大豆も里芋も、いろいろと栽培している。花も咲く。右に見える四角い建物が住まいだ。となりが小学校の体育館。

むかしこの土地は河川敷。木材の貯木場だった。気田川がすぐちかく。堤にある巨木の下のベンチでゆったりと過ごす。川の流れ、人の流れをながめる。

コンビニもすぐ近く。ちかくに小学校と中学校。立ち話をしていると、元気な子どもたちが歩いてくる。みんな挨拶する。こういう山里暮らしも、活気があっていいね。

お年寄りが気楽に立ち寄って、日がな一日、雑談して時を過ごすような場を作るといいね。子どもたちとのやりとりもできる。そんな場作りを、と話したのだった。

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一即多、多即一。華厳の世界。

すでに霜が下りていた。草たちに霜がかかっている。日が出てくるとキラキラと輝く。朝の気温は7℃。

ひとつの草が大宇宙。露の一滴が大宇宙のような。一即多、多即一。華厳の世界。

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ああ、もう10年早く移住していれば、もっと可能性がひらけたのになあ

いま農業やっても、食っていくのは難しい。多くの農家は、大量の肥料と農薬、そして大型機械を入れて、なかなか収益が上がらない。農協だけ儲かる仕組みという見方もできる。

これからの方向としては有機農業がいい。食の安全と安心が求められてくるので。

でも、有機農業は手間がかかりすぎる。草との戦い、堆肥作りなど。日々、余裕がない。なにより「売る」ことが難しい。売るための工夫と作るための工夫、その両立が難しいと感じる。

それでも都会近郊でやっていれば、大消費地があるので、可能性はあると思う。過疎地の山里で有機農業というと、これはなかなか難しい。販売ルートの開拓が難しい。

そうすると、最低限の自分の食べる食は確保して、現金収入は、ほかの道をさがすことになる。そういう「半農半X」としての生き方は山里では、できる。ただし、会社勤めできるほどの雇用は山里にはないので、自由業という道を歩める人しか、それはできない。

新規に農業する人を助成する「新規就農支援制度」というのがある。45歳までなら、年間120〜150万円の助成金得られる(ただし5年間)。その期間がすぎると、助成金に依存した暮らしになっていると、自立が難しいということはある。

でも、農業をやってみたい人にとっては、かなりのサポートになる。なにしろ山里には、土地がたくさんある。耕作放棄地はひろがるばかり。地元の人は高齢で農業がつづけられない。ちゃんとやるなら、全部、譲るよ。お茶の畑も田んぼも、農機具も。山だってあげるよ。そういう声も聞く。

だから、若い人には山里での農業はチャンス。でも若い時って、山里に田舎に住みたいとは思わないんだろうね。ぼくがそうだった。都会のほうがおもしろい。仕事もたくさんある。友達もおおい。

山里は、仕事はない。いわゆる都会的な文化レベルは劣る。地域の閉鎖性もある。自然が豊かといっても、それだでけでは暮らしていけない。

それで、定年退職したら、田舎に住もう。そういう人はたくさんいる。しかし、どこ住もうかと迷っている内に、60も後半になる。10年過ぎたら70過ぎなわけで、もう体力が伴わなくなってくる。ああ、もう10年早く移住していれば、もっと可能性がひらけたのになあと、そんな思いをもつ人も多い。

2017-11-16

炎と向き合った一日だった。

庭にある薪の露天風呂にゆっくりと入った。これからの季節は、まさに露天風呂がいい。芯から温まるのは、なんともありがたい。

焼却炉を空き地に持っていって、たまっていたダンボールやら、栗のイガやら、枯れ枝をたくさん燃やした。ごおーーっと真っ赤な炎が渦巻く。龍のようなエネルギー。炎と向き合った一日だった。

あれもやろう、これもやろう。しかし、できない。やり残しがいっぱい・いっぱいある。未完了の山。山。山。まあいい。これで今日はもう寝よう。明日は、明日の人生がはじまる。

元気になったら、自宅で漢詩の講座をひらいてもらう

春野の山奥でひとり暮らし。久しぶりに訪ねたところ、身動きできなくなっていたMさん。救急車を手配。となり町病院に入院となって1か月。

腰骨が折れていたのだが、コルセットを着けて歩行器で歩けるまで回復していた。

さすがに入院しているので、好きな酒もタバコもやらず。会ったときには、とってもスッキリしていた。会話のテンポもかつての倍のスピード感。ああ、こんなに明快な人だったんだとおどろいた。

ひとり暮らしで脱俗の暮らし。味わい深い言葉で、教養の深い人なんだけど、酒が大好きで食事もちゃんと摂らないのが要因。あと一月くらいで退院だろう。けれどもすごい山奥だしリハビリに通うのは難しそう。

大学で漢文学を教えていた方である。元気になったら、自宅で漢詩の講座をひらいてもらう企画をしている。4月くらいからかなあ。

いろいろ失敗つづきの蕎麦の栽培

うちの農地で水野さんたちと蕎麦を栽培している。おもな労力は、ほとんど水野さんたち。ぼくはすこし手を貸す程度。

だが、いろいろ失敗つづき。まず友人から頂いた種を播いたものの、まったく発芽せず。種がよくなかったのか、こちらの保存が悪かったのか。

つぎに買ってきた種を播いたが、たくさん播きすぎて密集した。ひょろひょろの蕎麦。

花が咲いて実りだした、ミツバチがたくさんやってきた。来週に収穫しようというときに、台風と豪雨がきた。背丈の高い蕎麦はみんな倒れてしまった。

あわてて刈り取って天日干しした。乾燥して脱穀しているところだがも、ほとんど実がついていない。みんな落ちてしまったようだ。

白い花が咲く頃、すこし実がつき出した頃に刈り取る。天日干ししている期間に、実りが起きていくということを聞いた。

種を選ぶこと。蒔く時期。土地の広さにあった播種。収穫時期。学ぶことばかりだが。ま、こうして、一緒に作業しての会話はとても楽しいんだけどね。

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過疎地の春野のなかでも、かなりの限界集落

紅葉はこれから。清流がすばらしい。うちからここまで約7キロ。クルマで20分。デイサービスの送迎のクルマとすれちがっただけ。

石切(いしきり)という集落。いま6世帯が暮らしている。ほとんど高齢者。過疎地の春野のなかでも、かなりの限界集落だ。清流に面した30棟ほどの別荘のエリアもあるが、これまで人を見かけたことはない。

