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春野町で暮らす山里日記 いちりん堂/楽舎 (池谷 啓)

2016-12-03

シリコンスプレーをためしてみた

いただいたステキな木の玩具だが、あかりが乗ると、キリキリ、ぎしぎし摩擦音がする。引っ張っていて気分がよくない。

それで、シリコンスプレーをためしてみた。ホームセンターで300円くらい。シューッとひと吹きしただけで、スルスルと滑りがよくなった。音もしない。

ついでに、滑りのよくない箪笥の引き出し、文具を入れるトレーにも吹き付けてみた。これもスルスルとなった。さらには、立てつけの悪くなった障子とふすまにも。ガラス戸のサッシにも。椅子のキャスターにも。

いままでは、滑りをよくするには、ロウソクを塗るしか知らなかったが、シリコンスプレーはすばらしい。ただ、注意することは、飛沫がフローリングに飛び散ると、ツルツルになって転びやすくなることだ。

名古屋から知的障害者30名余が来訪 稲刈り

パソコンのシステムが壊れて2週間ほど、投稿にブランクがある。もう古くなってしまったけど、備忘録として投稿。静岡新聞に掲載されたもの。

11月7日、名古屋から知的障害者30名余が来訪。一緒に、稲刈り天日干し、脱穀の体験。さらには、餅つき、ポン菓子の実演、カレーライス。そうして、おおむらたくみさんのアイルランド民謡の演奏とパペットと盛りだくさんだった。

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自分でやってみてたしかめないと、たしかなことはわからない

自分でやってみてたしかめないと、たしかなことはわからない。なにごともそうだけど、田んぼについてもそうだ。

ことしアイガモ農法でやるときめたとき、各地で自然農法で指導されているMさんがぼくに言った。「アイガモでお米つくると、クソまずいお米になるよ」と断言したのだった。

その話を仲間にすると、ひとりが、たしかにかつてアイガモ農法のお米を食べたとき、まずかったという。もうひとりは、知り合いのアイガモの農家が、農協に出荷していて、まずいといわれて、もうやめたと聞いた。

そういう話が出たのだった。やる気を削ぐ話だった。いやあ、それはほんとうかなあ。聞いてみた。アイガモ農家の中道さんに聞くと、とんでもない、アイガモ農法を10年以上もやっていて、そんな話は聞いたことがない。現にこうして、販売できています、と。県のアイガモ協会のようなところに聞いてみても、とんでもない、アイガモ米はおいしいですよ、と。

まあ主観的なことだから、これはなんともいえない。自分でつくって食べてみればわかることだ。

それで、ことし初めての収穫をして、アイガモで作ったお米とそうでないお米を食べ比べてみたところ、まったくどちらもおいしい。まったく問題ない。仲間に聞いてみても、おいしいという。

ということで、ひとの主観はあてにならない。その道の権威みたいな人の言うことでね、アテにならないことがある。なにごとも自分でたしかめていくのがいちばん、だ。あらためて実感したのだった。

不耕起栽培の問題点

〈不耕起栽培─1〉ここのところ、稲作の省力化をずっとかんがえている。ひとつのヒントは、岩澤信夫さんが提唱している「不耕起栽培」だ。肥料も必要ない。耕す必要もないという農法だ。

普通は、稲刈りの後の田んぼは、荒起こして春まで放置する。春になってまた耕す。川から水を引いて代掻きする。草はみんな土に漉き込まれてしまう。田んぼは水平になる。そうして、田植えをする。そういう流れだ。

しかし、岩澤式の「不耕起栽培」は、耕さないで稲を育てる。稲刈りの後、藁やヌカを撒く。しかし、田んぼは耕さない。川から水を引いて、ずっと水をたたえておく。田植えのときに、代掻きしない。そのまま植えていく。

肥料もいらない。水を張っておくと、撒かれたワラなどが分解して微生物が繁殖する。イトミミズなどが増える。それらが、栄養素を産出してくれる。しかも、雑草も抑えてくれるという。

耕す手間がいらない、草取りも必要ない、肥料もいらない。ということで、究極の農法のように思える。しかし、ほんとうにそれが可能だろうか。ちゃんと実践して成功した人が身近にいないので、なんともわからない。



〈不耕起栽培─2〉岩澤式不耕起栽培を調べていて、難しいなと思うことがふたつ。

ひとつは、専用の田植え機がいること。水を張ったままで、耕さないとなると、田んぼの土は固くなる。従来の田植え機で苗を植えるのは難しい。

そこで専用の機械が必要。これが新品で300万円もするというのだ。これで、アウト。小規模でやるなら、割り箸で穴をあけて手植えすれば可能だけれども。うちのように3,000平米もの田んぼでは人手がかかりすぎる。

もうひとつは、雑草だ。水を張ったままの田んぼには、どうしても水生植物が生える。ヒエやコナギたち。土が露出したところには、たいへんな草が生えてくる。これを除去してからの田植えをしないと、苗たちはみんな草に負けてしまう。

しかし、田植え前にトラクターで耕さないのだから、人力で除去することになる。しかも固くなった土に生えた草だから、これは手強い。チェーンや箒の除草では難しいと思う。この除草に、たいへんな労力がかかるのではないかと思う。

ということで、やってみないとわからない。ともあれ、ことしは冬期湛水はやってみよう。土の硬さによっては、従来の田植え機で可能かもしれない。だめなら、トラクターで代掻きする。草取りは、従来のように、チェーンや箒による人力除草となる。

冬期湛水によって、冬の間、水鳥がやってくる。いろいろな動物や昆虫たちも棲みつく。イトミミズが発生して、土は超えてくるとは思う。それでも十分。ためしてみる価値はあるか。

断酒は一年4か月になる

断酒は一年4か月になる。あかりの誕生とともに断つことにした。ぼくはがんらいお酒が好きで、あんまり酔わない。でも、ほどほど適度に飲むというのができなくて、えんえんと飲んでしまうのだ。焼酎でもウィスキーでも、あれば一本あけてしまう。

