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井手町の『ウワサ』・・・(増加中!)

2009-09-27

161.井手町はサイクリスト(自転車好き)に人気らしい。

ロードバイクシクロクロスクロスバイクマウンテンバイクなど、

井手町自転車の愛好家に人気だそうです。

舗装路で登り坂にチャレンジするなら・・・玉水〜大正池ルートや、フルーツライン〜万灯呂山(大峰)ルート

オフロードなら、竜王の滝〜代官屋敷跡・大正池ルートもあります。

適度に起伏した坂道と、きれいな自然が特徴的です。

週末や休日には、ウェアーで身を包んだ多くのライダー出合います。

毎年11月23日(祝)には井手町商工会青年部主催の【山吹MTBチャレンジフェスタ】が開催され多くの方々にご好評いただいております。


※あくまで一般道ですので交通マナーを守って安全にお楽しみください。

※自然を大切に!ゴミやタバコのポイ捨てはやめましょう!

※個人所有の山もあります。安易に山へ入らないようにしましょう。


『ウワサ』の一覧

2009-09-18

160.玉川のV字渓谷は、南山城で最大級の規模らしい。

井手町の西の木津川から見ると、北の城陽市・南の木津川市山城町のなだらかな山に対し

井手町の山は大変急峻な山となっています。

その中でひときわ目立つのが玉川中上流域のV字渓谷。

太古の昔より年間通じて豊富で安定した水量をほこる玉川の水によって

山が浸食されてできたものであると言われています。

その結果できた扇状地が上井手地区から高月地区へと広がっており、

扇状地の下部から綺麗に濾された水がわく。

それが【蛙塚】や【六角井】に関係するという人もいます。


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159.昔から有名な『井手の蛙(かはづ)』は色黒だったらしい。

昔から『井手の蛙(読み方は、カワヅ)』は大変有名だったそうです。

その実態は・・・少し色が黒く見え、さほど大きくなく、

普通の蛙のように飛ぶこともなく、常に水の中に住み、

夜が更けると 清らかな物哀しい声で鳴いたとか。【无名抄意取】


井手の蛙【かはづ・かわづ】の正体は、 カジカガエルだとする説と

カジカではない別の蛙だとする説もあるようです。


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158.井手町の児玉岩古墳は、近隣集落との高低差が大きい古墳として珍しいらしい。

井手町多賀の通称万灯呂山(正式名:大峰)の南方の山の頂上付近で見つかった

児玉岩古墳は付近の集落から離れた高地で発見された。

井手町は古来『眺めの良い場所』に遺跡史跡が集中しているが、

この児玉岩古墳から遠景はほぼ望めない。

いったいどのような意図で、どんな被葬者が葬られているのかは ナゾです。


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157.井手町に金の採れる鉱脈があるらしい。

井手町玉川中流を横断するかたちで金の含まれる鉱脈があるそうです。

北西から南東へ向かうその鉱脈は玉津岡神社の裏山付近をかすめているとか・・・。

昔、橘諸兄が富の象徴である黄金伝説になぞらえ山吹を愛でた背景に

金の鉱脈が関係するかはわかりません。

ちなみに・・・『金』は、出ても微量だそうですよ。


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2009-09-16

156.井手町は川柳のまちになるらしい。

来たる2011年の国民文化祭において

井手町は ≪川柳の祭典≫をおこなうことになったそうです。

井手町は およそ1300年前、日本最古の歌集≪万葉集≫の成立に大きくかかわった

左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)の本拠地。

諸兄によってつくられた【山吹】【蛙】【玉川】など【井手】を意味する歌枕は、

万葉の歌人はじめ、藤原俊成紀貫之小野小町松尾芭蕉与謝蕪村など

後世の多くの歌人俳人に好んで詠まれ 井手町は まさしく文化の町と言えます。

そして2011年(平成23年)、今様の【川柳】が町に根付くといいですね。


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2009-09-14

155.井手町の盆踊りは『江州音頭』だったらしい。

滋賀県発祥の『江州音頭』が踊られた範囲は近畿の各府県におよぶそうです。

井手町でも例にもれず以前から『江州音頭』で盆踊りがおこなわれ

地域の幅広い年齢層の集う貴重な交流の場となっていました。

しかし近年町内で盆踊りをおこなわない地区が増え

江州音頭』が忘れ去られたり 『他地域の音頭』や『新しい音頭』などに

変更される事もあるとか・・・。

老若男女 世代を超えた交流のためにも、みんなが参加できる盆踊りが再興されるといいですね。


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154.井手町で『流しそうめん3000m』の『世界記録』に挑戦する計画があるらしい。

平成21年9月23日、井手町の 素晴らしい景色で有名な万灯呂山(大峰)山頂付近から

3000mもの流しそうめんをつくり、世界最長記録(ギネス記録)に挑戦されました。

残念ながら目標達成はなりませんでしたが、多くの報道関係者が駆けつけ井手町の知名度向上につながりました。

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153.芭蕉の名句『古池や・・・』に、井手に関する逸話があるらしい。

