ディア・ライフ #010 pickup5



みなさまこんにちは、hazamaです。2月10日の「1月のダイジェスト」ダイアリーに、たくさんのコメントをいただき、どうもありがとうございます! この日も全国的に雪模様で、心配の声や、雪を楽しむお話などいろいろでしたね。わが家ではこの冬、猫のミュー君が風邪を引きどおしで、クシャミ連発の日がどれだけ多かったことか(笑)。笑っちゃいけないんですけど、治ったかと思ったらまたコンコンとセキをしていたり。歳をとったからなのか、この冬が特別寒いからなのか、判断しかねています。部屋はあたたかくしているはずなのですけどね。私は寒くて用心した分、今シーズンは風邪引きナシです〜。みなさまも、春が訪れるまでどうぞ充分にご自愛くださいね!


#010 ピックアップ賞・ノミネート賞

さて、今日は“ディア・ライフ”#010のピックアップ賞・ノミネート賞をご紹介します。今回のイエと暮らしをめぐるショート・エッセイ、「家族や友達やいとこたちと……イエ遊びの思い出」のテーマで、ほとんどのタイトルにおすすめスターが付いたほど、充実の一章になりました! 竹遊びから言葉遊び、スゴロク、花火、折り紙、お店ごっこ、釣りごっこ、かくれんぼ、宝探しに人形劇と、懐かし遊びがさまざまに登場し、楽しくあったかなエピソードとともに、イエ遊びの情景を綴ってくださいましたね。なかでもやはり、集って楽しんだ遊びやアナログゲームだからこその素朴なコミュニケーションが忘れられないという思いが多くて。家族やおばあちゃんと過ごした遊びのひとときや、友達と一緒に自分たちで遊びを考え出していた頃のワクワク感を思い出させてくれました!


そんななかから、イエを舞台に小さな物語がいきいきと描き出されたメッセージを、ピックアップ賞・ノミネート賞に選ばせて頂きました。今回のエピソードを読んで、子どもや家族の歓声がわぁっと響くイエには、きっと幸がいっぱい集まってくるんだろうな〜って思いましたw


*今回のピックアップ賞は、2月18日(金)の〈イエはてな Press Room〉の記事にてご紹介させていただきます。

»“ディア・ライフ”のプレゼントはコチラ

「家が宝島、宝探しごっこの思い出」by id:Cocoa


たとえば、テーブルの上に一枚の紙が乗っています。そこには「くまちゃんのおしりのした」などと書かれています。くまちゃんのぬいぐるみの所に行ってお尻の下を見ると、また紙が置いてありました。今度は「かびんのした」と書かれています。花瓶、いくつかあるけどどれだろう。あ、裏に絵が書いてありました。花瓶の横に電話機が書かれています。あそこだ!行ってみると、また紙がありました。そこには「れいぞうこのなか、プリンがあるよ」と書かれていました。わーい、おやつです。


父や母はこんな宝探しを仕掛けるのが大好きで、なんとお年玉が宝探しになってしまったこともありました。お年玉袋の中に最初の謎が書かれた紙が入っています。その謎を解いて次のステージへ。順調に進んで、きっと次はお年玉に到着だ〜と思ったら、なんと出てきた紙には「おしごとのさいちゅうは かならずねているもの なーんだ」と書かれていました。お父さん、これ宝探しじゃなくナゾナゾ!


えぇー、全然分かりません。寝ている物、寝ている物…。何だろう、枕かな?…違いました。枕を見ても何もありません。お仕事の最中っていうんだから何かの道具よねぇ。ボールペンかな?いいえ、これは使い終わった後に寝る道具。そうだ、もう一度紙をよく見てみよう、何かヒントがあるかも。ありました!紙の裏に「ヒント・だいどころ」と小さく書いてありました!


