ディア・ライフ #006


みなさまこんにちは、hazamaです。マーケットを見渡すと、松茸やキノコ類、スダチや山椒の実、梨や柿と、秋の美味しいものがずらりと並んでいますね。うちでは昨夜、友達がお土産に持ってきてくれた讃岐うどんで、「豆味噌うどん秋ヴァージョン」を作っていただきましたw 里芋などの根菜やきのこをたっぷり、そして秋鮭。豆味噌ならではの香味とともに、とっても美味しかったです♪ これ実は、お鍋にいっぱいけんちん汁として作って、別のお鍋で豆味噌を加えて煮込みうどん風にした、一石二鳥のお料理なのです。ぜひみなさまも試してみて下さいね。秋味を、存分に楽しめますよ〜。


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「わが家にお部屋に、ずっとありつづけるモノ」

#006テーマ
「わが家にお部屋に、ずっとありつづけるモノ」


さて、今日は“ディア・ライフ”#006の語らいのスタートです。イエと暮らしのなかにある物語、今回のテーマは「わが家にお部屋に、ずっとありつづけるモノ」。お部屋の家具でもインテリアでも、キッチンツールやデスクまわりのモノでも、毎年の季節のしつらいでも……。とりわけ思い入れの深いイエのモノを、エピソードとともに書き綴って下さいませんか? 子どもの頃からお部屋で毎日を見守りつづけるテディベアや、リビングで家族の歴史の語るメモリアル・アイテム、そんな特別な思いを秘めたモノ、みなさまのイエのシンボルになっているモノ、ぜひお話を聞かせてください。“ディア・ライフ”第6章、今回もみなさまそれぞれの愛しい物語を、楽しみにお待ちしています!


“アイデア・タイトル”
「いつか私も……母の晴れの着物」
by hazama


“メッセージ”


母から譲り受けた着物。そのひとつのエピソードを書いたことがありますが、もうひとつ。今うちにある母の晴れ着。母が結婚の披露宴で身にまとったものです。


実はこの着物、結婚の日に合わせて誂えたものと知らずに、お正月にでも着ようと、お手入れのために実家から持ち帰っていました。ところが先のお盆休みに帰省した時、昔のアルバムを家族で見ていてはじめて知りました。父と母の結婚式のアルバムのなか、披露宴のお座敷で母が着ているではありませんか。「あ、この着物!」。「そうよ、あなたが持って帰ったでしょ」。母はあえて私になんにも言わなかったみたいです。


振袖として誂えたものを、結婚後にお祝いの席で着られるようにとお振りを短く直して、若い頃に何度か袖を通したそう。「袖もお直ししていたし、あまり言うとプレッシャーになるでしょ(笑)」。「なるほど、それも母の愛ですか(笑)。それに振袖じゃなかったから私も気づかなかったよ」。
でもそんなに特別な着物なら、たとえお正月だってちょっと着られない。友達のお祝いの日だってだめ。それはやっぱり、自分の晴れの日にとっておかなきゃ。婚約や結納の日でもいいなぁ〜。


つまりわが家が生まれるちょうどその日から、わが家にありつづける母の晴着。近い将来きっと、私も身にまとえるように、大切にお手入れしたいと思いますw


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※今回の「いわし」ご投稿は10月18日(月)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のピックアップ賞は10月19日(火)に「イエはてな」にて発表いたします。
※〈イエはてな〉では、いわしへ投稿されたコメントと画像をダイアリーに転記しています。できましたら「投稿画像のwidth属性」を450px以内に指定していただけますようご協力をお願いいたします。

いわしの回答(転記)

父譲りのハンダゴテ momokuri32pt

子供のころ、電子工作好きの父のハンダゴテさばきを見ているのが好きでした。私はとにかく「モノ作り」を見ているのが好きで、道路工事からお祭りの屋台の鈴カステラ作りに至るまで、とにかくモノが作られる過程を眺めては、すごいなぁ、ぼくも大人になったらあんなのを作ってみたいなぁと夢を膨らませる子供でした。そんな子供にとって、とりわけ父のハンダゴテさばきは憧れだったのです。

休日になると、父はウキウキしながらハンダゴテを温めはじめました。

「ハンダ付けするぞ、見に来るか?」

「わー、見せて見せて!」

針金のようなハンダがスーッと溶けて、金属と金属の間に染み渡っていく。そして金属と金属をがっちりと一体化させてしまう。これは本当に不思議な魔法でした。その魔法が何十回と繰り返されていくと、いつの間にか豆粒みたいなバーツが見事に組み合わされて、オーディオアンプになったり受信機になったりしていきます。

見ているだけだった私も、その魔法が使えるようになりたいと思いはじめました。父に教えてもらいながら初めて作ったのは、ラジオでもアンプでもない、パーツの切り落としの錫メッキ銅線を十文字にハンダ付けしただけの物でした。ハンダ付け個所はたったの一個所。それでも生まれて初めてのハンダ付け体験は、鮮烈な記憶として残りました。

移り気な子供はすぐにそんなことも忘れて他の遊びに熱中したりしますが、年齢が進むにつれて、再び電子工作への興味が湧き上がっていきました。そこで父に相談すると、工具一式を貸してくれたのでした。本の製作記事を参考にしながら試行錯誤の末に組み上がった第一作は、お世辞にも上手な出来とは言えませんでしたが、そこから本当に音が出た時の喜びは、今でも忘れられません。

「鳴ったよ、鳴った、大成功だよ!」

「おー、すごいな、よし、お祝いだ、そのハンダゴテお前にやる」

「ほんと?!」

「そのかわり火事だけは出さないように、気を付けて使ってくれよ」

「わかった!!」

木製の柄にニクロムヒーター、コテ先は使っているうちにどんどん減っていく銅の棒。それは古い古いハンダゴテでしたが、以来私の宝物となりました。このハンダゴテで、どれだけの工作をしたことでしょう。学校の夏休み工作にも使いました。これでかなり本格的なオーディオアンプも組み立てました。無線の免許を取ってからは無線機作りに熱中。これを使って作った無線機の電波は、世界中に飛んでいきました。

古い古いハンダゴテですから、やがてヒーターが切れて使えなくなりました。でも、長年使い慣れたハンダゴテは、いつの間にか自分の手の延長のようになっていました。使い込んだ木の柄が、一番私の手に馴染みます。これでないと、精密な作業がはかどりません。新しいコテを買うのはやめにして、サイズの合うヒーターだけを探して修理することにしました。

最近の半導体素子はとてもデリケートです。高速な動作を可能とするために、電子が通り抜ける皮膜を極限まで薄く作ります。ですから、ハンダゴテのヒーターから漏れ出す微少な電気でも壊れてしまうことがあるのです。でも今度のヒーターなら大丈夫。昭和レトロのハンダゴテが、高絶縁のセラミックヒーター搭載に生まれ変わりました。

こうして、小学生のころから使い込んでいるハンダゴテは今も現役です。いまはもう、このハンダゴテと共に過ごした年月が、人生の半分をはるかに超えています。これから先もずっと私の最高のパートナーとして、私のライフワークを支え続けてくれることでしょう。そんなハンダゴテが、私の部屋に「ずっとありつづけるモノ」です。

