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World Diary

2008-09-09

産業排水に苦しむパキスタンのカスールの子どもたち

08:27

パキスタンカスールの住民が直面している水の問題の原因は三つあります。第一に皮革なめし産業であり、第二に町の汚水の池、第三が砒素の問題です。最初の二つは人災で、第三は自然からの罰なのかもしれません。

カスールの皮革業について少しお話したいと思います。この仕事は何百年もの間、伝統的なやり方で小規模に行われ、この作業に従事している家は、何軒かでした。彼らは植物性の材料でなめし作業を行ってきたため、環境を破壊することもありませんでした。皮革の彩色には、アカシアの葉が用いられました。カスール産の靴はインド中で売られ、多くのマハラジャや王たちはカスール産の靴を誇らしげにはいていたのです。

1971年には9軒しかなかった皮革なめし業者は、1981年になってもそれほど増えず、カスールの主要産業は綿織物業でした。しかしヨーロッパから皮革なめしの機械と化学薬品が輸入されてからというもの、カスールの皮革産業が急速に発展し、多くの政治家や企業家がカスールに皮革なめし工場を建設していきました。皮革なめし工場は急増し、1995年には120軒の工場ができ、2000年にはそれが180軒に増え、2006年には大規模なものとそれほど大きくない工場も含め240軒をこえるほどになっています。これらの皮革なめし工場では良質の皮革が生産され、製品は全世界に輸出されて、パキスタンの輸出額の第三位をしめています。2000年にはカスールカラチに次いで、第二位の皮革生産地でしたが、今では第一位をしめています。

興味深いことに、企業や工場のオーナーたちや経営者たちのほとんどは、カスールの住民ではありません。カスールを支配しているのが、カスールの住民ではないために、彼らはカスールの町に起こった問題に関してはほとんど無関心でいられます。ラホールや他の町からカスールにやってきているのです。朝カスールに来る時に、自分たちの分の水や食べ物を携えてやってきます。空調のきいたオフィスで仕事の指示をしますが、労働力として実際に作業にあたるのは地元の人間です。多くの労働者は近隣の村からやってきますが、カスールの労働賃金は安く、容易に働き手が確保できます。

 皮革なめし業に従事している労働者は1万人以上にのぼり、つまり1万世帯がこの仕事で生活しています。少なくとも3万人が、皮革なめしに関連する何らかの商売についているといえます。例えばなめし工程で使われる化学薬品の売買、皮革材料の売買、そして製品の他の都市や国々への販売や流通に携わる者です。高級品は外国に輸出もされています。

 皮革なめし工場ではその工程で多くの薬品や水が必要とされます。平均で毎日250トンもの化学薬品を含んだ排水が周囲に流されており、これが何年も続いています。一日にして9千立方メートルもの産業排水がだされるので、3年前にはこうした産業排水が流されて続けたため、三つのまるで湖のように大きな池がありました。1985年からはこうした排水のたまった巨大な池のために、町中の地下水が汚染されてしまいました。カスールの人々は飲み水を、こうした地下水に頼っていたのです。

このためカスールの人々は大気汚染と皮革なめしによる地下水汚染のために、様々な病気を発症してしまいます。1988年にはこの問題が深刻となり、カスールの町の破壊の責任を負うべき、政府機関、地元の行政、皮革なめし工場のオーナーや経営者らに対して多数の抗議行動が行われました。しかし彼らは一切この問題に取り組もうとはしませんでした。政府機関、政治家そして企業家らは一丸となって自分の利益を守ろうとし、一般の市民はそれに対して無力でした。カスールの住民はその声をあげるには、十分には組織されていなかったからです。まとまることができずに、市民たちはいくつもの異なるグループに分かれてしまいました。それぞれが多くの抗議行動を行いましたが、問題解決にはいたりませんでした。

1989年、国連機関がカスールにおいて環境リスク調査を実施しました。この調査によると少なくとも5万人の住民が、皮革なめし業によって、ガンになる高い危険性にさらされていることが指摘されました。しかし政府はこの警告に耳をかすこともありませんでした。そして今日ではカスールにガン患者が急増しています。特に子ども達がもっとも大きな被害をうけています。私たちの闘いは続いていますが、政府機関に効果的に圧力をかけることは困難でした。というのは、政府はほんとうの危険についても一切事実を公表することがなかったからです。町の飲み水の水質状況についても、政府はそれを住民に知らせることはなく、私たちはどのようにこの問題を解決していっていいものか途方にくれていました。

しかし1995年の終わりに、カスールの問題を認識していた、マリク・メラジ・カリッド氏がパキスタン首相となったのである。氏はアティック・ウル・ラーマン博士と日本の森下教授による調査を知り、二人から問題の詳細をききその解決方法について討議する機会をもった。ラホールの政府迎賓館で行われたこの会合はその夜テレビでも報道され、これを見たカスールの人々は喜びに沸き立った。というのはメラジ・カリッド首相は非力で貧しい人々の問題の解決に、誠実に尽力してきたため、パキスタン人は氏に対して畏敬の念を持っているのである。

メラジ・カリッド氏は元々法律家であり、私自身も弁護士をしているが、学生時代から大きな感化を受けてきた。氏は首相の職を辞してから、カスールで新たに設立された、私たちの「市民社会ネットワーク」という団体の初代会長に就任してくれた。残念ながら氏は亡くなったが、その遺志はひきつがれており、「市民社会ネットワーク」はパキスタンNGOとして正式に登録された。

市民社会ネットワーク」ではカスールにおいていくつもの国際セミナーを開催し、カスールの問題を国際社会にアピールした。こうした圧力のおかげで、パキスタン政府は、アジアで第二の規模となるはずだった、排水処理施設建設の計画を開始した。その予算規模は1千万ドル以上であった。その当時の首相、ベネジル・ブット首相が起工式に参加し、夫のザルダリ氏が当時連邦政府の初代環境大臣であった。

(驚いたことに2008年9月7日現在、ザルダリ氏は、ムシャラフ大統領の後、PPPからパキスタン大統領に選出されている。彼はMr.10%という悪名高い名前が付けられていた)

しかしこの処理施設の建設に地元はまったく関与させてもらえず、カスールの本当の問題はプロジェクトから除外されてしまった。つまり住民の健康、社会的影響、飲料水の確保の問題は、このプロジェクトでは扱われなかったのである。汚職が行われたためオランダ大使館ノルウェー大使館は、このプロジェクトへの資金援助をうちきり、このプロジェクトは大失敗に終わるだろうと告げた。というのはこのプロジェクトでは、カスールからでる排水や廃棄物が、単に他の町や村に移るだけになってしまうというのである。

そして現実はその言葉どおりになった。今日この処理施設は失敗の象徴ともなっている。水から有害な化学物質を取り除くのに役立たないばかりか、汚染された排水は農業用水として使われ、また川にそのまま流されて人々はそこから魚をとって食べている。これはカスールの町の大惨事なのである。

2006年に東京工業大学で行われた講演から抜粋

カスール市民社会ネットワーク代表、弁護士

ラジャ・ムハマド・ユナス・カヤニ

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