イエ・ルポ 2 #028 PickUp5
みなさまこんにちは、ハザマです。昨晩、料理人をしている弟から楽しい相談の電話がありましたw 自分でしているイタリア料理店で、レストランを舞台にした映画の上映会&ディナーを計画しているのだとか。オススメの映画は?と尋ねられ、まかせといて!とばかりにお気に入り映画ノートをひらいて、15タイトルの候補作をおしゃべり。イタリア映画だと『星降る夜のリストランテ』や『ビッグ・ナイト』があるなぁ、でも『バベットの晩餐会』や『パリのレストラン』も観て欲しいし、最近では『厨房で逢いましょう』って観た?なんて、だんだん趣味でしゃべっちゃいました。まぁスタッフと相談しながら企画していくことでしょう、面白そうだな〜。料理にまつわる映画の本や、映画に出てくる料理の本なんかもあるそうですね。またみなさまとも映画のお話をしたくなってしまいました♪
さて、今日は“イエ・ルポ2”♯028のピックアップ賞・ノミネート賞のご紹介です。テーマは「真剣に怒ったこと・怒られたこと」。今回はとても書きづらいお題であったにもかかわらず、家族、友人、先生とのさまざまな人間ドラマを語って下さり、考えさせられるところの多いいわしになりました。何をおいても助けてくれる家族、親身になり合える友の存在の大きさがひしと胸に刻まれた語らいは、イエ・ルポ本のページでもぜひ伝えていきたいと思いました。みなさまの生きた物語の数々を、どうもありがとうございました!
イエ・ルポ 2 #028 ピックアップ賞・ノミネート賞
♯028では「相手のことを思って真剣に真剣に怒ったこと・怒られたこと」のテーマでご投稿頂きました。
今回のルポで一番多く寄せられたのは、やっぱり家族の物語。「危ない遊びをしたとき」「遠出」「大けが」「家出をしたとき」「夜遅く帰って怒られました」をはじめ、両親から大切な身を案じて叱られた思い出や、「子供が嘘をついたとき」「目標から逃げない」など人間的な心の成長が願われたお話など、親心と家族の愛が痛いほど伝わってくる書き込みがいっぱいでした。友達とのドラマも多く、「陰口・悪口を行っている友人に」「クラスメートをからかっていた」「外見ばかり評価している友人に」「親しいことを理由に、約束を軽んじられた時」「故郷を馬鹿にするような発言」など、さまざまなエピソードが。なかでは、「中学の時、女子から面と向かって問題点を指摘された」というお話など気持ちのいいものでしたねw また「部活の先生に」「英語の先生」など先生に叱られた思い出も見られ、とりわけ「ケツバット」のツリーで体罰と愛情教育の問題が経験談とともに盛んにやりとりされたのが印象に残りました。どんな立場でも、真剣に怒る・怒られる時には愛情というハートのエネルギーが強く伝わる、そしてそれは生涯心に残るものなんだと教えてくれる物語ばかりでした。
そんな、ココロの会話が聞こえてくるルポより、下にピックアップ賞・ノミネート賞を選ばせて頂きました。どれも目の前に思い浮かぶようなシーン、記憶に刻まれる言葉が書き綴られて…本をひらくようにじっくり読み返したい物語です。
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練習中の不注意で、大切な仲間に大きな怪我をさせてしまったことがありました。入院するほどのものではありませんでしたが、直後に控えていた大会には、欠場を余儀なくされてしまいました。
それだけではありません。私自身、相手に怪我をさせてしまったことが恐れになり、格闘技なのに技が出せなくなってしまったのです。まんがの「あしたのジョー」で主人公の矢吹が、ライバル力石の不慮の死の後、パンチが打てなくなってしまったのと同じようなものです。そんな私を一番心配してくれたのは、当の怪我をさせてしまった友でした。