クルマがないと、買い物や診療所にいくのは難しい。車があっても、高齢になるとたいへん。豪雨になると、崖が崩れたり倒木があったりして、難所となる。

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2017-11-15

グリーンツーリズムとしての田んぼ体験は可能だろうか

なんとか田んぼは続けたい。完全無農薬・無化学肥料のあり方は、変えない。しかし、経費と労力がかかりすぎる。なんとかならないか。

経費が捻出できて、たのしく農作業ができる方法はないか。グリーンツーリズムとしての田んぼ体験は可能だろうか。

なんといっても、春野の美しい自然環境と、無農薬の農業というところが基軸にある。そこが強みであり魅力。

そこで、こういう企画を考えてみた。まだ試行錯誤中。

1)会員制の農業体験を募る。春野の美しい自然の中、1年間を通して田んぼと畑の体験ができる。

2)参加費は1組で年間3万円(家族での参加可能)。10組まで募集。

3.)特典は、無農薬のお米10キロ提供。完全無農薬のフィールドで田んぼと畑の農業体験ができる。(体験に参加できなくても、お米は提供)

さて、どんな農業体験ができるのか……

4月)山菜採り(ワラビやタケノコ)

5月)種籾からの苗つくりの手伝い。

代かき前の田んぼで、どろんこ体験。無農薬の田んぼだからできること、全身どろんこ遊びできる場は、いまほとんどない。その後で、ドラム缶風呂。薪割りなどは、お父さんたちが行う。あるいは、ちかくにあるすみれの湯(町営の風呂)。

6月)田植え。機械植えと手植え。アイガモを放す。ホタルの鑑賞。

7月)田んぼの草取り。大豆の種まき、苗の移植。

※オプションとして、ブルーベリー摘み。

8月)自然観察会。気田川での川遊び。

10月)稲刈りと天日干し。マコモダケの収穫、

※オプションとして、栗ひろい。

11月)脱穀。大豆の収穫と天日干し。

12月)大豆の脱穀。餅つき

1月)冬水(ふゆみず)田んぼの観察。

2月)収穫した大豆での味噌作り。

その他、森で間伐材を切るなど、いろいろと仕事はある。オプションでカヤック体験など。

食事などは提供しない。基本、手弁当。(ほんとうは、炊き込みご飯とか猪鍋とかカレーとか、つくりたい。しかし、準備に追われてしまう)

……など思案中。1組3万円というのは、高いか安いか。

もしも10組の会員がいれば、30万円の経費で田んぼづくりの諸経費がまかなえる。お渡しするお米は100キロだけけですむ。

ふだんやっていることとだけど、イベントとなると、段取りと準備にエネルギーはかかる。受け入れに、かえって忙しくなり、人件費がかかることにならないか。

みなさんの感想、アドバイスをいただければありがたいところです。まだ仲間も賛同も得ていない仮設の企画です。

なにごとも思いがままにならない。そのことを基軸に

人生、いいことが起きたほうがいい。期待していると、外されることが多い。なあんだ、がっかりと。

いっぽう、まったく期待していないと、いいことが起きたりする。

ならば、期待しないでおこう。期待しなければ、がっかりすることもない。思いのほか、いいことが起きたりする。

……それって、なにか複雑なあたまの中の操作だな。まあともあれ、なにごとも思いがままにならない。そのことを基軸にして生きていくのがいい。

2017-11-14

春野にほたる公園がある 水を引くという問題

春野にほたる公園がある。毎年、6月頃にはたくさんのゲンジボタルが舞う。ビオトーブになっている。ホタルの餌は、カワニナという巻き貝の一種で、これは岩本さんという方が、あちこちに行って探してきて、水辺に放している。

この公園は気田川から水を引いている。河川法では、農業用水としてならよいが、そうでないと引いてはならないという。この集落には田んぼは一つもない。みんな田んぼはやめてしまって、いまは盛土になっている。

岩本さんから相談を受けた。このままだと、水が引けなくなって、ビオトープがだめ。ホタルもだめになる。どうしたものか、と。

じゃあ、小さくてもよいので、田んぼやりましょうか。集落のみんなが田植えして稲刈りするなんてたのしいじゃありませんか。ぼくは道具はほとんど揃っているので、できますよ。

そう言ったものの、休耕田をよみがえらせるのとはワケがちがう。ゼロから田んぼを作るというのは、たいへんだ。

なにかいい方法はないか。県の役人さんが、ちょうど楽舎を訪ねてくれたので、公園を案内して聞いてみた。

このビオトープで農作物を作ればいいのではないか、という。では、どんなものがいいか。それは、たとえば、クレソン。ワサビ。レンコン……。

なるほど。田んぼを作る必要はない。いちばん簡単なのは、マコモダケ。移植するだけで勝手に生えて、実る。食べられる。ただ、せっかくの清流をつかって栽培となると、ワサビがよさそう。あるいは、蓮根も美しい。

近くにはヤママユを栽培するクヌギの林もある。ホタルとヤママユ。そして、ワサビに蓮。そんなことも考えてみた。

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みていてハラハラするんだけどね

階段の昇り降りが大好きになっている。身体能力は日増しにレベルアップしていく。手を貸そうとすると、振り払って一人で挑戦しようとする。みていてハラハラするんだけどね。

