イエ・ルポ 2 #036
みなさまこんにちは、ハザマです。先日の“イエコト・ミシュラン”「暮らしに太陽の恵みを生かすアイデア」で盛り上がっていた家庭菜園のお話。みずみずしい夏野菜がいっぱい出てきた中、キュウリ、ウリ系の野菜がパリパリと食べたくなって、にわかにハマってしまったものが…。前にここで教えて頂いた「山形のだし」! 作り方も教えてもらっていたのですが、まずはマーケットで見つけたものを試食。刻みキュウリの食感と昆布のとろりとした旨味に、ギョギョーッ! 思わず目が3倍くらい大きくなりました。ご飯と「だし」に夢中になって、おかずにお箸が行かないほど…。買ったものはキュウリ80%という感じでしたが、ナスや大根、ミョウガなんかも入れて作ったら、激美味〜! あと、大葉風味バージョンとか、ショウガ風味とか、色々作ってみよっ! みなさまはとっくにお試しかも知れませんが、はじめての方にもぜひオススメ。おぼろ豆腐にかけても抜群でした。レシピも少しずつ違ったものがネットなどでたくさん紹介されているので、作ってみて下さいね。この夏は「山形のだし」でぐんぐん乗り切れそうですw
さてさて、今日は“イエ・ルポ 2”#036の語らいのスタートです。今回のお題は、id:takntさんよりご提案頂きました「コマッタはヨカッタの素!私の〈よかった探し〉物語」。ご存知、『愛少女ポリアンナ物語』の〈よかった探し〉。泣きそうな困り事が起こっても、それを逆転発想でヨカッタことに変えてしまう、暮らしと人生のポジティヴ・シンキングですね。困った時こそ知恵が出てくる、転んでもタダでは起きない!っていうたくまし〜いココロは素敵です。どんな小さな出来事でもいいです、みなさまのそんな経験談を聞かせて下さいませんか? ご家族のエピソードもぜひ! 今回はどんなライフストーリーが綴られるでしょうか、みなさまからのメッセージを楽しみにお待ちしています!
イエ・ルポ2 ピックアップタイトル
愛少女ポリアンナ物語に出てくる〈よかった探し〉
不幸なことや困ったことがあれば、それをよかったことに変えてしまうことです。
身の回りでよかったことを探してみましょう。
by id:taknt
コマッタはヨカッタの素!私の〈よかった探し〉物語
「コマッタはヨカッタの素!私の〈よかった探し〉物語」を教えて下さい
“ルポ・タイトル”
「アッチャ〜…のおかげでイエがキレイになってヨカッタニャ〜!」
by ハザマ
“ルポルタージュ”
ホントに些末なお話でスミマセン。みなさまもうお察し、我が家ではワル猫ふたり組のおかげで、毎日アッチャ〜!ヨカッタ〜!の連続です。自由奔放に育ててしまった上に、相性バッチリのふたりが手を組んで、エエーッ?!というところにまで入り込んで悪さしたり、いまだに激しい追っかけっこであちこちバタバタとモノを散らかして、もうタイヘン。部屋にいる時はもちろん、イエに帰ってきたらまず片付けとお掃除から事をはじめなければならない有様です。その上にこのふたり、毛だらけのひとたちですから…。おかげで、ほったらかしになりがちなところも、とりあえずいつもキレイに保てるわけで…(笑)。
カチャーン! デスクのコーヒーカップを倒しても、み〜んな拭き掃除が出来てヨカッタニャー。書庫の本棚の上から紙モノいっぱいの箱をドッサーッと落としても、久々に整理してみたらいいのニャー。押入れの段ボール箱をバリバリやって紙屑を散らかしても、ちょうど毛玉のまっくろくろすけたちを一緒に掃除出来てヨカッタニャー。…とまぁ毎日こんな具合です。さすがに、どうしてもダメ!というモノはガラス棚や引き出しにしまってガードしていますが、大事なものをいっそう大事にしまう習慣もついてヨカッタのニャーと言われそうです…トホ〜ッ。
そういえば、私の実家では父がタバコの灰をよく落とすので、母は「灰、ハイが…」。いちいち指摘するのですが、その都度自分で布巾や雑巾を持ってきて拭きながら「オレが灰を落とす度にどんどんイエがキレイになっていく、イイネェ」と言ってます。そ、それって学習しないうちの猫と一緒じゃん…。それを思い出しながら考えました。うちの猫もそうやって、自分で雑巾持ってきてお掃除してくれたらいっそう「ヨカッタ」なんですけれどねぇ(苦笑)。
※今回の「いわし」ご投稿は6月11日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のピックアップ賞は6月12日(金)に「イエはてな」にて発表いたします。
※〈イエはてな〉では、いわしへ投稿されたコメントと画像をダイアリーに転記しています。できましたら「投稿画像のwidth属性」を450px以内に指定していただけますようご協力をお願いいたします。