親譲りの工具 TomCat1pt

うわぁぁ、私にも父譲りのハンダゴテがあったんですよ。でも、ヒーター周りの金属カバー部分がボロボロに腐食してしまったので、ついにお蔵入りになってしまいました。そうかあ〜。取っ手部分だけでも生かせればよかったんだなと、今改めて反省しています。

まだ、一応捨てずに保管してあります。自分で買った小型のコテは、もうそれが手に馴染んでしまっていますが、あの懐かしい木の取っ手も、今後何かに生かしていきたいと思います。ごつい取っ手ですから、少し大きな100Wくらいのコテを作ろうかなあ。

ハンダゴテは電子工作好きにとっては魂のようなモノ。私も親譲り魂を受け継ぐハンダゴテを、蘇らせてみたくなりました。

ハムスターのケージ watena2pt

中学生の頃、ハムスターを飼っていました。出会いは某ホームセンターでした。今は法律がしっかりして、ちゃんとした許可を受けたお店でなければ動物の販売は出来ないことになっていると思いますが、そのハムスターはとても動物を置いておくには適さないような場所に置かれていました。しかもケージには半額処分品の赤い札付き。一匹だけ売れ残ってしまったのでしょう。見ると、いかにも元気が無さそうな様子でした。

その時私は、工具を買いにその店を訪れていました。小遣いを貯めて、念願のハンドドリルと、何種類かの太さのドリルの刃を買うのが目的でした。一度は工具売り場に足を向けましたが、元気の無さそうなハムスターがどうしても気になります。結局戻って、そのハムスターを買うことにしました。買うというより、気持ちは救出です。回し車の付いた小さなケージとハムスター用のフードも一緒に買ったので、結構な出費になりました。当初予定していたハンドドリルより高い金額です。もうドリルは買えません。

イエに帰ると家族は留守でした。ハムスターを私の部屋に連れて行き、こういうことに詳しい友達にさっそく電話。うちに来てもらって、ケージの中をハムスターに快適なように整えてもらい、詳しい飼い方を教えてもらいました。飼い方の解説本も貸してもらいました。

ハムスターは、連れてきた当日はだるそうにしていましたが、一晩たつと元気が出て、回し車を回して遊べるようになっていました。しかし、回し車の音は結構大きく響きます。このまま黙って部屋で飼うわけにはいきません。日曜日でイエにいた父をつかまえて、もしこれこれこういう状態の生き物が売られていたらお父さんならどうする?と聞いてみました。父はしばらく考えていましたが、「何匹もいたら一人の手には負えないけど、一匹ぐらいなら助けるつもりで買ってくるかもしれないな」と答えてくれました。

しめた、と思いましたが、もう一問ダメ押しです。「でも、突然そんなの連れて帰ってきたら家族が驚くだろう?生き物なんてダメと反対する家族がいるかもしれないぜ?」。すると父は「よその家ならそうかもな、でもこの家ならお前も母さんもすぐ分かってくれる、だろ?」

ちょっと待っててと部屋に行き、ケージごとハムスターを持ってきました。「実は、ほら」と見せると、父は大笑いしながら「一杯食わされた!」。でも男に二言はない、そういう事情ならこれはうちで飼おうと言ってくれました。

父に呼ばれて事情の説明を受けた母もすぐに可愛いと気に入ってくれて、晴れてこの子は正式に我が家の一員と決まりました。名前は母が付けました。命名ルナ。ゴールデンハムスターがまん丸くなって寝ていると満月みたいだからというのがその理由です。父は、どちらかというと栗饅頭だなと言っていましたが(笑)。

とにかくルナはその日から我が家の人気者。それから約5年、病気ひとつせず、元気に過ごしてくれました。しかし、ハムスターの4〜5歳は、奇跡に等しい長寿です。やがて回し車の音が聞こえない日がやってきてしまいました。人間と同じように一晩お通夜をして、大好きだったリンゴをお供えして、翌日埋葬しました。

でも、全てが終わってしまったのに、どうしてもケージを片付けることが出来ません。みんな一度はどけようとしましたが、ぽつんと空いてしまうスペースが寂しすぎるので、すぐに戻してしまうのです。

「無理にどけなくてもいいじゃないか、置いておこうよ」「そうね、私の実家も亡くなった父の部屋、そのままにしてあるのよ」「お義父さんとハムスターは一緒か」「いいのよ、父も動物好きの人だったから」「あはは」「うふふ」。こんな父母の会話。ちょっとだけ我が家に笑顔が戻りました。

それからずっと、そのケージはインテリアのように、部屋の中に置かれ続けています。悲しい別れのメモリアルではなく、可愛い家族と楽しく過ごした日々の記念として、です。今はもう、すっかり我が家の風景の一部に溶け込んでいます。

幸せなハムスター TomCat1pt

そうなんです。今は動物取扱業を行うにあたっての届け出や、遵守すべき基準、行政による監督などの法制度が作られていますが、一昔前は命ある存在が物のように扱われている例も少なくありませんでした。

そんな劣悪な環境の中から救い出されて、5年にも及ぶ長寿と幸せを得たルナちゃん。私も動物が大好きですから、本当に涙が出てしまうようなお話です。

とても素晴らしいと思ったのは、そのルナちゃんのケージを、悲しい別れの記憶からではなく、一緒に過ごした楽しかった日々の記念として部屋に置き続けているということです。

きっとルナちゃんも、watenaさんご一家との楽しい毎日の思い出を両手一杯に抱えて、天の国に旅立っていったことでしょう。そして今でも愛する家族の皆さんを見守ってくれていると思います。

技術・家庭の授業で作った椅子 Oregano2pt

背もたれのない、シンプルな木の椅子です。中学の技術・家庭の授業で作りました。木工作好きの私としては、大の得意分野。ほとんど会心の出来映えでした。ところがです。採点が終わって返ってきた私の椅子は、脚に嫌なイタズラをされていました。わからないように切れ込みが入れられていて、座るといつか折れて倒れるようになっていたんです。

先生、これ見てよ、どういうこと?心を込めて作った作品を台無しにされた私は、悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。先生も驚いた様子でしたが、採点は終わって君のは最高得点だから、これはもう捨ててくれ、と言われてしまいました。

捨てるなんて、とんでもありません。一度作り上げたら、それはもう自分にとっては子供も同然です。持って帰って直しますと言ったら、先生はそうかと言って、授業で余った角材を分けてくれました。塗装に使ったニスも、違うのだと色が合わないからと、空き瓶に取り分けて渡してくれました。「薄め液は危険物で出せないから自分で買ってくれ、あと刷毛もな」「ありがとう先生」。

イエに持ち帰り、週末、修理に取りかかりました。まず、切れ込みを入れられて台無しになってしまった脚の除去ですが、中学生の工作とはいえホゾを掘って組み立ててあります。この部分の工作精度が良かったのが会心の出来の理由ですから、頑丈でなかなか外れません。やっとの事で除去完了。続いて、先生にもらった角材を加工して新しい脚を作ります。ホゾ部分の加工は手間がかかりますが、お!やっているうちに楽しくなってきました。修理という作業は、作る作業以上に面白いではないですか。

塗装も楽しい。すでに塗装されている部分と色を合わせる作業は、最初に作っていた時には無かった作業です。学校で分けてもらったニスは、塗装と着色を兼ねるニス。一度に濃く塗ってしまうと色が合わない恐れがありますから、薄目に溶いて塗っていきます。速乾ニスなので、乾きは早いです。乾いたら耐水ペーパーで磨くべし、磨くべし。ひたすら磨いてツルツルにするべし。色を見ながらさらに重ね塗り。できました!またもや会心の出来映えです!

