古本ときどき音楽

2017-09-29

[]:JEAN RICHEPIN『CONTES DE LA DÉCADENCE ROMAINE』(ジャン・リシュパン『羅馬頽唐譚』)

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JEAN RICHEPIN『CONTES DE LA DÉCADENCE ROMAINE』(SÉGUIER 1994年)


 昨年、ジベール・ジョゼフで買った新刊本。リシュパンを読んだのは初めて。日本では短篇がいくつか紹介されている程度で、あまりなじみがない作家と思います。廣瀬哲士の『新フランス文学』で末期浪漫派詩人として紹介されていたり、生田耕作の「私の選んだ『フランス小説ベスト…』」では『鳥黐(とりもち)女』という変わった題名の小説が取り上げられていました。                                   

 羅馬を舞台にした21の短篇と編者による序文、付録として、羅馬をテーマにした詩一篇、ネロの評伝風物語、他作家が書いた羅馬頽唐譚二篇、それに年譜、初出一覧、難読単語表が収められています。フランス詩の歴史で、高踏派の時代に、希臘・羅馬がよく歌われたというのを耳にしますが、その名残でしょうか、この作品には羅甸的な美が溢れています。ちなみに「頽唐」という言葉を使ったのは、学生の頃澁澤龍彦の何かの本で読んで(と思う)、強く印象に残っている言葉だからです。

 一読するや作品の放つ魅力に惹きこまれてしまいました。一つは、碑銘の文字や羊皮紙の断片から忘れられた事蹟を再構成したという触れ込みでの書き方、あるいは羅馬の栄光を語る年代記作者に身をやつしての語り口が何とも言えないこと。また、皇帝、皇妃、宮廷が醸し出す正統的で豪華な雰囲気と、乞食や不具者、香具師、娼婦らが臭わせる猥雑さの混淆、剣闘士や怪物が織りなす血みどろの世界、その背後にある蛮族が侵入するという危機感。さらに、それらを描くにあたっての微細な部分での奇態な想像力が横溢していること。香具師、大道芸としては、フライ豆、蜜酒、水売り、竹馬乗り、球回し、蛇男、蛇女、ムササビ飛び、瓶回し、手品師、薬売りに病気見、剣飲み、操り怪物人形、猥褻な踊りの潜水人形、チター奏者、畸形としては、小人や巨人、二なり、髭女、瘻、骸骨男、牛頭、犬女、人魚、骨なし人間などが登場します。

 序文のジャン・ド・パラシオの解説はなかなかのものでした。まず、羅馬に関する珍しい単語の使用は文章に明瞭で堅牢な格調を帯びさせるのが目的とした後、デカダンスの様式の特徴として単語への偏重をあげ、そこには断片化や分離の美学があると言います。またもうひとつのデカダンスの特性として畸型への偏愛をあげ、欠如より過剰、醜さの美があると言います。畸型や怪物の登場には19世紀の進化論の影響がありまた「美女と野獣」のテーマが見え隠れしていると喝破し、最後にリシュパンは世紀末のパリに頽唐期羅馬を刻印しようとしたと指摘しています。


 恒例により、各短篇を簡単にご紹介します(ネタバレ注意)。      ◎Étoile éteinte(消えた星)

 散文詩。「2回演じ喝采を浴びた」とだけ記された墓碑銘から、羅馬の女優の姿に思いを馳せ、「何も分からない」と繰り返しながらも、眼前に古代の情景を髣髴とさせることに成功している。失われた栄光への追憶が美しい。


◎La Violette(菫)

 1700年を経て発見された資料により一人の詩人の美しい行為を讃える。5年ごとの詩の競技で35年間君臨した老詩人を押しのけて、13歳の詩人が圧倒的な勝利に輝いた、が詩人は金の冠を老詩人の頭上に置く、その謙虚さはいつまでも語り継がれることだろう、と。


◎La Thaumaturge(女魔術師)

 年代記と当時の歌謡から紫ペストの脅威を語る。紫ペストに襲われ、羅馬の三分の一の人が痙攣し硬直し、全身に紫色の斑点と腫れ物を帯びて死んでいった。そこに異民族の女魔術師が現れて奇跡を起こす。病者を描く筆遣いにはジャン・ロランの頽廃小説の趣きがある。