彼は毎日のように怪我をした体で練習に出てきて、私に色々とアドバイスをしてくれました。しかし私は、どうしてもここ一番という時にためらってしまう壁が乗り越えられずにいました。友はついに業を煮やして、私を呼びつけて怒鳴りました。それはこっぴどく怒鳴られました。しかし、いくら怒鳴られても、言葉を尽くして叱ってもらっても、頭ではわかっても、体がすくんでしまってだめなのです。おわかりいただけるでしょうか。目の前で相手の体が鈍い音を立てて変化していく様子。それが対戦中にスローモーションのように蘇ってきてしまう状態を。
しかし友は最後に一言、すばらしい言葉をくれました。
「お前は対戦相手を侮辱している。怪我をさせるのが恐いか。それは相手を二流以下と見下す態度だ。」
この言葉に、目からウロコが落ちる思いがしました。彼は「俺のような一流選手ならたとえ怪我をしてもこの程度だ。」とイタズラっぽく微笑んで、相手を信頼して思いきりいけと、拳をぎゅっと握ってエールを送ってくれました。
重くのしかかっていた何かがフッと軽くなったような気がして練習を再開すると、できるのです。躊躇なく技が繰り出せます。すっかり元に戻れました。見てくれ、俺できるよと彼の方を見ると、彼は私を見て男泣きに泣いてくれていました。
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学校にいってもいじめられるし、成績よければカンニングだとか騒がれるし(他に満点を取っている子がいなくても、カンニングペーパーがあったんだとか何か言われていました。)
先生にあてられても私には答えられる問題だから、わからなさそうな子ばかりあてていると
えこひいきだといわれ、
とにかく、やることなすこと全てがいじめの対象だった。
学校に行く道もイヤで、人に会わないように路地裏を通っていた。
学校に行っても挨拶運動とかいうけれど、話しかけられたと大騒ぎされるので何も言えず学校からは悪いとの評価がつく。
耐え切れず母に泣きついた。
「死にたい・・・生まれてこなければよかった」
母は
「それでも私は産みたかった。毎日話しかけていい子になりますように、優しい子になりますように。元気な子になりますように。いろんなお願いをして大事に大事に育ててきたの。あなたを産んだのは私のエゴかもしれないけど、生まれてきたときにはすごく感謝したのよ。ありがとうって。あなたはみんなに笑顔を見せてくれて、みんなを幸せな気持ちにさせてくれた天使なの。私のわがままを聞いてくれてありがとう。でも、死にたいというのはどんなときでもいっちゃいけない言葉だよ。みんなのあなたを思う気持ちがあってこそここまで大きくなったのだから、人の気持ちを無にするのは良くない。いろんな人から見守られた分、恩返しをしなければ。将来どんな子になるのかな、どんな花嫁さんになるのかなと楽しみにしているおじいちゃんやおばあちゃんの願いはどうなるの?自分が辛いのはわかるけど、周りの人のことも考えられる優しい子に育てたはずだから、お母さんやお父さん、みんなの気持ちも考えてね。」
といいました。
結果的に、学校でなにかあったらこんなことがあった、こんなことを言われたと今まで誰にもいえなかったことが、家族に打ち明けることが出来
そのたびにみんなでこんな風に考えるといいよ、こうしてみたら?と、アドバイスをしてくれました。
母も学校の先生に相談をしてくれて、そのおかげで卒業する頃には普通に楽しく学校に行くことが出来ました。
母の行動にも感謝していますし、自分は誰かにこんなにも必要とされていたのだと気づくこともできましたし、本当にいい結果になったと思います。
このお母さんの下に生まれてきてよかった。あれから毎日母に感謝しています。
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母を亡くし、父もその後を追うように早世してしまったあと。施主として怒濤の葬式を終え、誰も居なくなると、恐ろしい静寂がやってきました。一人になりたくて一人でいるのとは全く違う孤独。それは耐え難いものでした。
夜、そんな静寂に耐えられず、人の姿を求めて雑踏に紛れました。そして夜遊びをおぼえました。まだ四十九日も終えていないというのに、親を無くした息子が夜な夜な遊び歩いている姿は、自分でも極めて不道徳に見えました。しかし、そんなことも慣れてしまうと、無視できる話になっていました。
