イエ・ルポ 2 #018
みなさまこんにちは、ハザマです。さて!〈イエはてな〉は今日からご投稿の新要項とともに、心機一転スタートします。7月29日のダイアリーで新要項をお伝えして、みなさまから賛同の言葉もたくさん頂くことが出来ました。どうもありがとうございます。まずは新しく設けたノミネート賞で、これまでより多く素敵なメッセージをご紹介出来るのがうれしいw そして「おすすめツリー」となるはてなスターもつけていきますね! あと、いわしの回答上限数が20回から10回(2日目午後2時までは5回)になりましたので、みなさまじっくりゆっくりご回答下さいませ。これからますます濃密な語らいがひろがっていくのが楽しみですね!
そんなわけで、今日は“イエ・ルポ 2”#018のいわしをスタートします。今回のお題は、「あなたのマチの好きな場所、お気に入りの風景」。あなたが今住んでいるマチ、ご実家のあるマチやこれまでに暮らしたマチで、好きな場所といえばどこを思い出しますか? とある川辺、とある公園、とある道…それにいつもの商店街とか、毎年のお祭りの風景なんていうのもあるのではないでしょうか。ぜひあなたの心に刻まれているマチの光景を聞かせて下さい。みなさまにとっていいマチって何だろう、ってとても気になります。今回も思い思いのエピソード、素敵なルポを楽しみにお待ちしていますね!
あなたのマチの好きな場所、お気に入りの風景
「あなたのマチの好きな場所、お気に入りの風景」を教えて下さい
“ルポ・タイトル”
「京大・百万遍あたり、街なかの学生街」by ハザマ
“ルポルタージュ”
およそ4年前まで、15年以上暮らした京都の街。好きな場所はいっぱいあるけど、一番好きな界隈は、最後に住んだ北白川から京都大学のある百万遍あたり。北白川には京都造形大学、少し北には京都工芸繊維大学もあり、京都でもとりわけの学生の街です。
なかでも、百万遍は昔の面影そのままに、京大の古い学舎、通りに軒を連ねる古本屋、学生ご用達の居酒屋や喫茶店…。市内の少し東ですが、賑わいある街なかの学生街。ゆるやかな京都の時間の中にも、活気にあふれて。
いつも自転車で走って行っては、古本屋さんを回り、老舗喫茶店・Cafe進々堂で長居してました。Cafe進々堂も1930年からずっとそこに佇み、広いホールに高い天井、大きなテーブル、音楽はなしで、学生たちが何時間も本を読んだり勉強したりしてるんですよね。私は通りが見える明るい窓辺の席が好きで、時々外を眺めながら、学生にまぎれて読書してました。ほかにも、おじさんやおじいちゃんもまじっています(笑)。
今でも京都に帰ると(実家の街ではないですが、私が青春を過ごした第二の故郷なので、帰るという感覚で)、かならず百万遍に行きます。行くといつも淡々と変わらない学生の街が迎えてくれます。街なかに学生がいる、閑暇に学ぶ人たちで賑わっているって、いつもいいなぁと思います。実家のある広島でも、広島大学が学舎を構えていた千田町が同じように街なかの学生街で大好きでしたが、ずっと前に田舎町へ大学が移転してからは古本屋さんもみんななくなり、すっかりさびしくなってしまいました。京都・百万遍はいつまでもそのままでいてほしいと思います。いつか永住したいとまで思っているので、私が生きている間はずっとそのままで。いつかおばあちゃんになっても学生にまじって、Cafe進々堂で本を読みながら長居するのが夢です(笑)。
※今回の「いわし」ご投稿は8月7日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のピックアップ賞は8月8日(金)に「イエはてな」にて発表いたします。
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
こんなゲーム機のコントローラーがあるんですね(ゲーム音痴 ^^;)。
