書籍紹介 イシ -北米最後の野生インディアン-

イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)

イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)

人生の大半を野生インディアンとして過ごし、最後の5年を文明の中で過ごしたインディアン「イシ」の記録。
ゲド戦記」のJ=K=ルグヴィンの母親であり、文化人類学者アルフレッド・クローバの妻で作家の
シオドーラ・クローバーが、夫とイシとの出会いから別れまでをまとめた名著です。

西部時代に滅んだ北米インディアンの一種族ヤナ族の最後の一人として、野性的な生活を送っていたイシが
白人に発見され、急に文明の中に引き込まれます。彼は、初老であったにもかかわらず、欧米文化に
溶け込み、著者の夫をはじめとした友人にも恵まれますが、わずか5年後に結核にかかりなくなります。

本書の前半は、野生のインディアンがいかにして滅んでいったかの克明な記録、後半は「イシ」生活が
ドキュメンタリータッチで書いてあります。
読んでいて心に残った文節は、

イシの足は、「幅広で丈夫、足の指はまっすぐきれいで、縦および横のそり具合は完璧で」あった。注意深い歩き方は優美で、「一歩一歩は慎重に踏み出され・・・まるで地面の上をすべるように足が動く」のであった。この足取りは侵略者が長靴をはいた足で、どしんどしんと大またに歩くのとは違って、地球という共同体の一員として、他の人間や他の生物と心を通わせながら軽やかに進む歩き方だ。イシが今世紀の孤島の岸辺にたった一つ残した足跡は、もしsれに注目しようとしさせすれば、おごり高ぶって、勝手に作り出した孤独に悩む今日の人間に、自分はひとりぼっちではないのだとおしえてくれることだとろう。

イシは、狩猟のどの部分も軽々しく扱うことはなかったし、敬意と儀礼なしに弓にふれることは決してなかった。

秩序正しさとか整理の美学は個人の心に深く宿っている、生まれつきのものであるらしい。ある文化はこのような好みと能力を価値として認めており、日本人とヤナ族がその例である。

彼は、文明人を知恵の進んだ子供、頭はいいが賢くはない者と見ていた。我われは多くのことを知ったが、その中の多くは偽りであった。イシは常に真実である自然を知っていた。彼の魂は子供のそれであり、彼の精神は哲学者のそれであった。

「あなたは居なさい、ぼくは行く。」

本書は、情緒的な表現も少なく事実を記載することに注力しているしているにもかかわらず、非常に心に残りました。
仕事柄、日々情報の海をたゆたっている身としては、考えるがことが多い一冊でした。

書評:本当のようなウソを見抜く

鈴木敏文の「本当のようなウソを見抜く」?セブン-イレブン式脱常識の仕事術

鈴木敏文の「本当のようなウソを見抜く」?セブン-イレブン式脱常識の仕事術

セブンイレブンジャパン会長、鈴木敏文さんの仕事に対する考え方が端的にまとめられています。
明瞭かつ率直で、はっと気づかされる珠玉のアドバイスが多数含まれています。
全体を通して読んでもいいですが、目次を見て目の留まった項目を流し読みするだけでも価値があります。
彼のスタンスのすばらしさは、世間のうわさや慣習的な常識にとらわれず、一次データを出来るだけ入手し直接分析する(分析させる)ことにより、前者に含まれるウソを見抜きビジネスを成功させてきたこと。末端の一社員・アルバイトにいたるまで仮説検証型の思考法が身について好業績をあげているという、セブンイレブンの思想と行動体系の一端に触れることが出来ます。
以下、心に残った言葉を本文から抜粋します。

