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春野町で暮らす山里日記 いちりん堂/楽舎 (池谷 啓)

2016-09-25

女房の洗脳を解いてくれ。そう頼まれた。

女房の洗脳を解いてくれ。そう頼まれた。かれの妻がR会という新興宗教に入っていて、知りあいにさかんに勧誘する。そのひとたちから、クレームがくる。申し分のない妻なのだが、こと宗教に関しては困りはてている。再三、勧誘するのはやめてくれと頼んだ。時には威嚇しても、断固としてやめない。それで、かれは自分から家を出てしまったという。

R会は、新興宗教でもかなりの老舗にあたる。その教えの中核は先祖供養だ。先祖が苦しんでいる。先祖の苦しみを救うことで、今の私たちの幸せがあるという。

しかし、そのために家庭内に争議が起きている。ぼくは、家族であり、いま親しく出会っている人こそが、いわば先祖みたいなものだと思う。それをないがしろにして、先祖供養するというのは、まちがっていると思うけど。

しかし、宗教に固まった人は難しい。それが正しい、唯一絶対のものと思いこんでしまったら。何が起きても、ますます信念は固まっていく。外野が何を言っても、あなたたちはわかっていないのだ、ということになる。

ぼくはアイガモの催眠術はかけられるけど、人間の洗脳は解けないよ。宗教はとくに凝り固まったら、むつかしい。まったく聞く耳もたないから。いっそのこと、奥さんの宗教に賛同して、応援していくしかないんじゃないかね。教祖の本を読んだり、すこしでも理解を示していくことで、奥さんも歩み寄ってくる。また、R会ってそんなにわるい宗教じゃないと思うし。そう言ったんだけど。

2016-09-24

籾摺り機、米の選別機、田植え機をはこぶ

米作りには、いろいろと機械が必要だ。人力だけでは、とても対応できない。トラクター、田植え機、脱穀機はもっているのだが、中古のために、どれも心もとない。修理費ばかりかかっている。

そこで、知人から、あらたに籾摺り機、米の選別機、4条植えの乗用タイプの田植え機をもらうることになった。こちらは、田植え機以外は、昨年まで使っていたものだから、大丈夫だろう。

だが、籾摺り機は動力で動くとなると、わがやでは電気工事が必要になる。工事代に加えて、基本料金が高くなる。年に一度しか使わないので、これはもったいない。エンジンを混合ガソリンで動くものに付け替えることも考えた。しかし、これらの機械を置く場所もないので、とりあえず、農機具屋さんに修理をお願いして保管してもらうことにした。

それらを運ぶことになった。とても軽トラでは運べないので、ユニックで運んでもらう。ついでにランの小屋まで運んでもらうことにした。このイヌ小屋は、重さ100キロ以上あるのだ。

さて、きょう田んぼの仕事をしていたら、近所のひとから、農機具をあげるよ、と言われて見に行った。2条植えの田植え機、バインダー(稲刈り機)、脱穀機をいただくことになった。もう田んぼは、やらないので処分しようと思っていた。だから、ぜんぶあげるというのだ。遠慮なくいただくことにした。ありがたいことだ。

こうして、農機具がほとんど揃うことになった。さて、問題は保管するスペースだ。倉庫を探さなくてはならない。まあ、いまのこの流れの中で、ちょうどいい倉庫が借りられるような気がしている。年間家賃5万円あたりが望むところだ。

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2016-09-23

知的障害者と一緒に稲刈と天日干しを体験する

知的障害者と一緒に稲刈と天日干しを体験する。11月7日、名古屋から知的障害者30名とケアスタッフが春野にくる。

熊切川のほとりで昼食のあと、楽舎の田んぼでアイガモ見物のあと、稲刈りと天日干しの作業を行う。それから、気田川の河原で焚き火をしてあそぶ。焼き芋と新米のおむすびをいただく。

この企画に、おおむら・たくみさんが参加してくださることになった。かれの演奏とパペットの披露がある。おもしろくなりそう。昼食の会場は、川音の郷。たくみさんの演奏を楽しみたい方、一緒に稲刈のお手伝いをしてくださる方、参加ご自由です。ボランティアスタッフも募集します。くわしくは池谷まで。

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2016-09-22

雨が続いて稲が倒れてしまう

雨がつづく。昨日も今日も、明日も雨。稲が実って垂れてきた。稲刈りというところに、雨が降りつづく。さらには風も吹く。そうなると、稲が倒れてしまう。うちの田んぼの稲の2割くらいが倒れている。友人の田んぼは、7割くらいだ。

天気が回復して水分が蒸発すれば、稲は起き上がるのだろうか。どうも、わからない。倒れたままかもしれない。稲刈りまで、寝たままの状態かもしれない。

そうなると稲刈り機で刈り取れなくて、鎌で手刈りとなる。すごい手間だ。さらに問題なのは、穂が水に浸かってしまうと、そこから発芽しはじめること。そうなったら、もう食用にはならない。

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この店舗で、喫茶・軽食ができるようにしたい

この店舗で、喫茶・軽食ができるようにしたい。奥の民家が楽舎の事務所だ。店舗はいまは使われていない。もとは、お好み焼きやカレーショップが営まれていた。そのまま店舗として活用できる。15人くらい入れる。20台くらいおける駐車場もある。