前にも古いファミコン機をとってあるというスナップがありましたが、
子供の頃に遊んだモノって、時がよみがえって忘れられない記念品ですよねw
−ハザマ−
»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
募集期間中にご投稿頂いた方にもれなくはてなポイント300ptプレゼントいたします。
また、スナップ賞にはアマゾンギフト券3,000円分をプレゼントいたします。
いわしの回答(転記)
自然がたくさんで、子供の頃から大好きでした
樹齢100年、200年といった
大木があちこちにあるのです
神主さんも優しい人で、子供たちがくると一緒に遊んでくれたりします
広い境内で、縄跳びをしたりおにごっこをしたり、かくれんぼをしたり
木登りもしました。
私が一番好きだったのは、学校帰りに神社に集まりみんなで遊ぶ
夕方になると少しあたりが暗くなり、夕日が木々を照らす
その時に大きな木に登り、空を見ると、遠くの方で夕日が沈むのがはっきり見える。
大きな太陽の温かみを感じられる瞬間でした。
キレイな風景って、大人になっても忘れないものなのですね。
街の一角に、昔からの建物が残る場所があります。
そこには幅の広い用水路があり
鯉が泳いでいます。
観光客も多く集まりますが、みな水のきれいさと鯉のキレイさに驚いています。
私は夏にこの場所を通るのがとても好きです。
大通りから一歩中に入るだけでこの静けさ
水の流れる音を聞きながら、日傘を差して歩く。
なんて贅沢なんだろう・・・と、いつも思います。
こういう落ち着いた風景をいつまでも残してほしいですね
幼稚園のあるお寺
すぐ近くに小さな神社も併設されている場所で、
そのふたつが細い路地でつながっているのです
そこをどうやって抜けるか、
いかにすばやく抜けるか、
なんて、子供のときは忍者ごっこをしていました
それが今でも忘れられません。
あの細い空間は大人には入れない、子供だけの特別な場所。
田舎の方に住んでないとなかなか難しいかも知れませんが、周りに人工の光が届かない場所で月明かりだけを眺める。
私の場合は夜の犬の散歩のときに月の光に照らされた道を通るのが大好きです。
あの独特の優しい光。
夜の静かな時間に、誰もいない小道で月の光を頼りの散歩は特別な時間。
道に生えてる植物たちの話声が聞こえてきそうな、同じ場所でも日中とでは全く違う別の世界を感じることができます。
ただ、女性の場合などだと誰もいない夜道は危ないので、たとえば自宅の電気をすべて消してベランダに出てみる。
それだけでも結構雰囲気が出ていいものです。
作られた光とは違う、あの包み込むような光、その光に照らされた夜の世界。
私の中でお気に入りの風景です。
海のきれいな町に住んでいて、小学校・中学校も海のまん前、通学路も海岸沿いでした
住んでいる当人にとっては身近すぎて気がつかないことですが、外から来た人にいわせると「いつも海がそばにある雰囲気」なんだそうな
そんなリーゾートっていう言葉がぴったりなこの町の空気が自慢です
いつも海がそばにあるって、とってもいいと思います
リゾート気分を常に満喫できるのですよね。
砂浜を歩いたり、ということはできないのでしょうか。
それができる地域の方はさらにいいですよね。
イエの目の前が田圃で、田圃の四季を一年を通してみることができます。荒涼として時には一面の銀世界になる冬、耕して水をはってから田植えをし、それが青々と育っていき、やがて穂がでて伸び、それが垂れていきます。秋には本当に黄金色になっています。色彩もどんどん変わっていきますが、田圃に集う生き物もまた季節によって違うんですよね。蛙の合唱も年に一度の恒例行事ですし、アメンボウやザリガニ、田圃の水の中に生きる生物を鳥が獲る瞬間なんかを目にすることもできます。この間はなにげなく窓から田圃を見たら鷺が飛んできていて、あわてて外に出て畦道に座って見てました。稲の緑と鷺の白の対比がすごく綺麗で見とれていました。そして秋には稲穂の上を群れて飛ぶ赤トンボ・・これは本当に圧巻です。