そうなると、体をこわす、脳細胞がいかれてくる。仕事ができなくなる、へんに勢いづいて余計なことを言ったり書いたりする。すると、人間関係もこわす。

自由業、そして山里暮らしの最大の敵が酒と思っている。ということで、節酒じなくて断酒したのだ。

断酒なので、まったく一滴も飲まない。「ほんの一滴」で断酒が壊れることは、体験済み。かつて7年も断酒して、壊れたことがある。

でもじつは、この一月の間、すこし味見することがあった。こないだ、寺田本家の吟醸酒を持ってきた方がいて、ほんの一滴味わったが、えらくおいしかった。先日、禅宗のお坊さんの講演させてもらったあと、懇親会にも参加した。乾杯のとき、ビールを一滴味わった。しかし、そこまで。

いまは「断」の時代。やがては「飲んでもいい、飲まなくてもいい。そして、飲まない」という「離」にいくのが理想だけどね。これ見よがしにいつもビールを冷蔵庫においてあるけど、まったく気にならない。飲みたいとも思わない。すこしずつ「離」にむかいつつある。まあしかし、その境地までには、あと10年はかかるかな。

2016-12-02

ついには、びしょびしょ

朝、目が覚めると、あかりはふたつの拳同士をさかんに叩く。それは外に出たいという合図だ。まだ喋れないので、それで示す。痛い、もっと、歩きたい、などいくつかの合図を覚えている。

外にでれば、日の光、鳥の声、風、草、樹、水、土。たくさんの宝物がある。水たまりを見つけると入っていく。足で踏んではびちゃびちゃと音を立てる。やがてすわりこむ。手で触っては、冷たさをたしかめている。ペチャペチャと叩く。

水面は、光が反射してきらきらしている。水に映る自分の姿の揺れるさまを眺めている。いつまでもやめない。ついには、びしょびしょ。春になったら、田んぼで思いきり泥んこあそびをさせよう。

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2016-12-01

しばしの農業談義

木工と農業、農家民宿、地域おこしに活躍されている入沢さんのところで、薪ストーブにあたりながら、しばしの農業談義。たくさんおみやげも頂いて、夕食もごちそうになった。

入沢さんは、となりの森町の三倉にお住まい。5反の田んぼで32俵(1,920キロ)の収穫。炭素循環農法でこんにゃく芋、ブルーベリーなど。干し柿、シイタケの栽培。なた豆茶、ジャム、栗ようかん、キムチなどの加工食品も。ニワトリも飼いはじめた。

家も作る。彫刻を施した重厚な机や椅子もつくる。イノシシやシカも解体して、燻製にする。エベレストにも登っている。フランスやアメリカで工場立ち上げの仕事もされている。お会いするたびに、啓発される。

農産物の作り方の探求もさることながら、どういう商品にしてどうやって売っていくかについて、いろいろ談義した。農産物は作るのも難しいが、売るのがもっと難しい。みんなで体験、情報、工夫などを披露しあって学んでいきたいと思う。

こうして売っている。こうやって食っていけている。そういう体験を共有しあっていけば、山里の耕作放棄地を活用して、農業に取り組もうという人たちの力づけになる。定住促進にもつながる。

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田んぼの総労働時間は、1,400時間

お米の収穫が終わった。とれたのが570キロ。3反の田んぼでの収量としては、かなりよくない。いもち病の発生もひとつの原因。田んぼの水もちが悪いこと、無農薬・無化学肥料ということもある。

中核メンバーは5名。かかわったひとは、延べにして500名。総労働時間は、1,400時間。ぼくは410時間だった。管理、打ちあわせ、情報収集、田んぼへの往復時間は入れていない。

お米570キロというと、キロ500円で売ったとしても、30万円弱にしかならない。一方、かかった経費は、機械、設備、資材など50万〜70万円くらいになる。人件費は入れていない。

この3倍の収穫量になったとしても、ペイしない。ほとんどお米作りは、手間多くして益少なし、というところ。またアイガモ農法は、除草の手間はなくなったけれども、飼育の手間と心労はそれ以上だったかもしれない。

除草剤と農薬、化学肥料をつかえば、もっとラクになる。コンバインなどの機械をつかえば、さらに楽になる。二人でも田んぼはやっていけるかもしれない。しかし、機械のメンテナンス、肥料代などたいへんだ。

ということで、やはりお米作りはとても難しいことがわかる。収益をかんがえたら、やっていけない。安心安全な食の確保、自然と共生した労働、仲間とのチームプレー、土や水、植物の研究と探求のよろこびなど、お金でははかれない価値が大きい。

しかし、ぼく個人として、400時間も田んぼに時間を取られている。一日4時間を100日だ。そのあたり、要検討だ。本業が疎かになっている。この半分か三分の一に省力化しないと、続けられないかなあとも思う。

きょうは大豆の収穫

きょうは大豆の収穫。エンジン仮払機で根元から切って紐で結わえて天日干しにする。20日くらい乾燥させて脱穀となる。収穫が遅くなったので、大豆がはぜて土に落ちていそうで、こわいな。

昨年は200キロの収穫だった。ことしは連作したことや、枝豆でずいぶんと食べたので、半分くらいだと思う。大豆は田んぼほど手間はかからない。手間は100分の一かな。そして、お米よりも付加価値は高いと思う。加工すれば貴重なものととなる。味噌や豆腐、醤油にできるからね。

日本の大豆の9割強は輸入。ほとんどがアメリカから。それこそセスナ機から除草剤を散布するような栽培の仕方だ。多くは遺伝子操作されたもの。国産でも有機農法の大豆は少ない。ぼくたちの大豆は、まったくの無農薬・無肥料。1月にはみんなで味噌作り。麹も自分たちでつくるつもり。

2016-11-30

「誠成公倫会」という新興宗教に

「誠成公倫会」という新興宗教にさそわれたことがある。友人が結婚相手のことで悩んでいて、いろんな霊能者や新興宗教の世界を訪れていた。それに付き合う格好で、あちこちと出かけていった。

ここは何を拝むでもなくお経を唱えるでもなく、ただ話を聞いているだけでカルマの解消になるという。当時、町田の会場には毎日2,000人ほどの人が集まって講義を聞いていた。

