:Hubert Haddad『Le peintre d’éventail』(ユベール・アダッド『扇絵師』)


Hubert Haddad『Le peintre d’éventail』(Zulma 2014年)

                                   
 ユベール・アダッドの比較的近作で、代表作となっているようです。アダッドを読むのは二冊目。「Roman」という雑誌の幻想小説特集号で短篇を読み、ブリヨンに似た作風が気に入ってその作品が収められている『Le Secret de l’immortalité(不死の秘密)』という短篇集を読んだことがあります。(2014年7月23日記事参照http://d.hatena.ne.jp/ikoma-san-jin/20140723/1406066814

 この作品は、日本を舞台にした小説です。どうやら東北地方のようですが、atôraという地名や、Dujiという湖、Jimuraという山は見当がつきません。atôraというのは「安達太良山」からの連想ではないかという気もします。なじみのある地名としては京都や神戸、東京、それに富士山が出てきました。

 登場人物の名前も不思議です。語り手は在日台湾人のXu Hi-han(どう発音すればいいのか)、扇絵師は男なのにOsaki Tanako(姓と名が逆ではないのか)、その弟子は父がビルマ人母が日本人でMatabeiというが今の日本では珍しい名前(岩佐又兵衛からヒントを得たのか)。しかも名字も変わっていてReien(霊園?麗園?)。下宿の大家はHison夫人(名前はEtsukoとまっとう)、下宿人は、茶商のHo(これは中国人かも知れない)、在日韓国人のAé-cha、駆け落ちカップルのAnnaとKen(これはあり得る)、後半に登場する女学生Enjo(円城?)。ところどころに歴史的人物の西行紫式部道元北斎、広重という名前が出てきてほっとします。

 一方、正月にもちをのどに詰まらせる人がいることや、地蔵が地獄へ助けに来てくれること、焼き場での骨を集める作法、大地が揺れるのは鯰が身体を震わせるからということ、「雨雨降れ降れ母さんが」の童謡など、日本の事情に妙に詳しいのはしばらく日本に滞在したか、誰か教えた人がいるに違いありません。

 この作品の中心を占めるのは圧倒的な日本趣味で、現代の日本には存在しない幻想の日本像に対する憧れが感じられます。それは小さな扇絵や俳句・短歌、作庭に見られる凝縮された日本の古風な美意識への讃美であり、また東屋に侘び住まいする扇絵師の求道的生き方や、山奥の寺で苛酷な修行をする盲目僧の枯れた精神性への共感となって現れています。読んでいて、ポール・クローデルの『朝日の中の黒い鳥』の印象と重なるものがあり、また扇子に書かれた句ということでは、クローデルの『百扇帖』や『都都逸』の影響があるのかもしれません。

 また背景として描かれる日本の自然がとても美しく、自然がこの作品のキーワードになっている気がします。ただフランス語で読んでいるとヨーロッパの風景みたいに思ってしまうのが情けないところ。

 読み進むうちに、神秘的で芸術的な雰囲気が横溢した小説のように思ってしまいますが、後半に入ると単純な美学的物語や日本礼讃でないことが判明します。神戸と東北の二つの地震が出てくるからです。とくに東北の津波の描写があの時のテレビの映像そのままに出てきて、Matabeiも津波にさらわれて柳の木につかまってかろうじて死を免れますが、下宿は津波に運ばれた船が突き刺さって大破し、ほとんど全員が非業の死を遂げてしまいます。避難地域が日に日に拡大していく原発災害の厄災が語られ、Matabeiは衛生班の目を逃れて災害地を彷徨い、下宿の仲間たちの埋葬をしたり泥のなかから小学生の遺体を掘り出すなど目を蔽うような悲惨な描写が続き、まるで別の小説のようになってしまいます。東北の災害がこの作品を書く動機となったに違いありません。

 物語りの途中に俳句や短歌をフランス語に移しかえたような雰囲気の短詩が挿まれていて、全部で18句ありました。これらの句を含めた(?)詩集『LES HAIKUS DU PEINTURE D’ÉVENTAIL(扇絵師の俳句)』(Zulma,2013)というのが出ているようです。

 句以外にも、エピグラム的な短文があちこちに散見されました。例えば、森の中で道を見失ってひと息つく時ほどこの世に美しい時間はない(p35)。落葉は運命です・・・この庭には風景のすべてがあります(p43)。扇子に絵を描くというのは絵に風を起こすことではありませんか(p45)。庭は高い所から低い所まで自然の全体を集めるものです。対照的なものも、遠景も含めて。(p64)。季節は先行する季節の想いから生まれる(p76)。物事は整えてはならぬ。不完全の心得が完全への道だ。(p99)。扇子の墨絵と作庭は一対のもので、互いに他の秘密を隠している。それは夢の裏表だ(p102)。人生は露の道。記憶は夢の庭のように失われていくが、春の朝になると扇子が開くように庭がまた甦る(p180)、というような文章(超テキトー訳につき注意)。

 今回は、時系列的なストーリーの説明は省きますが、主軸は、日本の扇絵の美を作り補修し伝えるOsaki、Matabei、Hi-hanの三代の物語で、冒頭と結尾はHi-hanの一人称で、山奥の隠れ屋に瀕死のMatabeiを訪ねる場面が語られ、真ん中は三人称で下宿での日々やその後の災害が語られています。冒頭部分と結末が繋がることで物語の環が閉じる仕掛けです。全体の印象としては、日本の美学をテーマにしながら、小説の技法としてはやはり欧米的。フランスの小説には、とことん説明しようとするような饒舌なところが見られるのが、日本とは対照的です。

 以前読んだ『不死の秘密』の諸短篇はブリヨン風の幻想的彷徨譚だったのに対し、この作品は前半が神秘的な雰囲気、後半は苛酷な現実の物語になっています。過酷な現実というのは現実を突き抜けて幻想的でもありますが、どれがアダッドの本当の作風なのかよく分りません。他にもタイトルだけを見ると面白そうなのがたくさんあるので、別の作品も読んでみたいと思います。