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
自家製梅酒
4年ほど前、よく行っていた料理屋さんで、父親が店主からお土産にと大きな瓶に入った自家製梅酒をいただいてから、はまり、それから毎年6月ごろになると、父が梅、角砂糖、ブランデーを買ってきてくれと言って梅酒作りが始まります。まずは、梅を掃除することからはじめ、角砂糖、酒、ブランデーなどを入れ作ります。自家製の梅酒のいいところは、角砂糖の入れる量で甘さが調節できるところです。梅酒は寝かせれば寝かせるほどおいしくなるそうで、前は毎日飲んでいたのですが、最近はこの瓶は3年寝かせる用、これは1年寝かせる用と言う風に分けているため、毎日飲みたいのを我慢して2、3日に一回のペースで飲んでいます。
梅の実も贅沢にたっぷり、実の掃除だけでもタイヘンなことでしょう…。
お父様も、ご自身の手で作られる梅酒の美味しさは格別に違いありません。
もったいないと少しずつ飲まれているのですから、iwavanさんも遠慮しつつというところでしょうか(笑)。
−ハザマ−
»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
募集期間中にご投稿頂いた方にもれなくはてなポイント300ptプレゼントいたします。
また、スナップ賞にはアマゾンギフト券3,000円分をプレゼントいたします。
いわしの回答(転記)
新婚旅行の出来事です。
パリローマ7泊8日の旅が格安になっていたので行きました。
その時、旅先での小遣いを、旅行会社の人の勧めで、
トラベラーズチェックにすることにしました。
トラベラーズチェックは自分のサインを入れて使う小切手のようなもので、
旅行会社の人の話によると、
①サインがなければただの紙なので大金を持つより安全という話と、
②パリやローマの店舗ではほとんどどこでも使えるという話、
③両替をしたい時は各所に両替所があり、ホテルでも両替できるという話、
を聞いて採用しました。
ハネムーン初日、10時間以上の移動時間を終え、夕方、ホテルにチェックインしました。
「どんなうまいものを食べてやろうか」と二人、夕食に出掛けることにしました。
現金を全く持っていなかったのでホテルのフロントで両替をすることにしました。
私たち二人は、フランス語など話せず、学生時代に学んだ簡単なレベルの英語しか話せません。
とりあえずそんな英語力でホテルマンに両替を要求しました。大仕事です。
すると彼は「このトラベラーズチェックはここでは両替できない」と。
旅行会社に少し騙された感はありましたが、そのまま夕食に出かけることにしました。
さすがに格安プラン。パリの中でも北東の、すぐそこはもうパリ郊外。
あまり店はありません。フィーリングで雰囲気のいい感じの店を探しました。
すると、、、、1軒目も2軒目もトラベラーズチェックが使えない。
「なんで?」、
片っ端から店に入り、聞いてみる、「これは使えますか?」と。
みんな「使えない」と応えてくる。
断られるのに慣れ始めた頃、自分の置かれている状況が”よく”理解できてきました。
「このエリアではトラベラーズチェックが使えない」と。
仕方がないので閉店間際のスーパーに駆け込み、買い出しをして、クレジットカードで
支払うことにしました。すると、、、クレジットカードも使えない。
諦めてホテルに戻り、ホテルにあるカバのマークのレストランで食事をすることにしました。
ボーイに現金を持ってないこととこのホテルに泊まっていることを告げ、
チェックアウト時に支払うことを交渉しました。ボーイは、私の英語をよく理解してくれ、
お世辞にもうまくない、日本人にはとても硬いステーキを食べさせてくれました。
2日目、朝一に旅行会社へクレームの電話。「両替をしに来るように」と。
彼女は「そちらに着くのは昼になります」と。
すでにキレまくっているので、その回答には「それでいい」と回答しました。
窓から外を見ると銀行が見えます。銀行なら両替ができると思いました。
銀行員は中年男性で両替を依頼すると、「ここではできない」と言われました。
そして紙とペンで地図を描いてくれて、「ここに行け」と、
3軒隣の証券会社っぽいところを紹介してくれました。
証券会社に行くと、また「ここではできない」と言われました。
今度は紙にどこかの場所の名前を書いてくれました。
そして「そこに両替所がある」と言われました。
彼の英語力と私の英語力では十分、理解し合えないと判断し、