そして20年後、また縁があって誘われた。妻と娘と3人ででかけたのだ。きょうの掛川の会場には、300人くらいかな。20年前の話とほとんど変わらず、大して感銘もなかったが、内容は悪くない。かつてのメモがあるので、それをもとに再現してみた。以下、要旨。

家庭のことは外に現われる。親子の意思の疎通ができない人は、社会でも意思の疎通ができないで孤立していく。人との折り合いがうまくできなければ、協力は得られない。家庭がまとまっていると栄えていく。家庭がまとまっていないとアクシデントが起きやすい。

男性は母親に対する態度を変えることで、すばらしい女性があらわれる。女性は父親を大切にすることで、よき先輩、よき上司に恵まれるこ。母親を大切にすることで、自分を支えてくれる人に恵まれることになる。

行(ぎょう)や信仰だけで、人間の質は変わらない。人との関わりいいの中で、自分の性(さが)、性質というものが出てくる。いつもなら腹を立てるところ、舌打ちするところを、グッと我慢して、一言ご苦労さんと言ってみる。そういうところから人間の質が変わってくる。

いちばん難しいのは、親子と夫婦間である。それらは自分に限りなく等しい相手だからである。そこを改善していくことで自分が改善されていく。それに立ち向かうしかない。自分の改善によって、自分を取り巻く事情を改善していくことができる。

ということで、大きくは次の3つのことを話をしていた。

1.同質結集の法則

同質の物事しか起こらない。同質の者しか集まらない。その人に等しいことしか起こらない。たとえば、人を見る目のない上司にいつも仕えて不遇だというのは、そういう上司の同質だから出会ってしまうことになる。

同質の物事しか起こらないのだから、不平や不満を他に向けても仕方がない。自分自身を改善することが問題の解決となる。自分自身が改善されていれば、同質結集の法則で改善された環境が現われる。自分が変わることで周囲が変わる。

2.バランスの法則

良いことがあるときには、良くないことが起きている。悪いことが起きているときには、良いことが起きている。調子が良いときほど注意しなければいけない。また、最悪なときには、それに変わる大きな良いことが起こっているのだから、意気消沈してはいけない。意気消沈してしまうと、良いことを取り逃がしてしまう。

3.循環の法則

一度あることは二度ある。二度あることは三度ある。人生の周期というものがある。転換期には周期がある。事故があったらまた起きる。この法則は逃れられない。

だから、同じことが後にも続くと思って、今を賢く処理することが大切である。

自らの遺伝のカルマから逃れるポイントは何か。それは、争うはずの人と争わないことである。争って当然なひと、怒って当然のひと、どう考えても相手が間違っているような場合でも、争わないことである。そのことによって遺伝が解消されていく。

また、人に不平や不満を持つこと自体が争いになる。身近な人間関係に不満を持たないこと。とにかく一にも二にも我慢である。

……このように、なかなかわかりやすい、生き方・暮らしに役に立つ教えだったと思う。ただ、みんな些細なことでも講師におうかがいを立てていたので、縛られそうな不自由さを感じた。こうしないとこうなる、これはあのことの前兆だというような諭され方だと、背景には恐れがある。そこは不自由な縛られる世界になるなあと感じた。まあぼくとしては、もう行くことはないけど、いちおうメモとして投稿。

2016-11-29

禅宗のお坊さんたちの前で講演

禅宗のお坊さんたち50名余。その前で講演させていただくことになった。クラウンパレスというホテルの会場。高い壇上からの話で聴衆と距離があるので、ちとやりにくい。

話の素材は整理していたけど、主催者の一番えらい老師との打ち合わせが必要だ。老師からの依頼では、「いま寺院消滅という時代がきつつある。そのためには、社会に開かれた寺院にしていきたい。そして、ひとには供養の心というものがあり、それは失われていない。そこにどうこたえていくか。そのヒントをいただきたい」と。

ということで、それを軸に話をすすめる。まず、ぼくが主催してきた30の神社と寺が参加した「神社・寺カフェ」の説明。ひとつひとつの寺社の活動を映像で紹介し、お寺の活動も、ネットワークをつくって点から線にして企画していくと、やりやすいことを伝える。

ひとがお寺を訪ねて来るんだけど、寺ではなくてひとがたいせつ。お坊さんのおもてなし力が問われる。法話や説法もいいけど、いきなりの仏教体験(禅、念仏、お題目など)が一般の人には新鮮だ。概念や説明じゃなくて、体感でつたえていく仏教というところを提案した。

つぎに、ぼくの仏教を学ぶに至ったきっかけ、信仰の思い込みを体当たりで突破してきたこと。そして、母の死を看取り、みずからお経を読んでおくった体験を紹介した。

供養とは、お坊さんまかせではなくて、遺族が心を込めて行うことが大切。そのためには、お経もお坊さんも、かならずしも必要ないかもしれない。お墓もそうだ。こころから納得のいく〈看取り〉と〈おくり〉、それを探求していきたい。

いまの葬式のありようだけでは、お坊さんの役割はなくなりつつあるという過激な話になったけども。眠っている人はひとりもいなくて、みなさんちゃんと聴いてくださった。そのあとは、懇親会にも参加させてもらって、いろいろなお坊さんと交流できた。次の企画がたくさん浮かんできた。

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2016-11-28

じんわり芯からあたたまる

いつもより早起き。外はまだ暗い。風はびゅーびゅー、ごおおごおおと唸っている。枯れ葉が舞い飛ぶ。もう晩秋なんだね。

朝風呂に入って体を温めて、湯たんぽ2つにお湯を入れる。ひとつはシュラフの中に入れて、下半身を温める。ひとつはゴム製で、背もたれ椅子に背中ではさむ。

下半身はぽかぽか。背中もぽかぽか。腎臓や仙骨もあたためる。ときにお腹をあたためる。じんわり芯からあたたまる。ああ、極楽、極楽。

2016-11-27

「みんなの家」で恒例のコンサート

雨の中、近所のデイサービス「みんなの家」で恒例のコンサート。ハーモニカ、ケーナ、そして尺八の演奏。参加者は20名くらい。ほとんどおばあちゃん。みなさんアシがないので、送り迎えしてくれる。ぼくはあかりを抱いて徒歩1分の距離。

