イエ・ルポ 2 #019 PickUp5
みなさまこんにちは、ハザマです。大分過ごしやすい気候になって、お部屋で読書にぴったりの秋ですね。先日9日の菊の節句の夜、菊の香りの中で久し振りにゆっくり読書時間を楽しみましたw 読んだのは大好きな内田百間先生の『一病息災』。一つ持病を抱えていることで、かえって心身を気遣い、また何事もない健康のありがたさに思いをいたすことが出来て、老境に入っても元気でいる、という意味の表題なんですね。百間先生持ち前のユーモアで、自分の「一病」を話のタネに日々のエピソードが綴られていて、何度読んでも面白い。重陽の節句は健康長寿を願う日なので、こんな本を読むのもいいかな、と。そして「今日も元気でありがとう」の気持ち、猫たちともども大切にしたいなとしみじみ思った一夜でした。
さてさて、今日は“イエ・ルポ 2”#019のピックアップ賞・ノミネート賞をご紹介します。「人生が変わった?!あの時の家族のひと言」のテーマ。今回はまた心にじんわりとしみるショートストーリーをたくさん読ませて頂きました。何だかTVドラマを観るよりうんとリアルに一つひとつシーンが目に浮かんで…。お恥ずかしながら、読みながら何度も泣いてしまいました。もちろんどれも最後にはあったかい笑顔にさせてくれるお話ばかり。日々のイエで、また人生の折々に、こんな素敵なドラマが生まれているんだな…。ここに浮かび上がったみなさまのご家族像、本当に素晴らしいです! 今回もたくさんの愛しいものがたりを聞かせて下さり、どうもありがとうございました!
イエ・ルポ 2 #019 ピックアップ賞・ノミネート賞
#019では「人生が変わった?!あの時の家族のひと言」のテーマでご投稿頂きました。
人生訓や名言は、本で読むことも出来ます。だけど、今回頂いたメッセージのように、それぞれの暮らしやシチュエーションの中で生まれたひと言って、とても特別で、いつまでも生きている言葉なんだなぁとしみじみ感じました。たとえば、自分にしか出来ないことを大切にという、今の自分をつくってくれた「両親の言葉」。落ち込んでいる時に「こうやってる瞬間にもどんどん時間は過ぎていくんだよ。いつまでも失敗を後悔するよりもこの先どうしたら自分は幸せになれるのかを考えればいいんだよ!」とカラリと言い放ってくれたお母様とのエピソード「明日が楽しければいいじゃない!」。このひと言で全部わかっちゃう不思議な言葉「お姉ちゃんが大好き」。それに、仕事を懸命にしてくれている家族への「がんばってくれてありがとう。」という気持ちや、「今日はどんなことがあった?」という何気ない語りかけ…こんな日々の小さなひと言も、どれだけ家族の心の力になっていることでしょう。もぅ、あとは下にご紹介する受賞ルポをじっくり読んで下さい! 注釈なんていらない、素晴らしい家族譚がいっぱいです。
あぁ、今回もハートが1.5倍にふくらみました。心に残っている言葉の数だけ、きっと人は幸せを積み重ねているんですね!
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私は浪人こそしませんでしたが、受験失敗組でした。あんなに頑張ったはずなのに志望校は全滅。結局一つだけ辛うじて受かった地方の大学に行くしかなくなりました。地方は別にいいのです。一人暮らしも魅力的です。しかし学部が自分の希望とまるで違っていました。入学を見送って一浪するしかないかとも悩みました。
そうした迷いを抱えながら、大学での新生活が始まりました。この大学に入りたかったわけではない、ただ浪人が嫌でここまで来た。その思いが、せっかくの楽しい新生活を色褪せた物にしていましたし、当然勉強にも全く身が入りませんでした。本当なら輝きに満ちていたであろう新たな友との出会いも何となく煩わしく、私は入学一ヶ月にして付き合いにくい奴ナンバーワンになっていたようでした。中学高校時代は恥ずかしいくらいに昔の青春ドラマ路線をひた走っていた自分が、他人のように思えました。完全に無気力になっていました。
そんな時、母から電話がかかってきたのです。用件は、何か欲しい物、要るものがあったら送ってあげるけど何がいい?というものでした。母は、新しい生活が始まってしばらくするとあれこれ足りない物に気が付いてくるでしょう、遠慮しなくていいわよ、少しくらい高い物でも遠慮しないで言ってごらん、こういうときにねだっておくのがお得よと、やたらテンション上がりまくりです。しかし私は、気のない返事を繰り返すばかりだったようです。
そんな私の様子に気付いた母は、どうしたのと聞いてくれました。母に話しても何もならないとは思いましたが、母は私の体に何かあったのかと心配していた様子だったので、そうではないと言う意味で、ここまで志望とかけ離れた場所では何もかもに身が入らないんだというようなことを打ち明けました。すると母は、「そうなの、でも、花は置かれた場所で咲く、とも言うわよ」と言葉をかけてくれたのです。