それでも、他人というのは案外よく見ているものなんですね。どうもあそこのバカ息子は葬式の後、夜な夜な遊び歩いているという噂が立っていたようです。友人が心配して家に訪ねてきてくれたようで、ドアに、留守だったから帰る、また来るとメモが挟まっていたりしました。
そんなことが数回あった後、夜の繁華街で、後ろから声をかけられました。振り返ると、何度か家に訪ねに来てくれた友人でした。少し付き合えと言われたので、それじゃどこかの店に入るかというと、いや、お前と遊びたくてここに来たんじゃないという答え。
そうか、何度も訪ねてきてくれたのに電話もせずに悪かったなと返答すると、「そんなことで怒っているんじゃない」と怒鳴られました。
「お前は葬式の時に何と挨拶をした、夜遊び一つしたことがなかった真面目なお父さんの足跡を自分もたどっていくって言ったじゃないか。こんなのお前らしくない。だいいちこうして遊ぶ金はどこから手に入れてるんだ。親の遺産が入ったか、保険金が下りたか、それとも香典が余ったか、ええ?」
「あ、いや、スロットでちょっと大勝ちしてさ」
「何だと、この上バクチもか、そのうち身を持ち崩すぞ、この死に別れてからも親を泣かす大バカ野郎が」
友人は雑踏のど真ん中で思い切り怒鳴ると、そのまま去っていきました。公衆の面前で罵倒され、見知らぬ人の視線が刺さるように痛く、私は路地を抜けて小さな公園に行きました。ブランコに座り空を見上げると、涙が溢れてきました。子供の頃、背中を押してブランコを揺すってくれた、優しい父の手の温もりが思い出されてたまりませんでした。
ああ、そうか。こんなふうに泣きたくなかったから、俺は毎晩自分を誤魔化していたんだと、その時やっと気が付きました。誰もいない静かな公園だったので、思いきり泣きました。
そういえば、公園で泣いていたら迎えに来てくれたことがあったな、お父さん。振り返ると、優しく微笑みながら手をさしのべてくれている父の姿が見えるような気がしました。私は父に導かれるように立ち上がり、家に帰るべく駅への道を急ぎました。すると人気もまばらな駅前に、さっき思いきり私を罵倒してくれた友の姿があるではありませんか。
「よう」
「な、なんで、まだ帰らなかったのか」
「傷心のお前を置いて帰れるか、家まで送るよ」
「そんな、いいよ」
「バカヤロウ、もう終電ねえぞ、タクシーおごるよ、俺は今夜、お前に一円も使わせたくないんだ」
ありがとうと素直に頭を下げると、よし、お前はもう昨日で夜遊びから足を洗っていた、今夜のお前はいつものお前のままだった、俺は嬉しいと、バンバンと肩を叩いてくれました。友情の重みがずっしりと肩に乗ってくるのを感じました。でも、それは嫌な重荷ではありませんでした。人は一人じゃないから、自分をしっかり保つ責任がある。真面目に生きようと思っているうちは、人はけっして孤独ではない。そのことを教えてくれた友でした。
■
前にもちょっと書いたことがありますが、私はしばらく入院生活を送っていました。
ちょっとややこしい病気でなかなか回復の目途が立たず、
命にも関わる可能性がある病気だったので、
そんな娘を抱えてしまった父母には、とても辛い思いをさせてしまいました。
私は病気の辛さより、そんなふうに両親の重荷になってしまったことの辛さが耐えられませんでした。
早く治りたいという気持ちより、もう治らないならそれでいいから、
早く誰の負担にもならずに済むようになりたいという気持ちでいっぱいでした。
はっきりいってしまえば、私なんか消えちゃえばいいんだという気持ちです。
完全看護で家族の付き添いは全く不要な病院でしたが、
母は毎日面会時間一杯、病室に付き添っていてくれました。
家から離れた病院なので、行き帰りだけでも大変な負担なのがわかりました。
父も仕事が終わると必ず病院に駆け付けてくれて、それから母と一緒に帰っていくのが日課でした。
前は残業で遅いことも多かったのに、なんで最近は毎日こんなに早いの?