立地はいい。気田の町の中心地にちかい。国道に面している。すぐそばが藤の瀬ホタル公園だ。気田川の清流もその先だ。近くにカヤック・スクールがある。近所の人がよく散歩に訪れる。

地域のひとが気楽に寄ってもらい、おしゃべりする場になればいい。情報交換の場、地域の寄り合いの場、地元と移住者との交流の場ともなる。移住説明会、相談会もできる。コンサートや映写会も。願わくは、細々ながらも利益を出せればありがたい。

楽舎でつくった完全無農薬・無化学肥料の米と大豆、ブルーベリー、栗なども提供できる。アイガモの肉も。加工所をつくれば、味噌、クッキー、菓子など製造販売もできる。また、地元に伝わってきている料理を、みんなでわかちあって、商品としてかたちにする場になっていければいい。

さらには、春野の暮らしの魅力発信の拠点にもなりうるかな。小さな観光案内、暮らし案内所、地元の商品(お茶、わさび、自然薯、シカやイノシシの肉など)のPR機能もはたすことができれば。

ということで、すこしずつ動き出そうとしている。来年の春からスタートできればいい。いまは試行錯誤だ。

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2016-09-21

さて、なにをどのように手伝ってもらおうか 山里体験

山里での農業体験をしたい。なんでも手伝いたい、という。ぼくのブログを読んで、若者からのアプローチがあった。三人いる。さて、なにをどのように手伝ってもらおうか。

今月から来月にかけては、稲刈、天日干し、脱穀、籾摺りという米作りがある。大豆の収穫もある。そばもある。ブルーベリー園の草刈りと剪定もある。栗拾いもある。アイガモの解体もある。

わがやの敷地の草刈り、納屋の片付けもある。ぼくが管理している空き家が1軒、さらには廃屋に近い空き家が2軒ある。そちらの修理もある。窯だけつくったが、その後、止まったままの炭焼の仕事もある。竹炭もつくってみたい。

潜在的に山里で体験したいという人は、かなりいることと思う。今回の申し出は、ひとつの流れが起きつつあるような気もしている。

しかし、なにをどのように手伝ってもらうか。そのあたりのメニュー、そして手順が、ちっともできていない。たんなる労働力じゃなくて、体験としてワザや知識が深まってくれることがのぞましい。なにより楽しくないと続かないだろうし。

食事のこともある、宿泊のこともある。まずは9月23日に来てくれるという。仕事は、草刈り、栗拾い、竹の伐採、納屋の片付けというところか。食事は、楽舎の店舗でお好み焼きか、カレーかな。まあ、段取りのとおりにはいかない。そのときそのとき、出たとこ勝負ではある。まあ、ともあれ現場を見てもらおうか。

2016-09-20

稲刈りに向けていろいろと課題が

農業は天候に左右される。台風と豪雨が怖い。これだけ雨が多いと、田んぼの水が抜けないのも困る。土がぬかるんだままで、固くならない。そうなると、稲刈り機が土に沈んで進まない。鎌で手刈りとなったら、手間がかかりすぎる。

いまの時期、台風が来たりすると、さらにたいへん。垂れていた稲穂が雨のために水を含んで重たくなり、強風のために倒れてしまう。倒れて土についたりすると、そこから芽が出てくる。稲刈も難しい。味も落ちる。

楽舎の田んぼは、早稲のコシヒカリ、キヌムスメ、そして奥手のサガビヨリを植えている。コシヒカリ、キヌムスメは、月末には稲刈の予定だ。

早い時期に、早稲の品種で田植えをすれば、8月に稲刈が終わる。それだと台風の被害に遭いにくいかもしれない。また奥手なら、まだ穂が垂れていないので、雨や風に強いかもしれない。

昨年は、奥手の品種を植えたので、稲刈は11月に入ってからだった。一か月の天日干しで、12月の第一週に脱穀をした。新米を食べるのが、12月。そんなに遅いところは、このあたりではめずらしい。地元のひとから「祭の前に稲刈は終わっておくものだ」と小言を言われたりもした。

早稲と奥手のちがいは、田植えから出穂までの時期の違いだ。早稲は早く花がついて実りがはやい。奥手はゆっくりと実るので、養分が蓄えられて美味しいような気がする。今年は3種類を栽培したので、どれがおいしいのか食べ比べができる。また、アイガモを投入した田んぼと投入していない田んぼとの食べ比べもできる。

2016-09-19

あの巨大なイチョウの木と再会した

あの巨大なイチョウの木と再会した。推定樹齢200年で幹周り5メートルもの巨木だった。昨日、水窪の友人の木工店をたずねたとき、なんと、そこに材木となって置かれていたのだった。

大イチョウは、「森岡の家」(旧平野家住宅)という屋敷の敷地にあった。風格ある江戸期の土蔵、長屋門もあった。敷地には、イチョウのほかにも旧浜北市指定保存樹のクロマツなど、数多くの威風堂々とした高木があった。

これらを取り壊すと浜松市はきめた。「倒木の危険、落葉や害虫による被害があり、取り壊してほしい」と地元の自治会長、町内会長から市長に要望書が提出され、議会でも取り壊しが可決された。

