過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

トヨタの生産方式を叩き込まれた経験から

たったの5分しか立ち話をしてないのに、ちゃんと顔と名前を覚えてくれていた。一年ぶりなのに、すごい。企画のパンフレットも読んでいて、ちゃんと感想も述べてくれている。お年寄りの数名のグループが参拝にこられると、すっくと起ち上がって境内を案内する。説明の仕方も見事だった。

まちなかに出たついでに、「神社・寺カフェ」に参加してくれているお寺に寄った。そのなかのZ寺で、Fさんに会った。定年退職して、数年前から、この寺で寺男として境内の管理や案内などをされている。

かれとベンチに座って、語りあう。Fさんは、中学を出ると山里からまちなかのオートバイの部品工場に勤めた。その工場は、定時制の高校に行かせてもらえるというので、選んだ。

トヨタとY社の下請けで、部品をつくっていた。いちばん勉強になったのは、トヨタの生産方式だという。徹夜してまで、徹底して工夫改善する。ダメなら元に戻す。Y社はアタマで考えた通り一遍のことしか指導しないが、トヨタは徹底して現場の知恵と実践を叩き込んでくれたという。

また、トヨタの学校に真似たともいう。工場のなかに自分で工具で制作できる部屋がある。残業のないときには、そこで鉄を磨いたり学びあった。そして、残業代もだしてもらえた。たのしかったし、いろいろなアイデアが生まれた。外注に出さなくても、自社製のできるものもいくつか生まれた。コストダウンにつながった。

そんなトヨタの生産方式を叩き込まれた経験から、お寺の整備などをみると、工夫したいことは山ほどある。脚立を建てて旗をつけるようなことでも、こうしたほうが効率がいい、こういう手順でやればうまくいくと考える。しかし、お寺はそんなに効率も求めてはいないだろうけど。

ともあれ、ものづくりの現場のひとの体験を聞けるのはありがたい。ホンダを創業した本田宗一郎などは、工場の中で着想が閃くと、そこに現場の社員を集めて、床にチョークで絵を描いて示したという(写真)。そういう現場の中で、みんなで知恵を出し合い工夫を重ねて小さなオートバイの組立会社から、世界のホンダに育っていったわけだ。

そんな熱い現場のチカラが、かつての日本のあちこちにあったことだろう。トヨタソニーパナソニック、ホンダ、京セラ……ものづくり大国日本の時代をおもった。