2010-04-30 モノレール車内でかりゆしウエアファッションショー
2010-02-28 県高PTA連、大会赤字950万円 借り入れで処理方針
県高校PTA連合会(新垣和歌子会長)は24日、那覇市の青年会館で各学校のPTA会長らを集め、昨年8月に県内で開かれた第59回全国高校PTA連合会大会沖縄大会で約950万円の赤字が生じたことを報告した。うち約200万円は当初の事業計画になかったかりゆしウエアの売れ残りで、高P連はかりゆしウェア分は「三役で処理する」として、残り約750万円分の赤字を県高校安全振興会(新垣和歌子会長)から借り入れて5〜10年かけて返済する考えを示した。これに対して参加者からは借り入れの妥当性などに批判の声が集中した。
説明会には約60人が参加した。県高P連は26日に全国大会の解散総会を開く予定だったが、参加者からさらなる説明の場を求める声が出たため中止を決めた。
知念正和事務局長は赤字の要因を「世界的不況や新型インフルエンザの警報発令などで参加者が当初の1万2千人より2千人減ったことが大きく影響した」と述べた。
また知念事務局長は借り入れは高P連の理事会で承認を得たことを説明した上で「振興会には基金1億円以外に積立金が約3500万円ある。その中から借り入れ、毎年80〜100万円ずつ経費の節減により返済していこうと考えている」と述べ、保護者に新たな負担は求めないことを説明した。
これに対して参加者からは「振興会の定款に貸し出し条項は見当たらない」「こんなに赤字が出るのは重大な瑕疵(かし)がある」「(借り入れの承認は)理事会でなく総会に諮るべきだ」など批判が噴出した。
これに対し知念事務局長は「振興会はPTA活動のサポートをしていく視点でこれまでも全国大会に予算を出してきた。顧問弁護士から『PTAと振興会の決定があればできる』との話があり、踏み切った」と説明した。
終了後、新垣会長は「理事会から各地区への説明不足、連携不足を感じる。誠意を持って説明したい」と述べ、あらためて説明会を開く考えを示した。
(2010.2.25 琉球新報)
2010-02-11 かりゆしウエア製造減 3年連続 09年、26万8131枚
2009年のかりゆしウエア製造数(かりゆしウェアであることを示すタグの発行枚数)は前年比13・1%減の26万8131枚で、3年連続の減少となったことが県衣類縫製品工業組合のまとめで8日、分かった。20万枚台となったのは6年ぶり。同組合は、景気後退やデフレによる廉価衣料品の出現などが要因とみている。一方、09年以前の在庫品も含めた出荷数(概数)は約31万枚で、08年の製造枚数の30万8633枚と同水準。
同組合の伊良波勲事務局長は「市場規模は景気に左右されず安定しているのではないか。今後は各企業がそれぞれの特色を明確に打ち出し、顧客を見極めた商品が必要になる」と述べ、企業のターゲット戦略の重要性が増すと分析する。製造数は1999年には5万8050枚だったが、サミットがあった2000年には11万1499枚に急増。04年に31万4354枚となってからは30万枚台を維持していた。
同組合では昨年10月の「沖縄の産業まつり」の来場者を対象にアンケートを実施。かりゆしウェアの印象について聞いたところ、「沖縄」がキーワードに含まれる回答が21個で最も多く、沖縄固有の衣料品というイメージが定着していることがあらためて示された。伊良波事務局長は「今後は各企業のシーズンコンセプトや、着用シーンの具体的提案でニーズを掘り起こす時期」と課題を指摘している。
同組合では、今シーズンの組合カタログで、ビジネスシーンや休日、ウエディングリゾートといった着用状況の写真も掲載し、新たな需要喚起につなげたい考えだ。
(沖縄タイムス - 2010年2月8日)
2009-09-04 【09衆院選】苦杯の2人 捲土重来を期す
衆院選から一夜明けた31日、早くも静岡県内では惨敗を喫した自民党前議員らが「次」に向けて動き出した。5人が立った混戦の中、苦杯をなめた1区の前職、上川陽子氏(56)も再起に向けた活動をさっそく始めた1人。睡眠不足をものともせず、早朝の街頭でマイクを握った。郵政選挙の因縁の対決に民主党新人を絡めた三つどもえの戦いに力尽きた7区の前職、片山さつき氏(50)も、雪辱戦への意気込みを見せている。
◇
■上川氏、早くも街頭演説
「おはようございます!」。自民党前職の上川陽子氏は早朝、娘の真希さん(29)とともに、まだ人通りも少ない静岡市葵区の中心街に現れた。表情は晴れ晴れとしていた。
前夜、帰宅したのは午前2時過ぎ。「数時間も寝ていない」とやや疲労感をにじませながらも、1人1人に握手を求めた。
「皆さんの期待に応えて1議席を預かることができなかった。本当に申し訳ありません」。通勤や通学途中の人たちが行き交う交差点の片隅に立ち、おわびの言葉を口にした。
4期目に挑んだ戦いは、「現実を踏まえ、裏付けのあるしっかりした政策を出していくのがマニフェスト(公約)」と、元少子化担当相の実績を基に訴え続けたが、自民党への逆風の強さは想像を超えた。「国民の自民党を見る大変厳しい目、不平や不満を大きく変えることができなかった。力を出し切っても負けることがあるのが政治」と上川氏は話す。