・経費削減による利益増加は縮小均衡。経営改善ではない。
・日本は時間軸で見ると多様化。しかいある一時期では画一化
・顧客のためにと顧客の立場は異なる。後者を意識する。
・顧客に都合が良いことは、売り手に都合が悪い。
・成功体験のある玄人より、素人。
・過去の経験のフィルタを通すと変化が見えない。
・安くしなければ売れないは、売り手の勝手な決めつけ。
・欲望に際限なし、人間の本質。
・仮説を立てないは、仕事をしてないと同義。
・主客一体
・もう一人の自分から、自分を見る。
・マスコミは過去の固定観念で数字を読む。
・悪い話は聞きたくないと思う人間には真実は掴めない。
・物分りの良い上司を演じても業績は伸びない。
・関心のフックは挑戦する意欲により磨かれる。
・新規事業立ち上げ時の勉強は、過去の経験をなぞる作業に過ぎない。まずは仮説から。
・人・金・物がそろった時点で企業は衰退する。環境は自分達で作り上げる。
・条件が恵まれていなかったからこそ、挑戦が生まれた。
・手段が目的化すると必要以上の物をつくる。
・挑戦は、自分の中で6〜7割の可能性を感じたとき。
・挑戦してものめりこむな。
・会社にしがみつくと本当の力は出せない。
・みんなが反対することはたいてい成功し、いいということは失敗する。

【書籍紹介】 誰のためのデザイン

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

最近、ユニバーサルデザインのボランティアに参加しています。そして、より深くデザインを理解したいと思っていたとき、後輩が貸してくれました。
インダストリアルデザインについての名著です。
多数の事例に基づいて、非常に優れた考え方やアドバイスが多数載っています。
特に印象に残ったのが、「自分を責めてしまうという誤り」家電製品やソフトウェア等が使いにくかったとき、ついつい人は自分を責めますが、実はそれ自体のデザインが悪いということ。Windows Vista、近年の過剰な機能が載った携帯電話やHDDレコーダーなどの電化製品の開発者は是非この本を一度読んでほしいと思います。
以下、すばらしいと感じた知見です。

  • 日常生活に関する知識の多くは、頭の中ではなく外界にある。例えば、駅の券売機を家で詳細に思い浮かべることは難しいけど、駅に行って実際に機械の前に立つと、使い方を自然と思い出して難なく切符を買えるとか。または文化的慣習に基づいて自然と使い方を推論すること。右矢印を見ると進むをイメージするとか。
  • 優れたデザインはそのものが操作を伝える(アフォーダンス)。文字の説明が不要。
  • 見ればわかること。可視性(visibility)
  • 良い概念モデル(メンタルモデル)とシステムの動作をあわせること。例えばクーラーのスイッチ動作等。
  • メンタルモデルは物事の説明を作り上げようという人の性質から生まれたもの。
  • 自然な対応付け。人が文化的慣習などで見につけた習慣に合った対応付けをする。
  • 技術の逆説。使いやすくするべく考え出された多数の技術が、かえって複雑なシステムを生み出し、操作を困難にすること。
  • デザインの手助けとしての行為の七段階理論、
  • 4つのポイント、可視性、よい概念モデル、よい対応付け、フィードバック
  • 頭の中の知識と外界の知識、そのポイント。情報は外界にある。極度の精密さは必要でない。自然な制約が存在する。文化的な制約が存在する。目の前から対象が消えれば、頭からも消える。
  • 不正確な知識に基づく正確な行動。何も見ずにキーボードのキー配列を思い出すことは難しいが、目の前にキーボードがあればタイピングは困らない等。
  • 事実についての知識(ofの知識、宣言的知識)と手続きについての知識(やり方)
  • 人間のミスの要因。スリップとミステイク。スリップは、習慣化した自動的な行動によりミスすること。うっかりファイル削除してしまうなど。ミステイクは、意識的に考えることにより発生すること。
  • デシジョンツリー。知識の選択幅と推論の深さ。日常は、幅は広いが推論が浅いか、推論は深いが幅が狭いのどちらかがほとんど。心理学者は、これらを意識せずに幅が広く深い推論のケースを中心に研究してきたため、研究成果を日常の作業への適用が難しかった。
  • 意識的でない思考はパターンマッチング。意識的な思考は、短期記憶の容量制限を受ける。
  • 良いデザインへの示唆:必要な知識は外界へ置いておく。人工的な制約を利用する。実行と評価の関係を可視化する。
  • 良いデザインの多くは進化する。それを阻害しデザインをひずませるのは、新製品としての目新しさを重要視した結果、過剰な装飾や機能の搭載などによる改悪。歴史ある製品のデザインに途中からかかわる人はその歴史を学ぶべき。
  • キーボードの歴史。qwertyキーボードは、一見キー配置が乱雑に見えるが、実は英単語を入力する上で、両手が入力内容をうまく分担できるようになっている。アルファベットが並んでいるキーボードは、打ちやすそうで実はどこでアルファベットが折り返しているか覚える必要があるため、学習に時間がかかる。結果として学習してしまえばqwertyキーボードの方が早く打てるとのデータがある。
  • 見た目の美しさを第一とすることはいいことではない。
  • 系統的にまとめることで複雑さに対処する。
  • 新しい技術の主たる役割は作業を単純にすること。