前の銀行員に聞くことにしました。
前の銀行員は積極的に私たちを理解しようとしてくれました。
私は証券会社の人がくれた紙を彼に渡し、そこへの行き方を訪ねました。
彼は非常に丁寧に地下鉄での行き方を教えてくれます。
お金のない私たちは歩きではどう行けばいいかを尋ねました。
彼は「歩きなんて無理!」のようなことを話してくれました。
その時です。
そのやり取りを聞いているお爺さん(客)が、その銀行員に何かを聞き始めました。
銀行員とお爺さんがフランス語で何かを話し(たぶん私たちのトラブルの一部始終)、
話しを終えると、お爺さんが地下鉄のチケット(回数券っぽい)を私たちに2枚くれました。
「これで行け}と。
するとさらに別の女性客が、地下鉄の経路地図をくれました。
そこには出発駅と到着駅に印をつけてくれました。
「メルシー!」
感動です。
その後、私たちは無事、両替を済ませることができ、
そして遅めの朝食を食べました。
私の人生の中では最高の”よかった探し”物語です。
この話に登場する人すべて、「メルシー!」です。
(旅行会社の女性を除きます)
タクシーに乗ったは良いけど、お金がないことに気づいてしまったんですが、タクシーの運転手さんが凄く良い人で
次の日で良いよと言ってくれました。
翌日持っていったら、『本当に来るとは思わなかった』と言って、それからちょくちょく、おじさんのタクシーをひいきにしていたら
あるとき、すごく豪華なお弁当を貰ってしまいました。
ひょんなとこから知り合ったけど、良い出会いです。
初デートにて、全然そんなつもりはなかったんですが
うっかりお財布ごと忘れてしまって、ほとに恥ずかしかったです。
結局奢ってもらってしまい、わざと忘れたのかと思われたかなと落ち込んみましたが
次回は私が奢ります!と言って2回めのデートにすんなりこぎつけられました♪さっそう勇気がない私ですが、この時ばかりはちょっと嬉しかったです。
私はバブル経済の時に朝も晩も休日も返上して会社で働きました。
その結果、身も心もズタズタになっていまい、病気になってしまいました。
最初は早く社会復帰をと躍起になっていましたが、
ゆっくり静養するうちに、
そんなに会社人間になっても意味無いことがわかりました。
それからは、本当に自分の人生を選択できてきた気がします。
私も幼い頃から病気がちでいじめにあったりしてきました。その中で優しくされた思い出は決して忘れないです。病気で休みがちだった時にはなしかけてくれた女の子の事。15年近くたっても忘れないです。
方向感覚は良い方なので、道に迷うことは滅多にないのですが、
知り尽くした町などではないところで、ふとメインストリートから逸れて小道に入ったりすると、一度も見たことがない新鮮な街並みが続いています。
こんなところにお店があったんだとか、公園があったのか、様々な発見があって楽しいです。
方角さえ合っていれば、いずれ大通りに出るというくらいの場所なら、気楽でしょうか。
最も方向すらわからなくなり、本気で迷ってしまうと、色々と不味いことも多いと思いますので、そんな時は素直に人に尋ねましょう。
トランプや諸々のゲーム、スポーツなどなど。
やはり勝った方が嬉しいですし、できれば劣勢には陥りたくないものですが……
もし、負けそうになってしまっても、一発逆転を最後まで狙いたいものです。
無理だろうなと思えることこそ、よりそれを跳ね返した時の嬉しさが高まるものです。
困難だけだとつらいものですが、それを乗り越えられた時は、その分だけ嬉しさをプラスしてくれる気がしますね。
中学の時、バトミントンでダブルスを組んで、試合に出ていました。
最初から調子が上がらず、なかなか点数が入りません。
そんな時こそ、チームワークが大事だと教えられていたので、作戦会議を始めました。
2人でコソコソ話。もちろん、次は私があそこにスマッシュを打つからというような話でしたが、時には、今度どんなユニフォームにする?といった話も。
これが結構対戦相手には効いたりするのです。ダブルスはチームプレーなので、1人がいくら強くてもチームとして成り立たないとどこかで崩れてしまいます。
そして、時間をうまく使うことで徐々に調子を取り戻せたりもします。
劣勢でも1人だったらきっと弱い気持ちになっていたのに、2人だったからこそお互いを励まし合って頑張ることができました。
勝てたら倍喜べるし、負けたら次頑張ろうねと気合いが入りました。
偏食な私なのですが勇気を出して食べてみたものの中に
ごぼうがあります
何となくですが食べる気がしなかったんですね
でもふと食べてみる気になって
食べてみたら・・?