辛かったら一度帰ってきてもいいわよ、大学なんだから一ヶ月くらい大丈夫でしょうとも言ってくれましたが、電話を切ってから、「花は置かれた場所で咲く」という言葉が妙に心に残りました。
翌日キャンパスに立つと、そこは意外に素晴らしい所に見えてきました。そうだったんだ、俺という種はここに飛ばされてきた、それは俺の意志ではなかった、でもここで俺は根を張ることが出来る、伸びることが出来る、花を咲かせることが出来る。どんな場所でも俺の咲かせる花は変わらない。タンポポの種が落ちた場所によってススキになったりカヤツリグサになったりすることは有り得ない。ここで咲かせてみよう俺の花をと素直に思えるようになっていました。
そこから私の一足遅れの大学生活が始まりました。素晴らしい友に恵まれ、良い恩師に恵まれ、親元を離れていなければ体験できない様々な経験も積みながら、本当に充実した四年間を過ごすことが出来ました。あの時母の「花は置かれた場所で咲く」という言葉がなかったら、私の大学生活は全く違ったものになっていたと思います。今でもこの言葉は、ちょっとした私の座右の銘になっています。
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前の家で5人家族で暮らしていたときのこと。アパート暮らしで家が狭くて、電話が鳴ると全室から受話機を取れるような状態でした(当時の電話に子機はありませんでした)。
某高校入試前日。あとはまあ、やるだけだ、と思って、一家でお休みなさーい、と消灯し……就寝。
真夜中0時。突然、電話が鳴り出しました。
何があったんだろう? と思った瞬間、電話を取った姉がひとこと、ふたこと。
「……こんな時間に何考えてるんですか? 妹は明日受験なんです!」がちゃん。
次の日の夕食時に聞いてみると、怪しいいたずら電話だったとのこと。一応、電話先の人は「ごめんなさい」と謝ってはいたのだとか。
でも、見知らぬ人に怒ってくれた姉の存在は、あの受験シーズンに本当に心強かったのを覚えています。なお、姉の存在感のおかげもあって、高校は受験校すべてに合格し、第一志望に入学しました。勉強を教えてもらった、とかは特に無いのですが、本当に姉は力になってくれました。
今は家を引っ越してしまいましたが、各自に部屋が出来てから、少し家族の間の会話が減ったかな、と思ったりもしました。家って、家族の距離を作ったりもするんですね。
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イエはてなに出会う数ヶ月前のことでした。ですから比較的最近の話です。当時私は毎日のほとんどの時間を、家族とは別々に過ごしていました。仕事帰りに同僚と飲み食いすることが多く、休日もほとんどどこかに遊びに出ていましたし、家にいる時は自室にこもってパソコン三昧。両親と同居なのにここしばらく親の顔を見ていない、なんていうことも珍しくありませんでした。
そんなある日、珍しく私は休日の真っ昼間に、家族とリビングで過ごしていたんです。家族の顔が全て揃っている休日なんて正月以来のできごとです。夏でしたので、父が何か冷たい物を飲みたいと言い出しました。以下再現ドラマでお送りします。
母「今できるのはインスタントのアイスコーヒーくらいねぇ」
私「じゃ何か買ってこようか」
父「もったいない」
私「いいよ、そのくらいおごるから」
父「いやお金じゃなくて、せっかくこうして家族が揃っている所で一人抜けてしまうのがもったいないんだ」
私「そんな、10分もあれば戻るのに。自販機なら3分」
父「それでももったいない」
私「それなら俺がインスタントでないアイスコーヒーを淹れようか」
母「それはすてき」
私、キッチンに行き秘蔵の豆でコーヒーを淹れる。
母、いい香りと喜んでいる。
私、氷が冷蔵庫のなのが残念だと言いながらグラスを三つお盆に乗せてテーブルに運ぶ。
父「お、これはうまいな」
母「ほんとねぇ、こんなアイスコーヒー久し振り」
私「えへんえへん(童心に戻っておだてられた子供のように喜んでいる)」
久し振りに、子供だったころのような家族の時間が流れていきました。おだやかな、とても幸せな時間でした。母は、グラスを窓の光に透かして、まるで少女のようにそれを眺めていました。そして突然言ったんです。それも万感の思いを込めるような声で。
「私、この家に生まれてきて良かったわぁ(おそらく語尾にハート)」
これには私も父も噴き出してしまいました。母が生まれたのは母の実家であって、この家であるはずがありません。母は真っ赤になって、「私、今何か言いましたか?え?え?」と大慌てしています。私も父も、腹を抱えて笑ってしまいました。そしてやっと笑い疲れて落ち着いた時、父が言いました。