だいどころー。お鍋かな?包丁かな?あ!まな板!あれは使ってる時必ず寝てる!!立てかけられているまな板の裏に、「きのうはおせちのお手伝いごくろうさま。この紙をもってお母さんのところにいってごらん」と書かれた紙が見つかりました。「おかあさーん!」。最後の紙を差し出すと、母はうふふと笑って「はい」とお年玉を手渡してくれました。そして「これは昨日たくさん手伝ってくれたからご褒美」と、もう一つ追加のお年玉袋をもらってしまいました。中を開けてみると、なんとお手伝いのご褒美の方がたくさん入っています。働くって尊いんだ!なんてその時の私が思ったかどうかは不明ですが、このことは大人になった今でもたまに思い出して、「仕事、辛いなぁ」なんて思う時の励ましになってくれています。


こうして家の中で宝探しを続けていると、いつのまにか家中が宝のありかになっていきました。お家が素敵な宝島。今は誰も隠し場所のメモは残してくれませんが、掛け替えられたカーテンや、無造作に置かれた新聞、ありとあらゆる物に、家族の思いや存在という、かけがえのない宝が隠されています。


»このいわしのツリーはコチラから

「模造紙に架空地下都市を描く!!」by id:Fuel


押し入れの中から、くるくると巻かれた大きな紙が出てきました。模造紙です。こんな大きな紙、学校でしか見たことがありません。母にもらっていいかとたずねると、快くOKをもらいました。数日後、イエに遊びに来てくれた二人の友だちと一緒に、この大きな紙に絵を書いて遊ぶことにしました。


「何書こうか」「これだけ大きいんだからマチじゅうの絵地図が書けるぞ」。そこから発展して、まず実際のマチの地図をえがき、それに重ねて、この町の地下に架空の地下都市の地図を空想しながら書いていこうということになりました。対象とする地域は、私たちの小学校の校区全体と決定。この大風呂敷が後で大変な苦労をすることにつながりますが、だからこそ思い出に残る「イエ遊び」になったともいえるでしょう。


まず取りかかったのは、実際のマチの地図を模造紙の上に書いていくことでしたが、これがやってみると何とも難しいんです。自分のマチなんですから知り尽くしているはずなのに、いざ地図に書こうとすると、あの道はどこにつながっているんだっけと大騒ぎ。記憶だけではとても地図が書けません。たしか自治会が作ってくれた町内の地図があるはずと探して、私のイエの周りの地図は見つかったのですが、それは広い校区の一部にしか過ぎませんでした。


結局初日は私たちの町内の地図だけを模造紙に下書きして終了。残りの地域の地図は、クラスの友だちに探してもらうことにしました。でも地図が集まるまで待てないので、校区を自転車で回って直接取材。「あの倉庫、地下室が作れるな」「よし、そこが地上への出入り口だ」などと、想像たくましく足元の下の架空地下都市の様子を思い描きながらあちこちを回りました。


やっと現実のマチの地図が模造紙の上に完成。思わぬ社会科の勉強をしてしまったようです。みんなずいぶんこのマチに詳しくなりました。ここからが本番、地下都市の構想です。


「まず学校の真下に、本物の学校とそっくり同じ物を作ろうぜ」「いいね、建物も校庭も本物と全く一緒」「でも全教室遊び放題、階段抜かし放題、廊下駆け放題」「ひゃっほぅ」。なんという構想。悪い子供たちです(笑)。


地上の各自のイエから、同じく地上の学校や駅までを結ぶ地下ハイウエイも通します。ハイウエイと言っても小学生の構想なので、走るのは自転車。「坂道にならないように平らに作ろうな」「地下道路なら雨が降っても平気だからいいよな」「地上の公園にもつなげようぜ」「どこから出入りする?」「防災倉庫あるじゃん、あそこに地下に通じる階段があるんだよ」「よし、決まり」。


「サッカーと野球のスタジアムが欲しいな」「巨大スクリーンにはゲーム機もつなげて対戦出来る」「ゲームもできるスタジアムか」。
「放送局作ろうよ、地下なら電波は地上に漏れないでしょ」「え、そうなの?」「なら地上のテレビと同じ電波でも混信しないね」。
「俺ここに商店街作る、全部俺の店、俺の経営」「なら俺はこっちに食堂街作る、ラーメン屋からハンバーガー屋まで何でもある」「あ、それなら俺、ここにお祭り通りを作るぞ、一年中お祭りの屋台が並んでて、いつでも遊びに行けるんだ」。
「釣りとかキャンプが出来る場所も欲しいな、大きな池作っていいか?」「ならそこは大きな公園にして、ローラースケートとか凧揚げとか、地上じゃやりにくい遊びが何でもできる場所にしよう」「バーベキュー広場もな」。
「本物の図書館の真下にマンガ図書館作ろうよ、日本中で売られる雑誌とコミックスが全部揃ってる」「テレビのアニメも全部録画してある」「すげ〜〜」。


