イエ・ルポ 2 #020 PickUp5



みなさまこんにちは、ハザマです。お昼にはまだわずかにセミの声、夜になるとリーリーコロコロと秋の虫の声。それだけに、昼間は半袖、夜はカーディガンという季節の変わり目ですね。先日のいわしでは、今頃ちょうど夏の疲れが出てますという書き込みがありましたが、みなさま体調お変わりありませんか? 私もどうも眠くて仕方ない、快眠の秋かと思っていたら、どうやら夏疲れだったんですね。これはうんと栄養をとって元気をつけなければと、昨日は根菜たっぷりのアツアツ豚汁ときのこご飯をお腹いっぱいいただきました。寒くなりゆく季節へとカラダを整えるには、やっぱり秋の美味し〜いものが一番ですねw


さて、今日は“イエ・ルポ 2”#020のピックアップ賞・ノミネート賞のご紹介です。「あなたの心に刻まれたイエの光景」のテーマ、今回もまるで一冊の素敵なエッセイ集のようないわしになりました! 懐かしい子供時代のイエの光景、家族と過ごした時間、イエが見守ったさまざまな出来事…。今ではもう見ることがほとんどなくなった暮らしのシーンもたくさん登場しましたね。どのルポも、自分の思い出のように郷愁を誘われて…。それもみなさまのまなざしの深さ、そして筆の力が呼び起こす不思議な感覚なのではないかと、一つひとつのメッセージを味わいました。イエと心に刻まれた幸せなものがたり、みなさまどうもありがとうございました。


イエ・ルポ 2 #020 ピックアップ賞・ノミネート賞

#020では「今も目に浮かぶ…あなたの心に刻まれたイエの光景」のテーマでご投稿頂きました。
イエって、人の心を育む場所なんだなぁと思わせてくれたメッセージにはこんなものがありました。「柱の成長記録」「今まで居た犬や猫、鳥」「初めてヒヨコが孵った瞬間」「みんなで作るご飯」「親戚が集まって」…それに私にも記憶に深い、兄弟姉妹と一緒に「寝る前のおしゃべり」。庭を眺めながらお話したり、耳そうじしてもらったりして過ごした「縁側」というのも、とても幸せな光景ですよね。「本物のモミの木でのクリスマスツリー」や「2Fの窓から見た夕日」、「父の書斎」など、目に焼きついた思い出のシーンも美しかった。また、「黒電話」「真っ赤になっているストーブ」「8ミリフィルム」「ちゃぶ台」「柱時計」といった、今では懐かしい昔の暮らしの情景もどこか心和ませてくれて面白かったですね。ほかにも「ベランダの下の草むら、コオロギの宝庫」「田舎の鶏小屋」「建て直す前の古い家」「階段の踊り場」をはじめ、それぞれに記憶に刻まれた空間・時間がいっぱい…。


下にご紹介するピックアップ賞、ノミネート賞も、一生の心の宝物のようなお話ばかり。情景を思い浮かべながら味読していくと、こちらの心にまで刻まれるかのような、素敵なものがたり集です!