「私たちはたしかにこの家を作るべく生まれてきた」
感動しました。本当に私はこの家に生まれてきて良かったと思いました。子供のころはいつもこの家が大好きでした。家族と過ごす時間が大好きでした。いつのまに、そうしたことを忘れていたのでしょうか。
母の言葉は、ただの言葉のアヤというやつだったのかもしれません。しかし私には、本当にここが生まれ育った家と錯覚してしまうくらいに好きなんだという気持ちの表れだったんだと思われました。そんなすばらしい家庭を、この家で生まれ育った私が大切にしないわけがありません。
そんなことが切っ掛けになって、私は家族で過ごす時間を大切に考えるようになりました。同僚にどうだい今夜はと声をかけられても、その日の夕食が自分のためのメニューだとわかっているような日は、お袋がご馳走作って待っててくれるから、なんていう言葉が自然と出てくるようになりました。
そんな転換を経て、私はイエはてなと出会いました。母のあの万感の思いを込めたような言葉を聞いていなければ、私はこのコミュニティに、何の興味も示さなかったと思います。
イエコトを楽しむ。暮らしのプチハッピーを積み重ねていく。そんな毎日の過ごし方こそ、私の人生の大転換です。母の一言が、その転換の切っ掛けを与えてくれました。
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母親に言われました。小学校低学年のころですね。当時のぼくは、まあ、自分で言うのもなんなんですけど、頭の回転の速いこどもで、ピンチになってもなんとか口先からのでまかせで切り抜けられる、努力なんてしなくてもやっていける、と思っていたようなこどもでした。
妹と2人でおつかいを頼まれたんですけど、その店が遠いので行くのが面倒だったんです。
そこで妹と共謀して、行ったのは行ったけど、品物が売り切れで買えなかった、というような今考えればわかりやすい嘘で切り抜けようとしたのです。
そのとき、母親が「まあ、ええけどな。けど、覚えとくねんで。自分に嘘はつかれへんねんで」と言ったのでした。
言われた瞬間はどうってことないな、むしろ、それ以上、怒られないですんでラッキー、くらいに思っていたんですけど、あとになって言われた文句よりもそのときの母親の悲しそうな顔を思い出すようになりました。
そこからもう30年ほど経ちました。
いまだにちょいちょい嘘をつきながら生きています。
嘘をつくたびに母親のあの悲しそうな顔がなんとなく思い浮かぶんだから、困ったもんですよ、ほんとに。
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私も恋をしました。
これが運命の出会いと思って、これが生涯ただ一つの恋だと思って、
真剣に相手の人のことを思いました。
でも、ふられちゃいました。
他に好きな人が出来ちゃったからって。
この時は落ち込みましたね。
人間て、あまりに悲しくなってしまうと、もう泣かないんですね。
感情がみんな消えちゃうんです。
そんなふうになってしまった私を気遣って、母が話しかけてくれました。
「親子だから気兼ねしないで聞くわよ、あの彼氏とは終わっちゃったのね?」
「そんなのわかっちゃうんだ」
「そりゃそうよ、恋してる最中の悩みなら、そんな抜け殻みたいにならないでしょう」
「でも私、泣いてないよ」
「親子だからね、泣いてなくてもわかっちゃう」
「ふぅん」
そんな淡々とした会話が続きました。
話の場が持たないと思ったのか、母は一度立ち上がって、紅茶をいれてきてくれました。
二人で無言でお茶を飲みながら、しばらく時間を過ごしました。
そして、ぽつりと母が言ったんです。
「恋をするならね、将来生まれてくる子に感謝される恋をなさい。大人の恋ってそういうものだから」
目から鱗が落ちるような気がしました。
もちろん瞬間的に何かがわかったわけではありません。
あの人は、家庭が持てるような恋の相手だったのかな。
もしそうだったとしても、壊れた恋に執着して無理矢理取り戻したとして、どんな家庭が作れるのかな。
あの人はとってもいい人だった。でも壊れた器に未来の家庭はちょっと入らないかも。
少しずつ心の区切りがついてきました。
そして、私すてきな相手と巡り会って、いい恋したと思う。
でも、これが育ったら将来新しい家庭ができあがるなんて考えてもみなかった。
大人の恋をするにはわたしがまだ子供すぎたのかも。
なんていう感じで、前後の脈絡はありませんが、色んなことにも気付きました。
そして、ふったのはあの人と相手の身勝手さばかりを責めて、
ふられたのは私と自分を悲劇の主人公に決めつけていた子供っぽさにも気が付きました。
何となく心が軽くなって、紅茶おいしいねと笑顔が出ました。