きっと会社で立場悪いよね。そのくらい私にもわかるよ。
私のことは大丈夫だから。もうここには来なくて平気だから。
そう言いたかったけど、言えませんでした。
だって、本当は一秒でも長く家族に一緒にいてほしい、
こんな不安なところには一秒だって一人ではいられない、っていう気持ちでしたから。
そういう甘えた気持ちが両親に負担をかけてしまうのだと思い、
ある日、その甘えを断ち切ろうと決心したんです。
最初は本当に、純粋にそういう気持ちでした。
父母の前で明るく微笑んで、
私は一人でも大丈夫だから、お父さんもお母さんも自分の生活を大切にしてね、
そう言うつもりだったんです。
でも、口から出てきた言葉は違いました。
もう私、治らないって知ってるから。
こんな子のために苦労しても無駄だから。
早くこの世から消えて楽させてあげるね。
言い終わる前に、母は枕元で号泣していました。
その後ろに立っていた父の顔が、みるみる赤くなっていきました。
そして一言、短く怒鳴りました。
お前一人の命じゃない、お前を生んだ人の気持ちを考えろ。
病院ですから、それは深く静かな言葉でした。
でも私には、耳に轟くような叫びに聞こえました。
ごめん、元気になるように頑張るから、
そのかわりこれからも一緒にいてと泣くと、
父は、うんうんとうなずいてくれました。
そのあと奇跡的に病状が好転して、退院の目途も立ちはじめました。
母は、入院している私を見ると、私を産んだ時のことを思い出すと言ってくれました。
あの時は早くあなたを産んでこの手に抱きたい一心で毎日を過ごしていた、
今も、生まれ変わったように元気になって帰ってくるあなたを抱きしめたい一心で毎日を過ごしていると。
私は迷惑じゃなかった。私は望まれて生まれてきて、今も望まれて生きている。
その安心な気持ちが、体を動かしたような気がしています。
私に命をくれた父母に、心から感謝しています。
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私は人に何かを説教できるような人間ではありませんが、一度だけ、友人を激しく怒鳴りつけたことがありました。高校三年の、ちょうど今くらいの時期でした。みんな受験でテンパっていて、口には出さなくても、誰もが重圧で押しつぶされそうになっていました。そんな時、クラスの一人が家出したのです。家出といっても、ほんの一晩姿をくらます程度のプチ家出です。コンビニの近くの公園にでも行ってみれば、寒さに耐えかねておでんでも食べている姿が見つけられる程度の外出に過ぎません。高校生なんてそんなもんです。しかしその日だけは事情が違っていました。彼は翌日に、大事な受験を控えていたんです。
私がその騒ぎを知ったのは翌々日、つまり彼の試験日の翌日でした。あいつ昨日試験行かなかったらしいよ、残りも全部やめるらしいぜ、と噂になっていました。当然当人は学校にも出てきません。
私はとても心配になりました。当時私は、人生は一度レールを外れたら二度と戻れないと、本当にそう考えていました。そういう自分に与えていたプレッシャーを通して人のことも見ていましたから、何としても友だちをレールから外すわけにはいかないと考えてしまいました。とても未熟な考えですが、とにかく心配で、いても立ってもいられなくなってしまったのです。
同じ中学の出身者に地図を書いてもらって彼の家を訪ねると、彼はもう家に帰っていました。外で話そうということになってぶらぶら歩きながら話を聞きましたが、やはりもうプレッシャーに耐えられないので逃げ出したいという気持ちであることがわかりました。私も同じなので、その気持ちは痛いほどわかりました。
でも今逃げてもまた来年進路を選ばないといけない、一年たてば状況はもっと不利になる、一度逃げたら次はもっと辛くなると言うと、彼は生気のない顔をしてボソッと言いました。いいんだ、来年なんて来ないから。
びっくりして、それってどういう意味だよと聞くと、彼は何も言わなくなりました。私は、彼のとんでもない考えを直感しました。ふざけるなよと詰め寄りましたが、彼はまるで他人ごとのように私の声を受け流そうとしています。おいと怒鳴って肩を揺すると、彼が持っていたジュースの缶が落ちて転がりました。
それが合図になったかのように、私は感情が高ぶって、何を言っているのかわからないくらい道端で怒鳴り散らしました。怒鳴りすぎて頭がクラクラするくらいでした。人だかりができかけてしまったので、彼の手を引っ張って近くのファミレスに逃げ込みました。
二人で無言のままコーヒーをすすっていると、しばらくして彼が口を開き、ごめん、死にはしないから、と言ってくれました。そして、逃げてもなにもならないことはわかっている、でもちょっとだけ休みたい、来年もっときつくなるのはわかってるけど、少し休めばきっとまた頑張れる、だから来年もこんなふうに励ましに来てくれないか、今度こそ逃げずに頑張るからと約束してくれました。さっきとはうって変わって生き生きとした瞳でそう言ってくれたので、私は彼の言葉を信じました。