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「祖母のいる光景」by id:SweetJelly


私は子供の頃、祖母と一緒の家に住んでいました。祖母は日舞の師範で、大変厳しい人なんです。ああいう世界は武芸に通じるところがあるようで、祖母の周りには、まるで武士のようなキリリとした気が漲っていました。祖母は一人で部屋でくつろぐような時も、常に姿勢を正し、背筋をすっくと伸ばして座っていました。
もちろん着ている物は全て和服です。髪を乱れなく結い上げ、シャキッと襟元が整えられた姿は、子供にはちょっと近寄りがたい雰囲気がありましたが、かっこいいなぁと憧れも持って見ていました。
祖母の部屋は純和室で、とても清楚にまとめられていました。余分な物は何も置きませんので、飾られた季節の花がとてもよく映えます。祖母はいつも自分で花を生け、部屋に飾っていました。花を生けている時の祖母は、とても優しい顔をしていました。いつものキリリとした厳しい表情が、とても優しい表情に変わっているのです。
そういう時は孫の私も近付きやすいので、ちょっと恐る恐るですが、おばあちゃん、と声をかけてみます。すると、こっちへおいでと呼んでくれて、この花は何々っていう名前なんだよ、おばあちゃんは若い頃、この花をいっぱい花束にしてもらったことがあってね、なんていう話もしてくれました。おそらくその花束を贈った人が、私のおじいちゃんにあたる人だと思います。
花を生け終わると、お茶の時間です。お茶といっても祖母のお茶はお抹茶です。手慣れた手つきでシャカシャカと点てて、はいどうぞと飲ませてくれます。お菓子はたいてい羊羹でした。お抹茶の苦さと羊羹の甘さが、厳しくて優しい祖母そのままのようで、祖母と過ごしたこのお茶の時間も忘れられません。
私はずっと、キリリとした気の漲る祖母の顔ばかりを見ていたと思います。でも今になってみると、優しい祖母の顔ばかりが思い出されます。
その後引っ越しをして祖母とは別々の家になりましたが、私の心に刻まれているイエの光景というと、引っ越した後の家よりも、祖母と一緒に過ごしていた家のことの方が強く思い浮かぶのです。


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ダンボール箱で作った隠れ家」by id:YuzuPON


材料になったのは、電気製品の梱包に使われていたダンボールでした。大きな箱だったので、おそらく冷蔵庫か洗濯機が入っていた箱だったろうと思います。それを父が小さな家に改造してくれたのです。
他のダンボールを足して三角の屋根を付け、箱の側面には窓と扉が開けられていました。窓の内側には母が余り布でカーテンを付けてくれました。扉もちゃんと閉めることができるので、閉めると中はすてきな子供の隠れ家になります。
箱の中には座布団を敷いてもらいました。箱は壁際に置かれましたので、壁に接している側なら寄りかかってくつろぐこともできます。今思えば小さな箱ですが、小さな子供には十分な大きさでした。
私はその箱の中が大のお気に入りで、毎日その中で遊んでいました。自分が中に入っていない時は扉を開け、入り口に当時大好きだったワンコの縫いぐるみを置きました。ワンコのお留守番です。
その家は、一度は崩壊の大惨事にも見舞われました。中でウトウトしてしまった私は、寄りかかる方向を間違えて、窓が開けられた側に背をもたれさせてしまったのです。背中を支える感触が弱いのに気付いて、しまったと思いましたが、もう箱はひしゃげてしまっていました。子供心に自分で自分のしてしまった失敗が許せなくて、泣くに泣けずに涙をこらえていると、母がガムテを持ってきて、別のダンボールで補強して直してくれました。その後父が箱の側面をぐるりと模造紙で覆ってガムテを隠し、下の方にはカレンダーか何かの花の写真の切り抜きを貼ってくれました。崩壊した家が、花壇に囲まれた真っ白な家に生まれ変わったんです。父が早く中に入ってごらんと言いましたが、私はもっと外側から眺めていたくて、入り口を開けて犬のぬいぐるみを置いて、ずっと生まれ変わったそのダンボールの家を眺め続けていました。
先日猫の寝床をダンボールで作っていたら、母に、あなたも子供のころダンボールの家に住んでたねと笑われてしまいました。猫のダンボールを、幼かりしころダンボールハウスがあった場所に置いてみました。猫が入ったダンボール箱を眺めながら、子供時代の懐かしい思い出に浸りました。