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サバイバルゲーム

うちの田んぼの近くに、突如クルマが200台以上。戦闘服の男たちが、銃を構えている。いったい何事と思いきや、これはサバイバルゲームだ。

川の畔や森林の中で、銃器で撃ち合う。銃器はかなり本物に近い。目に当たれば失明、歯に当たれば折れてしまほどの威力はある。この写真は試射の練習場。ゲームそのものは、森の中で行われる。ふた手に分かれて、撃ち合って点数を競う。

いま全国的に流行ってきている。参加するのは男ばかりでもない。近ごろは、若い女性も参加してきているという。バーベキューしながらという家族もいた。この日の参加者は250名。多いときには400名くらいという。

参加費は4千円くらい。戦闘服や銃器は自分で揃える。この方は、1丁30万円もするマシンガンをもつ。映画のターミネイターで使われていたのとおんなじだという。いろいろセットで100万円近くかかっていそうだ。

こんなことに熱中していて、奥さんから反対されませんかと聞くと、なぁに仕事をきちんとやって稼いでいる。なので、奥さんは反対はしない。仕事も遊びも100%、ストレスが発散できるという。

こうしたゲームの場所として、春野のような過疎地は最適だ。先日も、東京の不動産管理会社から、春野にサバイバルゲームにいい場所がないかと、先日も、聞かれたところであった。過疎地ならではのビジネスの可能性は、あるわけだ。

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2017-11-13

ススキを穂を刈るおばあちゃん。なんと87歳。

楽舎の田んぼの隣の畑。ここでススキを穂を刈るおばあちゃん。なんと87歳。とっても元気でいつも感心する。鎌の手入れがいいので、スパスパ切ってゆく。

農家にとってススキは、貴重な堆肥となる。他の雑草は刈り取っても、ススキだけは残しておくものだ。まずの穂を刈った後で、ススキを刈る。それをお茶の畑に入れて堆肥にするのだ。穂を刈るのは、種が畑に入るとススキが生えてしまうからだ。

このおばあちゃんから、田んぼのこと、畑のこと、いろいろと教えてもらっている。なにより、そのエネルギーに触発される。

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きょうでやっと脱穀が完了

こうして家族が交流しながら、子どもたち同士が遊び友達になっての農作業。まちなかから、1時間余かけて手伝いに来てくれるひともいる。きょうでやっと脱穀が完了。

稲穂と籾(もみ)を分ける作業だが、脱穀機がやはり不調。分解したり点火プラグを掃除したりで、なんとか完了した。のこるは籾摺りで、籾殻をとって玄米にする。昨年よりは少し収穫量はよさそう。

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脱穀はやっと半分というところ

脱穀機を納屋から運び出す。エンジンはかかった。快調に脱穀は進む。けれども途中で燃料切れを起こして、ぷすぷすと止まる。そのままギアに稲束を食い込んだまま停止。

燃料を入れても動かない。稲束をなんとか取り出したものの、もう動かなくなる。分解掃除しても埒があかない。わからない。お手上げ。

山下農機さんに行く。こうしてああしてと教えてくれる。でも、わからない。ので、送り迎えして現場で直してもらう。

プロが見れば簡単。稲藁を排出するところの詰まりが原因。さらには、点火プラグの掃除。それで動き出した。この間、3時間くらいのストップ。

その後、ぼくは用事で出かける。仲間が続けてやってくれていた。30キロの袋で、20袋近くの脱穀。脱穀はやっと半分というところ。

東屋に置いていたが、イノシシがやってきて食べられるのも心配。クルマに積み替えた。きょうは朝から残りの脱穀。ひとまず完了するはずだ。

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自らを磨いていくしかない

人に出会うのがいい。その人の生き方に触れる。生きざまに触れる。そこがおもしろい。学びになる。自分の歩む道の糧になる。

政治がどうの、行政がどうの、国際問題がどうの。そういうことも、たしかにたいせつ。しかし、自分ではどうしようもない世界とも言える。どうしようもないことを、論じあっても、これまたどうしようもない。

日々の暮らし、日々の生き方、覚悟、思い、実践、動き。そういうところを磨いていくしかない。

2017-11-12

とくに仏教分野。そこにエネルギーを集中していかなくちゃ、と

田んぼ(3000平米)に大豆畑2,000平米。それから、ブルーベリー畑(100本)に栗畑(50本)。ほかに農地は1300坪。こちらは友人が蕎麦と麦に挑戦中。これだけでも、ちゃんとやっていたら、専業農家。まあ、できない。

いちばん手のかかるのが、田んぼ。土を耕して水を引く。種から苗にする。水田に植える。雑草を抜く。シカやイノシシ避けの電気柵を張る。毎日の水の管理。稲刈り、天日干し。脱穀、籾摺りとたくさんの工程。そして機械のメンテナンスもある。

仲間でやっているものの、時間とエネルギーがかかりすぎ。労働だけでも年間500〜1000時間以上はかかる。無農薬ならではの苦労。

収益性と手間だけをかんがえたら、いちばんいいのは、ブルーベリー。いわば収穫だけ。冷凍保存が可能。加工もラク。草刈りも剪定もあるが。

栗もほとんど収穫だけでいい。草刈りは大したことない。しかし、保存が難しい。加工するまでたいへん。

大豆は、種から苗にして移植。草取りもある。しかし、田んぼほどではない。保存もラク。味噌に加工すれば価値は大きい。

田んぼがいちばんたいへん。除草剤と大型機械を使えばラクなんだけど。コメは食の基本、とくに安心安全な食の確保はたいせつ。コメつくりは楽しい。美しい。学びが大きい。

こうしたことを3年やってみたが、時間とエネルギーがとられすぎ。これで暮らしていけるわけではない。で、いろいろと絞り込む時期に来ている。いかに手間を省いていくか。全部はできないので、やめてしまうのも選択肢。人にまかせる。いろいろな人の協力。オーナー制もある。高く売れる道をさぐる。