尚、著者の心理学者としての側面から記憶と学習について書いた本、

情報処理心理学入門1 感覚と知覚

情報処理心理学入門1 感覚と知覚

もお勧めみたいです。読んでみようと思います。

キャリアについて

デキる人は皆やっている 一流のキャリアメイク術 (アスカビジネス)

デキる人は皆やっている 一流のキャリアメイク術 (アスカビジネス)

今のキャリアに悩んでいたときに、知人から進めてもらって読んだ本。
著者は33歳というこの手の本では、異例の若さ。
同年代だからこそ、伝わってくる言葉も多数あっていい刺激になりました。
印象に残った内容を。

偉大なる批評家には決してならない。
Give&Give
仲間の仕事を生かす。
自分史を作ってみる。
職能型キャリアメイクから抜け出す。これからは「何が出来るか」ではなく「何を考えどう生きてきて、どうなりたいか」
キャリア選択の三つのポイント

  • あなたは誰ですか?
  • どうしてこの業界がいいのですか?
  • どうしてこの会社がいいのですか?

書評 硫黄島 総指揮官 栗林忠道の話

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

会社の上司に本をお借りして読みました。

あの硫黄島の戦いとそれを指揮した栗林忠道の人物像を、彼が本国に送った書簡、身近な人々・家族の話を元にドキュメンタリータッチで表現しています。本を読んで感じたことは、栗林の合理性が、米軍にとって、伝説ともなった硫黄島の戦いを引き起こした共に、日本兵にとっては最も過酷な戦いを強いたことです。当時、圧倒的な戦力不足を前に、劣勢がきわまると万歳攻撃による玉砕が美徳とされた世情に合って、栗林は、本国への米軍の空襲を一日でも伸ばすために、部下達の玉砕を禁じ、塹壕を利用したゲリラ戦を強います。美徳や、体裁にとらわれずただ一義に、本国の人々を守るために、硫黄島の兵士達に過酷な礎になることを強いた、いや強いかざる終えなかった栗林。しかし彼は、同時に部下に忌憚なく接し、信賞必罰を旨とし、本国へも歯に衣を着せず硫黄島の現状を伝えた、部下から見て人望のある優れた指揮官でした。そして、同時に、戦局が厳しくなっても、実家の台所の様子などを気にする書簡を送る家族思いで日常感を持った人でした。

時代の変わり目に生きる中、私が彼から学ぶべきと感じたことは、常に日常感(=リアル世界の感覚)を持ち続けるということです。ネットという、膨大な情報が存在する空間に接する機会が増える中、常に表現することでのみ存在を知らしめるということは、今までにない非日常的な感覚を感じます。この感覚に慣れることも重要ですが、それにより、リアルな世界での感覚が麻痺してしまうと、生きる力を失うような気がします。

フラット革命読みました。(雑記)

フラット革命

フラット革命

感じたことを雑記します。

フラット革命は言論界のイノベーションのジレンマか?と感じました。権威と高コストな情報提供インフラ(マスメディア)に支えられた既存言論界と、ネットの出現により、現れた誰もが参加可能な市井による言論界。しかし、低コストで自在に情報を発信できるネットは、メディアとしての影響度も明らかにマスメディアを追い上げようとしています。こうした中で繰り広げられる新旧派の戦いは、商品ではなく、言葉の世界であるだけに、よりいっそう複雑で、社会問題化していると感じました。

また、日本の旧来のコミュニティが崩壊することによる、自身の帰属先のない不安感、こうした思いを埋めるために、ネットを通じて言葉の世界で共通項を持つ、他者とのつながりを求める行為。ふと思ったのは、mixi読み逃げ問題。「読み逃げ」という概念を持つ人は、他者とのつながりをより強く求め、日常会話をしているかのようなレスポンスを閲覧者に求めてしまうのかもしれません。

