イエ・ルポ 2 #023 PickUp5
みなさまこんにちは、ハザマです。北の地で初霜の声を聞くや本当に寒くなって、いっぺんにマフラーと手袋の季節になりました。これからの時季、先日のいわしで大人気だったリラックス・サプリ、ゆっくりのお風呂が気持ちいいですね〜。アロマバスやフルーツバスのお話が出ていましたが、うちでももうすぐみかん風呂w 吊るしたネットに皮をポイポイ、いっぱいになってきました。でも今日はリンゴがあるので、皮と芯でリンゴ風呂にしようかな。そして湯上りには冷やしたリンゴがお楽しみ。甘酸っぱい香りが一日の終わりを癒してくれそうです。あ、カリンの実もまたもらってきてるんだ…カリン風呂なんてどうなんだろう? これも一度試してみよう♪ みなさまもお好みのバスタイムでじっくりと、寒さで硬くなったカラダをほぐして下さいねw
さて、今日は“イエ・ルポ 2”#023のピックアップ賞・ノミネート賞をご紹介します。今回の「うれし泣きしたあの日」のテーマ…私にはまだ経験のないことや、考えもおよばなかったこともいっぱいで、一つひとつ目頭を熱くしながら味読してしまいました…。人生にはさまざまな節目が、そして家族のチカラと愛情を抱きしめる出来事があるものですね。まさにライフストーリーというにふさわしく、胸に迫る人生のエピソードにあふれた語らいになりました。こうしてお話を聞かせて頂くと、自分にとっても人生の糧になるような気がしました!
イエ・ルポ 2 #023 ピックアップ賞・ノミネート賞
#023では「家族だからこその心…イエでうれし泣きしたあの日」のテーマでご投稿頂きました。
うれし涙って、何かを乗り越えて頑張った時、ありがたくて感謝でいっぱいになる時、そして存在そのものが愛しくてたまらない時に流れてくるものなのかな…たくさんのエピソードを読ませて頂いて、そんなふうに思いました。たとえば、「志望校に合格」「母の退院」「マラソン大会」「最近では(子供の就職が決まったこと)」…これは困難を克服したからこそのうれし泣き。「初任給で両親と祖母に」「私たちの結婚披露宴で(両親が歌ってくれたこと)」「自分を待っていてくれる家族」…これらのお話は、思ってくれている心が通じてありがたさがこみ上げた涙。そして「子どもの誕生」「初めて息子と酒を酌み交わした日(酌み交わす日)」「姉の結婚式前夜」…このうれし涙は、家族としての愛しみがあふれた感慨。どれ一つとっても心がじんと感動で満たされる人生の物語でしたよね。人はうれし涙の数だけきっと幸せな人生を積み上げていくんだなぁとしみじみ感じました。
ぜひ、下にご紹介するピックアップ賞・ノミネート賞のエピソードを読んでみて下さいね。家族それぞれの物語が綴られて、けれどまるで我がことのように心に迫るお話ばかり。そこはかとなく愛情が伝わってくる素晴らしい語りです。
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県外へ就職した弟が勤めてその数年後、体調を崩して入院。
父はすぐさま飛行機に乗って弟を迎えにいき、地元へと連れ帰って自宅療養が始まりました。
久しぶりに対面した弟は、体は痩せこけて顔は青白く精神的にもズタボロになっており
本人が声を出そうとしても出ない状態に。
家族一団となって、○○君を助けよう! 父は家族に呼びかけ、それに私達は必死に答えました。
自殺の危険性がある、といって両親は日中夜間と交代で付き添って
姉も私もそれぞれ仕事と家事を済ませて、実家へと通う日々が続きました。
私は自分を責めていました。弟が仕事を辞めたいと相談されたときに当時は就職難で地元に戻っても就職口はないし最低3年は石にかじりついて頑張りなさい、と言ったのです。
弟はそれから5年間勤めました。こんな姿になってしまったのは自分のせいではないのか。