あかりをみんな可愛がってくれる。いろいろと出会いがすすむ。93歳の酒井さんは、ひとり暮らし。白菜も大根も何10キロと作っている。キュウリの味醂粕漬けが絶妙に美味しい。こんど、いただけることになった。

81歳の恩田さんは、緑内障で目がほとんど見えない。けれども、娘さんに口述筆記してもらって小説と短歌を創作している。浜松市の「市民文芸」にも投稿し、佳作をもらった。

こんど書くネタがないというので、いろいろ聞かせてもらう。母親は、奥深い山里で現金収入のないなか、炭俵を編んではそれを売って生計を立てていたという。「そんな話いいですね。それを書いてみたら」と。そんな話をさせてもらった。

こうしておばあちゃんたちと親しくなることで、地域の情報、空き家の情報など、定住促進につながる流れもできていくのだと思う。

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失敗したりどん詰まりになったことなら話せるけど

今月は、講演が2本。ひとつは市の生涯学習課の主催で、地域づくり人材養成講座の講師。「神社・寺カフェ」のイベントを企画したこと、無農薬の田んぼづくりのこと、定住促進の事業について話をさせていただいた。

仏教について、参加者の問題意識がたくさんあった。仏教、生き方、先祖供養など。質問を受けてこたえるというのが、話しやすかった。パソコンのシステムが壊れたこともあって、パワーポイントが間にあわなかった。かえってそれがよかったかも。パワポに頼ると、説明があって、生き方が伝わらない。自分がいるようでいて「自分がいない」。そんなふうにも感じた。

そして、明日は、禅宗(曹洞宗)のお坊さん50名を前にしての講演だ。さて、どうしようか。あらあら話の流れはつくるとしても、そこに頼らない。いちおう画像は作っておこうか。つくっておいて、それにたよらない。うまくいったこと、成功したこと、なにかを教える、概念を説明する、そういう話はしないし、まあできない。

自分がこれまでやってきたこと、気づいたこと。とくに失敗したりどん詰まりになったことなら話せる。まあしかし、どん詰まりでおしまいというのも困る。ので、なんとか打開してきた、突破しつつあるような話させてもらうのがいいかなあ。

湯たんぽの季節

ゴム製の湯たんぽ、なかなかすぐれもの。おなかと腎臓をあたためる。仙骨と背中もいい。まったりとじんわりとぬくぬくしてくる。とがった心が平らかになる。イライラ、焦り、絶望感がとれてきて、まっいっかぁ、なんとかなる、という身体感覚が訪れる。

さらには、湯たんぽをシュラフに入れて下半身を温めている。しかも2枚重ね。南極でもオッケーみたいな最強のシュラフだよ。だからもうぽっかぽか。朝、温めた湯たんぽが翌日の朝まであたたかい。これで真冬でも大丈夫。

身体を芯からじんわりと温める頭寒足熱は、仕事の効率もよくなる。この反対で、頭熱足寒になりると最悪だ。イライラ、カサカサ、ムカムカとなって、効率悪いし、人間関係のやりとりもよくないし、疲れと怒りがたまるのだ。

2016-11-26

食の達人たちの深い話にひきこまれた

45ヘクタールの森。500人が収容できる施設。それが春野の山の村。かつては、県の林間学校だったが、事業がおわって民間に競売となった。地元の集落が落札して、NPO法人春野山の楽校が運営している。

ストレスの多い医療関係の人たちに、疲れを取ってリフレッシュしてもらう施設として企画できないかと、友人たちが集った。

猟師でありお茶農家であり林業家の山下理事長の豊穣な山里暮らしの体験を聞きながら、八ヶ岳のお蕎麦屋さんのつくってくれた日本一といわれる〈そばがき〉をいただきながら、深夜まで語り合う。食の達人たちの深い話にひきこまれた。

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ドクターヘリが降り立つ

バババババ、ブルンブルンと音が聞こえる。あかりを連れていった。すぐちかくの運動公園には、月に一度くらい、ドクターヘリが降り立つ。救急車なら1時間あまりのところ、ヘリなら聖隷の三方原病院まで10分だ。脳梗塞で倒れた方を緊急搬送していた。

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出会うのはお年寄りばかり

あかりをリヤカーに乗せて散歩すると、出会うのはお年寄りばかり。バス待合室のおじいちゃん、銀行振込に来たおばあちゃん、畑で野焼きしていたおばあちゃん、世間話していたおばあちゃんたち。小さい子はめずらしいので、みなさんかわいがってくれる。

クルマのおもちゃをもらって、ご機嫌で動かしていた。そのまま、リヤカーに積んで帰ってきたところ、途中でおもちゃが倒れてきて、困ったなあというところ。

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解体には、1千万円以上もする

ここはもう営業しない。おおきな重量鉄骨の建物がひとつ、ロッジが10棟、そして50人以上はいれる食事処もある。駐車も100台くらい。国道に面している。すぐ裏が気田川の清流が流れている。

いちぶ借地なので、返すにあたっては更地にしないといけない。解体には、1千万円以上もすると思う。もったいないなあ、なにかいい方法がないかなあ。八ヶ岳のお蕎麦屋さん、掛川の喫茶店主、まちなかの友人たちと現場で考えてみた。

春野町が合併しないで、町としての「統一人格」がのこっていたら、いろいろ手が打てるのになあ。行政が買って、若い世帯のための町営住宅とか、田舎暮らしのおためし住宅にするとか、寄り合い場にするとか、いろいろ考えられる。

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2016-11-25

カリンバを弾くようになってきた

あかりがカリンバを弾くようになってきた。いつも抱っこしては、カリンバを弾いて童謡を歌ってあげている。

ぼくは和音のことはよくわからないけど、ドとソの音だけ(1オクターブ高いものを入れて4つドとド、ソとソ)を鳴らしていけば、だいたい9割方の唱歌の伴奏ができるように思う。たまにドとファでもいける。多少、あれれれ?という音程があっても、そのあたりはご愛嬌で。

カリンバはクラフトフェアで買ったもの。その左にあるゴツいのは、ぼくがむかし作ったやつ。カリンバの爪は、自転車のスポークを金槌で叩いてたいらにしたもの。よく響くようにバネを張ってある。