完成品を学校に持っていって先生に見せると、ただ作るだけではなく作った物を愛する心を学んでくれた、先生はうれしいぞと、とても喜んでくれました。その椅子を教室に置いていたら、数人の男子が、ごめんよ、あれ俺たちがやったんだ、ちょっとしたイタズラ心だったんだけど、君がこんなに大切に修理するとは思わなかったと謝りに来てくれました。

いいんだよ、作るより直す方がずっと面白かったからと答えると、へぇ、そういうもんなのかと、ちょっと驚いた顔をしていました。そんな思い出のある椅子が、私の部屋にずっと置かれ続けています。

修理することで更に愛着が深まる TomCat1pt

これはいいお話です。もしその椅子に何の事件も起こらなかったら、ここまでの思い入れは生まれなかったかもしれません。禍転じて福ならぬ、いたずら被害転じてリペアする楽しみ、喜びにつながっていった。これはモノ作り好きにとって、本当に得難い経験だったと思います。

その経験が生き続けて、Oreganoさんの今につながっているんでしょうね。その経験を与えてくれた椅子が、今も部屋にあり続ける。これは本当にいいお話です。きっとその椅子も、自分が出発点となって今のOreganoさんがあることを、誇らしく思っていることでしょう。私もモノ作り好きなので、このお話にはグッとくるものがありました。

黄色の鉢巻き Cocoa2pt

私の机の横には、長い鉢巻きが一本、常に掛けられています。ここ一番と気合いを入れたい時に、それをきゅっと頭に巻くのです。そうすると身も心も引き締まります。中間試験や期末試験の時はもちろん、受験の時にも使いました。卒論が間に合わなくて徹夜続きだった時も、この鉢巻きが眠気を吹き飛ばしてくれました。

好きな男子が出来てバレンタインに手作りのチョコを贈ろうと決意した時も、この鉢巻きを使いました。その時は頭に巻くんじゃなくて、これをタスキにしてキッチンに立ってたっけ。ふられて思い切り泣いた後も、これを頭に巻いて「元気出せ私!」なんてやっていました。

今も、特別に頑張りたい時や落ち込んだ時は、この鉢巻きが私の応援団です。この鉢巻きは、小学校4年生の時に運動会で使った物。黄色組の応援団の鉢巻きでした。応援のリーダーは6年生がつとめます。でも、応援リーダーになっていた一人が怪我をしてしまい保健室へ。付き添いで行ってしまった保健係も応援リーダーの一人だったので、黄色組には二人も欠員が出てしまいました。紅組も白組も青組も、応援がにぎやかです。「6年生〜、だれかピンチヒッターやってよ〜」と思いましたが、誰も代役を買って出る人がいないみたいでした。

フレー、フレー、黄色組、三三七拍子、チャチャチャ、チャチャチャ。だんだん応援の音頭の取り方を覚えてきました。私にも出来そう!勇気を出して前の方に行って、6年生の人に声を掛けてみました。「私、抜けた人が帰ってくるまで前に出て応援やります」。「できる?」「今までやったのなら覚えた…と思う」「よーし、頼んだ!!」。

長い黄色の鉢巻きを渡されました。それをキュッと頭に巻いて、声を振り絞ってフレー、フレーとやりました。やっとお昼休み。抜けた二人も帰ってきましたが、「この4年坊が自分から名乗り出て代役やってくれたんだぞ」「えー、そうなんだ、ありがとう」「午後も一緒に応援しよう、その鉢巻き、ずっと使ってていいよ」ということになって、それからもずっと6年生のお兄さんお姉さん達と一緒に応援を続けました。結果は、黄色組は惜しくも2位でしたが、私達応援リーダーは、「頑張ったよね」「うん頑張った」と肩を抱き合って、優勝したのと同じくらい感激していました。

みんなで円陣を組んで、最後の「黄色組〜、ファイト、オー、ファイト、オー、ファイト、オー!」。パチパチパチパチ。鉢巻きを解いて返そうとしたら、「いいよそれ、あなたにあげる、閉会式終わるまでそのまま締めていて、今日のあなたの勲章だよ」。うれしくて、うれしくて、イエに帰るまで、ずっとその鉢巻きを締め続けていました。

ちょっと勇気を出して「私、やります」と言えたから、こんなに充実した一日が過ごせた。こんなに大きな感激が味わえた。結果は優勝じゃなかったけど、頑張れば何でも上手くいくとは限らないけど、でも、ちょっとの勇気が一日を素晴らしい日に変えてくれた。それはもしかすると、人生だって変えてしまうかもしれないすごい力になる。この鉢巻きは、今も私にそんなことを教えてくれます。

これは素敵な鉢巻き TomCat1pt

不思議なモノで、鉢巻きをキュッと結ぶと、なぜか元気が出てくるんですよね。私にも気合いが入る特別な鉢巻きがあるんです。それは青い鉢巻きで、あるイベントでスタッフ腕章の代わりに巻いていた物でした。Cocoaさんの鉢巻きほどのストーリーがあるわけではありませんが、やはりそのイベントのために努力を重ねた記憶、そして一緒に活動してきた仲間との絆などが思い起こされて、キュッと締めると元気が出ます。

ちょっとの勇気が一日を変える、人生だって変えてしまうかもしれない。これは本当にその通りですね。自分に不可能なほどの無理はしようったって出来るはずがありませんが、出せば出せる力なら、それは尻込みせずに出していきたいですよね。そんな力を出すための、ちょっとの勇気の応援団。Cocoaさんの黄色組、私の青組、共にフレーフレーですp(⌒▽⌒)q

古いラジカセ C2H5OH2pt

横幅は25cmくらい、高さは10cmくらい。モノラルのおもちゃみたいなラジカセです。メーカーは東芝。製造年代は分かりませんが、おそらく1970年代か80年代でしょう。これがずっと以前から、わが家では現役として使われ続けています。

昔は子供のいいおもちゃでした。マイクが内蔵されていますから、本体のみで録音可能。変身ヒーローの決めゼリフをポーズ付きで演じて声を録音して遊んだり、当時流行っていた歌を司会入りで歌って録音して楽しんだりしていました。

学校のクリスマス会でやる寸劇の効果音をこれで録音したこともありました。その寸劇は音が主役です。ストーリーは、妖精に魔法の靴を授けられた男がそれを履いて歩くと、次々とんでもない足音がしていくというもの。最初はカランコロンと下駄の音。次はキュッキュッキュッと鳴る幼児のサンダルの音。ここから次第に変な音になっていき、馬のヒヅメの音、ドシーンドシーンという怪獣の足音等が続きます。なんだなんだ、一体どうしたんだと、こわごわ次の第一歩を踏み出すと、オルガンのドの音が鳴ります。うん?二歩目を踏み出すと今度はレ。三歩目でミ。慌てて後ずさりするとレ・ドと鳴ります。ここで男はポンと手を打って、足でジングルベルの演奏をはじめます。音が大きく飛ぶので、そこがかなり無理な大股になるのが笑わせどころ。みんなであれこれ工夫を重ねながら効果音を作りました。これは楽しい思い出です。