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「曳き家をご存じですか?」by id:shig55


もう50年以上も前です。当時は家を造るのは大工さんでした。今のように工場で部材を加工したり、ユニットやパーツとして作り上げたものを使う工法はありませんでした。大工さんにお願いして、木材の準備から設計、組み立て、など一連の作業をしてもらう時代です。
豊かでなかった我が家は、家を建てるとき新築する程予算がありませんでした。そこで、道を隔てたところに立っていた家を買い取り、それを改修することになりました。道の向こう側から、こちらの敷地まで家を運ばなくてはなりません。大仕事が行われました。
すでに建っている家を土台から切り離し、家の形を保ったまま持ち上げ、レールのような鉄材の上に乗せます。誘導するためのレールを敷き、その上をコロを使って滑らせながら動かすのです。動かすのはジャッキで手動です。実は、この作業がどのように行われたのか断片的にしか記憶にないのです。
道路を越えて家を動かすのですからある一定時間道路を封鎖しなければなりません。当時は交通は少なかったものの、道路封鎖となると夜中しか許可が出なかったようです。大きな工事になっていることはわかっていましたが、幼かった私は夜中の様子を見ていないようです。
道の向こう側にあった家が、朝起きてみると道のこちら側にあり、その姿は柱の上に屋根が乗っているような丸裸のようなものでした。家の周りに置いてあったたくさんのレールや短い鉄の棒(ころ)、そしてとぐろを巻いているワイヤーなどから工事の様子を想像したものです。
今なら重機を使ってやるような工事を、当時はほとんど人手で行っていました。家を動かすという大がかりなことをしても、建築費用が節約できたのでしょう。柱や屋根をそのまま活かした改修ですから、間取りの制約もあり、部材も再利用のものが多かったようです。新しい家と言うものではありませんでいしたが、父が最初に立てた家でした。それまでの借家からの引っ越しはやはり嬉しいものでした。
ものが豊かになった時代、もうこのようなことをする人はいないでしょうが、昔は古いものでも活用し、いろいろと工夫して生活していたのだと思い出しました。


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「米軍ハウス」by id:canorps


私が生まれてから20歳まで育ったのは米軍ハウスでした。
区画整理で、今は道路になってしまいましたが。
横田基地の近隣の市でしたので、昔の将校さんが住んでいたのかな?
敷地も100坪ほどあり、そこに平屋の米軍ハウスが6軒ほどあつまったところでした
ほかにも少しはなれたところにちらほらと米軍ハウスはありましたが、私がすんでいた時期には
ほとんどそれは一般人の所有物で、賃貸物件になっていて、米軍の方は基地の中で住まわれている方が殆どでした。
バスルームは6畳ほどの部屋で、そこに日本人仕様のお風呂と水洗トイレがありました。
床は全部タイル張りで、1ルームマンションのユニットバスの大きいばんってかんじでした。
水洗トイレを流すときはレバーではなく天井近くにある水のたまったタンクからぶら下がっている長いチェーンをひきます。
そのときのジャーーーーーーーーーーという音がものすごく怖くて。
夜はいつも走ってバスルームを出ていました。
ある日にはキッチンの天井が落ちてきたことがありました。
つり天井というやつで、厚さが何十センチもあるような石の塊が落ちてきたんです。
母と二人、下敷きにならなくてよかったと今でも思います。
リビングの壁にはニッチがあったりしましたが、当時の私や母には、その使い道が思いつかず
結局本棚で隠してしまったのでした。
最近インテリアの本などが気になる、今は、あの米軍ハウスよかったなあと、しみじみおもうのです。
壁はコンクリのような塗り壁で、すんでいるときは鋲がさせないしいらいらしたものでした。
私が住んでいたときでも築50年?とかいわれてたきがするので戦後すぐにたったものだと思いますが、取り壊されてしまったのを思い出すと悲しくなります。
今もその近隣にあり、最近は米軍ハウスは人気があると聞くと、ああ〜もったいない。と思います。
けれど、日本の風土にはあってなかったように思います。
母と二人で暮らした今はもうない米軍ハウス。懐かしいです。


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「古い蓄音機にまつわる三つの光景」by id:momokuri3