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2016-11-24

妻とあかりを連れて、山里の空き家リサーチ

妻とあかりを連れて、山里の空き家リサーチ。民生委員をしていた花田さんをひさしぶりに訪ねた。売りたいという家があるよというので、じゃあ見に行きましょうと出かけた。花田さんが連れている甲斐犬はランの姉妹だ。

日当たり、風通し、見晴らしがとてもいい家だった。ちかくの竹林もよく整備されていて、すがすがしい。自治会長も同行してもらって、地域のこと、祭りのことなどもお聞きした。

出かけたついでに、ひとり暮らしのおばあちゃんの家も訪ねてみる。あかりがいると、みんな喜んでくれる。この地域では、毎月、サロンということで公民館で寄りあいがあるという。参加するのは、ほとんどがおばあちゃんばかり。いちど、あかりを連れていって、童謡や唱歌、昭和歌謡をうたう集いなども企画したら、喜んでくれるかも。

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高いところによじのぼろうとする

椅子や机など、高いところによじのぼろうとする。ひとつの大きな達成感。自由を獲得する喜びがあるんだろう。

胸の高さでも平気でのぼる。幼児は股関節が柔らかいので、足がらくらく上がる。それで体重を移動してのぼってしまう。

でも、頭は重たいので、グラグラしてよく倒れる。倒れては頭をぶつけて、よく泣いている。痛い、痛いで学んでいく。

あかりは1歳と4か月になろうとしている。

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毎朝のランの散歩コース

毎朝のランの散歩コース。こんなにすがすがしい川がすぐそばを流れている。

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こんな秘境みたいなところが

事務所からクルマで20分。こんな秘境みたいなところが、すぐに現れる。紅葉はこれからだ。石切という集落で、いま住民は高齢者ばかり7世帯。空き家、たくさんあるよ。

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2016-11-19

ススキの根っこを掘り返している

ザクッ、ザクッとツルハシを打ち込む。バールでギリギリっと持ち上げる。ズボッと根っこが取れる。ススキの根っこを掘り返しているのだ。株径はおよそ1.5メートルくらい。それが40から50くらいある。

ここは、事務所の隣に借りた耕作放棄地だ。かつて中瀬とよばれたところで、気田川の河川敷だったのだろう。30キロくらいの大きな石がゴロゴロでてきた。

こんな雨の日は、土が柔らかくなっているので、それほど難儀ではないと思ってはじめたのだが、やはりたいへんた。体力がいる。心臓はバクバク打つ。5つくらい根っこを掘り返して、ツルハシは諦めた。

で、やっぱりトラクターの出番。たいした馬力はないんだけど、ガンガンとアクセルを吹かして耕していく。ドカン、ドドド、グワラン、グワワとたいそうな音を立てて、根っこをつぶしていく。ときに車体が跳ねかえって倒れそうになったりして、危険なことこの上なし。

トラクターにはかなりの負荷をかけたが、まあなんとか、2割くらい耕すことができた。きょうのところは、ここまで。

2016-11-18

パソコンが壊れてしまった

パソコンが壊れてしまった。この10日あまり、アクセスできず。妻に夜なべして修復してもらっているところ。

ハードディスクの物理的な損傷、システムが破壊。いろいろ貴重なデータが壊れたりしていた。新しいハードディスクにシステムを入れ直し、データを救出しながら再構築。

500ギガもの写真データがあって、しかも重複していたりというのを、統合しながら、いまなんとか、回復してきた。

この10日ほど、稲の脱穀と籾摺り。30名の知的障害者との稲刈りと脱穀、餅つき。アイガモの解体。……など、いろいろあった。順次、レポートしてまいります。

2016-11-06

ジャパ・マーラについて

インド人の「数えかた」から、いろいろ思索がひろがる。インドを旅すると、マントラを唱えている修行者(サドゥー)をよく見かける。家を捨て家族を捨てて、山野に遊行する人たちは、たくさんいる。かれらは、つねに神の名を唱えている。

たとえば、「スリーラーム、ジェイ、ラーム、ジェイジェイ、ラーム」「オーム・ナマ・シヴァーヤ」「ハレー・クリシュナ」など無限にある。ひたすら神の名を唱えることで、心を集中させ深い瞑想に至る。日本仏教でいうと、南無妙法蓮華経、あるいは南無阿弥陀仏と唱えることに通じる。

その際に、かれらは数珠をつかう。ジャパ・マーラという。日本でお坊さんが使う数珠は、いわば飾りか護身みたいな意味あいが強いと思うが、サドゥーたちの数珠は、文字通り数えるためにある。その意味では、西洋のロザリオにも通じる。

で、使い方だ。日本だと数珠は両手に持つ。数えるために持たない。サドゥーたちは、片手で持つ。そして、親指で一つひとつの珠を繰っていく。その数は108である。一周したら108数えたことになる。

おそらくそのとき、左手で親指の小指の付け根につけてカウントしていくと、108×20回=2160回カウントできることになる。これを5回、くりかえせば1万編のマントラとなる。おそらくそれで、3〜5時間はかかる。

ちなみに、近ごろは、小さなカウンター機をもってカチカチと唱えるサドゥーもみかけたりする。こちらのほうが、便利で正確。しかしく、味わいがないかなあ。

そもそも「数える」とは、どういうことか

スワルナリさんから、インド人の数の数え方のことを聞いたが、そもそも「数える」とは、どういうことか、を考えてみた。ひとは数えるときにも、無意識になにしているのかということだ。

ひとはぱっとみて、4つくらいまでしか、わからないような気がする。それ以上になると、数えないとわからなくなる。そのとき、「数える」とは、どういうことか。

たとえば、指を折る。一つ二つと頷いていく。ぼくは足の指を土に当てたり。その物理的な動作をカウントしていくことになる。それがないと、とても数えられない。娘のあかりなど、まだ指を折って数えるということができない。なので、おそらく3つくらいまではわかっても、あとは「たくさん」ということになっているんじゃなかろうか。