いずれにしても、ぼくの本業はやはり企画と出版。本のプロデュース、執筆、編集。とくに仏教分野。そこにエネルギーを集中していかなくちゃ、と痛感する日々。あたりまえのことだけど、得意な分野を深めていくことに尽きる。

2017-11-11

脱穀機のエンジンかからず

脱穀しようとしているが、脱穀機のエンジンかからず。

添加系か燃料系に問題だと思う。キャブレターをオーバーホールしてどうの、点火プラグがどうの、というけれども、どこがどうなのかさっぱりわからず。

あとでまたトライしてみる。ダメなら機械屋に修理を依頼するしかない。それでもダメなら、機械を借りてくる。

毎度のことだが、さあ使うというときに、機械が不調になっている。年に一度しか使わないので、それが要因。

日頃の手入れ、わかっちゃいるけど、これができない。ストレス大きい。農業のたいへんなのは、機械とのおつきあいのたいへんさにもある。メンテにお金かかる。

2017-11-10

要するに、一言でいうと、なにを伝えたいのか、と。

たびたび講演会に行くが、わがごとで聞くようになった。自分だったら、どう話したらいいかなあ、と。

講演を依頼されたり、企画する機会が増えたので、そんな聞き方になる。以前は、内容を学ぶだけというところしか意識はなかった。つまらなければスルーだ。

ところが、「わがごと」で接していると、どんな講演でも学びになる。また、会場のあり方、進行の仕方、レジメ、タイトル、受付などにも、観察がいく。

講演がとても上手い人がいる。聞きやすいし面白い。それがいいか、というとそうでもない。立て板に水、なんども繰り返している話の使い回しみたいになると、響かない。

トツトツと下手くそ、ときどき詰まる。でも、一所懸命。心がこもっている。そういう講演がすばらしいのかなあ。

ぼくの場合、どうしても早口で饒舌になりやすい。言葉は次々と繰り出される。しかし、聞いている人は、あれこれと多すぎて、結局、なんだったのだということにもなりやすい。

自分はなんなのか。どういうものなのか。なにをしてきたのか。なにをしようとしているのか。要するに、一言でいうと、なにを伝えたいのか、と。

焦点を絞るというのが、難しい。あれもこれも言いたくなる。言いたいこと、余計なことは捨てる。じゃあ、なにを捨てるのか……。そのために、準備が必要だが、準備しすぎると、これがちっともおもしろくない。

いちばんいいのは、聴衆がいろいろ聞いてくれてもそれに答えていく。しかし、そのためには、質問してくれるような内容と雰囲気がなくちゃいけない。

今月は、禅宗のお坊さんたちの前で講演させていただくことになっている。さてさて、なにを話したらいいか。やはり準備しないとなあ。

「それでいい」というあり方でいく

たいせつなお客さんがこられる。部屋を片付けしないといけない。あれを移動しここを片付け、掃除をして……と、いろいろやることがある。

やることリストをエディター入れる。時間配分を決める。これは何時まで、これは何時まで、と。ひとつ完了したら、赤字で消していく。やった!という達成感。次に進む。

しかし、計画するときには、あもこれもできる。これくらいなら、この程度の時間でできる。いつものことだが、、実際にはそうならない。予定の半分がいいところ。そこを織り込んで、ゆったり・ゆったりの時間で計画する。それでもやっぱり、時間通りにならない。

時間があると思うと、ギターをみつけた歌いだしたり。余計なことを始めたり。で、未完了。まあ、人生そんなものだけど。

たいせつなこと。できなくてもそれでいい。未完了でいい。「それでいい」というあり方でいく。自己採点を低くしないこと。だめな自分でいいというところ。だって、所詮は、底が見えている。開き直りでもなく、自分をオッケーして、その波動で応対していく、と。

心がそこにちゃんとある

「心がそこにちゃんとある」こと。「心を使う」こと。

心を使うと、つかれる。なので、「心ここにあらず」となりやすい。

いま行っていることに心がない。別のことを考えている。心と体がばらばらになりやすい。相手にきちんと伝わらない、ということにもなる。

結局、それが失敗の要因になる。うまくいかないで、やりなおしになる。時間が倍、かかる。

子育てしていて、日々、これを学ばされている。絵本を読むときには、ちゃんと心を入れて読む。歌うときもちゃんと歌ってあげる。子育ては、すごい修行になる。

軽トラの車検

先日、軽トラの車検に行く。車検切れに気づいたのが数日前。いつもほとんど整備しないで、そのまま車検場にもっていく。10分ほどのの検査を受ければパスしてきた。10万キロを超えたクルマでも、そんなものだ。

ブレーキとウィンカのランプのカバーが破損していた。まあその程度は、途中、中古車屋かカーセンターで買えばいい。そう思っていたが、そういう部品は売っていない。メーカーの販売社にも行ってみたが、取り寄せには数日かかる。それでは、車検が切れてしまう。

結局、その日は車検を受けずに、ヤフオクで部品を手配したら、翌日届いた。しかし、すでに車検が切れてしまったので、赤い斜線の入った仮ナンバーをもらう。こちらは協働センターに行って書類を書けば、すぐに発行してくれた。

というわけで、きょうは車検に行く。どこか撥ねられるところがあったら、その箇所だけを近くの修理工場で直してもらう。その日にまた車検を受ければいい。これまでの経験でダメといわる箇所があるとしたら、ヘッドライトの位置が微妙にずれるところくらいだと思う。その調整費用は、千円くらいでやってくれる。

