2011-02-19
数字とアルファベット、湖と怪獣。
掃除をしていたら、引き出しの中から一年前にNICU退院の時に書いてもらった紹介状が一通出てきた。息子は退院時はとても元気だったが、それでも900グラム台で生まれた赤ん坊であるという事実は、体重の軽さに反比例して重たく、退院後は週に二度はどこかの病院に通っていた。NICUは京都だったのだが、入院中に実家に引っ越しし、その実家が滋賀ということで、最新の検査が必要でないような、例えば予防接種だとか単なる風邪を対処するのは、滋賀の病院に移転してやってもらうことにしたのだった。その手続きに必要なのが、紹介状だ。いくつもの病院用に必要だったので、退院時には5通の紹介状をもらったのだが、そのうちの一枚をどうやら使い忘れていたらしい。一年も前の紹介状なので、今更紹介もないだろうし、いささか懐かしい気持ちもあったので、中身を空けて読んでみた。想像していた「よろしくお願いします」的な文章はそこにはなく、びっしり書き込まれた文章を読み始めて、すぐに血が凍る恐怖に襲われた。そこに並べられていたのは、克明に描かれた息子の苦闘の跡であり、その苦闘は、文科系の私には訳のわからない数字とアルファベットによって記載されたものだった。だが、訳がわからないなりに、ことの重大さはたまに挟まれる「日本語」の深刻さから明白に読み取れて、息子の状態がいかに不利で、いかに難しかったがよくわかるのだった。紹介状は三枚に渡って、息子の三ヶ月間の病状の変化と予後の予測が書かれており、その細かく冷静な筆致が、かえってことの重大さと深刻さを伝える。並ぶ病名は一つ一つの単語が宿命的に不吉な字面を持っていて、改めて今の元気さの不思議を思う。そして一年前のことを思い出した。あの頃、我々は酷かった。思い出すと今でも苦しくなるような絶望の中にいた。
ちょうど一年前、妻は出産を終えて入院中だった。その入院中に、同じ日に出産を終えた女性と知り合いになっていて(Fさん、としておこう。仮に)、その方とは今もメールのやり取りをしている。私も妻もあまり友人を作るのが上手い方ではないから、そのような知り合いが妻に出来たことは珍しい。 Fさんに後から聞いた話では、妻は入院した当初の頃、深夜から明け方にかけて一人で泣いていたそうだ。普段、妻は何があっても泣かない女性だ。私の方が女々しく思えるくらいの、強い人物だ。その妻が、ただひたすら声を押し殺して泣く。私にはその姿が想像できない。見舞いに来る私には、一度さえ見せたことがない涙。そうして泣く妻を見かねて声をかけたのが、Fさんとの親交のきっかけだったそうな。
去年の8月頃だったか、そのFさんが一度家に遊びにきたことがある。退院した息子を見に。そして、息子を見るとすぐに、目の力にたじろいだそうな。1000グラム以下の超未熟児で生まれた赤ん坊は、ぼんやりしていることが多いらしいのだが、息子は人の顔をじーーーっと見る。何をそんなに、と思うほどに見つめた後、にっこり笑うか泣き出すかはその人次第なのだけれど、Fさんにはにっこりと笑いかけた。それでFさんは、妻に向かってこう言った。「数ヶ月後、やんちゃになった息子さんに、お二人が手を焼いてる姿が目に見えますよ」。その言葉は、まだおすわりが出来ず、目の力以外は静かでおとなしかったあの頃の息子に当てはまるものには思えず、多分、我々を勇気づけるための方便なのだろうと、その時は思ったものだった。しかしそれは実際に「予言」になった。最近、私は確かに息子に手を焼いている。
