:GÉRARD PRÉVOT『CELUI QUI VENAIT DE PARTOUT et autres contes fantastiques』(ジェラール・プレヴォ『いたるところから現れたもの―幻想短編集』)


GÉRARD PRÉVOT『CELUI QUI VENAIT DE PARTOUT et autres contes fantastiques』(MARABOUT 1973年)

                                   
 ジェラール・プレヴォは二年前にも、『LE DÉMON DE FÉVRIER ET AUTRES CONTES FANTASTIQUES (2月の悪魔―幻想短編集)』を読んだことがあります。(2011年6月27日記事参照http://d.hatena.ne.jp/ikoma-san-jin/20110627
 
 文章がとてもわかりやすく、気持ちよく読めました。それは、ひとつは難しい単語があまり出てこないこと、もうひとつは会話が多いこと、さらに具体的な事実や行動が中心の文章になっていることなどが理由だと思います。

内容は明らかな幽霊譚、悪魔譚、怪異譚ばかりで大衆小説的ですが、文章はしっかりしていて、なかには抒情的な情緒がある文学的香気の溢れた好篇もあり、作品としてはいずれもある水準が保たれています。ベルギーの象徴主義以降の文学的土壌の影響に違いありません。作品中にも、ローデンバッハの詩集「白い青春」への言及があったりします。

 なかでは、謎めいた合言葉が物語を牽引していく「L’avertissement(警告)」が最高。かつて好きだった女性と夏に燃えるような三日間を過ごすが、その女性が一年前の秋に死んでいたことが分かる「La rancontre(出会い)」、ポーの「黒猫」のリメイクとも言える「Le troisième chat(三番目の猫)」、一生の間に次々と死んでいった人々の追憶を愛をこめて語る「L’horloger de Rumst(ルムストからきた時計師)」が出色。

 この中の一篇「La reproduction(複製)」は雑誌「小説幻妖弐―ベルギー幻想派」(幻想文学界出版局 1986年) で森茂太郎氏の翻訳で掲載されています。私ははじめこのタイトルを「再現」という意味だと思っていました。というのは女主人公の前世が中世の魔女狩りで焼き殺された魔女なので、過去を再現するという意味に解釈していたからです。森氏の訳を見て、もう一度文中を丁寧に見てみると、魔女が胸にしていた小石のペンダントのことを「reproduction(複製)」と表現しているのを発見して訂正しました。私の場合はこういう不注意がまだまだたくさんあるものと思われます。


 各短編を簡単に紹介します(ネタバレ注意)。               
Celui qui venait de partout(いたるところから現われたもの)
悪魔譚。ミステリアスな冒頭が徐々に中だるみして、結末は腰砕け。悪魔に追われる男が主人公。偽名を使って逃亡してほっと一息ついても、悪魔はいたるところにいろんな人物として現われ主人公の本名を言いあてる。男はその都度悪魔を殺しながら逃亡し、ついに6人を殺すまでになった。しかしそれは本当は彼の狂気のなせる業ではないのか。あるいは彼の友人が背後ですべてを操っていたのか。曖昧な匂わせ方をするが、最後は正体を現した悪魔の独白で終わる。


◎La rancontre(出会い)
幽霊譚。主人公の作曲家は、音楽学校を卒業した頃、一緒にコンサートを開いた女性と気が合い、彼女はすでに結婚していたが、好きになった。しばらく異国にいて帰ってきて、春にカフェで彼女に偶然に再会したので、誘ったら家にやってきた。三日間の濃厚な時間を過ごして彼女は居所も告げずに去って行ったが、秋が来て友人が彼女の夫と一緒に遊びに来た時、彼女の消息を聞くと、昨年の秋にすでに死んでいたのだった。ヴェルレーヌの「雨の歌」のような情緒が最後に静かに歌われる。9月の雨の降る日に読んだので自然に作品に溶けこむことができた。


