現れに向かうのではなくベクトルを真逆に向けてすき間(真我・非二元・青空意識)に向き合うのがベスト。

何か不都合なことが起こった時、私たちはその不都合な現れの不都合な面をなんとかしようと右往左往する。



あなたがもし非二元や青空意識に関心がありその道を探求しているのなら、まず「現れを不都合だと思っているのとそれをなんとかしようと思っているのは誰か」と問うてみてください。



当然答えは「私(個人)」ということになると思いますが、非二元理論では「私(個人)」はいないということになっていますので、賢明な人ならそこで「はっ」と気付くはずです。




気付くことによりすき間ができるので、不都合だと思ったり不都合をなんとかしようとしているのが私ではなくただそういう思考があるだけだということに気づくことができれば大成功!!



この時どういうことが起こっているのかというと、「現れをなんとかしようとしているのは誰か?」と問うことで、ただただ思考に乗っ取られて現れをなんとかしようとして現れに向かっていたベクトルが180度逆転してすき間(真我・非二元・青空意識)に向いたのです。



緊張が解けてリラックスが起こったのです。



気付きとはそういうことです。



何かに気付いたというその内容が大事なのではなく、リラックスが起こったことによってその時とらわれていた思考が一瞬のうちに消え去る感覚が大事なのです。



緊張とリラックスの差が大きい時は、理由のない笑いが起こりしばらく笑い続ける場合もあります。



笑いが起これば大大成功!!!



では思考に乗っ取られて現れをなんとかしようとして行動していったらどうなるのか?



自分を観察するのも一つの方法ではありますが、それよりも他人を観察したほうがより巻き込まれにくくて賢明かと思います。



私は最近何かと話題の某国の新大統領T氏の言動が、あまりにも漫画チックというかかなりドラマチックなので、この方の言動を思考に乗っ取られた例題として観察することが時々起こります。



対象をなんとかするために、大統領令を次々に出すだけではなく、反発されたら仕返しをするというやり方は、まさしく思考に乗っ取られてただただ対象に向かっているだけなので、対象からも自分がやったのと同じくらいの反発があり、このままでは雪だるま式に世界を巻き込んで大きくなりそうな気配なのですが…?



二元的にはT氏は自分とは分離した他人なのですが、彼に起こっている思考は、すき間(空間)によって私たちとも繋がっているので、彼に起こる思考パターンは時と場所を変えて誰にでも起こり得る思考なのです。



T氏は自分と分離して見えているかもしれないけれど、自分が彼のニュースを見ているということは、分離していないということであり、見ている自分もその対象も全て一つの私であるということなのです。



他人の言動を観察するということは、他人が演じてくれているドラマによって自分に起こってくる思考パターンや言動を知ることができるので、私にとってはT氏の言動は自分が思考に乗っ取られた場合の言動を知る教材でもあるのです。



だから今のところ、T氏には感謝こそあれ批判はありません。



しかしもしT氏の言動に対してジャッジメントが起こったなら、その時は一つであった私が自分と対象とに分離してベクトルが対象に向かっているということであり思考に巻き込まれたということなので、できるだけ早くそのことに気付いてベクトルを真の内面に向けてすき間に安らぐのがベストだという思考が今起こりました。