自分を責めずにはいられませんでした。
朝から夕方まで働いた後、家に戻り洗濯と掃除と夕飯の支度を済ませて実家へ向かう途中に
弟が何か喜ぶものをと 差し入れを持って自宅へ。
食も細くなってあまり食べない、話さない弟。
箸を持てず、スプーンで口元へ運んでも口を開けてくれなかったのに
手に持ってパンを食べてくれた。
それだけで驚いて嬉しくて涙がにじみました。ぱっとみると母も少し泣いているように見えました。
”お姉ちゃん、おいしい。ありがとう”、と片言で繰り返すのです。
その場にいた両親も、私もそれを聞いて大喜び。
”また買ってくるね。”
久しぶりに会話が成立したことを噛みしめていました。
あの時は本当に嬉しかった。
あれから月日は流れて弟はすっかり元気を取り戻しています。
朝の5時からほぼ毎日釣りに出掛けるのが彼の日課ですっかり日焼けして
釣りバカな日記をブログに書いて友達と交流しているみたいです。
そんな姿を、いまとても喜んでいます。
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3 年ちょっと前の出来事だったでしょうか。もういい大人の私が、こともあろうに父親と大げんかをしてしまったんです。きっかけは些細なことでしたが、ちょっとした言葉のあやが感情の行き違いを増幅して、ついに私は切れて、とても口汚く父親を罵ってしまいました。もちろん父も負けてはいません。お互い有り得ないくらいに互いを罵倒し合って、完全に感情対立が硬直化してしまいました。
「もうテメェなんぞ家族とは思わない」と私が言うと、父も「同じ言葉を返してやる」。これで完全に和解の糸口はなくなりました。父はプイと私に背を向けて、扉に八つ当たりするかのように激しい音を立てて、部屋を出て行きました。
おかしなもので、こういうケンカの時には、ケンカして激高している自分とは別に、こんなことを言ったら取り返しが付かなくなるぞとか、謝るなら今しかないぞといった冷静な状況判断をしている自分がいるんですよね。そのもう一人の自分が、もう手遅れだと判定を下してしまいました。私はガックリと力が抜けた気がしました。その日はまだそんなに遅い時間ではありませんでしたが、自室に籠もって出て行きませんでした。
翌日、わざと父と時間をずらして朝食を済ませ、無言で家を出ていきました。帰宅も、父と顔を合わせるのを避けて、わざと遅くに帰りました。そんな日がしばらく続きました。
こうした日々が積み重なっていくと、どんどん和解のチャンスが消えていきます。私たち親子はこのまま家庭内他人になっていくのかという予感が、だんだん濃厚になってきました。もう大人なんだし、このまま家を出て独立しようかとも考えましたが、そんなことを考え続けている間に、幼いころに父と遊んだ楽しい思い出がたくさん蘇ってきて、たまらなくなってきてしまいました。たとえ今後独立するにしても、父と仲直りしてからにしたい。そういう気持ちがどんどん強くなっていきました。でも、妙な意地が邪魔をして、自分から謝るということが出来ません。
そんなことを悶々と考えながら家に帰り着きました。玄関が見えてきます。私が小さかったころ、父はこのドアを元気良く開けて帰ってきては、おみやげがあるぞと私を呼んでくれました。あのころの私は、おみやげより、それを買ってきてくれる父の愛情が嬉しかったんです。おみやげを手渡してくれる父は、全身で私が好きだと言ってくれているようでした。
あのころに帰りたいと、本当に心からそう思いながらドアのノブに手を掛けると…、背後に人の気配を感じたんです。振り返ってみると、父が立っていました。どうやら私の帰りを待って、ずっと外にいてくれたらしいのです。父は、振り返った私の目の前に紙袋を差し出して、照れくさそうに「おみやげがあるぞ」と言ってくれやがりました!