このような貴重な文化財をつぶすなど、とんでもない暴挙だと、浜松市長を相手取って住民訴訟が提起されていた。

が、昨年の10月、浜松市は解体・伐採工事を強行したのだった。すべてが取り壊され、更地となった。このあとは、駐車場にするという。

普通、このレベルの巨木を買うと1本500万円くらいするんだそうな。それを、ものすごく破格な安値で手に入れたという。ヘタをすると、チップになって堆肥にされるところだったと思う。これほどの見事なイチョウは、まず出てこない。どんなことにつかわれるんでしょうね、と聞くと、仏像にするのが一番いいとかれは言っていた。端材をいただいて、ぼくも刻んでみたいものだ。

https://www.facebook.com/moriokanoie2014/posts/1644894235792328

移住相談の場、地域の寄り合い場、情報交換の場としての店

楽舎の事務所のとなりに、店舗がある。かつては、お好み焼き屋、カレー屋がひらかれていた。いまは使われていないので、そこを活用しようと考えている。移住相談の場、地域の寄り合い場、情報交換の場として。

喫茶とクッキー、あるいはカレー屋、あるいはうどん屋、あるいは日替わりシェフの店など。楽舎で作った無農薬の食材を提供することができる。お米や味噌、そば、野菜、ブルーベリーなど。アイガモも。

まあ、こんな山里で、お客さんがたくさんくるはずもないが、それでもなんぼかの収益にはつながるかもしれない。もっとも、それを運営する人手があるのか、という問題があるけど。

昨日は、激しい雨の中、水窪に出かけた。廃校を活用して地域おこしをしているNPO法人が、その校舎を閉めることになった。校舎内で、喫茶室もひらいていたが、もう必要がなくなった。ので、テーブルや椅子、厨房セットなど、譲ってもらえないかなあと、下見をさせてもらった。試行錯誤は続く。

2016-09-18

空いている個室を貸し出してシェアハウスにもいい

これはずいぶんと大きい。重量鉄骨づくり。一階は倉庫で、巨大なクレーンが何台も入るほど。しっかりコンクリートが打ってある。二階は宿舎で、完全個室が9部屋もある。しかし、なかなかきれいだ。共同の炊事場と風呂は、20人くらいが使えそう。リビングは、卓球台もビリヤード台もラクラク置ける広さ。

ここに暮らして、空いている個室を貸し出してシェアハウスというのもいい。気田川にくる釣り人、農業体験したい人、田舎暮しの物件を探そうという人、そんな人たちに貸し出すこともできそう。

いま思い立って、倉庫探ししている。ちょうど友人のYさんからの耳寄り情報。ちかくの建設会社がもう廃業してしまい、倉庫と宿舎を処分するというので、見せてもらったのだ。

ここは、国道のそばで、コンビニも近く。気田川と山の眺め。桜並木。なかなかいい立地。事務所からクルマで2分と便利だ。ただ、山里暮らしの風情はまったくないけどね。

動き出すと情報は集まってくる。そんな目で散歩していると、空いている倉庫、店舗、旅館などがある。廃校もある。使ってない教職員住宅、だれも使わない寄りあいの施設なども。それぞれが、つかう道もなく、もてあましている。つぶすのはもったいない。さて、活用の道をさぐってみたい。

2016-09-17

地域の空き家、空き地などの聞き取り調査みたいなことも

事務所の近くに倉庫をがほしい。農機具も機械工具も材木も、なんでも保管できる。しかも、湿気が少ないところ。

部品組み立ての仕事をしていた知りあいの会社は、昨年、元茶工場を借りた。そこで、パート10名くらいで仕事をしている。なんと年間家賃が4万円。駐車場も30台くらいある。しかも、国道に面している。

まあ、そんな場所がいい。さがせば、みつからないこともない。で、散歩していると、事務所のちかくに、そんな倉庫があった。地主を探して、訪ねて聞いてみると、倉庫の所有者は別の人で、また訪ねていくことになるのだが。

地主のYさんは、たくさんの土地や山を所有している。父親が銀行で整理の仕事をしていて、その関係で土地を買い求めたという。しかし、いまの時代、宅地や山がたくさんあっても、苦労ばかりだという。

宅地にしておけば固定資産税がかかる。雑種地にすれば、税金は安い。ということで、空き地に栗を植えたり、リンゴを植えたり。しかし、これとて放置できない。雑草対策も必要だ。いろいろ手間がかかる。

老いてくると、そういう仕事もたいへんだ。たくさんの土地があるだけに、もてあまして苦労されている。あそこの土地は、畑にするならタダで貸してあげるよ、と提案してくれた。

周辺の空き家事情も聞いてみた。新しくて立派な空き家があった。ここは、だれそれの所有だから今度聞いておいてあげる。あそこは、土地建物を600万円で売りに出したけど、売れなくて解体してしまったよ。その費用は200万円かかったそうな。

……など、いろいろと地域の情報にも詳しい。こんど、精密なマップを持参して、この空き家は、この空き地はだれの所有ですか、とお聞きしながら整理してみようかと思う。

まあ、散歩して立ち話の世界である。こういう仕事は、わりとおもしろい。茫洋としていた地域事情が、すこしずつ輪郭がはっきりしてくる。人の暮らし、生きざまなども、聞いていてなかなか面白いのだ。