嫌な気分がしなかった・
むしろ、おいしい
そう思って、それからは食べられるようになりました
今でも嫌いな食べ物は、多くて情けないと
時々思うのですが少しずつでも偏食を治せたら
いいなと思っています
私もグリンピースがどうしても苦手で、
でもある時、友達の家でごちそうになったときに
グリンピースのスープがでてきました!!
これはかなり困った・・・と思ったんですけど、
でもせっかく作ってくれたからと覚悟を決めて飲んでみたら、
美味しくてニガテをばっちり克服できました♪
家族や友人に相談出来ないことも「ブログ」なら、
他人でも語れることが出来ました。
例え、ハンドルネームでもつながりあえる空間を見付けられて良かった。
高校1年の夏休み。鳥取に1人で鉄道旅行に出かけました。
ある日の午後に鳥取砂丘へ。一度行きたかったところだったので嬉しかったのを覚えています。
要は巨大な砂の山じゃないかと思うかもしれませんが、それを登って登り詰めて、青い日本海が見えたときの喜びは今でも覚えています。
さて。
問題はその後で発生しました。
鳥取砂丘には当時(多分今も)「砂丘センター」というバス停と「砂丘東口」というバス停がありまして、往路は「鳥取駅」から「砂丘センター行き」に乗って「砂丘センター」で下車し、無事に砂丘に着きましたが、復路は「砂丘センター」からの便がなく「砂丘東口」から「鳥取駅」行きのバスに乗る必要がありました。
で、「砂丘東口」のバス停に着いたのは、夏でしたが、太陽がほんの少し陰ってきた時刻でした。4時か5時くらいだったでしょうか。
果たして、バスはやってきました。それに乗りました。
それがいけなかった、というか、どうやらそもそも、乗るべきバス停の「上り車線」と「下り車線」を間違えていたようです。
ほぼ同じ時刻に、「鳥取駅とは反対側に向かうバス」に乗ってしまったようなのです。
しかも、それに気付いたのは、バスに乗ってしばらくしてからでした。バスが走れど走れど、鳥取駅につく気配がない、というか、街の中に入っていくはずなのに、どんどん景色がひなびて行く・・・
それで、運転手さんに思い切って尋ねてみました。
「このバスは鳥取駅に行きますか?」
「行かないよ。」
がーん。
「では、どこか国鉄の駅に寄りますか?」
「イワミという駅には寄るよ」
イワミ・・・どこ?それ。
頭が真っ白になりました。
次に、ここで考えたことは、「下手に訳の分からない場所で降りてバスの便を失うより、少なくとも国鉄の駅であるイワミというところまで行けば、帰りの列車には乗れるはずだ」ということでした。
そう考えてひとまずの方針を固めたあとは、いつ着くとも知れない「イワミ」を目指して、バスに揺られ続けました。
すると、やがてバスは漁港の見える場所に出てきました。小さな漁船が繋留されていました。あたりは緑に囲まれていました。これまで見たことのない調和のとれた美しい風景でした。バスの運賃表はぐんぐん上がっていきます。それは痛手でしたが、バスはさらに、長閑な風景の中を進んでいきました。
やがてバスは小さな町に入り、「岩美」という駅に到着しました。鳥取から京都方面に3駅進んだところでした。
岩美という駅は(今はどうなっているのか分かりませんが)中くらいの木造駅舎で、駅員さんも居ました。
私は安心して、とりあえず鳥取駅に戻ることにしました。