「昨日までの激戦とうって変わって、新しい政治の幕開けが始まった感覚です」。打ちひしがれても前を向くのは、早くも先を見据えているからか。経済政策や子供の学力低下問題に「日本の恵まれた環境だからこそ、努力を尽くしていきたい」。
通勤途中の男性から「また頑張れよ」と声をかけられると、感極まって涙をぬぐう場面もあった。
この日、上川氏が着ていたのは、前夜の上下白のスーツとは変わり、青緑色の「かりゆしウエア」。少子化担当相のとき、沖縄県で着用したものだという。「沖縄県は所得の低い人が多いが、出生率は1・75%と高い。豊かだから高いのではなく、絆(きずな)が大事だと思い出させてくれる」。こだわりの“勝負服”は、再出発の象徴のようだ。
今後は、静岡市内での街頭演説のほか、支援者を訪れて回る計画という。「今回の選挙をよく反省すること。どんなことが本当に自民党に求められているのか。私と支援者のギャップを埋めたい」と白い歯をのぞかせた。
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■片山氏、再起へ強い意欲
片山さつき氏はこの日、選挙区内の支援者一人一人への「おわびとお礼行脚」をスタートさせた。
敗戦の悔しさをにじませながらも「政権も変わり、政治の枠組みも変わっていく。議員でなくても自民党支部長としてやらなければいけないこと、やれることはある」と再起に向けた強い決意を語った。
開票日の30日、浜松市西区の選挙事務所で支持者を前に「応援してくれる人がいる限り、私はここで政治活動を続けます」と誓った片山氏。敗北が決まり、「地域のつながりが強い7区で、組織づくりという点で足りない部分があった。すべて私の責任」と振り返った。
大敗した自民党に対しては、「改革に対してブレがあってはならない。経済改革、党内改革をもっとやっていくべきだ」と主張。返す言葉で「振り子は必ず戻ってくる。それは4年後かもしれないし、半年後かもしれない」とし、気を緩めずに、政界復帰を目指す意志を示した。
(9月1日7時56分配信 産経新聞)
2009-06-18 映画『群青 愛が沈んだ海の色』「かりゆしウェアの日」イベント
6月1日(月)、自由民主党議員の小池百合子氏を会長とした「かりゆしウェアを世界に広める会」主催の「かりゆしウェアの日」イベントが、自由民主党本部にて開催されました。
当日は、特別ゲストとして、6月27日より全国公開されます沖縄を舞台にした映画『群青 愛が沈んだ海の色』(配給:20世紀フォックス映画)出演の俳優、良知真次(らちしんじ)さんが登壇し、本作劇中内でも着用した涼しげな「かりゆし」姿を小池議員と共に披露致しました。
【かりゆしウェアの日について】
2007年6月1日に当会の発足と同時に制定。クールビズ先進例として、沖縄で広く愛用されている「かりゆしウェア」の魅力を日本全国や世界へ広めることにより、地球温暖化防止及び経済振興へ貢献することを目的する。日ごろの感謝と「かりゆしウェア」普及のため、6月1日を「かりゆしウェアの日」として、毎年沖縄に関するゲストを招き、イベントを開催している。
◎かりゆしウェアを世界へ広める会会長/衆議院議員・小池百合子氏:
6月1日は4年前からクールビズのスタートの日とさせて頂いております。私は環境大臣を務めその後、沖縄担当大臣(※正式名称:内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策))も務めさせて頂きました。沖縄に伺ったおりに、ズラリとかりゆしウェアの皆様方が99.9%おられることに、これぞクールビズの真髄と思い、このかりゆしウェアを世界に広めていこうということで同志の皆様とこの会を結成しました。地球温暖化対策も待ったなしでございます。クールビズそしてかりゆしウェアを皆さんと共に広げていき、地球をクールに沖縄をホットにして参りましょう。
私は6年前に沖縄担当大臣(※正式名称:内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策))を約1年やらせて頂きました。その時にかりゆしウェアは素晴らしいと思いましたし、色々な民芸品も沢山あって、そういう物が世界に広がると良いと思っておりました。沖縄の文化を世界に発信して、観光も大いに進めて頂きたいと思います。
◎「群青 愛が沈んだ海の色」出演・良知真次さん:
この度、「かりゆしウェアの日」イベントに参加させて頂き本当に光栄に思っております。
今回僕が、長澤まさみさんの恋人役で出演している沖縄・渡名喜島が舞台の映画「群青 愛が沈んだ海の色」(6月27日公開/配給:20世紀フォックス映画)の中でも「かりゆしウェア」を沢山のシーンで着ています。本作では、沖縄・渡名喜島で約1ヶ月間ロケをさせて頂きました。僕はこの撮影で初めて沖縄を訪れたのですが、沖縄は僕にとって宝物のような場所になりました。