2016-09-16

三人の若者が楽舎を訪ねてくれた

「農業体験をしたい。どんなことでもやります」。三人の若者が楽舎を訪ねてくれた。ぼくのブログをいつも読んでいて、アイガモ農法など関心をもってくれていた。

やる気があれば、メニューはたくさんある。田んぼの稲刈、大豆の収穫、味噌作り、蕎麦づくり、アイガモの解体、ブルーベリーの剪定、小屋作り、空き家の改修など。

楽舎の田んぼと畑、ブルーベリー園を案内した。空き家も2棟、見せた。いずれも、ただで貸してくれる。ただ、自分たちで改修しなければいけないけど。

かれらは幸い若い。ワザや知識がなくても、やる気さえあればなんでもできる。先生はたくさんいる。田んぼなどは、素人のぼくでもできたので、なんとかなる。

山里は、若者が〈まちなか〉に行って帰ってこない。だから逆に、若者が山里にきてくれると、喜んでくれる。好意を寄せてくれる。サポートしてくれる。

空き家を改修してみたいって? 草刈りなら手伝うよ。草刈機もチェンソーも貸すよ。ユンボも借りてきてあげる。使ってないビニールハウスが3棟ある(3枚目の写真)。農業をやりたければ、タダで貸してあげる。案内する過程で、会っひとは、5名。びっくりするほど、みんないい人ばかりだった。

とりあえずは、今月末からの楽舎の稲刈の手伝い、大豆の収穫にきてもらう。そうして、廃墟に近い空き家(1枚目の写真)の草刈りと改修をして、泊まれるくらいにもっていく。

また、わがやの敷地1700坪の活用もしてもらおうか。納屋を片付けて草刈りして、自由に寝泊まりできるように使ってもらってもいい。〈まちなか〉のひとたちが、農業や林業体験のできるスペースに活用してもらおうかと思っている。

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大豆焙煎珈琲をだした

きのうはお客さんが三人。農業体験をしたいというので、訪ねてくれた。コーヒー豆が切れていたので、思いたって大豆焙煎珈琲をだした。それが好評。みなさん、おいしいとほめてくれた。

だまって出すと、これが大豆かどうかわからない。色も味はかなりコーヒーに近い。すこし苦いくと甘い。酸味はない。そして、とてもいい香り。

作り方はかんたん。大豆を焙煎してコーヒーミルで挽くだけ。ただ、焙煎にすこしコツがいる。深煎りにしすぎると苦いだけになる。浅煎りだと、たんなる〈きな粉〉になってしまう。

挽いた大豆の粉に熱湯を注ぐだけ。そのまま飲める。ただ、飲んだ後に、カップの底にどろっとした粉がたまる。これは、またスプーンで掬って食べられる。

コーヒーばかり飲み過ぎるひとには、この大豆焙煎珈琲、いいと思う。なにしろ完全無農薬・無化学肥料、自分で栽培して収穫した大豆だからね。

大豆はすごい。枝豆になる。煮豆になる。味噌にできる。豆腐にも油揚げにも。ハンバーグにも。おからも。そして、焙煎したらコーヒーみたいに飲める。楽舎の畑では、そろそろ実ってきた。まずは枝豆としていただく。


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2016-09-15

お坊さんの研修会での講演依頼が

講演の依頼をいただいた。禅宗のお坊さんの研修会で話してほしい、ということだ。聴衆はお坊さんばかり50名くらい。会場は駅前の立派なホテルとな。はて、なにを話せばいいのか。

一般のひとたちと寺院の距離を縮めたい。地域密着で活動をしたいけれども、なかなかどうやっていいのかわからない。そんなところを話してもらいたいという。

ますます、なにを話していいのか、わからない。なにしろ相手はお坊さんたちだからね。事務局の方は、「これまでやってきたことを話してくださればいいですから」ということだった。

ああ、そうだ。えらそうな理屈や教訓とか哲学みたいなことじゃなくて、これまでやってきたこと、事実を伝えていけばいい。そう思ったら、気がラクになった。

農体験をしたい方 募集

農業を体験したいということで、近ごろ、よくアクセスがある。きょうは、とにかく体験してみたいということで訪ねてくれる人がいる。海のほうから子連れて来られる方もいる。

ぼくはとくに、農業をしているわけじゃあないけど、アイガモ農法の田んぼのことは、頻繁に発信しているので、ブログを読んでくれる人が、関心を示してくれている。

農作業は、とにかくたくさんの仕事がある。たとえば……。

これからは稲刈だ。まず、天日干しのための架台をつくる。あるいは竹を切ってきて運んで組み立てる。

稲は稲刈り機で刈る。刈られて稲の束を抱えて天日干しの架台にかける。機械で刈にくいところは、鎌で刈る。それから、大豆の収穫がある。大豆は引っこ抜いて土を落として、天日干しをする。

それらは一ヶ月くらいかけて、干すことになる。太陽の光で自然とゆっくり乾燥させるとおいしくなる。それから脱穀だ。稲は藁が取れて、籾のまま出てくる。それを籾摺り機にかけると玄米ができる。

できた藁は細かく裁断して、田んぼの肥料にする。今年は、冬でも水を張っておく。微生物がたくさん発生して、豊かな田んぼになる。いろいろな生物も暮らすことができる。そのため、畦を固めての土木作業もある。ドジョウを飼ってみようかとも思う。