「ほーら、おたまじゃくしだよ」
と子供に教えている近所の親子を見るのもなんだかほほえましいです。
実家でもお米を作っていて、田圃はワンコのお散歩の道沿いなので毎日チェックです。父や母は田圃に引き入れる水のチェックで早起きしています。周りの田圃も朝はやくから雑草とりをする人々をみかけます。今日も出勤前にワンコのお散歩の途中で父をみかけて、一声かけました。
子供の頃は、親戚総出でおにぎりをもって田植えや稲刈りのお手伝いしました。長ーい長靴を履くのがうれしくて、田植えはそっちのけで、泥の中を飛び回ってたり。竹でできたハザを鉄棒代わりによじのぼったりぶらさがったり。稲刈りの後にお風呂に入ると体がチクチクしたのも思い出です。今は機械になったので、そこまでの手間はなくなりましたが、今でもお手伝いをします。
びびも小さい時から田圃の中を駆け回っていました。
春から夏にかけては稲の成長が気になり、日照りが続くと稲の調子が気になり、秋になって大雨が降ったり台風が近づくと、稲穂が倒れないか本当に気になってしまい、無事に刈り取りを終えてやっと一安心している自分がいます。
子供の頃は、遊びが主体で気がつかなかったのですが、大人になって稲作は本当に自然の恵みの賜物なのだということに気づくとともに、自然の力によって左右されているのを痛感します。
関東に住んでいたときは、獲れたお米を送ってもらっていましたが、これらの光景を毎日見られず、残念な思いをしていました。
日本人は昔からお米を作って主食にしていました。現代でも工具こそ違え、四季も稲の成長に一喜一憂するさまも昔と同じです。お米は私たちが生きる糧になってくれます。これが一番大きいですが、田圃の風景を毎日見ていられるのは本当にありがたいし、贅沢なことだなぁと思います。
しかし、子供の頃は一面が田圃だった場所にイエやアパートがどんどん経ち、残っている田圃も休耕田状態になっているのを多く見かけるようになりました。昔の面影とはまったく様変わりしています。人も思惑さまざまですが、少なくともうちはこれからもお米を作っていきたいです。
昔、よく川で遊びました。エビや魚をとってよく遊びました。ハゼやエビは誰でもとれるもの。ハヤは腕を見せるいい獲物。大きなアユをすくえば、ヒーローでした。
時々大きな石をどけると、大きなウナギが隠れていることがあります。石をどけてもじっとしているときは、皆で取り囲み、逃げ場をなくします。そして腕に自信がある者が、その輪のなかで捕まえるという作戦でいつも挑みました。
大抵は隙間をついてウナギに逃げられ、うまく網にはいっても、網が小さいので這って逃げていきました。網に入ったウナギをあわててバケツにいれようとして、バケツを倒してしまい、捕まえた獲物を全て逃がしてしまう、ということもありました。
このように楽しい思い、悔しい思いを経験した川ですが最近、子供達が遊ぶ姿をあまり見かけなくなりました。川が汚れているわけではなく、子供の数が減ったためです。寂しいですね。
うちから、ちょっとどこか行くには大抵きつい坂を下りることになります。
夜にその坂を下っていくと、小さい家々の明かりが見えてとても綺麗です。
そんなに密集はしていないので、すごい夜景ではないのですが、
それでも短い時間、目に入ってくる景色が気に入っています。
今住んでいるところではなく、実家の近くなのですがお婆ちゃんがやっている駄菓子屋さんがあります。
本業は八百屋なのですが、野菜はほんのちょっとしか置いてなくて駄菓子がメインになっています。
なので、大根の横に当たりつきガムが置いてあったりします。