茶の間では主に、父のスポーツ観戦用でした。野球や相撲などは、テレビの音声より、ラジオの方がずっと面白いのです。実況アナウンサーが言葉だけで伝えようとする試合の様子は、常に白熱そのもの。それを聞きながらテレビの画面を見るのが、父の好きなスポーツ観戦スタイルでした。トイレに立つ時は、ラジカセをひょいと持ち上げて、電源コードを抜いて持っていきます。ゆっくり返ってきた父は「電池も使えて便利だな」とにっこり。父のトイレは長いことで有名でした。

晦日には風呂場にも持ち込まれました。当時は国民的番組として、日本人のほとんどが見ていたであろう紅白歌合戦。でも父は長風呂でも有名ですから、入浴中に紅白が始まってしまいます。そこで私は毎年、このラジカセをビニール袋で包んで風呂場にお届け。父は「お、きたきた」と上機嫌で、紅白を聞きながら、さらに長風呂を楽しんでいました。

そのうちこのラジカセは、私の部屋専用になりました。これで深夜放送を聞いていたのです。ハガキ職人なんていう言葉がありましたが、私もずいぶんハガキを書きました。そしてかなり採用されました。勉強しているふりをして深夜放送に熱中していた受験生時代。これも懐かしい思い出です。

長い間使っていると、ボリュームにガリが出たりします。ツマミを動かすと、ガリガリ雑音が出るのです。でも古い電気製品はネジを外せば分解が可能なように作られていますから、自分でケースを開けて、ボリュームを取り外して接点復活剤をシュー。カシカシとツマミを動かして馴染ませて再組み立て。はい、直りました。こんなふうに、不調が出る都度自分で手入れが出来ますから、いまだにカセット部分も正常に動く現役バリバリのラジカセとして完動を保っています。

でも、時代が変わり、カセットテープはほとんど使われなくなってしまいました。このラジカセはテレビの音声も受信できますが、それもアナログ放送が終わってしまえば使い道が無くなります。そのうちこのラジカセは、ラジオ専用機となってしまうことでしょう。ラジオだけはどんなに時代が変わっても、従来の放送方式を変えないメディアであってほしいと願っています。だって、昔のラジオは壊れにくく、いまなお20年30年前の物がたくさん現役で動いているのですから。

ラジカセ。 nakki13421pt

うらやましいです。

ラジカセがここまで長持ちだなんて

私は、自分が使うラジカセを持ってるのですが

2台とお別れしたのでそう思っちゃいます

完全にすべての機能がだめになったわけではないのですが

必要な機能が使えなくなって買い換えたんです

(ラジオの機能は・・まだOKだったんですけどね)

手入れも出来ないし・・

うまく長持ちさせる器用さもないので

自分が電気製品を長く持たせるのは大変なのですが

頑張って長持ちさせたいです

思い出のコーヒーカップ CandyPot2pt

白地の下の方に、篭に植えられたお花の模様が並ぶコーヒーカップ。大好きなお友だちからもらったカップです。その子を仮にMちゃんと呼びますね。

Mちゃんは、小学校に上がって最初に仲良くなったお友だちでした。やさしくて、かわいくて、とってもすてきな女の子。私はMちゃんが大好きでした。家も近かったので毎日一緒に登下校。学校での休み時間も、いつも一緒でした。

Mちゃんは1年生の時から、自分専用のカップを持っていました。お父さんとお母さんがコーヒー好きで、カップにもとても凝っていたので、Mちゃんも自分専用のがほしいと言ってみたら、買いに連れて行ってくれたのだそうです。もちろんMちゃんが飲むのはホットミルクやココアですが、自分のカップがあるなんて大人みたいです。

「自分で選んだの?」

「そうだよー。いっぱい見て回って、これに決めたんだ」

「とってもかわいいカップだね」

「でしょー。私の宝物」

Mちゃんのおうちでおやつをご馳走になったとき、Mちゃんはそのカップで、とてもおいしそうにミルクを飲んでいました。宝物と言えるカップを持っているなんてうらやましいなと思いました。

それから数年。私とMちゃんはずっと仲良しで、学校が終わると、毎日のようにどちらかの家で遊んでいました。ですから、それからも何度もMちゃんの家でおやつをご馳走になることがありました。そのたびに見ていたMちゃんのカップ。それはいつの間にか、Mちゃんのイメージの一部になっていたと思います。かわいいお花の模様が、やさしいMちゃんにぴったりでした。

でも、そんな仲良しのMちゃんと、お別れしなければならない時がやってきてしまいました。私が引っ越しをすることになったんです。Mちゃんは、すごく泣いてくれました。私も泣きました。手紙書くし、電話もするし、私たちはずっとずっと友だちだからね。そう約束しましたが、もう会えなくなってしまうと思うと、お別れは本当に辛いものでした。

そんなMちゃんが別れぎわに贈ってくれたカップ。それがお部屋にずっとありつづけるモノ。毎朝お揃いのカップでミルクを飲んで学校に行こう、夜もお揃いのカップですごそう、私たち離れていてもいつも一緒だから。そう言って渡してくれました。

私が住んでいたのは小さな田舎町でしたから、お店の数なんてほとんどありません。実は私、何度かMちゃんのとお揃いのカップがほしいなと、売っているお店を探したことがあったんです。でも、地元のお店では見つけることができませんでした。大きな町に出た時にも探したことがありますが、やっぱり同じでした。Mちゃん、どんなに苦労して、同じ物を見つけてくれたことでしょう。

時間がたち、大人になるにしたがって、Mちゃんのやさしさがどんどん強く伝わってくるコーヒーカップ。大切な大切な宝物のカップです。もちろん今でもそれを愛用し続けています。Mちゃんとの友情は、今も変わらず続いています。

私にもあります。コーヒーカップ nakki13421pt

自分にも思い出のコーヒーカップがあります

高校の時の修学旅行時に購入したものです

(もう・・10年以上前のことです)

でもそのコーヒーカップ

とっての所が少しかけてるのですが

思いでのカップなので捨てられないですね

デザイン的にはシンプルなものなんですけど

生け花 shig552pt

とかく物があふれ雑然としてしまう私の部屋です。でも窓際のフロアの一角や整理タンスの上にはいつも、花があります。決して高価な物ではありませんが庭から摘んできたり、人からいただいたり、時にはスーパーで新鮮な花を見つけたりしたときなど、生けられる花が交代します。ちょっとした花や緑があるだけで部屋が落ち着くのです。

先日、コスモス畑に行ってきました。見渡す限りコスモスが咲いていて、それはそれは感激でした。元々は田んぼだったところに種をまき、一面のコスモスにしたところです。メインになる場所は摘み取りはご遠慮くださいとのことですが、それ以外では摘み取り自由。両手に抱えるほど色とりどりのコスモスをいただいてきました。

車に揺られているうちに首をうなだれてしまったコスモスですが、水切りをしてあげると元気を取り戻しました。部屋だけではありません、玄関を入ったところに大きな花瓶で飾りました。短くなった花は一輪挿しで洗面所や本棚、廊下の角などいろいろなところに飾りました。この季節だから味わえる彩りと香りを楽しませてもらっています。