それから時がたち、私も彼も今は社会人となりましたが、彼は某有名大学を極めて優秀な成績で卒業し、今では霞ヶ関を動かす人物の一人になっています。今でもたまに会って、お前悪い官僚になってるだろうなどとからかってみますが、彼は、お前の友情に救われた男が悪くなれるわけないだろうと真顔で言い返してきます。あの時のことを思い出すと私自身未熟で穴があったら入りたくなりますが、でも、友だちを思う気持ちだけは本物でした。友情は今も続いています。
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「後輩にわかってもらえなかったとき」by id:vivisan
社会人になって3,4年の頃、私は4人の後輩を指導する立場にありました。
後輩ひとりひとりにそれぞれのレベルで期限付きで課題を与えて提出してもらっていました。・・・続きを読む
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「クラスでいじめがあったとき。」by id:cherry-pie
先生がみんなを集めて真剣に怒っていました。
まだ今のように陰湿ないじめや、想像もつかないようないじめがあった時代ではなく堂々と、みんなの前でからかっていたりした頃でした。・・・続きを読む
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子供のころには我が家の近所にとってもきびしいおじさんやおばさんがいました。登下校であんまり騒がしいとしかられ、下級生をかばってあげないとおこられ、柿を盗んで追っかけられ・・・でも真剣におこってくれてお腹の底ではみんな納得していたと思います。・・・続きを読む
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私は悪くない。自分には全く何の非もない。なのになぜ私が責められるのか。私が意地を張り通すからグループが崩壊するという非難は筋違いだ。責任を負うべきは誰なのか、よく考えて物を言え。私はそう意固地になっていました。・・・続きを読む
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ちょっとした反抗心からでした。
たまたま悪い成績をとったのですが、いつも最低90点以上をずっと通してきたというか
親の期待にこたえようとがんばっていたせいもあったのでしょうけど
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あれは中学1年の時でした。
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そして、「君はなぜ女子から嫌われるのか」を、具体的に色々指摘してくれました。
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私にも彼氏がいたことがあります。向こうから好きと言ってくれて、私達は付き合いはじめました。とても幸せでした。でも、結局ふられてしまいました。向こうから告白されて、向こうから別れようって言われて、私は初めから終わりまで何一つ、自分の言葉で何かをすることができませんでした。・・・続きを読む
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私はあまり勉強熱心でなく、そういう意味では進学クラスの中では異質な存在でした。
それでも推薦を受けて、他の人より一足早く合格してしまいました。
すると担任に職員室に呼び出されました。・・・続きを読む
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
お節2009
降雪のため買出しに行けず、こじんまりとしたお節になりました。二の重は、冷蔵庫にあったものをやりくりしての焼き物作り。毎年、年末のいろいろな思い出を込めることができて、なかなか感慨深いです。もっと種類を増やしたいので、来年はお重のサイズを大きくしたいと希望しています。
一つひとつにお祝いと美味しさへの心が込められたあたたかなお重。
とても買い出しに行けなかったとは思われない美しいお節です。
今頃そちらも寒さと雪で大変でしょうね、どうぞご家族お元気に冬をお過ごし下さいね!
−ハザマ−
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