自分も昔、よく行ってましたが、いまだに小学生の溜まり場になってますね。
小学校の頃、一時期放課後毎日のように通ってました。
小学生のたまり場のような雰囲気になっていて
そこに行けば必ず誰かしら友達に会える場所なので
暇があると行ってました。
最近は、駄菓子屋って全然見かけなくなりましたね。
私の母方の実家は、同じ県内の人にも秘境と呼ばれてしまうようなところです。
おじいちゃんちは、おじいちゃんの手作りで
平屋の一軒家と、二階建ての母屋と、3階建て分の高さはある納屋と、養鶏業をしていたので鶏小屋が二棟あります。
平屋のほうの縁側は奥行きが1メートルくらいで長さが10メートルくらいあります。
手作りのせいかぎしぎしと音が鳴るのが好きです。
でも、夜は別です。
ここのトイレは縁側を出て靴を履いて外に出て行かなくてはならず。夜にぎしぎしというのはとんでもなく恐怖です。
この縁側に座って、みんなでスイカを食べたり
縁側の端から(端だけ屋根がないので)星空を眺めたり。
大好きな場所です。
今はほとんど電車に乗らなくなってしまいましたが、
前によく乗っていた頃に電車の窓から見える風景で好きなところがありました。
JR中央線の、馬が見えるところ、自動車学校、釣堀が気になっていました。
それまで違うところを見ていたとしても、そこに近づくとついつい目が向いてしまいました。
今でも昔のままなのかな・・・
わたしの街では今も変わらず、昔ながらの商店街が並んでいます。なにか昭和の匂いがして時間を忘れてしまいそうになります。商店街のひとたちも愛想もよく大好きなところですね。
今はどうかは知りませんが昔は日本一アーケードが長い商店街ということで
有名な商店街で商店街の長さを楽しんでました。
最近は、滅多に訪れることがありませんが昔ながらの商店街の雰囲気が今も
残っていていつかこういう街にも住んでみたいなって思います。
もう里山は私の命の恩人?です。うちから歩いて15分ほどのその場所を見つけたのは1年半前。うちはニュータウンにあるのでまさかこんな自然がこんなに近くにあるって思わくて、出逢った瞬間恋に落ちてしまいました。ほんとにすごい田舎に来たみたいな場所なんです。初めて見る花、樹、虫、鳥・・。キツネも生まれて初めて野生のを見ました。カモも。サギもすっごい近くで見ました。カワセミを見たときもびっくりして口あんぐり・・。ほぼ毎日通いつめて一年の自然の変化を初めてじっくり観察でき、感動をたくさんもらいました。畑をしてる人の話ではオオサンショウウオがいる、それを守ってるって言ってました。これからも守っていってほしい里山です。
駅前を少し歩いてハンバーガー屋の角を曲がり、すぐにまた手前に折り返すと、小さなビルが建ち並ぶゴミゴミとした区域に入ります。ちょっと古い建物が並ぶそのあたりは、区画整理もされていなくて、妙な横路がいくつか走っています。そのうちの一本を入ってしばらく歩くと、突然空き地に出るんです。広さは、そう、100坪くらい。そんなに広くはありません。でも、本当に何もない空き地なんです。
立ち入り禁止の札はありません。柵もありません。物置が建っているわけでもなく、資材置き場になっているわけでもなく、ただ、草だけが茂っています。誰も管理していない様子です。3方をビルに囲まれ、唯一開かれた面につながっている道も、誰も通らないような行き止まりの裏通り。まるで街の中に突如現れた異空間という感じです。
ここにはチガヤが茂ります。春の終わり頃になると、一面に広がったチガヤの群れが、一斉に綿のような穂を茂らせるんです。ふわふわとした穂が風にそよぎます。その様子は、周囲を取り囲む無機質なビルの壁との対比も相まって、幻想的ですらあります。