この瞬間、私の涙腺は崩壊しました。なんという父。まるで私の心を読んだかのような…。あぁ、この人は本当に私の父なのだ、言葉で語る前から私の全てを知り尽くしている世界でただ一人の父親なのだ、その愛情は私が大人になってからも、どこも変わっていなかったのだ…と、そのことを知って、感激に涙が溢れました。
ちょっと普通の「うれし涙」とはニュアンスが違うかもしれませんが、私は「うれし涙」というテーマで、咄嗟にこのことを思い出してしまいました。
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私の家は元はとても手狭な作りでした。それを増築しようという計画が持ち上がりましたが、それは大変な資金のかかることでした。当時私はまだ子どもでしたのでその時の具体的な苦労の中身は知らされませんでしたが、父も母もほぼ新築のマイホームを目指すのと同じくらいの努力でお金を貯めていたと思います。
私には、小遣いくらい世間並みに保証するよ、勉強に使いたい本は別枠で買ってやるよと言ってもらいましたが、父母は子どもに見せない所で、節約に節約を重ねていました。
そしていよいよ工事に取りかかる直前まで来ました。父と母は毎晩のように方眼紙を取り出しては、ああでもないこうでもないと間取りの検討をしていました。父はドアノブから照明器具に至るまでのカタログを色々集めまくってきましたし、母は古本屋から一年分の住宅雑誌を買い込んできて、生活の動線がどうの、理想のキッチンはこうのと研究に余念がありませんでした。
そんな下準備の末に取りかかった増築工事。わが家の工事は残す部分に住みながら新たな部分を継ぎ足していくやり方で行われましたので、住んでいる者の目から、工事の様子が手に取るようにわかります。父は毎晩仕事が終わって帰ってくると、工事中の部分を丹念に見て回っていました。
そんな強い思い入れの後に迎えた完成の日。真新しい増築部分の1階に作られた居間で、家族揃っての完成記念パーティーが行われました。寿司の出前が取られましたが、なんと父と私の分は二人前です。
「一世一代の家作りの記念日だから、普段やらないことをして思い出に刻みたいんだよ」
とはその時の父の弁です。
寿司が届き、みんなでおめでとうと乾杯して食べ始めましたが、まず最初に母が泣き出しました。続いて父が目をつぶって静かに涙を流しました。夢を形にすることが出来た感激。途方もない計画をやり遂げた喜び。そんな感情が、子どもだった私にも伝わってきました。この家には隅々にまで父と母の願いが反映されているんだ、毎晩方眼紙に向かって夢を語り合っていた二人の心の結晶がこの家なんだと思うと、私も熱い物が込み上げてきました。あとはみんな泣いてしまって、とても食事どころではありませんでした。もう感激で胸がいっぱいで、二人前もの寿司が喉を通る状態ではありません。全て食べ尽くすまでに何時間かかったでしょうか。うれし泣きというと、まずこの日のことが思い出されます。
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もう10年以上も前の話ですが、家内の実家に結婚を申し込みに行きました。
ぼくはどうも照れ臭いのが苦手で、家内と交際している間も、まあ電話を取り次いでもらうときにお母さんと2言3言、挨拶をしたことはありましたが、会うのはうまいこと避けていたわけです。
ですから結婚を申し込みに行くその当日まで、家内の両親と会ったことはなかったわけです。
いやあ、緊張しました。
家が近づいてくると、今日はもうやめて、また日を改めて、なんていう弱気な気持ちになったりもしたものです。
度胸を決めて家に入らせてもらうと、向こうも緊張しています。そりゃそうです。初対面の男が「お嬢さんをぼくにください」みたいなことを言いに来た、ということは家内からの事前の根回しというか、情報が届いていたわけですから。
普通に挨拶をして、食事時でもないのにビールとかつまみとか出してもらい、家内の妹とかも出てきて、それでも話はそれほど弾まず気まずい空気。
こうなったら、もう、早いとこ済ませてしまおうと、座布団から降りて、まあ実際になんと言ったか忘れましたけど「結婚させてください」とお願いしました。
一瞬の沈黙があって、まず家内のお母さんが涙を拭いて、それを見て家内もハンカチを出して。
お父さんは黙ったままで。
黙ったままなのは了承の合図だと勝手に解釈して、ぼくは逃げ出すように辞したのでした。
後から家内を通じてお父さんも認めてくれているとの話を聞き、ホッともしました。
結局、ぼくは泣きませんでしたが、あのときのお母さんと家内の涙は「うれし泣き」に数えてもいいんじゃないかなと思ってます。
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私はしばらく入院生活を送っていました。
ちょっとややこしい病気で、もしかしたらずっと入院したままかもしれないと思われていたんです。
だからその時、父母はとても辛い思いをしていたと思います。
母なんか、こらえきれなくて私の前で泣いちゃって…。
私は自分の病気のことより、そんなふうに両親の重荷になってしまっていることの方が辛かったです。
早く治って元気になりたいというより、治らないなら治らないでもいいから、
父母の負担になりたくないというのがその当時の私の願いでした。
だから、このまま治る見込みがないのならいっそのこと…、
みたいに口を滑らせてしまったことがあるんです。
その時は、すごく激しく母に泣かれてしまいました。
私も、そういう考え方こそ両親の負担になってしまうんだと気付かされて、
それからは、この父母のためにも何としても元気になりたいと思う気持ちに切り替えました。