どんどんワガママな夢が広がっていきます。住宅地の土地はその多くが宅地で占められますが、私たちの地下都市が想定する住人はせいぜい小学校の生徒くらいの数ですから、様々な施設が作り放題です。交通も自転車ハイウエイの他、ジェットコースター、チンチン電車などが地下都市を縦横に走り、行きたい場所によって絶叫しながら乗ったり、ゆっくりのんびり乗ったりして変化が楽しめるように考えました。


地下都市作り構想は一回では終わらず、何回も集まって計画をバージョンアップ。大幅な変更のあった個所には紙を貼り付けて、その上に新しい地図を書いていきました。ただの空想を紙に書いていっただけでしたが、これは本当に楽しい遊びでした。今、住んでいるマチがこんなに好きなのも、子供のころのこうした遊びがあったからかもしれません。


»このいわしのツリーはコチラから

「祖父母の家で折り紙大会」by id:watena


親戚の子がたくさん集まっていたので、おそらくお正月のことだったんだろうと思います。当時私はまだ小学校に上がる前でしたので詳しい記憶は残っていないのですが、とにかく集まった子供達で折り紙大会が始まりました。
折り紙といっても、素材としての折り紙、言い換えれば色紙ですね、それを使った物なら何でもOK。鶴を折る女の子がいたり、大人に教えられながら手裏剣を折っている男の子がいたり。中には折り目をハサミで切り抜いて、開くとレース模様になるなんていう工作をしている子もいました。私はと言うと、なぜか折り紙を切り抜いてクジラの形を作っていました。
集まっていた子供の数は、たしか7〜8人。その人数でどんどん色紙細工を量産していきますから、あっという間にテーブルの上は折り紙だらけになっていきました。畳の上にも、投げて遊んだ手裏剣などが散らばっています。
するとおばあちゃんが、それを真っ白な襖に貼り付けはじめたではありませんか。私のクジラも貼ってもらいました。クジラの周りには、手裏剣が三つ四つ、星のように貼り付けられています。私は水色の折り紙を噴水のように切り抜いて渡しました。それも貼ってもらって、潮吹きクジラさんの出来上がりです。
私達は大喜びで、さらに折り紙細工を続けました。やっこさんや兜などの折り方を教えてもらったり、折って切って開いて雪の結晶のような模様を見よう見まねで作ったり。まだ小さかった私も、色々な新しいことを覚えました。
おばあちゃんはバランスを考えながら、これはここがいいわねぇなどと、次々と襖に貼っていってくれます。気が付くと8畳ほどある部屋の両側の襖に、色とりどりの折り紙が散りばめられていました。
最初は全ての襖が、真っ白の無地の襖紙でした。それがびっくりするほど賑やかな襖に変わっています。襖を開けた時に重なりの後ろになる襖には厚みのない切り紙細工が、前側になる襖には立体感のある折り紙が主に貼られていたと思いますが、それぞれ白い空間を上手く生かして、連続した襖全体が一つの宇宙というか、色紙の天の川になっているような感じでした。
テーブルの上を片付けて、完成した襖を眺めながら美味しいお菓子。ジュースも出てきて、まるで誰かのお誕生会のようです。おばあちゃんは、素敵なお部屋になりましたよ、ありがとうと微笑んでくれました。
祖母は本当に子供が大好きな人でした。そんな祖母が企画した、伸び伸びと遊ぶ子供達の作品で襖を飾っていくという素敵な部屋作り。そこに加わることが出来たのは、なんと幸せだったことでしょうか。これは本当に楽しいイエ遊びでした。