そうして、大豆の脱穀。足で踏んで回転する機械で、豆をとる。それから、唐箕(とうみ)という風を送る機械で、豆とゴミを分ける。こちらは、手で回す。いずれも、すごく体力がいる。今年は、もっと楽ちんに大型機械でやろうかと思っている。

味噌も作る。今年は、自家製で、麹をつくりたい。豆を煮て、杵と臼でつぶす。そして、麹と塩をいれてかき混ぜて、保管しておく。さらには醤油もつくりたい。

さらには、アイガモたちが45羽もいる。冬まで飼うことにする。しかし、これから少しずつ、みんなで解体していくことになる。頸の骨を折って、羽根をむしり、内臓を取り出して、肉を分ける。

……など、これから農業体験はたくさんある。人手もほしいところ。関心を持ってくださるかた、スポットできてもらうと助かります。くわしくは、チラシかホームページを作ります。いつ頃、どんな仕事があって、どんなふうに関わってくれるとありがたいか、など。

2016-09-14

主催するイベントが続く

「春野カフェ」がおわった。しかし、主催するイベントが続く。

次は、稲刈と大豆の収穫だ。「第2回神社・寺カフェ」に向けて動き出す。開催は2〜3月。

知的障害者との稲刈が11月。アイガモの解体ワークショップが1〜2月。

〈まちなか〉と東京での「春野カフェ=移住説明会」が11月から連続5回。

空き家相談窓口開設のチラシ配布と空き家相談会の開催。10月から。

移住者めぐり(移住者のオープンハウス)は、3月かな。

北遠の林業史の講座スタート、漢詩の講座もスタート。10月から。

春野新聞の発刊(年内)に向けて、取材と原稿づくりとデザインがある。

本業の出版の仕事がある。草刈りがある。子育てがある。納屋の片付けがある。

やっぱり多すぎるよね。

駒大の学生たちの発表の様子

第一回春野カフェは、9月8日に開催。駒大の学生たちの発表の様子。春野に滞在して山里活性化の学びと提言をしてくれた。

来年も継続して、きてくれると嬉しいが。北遠の他のエリア、あるいは隣の森町など、遠州の中山間地をテーマにフィールド・ワークしていくと、おもしろいと思う。

春野カフェは、春野の魅力発信と定住促進のイベント。楽舎が主催。11月くらいから連続5回、展開しようと考えている。

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「第一回春野カフェ」の掲載記事

学生たちはほとんど徹夜で、討議をしてPowerPointにまとめていた。統計分析、山里の人のヒアリング、春野の活性化の提言という構成だった。

静岡新聞が掲載してくれた。楽舎主催の「第一回春野カフェ」。駒澤大の学生40名の成果発表。

かれらは、ものすごく集中していた。でも発表の後は、緊張の糸が切れてどーんと睡魔が……。それをぼくが、無理やり起こして、学生に感想を述べさせたりしてた。しかし、みなさんよくがんばった。

せっかく春野にきたのに、集中講座と提言のまとめばかり。まったく遊ぶ時間もなく、気の毒ではあったけれど。

成果発表は〈まちなか〉で行なったので、春野の人はほとんどいなかつたのは残念。しかも、台風の豪雨の朝だった。それでも、役所、まちづくり公社、信用金庫、議員、一般の方々25名ほどが参加してくれた。年内には、冊子にまとめて配布しようと思う。

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2016-09-13

明治時代の新聞が出てきた

破れた屏風の絵から裏打ちに使われていた新聞が出てきた。明治40年代のもの。時代は、日露戦争がおわり、日韓併合から第一次世界大戦へとづつく頃。時代の空気感が伝わってきておもしろい。

格子戸などをくださるというので、尾上さんの家をたずねた。ちょうど屏風の絵を修理したいというので、見せてもらっときのこと。これは焼いてしまうところだった。うわあ、これは貴重だから保存しておいたほうがいいですよ、と。

フスマなどに古文書が使われているケースもあった。以前、目録をもって訪ねてきた方は、裏打ちされていた古文書を焼いてしまうところだと言っておられた。なんと、鎌倉時代の武蔵七党の流れを汲む児玉氏の末裔だった。國學院大學が半年かかって調査してくれたという。

また、一昨日、長楽寺の真誉僧尼から電話があった。開かずの部屋をあけてみたら、古文書ができたという。天明時代(江戸時代)の古文書だという。それで、古文書の読めるお坊さんにお願いして、こんど解読してもらうことにした。

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2016-09-12

名古屋から知的障害者たち35名が、楽舎の田んぼの稲刈に

この秋、名古屋から知的障害者とスタッフ、合計35名ほどが、楽舎の田んぼの稲刈に来てくれることになった。名古屋から春野まで日帰りバスという企画だ。

主催するのは、名古屋のケアホーム。数か所の賃貸マンションを借りて知的障害者のお世話をしている施設。障害者は、おもに2DKのマンションに二人ずつ暮らして、そこから作業所に通っているという。

そこのスタッフ2名と、障害者1名が楽舎の事務所を訪ねてくれた。かれらと現地視察して、だいたいのプランを練った。まず、熊切川のほとりの「川音の郷」で昼食。みんなでピザを焼く。そのあと、楽舎の田んぼに移動する。

