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Spare time

09/09/11

[][]その3

捨て去るべきとされた年功賃金こそがかえって近代化の役に立ったというパラドックスです。そして、その延長線上に「能力主義管理」があります。


[pp.122]

...欧州諸国の福祉国家とは、年金や医療といった日本と共通する社会保障制度だけではなく、育児、教育、住宅といった分野においても社会政策的な再分配が大規模に行われる社会でもありました。

 ところが、戦後日本においては、これら費用は企業が正社員に支払う生活給の形でまかなわれてきたために、その費用を政府が負担せずに済んできました。これをメリットというのはいささか気が引けますが、少なくとも財政当局にとっては余計な政府支出が節約できたという意味でメリットがあったことは間違いないでしょう。


[pp.123]

 解決すべき問題がいかにねじれているかが分かる。それぞれの時代において、抜本的な解決を(意図的にもしくは結果として)せず、今に至っているということである。また、最近は悪者扱いしかされないが、(大)企業がどれだけ貢献してきたかも分かる。これだけ膨大な功績(解釈の仕方によっては荷物)を変えていこうと思ったときに、勧善懲悪的発想をしていてはどうにもならないのではないか、という気がする。これは今の政治に言いたいことだけれども*1


...一貫して冷ややかだったのが教育界です。文部省がしぶしぶ職業教育に重点を置く教育の多様化を打ち出すと、日教組はそれを高校教育の格差漬けを行う政策だと非難しました。奇妙なのは、「能力・適正・進路による選別」を非難しながら、同時に「生徒を○×式テストの成績によって振り分ける進路指導」を批判していたことです。そこには、多様な能力・適正・進路による選別を否定することが、結果的に一元的な成績によるふるい分けを不可避にしているのではないかという反省は見あたりませんし、職業教育は高卒後に、というその主張が実は企業内人材養成ときわめて親和的なものであるという認識もなかったようです。


[pp.139]

 これを教育の側から自省として打ち出すことは可能か?と言われれば、恐らく難しいのではないかと思う。戦後の政権の性格からして、対立せざるを得なかったのかもしれない。が、上記のように、それによって出てきた弊害は決して小さなものではない。○×式テストによる振り分けを批判しつつ、しかし結果としてそうした振り分けが主流であり続けていることに対しては大いに反省が必要だろう。そうした状況に問題があると認識をしているのであれば、だが。


○二つの正義のはざま

...使用者側からは...「労働の対価である最低賃金と社会福祉としての生活保護では根本が全く異なり、その両者の間で整合性を考慮することについては疑問を禁じ得ない」と疑問が提示されていました。

 確かに賃金は労働の対価です。...

 ところが残念ながら、世の中は交換の正義だけで成り立っているわけではありません。分配の正義、「乏しきに与えよ」という正義が、憲法二五条に立脚して「健康で文化的な最低限度の生活」を国民に保障しています」そして、その福祉の世界は市場の世界を堺を接しています。...一歩境をまたいで福祉の世界に逃げ込めば、働かなくても健康で文化的な最低限度の生活を...ここには究極のモラルハザードが発生しますが、これは我々の住む社会が二つの異なる正義の観念に立脚していることに由来するわけです。


[pp.151-152]

 Web*2での自己責任論を振りかざす人に見せて感想を聞きたくなった。「生活保護が高すぎる」「生活保護をもらってる奴はズルい」では済まないということだ。


■コラム■ シングルマザーを支えた児童扶養手当とその奇妙な改革

をまとめると

  • 日本のシングルマザーの就業率は80%以上:世界的にみてもかなり高い割合
  • 就労しているシングルマザーの収入が、生活保護を受給しているシングルマザーより低い
  • 欧州では福祉に依存しシングルマザーの就業率があがらないためにアクティべーション政策が取られた
  • 日本もこれに習い(?)児童扶養手当が削減された

 こうやって改めて列挙させられると、ご都合主義もいいところというか何とも頓珍漢な政策が取られていることがわかる。歳出削減の流れに逆らえなかった面もあるのだろうが、

児童扶養手当は公的扶助と言うよりも、所得制限のある社会手当としての性格が強いのですが、日本ではそもそも社会手当に対する認識が乏しい...

[pp.157]

という側面も大きかったと思う。公的な扶助(手当)を「施し」のように捉える風潮があることは否定できない。


...単に国家財政の負担軽減といった問題意識からだけではありません。公的セーフティネットによって生活は維持できても、仕事という形で社会の主流に参加できないことは社会から排除されていることだという認識が広まってきたことが重要です。

[pp.169]

 こうした視点の大元となるのは社会的排除だと思うのだけれど、日本においてこうした意識はまだまだ薄いからなぁ。そういう中で社会的自立と社会福祉を両立させつつ質を向上させていくのは、まだ時間がかかりそう。


 ...産業民主主義の精神が希薄化し、労働問題を個別労働者の契約問題と考えがちな今日の労働法学の問題点が現れている...。しかし、より重要なのは、ほとんどが正社員組合であり、中高年の管理職や非正規労働者の加入していない現在の過半数組合を、すべての労働者の利害を公正に代表すべき立場に置くことへのためらいが、集団的合意形成の促進という労働法が本来追求すべき目的を立法課題から追いやる結果になってしまっている...

 最近「左翼の罪」について考える。今回自民党が大敗したわけだけれど、そもそも自民党は「社会党あっての自民党だ(った)」と言っても決して過言ではない*3。そして、その社会党が何をしてきたのかといえば、政権を取るわけでもなく、批判を繰り返してきた*4。そして、冷戦崩壊後に与党になった社会党は、それまでの自党の歩みを全否定して崩壊したのである。

 また、バブル崩壊後、春闘の頃になると、父が「賃金なんて上がる訳ないんだけど、労組の上の人たちはそれを訴える」とぼやいていたのを思い出す*5。形骸化した労組は、ごく最近まで非正規の人たちを無視し続けていた。

 左翼へのしらけムードが日本では(特に若者の間では)強い(とされている)。こうした根本原因を作ったのは左翼自身であって、今のような時代になった時に左翼が脆弱であって一般の人から胡散臭く思われている現状はきわめて問題であり、またそのようにしてしまった罪は極めて重い、と考えることも可能である。

 こうした問題を「利権」と括ってしまって利権批判をするのは簡単なのだけれど、それでは何にもならない。文中で繰り返し「現実的な策」を求めているが、まさにその通りだと実感する。

*1:この場合、旧与党ではなく旧野党(民・社民・共産あたり)にむしろ言いたいということになる。なぜなら、こうした問題に直面したときに批判を展開してきたのは旧野党なのだから

*2:某匿名掲示板(およびその周辺)を想定してる。

*3:結党の経緯からして。

*4:国会における乱闘は脚本があった、などという話もある。

*5:父は労組には入っていたが、幹部ではなかった。