過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

泥まみれになった稲をふたたび掛け直した

雨と風で倒れて泥まみれになった稲。ふたたび掛け直した。心配なのが、泥まみれの稲が脱穀したとき、米に混じってしまわないかということ。三人の農家に聞くと、脱穀したときにちゃんと土は除かれるということなので、安心した。

稲架掛けは、三脚を増やして土に打ち込んで補強した。まだ田んぼは3枚残っているので、さらに竹を切って稲架掛けの準備をした。近くの竹林で60本の竹を切った。

みんなで原因を考える。こうしたらどうだろう、いやこうしてみようと工夫していく。やってみて、うまくいかなければ、また工夫する。それぞれの持ち分で作業にあたる。こういうことが、田んぼ仕事の醍醐味だ。明日も、朝から稲架掛け作りと稲刈だ。



人間の「ことば」の習得の過程

あかりが盛んに両拳を叩く。夜になったのに、外を歩きたいという意思表示なのだ。それは靴を履いて歩くというサインだ。それで、ランの散歩を兼ねて、ちかくのホタル公園を歩いてきた。

あかりはまだ、言葉はつかえない。あーとかうーとか、ばーばーとか。ネコをみると、ニャンニャンという程度だ。でも、「おとうちゃんのところに持っていって」というと、持ってきたりするので、頭のなかではわかっているのだろう。

それで、言葉の代わりに「ジェスチャー」を使って、意思を示すことできることを教えている。

人間の「ことば」の習得の過程は、とても興味深い。まず、自分をとりまく世界には、いろいろなものがある。それには「名前」がある、ということがわかってくる。世界には「名前」があることがわかれば、ひとつひとつ名前を覚えて使っていくことで、自分の意思を示すことができる。

あかりは、真っ暗なのに芝生の上をずんずん歩いていた。歩く感触を楽しんでいた。いま歩くことが、とっても楽しみな時代。足が使える。やがて言葉が使える。日々、自由を獲得していく過程を楽しんでいる。