一方、匿名性が高いことにより発生しやすい一貫性がない言葉の応酬。例えば、公私を区別して行動を帰る傾向が強い日本人にとって、匿名性が発揮できる=公共の場という意識が強いのかな?フラット革命では、日本が中心で記載されていますが、他の国の状況も比較できると面白かったかも。

公共性の問題、マスメディアがある程度担ってきた社会的責任を意識した発言などの公共性が、フラット化によって失われつつあるということ。それを今後保障するのは誰かということ。ひょっとしたら、オープンソース運営組織など、多数の善意を形にすることができる組織体が、より社会性を持って公共性を担っていくのかも。ネットの存在で、多数の発言、意見が存在=言論のコモディティ化?が進む中、具体的なものを作り出すということが相対的に存在感を増すのかな?

世界の認識システム。自身を取り巻く環境を理解し、自分の立ち位置と目指す方向性を定めることが、難しくなってきたということ。ネットという環境そのものが常に変化し、新しい価値観や関係性が発生する中、人によっては常に嵐の海に身を置いているような気分になるのかも知れません。

ネットの世界の特殊性。明示的に発言あるいは表現して初めて他者と交流ができるこの世界は、ただ存在するだけでも他者と相互作用するリアルの世界と比較して、明らかに人を選びます。しかし、情報の入手源としてネットの比率が上がっているため、そこでの言論とリアルの場での人々の反応の差を意識することを忘れがちになります。常に意識すべきことだと感じました。

Sony Rollyと企業風土


動画を見ていてワクワクしました。
久々に自分の好きなソニーが戻ってきた感じです。

ネットでの評判はあまりよくないですが、ソニーらしさ感じます。

思えば、昔のソニーは、いつも先を行き過ぎてはずすことが多かった。そんなイメージがあります。だけど、製品を見たときに今までにない感覚や未来を予感させてくれました。

PS1が出たときも、ハードの性能も去ることならがら、質の良いゲームを安く提供し、ゲーム会社もユーザもハッピーにする。そんなビジネスモデルを考えてCD-ROMを採用したところにむしろ感銘を受けました。

ですが、一度味わった成功は人・企業を保守的にし視野を狭くするのでしょうか?
PS2,PS3と映像表現技術は向上したけど、作る側に負担を負担を強い、ユーザにも胃もたれさせる重い対策ばかりを供給し始めた。結果としてのPS3のゲーム機としての失敗。
それは、ユーザまで巻き込んで新しい世界を作りましょう、未来を作りましょうという批判を恐れないチャレンジ精神と視野の広さを失った結果だと感じました。また、社長や会長がユーザではなく、株主を向いて話すようになってしまった。
こうしたことも一つの原因かなと思いました。

しかし、Rollyを見たとき、ソニーらしさが復活する予感を感じました。
うわさによると、企画者本人も"初代Rollyが売れるかはわかりませんが"と不安を持ちつつも新しい市場の可能性を信じて開発に取り組んだとか。
こうしたものを、妥協なくリソースを投入して製品化する企業風土に憧れを感じます。
マーケティングや、市場規模など、事業計画を立てるときには必ず聞かれる要素ですが、世の中にない市場を作り出す時、製品を出すとき、このような取り組みに言葉にどれだけの価値があるのかと感じます。
出来上がった市場を分析してもっともらしい要因を言う人もいますが、きっかけは、ただ一人、夢を持った人が周りを巻き込んで事を進めた結果、幸福な偶然が重なって、人々の共感を得て市場ができた。そういう事象も多い。
ダニエル・ピンクの「ハイ・コンセプト」にも述べられているように、これからは、感性と共感が重要視される時代。
そうした中、これからの人々の感性に訴えかけるものは何かと、批判を恐れず製品で問い続けよう。Rollyにはそういった心意気を感じます。

こちらのブログで、私が感じたことを饒舌に述べていただいています。
http://blogs.itmedia.co.jp/ogura/2007/09/rolly_f1a7.html

で、低価格版出してね!

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代