すごくたくさんあるものは数えられない。田中角栄などは、選挙の時、1メートル四方に何人いるとかぞえて、この会場の面積はどれくらいと計算したという。また、動いているものは、数えられない。うちのアイガモはおそらく44羽だと思うが、いつも数えるたびに数がちがう。

インド人の数の数え方のことを聞いた

インド人の横田スワリナリさんが、ご主人とともにあそびにきてくれた。夫の実家が春野なので、ついでにいつも寄ってくれる。かのじょからインドの宗教のこと、仏教のこと、ものの考え方を教わるのはとても楽しい。

インド人は数学が得意だ。なにしろ「ゼロ」を発見した国だ。ゼロの概念があることで、「位取り」が可能となる。ゼロは、スンニャータ。すなわちNothingness(なんにもないこと)、Emptyness(空っぽなこと)。でも、それは無限の可能性に満ちている。なので、スンニャータは空(くう)と漢訳された。

さてきょうは、インド人の数の数え方のことを聞いた。日本だと、手を開いて親指を折って1。人差し指を折って2。中指を折って、3。これだと片手で5まで。あるいは、ひらいて10まで。

インド人の数え方は、ちがう。指の関節を親指で数えていく。親指を小指の付け根に当てて1。親指を小指の第二関節に当てて2。小指の第一関節に当てて3。親指を小指の先に当てて4。親指を薬指の付け根に当てて5。指を薬指の第二関節に当てて6。こうして、最後は親指のシワを数えて、20までカウントできる。

そうして20までカウントしたら、20進法となって、左の親指を小指の付け根に当てて、イチ(20単位)。そして、また数えていくと、すなわち20を20回数えるので、400までカウントできることになる。なるほど合理的。

日本人は、人の頭数を数えときに、人差し指で一、二とやるが、とても失礼なことという。たしかにそうだ。指差すのは、失礼だ。そうして、その数え方は、家畜などを数えるときのものという。

インド人は、人の頭数を数えるときには、指の関節を親指で数えていくというやりかたでカウントするという。片手で、20までの数を示すこともできる。たとえば、中指の第一関節を親指の先で押さえれば11だ。なるほど。

2016-11-05

あかりも餅つきに参加

あかりも餅つきに参加。あさって障害者たちと餅つきをするので、その準備。ためしについてみた。この小さな臼に2.5合の炊きたてのもち米を入れる。三人で交互について5分くらい。とっても美味しいお餅ができた。よくのびるよ。大根おろしに醤油をいれていただく。おかずもなんにもいらない。これだけで十分おいしい。

これとっても、かんたんだし。おもてなしに、餅つきはいい。なにしろ、つきたてはとってもおいしい。一緒に餅つきに参加してもらえば、さらに楽し。

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山里でのネットの活用法──山里に暮らしても、不便じゃない。ネットを活用すれば

地域交流のひとつとして、「昭和歌謡の集い」を思いついた。まずは歌集がほしい。キエロスさんに聞くと、バイブルは「歌謡曲のすべて」という赤本がよいということ。しかし、上下で8,000円もする。

Amazonで買うか、ヤフオク!でさがすか。いろいろ検討したところメルカリで上下巻で5,000円というのがあった。

これまでメルカリをつかったことがなかったが、迅速で簡単でいい。ヤフオクよりも、買うほうも売るほうも、手軽なのでおもしろい。

メルカリは、アプリは3,500万ダウンロードを突破しているという。出品数は1日50万品以上、月間流通額は100億円を超えるというからすごい。しかも、サービス開始からまだ3年だ。

便利なものは、あっという間に拡大していく。クラウドファンディングも随分と定着してきた。山里に暮らして、買い物やらネットワーク作り、広報発信など、いろいろハンディがあるのだが、買い物は、Amazon、ヤフオク、楽天、メルカリ。

ネットワーク作りと広報発信などは、Facebookなどを活用すれば、可能性はひろがる。仕事の進め方は、GoogleDocumentとSkypeの活用。リアルタイム放送は、ニコ動もいい。いろいろ活用もワザがたくさんありそう。

いちどネット活用の研鑚会など企画してみたい。「山里でのネットの活用法──山里に暮らしても、不便じゃない。ネットを活用すれば」というテーマかな。

2016-11-04

大量に安いくず米が手に入れば、年を越せるか

アイガモ君たち、すっかり成長した。オスは頸が緑色に光っている。メスは茶色。一日2升(3キロ)の屑米を食べる。在庫の屑米は100キロくらい。ということで、あと一か月かなあ……。大量に安いくず米が手に入れば、年を越せるか。メンバーの飯尾さんは、アイガモのための巣箱を作っているところ。

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2016-11-03

そうだ  昭和歌謡がいい

あかりをつれてよくデイサービス「みんなの家」に行く。おじいちゃん、おばあちゃんがとっても喜んでくれる。お年寄りの話を聞くのもたのしい。居心地がよすぎて、のんびりと1〜2時間も過ごさせてもらっている。妻はその間、子どもの世話をしなくていいので、たまった事務処理など、仕事に専念できるわけだ。

お年寄りと話していて、やはり歌がいいと思った。昭和歌謡だ。かつての流行歌をうたうと、その時代が、あざやかに思い起こされる。よみがえる。

昭和歌謡といえば、キエロスさん。これまで企画した「北遠山里めぐり」「昭和レトロの二俣めぐり」などで、コンサートをなんどもお願いしている。シャンソン、カンツォーネ、ファドが得意なんだけど、昭和歌謡がまたすばらしい。ギターの弾き語りだ。歌もいい、そして何より語りがすばらしい。語ることで情景が浮かんでくる。

そうだ、キエロスさんに春野で歌っていただこう。昭和歌謡を歌い、語っていただこう。昭和歌謡をしんみりと聞きながら、ときに一緒に歌いながら、そして、当時のことをみんなが語りあう。そんな集いをやってみよう。ということで、キエロスさんに電話したら、即オッケーであった。はじめるのは、12月から。

この企画の背景に、山里の定住促進という意味あいもある。春野に移住したい若者が近ごろ、増えてきた。よく相談をうける。しかし、空き家がない。いや空き家はあっても、貸してくれる空き家がない。それで、こういう昭和歌謡の集いを通して、お年寄りと交流を深めていく。そのことで、空き家情報、地域の情報を得ていくということだ。

