過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

絞り込んだテーマにする

絞り込んだテーマにする。それが、本が売れるポイントだなあと思う。もちろん、タイトル、内容、装丁のデザイン、広告も出版社の力もある。

「どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法」という本が、なんと100万部を超えているとか。さすがサンマーク出版

やはり、漠然としたテーマだと売れないんじゃないかな。よしもとばなな村上春樹レベルの大御所や超有名作家なら、日々のエッセイみたいなものでも売れるけど。

講演やプレゼンにしても、総花的で展開だと、結局、何が言いたいのか伝わらない。

ぼくの話は、いつもそうなりがちだ。あれもこれも、こういうこともやってきた、あんなこともしてきた、と言いたいからだ。幕の内弁当のようになってしまう。で、いったいなにが言いたかったんだろう。となってしまう。

なので、言いたいことたくさんあるけど、それを絞って絞って、削って削って、いちばん伝えたいことを深く掘り下げる。それが大切かなあとも思う。

アクティブシニアネットというところから、講演の依頼をいただいた。対象者は、60代の後半から80代前半という。さて、どこにフォーカスして話をしたらいいのかなあ。

パのことばで、どんな単語がありますか

パのことばで、どんな単語がありますか。お姉さんが利用者のみなさんに問いかける。あかりは、「パ、パッ」とこたえていた。いつもパイパイといっておっぱいを飲むので、パはおなじみの言葉だ。

あかりの言葉、手を叩く仕草ひとつで、みなさん喜んでくれる。あかりもうれしそう。あかりは、きょうもデイサービスに出かけた。



寺檀制度の背景 御条目宗門檀那請合之掟

葬儀は仏式で、お坊さんにお経をよんでもらう。戒名をつけてもらう。それが、世の常になっている。その起源はどこからきたのだろうか。

徳川幕府は、キリスト教が弘まって異国の植民地になることを恐れた。そこで、キリシタンの蔓延を防ぐために、ひとびとを仏教に縛りつけた。すなわち、「寺請(てらうけ)制度」をつくって、すべてのひとを特定の菩提寺の管轄下においた。

そうして、ああせいこうせい、ちゃんとしないとキリシタンと疑われて、えらい目に遭うぞ、と脅しをかけた。

家康が交付したといわれる「御条目宗門檀那請合之掟」(ごじょうもく・しゅうもんだんな・うけあいのおきて)というものがある。これは偽書と言われるが、宗門によって積極的に活用された。そのなかに、こういう文言がある。

「檀那寺の僧侶は、死者の死相を見届けて邪宗でないことを請合って後に戒名を与え引導を渡せ」「先祖の法事などを他の寺で執り行ってはならない」「葬儀は檀那寺で執り行え」「宗祖忌、仏忌、盆、彼岸、先祖命日に参拝しない者は厳重に吟味する」など。

「吟味する」というのは、取り調べられるということ。まかりまちがえば、隠れキリシタンと疑われ、一族郎党が捕獲されて殺されてしまうという恐怖を与える文言だ。

こうして、ひとびとは菩提寺に縛りつけられることになる。交通手形も菩提寺が発行するので、それがなければ旅もできなかった。

そんな檀家と菩提寺の関係が、およそ300年間もつづいた。そんなに長くつづけば、葬儀は仏式があたりまえ。お坊さんにお経をよんでもらい、戒名をつけてもらうのはあたりまえ。それをしないものは、おかしなやつ、不届き者という風土になっていく。そういう歴史的な背景があって、いまのお寺さんがあるのだと思う。