11月の第一週というと、奥手のサガビヨリの稲刈には、ちょうど間にあう。ぼくたちが稲刈をして、かれらが稲の束を運ぶ。そして、みんなで天日干し。アイガモの見物。その後、河原で焚き火をして、炊きたての新米のおむすびをいただく。そういう流れだ。雨が降ったら、稲刈も焚き火も無理なので、「川音の郷」でピザを焼いて、みんなで歌でも歌うとするか。

こないだは、東京世田谷から駒澤大学の学生たち40名が春野に滞在してもらった。今回は、名古屋からのお客さん。はるばるきてくれて、ありがたいことだ。いずれにしても毎回、未知なことへの挑戦だ。ぼくとしては、そこが楽しめることになる。

気田川に流れていってしまったようだ

アイガモ1羽が、気田川に流れていってしまったようだ。いつものように、網の外に脱走するカモ君をつかまえては、また池に放り込んでいた。

脱走しても、田んぼから川に流れていく水路から出て行かないように、二重の網にしていた。ところが、この水路の掃除をする過程で網が外れて、そこから1羽が脱走してしまったのだ。

水路の下で鳴き声がしたので、慌てて追いかけたが、どんどんと川下に行ってしまった。その先は、もう気田川の流れだ。

翌朝、ランを連れて探したのだが、みつからない。そのまま気田川に流されていってしまったのか。河原をさ迷ううちに、イタチやキツネの餌食になってしまったのか……。

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2016-09-10

カイシャ人生を離れて、この山里で農業や創作やアウトドア・スポーツに打ち込むひとたちの話も聞いてもらった

家賃は、と聞くと。1DKで7〜8万円という。これに食費がかかる。外食が多いだろうし、遊ぶのにも、着るものにも、通信費にも交通費もいる。そうなると、月に10〜15万円はかかる。大学に払う入学金、授業料、施設利用料など4年間で400〜500万円。

東京の世田谷区にある駒澤大の学生たち40名が春野に滞在して、集中講座を受けてもらった。出身はどこ?と聞いていくと、地方から出てきた学生たちは、3割くらいいるようだ。そこで、生活にかかるお金のことを聞いてみたのだった。

生活費と授業料でかるく1,000万円くらいかかることになる。親はたいへんだ。それだけお金をかけて、価値を生むことができるのかどうか。そこの出身だということで評価される大学なら、それでも強みがある。しかし、これだけ日本中にたくさんの大学があると、大卒の意味はさほどない。なにしろ全国の私大の45%は定員割れしている、というのが現状だ。

それでも、4年間みっちり学べば価値を生むだろう。だが、いまの大学の、やれ政治学、経済学、法学だのというのは、社会に出て役に立つのかどうか。社会に出て役に立つとしたら、英語とか中国語とか、話せる読める。パソコンができる。インターネットを自在に活用できる。ちゃんとした文章が書ける。ひととのコミュニケーションができる。そういう実学か。

まあそういうものは、社会に出てから養われるものかもしれない。そのための基礎的な修練が大学での学びということになるのか。でも、なっているのかなぁ。それにしても、1,000万円ものお金をかけて、大学に通うほどの意味があるかないか。

いい大学を出れば、たしかにいいカイシャに入ることができる。ちゃんと勤めれば、それなりに出世して、給与も保証される。安定した暮らしができる。しかし、そのカイシャがダメになったら、そうはいかない。あるいは、カイシャをやめて独立しようとしたら、難しい。となると、カイシャ人生をずっと歩まざるをえない。

カイシャ人生をはなれて生きていくためには、やはりなにか人とはちがった「ワザ」をもっていないといけない。「十年一剣を磨く」。そのためには、自分の得意な分野を知ること。得意なところでないと、勝てることはない。そのためには、好きなことを見つけなくちゃいけない。好きなことなら、ワザは磨かれる。好きなことなら、努力は惜しまない。努力はいらない。仕事と遊びがおんなじになる。

だから結局のところ、好きなことを発見し、深め、ワザを磨いていく。そこがたいせつだと思う。そのために大学に行く必要は、さほどないと思う。むしろ、いろいろな仕事を体験する。あるいは、海外に旅をする。山里に暮らしてみるというのも、ひとつの道かもしれない。

そして、今回の「春野カフェ」の集中講座では、カイシャ人生を離れて、この山里で農業や創作やアウトドア・スポーツに打ち込むひとたちの話も聞いてもらった。たんなるお話ではなくて、生き方を示すことなので、そこはなかなかインパクトがあったように思う。

2016-09-09

自己破産にしたのかも

「もう、仕事は受けないんです。終わったんです」と、なにやら従業員の表情が暗い。「え? どうしてなの……」。聞けば、社長が二か月前に亡くなった。それで、会社は廃業することになったという。今朝、軽トラに赤いランプが点灯したが、どこが悪いのかわからない。いつもの修理工場に寄った。そのときのことだ。


弁護士が入って、まだまだ乗れるクルマをこれは5千円、あれは1万円と値段をつけて整理しているという。そうか、社長がいなくなって、会社の存続は難しいとみて、自己破産にしたのかも。

それで弁護士が破産管財人となって、債権債務を整理するのだろう。資産は競売になって、その収益を債権額に応じて債権者に振り分けることになる。

そうかクルマが5千円ならほしいなあ、と思ったけれども、競売で入札という手続きが踏まれるのかどうか分からない。まとめて、業者にどーんと売ってしまうんじゃないかな。クルマは、なにしろ税金だの、名義書換だのと、手間がかかるから、いちいちやってられないと思う。

