Information Society and Co-regulation このページをアンテナに追加 RSSフィード

2013-05-26

[][]ショーンベルガー『ビッグデータの正体』とプライバシー

 

 少し長くなりそうなので最初に結論。Viktor Mayer-Schornbergerは天才

 

 さて何かというと、昨日の情報NW法学会ソーシャルメディア研究会で「ソーシャルメディアの最大の特徴は?」と問われてホッブズの話して、規範の話を問われてアブナー・グライフの話してたら(もちろん後で顰蹙)石川健治先生の『自由と特権の距離』を思い出して、今日の午後から喫茶店でサンドイッチ食べながら再読してたら、「カール・シュミットみたいな共通の参照軸が情報政策にもあったら議論もクリアになるんだけどなあ」とか思って、レッシグが試みて以来そういう人出てないなあベンクラーも厳しいしならバリアンやチロルのが実用的だなあ、そういえばoxのショーンベルガーはどうだろう、『忘却の美徳』はじめ良いんだけどそこまでではないしな、そいえばこんど出した“Big Data: A Revolution That Transforms How We Work, Live, and Think”はどうだろうと思って届くの待ちきれずiPadキンドルDLして読んでたのでした。16時から読み始めて遅いお昼ご飯に間に合うかなあと思って頑張ったのだけど(以上ほぼtwitterより)、結局ちくちくと1時間半かかって先ほど全頁読了したのでちょっと読書感想文

http://big-data-book.com/

 長い前置きは以上にして早速内容へ。全243頁10章のうち7章までは「全く」法制度の話が出てこず延々とビッグデータ技術ビジネスの話が続いて正直「えー」という感触。もちろん「それ系」としてのクオリティは7章までも最高レベルで、主な読みどころを挙げると以下の通り(ページ数はキンドル依拠、たぶん紙も同じ)。

 

・77pに産業技術大の越水重臣先生研究が紹介されてる!車盗難防止技術の話。

・115pにオープンデータの話。内容はベーシック。

・132pにアマゾンキンドル読書履歴データ分析の話。

 

 あとは強いて言えば133pのData Intermediaryの話が少し面白かったくらいでご飯行こうかなあと思い始めてたんだけど、これまでは単なる序章に過ぎず(おそらくここまでは共著者の方が書いてるな)、第8章から突如ショーンベルガーの本領が発揮され始めます。1行も目が離せなくなります本当に。ここからはぜひビッグデータ関係者はみなさますぐにでも読んで頂きたいのだけれど簡単に概略。

 

 まず第8章、「RISKS」。ビッグデータプライバシーに関する一般的なリスクの話が続いた後、それを保護するために「notice and consent」もダメ、「包括的同意」も当然ダメ、かといって「オプトアウト」もダメしまいにはPaul Ohmを引きつつ「匿名化」もダメという話になって、ではどうするのという感じになります

 そしてもうひとつリスクとして、「Probability and punishment(157p)」、つまりビッグデータ解析によって個人の将来が予測可能になる中、人がそれによって評価されて、映画「マイノリティ・レポート」なんかを引きながら(松井先生先生ごめんなさい、これボーンスプレマシーではなかったです、、)、しまいにはそれによって国家から罰を受けるようになるディストピアまで。さあどうしましょう。

 

 そして第9章「Control」、解法の章です。ここが本書の白眉プライバシー保護法制については従来の個別同意前提の「privacy by consent」から説明責任対応義務を重視した「privacy through accoutability」に全面移行するべきだという一瞬たまげるようなラディカルな主張が行われます(172-175p)。その具体的な姿は要約が難しいけれど、PIAなんかに基づいて事前のリスクをしっかり判定して事後の消去・訂正義務を強化した上で、「事前許諾」という考え方から離れなければ、もはやビッグデータ価値プライバシー保護もどちらも実現不可能だろうという、きわめて説得的な議論が行われます