そしてそれから、ちょっと長い入院生活が続きましたが、
治療の甲斐あって、無事退院できる日を迎えました。
その日は父も仕事を早く切り上げて帰ってきてくれました。
家に入ると、夢にまで見た家の姿と、懐かしい家の匂い。
何もかも、入院する前と同じです。
父も母も私が入院している間、家の様子を変えないようにと、
それこそスリッパの置き方一つにまで気を配っていてくれたそうです。
そしてキッチンからはシチューの香り。
そう、入院前夜の食事が、クリームシチューだったんです。
さらにお帰りと家で待ってくれていた父が着ていたのは、入院した日と同じ服。
もう季節外れなのに…、です。
こんなふうに、何もかも入院前と同じにして迎えたいという、
父と母の愛情いっぱいの心遣いに感激して、私は泣きました。
もう、涙が止まりませんでした。
退院できた喜びというより、この父と母の所に帰ってこられた喜び。
人って本当に感激すると涙が出るんだって、自分で自分にびっくりするくらい泣きました。
この日のことを思い出すと、また涙が出てしまいそうになります。
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「姿を消した猫が帰って来た時」by id:iijiman
その日、突然大家さんが工事を発注してしまいました。
住んでいるアパートの屋根が古くなったとかで、屋根を剥がして張り替え工事。
トタン葺きの屋根を剥がす音がもの凄く、朔(猫)が外に逃げ出してしまいました。
元々、時々外に出る猫ではあったけれど、外出してもせいぜい数十分もすれば帰ってきます。
ところがその日は、1時間経っても2時間経っても帰ってきません。・・・続きを読む
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「仲直りしたとき」by id:azaburecipes
ささいなことで喧嘩になって険悪な感じになって…好きで結婚した2人なのに辛くなってしまうときがあります。でもその喧嘩が大変だったときほど、仲直りできたときは嬉しくて、うれし泣き。大事に思ってくれていたのだな、とお互いの気持ちが繋がったときは悲しさと嬉しさの入り交じった不思議な気分です。・・・続きを読む
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「初めて父親と酒を酌み交わした日」by id:powdersnow
二十歳まで健康に育ってくれたこと、しっかりとした人間に育ったことなど感慨深げに話されて、お酒で感情が高ぶったのもあってか、部屋に戻った後にぐっときました。
自分の方からも当然、感謝の気持ちを伝えましたが、大人になってから両親の偉大さや苦労が本当にわかるようになってくると思います。・・・続きを読む
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「愛犬の話」by id:certanxp
昔、実家の愛犬が喉に痰を詰まらせてしまい、呼吸困難になって意識不明になりました。
すぐ動物病院に連れて行き、獣医さんに応急処置をしてもらい、何とか痰は取り除けたのですが、長い時間呼吸が出来なかったために危険な状態だと告げられました。
愛犬は動物病院に入院して、私は実家に戻り愛犬との想い出などを思い返しつつ、もう愛犬がこの世からいなくなってしまうのではと不安が脳裏を掠めました。・・・続きを読む
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「いじめを告白した日」by id:cherry-pie
覚えているのは幼稚園の頃。
その頃からずっといじめられていて、ようやく思いあまって母親に告白
それが中学生のとき
ずっとこんな風にいじめられていたとか、言うことが出来て私の荷は少しとけたけれど
それは母親に移っただけだった・・・続きを読む
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「全ての入学式と卒業式を」by id:Lady_Cinnamon
うちの父は他所のお宅のお父さんたちに比べ、実年齢はだいぶ歳をとっています。
私が中学生の時、まだ定年が60歳までという頃でもあり、父は退職しました。
私としては、どうしてそこまでこだわるのだろうか、と最初は思っていたのです。
父は大学、大学院の時も、はるばる遠方まで入学式や卒業式に出席してくれました。・・・続きを読む
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「妹の受験で笑い泣き」by id:toukadatteba
そういえば、私ではなく、妹の受験でおもしろいことがありました。
妹は勉強はほどほどにできるという程度で、それほどできがよいわけではないのですが、生活態度がよく、イベントの陣頭指揮をとったりもするような子で、とても内申がよく、妹の学力だけでは受験するのはかなり難しい学校に、推薦受験できることになりました。・・・続きを読む
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
野を愛するw83さんならではのアウトドアグッズ、貫禄が違いますw
足にしっくり馴染んで履きやすくなるのは靴以上の感覚ではないでしょうか。
それに地下足袋って、スパイクが付いているんですか? ぐいぐい踏ん張れそうですね!
−ハザマ−
»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
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