ここ最近の息子の成長は、少しこちらがたじろぐほどに力強い。おすわりどころか、はいはいもつかまり立ちも初めて、最近は私の眼鏡をつかみ取り、喉を締め、腕に爪を立て、少なくなった髪をむしりとろうとする。気に入らないことがあれば両の拳で私の顔面を殴り、笑うと大量のヨダレを私の顔面に発射する。その姿は、赤ん坊というよりは小さい怪獣と言ったところで、保育器の中で機能せぬ肺を必死に動かして、苦しげに息をしていた息子の姿からは想像もつかない激しいエネルギーの固まりだ。日々振り回されてくたくたになりながら、今日、一年前の「紹介状」をきっかけに、半年前のFさんの言葉を思い出して、私は少しまた気づいたことがある。こんなにも毎日息子のことを見ているのに、私はこの一年間、まだ「数字」と「アルファベット」に振り回されてきたのだ。一年前、私は息子の呼吸の状態を表す数値を見て、一喜一憂していた。半年前、息子の聴力を示す数値が着実に伸びる姿に心強さを感じた。先日、その聴力が、別の検査の結果全然聞こえてないかもしれないという数字が再び出て、ひどく落胆した。そのすべては、数字がもたらす客観的なデータであって、私はその象徴的で抽象的なフィルターを通して、息子を見てきた。だから、そのような私は、一年前の「紹介状」をいま再び目にしたとき、まるで一年前と同じような血の凍えに襲われたのだ。目の前にいる怪獣の宇宙開闢もかくやというエネルギーを一瞬忘れ、一年前の虚ろな亡霊に心を貫かれた。
Fさんの目線は、まっすぐと息子を見る。Fさんは、息子の状態を良く知っているし、彼女自身、一人目の息子さんがうちの子以上の修羅場をくぐり抜けているので、私たちと同じような苦しみを彼女も経験している。私が知る赤ん坊の病気を示すアルファベットや数字を、Fさんもまた知っているのだ。それにも関わらず、Fさんは一度として我々の息子のことを心配したことがなかった。嫁の携帯にやってくるFさんからのメールからは、常に「息子さんは、全然大丈夫です!」というメッセージが伝わってきた。それは、NICUに入院していた、あの厳しい時期でさえそうだったし、半年前に静かな息子を見たときもそうだった。Fさんが見た息子はまぎれも無く「元気な子」で、その徴候を透徹した目で見抜いていた、今ではそうとしか考えられないのだった。単なる「元気付け」などではなかったのだ、あの半年前の「予言」は。
その目、その鋭さ。数字とアルファベットではなく、目と口と、声と膂力と、大地を踏みしめる足と振り回す拳と。それらを見るFさんの目には、何一つフィルターがかかっていない。私はその目をうらやましく思う。息子を見ると、確かに彼は元気だ。恐るべき力で周りの物質を破壊する(iPadにはとうとうヒビが入った)、我が家の暴虐王だ。彼の耳はどうだろう?聞こえてないと診断された彼の耳は。私はよく、息子の背後から、そっと名前を呼ぶ。すると、びっくりするくらい敏感に反応する。後ろにまでは回らない首を必死に回して、声のする方向を見ようとする。検査の結果では、息子は耳元で絶叫しても眠りから覚めない程、何も聞こえていない。そんな状態のはずなのに、彼の一番のお気に入りのおもちゃは、将来ドラマーに育てるために私が買ってきた、スネアドラムだ。毎日それをドンドコ叩いて喜んでいる。音が出ることに喜んでいる。その姿。私のフィルターのかかった目にさえ、その姿は頼もしい。
150年ほどまえ、アメリカの作家ヘンリー・デヴィッド・ソローは「生の実質」を得んがために、ウォールデンという小さな湖のほとりで労働の毎日を過ごした。木の年輪を調べ、硬い土に鍬を食い込ませることで、ソローが得ようとしたことは、私がおそらくはまだ知らないことであり、そしておそらくはFさんはすでに知っている何物かだ。私はまだ、それを知ることができない。私にとってのウォールデン湖のような存在を前にして、私は木の年輪を調べ、硬い土を掘り起こさなければならない。それが、今年の私の仕事になる。
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