2017-11-08

ド素人の田んぼ作りも、今年で3年目

ド素人の田んぼ作りも、今年で3年目。完全無農薬、無化学肥料。土の力だけでお米を作っている。

収穫量は低い。3反弱で600キロくらい。反あたり200キロ。まぁ、山里の冷たい沢の水で、完全無農薬、無化学肥料というと、そんな程度か……。

そうして収穫量は、年々、落ちていく。土の力が落ちていくからだ。
そのためには、どういう手があるか。化学肥料を使えば収穫量はアップするが、使わないと決めている。

まず、「水持ちのいい田んぼにする」。そして、「草をちゃんととる」。「堆肥を入れる」。

「水持ちのいい田んぼ」は、ずっと課題だ。20年の耕作放棄地だから、やはり水が漏れる。

そのためには、代かきを丹念に、そして畦塗り。それでも水が漏れるときには、沢の水を田んぼに直に入れないで、迂回させて入れる。水が迂回する間に、水温が上がる。

水温が上がれば、苗の成長がちがってくる。ホースとか板を使って、田んぼの周りをぐるっと回す方法もある。

「草取り」は、人力の手間はたいへん。除草剤は使わないので、どんどん草が生える。やはりアイガモ(ひとつの田んぼに10羽くらい)でいけそうな気もする。昨年は、その2倍以上もカモを投入したので、エサ代やら逃げ出すカモの追いかけっこで、苦労した。

「堆肥」だ。落ち葉を集めて堆肥とする。ワラを切る。糠を入れる。あるいは、もみ殻燻炭など。レンゲを植える、冬水田んぼも、やってみる価値がありそう。

2017-11-07

これは役行者(えんのぎょうじゃ)だ

うちの田んぼの近くにある仏像。お地蔵さんかなあと思っていた。よくみたら、ちがう。これは役行者(えんのぎょうじゃ)だ。

修験道(山伏)の開祖とされる。仏教・神道・道教・民間信仰などの呪術に長けていた。馳痢覆犬鵑戮鵝紡臺郢Г箸盡討个譴襦B舅孫餝訃觧海能す圓掘吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築いたとされる。

7世紀の飛鳥時代の人で、空海や最澄より100年以上も古い。年代的にはも、行基とほぼ同じである。

行基は民間で活躍した僧侶であり、かれを開基とする寺院や聖地は日本各地にたくさんある。行基は東大寺の勧進(かんじん=寄付集め)も行い国家仏教の形成にも貢献した。

いっぽう役行者は、山中にこもり呪術を使い鬼などを使役したりして、怪しげな人物と思われ、国家からは迫害される。島流しにあったりするが、夜な夜な空中を飛翔して自由に動くことができたとされる。

この山里一体は、修験道の修行場であったと思われ、古い寺院などの境内には役行者の像が安置されていたりする。

むかしの寺院は、仏教・神道・道教・民間信仰などが混交状態であったようだ。やがて天台宗や真言宗という宗派に属し、さらには曹洞宗の禅宗などにも変わっていく。そうして、明治の神仏分離令で、かなりの寺院が壊された。

神社には仏教の色彩が消え去り、寺院には神道や民間信仰の色彩も消えていった。

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小石間トンネル

小石間トンネル。異次元に入っていくような不思議感覚。かつてここには、森林鉄道が通っていた。林業もおとえて、ここはクルマのトンネルになった。移住案内のときに通ったが、子どもがおもしろがっていた。

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2017-11-06

今週は脱穀。しかし段取りが難しい。

田んぼは、自ら動くともに、段取り仕事。なにしろ人手がいる。無農薬はとくにそうだ。田植え、草取り、稲刈り。脱穀、籾摺(もみす)と作業工程がたくさん。

「時間があったら、そのうちやりましょう」では、時を失う。忙しかろうがなんだろうが、すべて「待ったなし」。仲間とタイミングが合わないと難しい。

さて稲刈りと稲架掛けは、終わった。次は脱穀だ。稲の穂から実を取り出す。たくさんのワラが出る。これは人力では無理で、1トン以上のものを脱穀するには、数人での一日仕事。その後は、籾摺り。機械で籾殻と玄米を分ける。これも一日かかる。やっとこれで落ち着く。

今週は脱穀。さいわい脱穀機は持っている。しかし、一年間、納屋に眠っていたものなので、試運転しないと心配。

籾摺りは、友人に機械を借りることになる。人手をわずらわすので、いついつ行いますとお願いしておかないと、迷惑をかける。すると、その日にあわせて脱穀しなくちゃいけない。

ところが、そこが難しい。明日は、クルマで東京往復。明後日は、会議、明後日は……と。いろいろある。仲間とのスケジュール調整も、かんたんにはいかない。

籾摺り機があれば、調整は効く。けれども、買う費用も保管する場所もない。それで、きょうは農機具屋さんと交渉。籾摺り機を一時的に借りることにした。気心の知れた機械屋なので、安心。

そのうち、こちらの体力も衰え、人の手当がつかなくなったときには、すべてお願いすることもできる。荒起し、代かき、田植え、稲刈り、脱穀とすべてやってくれる。費用がかかっても、機械のメンテナンスの必要がない。そういう方法も一つある。

山里の農業のたいへんさは、獣害だ

あかりを連れて朝の田んぼ仕事。ちかくの畑でせっせと仕事をしている老夫婦。

声をかけると、いつも田んぼやっている人たちだね、感心だね……と言ってくださる。田んぼをしていると、地元では信頼される。ちゃんとやってないと、いろいろ言われるけれども。

山里の農業のたいへんさは、獣害だ。イノシシがやって、みんな食べてしまう。ぐちゃぐちゃにしてしまう。シカくる。サルがくる。ハクビシンが。カラスも。こうして、トタンで囲ったり電気柵をしなくちゃいけない。