俳句奥の細道などで大変有名な松尾芭蕉の名句


古池や 蛙飛びこむ 水の音


芭蕉がこの句を詠む際 先にできた下の句に対し

上の句は何が良いかと弟子に聞いたそうです。

すると弟子は、『蛙』と言えば

同じく『井手』意味する『山吹』を入れ


山吹や 蛙飛びこむ 水の音


・・・と提案したそうです。

しかし、芭蕉は それを善しとせず『古池や・・・』と詠んだとの逸話が残されています。


何とも惜しまれる話です。


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152.井手町に芥川賞候補にあがった作家がいたらしい。

昭和15年 第12回芥川賞の候補にあがった12作品のひとつが

井手町多賀の村田孝太郎氏の『鶏』という作品だったそうです。

惜しくも賞を逃しましたが、その選評を見る限り

高い評価を受けていたことがわかります。

井手町にも一流の作家がおられたようです。


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151.蛙塚は、その昔 橘諸兄が3本足の蛙を埋めたところらしい。

およそ1300年前聖武天皇の時代

時の最高権力者として君臨した井手左大臣橘諸兄

『3本足の蛙を埋めた』という故事から造られたのが

井手の『蛙塚』といわれている。

山城綴喜郡誌参照』


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★井手町商工会青年部の紹介★

【広告】≪井手町のウワサ≫を作成したメンバーです!

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以上、広告ページでした。


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150.井手町には、値打のあるネタが数多く眠っているらしい。

井手の地は、約1300年前『万葉集』の編者たちが行き交い、

文化の中心地として世に知られていました。

しかし、その後多くの権力者たちにより井手の栄華が

あえて 伝えられなかったとの説があります。

でも、全国に誇れるブランド力がある事はまちがいありません。

今後更に値打のあるネタが発掘される事を望みたいものです。



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149.井手町にはお寺が多いらしい。

井手町には現在も多くのお寺があります。

しかし、明治神仏分離令により多くのお寺が取り壊されています。

町史によると現井手地区で六ケ寺、現多賀地区で四ケ寺の廃寺があったとされる。

その他にも地名や古文書に他の寺の名が見られる事から、

より多くの寺が存在した可能性がある。

この限られた集落でどうやってそれだけの寺院が維持できたのかはナゾである。


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148.井手町の土地の値段は安いらしい。

井手町の市街地の大半はJRの駅から歩いて20分ほどの地域に集中しています。

そして南北に走る国道24号線と東西に走る国道307号線へのアクセスがよく

近畿地方のど真ん中のメリットを考えると全国に見て格安と言えるでしょう。

今後『井手ブランド』がより向上してほしいものですね。



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147.井手寺の遺物が、全国に散逸している可能性があるらしい。

約千三百年前、橘諸兄により建てられた巨大寺院『井手寺(いでじ)』の遺物は

ほとんど残されていません。

高知県土佐市で国の重要文化財となっている井手寺の梵鐘も

井手からその地へ渡った経緯はナゾのままです。

昨今の情報化社会のメリットを生かして

全国に名をとどろかせた『井手』の遺物が見つかればいいですね。



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146.有名な『井手の蛙』とされるカジカガエルは、昭和28年の南山城水害で全滅してしまったらしい。

美しい鳴き声で有名な『井手の蛙』は昭和28年の水害後、その姿を消しました。

しかし最近、地元の方々の復活に向けた活動が盛んになっております。


【蛙=かはづ・かわづ】


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145.江戸時代、江戸の地で山吹茶屋が流行ったらしい。

江戸時代江戸の地で井手をイメージした山吹茶屋という店が流行ったそうです。

実体はわかりませんが、山吹茶漬けというお茶漬けが流行ったという話があるそうです。

鬼平犯科帳にも出てくるらしいです。



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144.その昔、井手町に平家物語で有名な俊寛僧都の屋敷があったらしい。

平安末期、鹿ケ谷にて平家滅亡を図ろうとした事で有名な僧

俊寛(の屋敷が井手有王にあったそうです。

橘諸兄の末裔 橘有王と俊寛とのつながりは有名で

各地に二人の伝説が残されています。



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143.井手弁は河内弁に近いらしい。

ナゼか?井手の人の発音は河内弁に似ていると言われます。

むかし応仁の乱の時、西軍方・畠山善就派の誉田氏以下≪河内勢≫と古市氏とが、

現在の井手町多賀国道24号線付近の『北古市場』『南古市場』に陣をしいたそうです。

応仁の乱は、十年以上続いた消耗戦でした。

当時は井手城主『井手新四郎』の活躍した時代。

軍勢と地元の人と、物資や食料調達など交流が深まり、

井手独自の方言が生まれたのではないか??

とする説があります。


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2009-09-13

142.井手町の人が家康の『伊賀越え』の道案内をしたらしい。

天正8年(1580年)『本能寺の変』のとき徳川家康は、

十数名の少数の伴とともに堺の町を見物していました。

しかし、本能寺織田信長が命を落としたと聞き、

信長の弔い合戦のため、急ぎ自らの本拠地三河へ わずか二日間で帰ったと言われています。

家康の人生で最大の危機といわれるこの故事は『伊賀越え』といわれ、

その道中木津川から田原への道案内をした人に多賀村の人の名があります。


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141. 江戸時代、大和街道の多賀北部に多賀茶屋という場所があったらしい。

江戸時代、各地に宿駅が整備され、長池宿と玉水宿(たまみずのしゅく)の間に

多賀茶屋という休憩所があったそうです。

地元では今もその一帯を多賀茶屋とよんでいます。


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