しばらく待合室で列車を待ちました。駅には、あまり多くの人は居ませんでした。夏休みでしたからクラブ帰りの高校生が少し居たでしょうか。
やがて列車が来ました。もうあたりは随分暗くなっていました。日の長い西日本の夏と言っても、時刻は夕方になっていました。
列車は、今では考えられないかもしれませんが、手動ドアのクラシックな車輌でした。大井川鉄道の蒸気機関車の後ろについているような古いタイプ客車です。(機関車だけはディーゼル機関車に置き換えられていた)
岩美駅で古い客車に乗り、ふと線路端を見下ろしてみると、そこだけなぜか明るくなっていました。
目を凝らしてよく見ると、そこに白い百合が群生していました。
バスに乗り間違え、その後のスケジュールは大いに変更を余儀なくされましたが、見知らぬ漁村を発見したり、駅の白百合を発見したり、予想外の発見がありました。鳥取行の客車に揺られる頃には、こういう旅行も、まあ、いいか、と、思える余裕が出てきました。
1982年、もう27年も前の話です。
最近では、ネットで詳しく調べられるので、時刻表が変わっていた、定休日だったなど、滅多に遭遇することはありませんが、
やはり初めて訪れる土地では、トラブルは付き物です。
地図では通れると思っていた道が通れなかったり、季節によって営業時間が変わっていたりと、流石にトラブルが皆無とはいきません。
グループで行った時はそうはいかないこともありますが、1人の時はそういうトラブルを良い方に転がすことに熱意を注いだりもしてしまいます。
予定の変更も1つの楽しみと考えられると良いですね。
職場の同期と研修を終えてバラバラになるので、卒業旅行をしたときUNOをやりました。
一番負けた人が罰ゲームをすることになっていて、その罰ゲームが物まねをするというものでした。
15人いたので、まさかと思っていたのですが、一番最初に負けてしまいました。
どうしよう…と焦って、しかもあまり話したことのない人の前で物まねなんて…と思ったのですが、思い切って「さんぺ〜です!」と物まねしたらみんな爆笑。
それから段々うち解けるようになって、最後には負けてないのに進んで物まねする人も!
今でも毎年集まって楽しい時間を過ごしています。
もう何度か書いたと思うのですが、去年の春に飼っていた猫が亡くなり、落ち込んでいました。半年くらい経って飼っていた猫をもらった実家から電話が来ました。
実家の人曰く、「今度fumie15さんの猫の姉妹の猫の写真集を出すので、ついでにfumie15さんの猫の写真を出さないか」という連絡が来ました。母が電話を取ったのですが10年以上連絡がとらなかったこと、猫が死んで半年で連絡がきてまだ落ち込んでいて写真を見返すことができなかったことなどから、曖昧な返事をしてしまったらしいのです。
それからさらに半年、ふと思い出して某人力検索サイト(ごめんなさい、はてなではないです。)に質問してみました。実家の思い出せる限りの情報をぼかして(実家の人に迷惑がかからないようにするため)、住んでいる地方、母猫の名前などを書き込みました。
正直期待はしていなかったのですが、すぐに書き込みがありました。そして2個目の書き込みでそれらしき情報が。。。
ドキドキしてさらに情報を待ちました。そうしたら住んでいる所、母猫の名前、本の作者と実家の人の名前がよく似たサイトの情報が書き込まれました。 サイトにいってみるとまさにビンゴでした。結構有名なサイトだったようです。猫ブログ界?では1,2位を争うサイトでした。サイトが見つかった日はちょうど猫の命日の前日でした。