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朝から田んぼに連れて行く

朝から田んぼに連れて行く。刈田は、子どもの遊び場にもいい。毎朝、田んぼで一緒に遊べるかな。お父ちゃんは、あかりを見守りながら、すこし片付け。

稲刈りは終わった。これだけの天日干しで、700キロくらいとれるといいんだけど。昨年は560キロだった。イモチ病にやられて収量はおちた。今年は、大丈夫そう。

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2017-11-05

春野を案内した

まちなかでブリーダしているが、近所から鳴き声がうるさいと苦情が出る。子どもも萎縮する。山里に暮らしてブリーダの仕事をしたい。

ということで、訪ねてこられたので、春野を案内した。といってもすぐに貸してくれる空き家はない。雨漏りとか廃墟に近いものはたくさんあるのだが。

まずは春野入門編として、移住者の暮らしぶり、地域の人を紹介した。空き家はたくさんある。しかし、家主との交渉には時間がかかる。

ぼくが住みたくなるよう川沿いのすてきな家がある。日当たりのいいところに2軒の空き家がならぶ。すがしいキャンプ場の近くに空き家がある。しかし、年に数回、帰ってきてお茶を刈りにくる。夏になると別荘帰りに帰ってくる。そんな所が多いい。

市の「おためし住宅」もある。だが、犬がいたら無理。子どもが来年中学というので、早くどこに住むのかきめて、移住の準備をしたいという。

ま、そんなにすぐにきめたら、あとで後悔することにもなる。春野に何度か通いつつ、人間関係を広げていくところから。そうなれば、自然と空き家が手に入るかもしれない。

ただ、空き家は自分で手直しが必要。その費用もみなくてはなない。また、補修や手直しして住みやすくなったところで、相続が発生して、家を返してくれというリスクもある。ある程度の資金があれば、土地と家を買ったほうが安心という話もした。

まあ100万円や200万円をぽんと出せば、売ってくれる家もあるかかもしれない。年に一度くらい帰ってくると言っても、基本的に、空き家は持て余している。買ってくれる人がいれば、そくらいでもいいかな、という話にもなる。まあ、あとは双方の人間性、タイミングなど、やはり縁だなあと思う。

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2017-11-04

最高の名月の冴えを感じた

あかりが散歩行く。と言い出したらきかない。後でね、とはならない。即、行かないとだめ。ということで、こんな風が強い夜に肩車して散歩。妻と三人で。

まったくの闇夜の中、山の向こうにぽっかりと満月。煌々と輝くばかり。最高の名月の冴えを感じた。川も月に照らされて白く光っている。満月は神様みたいだった。月を拝んだらいいのでは、と思うほど。太陽と月を。

いいろな音が聞こえる。川の音がごうごう。風がひゅーひゅー。落ち葉が舞って転がる、ガサゴソ。まだ秋の虫が鳴いているよ。じじじじ。ちんちろりん。ぎぎぎぎ。ホタルの池に流れる水音、ごぼごぼごぼ。ぶくんぶくんぶくん。

そしてお寺の鐘の音がごおーーーーん。さらに町内に流れるチャイムの音。ランがそれに合わせて遠吠えする。わぉーーーーーーん。

得意なこと、好きなことを深めていく。わが子にはそういう生き方を、と

山里の教育について。山里は子どもが少ない。全学で数十名。小中時代は少人数学級でいい。そして、山里のほうが教育に向いている。ゆたかな大自然という教師がいる。親子、仲間との農業体験、暮らしの達人たちとの出会い。たくさんの学びがある。

さて、高校だ。この山里にも高校はある。だが、希望のところとなると、まちなかの高校に通うことになる。ある生徒はは、クルマで駅まで往復2時間、そこからまた電車。またバスという通学をしている。それだと、4〜5時間もかかる。費用も大きい。

かつては〈まかない付きの下宿〉があったが、いまはそういうところは稀有だ。すると、まちなかにアパートを借りる。一人じゃ暮らせないので、お母さんも一緒に住む。お父さんはひとり暮らし。そうしてやがてお父さんも、まちなかで仕事をせざるを得ない。そんなことも聞く。

あかりが高校に行くまで、あと13年ある。その頃には、時代も大きく変わっている。偏差値の高い学校=いい学校=いい大学=いいカイシャ=安定した人生、という価値観は、あんまり意味をもたないと思う。

読書のたのしみがわれかば、ひとりでどんどん学べる。学びに際限はない。書くことで理解がさらに深まる。文章にしてネットで発信できる。遠方のすぐれた方から学ぶことができる。友ができる。

いいカイシャに属して安定して生きるという生き方は、すすめたくない。生きていくワザを身につける。コミュニケーション能力を養う。自分しかできないことを、見つける。得意なこと、好きなことを深めていく。わが子にはそういう生き方を、と思っている。

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2017-11-03

なにをやっても喜ばれる。ほめられる。

ちかくのデイサービス(みんなの家)にあそびにいく。3時のおやつをいただいたり、みんなの体操に参加したり。なにをやっても喜ばれる。ほめられる。おばあちゃまたちも、元気になる。

「あかりは、昨日までできなかったことが、今日できるようになる。子どもの成長ってすごいね」そう言うと、「私たちは、昨日までできていたことが、今日、できなくなっている」と。

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行動すること。実践すること。

祈りがたいせつ。思いがたいせつ。ありありとイメージすることがたいせつ。目標設定もたいせつ。そうして、現実を引き寄せること。その法則がある。

……というような本はたくさん読んできた。

しかし、とにかく行動あるのみ。実践あるのみ。やるといったことを、即やる、ということに尽きる。

ふかく考えることもたいせつ。なんだけれども、やるということ。行動すること。実践すること。

まちなかの歯医者に通っている

まちなかの歯医者に通っている。往復クルマで3時間。なかなかいい。挨拶、礼儀が清々しい。こういう計画やります。きょうはこれをします。その後は、様子を見てこうします。……と、はじめに戦略を示してくれる。治療も手際いい。設備も新しい。