部屋に花があると結構気を遣います。花が終わりになってきたら摘み取らなくてはなりません。花粉が落ちてくる花もあります。水がなくなっていないか、日光が当たりすぎていないかなども気になります。先日の大きな花瓶に生けたコスモスでは、花瓶の周りに黒い物が落ちていました。そうです、花に虫が付いていたのです。そんな心配もしなければなりません。でも、それも生き物だからこそのことです。花や緑があるおかげで、気持ちも安らぎ、生活(Life)も豊かになるように思います。「わが家にお部屋に、ずっとありつづけるモノ」それは「身近にある花」といえると思います。

季節を飾る室礼が常に在り続けるイエ TomCat1pt

物質的には常に入れ替わっていても、季節を飾るという思いと行動と空間が常に在り続ける。今回のテーマは、そういう捉え方でも良かったんですね。

私も花を生けるのが好きで、時々野の花などをちょっと頂いてきたりしています。自然の花の中には、摘んでしまうとそれで株がダメになってしまったり、花自体もすぐに花びらが落ちてしまうものがあったりしてり、野にあるからこそ美しいという花が少なくありませんが、今の季節はノコンギクなどが綺麗ですよね。こういう株立ちする花は、ちょっとくらい分けてもらっても、株は傷まないので大丈夫。

お月見の時には、ススキもごっそり頂いてきました。これも生えるなと言っても次々新芽を伸ばしてくる強い植物ですから、穂を取るくらいならダメージにはなりません。

自然の声を聞き、自然を痛めないように配慮しながら、ちょっとだけ分けてもらってイエに連れてくる。そして部屋の中に季節感を運んでもらう。そんな生け花はとても楽しいです。

もちろんお花屋さんの店頭でちょっと足を止めて季節の花を選ぶ、なんていう心の豊かさも持ちたいですよね。花を買って帰る道は、足取りも軽やかです(^-^)

誓いのピック TomCat2pt

ピック。ギターの弦をはじく、小さな板のことです。安物なら1枚数十円。ほとんど使い捨てのような物ですが、ギター弾きにとっては指の延長。形状や大きさ、厚さや固さなどには、それぞれこだわりを持っています。

かの元祖早引きギタリスト、リッチー・ブラックモアは鼈甲製のホームベース型。強いアタックの効いた音が生み出せます。確かなテクニックであらゆるジャンルの音楽を弾きこなすスティーヴ・ルカサー(元TOTO)はティアドロップ型。でも、普通のティアドロップ型よりずっと小型で先端の角度も狭い、マンドリン用ピックのような形状をしています。こんなふうにギタリストそれぞれに、こだわりのピックがあるのです。

私が高校生の頃に使っていたのは、形は一般的な三角おにぎり型でしたが、色が変なピックでした。白と赤と青のまだら模様。みんなに趣味が悪いと言われていましたが、それが手に馴染んでしまったのですから仕方がありません。私はそれを水槽の中のリュウキンになぞらえて「金魚のピック」と呼んで愛用していました。

さて、時期はちょうど今頃でした。文化祭シーズン花盛り。私達3年生は受験を控えていましたが、これが高校生最後の思い出とばかりに、親しいバンド仲間のいる学校の文化祭を回りまくっていました。それぞれが出演するライブの応援です。その中には女子高もありました。

女子高ガールズバンドの体育館ライブは大成功。終わって少しすると、メンバーの一人のギターの子がやってきました。

「お前らいつからあんなにうまくなったんだよ、今日のお前らの演奏凄すぎ!!」

「えへへ〜、あんた達がいてくれたから伸び伸び出来たんだよ、あ、それよりさ」

「何?」

「このあと後夜祭あるから、一緒に残ってよ」

「他校生もいいの?」

「招待券あれば大丈夫、はいこれ」

「サンキュ」

「じゃ、あたし、片づけと反省会があるから」

「おう、またあとで」

一緒にいた連中は別の用事があるからと早々に引き上げてしまい、結局後夜祭まで残ったのは私一人でした。まいったな、男子なんてほとんどいないじゃん、先生に見つかってつまみ出されたりしないかな、などと戸惑っていると、ギターの子が私を見つけて駆けてきてくれました。

「ねえ、各クラブ一つずつステージで最後の発表するんだけどさ、私達アコースティックで何曲か歌うんだ」

「ああ〜、それで残れって言ったのか」

「それもあるんだけどさ、お願いがあるの」

「何?」

「いつもの・・・・金魚のピック持ってる?」

「あ?ああー、あるよ、いつも1枚は持ち歩いてる」

「よかったー、それ、高校最後のライブの思い出に、私にくれないかな」

「こんなもんでよければ・・・・、あ、でもこれ使い古しでボロボロだぞ」

「その方が・・・・いい・・・・」

彼女の頬を、突然涙が伝いました。校庭を照らす照明で、それがキラリと光りました。

「あたし、さ・・・・、卒業したら結婚するんだ」

「・・・・え、ええ〜〜っ?!」

「ずっと前から決まってたんだ、だからこれが高校最後プラス独身最後のライブってわけ」

「・・・・」

「でも、音楽はやめない。いつか子供が出来て、大きくなって手が離れたら、必ずまた活動を再開する。その約束として、私のピックとそれ、交換して欲しいんだ」

「お、おう、わかった。必ずライブに帰ってこい、約束だ」

「うん、約束!!」

私の金魚のピックが彼女の手に、彼女の白いFenderのHeavyが私の手に握られました。後夜祭の彼女のギターも最高でした。もちろんそれは、私のピックが掻き鳴らした音でした。

あれから何年経ったでしょう。その時に交換し合ったピックは、今も私の部屋のギターに、さりげなく挟み込まれています。これが「わが家にお部屋に、ずっとありつづけるモノ」。大切なピックですから外には持ち出しませんが、イエでギターを弾く時は、いつもそのピックを使っています。いつのまにか白いFenderのHeavyが、最も私の手に馴染むピックになりました。

あの時の彼女は母となり、家庭を守る傍らで、たくさんの歌を作り貯めているようです。「ピックの誓い、忘れてないよ」と年賀状が届きました。

ピック canorps1pt

あんなに小さなピックにこんなに大きなお話がつまっているんですね。

私も若かりし頃にお手伝いしていた方たちにいただいたピックが何枚かありますが

ピックにサインをしていただいて大事にしていて、あの頃を思い出すものとなっています。

ピックの誓いを果たす日が楽しみですね。

TomCatさんもがんばって腕を磨いてくださいませ!

テレビ eiyan2pt

当然ながら何処の家庭にでもあるテレビ!

部屋の顔ですね!

最近はそのテレビのリモコンも。

テレビがないと寂しいですね。

でもテレビを見ない家庭も増えている。

テレビがあっても見ないって?

どういう事なんでしょうか?

きっとネットテレビでも見るのでしょうか?