うれしかったですね。サイトで死んでしまった猫の姉妹の写真がみえるというのは。 しかしまだ写真集は買っていません。写真集をみると姉妹だけあってそっくりで飼っていた猫を思い出すので。今はまだ無理ですがいつか買いたいです。
兄弟漫才師・中川家の弟が兄によく言っていた言葉ですが、これっていい言葉ですよね。
この言葉を聞いて以来、仕事や生活の中で突如ピンチに襲われたときには、この言葉を繰り返し唱えて自分に言い聞かせ、気持ちを前に向かせます。ダメもとでも何らかの行動を起こすことによってピンチから逃れることができることもあるし、ダメでも行動を起こしたことで経験になります。また、この行動がきっかけとなって新たな世界に出会うチャンスが訪れることもあります。
最近はあまりしていないのですが、以前はよく寝る前に布団の中で一日の〈よかった探し〉をしていました。
ちょっと困った出来事でも、このくらいですんで良かったと思おうとか、ささいな「よかった」を探したりしました。
そして感謝しつつ過ごすと、なんとなく物事が少しづついい方向に進んでいくような気がしました。
気付かないくらい、少しづつゆっくりですが、効き目はあると思います。
今の家はたった4日で決めました。
家探しをしていて、折りよく新聞のチラシに入ってきた小さいチラシが一枚。
中古住宅のチラシでした。
家を探していたわが家族、予算も広さも予定内なので、近所の義理父に電話したら、
フットワークの良い義理父は、開店同時に販売会社に電話して見学を取り付けました。
その午後に義理父、主人が見学、私が翌日見学。
予算も立地条件、部屋数、大きさもぴったり。
欲しい!!欲しい!!!!
でもここで決めていいの?
まだ良い物件がでたら??
最近の物件はあの事件もあったし・・!!
もう家族は、最終的に『おまえはどうなの?お前がOKしたら買うよ!!』と。
そんなぁ・・・今までの人生で一番高額な買い物なので悩みました
でも、こんなに良い物件、もう出ないかもしれないし・・・と清水の舞台から飛び降りる気持ちで、
『ここに決めます!』と私の一声。
決めてからは早かった!
12月に初めて見てから、引越したのは2月の終わり。
引っ越して良かった事は、校舎も新しい小学校が近くにあり、冬場は気が付かなかったけど、向かいの公的施設の持つ林の借景もある。
借景の緑を窓から見て季節を感じられるオマケ付でした。
そしてご近所の人々も良かった。
ここで子供と一緒に育っていく家を手に入れて、あの時決断してよかった!!と思っています。
今住んでいる町に越してきて間もないころ。
朝の天気予報では大丈夫だったはずなのに、夜8時過ぎの帰宅時には土砂降り。
駅から家まで徒歩20分ほど。
ビニール傘を買おうか、タクシーに乗ろうか、考えはしたんですが、ほろ酔い気分も手伝って「よし、歩いて帰ろう」 学生時代のように無茶苦茶に濡れて帰るのもいいかなって思ったんです。
季節も夏だったし、安物の服を着てたっていうのも。ありましたし
そしたらぼくの後ろを歩いていた紳士が傘をさしかけてくれて「入りませんか?」って。
ぼくがかわいい女の子ならともかく、40を過ぎたおっさんですよ。
そのおっさんに見ず知らずの紳士が声をかけてくださるとは!
