やぎのくらし

小説家で漫画原作者の矢樹純のブログ

結婚記念日の朝

12月8日。今日は私と夫の4回目の結婚記念日だ。天気は晴れ。
7時に起き、朝食にトーストとミルクコーヒー。朝から頻繁にお腹が張り、痛みも少々ある。
病院で受けた入院についての説明で、「経産婦さんはお産の進みが早いので、陣痛でなくても15分おきくらいに張るようになったら連絡を下さい」と言われていた。結婚記念日が子供の誕生日なんかになったら“10回目の結婚記念日に夫婦二人だけでレストランでディナー”などの素敵なイベントが出来なくなってしまうが、夫はファミレス以外のレストランに連れて行ってくれるようなことは無いので、子供が今日生まれても何も問題は無い。
部屋の掃除をしつつ、お腹が張る間隔を見る。ちょうど15分おきだ。痛みはまだ無かったが、病院に電話してみると、「痛みが無い場合、診察の結果によっては入院にならないかもしれないけど一応来て下さい」と言われる。
病院には2時頃に着いた。電話した段階では「入院するかどうかは診察してから決める」という話だったのだが、着いた早々看護師に病室へ案内され、入院着に着替えさせられそうになる。電話を受けた看護師とは違う人らしい。看護師に「まだ痛くないんですが」と言うと、婦長のネームプレートを付けたその看護師は「え、そうなの?」とつまらなそうに言い、「じゃあ帰る?」と意地悪そうに言った。
昼休みで先生が居ないらしく、婦長に内診をしてもらう。婦長は「子宮口が3cm開いてるから、入院した方がいいよ」と言った。そう言われたら誰だって入院するだろう。私に落ち度は無かったはずだ。

子宮口が閉じる

夫と父に、入院することになったと病室から電話する。ここの病院は珍しいことに携帯電話の使用がOKなのだ。さらにここの病院は立ち会い出産が出来る分娩室なので、夫は会社を早退して新幹線でこっちに向かうと言う。間に合わないかもしれないが一応、ということらしい。
その後、お腹にモニターを付けて横になり、張り具合や赤ちゃんの様子などをチェックする。横になって安静にしていると、さっきまで頻繁だったお腹の張りが嘘のように治まっていった。何となく不穏な雰囲気を感じ始める。モニターが終わり、昼休みが終わった医者に再度内診をしてもらうと、医者は「子宮口は1〜2cmしか開いていないので、お産にはまだ掛かるでしょうね」と言った。
開いていた子宮口が閉じる、ということがあるのだろうか。とてもギモンだったがそんなことを口にしてお産の時にわざと痛くされたら嫌なので言えなかった。病室に戻ってぼんやりと困っていると母が様子を見に来る。仕事を早退してくれたらしい。陣痛が止んでしまった、と告げると、精神病院で看護師をしている母は「入院するかどうかの判断を医者じゃなく看護師がするなんてありえない」と病院の対応を厳しく批判した。
母と話をしているところに夫からメールが来る。今新幹線に乗っていて、夜の8時にこっちに着きそうだとのこと。子宮口が閉じた(?)おかげで夫も立ち会い出産に間に合いそうだし、まあいいか、と思い掛けたところ、夫からとんでもないことを知らされる。夫の両親が、明日の朝にこっちに着く便の飛行機を予約したと言うのだ。
無事に健康な子供が産まれて来るとは限らないのだし、まして明日の朝に産まれているかどうか分からないのに、飛行機とホテル(日帰り出来る距離ではない)の予約までして夫の両親が来てしまうというのは嫁としてかなりプレッシャーだ。しかも夫には「あなたのご両親には子供が無事に産まれてから報告して」と頼んでいたのに。
メールで「どういうこと?」と夫を非難すると、「産まれるのが間に合わなくても適当に観光しながら待つって言ってるから気にしなくていいよ」と、何も分かっていない呑気な返信が来た。
その後は病室で持ってきた本を読んで過ごしたが、きちんとした陣痛は始まることははかった。

よく寝ただけでした

夜の10時、夫が花を抱えて病室に来た。夫は間もなく新しい子供に会えるという喜びで単純に舞い上がっており、それに対して私は色々な不満や不安で沈み込んでいた。夫が持ってきた花はやたら香りが強くて枕元に置くと頭痛がした。