来年夏からはオールデジタル化される。

でもテレビの外観が変わるものでもない。

只、テレビも多機能時代に突入するのでしょうね。

テレビ、パソコン、テレビ電話、FAX・・・。

多機能テレビが家庭の必需品になるのでしょうね。

テレビ。 nakki13421pt

う〜ん・・

TVは、地デジ化されて画質はきれいなんですけど

昔よりはTVはみないですね

生活がTVを中心に回ってるのではなく

ネットとか他にも色々なことがあるから

視聴時間が減るのは当然だと思いますね

・・とはいえ

思い切ってTVを捨てるという行動も出来ないですね

(大画面でスポーツは見てみたいし)

返せなかった本 Fuel2pt

中学生の一時期、図書委員をやっていたことがありました。小学生のころからおちゃらけ者だった私は、中学生になっても騒々しい生徒でした。そこで先生が「図書委員でもやって少し落ち着きを学べ」。他のクラスの図書委員はいかにも文学少年少女といったタイプの生徒ばかりでしたので、私は委員会で浮きまくっていました。

でも、副委員長だった3年女子の先輩はそんな私を見放さず、本というもののすばらしさ、それを生徒に伝えていく委員会活動の意義などを、熱く語って聞かせてくれたんです。そして、私にも出来そうな仕事をたくさん見つけてきてくれました。

「さぁ、今日は本の修繕をするわよ、君、そういうの得意でしょ」

「はい、先輩」

「入り口の掲示板がはがれてきてるから直してくれないかな」

「はい、先輩!」

「ねぇ、図書室への要望を匿名で書いて入れられる箱があったらいいと思わない?今度委員会で提案してみるから、通ったら作ってよ」

「はいっ、先輩っ!!」

私は図書委員会の活動が、どんどん面白くなっていきました。

先輩は私に、色んな本を貸してくれました。最初は日本の文豪の短編集などの簡単に読める本ばかりでしたが、だんだん難しい本になっていきました。

「はい、これが次の君の課題図書」

こうやって、自分の本を次々私に貸してくれます。私はそれを読んで、感想を語ります。でもけっして難しい感想は求められません。

「どうだった?色にたとえると、このお話は何色?」

「うーん、理想と現実、論理と心理、赤と…黒…かな」

これはドストエフスキーの長編小説、「罪と罰」を読んだ時の時のやりとりです。

赤と黒かぁ。よし、じゃ次の課題図書はスタンダールの『赤と黒』に決まりね。書かれた年代が近いから時代背景は似てるけど、こっちの色はどうかな」

こうして、私は読書の楽しみにもひかれていきました。なにより先輩と語り合うことが楽しみになっていたんです。

3学期、先輩の卒業間際。私は初めて呼ばれて、先輩のイエにお邪魔しました。さすがは先輩。部屋には本棚が並び、たくさんの本がぎっしりと収められています。

「この中に、きっと君の人生を変える本があるよ、一冊選んで」

「え?」

「それが最後の君への課題図書。私が貸してあげられる最後の本」

「最後って…」

卒業しても同じマチなんだし、また会えるじゃないですかと言ったら、先輩は「引っ越しするのよ」と…。私は本棚を見渡して、一冊の本を取り出しました。イワン・ツルゲーネフの「初恋」でした。

「これ」

ツルゲーネフかぁ、君は19世紀のロシア文学が大好きだね」

いえ、ただ「初恋」という書名にひかれて、それを手に取っただけでした。この時私は先輩に、そんな気持ちを抱いていました。いや、もう会えなくなると知って、突然そんな気持ちが芽生えてしまったというのが本当かもしれません。

「読み終わったら、感想書いて本と一緒に返送しますから」

「うん」

先輩は短く返事をして、あとは黙って紅茶を口に運んでいました。そのあとは私も、何もしゃべれませんでした。

後日わかったこと。先輩の引っ越し先とは、病院でした。いつも笑顔の絶えない先輩でしたので全く気が付きませんでしたが、心臓に大きな病気を抱えていたらしいのです。しばらくして先輩は、もう本を返そうとしても返せない、遠い所に行ってしまいました。先輩からお借りした「最後の課題図書」は、今も私の本棚に大切に収められています。時々取り出して読み返します。

先輩、私の本棚、見てください。今は先輩に負けないくらいの本が集まっています。本が、こんなに私の人生を豊かにしてくれました。私の人生を変えてくれたのは、本のすばらしさを教えてくれた先輩、あなたです。

返せなかった・・・・ canorps1pt

返し損ねたりしてしまうなんて話は良く聞きますが

このお話はそんな簡単なおはなしではありませんでした。

早くなくなってしまう人っていうのは、まるで長い長い人生を生きてきたかのように

深いものを持っていると実感します。

短い人生を本当に深く濃く生きている。

Fuelさんはすばらしい先輩に出会えたのですね。

今度はFuelさんが先輩からのバトンを回していってくださいね。

神棚 eiyan6pt

仏壇や神棚は家庭の必需品。

無宗教でも何かの祭礼所はある。

これ程信仰心の強い民族。

毎日拝んでますね。

拝む事を禁止している宗教もあるとの事だが、崇拝は大切ですね。

仏壇 adgt5pt

実家に帰ると必ず拝みます。亡くなった祖父母に自分の近況を報告するつもりで色々と考えます。こうやって、ご先祖を大切にする週間を家の中でつけていけば、辛いことがあっても、連続している自分の命をしっかりとかんじて踏みとどまれそうな気がします。

家族の歴史と百人一首 sumike2pt

子どもの頃の家族の、楽しい思い出といえば、何と言っても家族で火花散らした百人一首かるたです。

何歳から始めたかは記憶にありませんが、物心ついた時にはもう参加していました。

父に言わせれば、四〜五歳からやっていたようです。

読み手はいつも父で、早く帰った夜には時々「かるた取りやろうか」という父が声をかけ、

夕食後のひと時を百人一首に熱中したものです。

私の家族の原点は、五人家族で囲んでいた楕円の大きな卓袱台で百人一首に興じた日々かも知れません。

取り手は二人姉弟と母と祖母の四人でしたが、私が家を出る二十歳ぐらいまでやっていました。

一番よくやったのは中学生時代で、姉弟の実力はほぼ互角でした。

百人一首かるたは、普段は百枚をばらばらに並べ上の句を読んで下の句を取る、「散らし」という遊び方が主でしたが、

たまに2チームに分かれて五十枚ずつ持ち、相手チームの札を取れた時はこちらの札を一枚相手の陣地に置き、

早く自分のチーム側の札がなくした方が勝ちという「源平」という遊び方や、作者の名前を読み、札を取る「作者取り」もしました。

私にとっては百人一首かるたは雅な遊びというより一種のスポーツ感覚で、反射神経が重要で、ぞくぞくするような緊張感がとても心地よく、札を取れた時には爽快感もありました。