驚きのあまり笑いそうになってしまいました。
そのお申し出は丁重に辞退したのですが、いっぺんにこの町が好きになってしまいました。
いいところに越してきたなあ、と。
ぼくもこの受けたご恩をなにかのカタチでお返ししたいと、ある日、同じように急な雨に降られている女性に傘をさしかけました。
ナンパだと勘違いされるとまずいので「この傘、安物ですから差し上げます。ぼくはここから家、近いんです。どうぞ」
やはり丁重に辞退されました。
知らない人に傘もらうっていうのに抵抗ありますよね、そりゃ。
でも、いいんです。
こうやって、この町がいい町だなあってみんながちょっとずつ思えると、とても気持ちよく生きていけるのだと思うんです。
そうそう、駅には「善意の傘」コーナーもあって、急な雨の日には傘、みんな貸し出し中になっているんですが、次の日にはちゃんと返ってきています。これもしみじみうれしいなあ。
もう10年以上前、タイにあるイベントの旅行にグループ(20人くらい)で
行ったとき。
自由時間で、友達と2人でショッピングセンターで買い物をしてたのですが、
混んでる店から出てきたときに、私が背負っていたリュックの背中がナイフ
のようなもので切られていて、中に入っていた財布が盗まれていました。
しかも、それがそのグループのお金を入れたものだったのです。(会計を
していたので)
もうパニックになってしまいそうになりました。
幸い、友人がタイ語を話せたので、一応交番にも届けて、少し
冷静さを取り戻したのですが、晩御飯時の集合をした席で
グループのリーダーにそのことを報告しなければならず、
怒られると恐がっていた私。でも報告するとそのリーダーが
怒らずに「まあ、体が無事でよかった。」と言ってくれ、
それで急にホッとして、涙が出てきて。トイレに行って泣いてたら、
タイの人が「だいじょぶですか」と片言の日本語で話しかけてくれて、
ハンカチを差し出してくれたんです。
タイの人にとっては、それは当たり前の行為だったのかもしれません。
でも、日本では考えにくい出来事に、感謝で余計に涙が出てきてしまいました。
ほんとに、「コマッタ」が「ヨカッタ」になった出来事でした。
盗まれたお金は、リーダーはいいよと言ってくれたけど、ちょっとずつ
弁償しました。
土日となると泊まりがけでウチに遊びにやって来る甥と姪。
2人ともチビッコギャング期真っ盛りなので、しでかすイタズラも半端じゃないです。私の目の届く範囲でイタズラしたり暴れたりしてくれる分には、追って後片付けをすれば済むことなのですが、一番困ることは彼らが帰ったあとに起こります。
・いつ、どうやって貼ったのだろう?・・・家具や壁だけでなく、天井にもシールが。
・庭を出たら、突然片足がズボッ!と・・・落とし穴が作られていました。
・庭の花が不自然にたくさん落ちている・・・ちぎって花の蜜を吸ったようです。
・百科事典をめくったら・・・花や葉がカリカリになって出てきた。
・ひっくり返っていた植木鉢を戻したら・・・セミの抜け殻がワサワサ出てきた。
・自転車で出かけようと思ったら・・・いつもの場所にカギがない。
・カレンダーを見たら・・・既に来月の暦になっていた。
…などなど。思い出せば他にもたくさん出てきそう。あらゆる場所にあらゆる痕跡を残していく2人です。
困るにはコマッタなのですが、ヨカッタと思うのは、「この場所では絶対にイタズラしちゃダメ!」という言いつけはきちんと守っていることです。ちなみにイタズラしてはいけない場所は、パソコンや大切な書類が置いてある私の仕事場と、刃物や火気のあるキッチンです。(冷蔵庫も開けるときは一声かけるというきまり)
もう1つのヨカッタは、イタズラにも日々進化があって、遊びに来る度に2人の成長ぶりが楽しめることでしょうか…。
落書きを見れば、平仮名片仮名が書けるようになったんだなぁとか、庭のへんなところから球根が出てきたのを見つければ、種の蒔き方や植物のことをそろそろ教えてもいい時期かなぁとか。怒れてしまうことも、こちらの気の持ちようで楽しくなる…ということなんですが―。
そして、先日、一番ヨカッタと思えることがありました。
暴れん坊将軍(甥)だけが遊びに来ていた日、彼が帰り際に「aicyuの部屋に仕掛けておいたから。」と言いました。私が「何を仕掛けてくれたの?」と聞いても、にやにやして「ヒミツ!」・・・と。ドキドキワクワクしながら、彼のイタズラの痕跡を探しましたが、結局何も見つけることができず、何も起こらず…。多分仕掛けに失敗したんだなと思って眠ってしまいました。
翌朝、ビックリ!!私は、大音量の目覚まし時計のベル音で目が覚めました。枕もとの目覚まし時計がいつもより1時間以上も早く設定されていて、しかも、時計はアルミ缶の中に入れられ、ガムテープでしっかり封をされていました。