陣痛は全く始まっていないが、一応何があるか分からないので夫は付き添いとして私の病室に泊まることにする。夫はデジカメに入れていた路上で変な踊りをする男女の動画を見せてくれたり、私が先日夫の誕生日プレゼントに送ったプレステ2の『魁!!男塾』で新キャラを増やしている、という話をしてくれたが、私は「歩き回った方がお産が進むよ」と看護師に言われて夫の両親が来るまでに産まなくてはと入院してからずっと病院の中をトボトボ歩き回っており、疲れて眠かったので11時には電気を消して寝ることにした。
この段階で、お腹は一応張るものの、痛みは全く無くなっていた。おかげでぐっすり眠ることが出来たが、私は子供を産むために入院しているのだ。どうしてこういう無駄なことになっているんだろう。

出産予定日

12月9日。今日が産婦人科で言われていた出産予定日である。天気は曇り。
病院で出た朝食はご飯と味噌汁と納豆、キャベツのおひたしとツナと豆腐の和え物。全体的に不味かった。
朝の回診ではまだ子宮口が2cmしか開いておらず、今日の夕方に子宮の入り口に水風船を入れ、その刺激で陣痛を起こそうということになった。ここの病院はなるべく自然な形でのお産をさせる主義らしく、「もしそれでも陣痛が起きなかった場合は、明日の朝に陣痛促進剤を飲みましょう」と言われた。私は薬でも何でも使って早く産ませて欲しかったのだが。
困ったことに今晩、夫の両親と私の家族が会食をすることになっている。本当だったら夫の両親は子供が産まれてから来るはずだったので、「無事に赤ちゃんが産まれてお互い良かったですね」という食事会になる予定だったのが、こんなことになってしまって相当気まずいのではないだろうか。
夕方の処置まではどうせ病院にいても暇なので外出させてもらった。歩き回った方が良いのだからとデパートを息子を連れて歩き回り、昼食も外で済ませた。昼過ぎに実家に戻ってシャワーを浴び、一人病院に戻る。そして手術室で子宮口に水風船を入れられた。
水風船を入れてしばらくすると、これまでとは違うパンチの効いた痛みが下腹部に来た。とうとう陣痛が起きた、とホッとする。痛みは15〜20分おきくらい。まだ我慢できる程度の痛さなので、お産が進むようにと夜までまた病院の中を歩き回る。歩き回る合間に卵焼きの野菜あんかけなどの夕食。家族や夫は料理屋で美味しいものを食べているのだろうが、私は貧相な夕食を食べ、薄暗い病院の中をウロウロと歩き回っていた。
11時、さすがに疲れてきて休むことにする。陣痛は5〜10分おき。痛みはまだそんなに強くない。ベッドに入ったところで母から電話が来た。
食事会は無事に終わったが、その席で「陣痛促進剤は危険だ」という話が出たらしい。母は「明日になっても生まれなかったら陣痛促進剤を使うって言ってたけど、もしそうなったら薬使うんじゃなく退院しなさい。むこうのご両親もその方が良いって」と言った。
もし退院なんてことになったら、夫の両親はわざわざ岡山から青森まで来たのに一旦帰らなくてはいけない。それは気まずいどころの話ではない。一瞬物凄く不安になったが、しかし陣痛は来ているのだから大丈夫だろう。電話のあと、ベッドに入って陣痛の時間を計りつつ本を読む。

地獄へ転がっていくようです

その一瞬の不安がストレスになったのだろうか。夜中の12時、あれほど規則的に来ていた陣痛がパッタリと止んだ。
「明日までに生まれなかったら薬は使わず退院」というのが現実になるかもしれない。夫の両親はどう思うだろう。何であの時、看護師は入院した方がいいなんて言ったのか。あんなに歩き回ったのに、どうしてここに来て陣痛が止んでしまったのか。
自分に原因があるのなら後悔も出来るが、多分この不幸は私のせいで起きたのではない。私は空しくなり、これ以上考えていると何か極端な行動に出てしまいそうな気がしたので、眠ることにした。

深夜1時、これまで来ていた陣痛の3倍くらいの痛みで目を覚ます。“本格派”という感じの陣痛である。看護師に陣痛が始まったようだと言うと、「じゃあ水風船が外れたら教えて下さい」と言われた。子宮の入り口の水風船は、入れたあと、直径が3cmになるように膨らませてある。それが自然に外れて出てくれば子宮口が4cm開いていることになり、つまりお産が進行している目安になるわけだ。
陣痛は5分おきで、かなり痛みが強かった。1時間半ほど我慢したが、風船が出てくる気配は無い。この陣痛によって子宮口が開くメカニズム(と母親学級で習った)なのだから、これだけ我慢して風船が出て来ないのはおかしいんじゃないだろうか。看護師に「何か引っ掛かって出て来ないとか、そういうことはないんですか?」と聞いてみるが、「ないと思うけどねー」と言われただけだった。そのうち痛みはどんどん強くなり、陣痛の感覚も3〜4分おきになってくる。