以前、通っていた歯医者は、医者は基本、挨拶なし。言葉をかわすのは、1分くらい。説明なし。笑顔なし。あとは助手が全てやる。それでも繁盛していた。

神社・寺カフェすこしずつ

まちなかの歯医者に通うついでに、お寺や神社に寄る。O神社に二度目の訪問。こんどの神社・寺カフェの打ち合わせ。

演目は「デジタル紙芝居」で、古代神話を演じてもらう。みどころは効果音の雅楽の生演奏。ひちりき、しょう、笛、太鼓がでる。

さらには、「神道の作法の基本」などを教えてもらう。参加者がいろいろ質問すれば、宮司に答えてもらう。

お寺も敷居が高いが、神社もそうだ。いきなり訪ねると、なかなか相手にしてくれない。うちはいそがしいからと、ほとんど関心も示してくれない。まあ、縁があったところだけに参加してもらう。

この企画は、神社とお寺を市民と繋ぐということが趣旨。人と人を結ぶこと。観光は二の次。住職や宮司が、参加者といろいろやりとりしてくれる。そのことで、社会に開かれた神社とお寺になっていくきっかけに。来年で3回目。2月〜3月の実施。

まだ試行錯誤。参加寺社は40くらいになる予定。あんまりたくさん増やさない。ぼくがまわりきれないので。

2017-11-02

消費者庁から特定商取引法違反で3ヶ月の取引停止命令

知人や友人が、このクローバー・コインに関わっていた。ぼくも説明を受けたことはある。いま参加しないとあとで後悔する。かならが値上がりする、億万長者が続出する、というようなトークをしていた。

このコインを扱う「48ホールディングス」は、消費者庁から特定商取引法違反で3ヶ月の取引停止命令を受けた。

いわゆる暗号通貨(仮想通貨:ビットコインやリップルコイン、イーサリアムなど)やブロックチェーン(Blockchain=分散型台帳技術、分散型ネットワーク)には、大いに関心はもっているところだ。

けれどもこの48(ヨツバ)ホールディングスは、ネズミ講そのもので、いつか破綻すると思ってウォッチはしていた。

過去に、いろいろネットワークビジネスに関わったことがあるが、ほとんどぼくは成功したことはない。

その怖さは自分の投資金額が回収できないこと以上に、自分が勧誘した人にも迷惑をかけてしまう。人間関係を壊してしまうところにある。

消費者庁の告知

http://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_transaction/release/pdf/release_171027_0001.pdf

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早朝のあかり散歩

早朝のあかり散歩。朝の光を浴びて川の音を聞きながら、落ち葉を踏みしめて散歩する。

最近は、リヤカーにした。肩車もいいけど、このほうがラクだし、アブなくない。アルミなので軽い。タイヤが大きいので悪路でも平気。

出会う人とは、かならず声掛けをする。親しい人が増えて、あかりを可愛がってくれる。ほとんどお年寄りばかりだが。

毎日、出会うKさん。もとより屈強な方だが、林業のとき土砂に埋まって半死半生の目に遭う。脊髄を圧迫して足が不自由になった。杖をついて、毎朝、散歩される。

やることがないので、散歩するだけだという。かつての気田の町の賑わい、林業の盛んだった頃の話お聞きするようにしている。

Sさんは、いつもちっちゃなワンコをつれて、毎日、散歩される。わんちゃんは、あかりを怖がって逃げるけれども。すこしずつワンちゃんが近づいていくるのが、たのしみ。

その他、ホタル公園のホタルの飼育をされている方、足の不自由な犬を連れて散歩に来られる駐在所の奥さんなど。いろいろな人に出会う。

ただ、いろいろな人に出会うと、顔と名前を忘れる。ので「出会った人記録」をつけて、名前と特徴、さらには写真を撮影させてもらっている。お住まいもゼンリンの地図でチェックと。

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山里の交通弱者対策

NPO法人「春野のえがお」が運営しているタクシー。山奥の交通弱者のためのタクシー。法律の規制があって町内しか走れないが、会員になれば、タクシーの半額で利用できる。

春野町は浜松市と合併するまでは、町内なら500円で走れる制度があった。しかし市と合併して10年たつと、他の町との「一律平等主義」に反するということで、その制度は廃止された。

しかし、医療や買い物など、クルマを運転できない高齢者はどうなるのか。もとよりバスなどもほとんどこない。交通弱者を切り捨てていいのか。

ということで、友人の林業家、森下広隆さんが立ち上がって、NPO法人を設立。NPOタクシーを運営することになった。

この電気自動車は、日産から無償で貸与されている。ほかにも静岡新聞社からの補助。そして、燃料は電気なので、町の協働センターで充電することになる。

まあしかし、春野は広いので、たとえば川上の外山(はずれやま)に住んでいる方など、診療所まで片道2,800円かかかることになる。そうして、運営するNPO法人も利益など、生むはずがない。今後、どうなっていくのか。交通弱者対策。

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中本山を再興するはなし

宝珠寺の稲垣寺住職を訪ねた。ぼくが企画した寺カフェのご縁だ。アポなく訪ねても、いつもていねいに迎えてくださる。寺カフェの参加者、ひとりひとりをたいせつにしている。ちゃんと名簿も揃え、行事の案内の手紙も出す。帰るときにも、駐車場までおくって、クルマが発信するまで不動で見守ってくださる。

その宗派の中本山の話になった。七堂伽藍の威容があり60ほどの末寺があったお寺。なんと仏舎利が安置されているという。150町歩も広大な敷地があった。しかし、本末が解体され、大正時代の火災での消失、戦後の農地解放で不在地主であったため、ほとんど土地が取られてしまう。敷地は小中学校にあげてしまう。

その中本山を再興することになったという。稲垣さんが兼務住職として務めることになる。五間四方のお堂を建てる。そこで、お経を教え、坐禅ができるようにする。50畳の広さだから、いろいろ企画ができそうだ。

