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市川準監督のこと

2012-05-19

[] 09:00

リレー日記も9回目となりました。

今回はプロデューサーの井上文雄さんです。監督からは「ぶんちゃん、ぶんちゃん」と呼ばれていました。

ぶんさんの肩には「神輿タコ」ができているほどのお祭り男。

映画「病院〜」の実景にもありました、浅草神社三社祭は今年700年にあたるそうです。

今年も、より気合いを入れて、お神輿を担ぐぶんさんの姿があるはずです。



「市川さん」                      

                                    井上文雄

通常は監督を「監督」と呼ぶが市川監督は「市川さん」だ。

イケイケ助監督で俺が現場は回していると大きな勘違いしていた時代に市川さんと出会った、作品は「つぐみ」。

撮影所体制末期で自らを活動屋と名乗る猛者たちに理不尽な精神論と体力優先の映画作りを睡眠時間と交換に酒を糧に学んだ。映画屋は無頼漢とか異端児とか枠から外れることばかりを好んだ時代。

先輩から次回作はCM界の大御所が監督だと言われた。

「本当の映画の撮り方を教えてやれよ」すでに対立構図が出来ていた。



初顔合わせ、会議室に猫背の大柄の市川さんが現れた。

「市川です…」聞こえるか聞こえないかの挨拶に拍子抜けした。

人懐っこい目と穏やかな語り口は今まで接してきた監督たちとは大きく違っていた。

打ち合わせは脚本の感想から好きな映画の話に変わりに右へ左へブレながら「つぐみ」がやらかしそうな行動はどんなことかを語り合った。

頼まれもしないのにその夜に買ったばかりのワープロで自分が思う「つぐみエピソード」を朝までかかってまとめた。

そして翌日に手渡した。

市川さんは少し驚いていたが「読んでみるよ、ありがとう」なんだか判らないがとても楽しかった。

戦闘モードどころか一夜にして市川さんの魅力?人柄?人身術?にやられてしまった自分がいた。



その後「たどんとちくわ」「竜馬の妻とその夫と愛人」のチーフ助監督、TVドラマ「春、バーニーズで」をプロデューサーでやらせてもらった。

作品中は無理難題をとぼけた顔でさらっと言い放ち、膨大な改訂脚本を毎朝渡されダンドリを狂わされた。

ただ「それが市川さん」と言う事で対応するしかなくまたそれをクリアしていく事が快感となっていった。

しかしたまにみんなが「市川さん」ではなく「監督!」と呼ぶ時があった。

要求が限度を超したのだ。

そんな時、市川さんは本当に淋しそうな顔をするのでみんなは覚悟したように要求解決に向かって動き出した。

市川組の日常劇場。



作品製作中ではなくたまにお会いしてグダグダ飲んでいる時が一番楽しかった。

俺の反応を探りながら最新企画の話を興奮気味に熱く語る市川さんはいつも自慢げだった。

究極に削ぎ取られた脚本は感覚的で市川さんの思いすべてを把握出来ず、反応が悪いとか問題点を指摘するとあからさまに不機嫌になりひどい時は「もういいよ」と帰ってしまった。