百人一首かるたは大人も子どもも一緒に楽しめ、色々な遊び方ができる奥深い魅力あふれるゲームです。

しかし、核家族化、少子化で家族の人数が減った今、家で遊べる機会が少なくなっています。

まず読み手に一人取られてしまうので、これはランダムに読んでくれるCD等がもあるので利用するといいかもしれません。

十数年前、これが発売されたと聞いた時、我家でも購入を検討しましたが、父が読む節回しがいいのと母が反対し

結局CDの購入にはいたりませんでした。

父が取る方に参加して、万一子ども達に負けたら大変という、母の配慮だったのかもしれませんw

今、我が家にある百人一首グッツ。

一つは二千ピースからなる百人一首のジグソーパズル。

これは母からのプレゼントで、子どもが生まれる数年前の正月に実家で組み立てました。

これが思いの外大変で(というよりは長く楽しめたといいますか…)結局実家では完成せず、自宅へ持ち帰り

完成までに二週間程かかりました。

実家ではジグソーパズルは、箱の蓋に画かれている出来上りの絵を見ないで作るという妙な伝統があるのですが、

さすがにこの時は途中から母も箱を見ましょうか?と言い出し、見ながらもまた皆で悩みました。

この年は十分アナログな正月を楽しみました。

今はパネルに入れて飾ってありますが、糊づけはしていないので、いつか今度は子ども達と一緒に取り組みたいと思っています。

そしてもう一つが本の補修テープで角を補強した紙箱に入った百人一首セット。

これは私が中学生の時に弟と一緒にお年玉を貯めて買った物です。

もちろん母と祖母からも協賛費をいただきました^^

今はもっと安い価格で売っているかと思いますが、当時はかなりの金額だったように思います。

どうして貴重なお年玉を使ってまで購入したのかといえば、それまでつかっていた木箱入りのものは字が崩してある、趣のある草書体。新しく買った札はとても読みやすい行書体で大きな文字。

この札に変えてから、私と弟の取る札の枚数が飛躍的にアップしましたw

息子がようやくひらがなが少しずつ読めるようになってきたばかりですが、私もその頃から始めたみたいですし、そろそろ百人一首デビューをさせたいなぁと考えています。

最近、耳で聞いただけでとんでもなく長い歌詞や言葉を覚えていたり、教えもしないのに平仮名を覚えては、

どこにいても文字を探して読む(意味などは読んでから聞きます)、といった事もあり、この年頃の子の能力は侮れないものがあります。

まぁ最初から札を取るのは難しいと思うので、まずは絵から入るということで、坊主めくりからかしら。

和歌の韻を踏んだ句や五七調の流れるようなリズムは、まさしく歌のようです。

いつの間にか私には父の読み上げる節回しというかイントネーションになじんでしまっていて、

同じようなイントネーションで読んでいます。

最初は和歌の意味が分からなくても、家族や周りの人が読んでくれる楽しい雰囲気と、札のきれいな絵に、

子どもが何かを感じてくれるのを楽しみにしています。

絵本を楽しむように、百人一首かるたも家族で一緒に親しんでいきたいです。

百人一首が出来るイエ TomCat1pt

今は少人数の家庭が多くなってしまいましたからねえ。少人数家庭が多くなると百人一首がやりにくくなるばかりか、所得が分散して、どうしても一家庭あたりの暮らしが厳しい社会になってしまいます。そのくせ人数に比例しない支出である光熱水費などは各家庭ごとにかかっていきますから、どんどん国民の生活レベルは下がっていっちゃいますよね。

ある意味、みんなが「百人一首の楽しめるイエが理想だよね」と思うようになったら、この国の抱える貧困や格差といった社会問題は、かなり解消されていくのかもしれません。

おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住もうよ、子が独立しても一緒に住もうよ、だって百人一首のメンバーが揃わないもん。そんな社会になったら景気も良くなりそうだなあ、なんて思うのは私だけでしょうか。

なんにしても、百人一首がわが家にずっとあり続けるモノだよ、と言える家庭は、色んな意味で豊かですね。

箪笥 mododemonandato1pt

うちの箪笥はもう20年ぐらいは使っているでしょうか。

木製の六段になっている普通の洋服箪笥ですが、長い間使っている割には傷も無く、まだまだ現役で長く使えそうです。

抽斗を引くと、木の香りがして気分も良くなります

洋服にもわずかながら香りが移るようです。

引くときはスムーズに出来るのに、閉めると、最後にびしっとはまります。

何か工夫がしてあるようです。

やっぱり箪笥などの家具は、木製がいいようです。

陶器の重箱とお節 ekimusi1pt

祖母から受け継いだ50年ほど前の、陶器の重箱。

この重箱は祖母の叔母の結婚式の引き出物にいただいた物とのこと。

丸みを帯びた四隅と少し色あせたようなレトロな梅柄、丁寧に使用しているので今もなお現役です。

祖母が料理に目覚めた私に、10年ほど前に譲ってくれました。

お正月のおせち料理、お彼岸の頃には牡丹餅やお萩を詰めて墓参り、小学校の運動会には、母と共に風呂敷につつんだこのお重に、いっぱいの料理を持ってきてくれたことを覚えています・・・

イベントにはいつもこの重箱が出てきたように思います。

私にとって、とてもなじみ深く、思い出がいっぱいつまった大切な宝物です。

漆塗りの重箱はハレの日の物というイメージがありますが、陶器の重箱は普段使いにも合います。

そして、料理をいつもよりもっとおいしく見せてくれるのです。

いろんな料理をお重から取っていただいたり、一人分ずつ分けて盛ったり・・・・

おもてなしに、お花見に、七夕の時期にもと大活躍♪

年に一度でなく、頻繁に利用し重箱の魅力をみんなで楽しみます。

祖母からは、重箱と共に我が家に伝わるお節料理の作り方と由来、そして縁起言葉等も改めて教えてもらいました。

我が家のお節料理は、正式な物とは若干違ってちょっぴり洋風アレンジされています。

・野菜のお煮しめ(椎茸、人参、コンニャク、ごぼう、レンコン、里芋、鞘インゲン)

・出汁巻き玉子 (砂糖ではなく、みりんだけで甘みを出します)

・鰤の照り焼き (タレに漬け込むことと、焼く時に小麦粉をまぶすのがコツ)

・紅白ナマス (干し柿入り)

・煮豚(スコッチエッグと一緒に仕込みます)

スコッチエッグ (鶏卵使用)

・黒豆(古釘を入れて煮ると皮の表面にシワが寄らないようにします)

・昆布巻き(にしん入り)

・田作り(くるみと和えます)

いつか娘にも「ひいばあちゃんのお重を大切に使ってね」と渡す日を楽しみに、お節料理のレシピと、重箱を開ける楽しみを伝えたいと思います。

こんな回答でいいのか? tobakouta1pt

家の水槽で飼っている金魚。目が見えなくなっていますが、

今でも他のペットより長生きしています。

親父の工具箱 maruiti1pt

親父の両開き工具箱。

金槌、ペンチ、ニッパー、鋸、錐、レンチに精密ドライバーに大きなプラスとマイナスのドライバー、カンナにラジオペンチ。

千枚通しに肥後守(ひごのかみ)そしてカッターナイフに金やすりにサンドペーパーそしてボンドに接着剤。真鍮ブラシ

ビニールテープに絶縁テープ。ねじに釘も、様々な形、種類のモノが入ってました。

小さい頃、親父が工具を使うのを見ているのが好きで、なんでも出てくるその箱はまるで宝箱のようでした。

なぜか工具箱を見ているとわくわくする・・・・これは自分に限らず男の半分以上は、工具類が好きだと思われます。

工具箱 ― そこには多種多様な工具が整然と収められていて、例えそのうちの半分以上は数年に1回しか使われないものだと

しても、「何でもできそうな感じ」をかもし出すという重要な機能を果たしているんです(笑)