3時、風船は外れていないが、看護師が「じゃあとりあえず分娩室に移動しときましょうか」と言うので陣痛の度に立ち止まって休みながら分娩室まで歩く。分娩台に寝て、ここで初めて内診(子宮口がどれくらい開いたか診る)をしてもらったところ、看護師が「あれ?」というような表情になり、「ちょっと風船出しますね」と言って風船をあっさりと引っ張り出してしまった。そして看護師は「赤ちゃんの頭で風船が押さえられて出て来なかったみたい。子宮口、もう6cmになってるわ」と言い、助産師と医師に慌てて連絡をし始めた。看護師にはお産の時の処置をする資格が無いので、助産師と医師がこの場にいなければ私は子供が産めないのである。

ここでちょっとお産の流れを説明しておくが、陣痛というのはとても痛いので黙っていると力が入ってしまう。しかし子宮口がちゃんと開いてないうちに力を入れると、赤ちゃんは出口も無いのに押し出される形になってしまうので、呼吸法などでいきむのを我慢しながら陣痛に耐えるわけだ。子宮口が全開大となるのが10cmで、その状態でやっといきむことが許されるのだが、そこに行き着くまで力を入れないように我慢するのがとても辛いのである。
ちなみに私は一人目を産んだ時、早朝だったために医者が来るのが遅れ、子宮口が全開になっているのに「先生が来るまでいきんじゃダメ」と理不尽な我慢をさせられた。それは物凄く辛かったのだが、今回も早朝のお産で、そして看護師は慌てて医者と助産師に電話をかけている。私はこの時点で、とても嫌な予感がしていた。

看護師が電話をしている間に私も夫に電話をした。夫は10分後くらいに、医者よりも助産師よりも早く病院に到着した。夫は到着するなり私に「で、もうかなり盛り上がってるの?」とくだらない質問をしたが、その時ちょうど陣痛の波が来ていたので質問に答えなくて済んだ。この頃になると陣痛が来ている間はいきみを我慢するのに精一杯で、会話をする余裕は無い。

母親学級で貰ったテキストに、「いきみを逃すためには、呼吸法を行いながらリラックス出来る風景などを思い浮かべると良い」とあったので、私はその時、すでに1分おきくらいになった陣痛の間、変な呼吸をしながら息子の寝顔と笑顔を交互に思い浮かべていた。
しかし何度も陣痛の波が来るうちに徐々に頭の中が白くなり、「痛い」ということ以外考えられなくなっていく。それでも看護師は「力を入れないで!我慢して!」と私に厳しく言い、そして入り口の方を振り返りながら「先生早く来て・・・」と弱々しく呟いた。
夫もこの状況がヤバイということが分かったのだろう。「先生はどこにいるんですか!?行って呼んで来ますから!!」と、まるで芝居のセリフみたいなことを言って、分娩室から駆け出して行こうとした。そこへやっと医者が走り込んで来たのだが、その時私の子宮口が全開大になっていたことは間違いない。なぜなら、赤ちゃんの頭がもう、外に出てしまっていたからである。

結局、医者が手袋をしている間に赤ちゃんの首から下が出てしまい、元気な泣き声が聞こえてきた。私は最後まで誰にも「いきんでいいよ」と言われることなく、勝手に赤ちゃんが出てきた、という感じで出産した。
遅れて来た医者がした仕事と言えば、へその緒を切って胎盤を出し、裂けた会陰を縫ったことくらいである。麻酔があまり効いていない状態で縫ったのでとても痛かったが、赤ちゃんが勝手に出てきた時の苦痛に比べたら全然マシだった。縫われている間に、助産師が平謝りしながら分娩室に入って来た。これで出産費用を普通に取るのだから、病院というのは本当に厚かましい。

産まれた時間は午前4時42分、赤ちゃんは2950gの女の子で、根性の据わった顔をしていた。凄い顔だなあと思って見ていたが、夫は一目見て「君にそっくりだね」と言った。
分娩室からお互いの両親に、無事に産まれたと電話をする。分娩台の上でしばらく休んだあと、動いても良いと許可が出たので夫と病室に戻って寝た。8時に朝食が来たので食べ、また寝た。10時半に私の両親と夫の両親が来て、さっき産まれたばかりの娘を交替で抱き、喜んでいた。

娘が生まれた日の朝は、とても綺麗な雪が降った。
娘が大きくなったら、そのことだけを教えてあげたいと思う。
私も、それ以外のことは忘れてしまいたい。