写真は、昨年開催した「昭和レトロの二俣めぐり」のチラシから。左がキエロスさん。右がたくみおおむらさん。こちらは、11月7日に知的障害者30名との稲刈のときに、ライブ演奏していただく。

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またしても倒れた

またしても倒れた。これで5回目。しかも、きょうは8本倒れた。強風のためだ。まだ田んぼに水が残っていて、またしても稲が泥まみれ。

三脚で支える方式は、横風に弱いことがわかった。しかも、紐の結わえ方も甘かった。竹なので紐がすべってしまうのだ。二脚で支え土に埋め込み、さらに両端に斜めに杭を打ち込む方式がよいようだ。3人で5時間仕事だった。

まあこうして、失敗することで学びがある。だけど、学びばかりでも困ったもの。年取って人生が終わってしまうからね。やはり古来のやり方を学び、古老の知恵をきちんと伝承していくのがたいせつ。

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2016-11-02

マスコミへの取材の依頼書を送った

〈テーマ〉

「アイガモの田んぼで稲刈、稲架掛け、脱穀体験(春野 )

 名古屋から知的障害者たちと交流」

〈概要〉

11月7日、名古屋から知的障害者たちが春野にきて、春野町の田んぼで一緒に稲刈りをします。20数年の耕作放棄地を移住者たちがよみがえらせて、完全無農薬で栽培した田んぼです。完全無農薬のために雑草対策として、50羽ちかくのアイガモ農法をとりいれています。

参加者は、まず川音の郷で、むかしなつかしいポン菓子の実演を楽しみ、昼食はみんなで餅つき。そのあと、田んぼに移動して稲刈をします。稲架掛けのおわった稲の脱穀(足踏みと機械の脱穀)も体験します。

〈主催〉

NPO法人楽舎(池谷 啓理事長:浜松市天竜区春野町気田946-1 TEL053-989-1112)

楽舎は、過疎化の著しい山里の定住促進事業メインに、農業体験などをとおして、山里とまちなかのひとの交流をおこなっている。

〈参加する知的障害者たち〉

有限会社在釈(さいせき)通称は「ケアホームつくし」:愛知県名古屋市南区呼続2丁目7番5号 TEL052-824-0054

〈会場〉

会場は2カ所。熊切川の辺りにある「川音の郷」(浜松市天竜区春野町宮川2098-1 TEL053-985-0630)と、久保田地区にある楽舎の田んぼです。

〈参加者〉

知的障害者たち33名(障害者27名、スタッフ6名)とNPO法人楽舎のメンバーと一般が15名。総勢40〜50名の参加イベント。

〈タイムスケジュール〉

・名古屋から来訪:10時半くらい

・11時〜12時:ポン菓子屋(はざしや)のおやじによる実演。どかーーん!と玄米を爆発させてお菓子を作ります。おおむらたくみさんによるアイルランド民謡(笛、バイオリン、コンサティーノ、二箇)とパペットのライブ。

・12時〜13時:みんなで木の臼で餅つき。つきたての餅に大根おろし、きなこ、あんこ。

・14時〜16時半:楽舎の田んぼに移動。アイガモとの交流。みんなで稲刈とはざかけ。足踏みと唐箕で手動の脱穀を体験します。また、機械の脱穀もみてもらいます。夕食は、新米のおむすび。

〈ポイント〉

,呂襪个詭掌轍阿ら知的障害者たちが春野に農業体験にくる。

∪遒糧覆氾弔鵑椶巴療障害者と健常者との交流。子どもも赤ちゃんも、お母さんも参加。

アイガモ農法によるお米の栽培。完全無農薬と無化学肥料で実った田んぼ。

い劼蹐るばかりの耕作放棄地を、移住者たちが借りてよみがえらせた。

ァ屬い里舛瓩阿詛逝慮魁廚箸靴27年度浜松市の文化事業「みんなの創造プロジェクト」に採択されている。

Δ米づくしのもてなし。むかし懐かしいポン菓子屋の実演。みんなで餅つき。

参考画像:

http://d.hatena.ne.jp/ichirindo/20161025/1477401910

http://d.hatena.ne.jp/ichirindo/20161022

http://d.hatena.ne.jp/ichirindo/20161020

http://d.hatena.ne.jp/ichirindo/20161018

2016-11-01

つきたての餅に大根おろし

名古屋から知的障害者30名がバスでやってきて、楽舎の田んぼで稲刈をするというイベント。ポイントは、食事だ。さて、なにを食べてもらおうか。

カレーライスがいいか、石窯でピザを焼いたらたのしい、いやいや春野に来たのだから新鮮な鮎の塩焼きがおいしい……。

しかしなあ、スタッフ入れて40名ちかく。そして、知的障害のひとたちだ。となると、なるたけシンプルなのがいい。おなか一杯になってくれるのがいい。つくるのに参加してたのしいのがいい。さて、なにがいいか。

そうだ、餅つきはどうだろう。つきたての餅に大根おろしと醤油、きな粉、あんこの3種類。つきたてのお餅は、とてもおいしい。たのしい。そして、おかずがいらない。安上がり。たらふく食べられて満足。

大きな臼でつくか。そうなると、大掛かりだ。みんなは見ているだけ、食べるだけになってしまう。じゃあ、小さな臼をいくつか用意して、数人ずつのグループで餅つきを体験してもらおう。そういうことにした。

きょうは水窪まで出かけていって、ウッドインの廣山さんから、餅のつき方も教えてもらう。この臼は5合のもち米が入る。杵でつくと10分とかからない。そして、とってもおいしい。木の臼と杵を2セット買わせてもらった。1セットはお借りした。

これでいこう。まず、ポン菓子の実演、そして餅つき。アイルランド民謡の演奏、そして稲刈と稲架掛け。夕食はカレーライス。そんなところだ。イベントは11月7日。一般の参加もオッケー。