»このいわしのツリーはコチラから

「お部屋で海に挑戦!! 室内磯釣りごっこby id:TomCat


小さな頃、父が作ってくれました。釣り竿は細い木の枝です。釣り針は、輪にした針金をゼムクリップの外径のような細長い形にして、それを「W」型に曲げた物。ずいぶん柔らかい針金でしたので、おそらく園芸用アルミ線が使われていたのだろうと思います。このへんは安全に対する配慮と共に、針の重量を軽くして、ちょっと釣り上げるのを難しくする効果も狙ったのかもしれませんね。糸は「W」型の真ん中にくくりつけられていました。使われていた糸は、おそらく凧糸だったと思います。


魚は、紙に絵を書いて切り抜いた物。口の所には幅5mmくらいの紙の短冊がループになって貼られていました。ここに、針金の釣り針を引っ掛けて釣り上げるわけですね。魚は大きいのや小さいの、丸っこいのや細長いの、色んな魚がありました。いくつか赤いのもありました。これはきっと鯛ですね。一つだけ、タコもいました。タコは頭の上に紙のループが付いています。


そして、寝間着の浴衣の帯が一本。これは海岸線です。床に帯を横たわらせ、その脇に低い椅子を持ってくると、それが海辺の岩場になりました。さぁ、磯釣り開始です。


この遊びには、ちょっとした伏線がありました。夜、目が覚めてトイレに起きると、父がまだテレビを見ていたのです。そこでやっていたのが磯釣りのリポート。私も父の横に座って少し見ていました。うわ〜、釣れた、でっかいです。あれって何ていう魚? 答えは聞きましたが、今はもう覚えていません。でも、お刺身にするとおいしいんだよと言われたのは覚えています。また違うのが釣れました。
「あれもお刺身になるの?」
「なるよ、お寿司にしてもいいね」
うわぁ、海ってご馳走の宝庫なんだ。お寿司お刺身大好きの私は、一匹釣れるごとに豪華な食卓を想像して歓声を上げていました。


「海っていいね、お刺身、いいね」
私があまりに興奮するものですから、
「お父さんもお刺身食べたくなっちゃったよ、明日、お母さんにお願いしてみようか」


そうしたら翌日は本当にお刺身になりました。私はおいしいお刺身を食べながら、釣り〜、釣り〜と、テレビで見た釣り人の格好を真似して、また興奮していたそうです。


この室内磯釣りごっこが登場したのは、その翌日でした。昼間父がいたので、きっと休日だったのでしょうね。貴重な休日のひとときを、父はこんな工作に費やしてくれたのでした。


私は椅子の上の岩場から糸を垂れて、お魚を狙いました。あれ、なかなか難しいです。思った所に釣り針が行かなくて、なかなか釣り上げることが出来ません。そのうち、魚によって短冊のループの大きさに違いがあることを発見しました。釣れる難易度に違いがあるとは、今思うと、すごくリアルな作りです。大きそうなループのお魚を狙って引っ掛けると・・・・。釣れました!! 大成功!!


段々上手になってきましたが、タコはループが小さくてなかなか引っ掛けることが出来ません。う〜、釣れそうで釣れない、イライラします。父が、釣りは人と魚の知恵比べなんだ、どうやったら釣れるかを考えて工夫するんだぞーと声援を送ってくれました。あ、そうか。針の動かし方を工夫して、焦らず慎重に・・・・。あ、掛かった!! そーっと、そーっと。釣れた〜、タコさん釣れたよ〜。


子供の集中力なんて短時間しか続きませんから、これはきっと、ほんの短い時間の出来事だったことでしょう。でも私には、何時間にも及ぶ壮大な釣りロマンだったように思えました。父が、「海は荒海 向こうは佐渡よ」と、歌を口ずさみ始めました(北原白秋作詞・中山晋平作曲『砂山』)。父はこの歌が大好きだったのです。何度も聞いていた歌なので、私も一緒に歌いました。


帰ろ帰ろよ ぐみ原分けて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした


これで、今日の磯釣りは終わりです。私はいつか本当の海が見てみたいと思いました。



»このいわしのツリーはコチラから

「火鉢と遊ぶ」by id:momokuri3


はじめて火鉢という物を見たのは、お正月で行った、おじいちゃん、おばあちゃんの家でのことでした。それまでにも何度か訪れていましたが、いつも夏だったので、炭の入った火鉢は見たことがありませんでした。火鉢の周りは不思議な温かさ。まず最初は、そこでお餅を焼いてもらいました。