私が小学校高学年の時のことです。オーディオ好きの父が蓄音機をもらってきました。ゼンマイを巻いてターンテーブルを回す、古い古い蓄音機です。でもラッパは付いていません。蓄音機も後年になるとラッパをケースの中に収めたコンパクトな製品が登場しますが、これはそうではなく、本来なら大きなラッパが付く蓄音機でした。父は、おそらく戦争中にお国のためにと供出してしまったんだろうと言っていました。
父のラッパ作りが始まりました。ラッパはただ朝顔型に開けばいいという物ではありません。綿密な計算によって、ラッパの開き具合を決めていかないといけないのです。父は何日もかかって計算を繰り返し、図面を引き直していました。母はそれを見て、あのくらい熱心に仕事してくれたらいいのにと笑っていました。でも私は趣味に真剣になる父の背中が好きでした。この時の父の背中が、まず私の第一番目の「心に刻まれたイエの光景」です。
やっと図面ができあがり、次の休日にラッパの製作が始まりました。材料は真鍮板です。まず父がボール紙で型紙を作りました。型紙をテープで仮止めして、組み立てればちゃんとラッパの形になることを確認します。続いて型紙を真鍮板に乗せてケガキます。ケガキとは、針のような物で表面を引っ掻いて線を付けていく作業です。ケガキが終わると真鍮板の切り出しです。ケガキと切り出しは私が手伝いました。
その間に父は木を削り出して型を作っていました。その型に合わせて真鍮板を曲げていくのです。こうして出来上がったパーツを、ハンダ付けして組み立てていきます。私は軍手をはめて、組み合わせる真鍮板どうしを動かないように押さえる係です。それを父がデカいヒーターのハンダゴテでつないでいきます。
まず最初は要所要所だけをハンダで止めていきます。そしてラッパの形に組み上がったら、仮止めしたハンダを全部溶かしてしまわないように注意しながら、接合部分全体にハンダを流していきます。これは息を飲む作業でした。もたもたしていると仮止めしておいたハンダに熱が回りすぎて外れてしまいますし、手早くやりすぎると熱が回らずハンダが流れません。その中間の一瞬の頃合いを見極めてハンダを流していく緊迫した作業の様子が、私の二番目の「心に刻まれたイエの光景」でした。ハンダゴテの熱と父の熱気が渦巻くような光景でした。
そして出来上がったラッパに本体との接続金具をハンダ付けし、最後に外側に、振動を防止するためのパテを塗っていきました。まだパテは生乾きですが、ひとまず出来上がったラッパを蓄音機に取り付けてみました。すばらしい立派なラッパの完成でした。
母が、できたの?とお茶を持ってやって来ました。さっそく音を鳴らしてみました。レコードは古いジャズです。軽快なスイングが流れてきました。父はご満悦で聴き入っています。母も、あらすてきと楽しそうに聴き入っていました。私は自分がこのラッパを作るためにどんなに重要な作業を担ったかを母に自慢したかったのですが、音楽に聴き入っている母に声をかけるのはやめにしました。この手作りのホーンから音楽が流れ出した時の様子が、私の三つ目の「心に刻まれたイエの光景」です。
この時私は、手作りの装置で音楽を奏でることのすばらしさに目覚めたのだろうと思います。この時に心に刻まれた光景が、その後の私の手作りオーディオの原点になってくれたと思います。この時の手作りホーンの付いた蓄音機は、今も現役ですばらしい音楽を奏でていてくれます。


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「屋根裏」by id:dadan_dan


子供の頃住んでいた家の屋根裏は、父親が写真の現像場所
として、ところ狭しながら時々作業していました。
幾つかの現像液等、順番に移す作業し、少しづつ画像が
浮かび上がるのが不思議に思いつつ隣で静かに見ていました。
独特のにおいと部屋の薄暗さが強く印象に残っていますね。・・・続きを読む

「真っ赤になっているストーブ」by id:to-ching


凄く寒いところに住んでいましたので、ストーブ(薪、石炭)をガンガン焚いてますと、ストーブが真っ赤になります。頼もしく感じたものです。その熱を利用してお湯を沸かすタンクも付属していました。洗濯ものも良く乾燥しましたよ。今の家より冬は湿度が保たれていたかも?煙突掃除は女の役目でお袋が頑張ってました。思い出しますね。・・・続きを読む

「台風の夜の光景」by id:Fuel


ちょうど今、台風第13号が本州太平洋側をかすめるように移動しています。東京もだいぶ雨足が強まってきました。こんな時思い出すのは、台風で停電になった夜のことです。
その夜も段々雨足が強まり、風も出てきて、本格的な台風の勢力圏内に入りました。もう子供が起きている時間にしては遅い時間でしたが、私は不安で、父母と一緒にテレビの台風情報を見ていました。・・・続きを読む