数日後にいつもの声で「あ〜市川です。電話下さい」と留守電が入る。

折り返すと「あそこ直したから読んでみない、面白くなったよ」判ります?これが市川さん、素敵です。

会うたびに言われた言葉、いつも言ってくれた言葉、俺にとっての市川さんの愛情表現。

「ぶんちゃんの撮った映画、早くみたいな」

本当にすみません、間に合いませんでした。

だけどずるいです、早すぎますよ、市川さん。

畜生!またダンドリを狂わされた。「監督!」

2012-04-27

ijoffice2012-04-27

[] 22:18




HOMMAGE JUN ICHIKAWA, UN PEINTRE DE TÔKYÔ

市川準監督特集上映 -市川準・東京を見つめたシネアスト-


2012年6月26日〜7月27日の間、フランス・パリにて

市川準監督作品14本が特集上映されます。

このパリでの上映は、国際交流基金主催「映画がとらえた日本150の視点」の一環として組まれた特集です。

上映が決定した市川準監督作品14本は

「BU・SU」「会社物語」「つぐみ」「クレープ」「東京兄妹」「東京夜曲」「たどんとちくわ」

「大阪物語」「ざわざわ下北沢」「東京マリーゴールド」「トニー滝谷」「春、バーニーズで」

「あしたの私のつくり方」「buy a suit スーツを買う」以上です。

これまで再上映の機会がなかった「クレープ」も上映されますので、

パリ近郊の方、足を運んでいただける方、ぜひお楽しみください。

フランス語での詳しい情報は、パリ日本文化会館HPよりご確認ください。

http://www.mcjp.fr/francais/cinema/paysages-du-cinema-japonais-389/paysages-du-cinema-japonais



●主催 国際交流基金(ジャパンファウンデーション) パリ日本文化会館

●会場 パリ日本文化会館(国際交流基金)、小ホール(128席)

 MAISON DE LA CULTURE DU JAPON À PARIS

 FONDATION DU JAPON

 101 bis, quai Branly, 75015 Paris

 ACCUEIL / INFORMATION 01 44 37 95 01 www.mcjp.fr

● 期間 市川準監督特集は、2012年6月26日〜7月27日まで

● 入場料等の詳細は、パリ日本文化会館HPよりご確認ください。

http://www.mcjp.fr/francais/cinema/paysages-du-cinema-japonais-389/paysages-du-cinema-japonais

2012-04-19

[] 21:46

「生涯、市川組」 砂原由起子


東京より大阪の方がいいでしょ?」市川監督が新人の私に話しかけてくれた最初の言葉。

東京での初めての撮影。緊張して「はい」と一言だけしか答えられなかった。それが23歳の冬。

監督は新人の私にいつも話しかけてくれた。

毎日、雑用ばかりでお茶汲みだった私に「すなの入れるコーヒーはおいしいね、こういう子が現場にいるといいね。」と監督。

この何気ない一言で、私は本当に助けられた。

監督はいつもこう言った。「すなちゃん、市川ブレンドを一杯」

やがて私がチーフになってもカメラ前でカチンコをうっても、他の誰かが入れようとすると「砂が入れますから」と言って、

いつもニコニコして飲んでくれていた。

「砂はどう思う?」衣裳の話、美術の話、ロケ地の話。監督はいつも私の意見を聞いてくれた。

はじめは、なかなかうまく伝えれなかったけど、それでも監督は耳を傾け続けてくれた。本当に、幸せと思える時間だった。

数年経つと、編集時は必ず監督の横に座って手伝った。

「このテイクおもしろいですね」

「砂がこのテイク気に入ってるから、これにしよう」

クライアント試写のとき、監督のイスが壊れて

「砂、これどうしたらいいの?」と言われたけど、私は笑いが止まらなくて、 でも、試写だから笑えなくて監督も笑いをこらえて 、

私も必死でイスをもとに戻そうとしたけど、なかなかできなくて、あげくの果てに、 ”ドン!!!!” という、とてつもない音をたて、監督と私だけクスクス笑っていたこともあった。