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あかり、カモを追いかける

あかり、カモを追いかける。カモ君たちはどどどどーーと逃げていく。待っていれば向こうからやってくるんだけどね。それができない。

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若者が春野に移住したいということで、いま3名の可能性

若者が春野に移住したいということで、いま3名の可能性。ひとりは、埼玉に住んでいる31歳の青年。先日、訪ねてきて、農業をしたいということで、空き家を案内。

蔵付きの一軒家で家賃が月に1万5千円。ここにきまった。近いうちに越してくると思う。作業療法士の資格があるので、派遣で働きながら、楽舎の田んぼや畑も一緒にできればありがたい。

そして、おなじく31歳の2人の青年も移住の見込み。熊切という集落で、大きなビニールハウスを2棟、借りることができた。多肉植物の栽培をしたいという。しかし、収益が上がるまでは、たいへんだと思う。新規就農支援制度とか、いろいろアドバイスもしたい。農家資格もとる必要がある。年内には、移住したいという。これから空き家探しになる。

課題はある。現金を得る仕事がない、地域の閉鎖性もある、なにより不便だし、いろいろ初期投資もかかる。山里での暮らしは、やはりたいへん。

まあ、だれでもそうだけど(とくにぼくなど)、最初の意気込みは、熱い。でもそれは、頭で描いた理想的なイメージが先行しがち。じっさいにはじめてみると、いろいろやっかいなことがせまってくる。やっぱり無理かなあ、ということにもぶつかる。

しかしこうして、ひとりがチャレンジして、うまくいくという実例を示してくれることで、次につづく若者があらわれる。そこのサポートがたいせつだ。

もうひとつ、田んぼ・畑、空き家を貸してくれる人との調整がある。契約書をつくっておく。たとえば、使わないで放置したら、三か月で返すとか、なにかペナルティのようなものを入れる。でないと、タダで借りられ、安く借りられてラッキーと、リスクがないので放置してしまう場合もある。

過去にそういう事例、いくつかあった。ぼくも、そうなりがち。で、次につづく移住者に対する地元の目が厳しくなっていくわけだ。そのあたりの調整をさせてもらうのが楽舎のひとつの仕事。

2016-10-31

「神社・寺カフェ」のスタートをきる

歯医者はクルマで1時間半かけて、〈まちなか〉に通っている。せっかく〈まちなか〉に出たので、きょうはお寺に飛び込み訪問してみた。

「神社・寺カフェ」の2回目を来年の1〜2月に開催するので、そのためにお寺の参加をリクルートしている。きょうからスタートすることにした。

ぼくはだいたい直感で動く。運転していて、あ、ここおもしろそうというところを訪ねる。そこは浄土宗のお寺で、立派な大木のあるお寺だった。法然上人のお師匠さんが龍になって沈潜しているという桜ヶ池を訪ねた帰りに寄って、上人が手植えしたものだという。その大木がたいそう立派なので、訪ねてみようという気になったのだ。

しかし、なにしろいきなりの飛び込みだ。なんかアヤしいセールスみたいに思われる。門前払いは、あたりまえ。しかし、縁があればうまくいく。うまくいかなくても、なにかすすむ。そんな思いで、訪ねたのだった。

出てこられたのは、おそらく住職のお母様だろう。そのお母様と立ち話。住職はいま忙しいからと、取り次いでもくれない。ああ、そういう企画は、うちみたいな地味な寺は向かないのでお断りです、と門前払い。

ついでに、知りあいのお寺さんに電話してこれから寄りたいというと、いまからお通夜だというので、これもダメ。ということで、なかなかうまくはすすまない。そりゃ、あたりまえだ。想定内。

ほんとは、飛び込みなんかしないで、第一回目に参加してくれたお寺さんから紹介してもらえば、すんなりいくと思う。それはそれで、明日から、その路線ですすめていく。

とにかく、スタートをきれば、はじまる。はじまれば、動きだす。動きだせば、だんだんエネルギーが高まって、次第にスムースに運ぶようになる。おもしろくなってくる。やがて弾みがつく。どんどんすすむ。これはいろいろやってきて、ぼくの経験則。

最初の一歩というのは、すごく重たくて、ストレスがすごい。ということで、そのプロセスをいま味わっているところ。

えん麦、裸麦、大麦、小麦、レンゲ、クローバー、菜の花、ヘアリーベッチなど

種苗屋に寄った。えん麦、裸麦、大麦、小麦、レンゲ、クローバー、菜の花、ヘアリーベッチなど。それぞれ1キロずつ。

耕作放棄地などに播く。麦たちは、今月に播けばいい。雑草が生えてこないのでラクだ。やることは冬に、麦踏みをするくらいか。麦畑はうつくしい。姿かたちがすばらしい。色もすてきだ。

大麦や裸麦は焙煎して麦茶にしよう。小麦は粉にしてパンに。えん麦は、アイガモのエサに。あるいは緑肥に。

クローバーとレンゲは、事務所の前の空き地に。菜の花とヘアリーベッチは、畑に。

田んぼにレンゲというのがいちばんいい。だが、今年は冬水田んぼにするので、レンゲは育たない。大豆の後に播いても、おんなじマメ科なので、窒素過多になってしまう。あぜ道に播くか、空き地に播くか。いろいろ試してみよう。

2016-10-30

稲架掛けのみまわり

田んぼは毎日、見回りが必要。まずアイガモ君たちへの餌やりが、日課。そして、稲架掛けをチェック。倒れていないか、稲束が崩れていないか。

稲架掛けが倒れたのは、これまで、三度あった。風や雨でバランスを崩したり、三脚を締めた紐が緩んだりが原因。そもそも、脚を土によく打ち込んでなかったためである。三脚よりも二脚方式のほうが、強いかもしれない(両端は三脚で打ち込む)。

また、かんたんで効率もいいので、稲をてっぺんに載せる方式にした(3枚めの写真)。不安定なので、落ちるかなあと思っていたら、やはり崩れ落ちている。きのうは22束も落ちていた。

風で吹かれ雨が降って稲束が重たくなって、ズルズルと滑り落ちる。そのまま放置しておくと、稲が泥に塗れて芽が出てきてしまう。そうなると、食べるお米にはならない。まあこうして、一つひとつ失敗を通して学んでいく。稲作二年目。

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