おばあちゃんのお持ちの焼き方は変わっています。炭を灰の中にうずめ、火力を弱くしてから餅網を乗せ、その上にお餅を置いたら、紙で出来たフードのような物をかぶせるのです。こうすることによって熱を効率よくお餅の周りに集中し、焦がさずふっくらと焼き上げるんですね。火の上に紙を乗せて燃えないの?見ている私はちょっとハラハラ。こんな珍しいやり方を見ているだけでも、子供にとってはすばらしい楽しみ、冬ならではの「イエ遊び」のひとつになりました。


続いての火鉢での遊びは、あぶり出しでした。ミカンの汁で絵や字を書いて、何と書いたかを当てっこしながら、浮き出す絵や文字の不思議を楽しみます。私のあぶり出しは、よく見るとうっすらと書いた跡に色が付いています。ミカン汁ですから当然ですね。ところが祖父の作ったあぶり出しは、よく見ても何の色も付いていません。すごいな、さすがはおじいちゃん、どうやって書くんだろうと思ったら、なんとおじいちゃんはお酢を使って書いていたのでした。
「酸っぱい物ならあぶり出しになるの?」
「そうねぇ、酸っぱくなくてもあぶり出しになる物があるんだけどね」
と、おばあちゃんがやってくれたのが、砂糖水によるあぶり出しでした。甘い物でもあぶり出しができるんだ。この驚きも楽しい思い出です。


次の火鉢遊びは、くるくるへびさん。これは、丸く切った紙をさらに螺旋状に切り、円の中心だった所を糸で吊って、ヘビのトグロのような形を作って火の上にかざす、というものでした。すると、紙のトグロが上昇気流に乗って回転します。ただそれだけといえばそれだけの遊びですが、螺旋の先にヘビの顔を書いてやってくれたので、私は「くるくるへびさん、くるくるへびさん」と大喜びでした。かわいいヘビさんがクルクル回る姿があまりに楽しかったので、その夜は白いヘビが回転しながら飛んでくる夢を見てしまったほどです。あとでその話をしたら、
「それは縁起がいいよ、白ヘビは神様のお使いなんだよ」
と言われました。


こうした火鉢を使った遊びには火災の危険が伴いますから、現代なら「とんでもない!」と叱られてしまいそうですが、昔はどこのイエにでもあった当たり前の道具でしたから、子供にとっても身近な存在だったんでしょうね。今の子供にこうした遊びを勧めるわけではありませんが、でも防火・消火の備えを十分にした上で楽しめるなら大丈夫。そうした注意が払える大人だからこそ楽しめる懐かし遊びというのもあるのかもしれません。わが家に火鉢がやってきて、今年が2度目の冬。あのころを思い出して、時々あぶり出しなどを楽しんでみています。



»このいわしのツリーはコチラから

「変身ヒーローごっこで地球を守れ!!」by id:Catnip


hazamaさんはアイドルの振り付けレッスンだったとのことですが、私達のアクションを伴う遊びというと、何と言っても変身ヒーローごっこでした。変身ヒーロー物には、仮面ライダーなどのように単独のヒーローが活躍する物と、スーパー戦隊シリーズに代表される複数のヒーロー達が力を合わせて戦っていく物がありますが、みんなで遊ぶなら後者ですね。スーパー戦隊の場合、原則五人以内なら、集まった全員が主人公になれます。


私達は、クラスの班がそのままスーパー戦隊でした。・・・続きを読む

「ちいさなお店やさん」by id:ekimusi


小学生の頃、よく友達にイエに遊びに来てもらっては、お店屋さんごっこをしていました♪


お店屋さんごっこをする前には、ちゃんと売り子さん用のエプロンに客さん用の財布にお金だって手作りしたんです。


エプロンは大きな透明のビニール袋の底と側面を切り、開いて表側に商品の絵やかわいい模様を描きます。・・・続きを読む

「家族の双六」by id:sumike


 二十年ほど前になるでしょうか、私が小学生高学年の頃、正月に2つ下の弟と二人で仲良く遊べと双六を買ってもらいました。
双六といっても、持ち運びの出来るポータブルな、手のひらサイズのもの。
小さな磁石の駒で、やはり小さな小さなボード上で遊びます。
 これを私はいたく気に入り、夜や休日には友達や弟、時には両親も誘ったりしてみんなで何度も遊びました。・・・続きを読む