 同章は続いて「People versus predictions(175p)」、予測による害をいかに防ぐか。中心的主張を要約すると、「個人はその『傾向』に対してではなく、『行い』に対してこそレスポンシブルであるべき」。この原則は法制度だけではなく私人による私人の評価、すなわち採用や昇進、解雇にも当てはめられるべきであると。これはこないだカタリナさんとお話ししたEUデータ保護指令案の「不正入手されたデータによって評価されない権利」の話にもつながりますね。昨日研究会でも焦点になった「忘れられる権利」はどちらかというとaccoutabilityの方。そして両方とも、基本的にはmidataやスマグリデータ共有を含む近年の英国の議論をサポートする内容に読めることは言う間でもありません。

 そしてさらに同章、「The rise of the algorithmist(179p)」。ショーンベルガーによれば、もはや今後は「データアナリスト」は古くて(とまでは言ってないけど)、アルゴリズム設計して実装できる「アルゴリズミスト」が圧倒的に重要になる、という主張です。そしてその倫理は共同規制手法によって強力に担保されることが不可欠であると。ここのところアルゴリズムの方々とずっと一緒に論文書かせて頂いていたのでこの主張には心から理解と賛同を表したいと思います。Tendaさんたちの出番ですよ!ショーンベルガー先生は今はドイツにはいないけど、こんどフライブルク行く機会などに合わせてアポでも取れたらいいなー。

 

 第10章は少し評価が分かれるかも。いやしかし、本当にショーンベルガー先生の実力を改めて心から、思い知らされたのでした。情報法に携わる方々も、そしていま色々とクレストさきがけにご対応されている方々も(どちらも僕だ)、8-9章のみといわず全頁熟読されることを改めて心からオススメします。

 それにしても一番の発見は実はiPadキンドルの恐るべき使い易さでした!iPad洋書Cover to Coverしたのは初めてだけど、紙と比べて全く不自由を感じないというか、しおりアンダーライン機能が圧倒的に使い易くて、むしろ紙よりも圧倒的に効率的。そしてさすがにそろそろ朝からサンドイッチとケーキしか食べてないまま限界が近づいてきたのでラーメン食べて明日所内締切のさきがけ申請書仕上げますー。

 

 

※同日深夜追記:なんと夜になって気付いたんですが5/21に邦訳が出てる(汗)。いやこれは素晴らしい、ぜひアクセスください(本投稿中のページ数は原著Kindleなのでご注意くださいませ。英語表現も読み易いので原文もオススメ)。とゆわけで元の記事タイトルは何言いたいかわかりにくかったこともあり、ちょっと合わせて変更。

2012-03-07

[][]本が出ました:『デジタルコンテンツ法制』

 また一件ご報告と致しまして、財団法人デジタルコンテンツ協会の事業の一環として行っておりました「法的環境整備委員会2010年度の成果をまとめる形で、森・濱田松本法律事務所の増田雅史弁護士と一緒に書いておりました書籍が、本日3/7発売となりました。

デジタルコンテンツ法制

デジタルコンテンツ法制

 デジタルコンテンツに関わる法制度の過去現在未来を、コンパクトに総ざらいして頂けるかなりおトクな内容になっておりますので、お見かけになりましたらぜひお手に取って頂くことができましたら幸いです。

 

(発売日に日経朝刊の2面下欄に広告を出して頂きました。3/12にはAERAにも広告出して頂けるみたいです。)

2011-10-19

[][]拙著『情報社会と共同規制―インターネット政策の国際比較制度研究―』

 今月、初の単著が刊行されました。

 企業や業界団体による私的秩序形成としての自主規制(self-regulation)と、それに対する政府の補強措置によって構成される公私の「共同規制(co-regulation)」という概念を軸に、プライバシーや著作権の保護表現の自由等、最先端の情報政策についてのEU・米国を中心とした幅広いケーススタディと比較検討、政策提言を行っております

 

■生貝直人『情報社会と共同規制―インターネット政策の国際比較制度研究―』勁草書房

http://www.keisoshobo.co.jp/book/b93990.html

f:id:ikegai:20111019212649j:image:w200

 

私人による自主規制でもなく、政府による直接規制でもない。公私で問題解決に向かう新しい政策手法「共同規制」が情報社会を拓く。

 

■内容説明

拡大する情報社会のガバナンスに、公私の「共同規制」ははたして有効か。通信・放送融合時代のコンテンツ規制、モバイルやSNS上での青少年保護、ライフログ技術プライバシー保護、動画共有サイトや音楽配信サービスの著作権問題といった現代的課題を中心に、EU、米国、日本の法政策比較を通して、情報政策の将来像を議論する。

