過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

瞑想や坐禅は「する」ものじゃなくて、「起こる」もの

勢いよく炎が燃え盛る。ごお〜っと音を立て、スパイラルにうねって、生きもののようにエネルギッシュだ。みていて飽きることはない。雑念も浮かんでこない。炎をみていると、自然と瞑想が「起きる」のだ。そう、瞑想や坐禅は「する」ものじゃなくて、「起こる」もの。そのことがよくわかる。

年末に、片付けをしている。不要なダンボールやら木っ端やら、燃やす。「農家」だから、野焼きは許されている。山里のいい点は、燃やせるスペースのあること。といっても、ちゃんとドラム缶の中に入れて、燃やしているけど。

瞑想を「する」、坐禅を「する」。あるいは、「行う」。というと、これがむつかしい。さあ、座るぞ、さあ瞑想するぞ。といって、目をつむって瞑想スタイルになると、途端に、雑念が浮かんでくる。それを消そうと思えば、さらにまたエネルギーをまして浮かんでくる。

まあ実は、浮かんでくるというよりも、つねに頭の中はこうしたもので、いつもの景色だと思う。いつもは「なにかやっている」ので、それが見えないだけど。それが、瞑想のように「なにもしない」でいると、途端に、雑念がみえてくる、ということかもしれない。

「イロハ順」を使用している年金事務所

全国の年金事務所のうち「アイウエオ順」を使用しているところが114カ所、「イロハ順」を使用しているところが198カ所なんだって。そちらが大勢か……。びっくり。

効率よくすると、仕事がなくなってしまうのが困るのか。みんなこれおかしいよね、効率悪いよね、と思っても、むつかしい。いままでこれできたから、他の事業所もおんなじようにやっているから、となかなか変えられないでしょうかね。役所は効率とか、関係ないからね。

https://www.taro.org/2016/12/%e3%81%84%e3%82%8d%e3%81%84%e3%82%8d%e3%82%a4%e3%83%ad%e3%83%8f%e3%81%aa%e7%9a%86%e6%a7%98%e3%81%b8.php