まだ大人の恋をするにはガキすぎる私ですが、
とりあえずいつか子供を持つ母になったら、
子供にこんなかっこいいことが言える母を目指したいと、
そういう大人に成長してからあらためて一世一代の恋と言えるものをしてみたいと、
今はそんなふうに思っています。
この一言はその時の自分も変えてくれましたが、
これから何十年も先の私の人生も左右してくれそうな言葉です。
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「過去は、全て○だ!」by id:koukame
私は社会人になってすぐの一時期、人生に思い悩むことがありました。
特に、過去にこうしていれば良かった、ああしておけば良かったと悩むことがありました。
頭が痛く、熱っぽく体調も優れず病院で検査をしたりする事もありました。
疲れもあったのだと思います。
そのときに、母から貰った一言です。・・・続きを読む
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「お前に呪いをかけてやろう、お前の子供は素っ裸で生まれてくる」by id:momokuri3
学生時代の出来事です。親友と思っていた相手から、手ひどい裏切りを受けたのです。私は激怒しました。可愛さ余って憎さ百倍ではありませんが、信じていた相手だっただけにショックが大きく、そのショックが全て相手に対する怒りとなって現れてしまいました。
ところがそんな時です。その彼が事故に遭ってしまったのです。・・・続きを読む
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「〈猫飼ってもいいよ〉新しい動物が来て人生がちょっとかわった?」by id:tibitora
うちの親は昔は猫嫌いだったのですが、捨てられていた猫を拾ってきたいと頼んだときにしぶしぶですが了解をだしてくれました。
そして猫が来てからしばらくすると猫嫌いだったはずの親が猫好きに(笑)
犬好きな親でしたので元々動物は好きだったんだと思います^^
近くにいると可愛く思えてきたみたいで、それから実家にもずっと猫がいます。・・・続きを読む
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「のう天気な父」by id:mekishiko
私の父親は、ひじょうにのう天気な人です。
そんな父は、私がまだ未青年の頃は、
何かがうまくできると
「すごいな〜。すごいな〜」と必要以上に
すごい=よくやった!を連発
何かに失敗すると、「大丈夫、大丈夫」を連発・・・続きを読む
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「あのな、父さんは弱い人間なんだよ」by id:YuzuPON
ハタチをやっと越えたころ、父が飲みに行こうと誘ってきました。ははぁ、息子が成人したら一緒に飲みたいっていうアレかと思い二つ返事でOKすると、小料理屋みたいな所に連れて行ってくれました。最初はお決まりの、お前とこうして飲める時が来たか、父さんはうれしいよみたいな陽気なお酒だったのですが、次第に雰囲気がシビアになってきました。父の口数が少なくなってきたんです。そして重い口を開くように父が言いました。・・・続きを読む
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「おい、タイヤが回ってるぞ!!」by id:Oregano
まだ補助輪がなければ自転車に乗れなかったころ、本当に小さなころの話なのですが、私が一生懸命自転車の練習をしていると、それを見ていた父が突然私の自転車を指さして言ったんです。
「おい、タイヤが回ってるぞ!!」
私は、え?え?何?何?とうろたえて、危なくひっくり返りそうになりました。すぐ父が支えてくれて助かりましたが、落ち着いてよく考えると、自転車はタイヤが回っていて当たり前です。・・・続きを読む
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
「マイ万歩計」
右上のはいつも使っている万歩計(2台目)です。これを無くしたと思って、新しく頼んで左のが届いたら見つかりました。(笑) 右下のは実家にあった亡くなった父の使っていたもので予備にしています。同じ歩くのでも万歩計で歩数が見えるとかなり励みになりますよ♪おススメです。
歩く、歩く。ウォーキングが一番の健康づくりですもんね。
実は私、万歩計って未経験なんですが、この秋はじめようかしら。
時には自転車も使わず歩く日に、それくらいはしなきゃって思いましたw
−ハザマ−
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