「ぼくたちの給与だけは支払われると思います」と言うが、不安そうだった。失業手当はでるので、職業訓練校に通えば、失業保険の給付金の期間が職業訓練の終わりまで延長される、長い訓練校だと2年もあるよと、そんなことをアドバイスさせてもらった。

昨年は、知りあいの大きな製材屋の社長が亡くなった。息子さんに聞くと、もう廃業するという。太い材木がたくさん積まれていた敷地は、すっかり処分されて広大な空き地になっている。新月伐採などで、意欲的な社長だっただけに、残念だなあと思う。しかし、社長が亡くなると事業の継続って難しいものだね。

2016-09-07

「第一回春野カフェ」を開催

明日は台風のようですが「第一回春野カフェ」を開催します。

≪聴講者募集≫

『みつけた山里の可能性』

山里の魅力を発信する「春野カフェ」その1回目。 この夏、東京の駒澤大の学生たちが 春野でフィールドワーク。 若者・よそ者の目に、山里は どう映ったのか。 春野の底ヂカラのある実践者たちに、語ってもらう。 春野の「人と暮らし」そして、可能性をみんなで考えたい。

【開催日】2016年9月8日(木) 10〜16時

【会 場】「ここ・い〜ら」ギャラリー(ザザシティ5F)

【参加費】無料 予約不要

【主催・問合せ】NPO法人楽舎(池谷)  TEL:053-989-1112  EMail: info@raksha.jp.net

〈第1部〉

10:10 アートフルな山里暮らし〜 その課題と可能性

(NPO法人楽舎 理事長 池谷 啓)

10:20 浜松市の中山間地への取り組み

(浜松市市民協働・地域政策課主任 藤田 裕)

10:30 山里の地方創生の課題

(駒澤大学教授 長山宗広)

10:50 学生の事例研究発表(駒澤大学 長山ゼミの学生)

「森林とバイオマス」

「山里の起業」

「地域コミュニティ」

〈第2部〉

13:30 有機茶と若者の受け入れ

(マルセン砂川製茶組合 鈴木猛史)

14:00  持続可能な自伐林業

有機茶との可能性

(森下林業 NPO法人春野のえがお 理事長 森下廣隆)

14:30 集落あげての広葉樹の森つくり〜狩猟とジビエ

(NPO法人はるの山の楽校 理事長 山下太一郎)

15:00 講師と参加者とのフリーディスカッション

○詳しくは、下記サイトをご覧ください。 http://haruno-cafe.net/

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春野カフェ集中講座

静岡新聞が「春野カフェ集中講座」を取材してくれた。駒澤大学の長山ゼミの学生たち40名が春野に来て、山里で暮らす人たちの生き方、なりわいを学ぶという企画だ。ぼくは全講座の企画、司会、インタビューをつとめた。

学生たちはこの2日間で、14人の講師・14講座を学んだ。どこまで理解できたかは置いといて、朝から夜まで、学生たちはしっかり学んでいたのが、なかなかすごい。

きょうも朝から夜まで、討議してレポートのためのまとめを行う。若いので無理して頑張ってもらう。その成果は、明日9月8日、〈まちなか〉のザザシティの「ここ・い〜ら」ギャラリーで発表会(10時から14時まで)を行う。

 

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2016-09-06

移住相談と田舎暮しツアー

静岡新聞が記事にしてくれた。有機農業もいいけど、こうして子どもたちが森林で遊びの体験ができるってのは、いいね。

ママたちと子どもたちが森のなかで思いきりくつろげる、あそべる。自然観察が楽しめる、木工ができる、料理ができる、ダンスができる。これからは、そういう企画もやったらいいなと思った。

これは、春野で行われたラブファーマーズ・カンファレンスのひとこまだ。9/2〜9/4は、春野山の村で、ラブファーマーズ・カンファレンスが行われて、全国から延べ300名ほどの人が集った。有機農業を軸とした集いで、昨年に続いて、歌手の加藤登紀子さんも参加された。

ぼくは、春野への移住相談のブースをもち、教室では「山里暮らし」についての話をさせてもらった。ぼくひとりで2時間じゃ、聞くほうはおもしろくない。ので、魅力的な山里暮らしをされている達人たちをスカウトして話をしてもらった。陶芸家で未来の森づくりの吉田克秀さん、経営コンサルでセルフビルドの大石勝美さん、猟師で林業家の山下太一郎さんだ。

そのあと、午後は、田舎暮しめぐりツアー。ぼくの凸凹車体のクルマで、5名の方をお連れした。まず、陶芸家の白幡さん、漢文学の棟方徳さん、そばところ一休の青木さん、そして楽舎のアイガモの田んぼを案内した。

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「春野カフェ」の集中講座1日目

きのうは「春野カフェ」の集中講座の1日目。東京から駒澤大の学生40人が春野に来訪した。川のせせらぎが聞こえるなか、「川音の郷」で集中講座。ぼくがインビューをしながら、すすめた。一般の聴講生は7名。スタッフ入れて50名の授業だった。