チガヤは日当たりがよい場所を好みます。ここはお世辞にも日当たりはよいとは言えませんが、一度根付くと地下にしっかりした匍匐茎を形成するため、それでここに定着していられるのでしょう。普通の野原だと、そのうち生え始めるススキなどのもっと背の高い草に負けてしまいますが、周囲から隔離された街の中の異空間という環境が、そうした植物の侵入を防いでいるようです。
秋になると、ここでは虫も鳴きます。コオロギがいるようです。最近は都会の秋の虫というと、街路樹に上って鳴いている帰化種のアオマツムシばかりになってしまいましたが、ここでは地面から虫の声がします。樹上からではなく地面から虫の声が聞こえるのは、都会ではとても新鮮な出来事なんです。
今、この場所には、名前も分からないような夏草たちが青く茂っています。私はこの土地の中に足を踏み入れたことはありません。いつも道に立って眺めているだけです。上を見ると、ビルに切り取られた狭い四角い空。でもそんな場所だからこそ、ここはごく限られた種類の生き物だけの、隔絶されたパラダイスになっているんだろうと思います。立ち入り禁止の札はありませんが、そこに人間が足を踏み入れてはいけません。
もうここは、十年以上そのままになっているようです。バブル崩壊が幸いして残った空き地。そんな感じがします。でもいつかはこの駅前にも再開発の波が押し寄せるでしょう。その時、この限られた生き物たちのパラダイスは消滅します。もし私にお金があったなら、こういう場所は何としても残したいと思います。でも私にそれが出来る力はありません。悔しいです。とても。
私はこの場所を、ひそかに「はらいそ」と名付けています。ポルトガル語でパラダイスの意です。街の中の隠れたはらいそよ、永遠に。今の私に出来るのは、ただそう心の中で願うのみです。
近所のデパートの屋上へ行き、街を見下ろす風景が好きですね。米粒のような人、高い建物や低い建物、走っている車を眺めているのが好きでときどき写真に収めるくらい好きですね。
その小学校は、東西に延びる道の北側に建っています。私が子供のころ、正門の前にお店がありました。パンやお菓子と、文房具が置いてあるお店でした。その数軒西寄りには、サンドイッチ屋さんがありました。反対の東寄りを少し行って信号を越えるとお肉屋さん。そのお向かいは八百屋さんだった記憶があります。つまり、学校前の通りが、ちょっとした商店街だったんです。
ですから、子供の下校時刻のころには、買い物のお母さんたちの足も、学校の近くにたくさん向けられていました。運がいいと自分の母に会えます。そうでなくても、友だちのお母さんによく出会いました。安心な町でした。自然発生的なお母さんパトロールです。お肉屋さんの前で母に会って、コロッケ買ってよとねだりながら服の袖を引っ張ると、学校前通りの向こうに真っ赤な夕焼け。そんな風景を思い出します。
今は、全てのお店が閉店してしまいました。変わらないのは、下校時刻の子供たちの姿と、道が延びていく先の夕焼けです。私はこの学校前通りが大好きで、時々ふらりと立ち寄ります。変わってしまったものもたくさんありますが、いつまでも変わらないものも、ここにはあります。そのひとつが正門です。いったい何十年ここにあるのでしょうか。古びた○○小学校の特徴のある書体の文字が、今も変わらずそこにあります。校庭の様子も、ほとんど変わりません。
そこから徒歩で、決められた通学路を通って家まで歩いてみます。景色は変わっても、道は変わりません。6年間歩き続けたこの通学路も、大好きな場所、大好きな風景の一つです。
とても緻密な描写で、学校前通りの今昔の風景がそれぞれ浮かんでくるようです。子供の頃ずっと親しんでいた通り、そしてお店、通学路の家並み。変わる物はどんどん変わってしまいますが、変わらない物はいつまでも変わりませんね。私も久し振りに母校を訪ねてみたくなりました。そして子供の頃の記憶をたどってみたいと思います。私も子供の頃は間違いなく、学校の周りの風景が、町の中で一番好きな風景だったと思います。