 

■目次

序章 情報社会における公と私

第I部 政府規制,自主規制,共同規制

 第1章 自主規制から共同規制

 第2章 共同規制のフレームワーク

第II部 「団体を介した」共同規制

 第3章 通信・放送の融合とコンテンツ規制

 第4章 モバイルコンテンツの青少年有害情報対策

 第5章 行動ターゲティング広告プライバシー保護

第III部 「団体を介さない」共同規制

 第6章 UGC・P2Pにおける著作権侵害への対応

 第7章 SNS上での青少年保護プライバシー問題

 第8章 音楽配信プラットフォームとDRM

第IV部 制度設計

 第9章 共同規制方法論の確立に向けて


情報社会と共同規制: インターネット政策の国際比較制度研究

情報社会と共同規制: インターネット政策の国際比較制度研究

2008-04-10

[]080410に借りた本

 あまりにも放置し過ぎなので今日三田で借りた本でもリストしてみる。

 慶應の図書館では研究員扱いなので貸し出し期間3ヶ月(!)。これは便利すぎて本郷の図書館まともに使ったことない。

 しかし、鞄が、重い。

国際金融危機の経済学

国際金融危機の経済学

組織化の社会心理学

組織化の社会心理学

アメリカの芸術文化政策 (アメリカの財政と福祉国家)

アメリカの芸術文化政策 (アメリカの財政と福祉国家)

時間の比較社会学 (岩波現代文庫)

時間の比較社会学 (岩波現代文庫)

日本の産業システム〈5〉情報経済システム

日本の産業システム〈5〉情報経済システム

21世紀の挑戦者 クアルコムの野望

21世紀の挑戦者 クアルコムの野望

電波資源のエコノミクス

電波資源のエコノミクス

2007-08-21

[]プラダを着た悪魔(/あるいはprivate sectorのマネジメントについての試論)

評定:A

 書評シリーズのはずなんだけれど、映画もやってみましょう。原作小説もあることですし。

 そーんなに特別映画は好きなほうじゃないんだけれど、相当質の高い作品だと思いました。すばらしい。ずいぶん頭のいいお方がつくっていらっしゃるんでしょう。人気になるのもこれならばうなづける。

 ガリ勉の新卒学生(もともとはジャーナリスト志望)がひょんなことから世界的なファッション雑誌のバリバリ編集長(こいつが「プラダを着た悪魔」)の第二秘書に採用されて紆余曲折を経ながらも内面外面ともに成長していくっていう、いわゆるメイクアップもののど真ん中路線。

 直前に安野モヨコ原作「さくらん」を見てだいぶ感心したものだけれど、さすがにハリウッドものは洗練度が違いすぎます。おそらくベタなメイクアップモノだけでも200通りくらいパターンがあって、その組み合わせと改善でつくってたりするんだろうなあ。

 「成長するとはどういうことで」「理不尽の中で努力するためにはどういうマインドを持つ必要があり」「未来へのチャンスと過去への仁義、どちらを優先するべきか」といったような日常的かつ深遠、かつなかなか回答を語り得ぬ問題に対して「語らずに」答えてくれる。ウィトゲンシュタイン先生も「明晰に語ることができないことには語らずに答えろ」とおっしゃっていた。いやそんなこといってないか。まあとにかく、最後の最後まで期待通り。

 しかし、ひとつだけ答えることのできなかった、あるいは意図的に回答を避けた問題があります。それは「仕事とプライベートは両立可能なのか」「可能だとすればどうすればいいのか」そしてそれは「女性だから特に難しいんだろうか」ということ。全知全能のdevilたるミランダはなぜプライベートのマネジメントだけうまくやることができないんでしょう。

 これは(よくわからないけれど)アメリカ社会のひとつのタブーなのかもしれませんが、まあここ日本ではすくなくともそんなことはないので夏休みの余興としてちょこっとだけ考えてみましょう。可能性としてはいくつもあるけれど、特にここで取り上げてみたい問題意識は、「優秀であればあるほど、プライベートをシステマチックに考え、ルーチン化してしまう傾向があるのではないか」ということ。(いや、家庭を持ったことない人間がそんなこと語るなや、と言われては経営者やったことのない経営学者はお払い箱になってしまうのでここではその問題は置いておいていただいて、と。笑)

