過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

それをやっていて、躍動するかどうか、楽しいかどうか

価値の本質は「希少性」だ。掃き溜めにツル。掃き溜めのような汚いものばかりの中に鶴がいると、そこに価値がある。しかし、ツルばかりのなかに掃き溜めがあったら、それに価値がある。

阿弥陀経』によれば、極楽浄土には、金銀瑠璃などの宝石ばかりが輝いているという。そんな浄土にあっては、金や宝石などに価値はない。土や石ころや雑草に価値があるわけだ。

で、なにを言いたいのかというと、ひとはだれでも、自分という人間を価値あらしめたいと思う。そのためには「希少性」。誰でもできること、みんながやっていることをしていても、そこに価値は生まれない。自分しかできないことを深く掘り下げていくこと、そこがたいせつ。

そうして、それをやっていて、躍動するかどうか、楽しいかどうか、エネルギーが湧いてくるかどうか、ワクワクするかどうか。そこが指標かなぁ。