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虚虚実実――ウルトラバイバル このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-09-23 徳川家康の魅力・・・歴女に知って欲しいこと このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

  *徳川家康の魅力・・・歴女に知って欲しいこと


 下に掲げた絵は、徳川家康(1542−1616)を描いた絵のひとつで、「しかみ像」といいます。なんだか「歯痛」に耐えているような姿ですが、それもそのはず、家康がまだ若く、織田信長(1534−1582)と軍事同盟を結んでいたころ、武力が当時戦国一だった武田信玄(1521−1573)と争い(1572年)、さんざんに打ち負かされ

挙句、「脱糞:うんちをたれながら」敗走し(三方々原の戦い)、そのみじめな、恐怖に打ちひしがれた姿を忘れないよう、お付の絵師に、描かせたのが「しかみ像」なのです。


f:id:iirei:20100923080526j:image


 なんだか家康も、若い頃は苦労したんですね。「人間味」を感じます。そして、敢えてみっともない姿を絵に描かせるあたりが並の人には出来ません。失敗は「忘れてしまおう」という感じの人が多いでしょう。(第二次世界大戦ミッドウェー海戦で、アメリカ軍に完敗したのに、「責任は俺が取る」と言いつつ何の責任も取らなかった山本五十六とは大違いです。山本五十六は、この海戦が負けたとともに連合艦隊指令長官の地位を返上すべきだったのです。)家康はこの敗残の姿をこそ、今後の戒めにするつもりだったのでしょうね。それは、確かにそのようで、家康は以後この「しかみ像」をいつでも携行していたといいます。不屈の精神ガッツがあるように思えます。


そして、信長からの援軍も少なく一人信玄と戦った家康は、その後、武将としての「器量」の大きさには定評が付き、彼の後半生の箔付けになるのですね。三方々原の戦い信玄が通るのを、篭城して黙ってみているという手もあったのですから。それをしないで打って出たあたりが非凡なのですね。


 また、豊臣秀吉(1536−1598)から「江戸」という遠方に転封された家康に対し、秀吉東海道筋に彼の子飼い武将たち・・・福島正則(1561−1624)など腕力の強い大名たちを配置して、家康への守りにすえたのですが、家康は「関ヶ原の合戦:1600年」のときには、彼らを手なずけ、自分の味方にしてしまいます。これも、なかなか出来ることではありません。逆境自分に有利なように変革する能力にも長けていたのですね。


 徳川家康というひとの場合、「若くして今川家に人質に出された」という話は有名ですが、彼の家族構成は良く解らんというか、母、兄弟にかんする逸話を読んだことがありません。この点、謎なのです。

 

 また、彼は浄土真宗門徒でよく旗印に「厭離穢土 欣求浄土:おんりえど ごんぐじょうど」という「汚いこの世はまっぴらだ、きれいなあの世に行きたい」という趣旨のことばを描いていましたが、ちょっと気になったのは「穢土」と「江戸」の発音が同じじゃないか、と思った点。家康は「江戸」も嫌っていたのか・・・そこで古語辞典で調べてみたところ「穢土:ゑど:iedo」 「江戸:えど:edo」・・・と微妙に違いました。だから家康は安心して江戸開府ができたのでしょうね。


今日のひと言:晩年家康が力押しに豊臣家をつぶしにかかったのは、秀吉の嫡男:豊臣秀頼(1593−1615)が案外賢明な人だったので、自分が生きているうちにその芽を摘もうとして行動をおこしたとも言われています。その一方、滅びの美学を追求した真田幸村たちの活躍は、相対的に華々しく見えるのでしょう。でも、たぬきおやじとして腹黒く豊臣家を滅ぼした徳川家康だって十分に魅力的な人なのです。どうでしょうね、歴女の皆さん。



歴女」(はてなキーワードより)

戦国武将など歴史好きの女子、略して「歴女」と総称。“腐女子”とはまた違った部類とされている。

またカタカナで「レキジョ」とも呼ばれる。



英傑の日本史 信長・秀吉・家康編

英傑の日本史 信長・秀吉・家康編


今日の一句

   わが犬の

   桶に映えるは

   十三夜



ついでに今日の詩


 夕方

 犬の散歩の終わりころ

 ブブゼラのような音が

 聞こえてくるではないか

近づいてからよく見ると・・・


 それは横笛

 演奏していたのは

 おじいさんだった

 ・・・雑音に近い音

 犬も興味津津だった


――彼は何をしていたのだろう?

   (10.09.21)

 

オンコリンクスオンコリンクス 2010/09/24 23:58 愛知県の設楽郡(たぶん)の山奥に、徳川発祥の地があり、小さな城壁に囲まれた屋敷渓谷沿いにあります。そこで家康の父親が次第に力を蓄え、家康が戦国時代に活躍することになるのですが、この父親というのが、養子だったそうです。
しかも、浮浪の輩と記録されています。かの父親こそ、謎に満ちた人物であったといえると思います。つまり、家康は、他の戦国大名とは違い、平民の出であるともいえ、そこにはハングリーな気質があったのだと思います。その狡猾さは、やはり、抜きん出ていたでしょうね。
これがたぬき親父といわれる所以かもしれませんね。

今日の俳句、犬の散歩中に出会った光景ですね。
安曇野では、犬の散歩の人たちはみんな鈴をつけているので、朝や夕には鈴の音がところどころで聞こえます。
もちろん、熊対策です(^^)

iireiiirei 2010/09/25 07:29 >オンコリンクスさん
 その父親は「松平広忠」という名前でしたね。辞書をひかなければ解らん人物ですね。無名。
 松平家が流浪の民だったというのは、私も聞いたことがあります。浄土真宗の信仰にもうなずけることがありますね。それで箔をつけるため「源氏の末裔」と名乗ったのもおかしいお話です。まあ、征夷大将軍になるには必要な家計図偽造だったのですね。

熊対策の犬の鈴、こちら辺では聞きません。熊はいませんからね。^^

FTGFOPFTGFOP 2010/09/28 01:37 まあ、確かにすごいですよね、家康さん。歴女さん達には人気がないのでしょうか?

信長とずっと同盟関係でいられたのは、家康に人を見る目があったのでしょうし、時勢を読む力もあったのでしょうし、信長にも有能だと認められていたのでしょう。
家康のような偉人は、もしかすると今の時代にもいるのかもしれませんが、今の時代では歴史に埋もれてしまうのかもしれません。
そういう人は実力重視の時代でこそ輝くのかもしれませんね。

犬の桶ってフードボウルみたいなものですか?
あと横笛でブブゼラみたいな音を出すのは意外と難しいかも(笑)

iireiiirei 2010/09/28 07:51 >FTGFOPさん
 家康は、信長に「煮え湯」を飲まされたことがあります。妻の築山殿が武田氏に関係があるとして、彼女と長男を殺せ、と信長に命じられ、泣く泣く処刑したという逸話があります。
 それでも家康は信長との同盟関係を壊しませんでした・・・忍耐力にも程があると思いますね。同盟といっても、信長の方が主人だったのですね。

 桶とは、プラスティック性のちょっと大きめな桶をそのまま使用しています。フードボールほど高価なものを使っていません。
 横笛の音がいかにも雑音で、一聴、ブブゼラのように見えたというわけです。

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