 つづけましょう。なんだろうね。プライベートっていうのはどーーうしたって、仕事と比べればダイナミックな動きは少ないものでありまして。たとえば仕事で組織を運営するのであれば常に外部環境と内部資源の変化に気を配り、状況を把握し(センスメーキング)、半年やらもっと細かい単位で戦略や組織設計を見直し、内外の人間関係のメンテナンスと新規開拓に気を使う…というような仕事は当然のことながら不可欠なわけでございまして。

 でもそういうことに慣れ親しんで、ある程度完全にこなす人間に限って、プライベートの表層的なスタティックさに目を曇らせてしまう傾向がある気がするんですよね。そりゃビジネス組織の運営とくらべればよっぽどのんびりしててステイクホルダーも少なくて考えるべきことも少なくて硬直的ですわ。でもってそういう人ってちゃんとプライベートでも「週に1回は必ず外でディナーする」とか「週末は必ず家でお料理する」とか「子どもの送り迎えは必ず交代でする」とか「半年に1回は必ず海外旅行する」とかなんとかもはやもやもや「ちゃんと必ずする」。ルーチンを作る。そして長期間それを見直さない…

 うん、まあ、それは非常に立派なことです。とても大事なことですよ。しかし一度作ったルーチンを何年も組み直さないなんていうことがビジネスの世界で「もしも」あったら、(よほどの硬直産業でもないかぎり)組織は潰れるでしょう。外部からの脅威がそんなになかったとしても、優秀な人間から飽きがきて去っていくことでしょう。

 プライベートってのは、それが2人だけであっても4人の親がいて2人の子どもがいたとしても、よくよく見てみればそんーなにスタティックなものではないでしょう。ステイクホルダーが少ないっていうことは逆に、内面的にはよほどダイナミックな世界なのかもしれません。

 今月号のHBRでのマローンせんせいたちの論文「完全なるリーダーはいらない(In Praise of the Incomplete Leader)」によれば、かの有名なIDEOではこんなことをやっているらしいです。

たとえば、あるデザイン・チームは、緊急処置室(ER)を新たにデザインするよう依頼された時、重要なステークホルダーである患者の体験をよく理解するため、患者の頭部にカメラを取りつけてもらい、ERで過ごすとはどのような経験なのかを記録し、その映像を見た。その結果、10時間に及ぶ録画のうち、ほとんどの時間は天井しか移っていなかった。

状況認識によってもたらされたこの新しい視点に基づき、このチームは天井のデザインを見直すことに決め、見た目が美しく、患者にとって重要情報を表示できるようにしたのである

 別にここまでやれとはいわないけれど、たまにパートナーとまるまる1週間なり1日なり生活を入れ代わるなりしてみるとかなりいろいろなものが見えてくるんじゃないかしら。いやもちろんいまの(特に日本の)雇用慣行では非常に難しいのはよくわかる。だからこそ創意工夫のしがいがあるんでしょう。いまはケータイで見れるウェブカメラやらなんなり、人間のそういったニーズを満たしてくれる技術が巷では溢れていますよ。言い訳の余地はありません。

 仕事だってプライベートだってそれこそ国だって、組織は組織です。どれがいちばんマネジメント/ガバナンスが難しいかなんてのは俺にはよくわかりませんが、個人にとっての重要性は(きっと)小さいものであれば小さいものであるほど大事なものであることでしょう。国がなくなったところでそんなに知ったことじゃない(うそうそ。政策学者には困る笑。)。勤め先の企業がなくなると困るけれど、まあ転職先を探せば良い。でも家族ってちょっと再構築しにくいでしょう。だったらせめて仕事と同じくらいプライベートにも「継続的に頭を使ってみましょう」。ルーチンの構築と保守ってのは頭を使わないためにすることです。

 もうちょっとアレだ。「非市場の経済」というものをよく考えてみたいものです。お金じゃないつながりのマネジメントほど難しいことはないよ?。その手がかりは意外と卑近なところに転がっているのかもしれません。(あれーこのひとことが言いたかっただけだったのになー。長くなった。)