歩く瞑想(行経=きんひん)のできるお寺にしたらいい、と提案させてもらう。マインドフルネスで堂内で歩く、お堂のまわりを歩いて瞑想する。そんなお寺に。

日本にはいろいろな神社やお寺があるが、ぐるっと回れるところがほとんどない。インドのテンプルに行くと、周りを回れるところが多い。テンプルのある山そのものの周囲も回れる。寺に入れば、また回れる。ぼくはインドを旅していた時、よく古いテンプルを訪ねては、歩く瞑想をしたものだった。

仏舎利の党を軸に、五間四方のお堂のまわりを、ぐるぐるまわりながら、歩く禅、マインドフルネス歩行、祈りのあゆみ、それができる寺に。

歩くことがそのまま瞑想になる、禅になる、祈りになる。気づきが深まる。そういうお寺になるといいですねと、話をしたのだった。

2017-11-01

稲刈りが完了した

稲刈りが完了した。バインダーという機械で、稲を刈って麻紐で束ねる。人力で稲架掛けをする。日の光と風によて乾燥させていく。

2週間くらいして、稲の含水率が15%くらいになったところで、脱穀する(稲穂からモミを取り出す)。次にモミ摺り(玄米と籾殻を分ける)。あとはその都度、精米する。モミ摺りと精米は、機械を借りることになる。

この田んぼは、およそ3反(3,000平米)。20年の間、休耕田だったところだ。地代は年に1万円。農薬と化学肥料はまったく入れていない。

土と水と日の光だけでコメがとれる。詳しくいうと、種の力。長年の蓄積された土の力。沢からの水が運んできた養分。昨年のアイガモたちの糞と、昨年のワラも入れた。たったそれだけで、ちゃんと収穫できる。

現代の農業は、機械と化学肥料と除草剤の三本柱。機械で田植えする。除草剤をまく。化学肥料をまく。コンバインで稲刈りと脱穀を同時に行う。なので、ひとりで可能なのだ。ただし、機械の設備とメンテナンスに費用がかかる。全部揃えれば、一千万円は超える。その他、肥料代も相当なものだ。

いまどき、ぼくたちみたいに、無農薬・無化学肥料でやるという農家は、ほとんどいない。なにしろ人手がかかる。歳をとると体力がもたない。人を雇えば、経費ばかりかかって大赤字だ。

ということで、伝統農業は消えていく。耕作放棄地がひろがる。そこに太陽光パネルなどが置かれる。無機質なピカピカした金属とガラス板の並ぶ農村風景となっていく。

けれども、ぼくたちのようなド素人でも、ちゃんと伝統の米作りができる。その実例を示して、まちなかの人たちも関われる流れを作りたい。なにより安心・安全な食の確保はたいせつ。そして、農業体験による自然との関わり、仲間とのチームプレー、からだを動かすことの智慧と学び。じつに貴重な体験が得られる。その道を開きたい。

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2017-10-31

支払いが滞った会社とのやりとり

依頼された仕事はきちんと完成して納品。それで、完了。ということだが、次の大事なステップがある。金額を確認して、請求書を発行する。支払日を確認して、ちゃんと振り込まれて、はじめて仕事が完了したといえる。

仕事をしたけれども、支払われなかった。それは、こちらがミスしたから。そういうことは、いくつかあった。これは自分の責任なので、仕方がない。

しかし、きちんと仕事したのに支払われない。それだったらアタマにくる。電話しても埒があかない。過去に、そんな事例は1つある。もうその会社(出版社)とはつきあえないということで、裁判にもっていった。

こちらは、友人のサポートで本人訴訟だ。相手は、弁護士を雇った。きちんと証拠資料をそろえていたので、簡裁は完勝した。相手は地裁に控訴した。しかし、これも完勝した。さらに相手は、高裁に。しかし勝てる見込みなしとして相手は諦めて、取り下げた。それで、やっと支払われた。2年もかかったが、いい体験であった。

先日、友人から、ある出版社から「振り込みがない」という連絡があった。1年以上も待たされているという。ぼくが紹介した会社でもあったので、責任を感じる。

いま出版業界は自転車操業のところが多くて、支払いが滞ることがあるかもしれない。一般的には、うるさく言うところから支払っていく。だまっていると、いつまでも延ばされることもある。

ぼく自身、今年、その会社からの支払いが滞った。当然、振り込まれていると思って確認もしていなかった。が、1年以上も振り込まれていなかった。しかも、その連絡さえくれない。

で、催促したら、1つは半年待ってほしい。もう1つの案件は9か月後といわれた。こういう会社とはもうつきあえないなあ、ともう縁ははなれた。

そうして、今回の友人からの報告である。これは、たんにルーズなだけか。資金繰りがよほど苦しいのかな。両方か。もしかしたら、もしかする。

なんども催促する。裁判すれば勝てるように。きちんと証拠をとっておく。そう友人にはアドバイスした。

「稲架掛」(はざかけ)づくりの苦労

稲を刈る。天日干しのために「稲架掛」(はざかけ)する。2週間くらい乾燥させると、これくらいで200キロほどの玄米になる。今年の予想は700キロ。

この稲架掛の木をつくるのが一苦労。昨年は竹で作ったが、強風でみんな倒れてしまった。10回くらいは倒れた。そしてまた、稲の掛け直しの繰り返し。

今年は、ちゃんとした杉材でやろうとした。森下さんの広大の森林で、木を伐った。さらに、ロボットのような機械で集めて玉切りしてもらった。

それを軽トラで運んで、こんどは4つに割って、先端を削る。そして、土に深く打ち込む。これならもう倒れないだろう。

こういう一連作業は、土木事業であり山仕事。お米つくるのに、いろいろと学びがある。山里に移住してのんびり暮らすつもりが、いつの間にか大規模に。予想だにしなかった。

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