「ガラス戸に蛙」by id:nofrills


祖父母の家は田んぼに囲まれた中にありました。梅雨時などアマガエルがたくさんいました。家は古い日本建築で、廊下側は壁がなく、全部ガラス戸になっていました。上半分は透明の板ガラスで、下半分はすりガラスです。
祖父母の家で、雨で外に出かけられない日など、廊下のガラスのところに座り込んで、ガラスに張り付いたアマガエルを、おなか側から観察していました。・・・続きを読む

「編み物をしている母の姿」by id:TinkerBell


急に寒くなってきた日の午後、学校から帰ると、母が編み物をしていました。
でもスイスイ編んでいるのではなく、本を見ながら一生懸命編み目を数えたりしています。
何ができるの?と覗き込むと、手袋でした。
誰の手袋?私の?私の?と聞くと、母は苦笑しながら、その予定なんだけど、と言いました。・・・続きを読む

「少しずつ出来上がっていった、みんなの願いが込められた庭の風景」by id:TomCat


私は幼児の時に一度引っ越しを経験しました。ここが新しい家だよと連れて行かれた場所には、綺麗な新築の家が建っていましたが、庭の周りに塀は無く、地面も工事中そのままのようになっていました。庭の端の方などはかなりデコボコしています。とりあえず必要な家屋だけ建てて、自分で出来ることは自分でやって資金を浮かそうという事だったのだろうと思います。・・・続きを読む

8ミリフィルムby id:sayonarasankaku


父が8ミリフィルムに凝っていました。
まだビデオのない頃です。
たまに開く映写会はとてもわくわくしました。
壁にスクリーンをかけて、じっと見守ります。
声は入っていなかったと思います。
スクリーンに自分の姿が写ってるのを見るのは、なんだか恥ずかしかったものです。・・・続きを読む

「木の上で寝そべる」by id:vivisan


古い実家の家には、一本の杉の木が生えていました。すごく太いというわけではないのですが、子供の手からそう遠くないあたりに足をかける場所があり、登ることができました。
一番したの枝はちょうど子供が寝そべれるだけの太さと長さをもっており、ここが格好の場所でした。
親に叱られたとき、一人になりたいとき、高いところで寝そべりたいときは、決まってこの木の上に登って寝転んでました。・・・続きを読む

「物置小屋にとじこめられる・・・おしおき」by id:ayame2001


小学生までは悪さをすると物置小屋(蔵)に閉じ込められました。扉を閉められると真っ暗になり、蜘蛛やムカデが出てこないか恐怖に耐えて。暗闇に目が慣れてくると、古い箱やかび臭さ、隙間から入る光であらぬ妄想に走り、『あけてー、ゴメンナサイ、もうしません。おばけがこわいよー』と降参しました。高学年になってからはトイレに鍵をかけて閉じこもることで大人に対抗してました。・・・続きを読む

「ケンカして負けて涙で見つめていた壁」by id:tough


その日は友だちが家に遊びに来てくれていました。しかし些細なことで言い争いになり、それが、何だよ、そっちこそ何だよとドツキ合いに発展し、しまいに取っ組み合いの大げんかになってしまいました。しかしその頃、私は柔道を習っていました。相手の胸ぐらを掴んだ瞬間、ケンカに技を使ってはいけないんだったということを思い出しました。・・・続きを読む

「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」


「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
テーマ「リブ・ラブ〈MYヘルスライフ〉スナップ」から、今日の一枚をご紹介!
id:omotimotittoさん、ご投稿ありがとうございました。




「お風呂でストレス解消セット♪」
健康のためにはストレスを上手に解消するのが大切ということで、好きな香りの入浴剤やアロマキャンドルバスタイムを楽しんでます♪
ウサギとアヒルの形の入浴剤がかわいくてお気に入りです♪
そして、お風呂上りにはボディバターを塗って足やうでをマッサージします♪ココナッツの香りのを使ってるんですけど、甘い香りで癒されますよ〜♪


スナップコメント

スナップとともに、このコメントに癒されてしまいました〜w
リフレッシュ・アロマにポカポカ入浴剤、そして香りのボディマッサージ…。
カラダもよろこぶし、気分もとろけてしまいそう。
ゆっくりのバスタイムは、何よりの心身のヘルスライフですね!
−ハザマ−


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