僕たちの終末

僕たちの終末

僕たちの終末

「終末は宇宙に行こう!」
機本信司『僕たちの終末』読了。『神様のパズル』で「宇宙の作り方」などというデカいネタを持ち出した機本信司氏の3番目のターゲットは、恒星間宇宙船だ。

近い将来、太陽が極大のフレア「太陽暴風」を巻き起こし、地球の生態系に甚大なる被害を及ぼすことが予測された。座して待てば人類は死滅する。そんな中、「太陽暴風」を予見した科学者がとんでもない考えを持ち出した。「恒星間宇宙船を造って、別の太陽系に逃げよう」。

民間企業の主導で、6光年先のバーナード星系に行くための恒星間航行宇宙船を造る。民間主導の月面基地建設を目指す小川一水第六大陸』を彷彿とさせる話だ。月面に基地をつくるのと恒星間宇宙船を造るのとでは、たぶん後者の方が難しい。しかし、そのぶん『僕たちの終末』の時代設定はもうちょっと未来になっているので、まぁ五分五分か。

恒星間宇宙船、しかも有人となれば、その建造はすさまじく難しい。現在の技術力では不可能であり、多少進んでも夢物語だ。その理由は、この本の中でも嫌というほど語られる。どれだけの予算と時間があればできるのか、ではなく、そもそも可能なことなのか、という点から検討しなければならないし、検討結果は十中八九「ムリ」となるであろう。恒星間宇宙船の建造は、冒険を通り越して無謀な挑戦なのだ。

さて、いくら難しいといっても、だから「できません」では物語にならない。とりあえず、地球にいたらみんな死ぬ、ということで宇宙に飛び出すモチベーションは作った。あとは、技術的難関をどう料理して、飛べそうな恒星間宇宙船のアイデアをひねり出してくるか、だ。わくわくしながら読んだ。こういう話は大好きだ。

いやー、ほんといろいろ考えてくるね。技術面ではそれはそれはすごいアイデアを出してきた。「核融合リサイクリングエンジン」と、居住環境のあたりは感動モノですよ。

でも、書きたいことはそういうところじゃないようだ。アイデアをこれでもかとぶちまけて、よし、いよいよ作るぞ!というところはあっさりと飛ばして次の章では完成間近に迫っている。

どのへんを書きたかったのか。それは「地球を捨ててまで生きる」ことの意味、そこから転じて、人間というのは何なのか、という哲学的な問いへの回答のようだ。アイデアをぶちまけるシーンで、そのアイデアをひねり出した技術者・岡本が言うのである。

「私は宇宙へ進出することを考えた。さんざん考え抜いた挙げ句、宇宙から突き付けられたのは、"人間とは何か"という問題だったということです。」

宇宙船に積めるものは限りがある。だから、恒星間宇宙船に乗って地球を脱出する人々、しいては地球人類が存在したことの唯一の証となる人々は、手ぶら同然で乗船する。つまり、これまで人類文明が築き上げた輝かしい成果と貴重な歴史のほぼ全てを捨てていかねばならない。ただ人類の遺伝子を残すこと、それが「人類を存続させる」ことなのだろうか。そうでないならば、何を持ち出せばよいのか。「人間」を「人間」たらしめている存在の核は何なのか。

そんなわけで、物語の終局では、焦点が技術から人間に移り、技術的な問題はほとんど出てこなくなる。ここまでの流れでエンジニアリングSFを期待していたこちらとしては肩すかしをくらった感じがする。覚悟を決めて宇宙へ!という段階で、地球に残していく人々が気になってなんか煮え切らないことを言い出すし、おまえら何を今更言い出すんだ、と。お涙頂戴のヒューマンドラマなんか求めてないよ、と。

最後の最後の危機も、エンジニアリングではなくて、世界観・人生観を問いつめることで突破するし・・・まぁ、このへんは行き過ぎててむしろ面白かったかも。

中盤まではほんとにワクワクしどおしで、ページをめくるのももどかしいぐらいだった。終盤は、好みが分かれるんじゃないだろうか。でも、これだけ長文を書いているわけだから、気に入っていないわけもない。えぇ、気に入りましたよ。面白かった。次回作にも期待。