小学生になってからは見ているだけではなく、親父一緒に物作りをし「ここをこうしようか?」とか

「なんでうまくできないんだろ?」等、熱く語り合ったもんです。

夏休みの工作も親子共同で取り組み、小さなものでも、親子で何かを作り上げることで親子の絆が強まった気がします。

結婚して家を出る時に、工具箱を渡されました。

親父が使っていたのと同じ形で色違い。

中には金槌、ペンチ、ドライバー等、基礎的な物だけしか入っていませんでしたが、それから十数年の間に

必要なモノを少しずつ揃えていきました。

現在は金定規にカッターやハサミ、セロハンテープ、ビニールテープにピンセット、油性マジックなんかも入っていて、工具箱と道具箱の合いの子のような状態です。

息子はこの工具箱があれば、なんでもできる!と思うようで、工具箱を開けると子どもの物作りしたい気分が盛り上がるようです。

ほぼ完成まで自分が作った椅子も、最後の仕上げの釘一本打っただけで息子が全部一人で作った気分になっているのが、まるで昔の自分のよう。

もう少し息子や娘が大きくなり、竹細工や木工ができるようになれば、糸ノコや、小刀なども揃えていく予定。

そうそう、自転車の修理技術、これも子ども達に伝えたいですね。

大人になってからもラジオペンチやニッパーなど、少年時代にいじった工具に触れると楽しいものです。

子どもの成長とともに我が家の工具箱も進化します。

新しい工具を買うために、子どもそっちのけで新しい工作アイディアに挑戦したくなっちゃったり…と、自分の世界も広がります(笑)

ペンチなども使い込むうちに手に馴染むところなんかは、金属とはいえ親しみを感じます。

自分の歴史と家族の歴史が融合した工具箱。

いつか息子が家を巣立つ時には親父からとして、手になじんだお気に入りの道具と彼と共に新しい歴史を刻む工具箱を持たせてやりたいな、と思っています。

ソファー takuto593pt

今は物置状態になっていますが、昔はよく使っていました。とび跳ねたり、寝たりいろいろ使いました。また荷物を整理して、使いたいです。

ソファー eiyan2pt

ソファーは必要な時は便利だけど使わない時には邪魔ものですね。

これを移動したり形を変えたりして利用すると便利なんだけど、何かの工夫が必要だね。

その点子供は何でもおもちゃにしてしまうね。

祖母お手製の綿入り半纏 offkey1pt

今、私は綿入り半纏を着てキーボードを叩いています。

朱色の地に黄色の絣がついた生地で裏地も朱色。襟は黒。

この半纏は学生時代の私と妹へ祖母が手作りしてくれたものです。

祖母とは同居していなかったので、お盆やお正月に会うくらいのものだったのですが、いつも行くたびに祖母は元気よく笑っておしゃべりが大好きで、当時まだ独身だった叔母たちや母親ととりとめのない雑談をしていたのをよく覚えています。

私は隅っこでその話を聞くともなしに聞いていました。

そして帰りはいつも祖父が途中まで送ってくれて、お土産に地元の名物菓子を持たせてくれるのです。

祖母は体を動かすのが大変だったのでいつも家の中での見送りでした。

そんな祖母がきっと夜なべをしてくれたのでしょう、目の覚めるような鮮やかな朱色と黄色の絣の綿入り半纏を小包で送ってきてくれたときにはかわいらしい色合いがいっぺんに気に入りました。

そうはいっても当時私はそれほど寒がりではなく、家も冬は暖房を思いっきり効かせるので実は着る機会がそれほどありませんでした。たまに凄く寒いときに着ていた位で、そのうちもったいなくて箪笥の中に大事にしまっておくこととなったのです。

さて、時は流れ、祖母も永眠し私も綿入り半纏を貰ってから30年近く経ちました。

若い時期を通り過ぎてみるとあれほど薄着でも大丈夫だったのが、すっかり寒がりとなってしまいました。

カーディガンを着たりしてはみてもどこか寒い。

そんなときにふと昔貰った半纏のことを思い出してしまってある箪笥から出してみました。

あまり着ていなかったこともあって、色は当時のまま綺麗です。なにより朱色がこの寒さから守ってくれるような温かさをかもし出しており、早速着てみると極太セーターやカーディガンのような重さがなくて軽いのに暖かい。

今は亡き祖母の太陽のような明るさを思い出しながら、普段着ることにしました。

その様子を、妹が見て

「あっ、この半纏まだ持ってたんだ。随分綺麗だね。私はボロボロになってしまったのでもうないよ」

と懐かしそうに言うではありませんか。

そういえば、妹は夜更かしさんで、受験勉強の時とかこれをよく着ていたなあということも思い出しました。

年月とともに移り変わる衣類でこの半纏がいつの間にか古株一番となってました。

祖母の思い出がいつまでも残るように、大事に着ていきたいなと思ってます。

家族である人形 canorps2pt

あまり明るいお話ではないのですが・・・。

そのカエルの人形が私の手元にやってきたのは10年くらい前のことでした。

私たち夫婦はそのカエルの人形に名前をつけていました。

ちょうどその頃私のおなかには新しい命がやどっていたのですが

悲しいけれどその子は生まれてくることができませんでした。

お寺さんで供養したあと、おなかの子の存在を忘れることがないように

同時期に我が家にやってきたカエルの人形の名前で呼ぶようになって

人形を大事にしていました。

毎年お寺におまいりに行く時には人形を持っていっていました。

はたから見たら変な光景ですね。

長女が生まれて、長女がその人形を気に入ってよく遊んでいました。

お参りに行く時はいつも長女がだいてくれていました。

小さな子供には、まだ私たちがお参りに行く意味もわかっていないし

その人形のこともただ人形として気に入っていたんだと思います。

次女も同様にその人形を抱いてすごし、今度は次女が人形を抱いて

お参りに行っていました。

長女次女が大きくなって、どうしていつも〇〇(人形)をつれておまいりにいくの?

と聞かれて、初めて、お参りの理由。人形の話をしたら、わかっているのかわかってないのか

それ以上は特に何も言わず、今まで同様、人形を大事にしてくれました。

それでも、ぬいぐるみで遊ぶのは卒業したのか?もって遊ぶことは少なくなって

気がつくと、何か言葉を人形にかけてくれている。そんな感じでした。

しばらくして、年の離れた三女が生まれて、同じように三女が人形を抱いて遊ぶようになった頃

長女と次女が「うちは女の子三人だから、男の子は〇〇だけだったんじゃなーい?」と言いました。

ながれてしまった子は初期の頃ですから性別もなにもわかりませんでしたが、

人形の名前は男の子の名前だったので、そういう結論になったみたいでした。

このときはほんとにそんな気がしたものです。

何かあれば、家族の一員として名前を呼んで話題に出したり、ちょっとしたことで話しかけてくれたり

私や主人もよく〇〇について話したり、話しかけたりして、私たちの生活には欠かすことのできない家族となった人形。

人形なのはわかっているんですが、もう一人いたであろう家族としてみんなで大事にしています。

今日もかわらずリビングの真ん中にしっかりと座っています。

今までも、これからも、大事な家族です。

人形とコケシ eiyan1pt

人形やこけしは家庭のバロメーション。

その家のアクセサリーにもなるもの。

家庭訪問で見つけたら”パッ”と明るくなる感じですね!