◎Triomphe(勝利)

 グロテスクとデカダンスの点では集中最高作ではないか。珍奇な単語のオンパレードで、羅馬の勝利の凱旋のお祭り騒ぎが描かれている。屋台や大道芸、見世物が取り巻く中、戦利品、捕らわれた敵将、最後に勝利した王と行列が続き、王に対して猥褻な言葉が投げられ、群衆は熱狂する。


〇La Maison d’un homme heureux(幸福になる家)

 一種の幸福論。父親の遺言によって、幸福の家に連れて来られた息子。そこには父親の遺産で幸福になるためのありとあらゆる手段が用意されていた。息子はそれを見て、結局人は幸福にはなれないと悟る。が最後に真に幸福になる手段がひとつ残されていた。


Un Retraité(隠居)

 元羅馬軍の軍団長が羅馬の植民地でフランク族の教化に余生を捧げる話。羅甸語とともに、趣味の料理と園芸を自らのホラティウスばりの詩に盛り込んで教えようとする。やがて野蛮な彼らも美しい言葉を喋るようになるだろうと。


Au Couchon rouge(「赤豚亭」にて)

 途中戯曲形式。「赤豚亭」の常連の一人が、ここは料理がおいしいが会話も楽しい所と、常連たちが繰り広げる会話を再録する。水時計が鳴ってから次に鳴るまでの任意の7分間の会話。料理の列挙が面白い。


〇Le Brigand Bulla(盗賊の親玉)

 盗賊の家系に生まれた豪胆な男。ついに捕まって、競技場で他の罪人とともにライオンの餌食になる所だったが、豪胆さと好色さで観衆を魅了し、恩赦のうえに皇帝の従姉妹との結婚を許され未来の執政官を約束される。


Les Courses(戦車競技)

 羅馬が滅びるという不吉な予言は勝手に言わせておけ、羅馬には最高の戦車競技があるからと、貴族から浮浪者までが熱狂し、皇帝も密接に関与する戦車競技を讃える。競技場のお祭りのような雰囲気、戦車競技の息を飲む瞬間が詳細に描かれている。


◎Les Agrafes du mort(死者の装具)

 ケチのユダヤ人の葬儀で死体からダイヤモンドのついた金の鉤を盗んだ下層民の連中が、業者の前金で大宴会をしたあと業者に見せたところ、金メッキとガラスと分かる。死者の息子もケチだったのだ。死者から宝石のみならず屍衣や脂までも切り取り喜び騒ぐグロテスクな雰囲気が秀逸。


Les Trente Braves(30人の猛者)

 羅馬の剣闘士競技場に極北の地から騙されて連れて来られた30人の猛者。待機場所の地下牢で、競技では見ることのない凄絶な光景を繰り広げた。出場直前に羅馬平民の娯楽に供されると知り、互いに首を絞め合い自害したのだ。


Les Rivaux(ライヴァル)

 ロープの上で二頭の象が巧みな芸をするのは訓練の成果で、人間と同じ知性を持っているからではない。と思っていたら、魅力的なアンドロギュヌスと共演したことで、一頭は恋に嫉妬し、一頭は芸に嫉妬しロープから転げ落ちる。


◎L’Heautophage(自分を食べる行者)

 怪現象の描写の迫真性では最高作。すべては自然の法則で証明できると豪語する懐疑論者の友人に一泡吹かせようと、アトランティスの末裔と称する行者を連れてきた。行者が分身を作ると、分身は「私が本物だ」と行者を貪り食って消える。行者の腐敗した屍体だけが残るという場面は圧巻。


◎Le Monstre(怪物)

 怪物の造形では集中最高。剣闘士競技に、誰も見たことのない怪物を登場させただけでも十分だが、ある行為によってスカウルスの功績は碑に刻まれるだろう、と名君の思い切った決断を謳いあげる。不具ゆえに強く小鳥のように歌うという想像を絶する怪物が登場する。


〇Le Chrétien(キリスト教徒)

 売春宿の税金で暮す解放奴隷が、売春を攻撃するキリスト教徒の伝道師をオルフェウスに仕立て、売春婦をバッカスの巫女役にして、芝居を打つ。舞台上で巫女たちはオルフェウスを襲い観客の前で本当に殺戮する。昔似たような趣向の映画があったことを思いだす。