「イエかくれんぼ」by id:Dictionary


まだ小学生の頃の話しです。
祖父母と一緒に住んでいる従兄弟たちなのですが、月に一度だけその従兄弟&祖父母の家に遊びに行くのが恒例となっていました。


我が家は当時マンションに住んでいたためあまり大きなスペースもありませんでしたが、従兄弟と祖父母の家は二世帯が一緒に住んでいることもあり、一軒家の二階建て、スペースも我が家よりずっと多くありました。・・・続きを読む

「竹あそび」by id:maruiti


自分が小学校に上がった年の年末のある日、親父がなにやら立派な竹を何本も肩に乗せて家に帰ってきた。
友人の竹林の整備を手伝った礼に竹を分けてもらってきたそうだ。
竹を担いできたから何だろうと思っていたら、いいもんを作ってやると言って笑った。


自分はまだ幼かったので見ていただけだが親父は大工仕事が好きだったので、大層張り切って、漬物樽に「こも」を荒縄で巻いて土台を作り、・・・続きを読む

「言葉遊び」by id:mododemonandato


 幼い頃はイエで、いくつも言葉遊びをしていたものです。
 他愛の無い言葉遊びでも、かなり盛りあがった思い出があります。
 保育園の先生に教わった「ぶたのしっぽ」という言葉遊びを、イエでも良くやりました。
 何を聞かれても、返事は「ぶたのしっぽ」と言わなければなりません。


「あなたのお名前は?」
「ぶたのしっぽ」・・・続きを読む

「つりざお人形劇場」by id:MINT


今でも時々見かけることがあると思いますが、糸も何も付いていない(ように見える)のにピョンピョンと踊りまくる紙人形、ありますよね。お祭りなどの人の集まる所でそれを見せながら売っていたりします。私も友だちと行ったお祭りでそれを見て、すごく真似したくなってしまいました。私たちはそれがほしくてほしくてたまりませんでしたが、人がたくさん集まっているので、恥ずかしくて「それください」と言えません。結局見ているだけで終わってしまいました。・・・続きを読む

ダンボール箱でドラムごっこby id:C2H5OH


近くに従兄の家があり、よく遊びに行っていました。今でこそ家が建ち並んでいますが、当時はまだ空き地も多いこれからの町で、従兄の家の周りも空き地に囲まれていました。その時、従兄は六年生、私は四年生でした。
自転車で従兄の家に向かう途中、ゴミ捨て場で面白い物を発見しました。バスドラムを足で踏んで鳴らすペダルです。テレビで見たことがある、間違いない、兄ちゃんに見せよう。・・・続きを読む

「元旦家族水入らずで遊ぶ」by id:offkey


子どもの頃の我が家ではお正月にはもっぱら自宅で過ごすのが慣わしでした。
父は自営業なので決まった休日というものがあまり取れなかったりすることもあります。
また、親戚の家へ遊びにゆくのも、3が日が明けてからとか、お盆の頃に行くのが習慣になっていて、年末年始にどこか別の場所で過ごしたという記憶がありません。
今思えば、決まった休日が取りにくい父としては誰もが休めるお正月くらいは家でのんびりしたかったのだと思います。・・・続きを読む

「夏の花火と畜産祭り」by id:nawatobi_penguin


泳ぐというには川は深くなくきれいでもないし、祖父母の家のいとこたちともそれほど親しい訳でもない。
お互い嫌いじゃないけどどうしたらいいのかもじもじしてました。
昼間にお祭りに連れて行ってもらいましたが、畜産祭りだったのでいとこは出店がなくてつまらなかったようです。
子豚とのふれあいコーナーでよろこんでいるのは自分だけで、血は近くても興味の対象は同じじゃないんだなとやはり気まずく思いました。・・・続きを読む