そんなある日、

「砂ちゃんで映画を撮りたいんだけど」

と監督から電話があった。

27歳の秋だった。

「僕が演出しますから、砂ちゃんの自然のままを撮りたいんだよね」 と言ってくれた。

撮影中は監督と東京を撮影してまわった。

すごく、緊張したけど監督のそばにいれば安心する。 不思議な感覚だった。

録音したセリフが川の音で消えてる部分があり、それを撮り直しに東宝スタジオへ向かった。

それが28歳の秋。

アフレコ作業の後、監督は 「砂ちゃん、一緒に二子玉川まで帰ろうか」 といってくれた。なかなかタクシーがつかまらなくて、少し歩いた。

その日は何故か、長く監督と過ごせた。タクシーがやっとつかまったと思ったら、駅が工事していて、グルグルまわった。

その間に、監督は私の将来を聞きはじめた。

当時悩んでいた私に 「自分のやりたいことを信じてやるしかないんだよ」その監督の言葉で、一歩でも二歩でも進める気がした。

その4日後、「市川監督が亡くなられた」ーーーーーー。

撮影中の私のもとにその訃報は届いた。

監督がいつか言っていた。

「気分のいい日は、自由が丘から歩くんですよ」

お通夜の日、大雨の中、私は駅から歩いた。この角を曲がれば監督に逢えるかもしれない。 そんな気持ちがあったのかもしれない。

皮肉にも私の出演した映画の編集を完成させた、その日に亡くなった。

スタッフは映画が完成して、最後まで気分良くしていたからと、言ってくれた。唯一のも救いだった。

監督の書斎です、と通された場所には、監督がいるようで、まだ信じられなかった。

その完成したばかりの映画のチラシが監督の机の上においてあった。

カレンダーには 「buy a suit 本編集、MA」 仮編集のDVD

東京国際映画祭にでることになっちゃって。頼んでないのに(笑)」

嬉しそうに、照れくさそうに、あの日言っていたなぁ。

もっと、もっと言葉にして顔をみて伝えたいことがあったのに。

もっと、もっと、監督のお話を聞きたかったのに。

もっと、もっと一緒に笑っていろんなものを作りたかったのに。

「毎年、あの映画撮ろうね。」あの日、そう言ってたのに。

世界中に何億人いる中で監督に出会えてことは奇跡だと思う。

「よーーーーい、スタート」「カットーー」

「あんまり良いから、もう一回」

もう、あの声は二度と聞けないんだって、もう二度と会えない人なんだって、

あの日、ようやく理解できた。

涙が止まらなかった。

一生、市川準監督を忘れない。

生涯、市川組。

いまでも、市川さんのことがめっちゃ大好きです。

2012-03-29

[] 09:35

本年の6月26日から7月27日の間。

フランス・パリにて市川準監督の特集上映が決定したと幸子夫人より連絡ありました。

国際交流基金主催「映画がとらえた日本150の視点」の一巻として、会場はエッフェル塔近くの日本文化会館小ホールです。

詳細決り次第お知らせ致します。

2012-03-19

[] 21:36

「人生を変える作品を作る人」 演出家:スエナガ トモヤ






僕と市川準監督との出逢いは、最悪なものでした(笑)

今からちょうど20年前。ああ、もう20年も前になるんですね。

幾つかの夢に敗れ、将来への目標を失いつつあった、

若輩者の僕は、右も左も分からない、

映像という世界に足を踏み入れました。

そのきっかけとなったのが、当時面白CMをバンバン世に

送り出していた市川監督。

その面白系CMと対象的に「ノーライフキング」のような、

シリアスでメッセージ性の強い映画を手掛ける人物に、

興味を惹かれたことにあります。

入社した制作会社では、度々市川演出のCM作品が作られ、

入社後すぐに出逢いのチャンスが訪れました。

とある流通のCM。演出は市川監督と決まっていました。

企画段階では社内にいた企画部の僕らも頑張ります。

そのかいがあり、一本を市川監督企画。

もう一本が僕の企画と大金星

プロデューサーに、是非撮影の現場を見学させて欲しいと

頼み込みました。

片手にトラメガ、片手にタバコのいつものスタイルで、

テストが始まります。

暫くすると、市川監督に手招きされます。

「この企画、君が作ったの?」

「はい!」

「いまテスト見てたよね、どうだった?」

「はい!面白かったです!」

素直な青年の眼差しは、一瞬で曇ります。

「お前の企画、つまんないんだよ!」

言うまでもありません。

その企画は、エッセンスのみ残し、市川作品として、

生まれ変わり完成したことは…

ほろ苦い出逢いのお陰で、いつか見返してやろう!

いつか「スエちゃん、イイね」と言わせて見せよう!

そんな強い絆が生まれました。

余談ですが、そんな出逢いから十年以上たったある日、

市川さんと数名で飲む機会があり、その話をすると、

「僕はそんなこと言わないよ〜」とホホホと笑い、

「もし言ったなら、ホントつまらなかったんだろっ」と

大笑いしていました。

その夜は、市川さんと僕の二人で、日本酒一升瓶を空けていました。

最悪な出逢いから、最期まで、不思議な縁で巡り会えた師匠を、

いつまでも追い続けたいと思っています。

いつか「スエちゃん、イイね」って、言われるように…