〇Les deux Labrax(二人のラブラクス)

 お涙頂戴の物語。剣法の古い流派の最後の完成者の父とその父に教えられ新しい剣法を編み出した息子。父が引退した後、息子は無敵となり、古い流派を亡ぼし、慢心の末に父と戦うことになる。父は剣術も秀でていたが人間的にも優れていた。


◎Psellias(プセリアス)

 芸術の魔力を語った一篇。この世から痕跡を消すように布告され、「プセ」と発音しただけでも不敬罪とされるようになったプセリアスの事蹟を記す。彼の踊りを一目見ただけで、あらゆる階層年齢、聖職者までもが発情し、スビュールの町が淫欲の巷と化したという。


◎La Magicienne(魔法使いの女)

 奇怪な想像力の溢れた一種のポルノ小説。女友達と行った魔女の宮殿で、女友達だけが隣室の暗闇に連れていかれ、そこで魔法をかけられると、女友達は服を脱ぎ血まみれの肉の上に寝そべった。そこへ骨と皮だが腰だけに肉が付き男の特徴が露わな骸骨が歩み寄って来る。


Le Garamante(ガラマント)

 皇帝の姪は怪物を愛でる癖があったが、アフリカの奥地から連れて来られた獰猛で毛むくじゃらの怪物を見た途端、お互に一目惚れし、檻の中で一緒に生活するようになる。姪が結婚を宣言しやがてその怪物が皇帝になろうかという時、神々は怪物を病死させる。なぜなら猿だったから。


L’Affranchi(解放奴隷)

 泥棒や乞食を含めあらゆる職業を経験した後、養父を毒殺して皇帝の親族にまでなった解放奴隷が身につけたのは、人間や神を司る法則に対する軽蔑だった。人々が隷属のうちに生き、皇帝さえも死後神々に列せられようという想念に縛られているなかで、真の解放の喜びに身を捩る。


Pour le beau(美に殉ず)

 美への愛を信条としている男が、希臘から受け継いだ美が堕落し、怪物たちの饗宴と化した現状を嘆き、将来を悲観して自死を決意。手記を骨壺に入れ、美への愛が永遠に埋められることを希う。さんざん頽廃の極致を賛美してきたのに、最後にそれを否定するように書いているのは解せない。


 ここからは付録。

Elagabal(ヘリオガバルス)(1898)

 ヘリオガバルスを讃えた同性愛的なにおいのする連詩。競技場で民衆が皇帝の登場を待ち歓呼する様子を活写した第1部と、皇帝と交わり永遠の中での復活を願う第2部からなる。色彩や輝きなど感覚的な言葉が鏤められ、天体や自然を語る詩文には、溌剌と躍動する古代の生命が感じられる。


〇Grandes Amoureuses(1896) “Poppée”(偉大な恋人たち、ポッペア)

 一種のネロの評伝で21篇の物語の基調をなすもの。頽唐羅馬の中でも群を抜いているのは皇帝ネロだと、ネロの芸術への偏愛、悪徳のかずかずを数え上げる。そのまわりを彩るのは母アグリッパ、後にネロの皇妃となるポッペアだと、毒殺、裏切り、近親相姦の渦巻く羅馬の頽廃を物語る。


Gaston Derys,“La Voluptueuse Agonie”(1900)(ガストン・デリ「断末魔の快楽」)

 友の裏切りを知ったティベリウスは、その一族を殺戮した。二人の子どもがいて牢に入れ、男の子はすぐさま処刑したが、娘は羅馬では処女を死刑にしないという神の掟がありできなかった。そこでティベリウスは処刑人に娘を女にしてから処刑しろと命じる。


〇Armand Silvestre,“Posidès”(1898)(アルマン・シルヴェストル「ポシデス」)

 夜、乞食姿の羅馬の老高官は、若い剣闘士が絶世の美女に誘惑される現場を目撃。夜ごと男と交わり翌日に男を殺す女だった。剣闘士は前日の男が殺されるのを目撃し、乞食にお前も同じ運命と忠告され煩悶するが、最後は欲望に屈してしまう。高官は老いた自分と比較し恋に死ぬ若者を羨む。

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