講師は5人。「年間6千人の宿泊を可能にしたオートキャンプ場」畑中篤(川音の郷会長)、「中山間地の抱える課題と市の政策」藤田裕(市民協働・地域政策 課)、「林業の原点・金原明善翁の試みといまの林業の課題」木下恒雄(郷土史研究家)、「いま林業でやっていけるのか──自伐林業と有機茶の実践」森下広 隆(林業家)、「集落をあげて針葉樹を広葉樹の森に──狩猟とジビエの展開 」山下太一郎(お茶農家、猟師、林業)。

山里に着くなり、いきなりディープな話が5コマ。次から次へと、と学生はたいへんだたっろうと思う。そうして、きょうは8コマだ。明日は、現地訪問。明後日は、まちなかで発表会とつづく。

どなたでも聴講できます。好きな講座だけでもオッケー。参加費無料。予約不要。会場は「川音の郷」の桟敷席。http://kawaoto.jp/facility/

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2016-09-01

春野カフェ集中講座のご案内

春野カフェ集中講座のご案内

日にち:9月5日と6日 

会場:川音の郷 天竜区春野町宮川2098-1

TEL053-985-0630 http://kawaoto.jp/facility/

自由参加オッケーです。東京の駒澤大の学生40名が春野に滞在して、フィールドワークするというので、集中講座を企画しました。

学生に混じって一般の方の聴講も自由です。アポ必要なし。直接会場にお越しください。参加費、無料。好きな時間帯だけ受講して、あとは川遊びしていてもオッケーです。

すべての講座の司会とインタビューは、池谷が行う予定です。

問い合わせ:楽舎 080-5412-6370(池谷)

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2016-08-31

可能性を感じるのは、ジビエだ

山里は仕事がない。かつて繁栄した林業もお茶も衰退している。有機茶や碾茶(てんちゃ)に活路を見出している集落もある。しかし大方は、もうやっていけないよ、そういう声をよく耳にする。

自然が豊か、星空がきれい、清流があるといっても、仕事がなければ、暮らしていけない。タダ同然の空き家があって、生活コストが安いといっても、現金収入がなければ暮らしは難しい。

フリーランスで仕事をしている人、退職金と年金暮らしのひとはいる。家業を継承しているひと以外で、山里で雇用を生むような起業をしているひとは、春野でも数名かな。

耕作放棄地もある。山林もある、清流もある。広大な土地もある。しかし、それらの資源を活用して、なんとか価値を生んでいこうというと、これが難しい。

いや、炭焼きだって可能性はある。竹炭もつくれば売れるかも。お茶だって、有機農業だって、いくらでも可能性はある。しかし、やはり、そうかんたんではない。

そのなかで、可能性を感じるのは、ジビエだ。山里にはシカやイノシシはふんだんにいる。猟にでれば、グループで1日1頭は仕留めてくる。檻にもたくさんかかる。

だが、そのほとんどは捨てられてしまう。となりまちでは年間100頭以上のイノシシは土に埋められる。シカの革など、たいへんな高級品だが、これも惜しげもなく捨てられる。もったいない限りだが、なにしろ加工が難しい。そして、食肉の販売は、いろいろ保健衛生上の制約が厳しいのだ。

そんななかで、「山の村」を運営しているNPO法人はるの山の楽校が、浜松市中山間地域まちづくり事業の採択を受けて、食肉加工所をつくった。いままで捨てられてしまったシカやイノシシの肉が、加工して販売されることになる。山里のビジネスとして、可能性がでてくると思う。

仏教は、方便を重ねて「あるがままにものごとをみる」ということに尽きる

ああ、暑い。これはたまらん。という日々が、ついこないだだった。もう、朝晩は涼しくなってきたよ。寒いくらいのときもある。田植えをしたと思ったら、もう稲穂が垂れている。稲刈の準備だ。

アイガモのヒナを放ったのが、ついこないだ。ずいぶんと大きくなっている。あかりは、もう一歳と一ヶ月。ずんずんと歩き出している。

時はうつろう。刻々と変化していく。現実は次々と変化していく。おなじことは、決して起きない。心も瞬時に変化する。

まことに諸行無常。現実は、リアリティは、次々と変化していく。けれども、頭のなかは、なかなか変化しない。変化を嫌う。おなじことを踏襲しようとする。現実を認めたがらない。それで、いろいろと苦労してしまう。

仏教でいうところの「救い」とはなんだろう。阿弥陀様が救ってくださる、いや大日如来だ、いや観音さまだ、いや南無妙法蓮華経だ、坐禅だ。──いろいろ教えはある。けれども、みんな方便だろう。

方便というのは、ウソということじゃない。悟りへ近づく手立て、真理に至るプロセスというような意味あいだと思う(サンスクリットのupāya ウパーヤの漢訳)。

つまるところ、仏教は、方便を重ねて「あるがままにものごとをみる」ということに尽きるのではないかと思っている。ぼくたちは「あるがままに」ものごとをみられないので、苦しむことになる。

誰かが救ってくれるわけじゃあない。救いがあるとしたら、自らが「あるがままにものごとをみる」こと。そこにこそ救いがある。「あるがままにものごとをみる」。それこそがリアリティ。観念じゃあない、イデオロギーじゃあない、教義ではない。

なるほどそうだと、しみじみと実感されるもの。ゆるぐことのない、たしかな手応え。そういうリアリティに立つということ。そこが仏教の示す道ではないかと。コオロギの鳴き声を聞きながら、そんなことを感じた肌寒い朝。