◎Le troisième chat(三番目の猫)
とても読みやすく子ども向きの推理小説の印象もあるが、細かい情景がしっかり描かれているので物語がとても豊か。ある家の壁の前で死にかけている猫を助けようとしたことで知り合った男女が、結局は死んでしまったその猫の秘密を探ろうと探偵のように動き回る。その結果その家の主人の妻が謎の失踪していることが分かった。策を弄してその家に遊びに行くと、その家にはまた別の猫が飼われていることが分かる。そしてその猫もまた同じ壁のところで息絶えようとする。主人公が読んでいたポーの「黒猫」がヒントになり、主人が妻を殺していたことが判明する。


La buée(靄)
凝縮されたモノローグ。抒情的な小品。靄の立ちこめる冬の夜、子どもと青年が言い争う声がするので、窓を開くと、その二人が窓から飛び込んできて部屋の中で二人で議論を始める。間に入って訳の分からないまま、夜が明けると二人は消えていた。妄想か。だが彼らが出ていく時私の大事なものも一緒に出て行ってしまったようだ。私の人生はこの時すでに終わったのだ。


×Le Prix de la Licorne(ユニコーン賞)
作家夫婦の妻が夫の才能と純粋さを嫉妬して殺す話。死後夫の伝記を出版するために妻が編集者に向けて語るという設定で、物語が展開する。才能ある純粋な作家がユニコーン賞を受賞すると1年後に死ぬという法則を発見した妻は、夫の文学賞受賞を根回しし受賞させる。本当に夫は自殺した。妻は殺したと思い込んでいるが、単なる偶然に過ぎないだろう。語りの方法は面白いが、物語の根幹のところで破綻しているように思う。


◎L’avertissement(警告)
細部がよくできている。謎の合言葉が魅力的でいつその暗号がささやかれるのか、ハラハラしながら読み進むことになった。演劇学の元教授が1年前に会った喜劇学校主宰者に、短期間の講師として招かれる。が駅で乗ったタクシーの運転手は危険なことが待っていると警告し謎めいた言葉を教えその暗号がささやかれた時あなたは助かると告げる。はたして教授はその家でいろいろ怪異を経験する。主宰者と会う二ヶ月前に死んだ幼馴染の家財道具が並んでいたり、秘書の女が若い娘を誘惑している現場に遭遇したり。ついにある夜惨劇を目撃するが、警察への知らせもむなしく自分も囚われの身となってしまうのだ。そしてまた惨劇が目の前で。


○Le boomerang(ブーメラン)
悪魔譚。人を呪い殺す能力を持った老人が死の間際に、その能力を誰かに証明したいと主人公に話を持ちかける。ちょうど主人公は妻が不倫をして悩んでいるところで、不倫相手の名前を告げるが、間違いで妻も一緒に死んでしまう。老人は死んだが老人を呪った主人公も最後に老人から呪い殺される羽目に。そして登場人物がすべて死に、悪魔が介在した証拠は消えてなくなるのだった。


◎L’horloger de Rumst(ルムストからきた時計師)
死神譚。湖に囲まれた島での生活。子どもの頃からいろんな人が死んで行った。それは子どもの時に屋根裏部屋で出会った時計師の死神が生命をつかさどっているからだ。そしてついに私にも終りの時が来た。死にゆくものの運命を淡々と語る口調が湖や森の景色と相まって静かで美しい。


○Les démons du Dimanche-gras(祭りの悪魔)
悪魔譚。祭りで悪魔の扮装をした5人の男が悪魔に呪われて3か月ごとに次々と死んでいく話。5人の悪魔の扮装が知らぬ間に6人になっており、6人目の悪魔が仮面をはずすとその下から本物の悪魔の顔が出てくるのは「なまはげ」の恐怖。前半のハラハラ感に比べて後半はパターン化して面白みが減じた。


La reproduction(複製)
独白体で綴られる復讐譚。女友達の家で硝子棚に収められた小石を見、それにまつわる話を聞いたことで、魔女だった前世の記憶をよみがえらせた女が、魔人を呼び出し復讐する話。「Laure、私が忘れるまであやしてくれないといけないわ。」というフレーズが段落の終りに繰返され不気味な雰囲気を盛りたてる。