少し前の「空き缶アイデアコンテスト」(イエコト・ミシュラン"#033)にあったfusakoganeさんの缶を目覚まし時計の拡声器にするアイディアに似た感じの仕掛けです。慌てて缶の封を開け、ようやくベルを止めることはできたのですが、耳はガンガン。もう一度寝る気にはなれず、おかげで久々の早起きをしてしまいました。いつもより1時間多く仕事ができたことがヨカッタです。
その日のライブは、ちょっと特別でした。私は、突然入院してしまった友人のピンチヒッターとしてギターを握っていたのです。数曲演奏してギターのソロに入った所で、ピキン・・・・と2弦が切れました。
2弦。細い方から二番目の弦です。1弦のような端っこの弦が切れるなら、運指的には連続した部分が残りますから、大した問題にはなりません。しかし2弦のような中途半端な所が切れると、音程に隙間が出来てしまい、それを運指でカバーするのは、ちょっと厄介なんです。
そこでふと、ベーシスト、細野晴臣さんの言葉を思い出しました。
「ステージで弦が2本切れたらどうしますか?」
「3本切れなかったことを感謝するだろう」
名言です。
ああそうか。俺はまだ5本も弦が残ってる。5本残っていれば運指なんてどうにでもなる。そう考えると、急に気持ちが楽になってきました。ここは慌てず騒がず、押さえる位置を4フレット上げ、2弦で弾くべき音を3弦にシフトさせます。ここまでは誰でもやるリカバー。さらにここからが「切れたのが2弦でよかった!!」になっていくんです。
ギターを弾く人は分かると思いますが、2弦が切れて3弦と隣り合うことになった1弦は、3弦の桂馬飛びになる位置が、ちょうど1オクターブ上の音になりますよね。オリジナルにはないこの1オクターブ上の音を同時に弾いてやることで、ハードなフレーズの中に、ジャズギターの巨匠 Wes Montgomeryのギターのようなファンキーさが加わったんです。思わぬかっこよさに、弾いている本人もビックリ!!
ギターを弾かない人には何のこっちゃの話になってしまっていると思いますが、要するに、嫌な所が切れてくれたお陰で、思わぬ効果的なフレーズが編み出せた、というわけなんですよね。
楽に対処できる所が切れたのなら、対処の結果も平凡なものに終わっていたでしょう。しかし対処が面倒な所が切れてくれたお陰で、ただのリカバーが新しい創造につながっていったわけです。
入院している友達にも、その時の録音を聞いてもらいました。そしたら、このアレンジ俺も真似させてもらうぞと、とても喜んでもらえました。よかった♪
マスクが店頭になくなって、どうしようかと焦りました。
そんな時、テレビでマスクの作り方をやっていました。クッキングペーパーと輪ゴムで作る手作りのマスクです。実際に作ってみたら、本物のマスクみたいでした。
これを考えた人は天才ですね。物を大切にしようという心意気にも感心しています。
10年近く前の、東京に住み始めて間もなく頃の話です。
どうしてもお金を用立てしなければならないことがあったのですが、
そのお金が無くてピンチのときがありました。
給料日も先だったので、自分の持っているものを売りに行こうと考え
ましたが、遠いうえに荷物が多すぎる。。。
大学には友達がいるけれど、電車で1時間以上かかる場所。
そこで、下宿近くのアルバイト先で、唯一携帯番号を知っている
「Kくん」に電話をして”だめもと”で状況説明してみると
「任せておけ」と嫌な顔一つせずに、友人と一緒に車を出してくれました。
第一印象があまり良くなくて、すこし距離を置いてしまっていた
「Kくん」ですが、その時から心を許せる友人の一人となりました。
その時は本当に困ったのですが、そのおかげで”友人”と呼べる人が
出来たことは、まさに「災い転じて福となす」だったと感じます。
どうしても必要な物を捜している時、幾ら捜しても見つからない場合は、一から部屋の片づけをします。
そうすると、その時には捜していなくても、いつのまにかどこかに行ってしまったものや、すっかり忘れていた物が出てきたりします。
あまり片づけをしていなかった子供の頃は、その傾向も顕著だった記憶があります。
やはり、片づけは大事ですね。……と、やっと必要な物を見つけた時は思うのですが。
他人から見ると散らばっているだけに見えても、本人にとっては的確な場所に配置されている物が多いなんて、言い訳風味(?)な表現もありますが、
あながち、ただの言い訳でもないと思ったりします。
私もいろいろ部屋の中を掃除していると、時々、すっかり忘れていた物が出てきたりします。
この前は小さなバックを見つけました。ランチに行くとき、お財布だけ持って行くよりも、小さなバックに入れて持って行きたかったのでピッタリ!
買おうと思っていたのでさらにグッドタイミングでした。